2025年7月31日の投稿[1件]
猛烈な暑さ、日照りで体調管理がほんとうにむずかしいですね。
ぼくも水分代謝がうまくいかず、水分をとりすぎる、おなかを壊す、の繰り返しです(笑)
これは覚え書きですが、選挙の立会は、朝6時すぎに公民館に集合し、7時から投票開始しました。
夜の8時に投票所を閉じて、そこから開票所までバスで投票箱を運び、9時半にまた公民館に帰ってきて解散という流れでした。
どうやら投票所が閉じて開票所への送迎がはじまると、市内のほとんどのバスやタクシーが出払うほどだったようで、やはり選挙はお祭りなんだとおもいます。
ひたすら座っているだけの長丁場でしたが、家に帰ってきたとき、ちゃんと一日は終わるものなのだな、と妙な感心をしていました。
ひと昔前の自治会というと、お酒の場が多く、ワガママを言う人が多かったのでトラブルも多かったようです。
もっとむかし、大正以前にさかのぼるとこのあたりは田んぼの水の問題で殺し合いが起きるような土地柄だったといいますから、いわゆる村長の役割はたいへんなものでした。
ぼくが移住してからのことを考えるだけでも、いまの自治会長の役割はずいぶん楽になったとおもいます(笑)
ことしはうちのあたりは記録的な大旱魃ですが、むかしのように溜池も上水道もない時代だったら、村の中はたいそう乱れていたことでしょう。
古代蓮のお話、おもしろいですね。
土の中にある蓮の種が、数千年発芽する機能を失わずに、あるきっかけで萌芽する。この数千年という期間、種は果たしてどのように命を生きているのか。
植物には意識はありませんが、しかしたしかにその種は命としての役割を生きているわけでしょう。
動物の精子と卵子は生命とはいえないんだそうで、これは植物でいえば花粉とめしべの関係ですね。
そこから結実して種になったものは、人間でいえば受精したあとの胎児のようなものですから、やはり命です。
夜に眠って気づけば朝、というような感じで、じぶんの命がたまたま古代蓮の種であれば、土中で眠っている間に数千年が過ぎている。
人間の視点でみるとあまりにも長い孤独で、命の実感がないようさえおもえます。
蓮の花の神聖さを愛でるたとえで「蓮は泥より出でて泥に染まらず」という言葉がありますが、種の時点から特殊な神性があるようにおもえました。
大きなサイズのオタマジャクシは、おそらくウシガエルのオタマジャクシでしょう。
あれはギョッとするサイズですよね(笑)
あのカエルは夜になると、「ブオーン、ブオーン」と、聞きようによってはたしかに牛のような鳴き声で鳴きます。
世界最大級の大きさのカエルなんだそうで、戦前に食用に輸入された外来種なんだそうです。
むかしぼくが住んでいた大阪の八尾という、郊外の用水路でも盛大に繁殖して、大合唱していました。
八尾にいたときは気持ち悪いのと、夜の騒音で迷惑なだけでしたが、そういえば台湾でカエルの足を食べたことがあります。
鶏せせりのようなプリプリとした食感で美味でした。
捕獲して皮をむいても、足だけしか食べられるところがない(骨付きで一匹100gほど)という、歩留まりのわるさを無視していいのであれば、たしかに食用としては優秀だとおもいます。
調べてみましたが、北海道から沖縄まで、日本中に生息域があるものの、分布はまだらです。
当時熱心にウシガエルを食用として繁殖させていたところと、そうでないところがあったのでしょう。
戦前戦中の食糧難の時期でも、日本ではカエル食に抵抗がある地域が少なくなかったそうですから、そのあたりが分布のムラにつながっているようです。
https://www.nies.go.jp/biodiversity/inva...
お盆、うちの自治会では地蔵盆のお祭りの風習が残っていて、もう子供の数はほとんどないのですが、お地蔵さんのよだれかけを交換したり、ささやかな地域のコミュニケーションの場として活用しています。
当地では子供のうちに亡くなったとか、水子だったというような、夭折した子供を石彫りの地蔵として公民館前におまつりしており、これが20体以上あります。
有志の女性が2年に1度、よだれかけをつくってくれて、ぼくも含めて男衆がよだれかけを交換します。
1体10kgほどと、ほんとうに子供くらいの重さがあるのですが、これをお堂から出して交換して、またお堂に戻すので、汗だくになります(笑)
地蔵盆はご先祖さんの霊が帰ってくる盂蘭盆とは区別されていますが、根っこの部分はおなじ祖霊をおまつりするイベントですね。
地蔵盆は、いつまでも歳を取らない祖霊の子供たちと、地域の子供たちが主役のイベントなんですが、最近はうちの自治会では子供の数が減ってきました。
しかし子供がいなくなればやめるというのではなくて、お地蔵さんの御守をするイベントとして細々とでもやっていこうじゃないかというかたちで話を進めています。
いわゆるお盆よりも後の8月20~30日の間の土曜日に行われることが多いとおもうのですが、これは地蔵菩薩の縁日が24日だからなんだそうです。
そういった自治会の催しとしてのお盆のイベントはやりますが、家でお盆だからといってなにかするかといわれれば、せいぜいお墓参りくらいで、ぼくの場合はそれすら親に任せている現状です(笑)
最後に、いまの政治の「わざわざ恥をさらすような発言や行動をする人が多いのはなぜなんだろう」という件ですが、これはちょっとこじれてるようです。
というのも、たとえば兵庫県の斎藤知事や、安芸高田市長だった石丸伸二、NHK党の立花だとか、あるいは最近だと参政党のような言説もそうですが、一見すると論理性が破綻しているようにみえます。
しかしああいった、庶民の一般感覚とはズレた主張が支持を集めているのはなぜなのか。
これは、「対左翼」ということを軸にするとわかりやすくなります。
これまで弱者の味方を気取りながら、グローバリズムや個人主義を推し進め、巨大な利権を得ていた左翼運動に対して、現代では批判が集まっていて、どこの国でも右傾化が進んでいます。
この左翼嫌悪が民意になっているんですね。
極端な話、左翼をぎゃふんと言わせることができるのであれば、なんだっていい、という状況になってしまっている。
左翼的な論理に巻き込まれるくらいなら、まともな受け答えをしなくていいし、最悪その人の政治手腕がどのようなものであるかも問わない、という有権者が意外と多いんです。
それで、左翼をおちょくるような政治的主張が幅を利かせるようになりましたし、そういった主張がインターネットのSNSを通じて伝播されています。
ともかくなんらかの対立構造をつくって、徹底的に叩きながら成長していくという仕組みです。
もっと広い見方でいえば、左翼でなくてもいいんです。
たとえば社会そのものに不満がある層に向けて、「消費税にムカつきませんか」とやって、消費税を下げようなどといいだす。
実際には消費税は、税金を払っていない人や旅行に来た外国人からもとれる税制なので、これを下げてしまうと、いま日本で税金を支払っている現役労働者にツケがきて、さらに重税が課されるようになってしまいます。
だれにとっても消費税が上がるのは嫌だとおもうんですが、それでも現役労働者の税負担を軽減してやろうということになると、万人からとれる消費税を増やすしかないそうで。
政治家はその点わかっているはずなんですが、なにせ庶民の消費税アレルギーをおもうと、消費税減を叫ぶほうがメリットが大きい。
それで特に野党議員が、無責任に大衆迎合して、消費税減を叫ぶんですね(笑)
「わざわざ恥をさらすような発言や行動をする人」は、意図的に対立構造をつくって、わざと社会を炎上させて衆目をあつめている、といえます。
このやり方が常套手段と化していて、しかも現代の政治運動として成功しているから悩ましいですね。
言い方を変えれば、「悪名は無名に勝る」ということでしょうか。
こういった政治家たちは市民の感情の動き方だけを気にして、むちゃくちゃな主張で市民のイデオロギーを煽りたてて、あとは野となれ山となれですから、まさにポピュリズム(扇動政治)です。
……と、ずいぶんセンシティブなところに話が進んでしまいました。
この話はここでおしまいです。
ギズモさんにおかれましても長い夏でたいへんだとおもいますが、体調管理に気を付けて、なんとか乗り切りましょうね。
ぼくも水分代謝がうまくいかず、水分をとりすぎる、おなかを壊す、の繰り返しです(笑)
これは覚え書きですが、選挙の立会は、朝6時すぎに公民館に集合し、7時から投票開始しました。
夜の8時に投票所を閉じて、そこから開票所までバスで投票箱を運び、9時半にまた公民館に帰ってきて解散という流れでした。
どうやら投票所が閉じて開票所への送迎がはじまると、市内のほとんどのバスやタクシーが出払うほどだったようで、やはり選挙はお祭りなんだとおもいます。
ひたすら座っているだけの長丁場でしたが、家に帰ってきたとき、ちゃんと一日は終わるものなのだな、と妙な感心をしていました。
ひと昔前の自治会というと、お酒の場が多く、ワガママを言う人が多かったのでトラブルも多かったようです。
もっとむかし、大正以前にさかのぼるとこのあたりは田んぼの水の問題で殺し合いが起きるような土地柄だったといいますから、いわゆる村長の役割はたいへんなものでした。
ぼくが移住してからのことを考えるだけでも、いまの自治会長の役割はずいぶん楽になったとおもいます(笑)
ことしはうちのあたりは記録的な大旱魃ですが、むかしのように溜池も上水道もない時代だったら、村の中はたいそう乱れていたことでしょう。
古代蓮のお話、おもしろいですね。
土の中にある蓮の種が、数千年発芽する機能を失わずに、あるきっかけで萌芽する。この数千年という期間、種は果たしてどのように命を生きているのか。
植物には意識はありませんが、しかしたしかにその種は命としての役割を生きているわけでしょう。
動物の精子と卵子は生命とはいえないんだそうで、これは植物でいえば花粉とめしべの関係ですね。
そこから結実して種になったものは、人間でいえば受精したあとの胎児のようなものですから、やはり命です。
夜に眠って気づけば朝、というような感じで、じぶんの命がたまたま古代蓮の種であれば、土中で眠っている間に数千年が過ぎている。
人間の視点でみるとあまりにも長い孤独で、命の実感がないようさえおもえます。
蓮の花の神聖さを愛でるたとえで「蓮は泥より出でて泥に染まらず」という言葉がありますが、種の時点から特殊な神性があるようにおもえました。
大きなサイズのオタマジャクシは、おそらくウシガエルのオタマジャクシでしょう。
あれはギョッとするサイズですよね(笑)
あのカエルは夜になると、「ブオーン、ブオーン」と、聞きようによってはたしかに牛のような鳴き声で鳴きます。
世界最大級の大きさのカエルなんだそうで、戦前に食用に輸入された外来種なんだそうです。
むかしぼくが住んでいた大阪の八尾という、郊外の用水路でも盛大に繁殖して、大合唱していました。
八尾にいたときは気持ち悪いのと、夜の騒音で迷惑なだけでしたが、そういえば台湾でカエルの足を食べたことがあります。
鶏せせりのようなプリプリとした食感で美味でした。
捕獲して皮をむいても、足だけしか食べられるところがない(骨付きで一匹100gほど)という、歩留まりのわるさを無視していいのであれば、たしかに食用としては優秀だとおもいます。
調べてみましたが、北海道から沖縄まで、日本中に生息域があるものの、分布はまだらです。
当時熱心にウシガエルを食用として繁殖させていたところと、そうでないところがあったのでしょう。
戦前戦中の食糧難の時期でも、日本ではカエル食に抵抗がある地域が少なくなかったそうですから、そのあたりが分布のムラにつながっているようです。
https://www.nies.go.jp/biodiversity/inva...
お盆、うちの自治会では地蔵盆のお祭りの風習が残っていて、もう子供の数はほとんどないのですが、お地蔵さんのよだれかけを交換したり、ささやかな地域のコミュニケーションの場として活用しています。
当地では子供のうちに亡くなったとか、水子だったというような、夭折した子供を石彫りの地蔵として公民館前におまつりしており、これが20体以上あります。
有志の女性が2年に1度、よだれかけをつくってくれて、ぼくも含めて男衆がよだれかけを交換します。
1体10kgほどと、ほんとうに子供くらいの重さがあるのですが、これをお堂から出して交換して、またお堂に戻すので、汗だくになります(笑)
地蔵盆はご先祖さんの霊が帰ってくる盂蘭盆とは区別されていますが、根っこの部分はおなじ祖霊をおまつりするイベントですね。
地蔵盆は、いつまでも歳を取らない祖霊の子供たちと、地域の子供たちが主役のイベントなんですが、最近はうちの自治会では子供の数が減ってきました。
しかし子供がいなくなればやめるというのではなくて、お地蔵さんの御守をするイベントとして細々とでもやっていこうじゃないかというかたちで話を進めています。
いわゆるお盆よりも後の8月20~30日の間の土曜日に行われることが多いとおもうのですが、これは地蔵菩薩の縁日が24日だからなんだそうです。
そういった自治会の催しとしてのお盆のイベントはやりますが、家でお盆だからといってなにかするかといわれれば、せいぜいお墓参りくらいで、ぼくの場合はそれすら親に任せている現状です(笑)
最後に、いまの政治の「わざわざ恥をさらすような発言や行動をする人が多いのはなぜなんだろう」という件ですが、これはちょっとこじれてるようです。
というのも、たとえば兵庫県の斎藤知事や、安芸高田市長だった石丸伸二、NHK党の立花だとか、あるいは最近だと参政党のような言説もそうですが、一見すると論理性が破綻しているようにみえます。
しかしああいった、庶民の一般感覚とはズレた主張が支持を集めているのはなぜなのか。
これは、「対左翼」ということを軸にするとわかりやすくなります。
これまで弱者の味方を気取りながら、グローバリズムや個人主義を推し進め、巨大な利権を得ていた左翼運動に対して、現代では批判が集まっていて、どこの国でも右傾化が進んでいます。
この左翼嫌悪が民意になっているんですね。
極端な話、左翼をぎゃふんと言わせることができるのであれば、なんだっていい、という状況になってしまっている。
左翼的な論理に巻き込まれるくらいなら、まともな受け答えをしなくていいし、最悪その人の政治手腕がどのようなものであるかも問わない、という有権者が意外と多いんです。
それで、左翼をおちょくるような政治的主張が幅を利かせるようになりましたし、そういった主張がインターネットのSNSを通じて伝播されています。
ともかくなんらかの対立構造をつくって、徹底的に叩きながら成長していくという仕組みです。
もっと広い見方でいえば、左翼でなくてもいいんです。
たとえば社会そのものに不満がある層に向けて、「消費税にムカつきませんか」とやって、消費税を下げようなどといいだす。
実際には消費税は、税金を払っていない人や旅行に来た外国人からもとれる税制なので、これを下げてしまうと、いま日本で税金を支払っている現役労働者にツケがきて、さらに重税が課されるようになってしまいます。
だれにとっても消費税が上がるのは嫌だとおもうんですが、それでも現役労働者の税負担を軽減してやろうということになると、万人からとれる消費税を増やすしかないそうで。
政治家はその点わかっているはずなんですが、なにせ庶民の消費税アレルギーをおもうと、消費税減を叫ぶほうがメリットが大きい。
それで特に野党議員が、無責任に大衆迎合して、消費税減を叫ぶんですね(笑)
「わざわざ恥をさらすような発言や行動をする人」は、意図的に対立構造をつくって、わざと社会を炎上させて衆目をあつめている、といえます。
このやり方が常套手段と化していて、しかも現代の政治運動として成功しているから悩ましいですね。
言い方を変えれば、「悪名は無名に勝る」ということでしょうか。
こういった政治家たちは市民の感情の動き方だけを気にして、むちゃくちゃな主張で市民のイデオロギーを煽りたてて、あとは野となれ山となれですから、まさにポピュリズム(扇動政治)です。
……と、ずいぶんセンシティブなところに話が進んでしまいました。
この話はここでおしまいです。
ギズモさんにおかれましても長い夏でたいへんだとおもいますが、体調管理に気を付けて、なんとか乗り切りましょうね。