2026年1月7日の投稿[1件]
※今回の話は単なるわたしの備忘録であり、読み物にすぎませんので、返信は必要ありません。
帰省した時に、どこかで時間をつくって、奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)と石上神宮に行こうと決めていました。
しかしいざ帰省すると、父があのあたりの地理をよく知っているとのことで、結局両親とわたしの3人で奈良へ行くことに。
親がいうには、正月3日に行くのはどうかということでしたが、どう考えても大混雑が見込まれるので、年末にしようと提案し、30日に参拝しました。
大阪の近畿自動車道から南阪奈道路で橿原へ向かいます。
高速道路降り口の正面である東側には藤原宮跡、天香久山がありました。
降り口の南側には畝傍山……つまり橿原神宮と神武天皇陵があります。
が、今回は位置関係を知ったということで通過します。
父が運転してくれているので、わたしは助手席で観光していました。
高速を降りてから北東に8㎞ほどで、三輪山のふもとに着きます。
ここに大物主とその一族をまつる大神神社があるわけですが、朝10時の時点では駐車場はすいていました。
大物主はどうにもつかみどころのない存在です。
三輪山は鉄鉱山で、大物主の妻と娘の名前にたたらが含まれることから、製鉄と結びつきます。
しかし同時に酒造の神としてもあがめられています。
また堺にいた子(おおたたねこ)のエピソードを含めると、陶業にも結びつくのです。
いまでいうところの、多角経営、総合商社といったところでしょうか。
しかし、どうも存在性そのものがふわふわしていて、どのような大人物であったのか、想像が尽きません。
大神神社にはランドマークになりうる規模の大鳥居があり、大きな駐車場が何か所もありました。
境内はかなり広く、観光地化されています。
よく神社には摂社や末社といったかたちで境内社がありますが、ここは大神神社の中に、狭井神社、久延彦神社、さらに若宮神社である大直禰子(おおたたねこ)神社がありました。
つまり大神神社の境内の中に、独立した神社がみっつあって、それぞれに授与所もあるのです。
こういう入れ子構造の神社はあまり見たことがないな、とおもったのですが、全国の神社でみればよくあるのかもしれません。
参拝をしているうちに、参拝客がどんどん増えてきて、参拝を終えて駐車場を出るのに難儀しました。
大渋滞が起こっていたのです。
これは年始にお参りしていたらどうなっていたことでしょう。
駐車場を出るまでに1時間近くかかり、ほんとうはここでお土産を買う予定だったのですが、駐車場前の大混雑をみて急いで車に向かうほかなく、なにも買えませんでした。
大神神社を出てほんの1㎞ほど北西に、箸墓古墳がありました。
ほんとうはここも訪れたかったのですが、もうお昼時で、なにせ大神神社の駐車場があんなことになっていたから、この先お昼ご飯を済ませて石上神宮へ行くことを考えると、立ち寄っている時間がなく、外側から古墳の森を眺めるだけで終わりました。
古墳というのは現代では単なる森になってしまっていますが、それでも箸墓古墳には威容を感じました。
往時にはおそらく前方後円墳として朱塗りの陶器や埴輪が並んでいて、訪れる人々は古代の祭儀の迫力に心を奪われたことでしょう。
地図でみると、箸墓古墳から東に檜原神社があります。
ここは元伊勢のひとつで、ご祭神はアマテラスです。
先ほどの大神神社からも北に1㎞ほどの距離で、おなじ三輪山のふもとにあります。
そして箸墓古墳は檜原神社からさらに下った西側にある。
おそらく檜原神社は、倭迹迹日百襲姫命の、つまり巫女としてのアマテラスのおわす場所で、そこに卑弥呼と合わせて箸墓古墳が建造されたとわたしは考えています。

さて、箸墓古墳からさらに北へ進み、昼食をすませ、石上神宮へ行きました。
大神神社のような規模なのかとおもっていたのですが、石上神宮は森の中にたたずむ落ち着いたたたずまいでした。
じゅうぶんな広さの駐車場がありましたが、渋滞はありません。
正月に営業するのであろう屋台が準備にいそしんでいましたが、大神神社のような門前町はなく、つまり土産物屋もなく、ゆっくりと参拝できました。
どちらかというと駐車場のすぐ隣が天理教の本部で、こちらのほうが独特な威容を発しています。
神社のふもとでは布留川の水を利用した田園が広がっており、たいへんのどかな景色です。
境内には神使の鶏が放し飼いにされていました。
観賞用の、尾長のきれいな鶏です。
よく人に慣れており、手を差し出せば抱っこさせてくれそうなくらい。
ここは古代、物部の武器庫だったところで、たしかに境内のはずれには禁足地があります。
しかし物々しい雰囲気はまったくなく、森の幽玄なたたずまいが印象的でした。
今回訪れた場所は、日本の古代、神武天皇から崇神天皇の時代の神話の物語の中心地です。
三輪山の高いところから奈良平野を眺めると、四方を山に囲まれ、さらに平野の中にも名高い山がそびえていました。
いわゆる神奈備(かんなび)ですね。
当時の人々は、まるで要塞のように外敵を防ぎ、山と水と信仰に恵まれたこの地を、楽園のように感じていたことでしょう。
帰りは天理のインターから高速で一気に帰りましたが、家に着いたらもう夕方でした。
お土産がまったく買えず、箸墓古墳への参拝もできなかったのが残念ですが、夕方に帰り着くことができて、結果オーライだったのだとおもいます。
実際に訪れてみることで理解できたこともたくさんある、よい旅になりました。
(追記)
ささやかですが、ギズモさんのお誕生日に届け物をしています。
すべてこの旅のお土産で構成したかったのですが、上記の理由により、お守り以外は、帰りの道中に立ち寄った大阪北部から丹波の変わった品と、今回の帰省時にいただいた不思議なおうどん(味は美味しかったのですが)のお裾分けになりました。
ちょうどよいサイズだったとはいえ、箱があまりにもいい加減なので、その点は田舎者で粗忽者のオッサンのやることだとあきらめていただきたく、メッセージにも書いてはいるのですが、重ねてお詫びを申し上げます。
帰省した時に、どこかで時間をつくって、奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)と石上神宮に行こうと決めていました。
しかしいざ帰省すると、父があのあたりの地理をよく知っているとのことで、結局両親とわたしの3人で奈良へ行くことに。
親がいうには、正月3日に行くのはどうかということでしたが、どう考えても大混雑が見込まれるので、年末にしようと提案し、30日に参拝しました。
大阪の近畿自動車道から南阪奈道路で橿原へ向かいます。
高速道路降り口の正面である東側には藤原宮跡、天香久山がありました。
降り口の南側には畝傍山……つまり橿原神宮と神武天皇陵があります。
が、今回は位置関係を知ったということで通過します。
父が運転してくれているので、わたしは助手席で観光していました。
高速を降りてから北東に8㎞ほどで、三輪山のふもとに着きます。
ここに大物主とその一族をまつる大神神社があるわけですが、朝10時の時点では駐車場はすいていました。
大物主はどうにもつかみどころのない存在です。
三輪山は鉄鉱山で、大物主の妻と娘の名前にたたらが含まれることから、製鉄と結びつきます。
しかし同時に酒造の神としてもあがめられています。
また堺にいた子(おおたたねこ)のエピソードを含めると、陶業にも結びつくのです。
いまでいうところの、多角経営、総合商社といったところでしょうか。
しかし、どうも存在性そのものがふわふわしていて、どのような大人物であったのか、想像が尽きません。
大神神社にはランドマークになりうる規模の大鳥居があり、大きな駐車場が何か所もありました。
境内はかなり広く、観光地化されています。
よく神社には摂社や末社といったかたちで境内社がありますが、ここは大神神社の中に、狭井神社、久延彦神社、さらに若宮神社である大直禰子(おおたたねこ)神社がありました。
つまり大神神社の境内の中に、独立した神社がみっつあって、それぞれに授与所もあるのです。
こういう入れ子構造の神社はあまり見たことがないな、とおもったのですが、全国の神社でみればよくあるのかもしれません。
参拝をしているうちに、参拝客がどんどん増えてきて、参拝を終えて駐車場を出るのに難儀しました。
大渋滞が起こっていたのです。
これは年始にお参りしていたらどうなっていたことでしょう。
駐車場を出るまでに1時間近くかかり、ほんとうはここでお土産を買う予定だったのですが、駐車場前の大混雑をみて急いで車に向かうほかなく、なにも買えませんでした。
大神神社を出てほんの1㎞ほど北西に、箸墓古墳がありました。
ほんとうはここも訪れたかったのですが、もうお昼時で、なにせ大神神社の駐車場があんなことになっていたから、この先お昼ご飯を済ませて石上神宮へ行くことを考えると、立ち寄っている時間がなく、外側から古墳の森を眺めるだけで終わりました。
古墳というのは現代では単なる森になってしまっていますが、それでも箸墓古墳には威容を感じました。
往時にはおそらく前方後円墳として朱塗りの陶器や埴輪が並んでいて、訪れる人々は古代の祭儀の迫力に心を奪われたことでしょう。
地図でみると、箸墓古墳から東に檜原神社があります。
ここは元伊勢のひとつで、ご祭神はアマテラスです。
先ほどの大神神社からも北に1㎞ほどの距離で、おなじ三輪山のふもとにあります。
そして箸墓古墳は檜原神社からさらに下った西側にある。
おそらく檜原神社は、倭迹迹日百襲姫命の、つまり巫女としてのアマテラスのおわす場所で、そこに卑弥呼と合わせて箸墓古墳が建造されたとわたしは考えています。

さて、箸墓古墳からさらに北へ進み、昼食をすませ、石上神宮へ行きました。
大神神社のような規模なのかとおもっていたのですが、石上神宮は森の中にたたずむ落ち着いたたたずまいでした。
じゅうぶんな広さの駐車場がありましたが、渋滞はありません。
正月に営業するのであろう屋台が準備にいそしんでいましたが、大神神社のような門前町はなく、つまり土産物屋もなく、ゆっくりと参拝できました。
どちらかというと駐車場のすぐ隣が天理教の本部で、こちらのほうが独特な威容を発しています。
神社のふもとでは布留川の水を利用した田園が広がっており、たいへんのどかな景色です。
境内には神使の鶏が放し飼いにされていました。
観賞用の、尾長のきれいな鶏です。
よく人に慣れており、手を差し出せば抱っこさせてくれそうなくらい。
ここは古代、物部の武器庫だったところで、たしかに境内のはずれには禁足地があります。
しかし物々しい雰囲気はまったくなく、森の幽玄なたたずまいが印象的でした。
今回訪れた場所は、日本の古代、神武天皇から崇神天皇の時代の神話の物語の中心地です。
三輪山の高いところから奈良平野を眺めると、四方を山に囲まれ、さらに平野の中にも名高い山がそびえていました。
いわゆる神奈備(かんなび)ですね。
当時の人々は、まるで要塞のように外敵を防ぎ、山と水と信仰に恵まれたこの地を、楽園のように感じていたことでしょう。
帰りは天理のインターから高速で一気に帰りましたが、家に着いたらもう夕方でした。
お土産がまったく買えず、箸墓古墳への参拝もできなかったのが残念ですが、夕方に帰り着くことができて、結果オーライだったのだとおもいます。
実際に訪れてみることで理解できたこともたくさんある、よい旅になりました。
(追記)
ささやかですが、ギズモさんのお誕生日に届け物をしています。
すべてこの旅のお土産で構成したかったのですが、上記の理由により、お守り以外は、帰りの道中に立ち寄った大阪北部から丹波の変わった品と、今回の帰省時にいただいた不思議なおうどん(味は美味しかったのですが)のお裾分けになりました。
ちょうどよいサイズだったとはいえ、箱があまりにもいい加減なので、その点は田舎者で粗忽者のオッサンのやることだとあきらめていただきたく、メッセージにも書いてはいるのですが、重ねてお詫びを申し上げます。