全年全月27日の投稿[38件]
2026年3月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
スギ花粉の時期に入った頃、今年の花粉は例年の3倍だと、ジャガー横田の旦那さんで医師の木下氏が言っていたので(ネットの記事)、ドキドキしていました。
ところが、最初の頃は目のかゆみがひどかったのですが、その後落ち着いていて、むしろ例年より軽いかもしれません。
薬を飲んでもけっこう大変な年もありますが、この分でいけば楽勝かな、とすっかり気を緩めています(笑)
とは言え、スギがピークアウトしても、ヒノキもあるので、例年はゴールデンウイークあたりまで四苦八苦します。
先日、60才くらいになったら花粉症が治ったという女性の話を聞いたので、まだ先ですが、その情報に一縷の望みをかけてみます(笑)
伊勢うどんは、どこかのお店のメニューで見たことはあるのですが、食べたことはありません。
たまり醤油のような濃口醤油をかけたものかと思っていましたが、甘さもあるんですね。
お醤油をおいしく召し上がっていただき、なによりです。
司馬遼太郎さんのお話は、私もシンクロニシティ、五次元の介入、そして、何らかの意思が働いていると感じます。
司馬さん本人ということもあるでしょうが、司馬さんの守護霊だった人たちが次の逸材を見つけ、農園主さんが感じたように、「あんたもええかげん、なにか世に問うたらどないや」、さらには「あんたならできるやろ?」と、働きかけているように思います。
これは荒唐無稽な想像ではなく、見えないなにかがさりげない形で、気づかせてくれて、後押ししてくれているのではないでしょうか。
司馬さんがやり残したことを、伝えたいのかもしれませんね。
偶然と思ってスルーしてしまう人は、そこでおしまいでなんの進展も望めませんが、気づいたことにより意識が変わり、いろいろなことがブラッシュアップする転機となる人もいます。
ぜひ、司馬さん&守護霊さんたちの激励を受け止め、為すべきことを進めてください。
的確な表現でなかったら申し訳ないのですが、農園主さんは、パラダイムシフターだと思っています。
また、農園主さんの今までのお話から、司馬さんは、ずいぶん多くのことに興味を持ち、造詣が深かったことを知りました。
今回、Amazonのfireタブレットを立ち上げようと思った理由と、その中に『木曜島の夜会』があったことは、まったく別のことなのに、不思議なつながりがあったことに、私も驚いています。
書名だけ見ても熊野が出てくるとは思えないし、読まないという可能性も大きかったように思えます。
「タブレット、見てみぃ」という司馬さんのテレパシーかもしれませんね。
「木曜島」という島を知りませんでした。
真珠貝の貝殻で作られたボタンがどういうものか調べてみたのですが、子どもの頃に、ワイシャツや婦人服についているのを見ていました。
ボタンを無くした時に使うための「ボタンの箱」なるものが、どこの家庭にもあったように思います。
皮でできたボタン、木のボタン(ダッフルコートについてるみたいな)など、いろいろなボタンがありましたが、その中に、真珠貝の貝殻から作ったと思える、光沢がきれいなボタンもありました。
時々その箱で遊んでいたので、とても懐かしく思い出しました。
海人族についてのお話をありがとうございます。
日本は海に囲まれている場所が多いので、海辺に住む人々は誰でも泳ぎに長け、海に潜れるという思い込みがありました。
また、真珠は鳥羽の海女さんのイメージが強かったので、「死の危険がつきまとう過酷な仕事」とは??と思い、木曜島の海が危険なのかと調べてみて驚きました。
https://www.au.emb-japan.go.jp/files/100...
真鍮製のヘルメットに潜水服、激しい潮流、サイクロンにサメ・・・・。
危険極まりない仕事だったんですね。
この大変な仕事が、後年、真珠の養殖につながったことは、日本の大偉業のひとつだと思います。
女性は、冠婚葬祭で真珠をつける場面が多いので、誰でも真珠のネックレスは持っているはずですが、本物とも限らないですね。
真珠は極めて真贋がわかりにくいもので、じ~~っと見ただけでは本物か偽物かわかるはずがないそうで、質屋さんが一番苦労するのが真珠の見定めだそうです(笑)
ご存じのことで申し訳ありませんが、モーパッサンの『首飾り』は、ダイヤモンドのネックレスとして書かれていたのに、他の国などで映画や小説になると、「真珠の首飾り」とされることが多くなりました。
サマセット・モームの小説で、モーパッサンの『首飾り』をモチーフにした『物知り博士』がありますが、真珠が本物かどうかを見分けて、賭けをする話です。
その当時も見分けがつきにくい偽物があったということがわかります。
現代では、本当に見分けがつかない、品質のいいプラスチックのものが安価で気軽に買えるので、わざわざ高価な本物を買う必要もないと思います。
男性も、葬儀などで真珠のタイピンをしていたように思いますが、今はどうなのでしょう。
そもそも、冠婚葬祭で真珠をつけるという慣習が始まったのは、1965年あたりだと言いますが、バレンタインのチョコレートのように、真珠業界のプッシュが強かったのかもしれませんね(笑)
やはり真珠は、特に女性にとっては特別のものだと思うので、農園主さんが教えてくださった、熊野のダイバーの方々に感謝したいと思います。
インドシナ系の人々が船で日本に来て、沿岸を支配し自治した。少彦名はインドシナの医学を日本に持ち込んだ。
インドシナの影響がずいぶんと大きかったこと、海人族の活躍が目覚ましかったことが、よくわかりました。
「ヒコ」という名前、古代においては「海や川に関わる者」ということがわかると、「ヒコ」がつく人の人物像が捉えやすくなってきますね。
以前の記事の、『「耳」は地域を束ねる首長をあらわす』のように、「ヒコ」は海や船、漁業などを支配する人々の名前につけたようにも思えます。
また、関連はないのかもしれませんが、「ヒ」と「コ」で、卑弥呼を連想してしまいます。
当時の年貢の納め方の推移について、具体的でわかりやすい説明をありがとうございます。
お米であれ、現金であれ、相当厳しかったのですね。
お金を得るための選択肢は、地域やそれまでの暮らしにより大きく差があるのかもしれませんが、木曜島の話は、命懸けでも現金を得るための仕事があったことを、よかった、と安易に言えないように思います。
熊野権現は、本当に奥が深いですね。
由来がシンプルな自然崇拝の神々のままであれば、神様たちも人間も、双方まるく収まっていたと思うのですが(笑)
本地垂迹も、結局は人間の都合で生まれたものと思うので、そうしないといけなかった時代が終われば、もとに戻してもいいような気がします(笑)
徳川家康が権現さまというのは、前々から納得がいかないことでした(笑)
菅原道真や乃木神社のように、人間が死んで、神様として祀られた
最初から神様だった神と、人間が神様になったのでは、どうしても違いを感じてしまいます(書き足し):が、人間を神として祀ったのは人間だし、権現としたのも人間なので、そこに正しさを求めたらだめですね(笑)
前回の、皇室の先祖がイザナギ・イザナミというお話は、とても納得できることでした。
しかしその後、では皇室以外の日本人の先祖もイザナギ、イザナミと言えるのではないだろうか?と考えてしまいました(笑)←もちろん、農園主さんに反論しているわけではありません。
イザナギ・イザナミ以降、複雑になってくるので、例えば徳川家などが本家と分家に枝分かれしているような感じなのではと思います。
西洋では、最初はアダムとイブだったらしいので、これをイザナギ・イザナミに置きかえてもいいのかな、と、どうでもいいようなことを考えました(笑)
ところで、↓のネットニュースをお読みになりましたか?
https://news.yahoo.co.jp/articles/f062fa...
男性や女性の奴婢100人あまりが順葬されたという話は読んだことがありますが、これひとつとっても、やはり中国の神仙思想、道教から来ていますね。
そして、このニュースでさらに、卑弥呼は
アマテラスが卑弥呼だとすると、伊勢神宮の鏡も、道教からきたものでは?と考えてみたりしましたが、私の場合、根拠のない想像です(笑)
あっという間に桜がほぼ満開になりました🌸
卒業式の写真を桜の前で撮る学校が多くなり、桜イコール入学式のイメージはなくなりましたね。
♪春は名のみの 風の寒さや(早春賦)♪
朝晩の気温差がずいぶんあるので、気をつけてお過ごしください。
2026年1月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
お札の役目が終わったからと、お祓い箱にしなくてよかった、というギズモさんのお言葉は、わたしも感じていることでした。
ギズモさんの場合は、お札を継続して授与してもらう、という意味だとおもいます。
わたしの場合はお守り自体がくたびれて、もうご返納していただきたがっている、と感じるのでなければ、お守りはどんなに時が経ってもわたしを守ってくれますし、決してわるい影響を与えたりはしない、と考えています。
緊張についてのお話、ためになりました。
わたしも年を取ると緊張の仕方が変わるような気がしているのですが、その手前の段階で、人を楽しませたい、人に心地よくいてもらいたい、という意識のあるなしが、心地よい緊張にかかわっているような気がしました。
わたしはこれまでの人生を振り返っても、他人を楽しませるかどうかよりも、じぶんが楽しめているかどうかを考えていた気がします。
といっても、この年から突然意識が変わるともおもえないので、おそらくこれからもそうなんだとおもいます。
しかし人を楽しませる緊張感を会得しないまま、年をとって緊張感がなくなるのは、なんだかとても残念な気もします。
さて、前回お伝えした通り、古代のお話をさせていただきます(笑)
欠史八代の時代は、2代目の綏靖天皇で神武天皇の血筋が途絶えたことから、20年ほどの間で王が横並びに乱立した時代なのではないかとわたしは考えています。
欠史八代を読み解くカギになるのが「磯城県主(しきのあがたぬし)」です。
いまでも奈良県に磯城郡という地名で残っているのですが、神武天皇の時代に政権中枢を担っていた地域です。
この磯城県主に葉江(波延)という人物がいました。
まず磯城県主と葉江に注目して、欠史八代とその妻をみていただきたいのです。
(初代 神武天皇)
2代 綏靖天皇 (日本書紀)大物主の娘 (古事記)葉江の妹
3代 安寧天皇 (日本書紀)大物主の孫の娘 (古事記)葉江の娘
4代 懿徳天皇 (日本書紀)安寧天皇第一皇子の娘 (古事記)葉江の血族の娘
5代 孝昭天皇 尾張連の祖・奥津余曾の妹の世襲足媛 (日本書紀)葉江の娘、あるいは倭國豊秋狭太媛の娘
6代 孝安天皇 孝昭天皇第一皇子の娘 (日本書紀)葉江の娘、あるいは十市県主五十坂彦の娘である五十坂媛
7代 孝霊天皇 (日本書紀)磯城県主の大目の娘 (古事記)十市県主の祖の大目の娘
8代 孝元天皇 ウマシマジの後裔の大水口宿禰命の娘の欝色謎命
9代 開化天皇 ウマシマジの後裔の大綜麻杵命の娘の伊香色謎命
(10代 崇神天皇)
これをみると、葉江は欠史八代のうち、3代(あるいは2代)から6代までの天皇に后を与えています。
これは神話どおりに数十年おきに天皇が皇位を渡していったと考えると、葉江の寿命のつじつまが合いません。
しかしこの天皇の交代劇が短い期間中に、一度に起こったことだと考えれば、葉江が娘をどんどん天皇に嫁がせたというようなこともじゅうぶん可能です。
逆に短い期間で一気に起こったことだと考えると、たとえば3代安寧天皇の妻「大物主の孫の娘」は、無理があることがわかります。
なにせ大物主は10代崇神天皇の折に登場して、倭迹迹日姫命と結婚しようとします。
欠史八代のころの大物主は40代半ばから50代くらいでしょうから、孫はいたかもしれませんが、ひ孫がいるような年ではありません。
4代と6代の天皇が、先代の第一皇子の娘と結婚するというのも、奇妙ですね。
これは天皇が姪っ子と結婚するようなものですが、先代が孫をもうけて、皇太子に嫁がせるまで成長を待つには、20年は短すぎます。
結局、実際の歴史の時系列の矛盾点を省きながら考えていくと、やはり葉江は当時の複数の天皇の擁立に深くかかわっていたとおもうのです。
さて、欠史八代を語るには、饒速日命を避けて通ることはできません。
饒速日はニニギノミコトの兄で、神武天皇に先駆けてヤマトの地を開拓しました。
饒速日の息子はウマシマジ(宇摩志麻遅命)といいます。
饒速日→ウマシマジの血筋は、その後物部や穂積といった豪族につながっていきました。
丹後の天橋立近くの元伊勢籠神社のご祭神は彦火明命(ヒコホアカリノミコト)ですが、彦火明は饒速日と同一といわれます。
なぜ丹後で饒速日が出てくるのか、ということなんですが、饒速日はヤマトの地へ向かうまでに、出雲、但馬、丹後と、本州の山陰を経由するルートを通り、その道中で複数の妃をもって、子をもうけていたようです。
なので、饒速日には山陰各地に落胤(落としだね)があったと考えられます。
饒速日は神話に伝わるように、アマテラスの命でいきなり生駒山に降臨したわけではありません。
卑弥呼に命じられて、九州から奈良へと遠征をしました。
旧事本紀では饒速日命が降臨する際に大量の神々が付き従ったとあります。
これは九州から付き従った豪族もいたでしょうが、遠征の旅路の中で、様々な国に立ち寄り、多くの部下を得たのでしょう。
さて、ここからしばらく話が変わるのですが、出雲の話をします。
旧事本紀に書かれてあることなんですが、饒速日のヤマト遠征に付き従った神の中に、少彦根命がいました。
少彦名と少彦根命で、すこし漢字がちがうのですが、これはもちろん少彦名のことで、もしかしたらこのころすでに、饒速日に従う形で少彦名が出雲から失われていた可能性があります。
つまり少彦名はヤマト側から、大国主の国づくりを手伝った、とわたしは考えました。
オオナムチが出雲の王になったのは、わたしの時代考察でいうと、190年あたりになります。
このときすでにスサノオは根の国にいたということですから……つまり60歳あたりで亡くなっていたのでしょう。
スサノオは40代後半から50代にかけて出雲の王となり、若いクシナダヒメと子を為して、10年ほどで亡くなったとおもわれます。
オオナムチは日本書紀ではスサノオの子でした。
しかし古事記では八十神にいじめられたり、根の国のスサノオの難題を解決して、スセリビメと結ばれて……つまり結局はスサノオの養子になります。
オオナムチ、すなわち大国主のエピソードをみていると、たよりない優男のようにもおもえるのですが、実際には勇敢さと、部下と協調しながらものごとを進めるやさしさを兼ね備えた大人物でした。
さて、旧事本紀のとおり少彦名が饒速日に従ってヤマトへ行ったとすれば、これは180年ごろですから、少彦名は大国主よりかなり年上だったのでしょう。
少彦名はその身体的特徴もそうですが、クエビコ(久延毘古)という知恵の神のカカシと同一とされることから、いまでいう障がい者だった可能性があります。
しかし少彦名は、ハンデキャップを補って余りある優秀な知性を持っていました。
少彦名はその伝説をうのみにするなら、医療、米作り、酒造、陶業と、その後大物主に引き継がれる産業の基礎部分を為したようです。
さらに出雲の大国主と共同で、おそらく10年あるかないかの短い期間だとおもいますが、関東開拓(国づくり)をおこない、そして大国主より早く、200年ごろに世を去ったのでしょう。
しかし少彦名が亡くなると、大国主が「葦原中国はわたしが開拓した。わたし以外に治めることのできる者はいない」と宣言しました。
すると、神話によれば大国主の前に幸魂・奇魂があらわれ、こういったのです。
「違う。わたしがあるからこそ、お前は国づくりを行えたのだ」
そして「わたしを三諸山(奈良の三輪山)にまつりなさい」というので、大国主はそのようにしました。
この幸魂・奇魂が大物主だったといいます。
このエピソードはつまり、出雲国が国づくり(関東開拓)をしたと主張したのを、ヤマト王権が許さなかったということでしょう。
これは実際には、関東の領有権をめぐって、ヤマト・九州の連合と、出雲との戦争にまで発展したのだとおもいます。
結果、大国主はヤマト王権に屈するかわりに、出雲大社の建設を要求し、受け入れられました。
ちなみに、神話では大国主が国譲りをしたことで、ニニギノミコトが天孫降臨したというのですが、これはわたしの時系列ではつじつまが合いません。
饒速日が奈良を開拓しているころ、ニニギノミコトはすでに皇位についているか、あるいは崩御しています。
奈良にヤマト王権が成立した時期でなければ、大国主の国譲りは成立しません。
なぜなら、幸魂・奇魂(事代主)が三輪山に行く意味がないからです。
出雲は出雲大社があることによって、国譲りをした後も、国家のような存在であることが許されます。
しかしそれが許されたのは、その後大物主がヤマトで絶大な権力を発揮したからで、大物主が亡くなると、崇神天皇は結局出雲を滅ぼしてしまいました。
このあと、出雲の人々が苦しいおもいをしたであろうことは、以前話したとおりです。
ところで、大国主が国譲りするにあたって、事代主が三輪山へ行くこととなりました。
これは日本書紀で幸魂・奇魂のエピソードと並べて書かれてあるのですが、あるいは大国主の幸魂・奇魂とは、事代主のことだったのかもしれません。
この際、フツヌシとタケミカヅチが大国主に強硬に談判して、国譲りするのかしないのか、「否・然(いな・さ)」を問うのですが、これは先ほども述べた通り、出雲とヤマト(および九州王国)の間で戦争があったのでしょう。
そして大国主はこのとき返事をすることができず、事代主に相談するのです。
事代主は国譲りするように、大国主に進言しました。
事代主は大国主の息子といわれますが、一説には大国主自身ともいわれたりします。
しかし大国主と大物主は性格からなにから、まったくちがうのです。
わたしは事代主は、大国主の息子ではなく、大国主と年がほとんど離れていない出雲の重臣だったのではないかと考えました。
つまり、事代主が大国主にみずから提案してヤマトへ向かい、三輪山で製鉄事業を行い、さらに少彦名の事業も引き継いだのではないか、と。
なにせ大物主は、大国主とちがってひどく合理的で、怜悧な優秀さがありました。
大物主のような経営的センスは、ちょっと大国主からは感じることができません。
事代主は判断が的確で、しかし言い方を変えればワンマンな気質があります。
そしてなにより大国主とちがって、女の扱いが下手でした。
大物主の女性エピソードは、なんだか気持ち悪いものが多いのです(笑)
大国主は出雲大社にまつられると同時に、幽世(かくりよ)の神となったということですから、出雲の地で亡くなったのでしょう。
大国主の偉大さは、敗戦を認めるかどうかを部下にゆだね、そうすべしと決まったら、いさぎよくみずからすべての責任をとったところにあります。
ただ部下に判断を投げていたのではなく、最後きちんと責任をとる覚悟も背負っていたんですね。
おそらく国づくりにおいては、少彦名の死後、出雲側が多くの苦労を負ったのでしょう。
だから、大国主が国づくりの主権を主張したのは、正当な主張でした。
ヤマト王権が紡いだ神話では、国譲りはニニギノミコトの天孫降臨のためだとか、あれこれ理屈付けをしますが、実際には出雲の功績を強奪したように感じられます。
国づくりの面で出雲にこれといった功績がないのなら、出雲大社をつくってくれという要求をヤマト側が飲む必要もありません。
しかしヤマト王権は、大国主をたたえる巨大な神社を建造しました。
じつは国譲りでは、ヤマト王権から出雲に対して、かなり理不尽な要求があったのではないか。
そして大国主はその理不尽をすべて受け止めて、責任を負いました。
記紀神話がヤマト王権の物語であるにもかかわらず、一介の出雲の王に「大国主」というビッグネームを与えたのは、このあたりの負い目があったのでしょう。
大国主は表面だけ見ると、女性に守られるばかりで、頼りない優男のようにおもえますが、じっくり調べていくと、じつに偉大で魅力的な神でした。
スセリビメが惚れ、スサノオが一目置いたのも、さもありなんです。
さて、事代主は出雲にとっての最善、ヤマト王権にとっての最善、さらに大国主の名誉、じぶんの利益を総合的に考えました。
経営者は勝ち馬に乗って、八方よしを心掛けることで利益を拡大しますが、事代主は政治においても経営においても、このあたりのバランス感覚が非常に優れています。
事代主は出雲でも優秀だったはずですが、ヤマト王権も完全に大物主(事代主)に依存します。
神武天皇は大物主の娘を娶りましたし、ヤマト王権内の産業の多くが大物主の利権となりました。
さて、長い脱線でしたが、饒速日と欠史八代に話を戻しましょう。
饒速日命はヤマトへ行くと、もともとヤマトの地に住んでいたナガスネヒコと出会い、かれの妹をめとり、ウマシマジをもうけます。
ナガスネヒコは天孫族との縁を得たことで、ヤマトの地の権力を掌握した気になって増長しました。
日本書紀によると、神武天皇がヤマトにやってきたとき、饒速日命は存命だったとありますが、旧事本紀ではもう亡くなっていたとあります。
饒速日が直接神武天皇に下ったほうが神武東遷の正当性は高まるのですが、わたしは饒速日は亡くなっていたとおもいます。
なぜなら饒速日命が生きていたら、天孫族の外戚にすぎないナガスネヒコが、神武天皇に強硬に盾突くわけにもいかなかったはずですから。
あるいは、そもそも饒速日が亡くなり、ナガスネヒコにヤマトが乗っ取られそうだと高千穂に伝わったため、神武天皇が急ぎ海路を利用してヤマトにつかわされた可能性すらあるとおもうのです。
わたしはなぜ神武天皇が饒速日のように各地で有力氏族を仲間にしたり、子をもうけなかったのか不思議だったのですが、海路や水路をフル活用して、全速力でヤマトまで向かったのかもしれません。
そのように考えると、当時まだ10代だった可能性すらある神武天皇が、アマテラスに命じられて東遷を行った不可解さについても、納得できます。
ちなみにナガスネヒコは天孫族ではありません。
だからナガスネヒコは、饒速日が死んで手中に入れたヤマトの地を、いまさらまた天孫族に明け渡すなどまっぴらごめんだとおもっていました。
しかしウマシマジは饒速日の子ですから、天孫族の血が入っています。
「天孫族の血統」は、この時代に、じぶんが何者であるかを指し示してくれるとても強い光を放っていたのでしょう。
ウマシマジからすれば、たとえナガスネヒコの抵抗が功を奏したとしても、後ろ盾のない独立国家になるだけでした。
天孫族の血筋を利用して九州の王国の後ろ盾を得たほうが、ウマシマジの将来にとってよほど有利なのです。
じぶんの血筋でいえば、神武天皇に準ずる立場にはなれることでしょう。
結果、ウマシマジは神武天皇に恭順の意を示して、ナガスネヒコを討伐してしまいました。
もちろんじぶんの伯父ですから、複雑なおもいがあったのは間違いありません。
神武天皇はその労に報いるかたちで、ウマシマジを申食国大夫(おすくにのまえつきみ)という、当時の政権の頂点の役職でむかえました。
おなじく神武天皇がヤマトで戦っているときに、兄磯城と弟磯城のエピソードがあるのです。
これはナガスネヒコとウマシマジのエピソードそっくりなのですが、神武天皇に反抗していた兄磯城を、弟磯城が討つのです。
弟磯城こと黒速(クロハヤ)は、この功績により初代の磯城県主になりました。
しかし神武天皇が崩御すると、二代目磯城県主の葉江が天皇一族の外戚になろうとします。
葉江がなぜこれほどの情熱を傾けて、複数の天皇を擁立したのか、はっきりしたことはわかりません。
なんとなく神話から読み取れることといえば、初代の黒速も二代目の葉江も、三代目の大目も、名前に「命(みこと)」などの尊称がないことです。
わたしはこのあたりでどうも、かれらは天皇の外戚になれるような身分ではなかったのではないかという気がしました。
実際、欠史八代の系譜をじっくり見ていくと、横並びになった王の中で、実際の権力を手にしたのは、8代目以降の天皇でした。
8代 孝元天皇
9代 開化天皇
ですね。
孝元天皇の正妻は、欝色謎命(うつしこめのみこと)といって、穂積氏の祖先といわれる大水口宿禰の娘でした。
穂積氏は、物部氏とおなじくウマシマジの系譜です。
そしてこの孝元天皇から倭迹迹日姫命が生まれました。
開化天皇の后は伊香色謎命(いかがしこめのみこと)です。
孝元天皇と開化天皇がなぜ欠史八代の勝者だったかを読み解くには、この伊香色謎命がキーパーソンとなります。
しかしその前に、伊香色謎命の兄の伊香色雄命(いかがしこおのみこと)についての伝説をお話ししましょう。
日本書紀によると、10代崇神天皇の御代に、疫病が流行りました。
国全体が乱れる中、八百万の神をまつる神浅茅原(現在の奈良県桜井市のあたり)で、倭迹迹日姫命が神懸かりを起こします。
神に乗り移られた倭迹迹日姫命がいいました。
「わたしは大物主である。わたしを奉れば国は落ち着くだろう」
しかしはっきりしたことがわからないまま、時がたちました。
そんなある日、崇神天皇の夢枕に大物主が立ちます。
「大田田根子(おおたたねこ)と市磯長尾市(いちしのながおち)に、大物主神と倭大国魂を奉らせよ」
そこで崇神天皇が号令を発すると、現在の大阪府堺市のあたりで、大田田根子を探し当てたのです。
(今回、市磯長尾市については話を省略します)
大田田根子に出自を問うと
「父は大物主神、母は活玉依姫です」
と答えました。
まごうことなき、大物主の系譜です。
さらに占いを重ねると、伊香色雄(いかがしこお)を神班物者(神への捧げものを分配する者)にすればよいと出ました。
伊香色雄はウマシマジの血筋、すなわち物部の祖先でした。
この占いにより、石上神宮が建造されたといわれます。
この神託によって、たしかに国の騒乱はおさまったそうな。
さて、3代目から7代目までの天皇には、磯城県主から后を出していましたよね。
8代目の孝元天皇の正妻は欝色謎命(うつしこめのみこと)です。
そして夫人が伊香色謎命(いかがしこめのみこと)でした。
伊香色謎命は、若いころに8代目孝元天皇の夫人となり、その後9代目開化天皇の正妻になりました。
伊香色謎命は、伊香色雄命のきょうだいです。
ややこしい血筋の話でしたが、ようするに、孝元天皇も開化天皇も、ウマシマジの血筋で妻を選んだのです。
ところで日本書紀では、大物主と倭迹迹日姫命の破局の物語は、この大田田根子を探す騒動の後に記されています。
つまり、大物主は生きていたんですね。
なのになぜ大物主は、わざわざ倭迹迹日姫命に神懸かりさせて、「大物主を奉れ」なんてことを言わせたのでしょう。
これはつまり、欠史八代の権力争いが続いている間、大物主はヤマト王権と距離を置いていたということだとおもわれます。
"大物主"が"倭迹迹日姫命"の口を借りて"崇神天皇"に、託宣を伝えるというあたりに、ヒントがありますね。
おそらく大物主は、8代孝元天皇がウマシマジの系譜とつながった時点で目をつけていました。
大物主は、磯城県主の擁立した天皇にはかかわらず、ウマシマジの系譜の天皇を選んだのです。
そして、欠史八代の覇権争いに事実上の決着がついて、10代崇神天皇の御代になってから、本格的にまたヤマト王権と関わりだしたということでしょう。
このとき、これみよがしに孝元天皇の娘である倭迹迹日姫命を利用することで、孝元天皇の系譜とつながったことをアピールしました。
つまり大物主は、勝ち馬をじゅうぶん見極めて、最終的に欠史八代の勝者を決めたキングメーカーだったといえます。
この点でも、大物主の抜け目ないしたたかな性格がみえてきますね。
しかしこういった大物主の強大な権力を、若きカリスマだった崇神天皇は危険視したのかもしれません。
大物主が大田田根子を探し出した理由については、大物主の後継者を探し、天皇家とのつながりを維持する目論見があったようにおもえます。
しかし実際には、大田田根子は三輪氏や鴨氏という有力な豪族の祖先となり、大神神社の祭主にもなったのですが、大物主の強大な権力をそのまま引き継ぐことはありませんでした。
これも、崇神天皇のちからが働いていたようにおもえます。
さて、これで欠史八代の話はおしまいで、最後に武内宿禰の話をさせていただきます。
いままで10代崇神天皇までの話をしてきましたが、そこから2代先の景行天皇の時代から、16代仁徳天皇までに
じつは天皇の寿命が人間よりも長い時代は、仁徳天皇までです。
10 崇神天皇 120歳 在位68年 BC97 ~BC30
11 垂仁天皇 140歳 在位99年 BC29 ~AC70
12 景行天皇 106歳 在位60年 AC71 ~AC130
13 成務天皇 106歳 在位60年 AC131~AC190
14 仲哀天皇 52歳 在位9年 AC192~AC200
(神功皇后 (100歳 在位69年)(AC201~AC269)
15 応神天皇 110歳 在位41年 AC270~AC310
16 仁徳天皇 在位87年 AC313~AC399
仁徳天皇以降、天皇の寿命はおおむね人間と変わらなくなります。
つまり、仁徳天皇の崩御以降、神話の年数と実際の歴史の年数の整合性がとれてくるわけですね。
わたしは崇神天皇の実際の在位期間は230年あたりから270年ごろだと考えています。
そうすると、仁徳天皇の在位期間は313年から399年ですから、崇神天皇の御代から早ければ40年。
遅くても120年ほどで、実際の歴史にほぼ追いつくのです。
6代の天皇がバトンタッチしていく期間としては、かなり現実的ではないでしょうか。
さて、景行天皇14年に武内宿禰が生まれました。
おそらく景行天皇は長期政権だったのでしょう。
ヤマトタケルを含め、神話におけるエピソードも豊富です。
もちろん額面通り60年の在位とはいきませんが、30~40年ほど在位したと考えましょう。
すると景行天皇が崩御したころ、武内宿禰は20~30代です。
次の成務天皇も武内宿禰を大臣に起用します。
しかし各地の国や県に首長を置くという以外は、ほとんど記述がなく、崩御しました。
父の在位が長かったからか、成務天皇の在位期間はかなり短かったとおもわれます。
次の仲哀天皇は熊襲討伐の道半ばで病気になって崩御します。
在位期間は9年。
これはそのまま受け取っていいでしょう。
このとき、武内宿禰は40~50歳といったところです。
では次の神功皇后は仲哀天皇の后なんですが、応神天皇が即位するまでの間に摂政として政治を行いました。
天皇が二代続いて早く亡くなったため、皇后が摂政になったとおもうのですが、この時代の神話はどうも嘘くさく、三韓征伐といって、朝鮮半島への出兵をして、朝鮮を従えたという伝説があるのです。
神功皇后は一時途絶えていた巫女政治を行ったようなんですが、この時期の神話はやたら勇ましく、武勇に満ちたエピソードが豊富なんですね。
日本が新羅を圧倒した、というような、なんだか戦時中の大本営発表みたいなことが書かれてあるのですが、真偽のほどは極めて怪しい。
おそらく実際には、ヤマトからの朝鮮への侵略行為はあったものの、朝鮮半島の戦争でヤマトが存在感を示した、という程度のことでしょう。
むしろその後長く朝鮮半島と友好関係と敵対関係を両立させる関係の中で、日本に渡来人が大量にやってくることとなります。
神功皇后は応神天皇が即位するまでの十年ほど、摂政として政治をしていたのでしょう。
次の応神天皇は武運で有名な八幡神としてあがめられました。
八幡神は応神天皇、神功皇后、そして比売神で、八幡三神とされます。
応神天皇は、まるでアマテラスの時代のように、母の神功皇后の神懸かりを利用して戦争をしていました。
そう考えると後世の武人にとって、武運を神に任せるという意味で、八幡神ほどうってつけの神はいなかったことでしょう。
応神天皇の在位期間は41年とされていますが、実際には20年くらいだと考えます。
すると、景行天皇が40年、成務天皇が10年以内、仲哀天皇が9年、神功皇后が10年、応神天皇が20年。
武内宿禰は景行天皇14年に生まれていますから、これら天皇の時代をすべて足し算すると75歳。
といっても近代以前の天皇の寿命が平均して50歳ほどで、在位期間が平均11年ほどであることを考えると、これでも相当長く見積もっています。
実際にはもう少し在位期間が短く、武内宿禰は70手前で仁徳天皇の家臣となったのではないでしょうか。
そのように考えると、相当長生きはしたものの、武内宿禰はやはり人間の寿命だったとおもわれます。
日本書紀で、仁徳天皇が武内宿禰に、あなたほどの長寿はいないといって称える箇所があります。
これが武内宿禰の出てくる最後なんですが、もしかしたら80歳、90歳を超えてもまだヤマト王権に仕えていたのかもしれませんね。
というわけで、今回もかなり長くなりましたが、いろいろと考察を述べました。
きっと今回も読むのにご苦労なさるとおもうのですが、お返事は拾いたいところだけ拾っていただいてかまいませんし、時間を区切らず気の向いたときにゆっくりでかまいません。
ギズモさんの書き足しにあったわたしの過去の記事ですが、日本神話に対するわたしの立場は、あのときと変わっていません。
しかし古代に対する細かい認識はここのところ、調べれば調べるほど、どんどん変わっています(笑)
もしわたしの記事の中で疑問を感じることなどがあれば、ご質問ください。
最後になります。
最近は温暖化の影響か、冬の本番が大寒(1月20日)以降、3月あたりまでといった感じになりました。
当地ではこのあたりから除雪が忙しくなります。
2週間ほど前に、ついうっかり人の集まるところに行ってしまい、風邪をひいてしまいました。
が、いまはもう元気です。
田舎ではあまり風邪をひかないので、たまに風邪をもらって免疫をつけるのもいいのかもしれない、と前向きに考えています(笑)
まだまだ寒さが続きますが、ギズモさんもご自愛ください。
2025年12月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
今回の記事も、本当に感銘を受けて読ませていただいていたので、農園主さんがそれほど気をお遣いになると、却って申し訳なく思います。
返信の苦労など、あろうはずはなく、謝るなどとは、とんでもないことです。
的外れなお返事を書いてしまいそうですが(笑)、落ち着いて何度もじっくり読ませていただき、それからのお返事ということで、近況も混ぜて書かせていただきますね。
いつも、本当に心に響く、貴重なお話を読ませていただいていること、とても感謝しております。
リセットはなし、ということで(笑)
充分に暖かい用意をして、お帰りくださいね。
書いている間は、これも伝えたい、あれも伝えたいとおもって、勝手にどんどん興が乗ってしまいました。
しかしいざ送信してみると徐々に冷静になり、あんな記事に体裁を整えてご返信いただくご苦労を考えると申し訳なく、謝りたいとおもっていたのです。
これは社交辞令でもなんでもなく、個人的な羞恥心からくるものですが、わたしの前回の記事に触れずにいったんリセットして、ギズモさんの近況を書いていただきたいです(笑)
きょう、自治会で突発的な用事が入ったので、あした帰省することになり、いまこのような記事を書いています。
年末のコンサートがどのようなものであったか、またお聞かせいただければ幸いです。
それでは改めて、どうぞ良いお年をお迎えください。
今日、今年最後のコンサートが無事終わり、やっと一息つくことができました。
お返事が遅くなっていて申し訳ございませんが、来年に入り、すこしたってから、記事のお返事を書かせていただきます。
どうぞ、楽しく、佳い年末年始、お正月をお過ごしくださいね(^^♪
わたしはこれから1月5日くらいまで、実家に帰ります。
パソコンやスマホの利用が最低限になりますので、すこし早いのですが、本年もたいへんお世話になりました。
ギズモさんにとってもよいお年をお迎えください。
2025年8月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
小さな子どもの首にまでファンが設置されているので(笑)、いきなり爆発しないだろうな?と心配になります。
外の暑さでファンは相当熱を帯びているので、あり得ないことではないように思います。
なにしろ、バスを待つ10分ほどの間に、バッグの金具が触れないほど熱くなりますから。
高校野球は、野球が好きではないので見ないんですが、今年も吹奏楽の演奏は盛り上がっていました。
あの暑さでプレイする球児も大変ですが、金管楽器が相当熱くなっているだろうなと、よけいな心配をしていました(笑)
同じ落語でも噺家さんによってマクラが違うし、マクラを聞けば、その方の落語を聞くかやめるかを決める材料にもなると思います。
落語の場合、出囃子とマクラは不可欠なものと思っていましたが、一時的にでも省略した人がいたとは知りませんでした。
革新的ですが、もう少し頑張って続ければ、案外お客さんも慣れてきて、ウケもよく、定着した可能性もありますね(笑)
日常生活では、当たりさわりのない時候のあいさつがベストのように思います。
お天気がよければ「いいお天気ですね」が差しさわりないですし、時候のあいさつというのは、会話にしても手紙にしても、日本の文化かもしれません。
「こんにちは」「こんばんは」だけだと、次の話題に進みにくそうですよね。
コンサートでも、最初に観客を惹きつける話は不可欠です。
「こんにちは、今日はお集まりいただきありがとうございます。では1曲目をお聴きください」ではただの能無しなので、なんの話をどんなニュアンスでするかが、曲目のチョイスや順番よりも気を遣います。
落語と言えば、『寿限無』を採り入れ、シャンソンなども歌う、5分ほどの演目を作ってあるのですが、まだ初演に至っていません(笑)
主人公は小学生の女の子で、「寿限無寿限無~~~省略~~~長久命の長子」という名前です(笑)
日本酒だと、冷や・ぬる燗・あつ燗と、好みの温度で飲むのは普通ですが、ドイツのホットビールは知りませんでした。
そういえば薬用酒として、ハーブを入れたホットワインもありましたね。
ビールも温めると、薬効があるような気がします。
冷やは、昔はおそらく常温のことを言ったかと思うんですが、最近は冷蔵庫に入れたつめた~~~い日本酒を言いますよね。
『親の意見と冷や酒は後で効く』という諺もあるので、飲みやすいからと冷たい日本酒を飲むと、あとから悪酔いしそうです。
酔いかげんは別として、夏でも温かい飲み物を飲み、冷えたものは極力避けた方が、内臓を冷やさず、身体にはいいようですね。
とはいえ、この夏は、ふだんは食べないアイスクリームや、冷えた飲み物がどうしても欲しくなってしまい、反省中です(笑)
4月12日の記事で、牛の屠殺のことを書いてくださっていますが、その中に
ノッキングによって気絶した牛が、ごくまれに放血中に意識を回復することがあります。するとかわいそうに、意識を回復したとたん一気にストレスが高まり、血圧が上がります。とありました。
この時の牛のストレスや、今回のヘビに飲み込まれていくカエル、鶏をしめた時のお話を考えると、動物には、やっぱりなにかしらの感情らしきものが確実にあるように思えます。
植物も、「ここは動物が荒らしに来るから実をつけるのをやめよう」みたいな意思(のようなもの)の伝達をするそうですし、この世の中のありとあらゆるものは、「感情」という明確なものでなくても、なにか持っているんだと感じます。
「いただきます」という言葉は、食材の命と、それを育てた人や自然の恵みに感謝する意味があると言いますが、農園主さんがその鶏を余すことなく召し上がったのは、なによりの感謝の心だと思いますし、お母さまが鶏ガラスープを絶賛なさったのも、その鶏への最大の供養に思えました。
また、もちろん、スープを作った農園主さんへの賛辞も込められていたことでしょう。
串に刺さった鶏を仕入れて焼いている焼き鳥屋さんではなく、丸鶏をさばいて焼き鳥にしている焼き鳥屋さんに行くと、鶏ガラスープが無料で提供されることがあります。
鶏ガラスープの素を使ったものとは、ぜんぜん違い(あたりまえですが)、おいしいです。
焼き鳥で思い出したので、ビールの話に戻ります(笑)
先日くら寿司に行った時、ノンアルコールビールを飲んだのですが、最近のノンアルコールは格段においしくなりましたね。
黙って出されたら、ビールと勘違いするレベルで、ほろ酔い気分になれました(笑)
救心の成分は初めて知りましたが、びっくりです。
カエルの皮や分泌物の効能、最初に試した人は誰だったのでしょう(笑)
民間療法、民間薬(幻覚剤も含む)というのは、先人の冒険的精神によって築かれたものだと気づかされます。
うかうかとチャレンジして、亡くなってしまった人もいるはずですよね。
食べるだけでなく、危険かもしれない分泌物までというと、本当に命を余すことなくということになるので、カエルも本望かもしれません。
私が幼稚園くらいの頃だったかと思いますが、近所の商店街に、『ガマの油売り』が来ていました。
子どもの頃ですのでうろ覚えかもしれませんが、袴をはき、鉢巻をしたおじさんが、袖をめくり、刀で腕に傷をつけました。
血が出たのかどうか覚えていないのですが、「ガマの薬」を塗り、傷があっというまに治った、というようなことを言っていましたし、なんとなく聞き覚えのある口上に合わせて、紙を刀で切っていました。
周りのおとなが、傷は偽物とか、インチキとか言っていたのも覚えています(笑)
調べてみたら、このガマの油もセンソなんですね。
口上は伝統芸能として伝承されているようですが、『蝦蟇の油』という古典落語もあるんですね。
アンデルセンの童話『親指姫』、グリム童話の『カエルの王様』、イソップ物語、鳥獣戯画など、カエルの活躍に、あらためて感心してしまいました(笑)
農園主さんも、牛久大仏の悪趣味さをお感じになったんですね。
仏像や大仏は、普通は魂入れ(開眼供養)をするということですが、牛久大仏はどうなのか、わかりませんでした。
ただの建造物だとしたら、拝むのもおかしな話ですよね。
墓地は、他人のお墓がたくさんあっても、そこに行くのは違和感はないのですが、お位牌がずら~っと林立しているところを、言い方は悪いですが見物するシステムというのは、どうにも気になりますし、気持ち悪ささえ感じました。
記憶が間違っていたら申し訳ないのですが、東日本大震災のあと、福島まで車でいらしたとき、牛久も通ったと伺ったかと思います。
10年ほど前に初めて仙台に行った時、ひとりだったので、タクシーを利用して何ヶ所か行きました。酔うので、最小限でしたが。
仙台城跡一帯は伊達政宗公の銅像のある青葉山公園となっており、本丸跡からは仙台市内、太平洋を一望できます。
少し離れた場所に大きな白い観音様が見えたので、そこも案内してもらおうかと思い、運転手さんに尋ねたら、「あれは金儲けで作ったもので、わざわざ見るものではありません」というようなことを言われました(笑)
仙台大観音と言い、1991年に、仙台市制100周年を記念して建立された、高さ100mの観音様で、牛久大仏の次に大きなもののようですね。
牛久大仏はこの2年後の1993年に造られていますが、対抗したのでしょうか(笑)
牛久大仏も仙台大観音も、遠くからも目立つ大きなものを建てれば集客できるという短絡的な考え、金儲け主義によるものが大きいのかもしれませんが、農園主さんがおっしゃるとおり、もうテーマパークですね。
宗教や信仰に興味のない人も、気軽に行ける観光地としてとらえるのがよさそうです。
余談ですが、牛久大仏を道路から最初に見た時(斜め下から見上げる位置)、天皇陛下(今上天皇)の顔によく似ているな、という印象を受けました。
後日、ネットで画像を改めて見ると、さほど似てはいないのですが、その場ではとても似ていると思えました←だからどうだということではないですが(笑)
夏というと、かなり暑い日は雷雨や夕立があり、やむとス~~っと涼しくなったものですが、最近は降らないですね。
コンクリートの地面が冷えないまま朝になり、息つく間がないくらい、四六時中暑さが継続している感じです。
高齢者・非課税世帯にエアコン購入の補助金(8万程度?)を出すことになったようですが、電気代のことは考慮しているのでしょうか。
テレビのニュース番組などでよく、クーラーがあってもつけないという高齢者を非難していますが、電気代を考えてつけたくないという人も多いはずです。
生活保護世帯は、冬季加算という暖房代が追加支給されるそうですが、夏にはそういう手当はないそうです。
書き足し:生活保護者へのインタビューでは、冷房をつけたら食費を削っても追いつかないと話していました。
全国民に2万円給付の話も立ち消えになったようですが、異常気象による災害にあった人々への手あつい支援、一般家庭の電気代援助など、ぜひ実行してほしいものです。
ということで、今回も世間話ですので、お返事はゆっくりのんびりのペースでお願いします(o_ _)o))
体調をくずさないよう、特に睡眠不足にお気をつけくださいね。
ここまでの下書きを投稿しようと思っていたのですが、昨夜、偶然にもNHKで桂枝雀の落語を放送していました。
『おとなのEテレタイムマシン 日本の話芸「宿替え」桂枝雀』(1993年放送)
途中からだったので、さきほど、NHK+の見逃し配信を観ました。
説明のところには「前半でセリフを飛ばしてしまうハプニングが。どう取り繕って噺に戻すのか~~」と書かれていました。
どこ?と思いながら観てみると、確かにありました。
そこをうまくごまかすのではなく、さっさと本題に戻すのでもなく、間違ったのをカミングアウトしたうえでけっこう引っ張って、うまく事態を収拾している部分、すごいな~とえらく感心しました。
失敗を非難したりシーンとしてしまうのではなく、枝雀に拍手を贈るかのような観客の態度と、枝雀の、観客の反応を見ながら進めていったであろう機転に、桂枝雀という噺家さんの素晴らしさを感じました。
落語は、話術の巧みさだけでなく、手振りなどの表現、表情。客席との肌感覚のやり取り。
まさに演劇をこぢんまりと凝縮させたような、日本の文化、芸術だということを再認識しました。
【書き足し】
農園主さんが作った、鶏ガラスープのことが頭からはなれません(笑)
パックの鶏ガラが売っていたら(たまに見かける程度です)、ぜひ作ってみたいと思います。
秘伝でなければ、大雑把でかまいませんので、レシピを教えていただけたらうれしいですm(_ _"m)
2025年4月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
「薬剤惹起性うつ病」の表に、解熱消炎鎮痛薬の イブプロフェン(ブルフェン)、ジクロフェナクNa(ボルタレン) も入っていました。
イブプロフェン製剤である市販薬のイブなどは、長年飲んでいた薬でした。
女性は頭痛持ちが多いので、常用している人は多いと思います。
病院でも、解熱鎮痛薬として一般的にブルフェンが処方されますが、最近はインフルエンザ・コロナを考慮して、別の薬になっているようです。
ボルタレンは、歯科や外科では普通に処方されます。
薬の副作用については、一般的なサイトを見ても、おおざっぱにしか書かれてないことが多いのですが、詳しいサイトは副作用がズラッと列記されており、これは見るだけで怖いものがあります(笑)
農園主さんの抗生剤による影響も、私の例も、副作用というより薬害ですね。
薬の効果も弊害も、本当に個人差があるので、患者の話をよく聞き、ちゃんと対応してくれるお医者さんにかかるに越したことはないのですが、けっこう難しい問題で、時々医者ジプシーになったりします(笑)
実は先日、アレルギーの薬をもらいに行くつもりでしたが、次回はコレステロール値がどうなったか血液検査をしましょう、と言われているクリニックに行くのが気が重く、初めての内科を受診してしまいました(;^_^A
コレステロール値は下がっているような気はしますが、もし思わしくなければ、プラスチックの薬を出されるわけですから、もう少々悪あがきをしたいと思います(笑)
腹膜も、前と後ろでまったく違ってくるんですね。
改めてお話を伺うと、本当に壮絶なご体験だったと思います。
長年腹痛や腸炎を繰り返すのは大変ですし、その都度抗生剤を飲まないといけないとなると、薬の副作用も心配のタネになりますね。
副作用の症例に書かれていなくても、さほど気にならないことでも、普段と違うことがあればまず副作用と思ったほうがいいかもしれません。
それにしても気道がふさがっていく感覚とは、想像しただけでもパニックになりそうです。
じんましんのかゆみも気が狂いそうになりますし、ずいぶんおつらかったことと思います。
娘のご心配をありがとうございます。
女性の場合、子宮が関係する場合もあるとのことで、入院中に検査をしました。
2~3センチのなにか(聞いたのですが、忘れました・・)があるけれど、これは心配なく、切除しなくてもいいと言われたそうです。
軽症で済んだようでひとまず安心しましたが、3ケ月後に内視鏡検査があり、その結果次第ですね。
最近、ピッコマという電子書籍サイトの毎日無料漫画で、「JIN―仁―」を少しずつ読んでいるところですが、ちょうど、ペニシリンをアオカビから作り、コロリの患者を救うというあたりです。
『火の鳥』のアオカビの話、覚えていませんが、どんぶりに山盛りのアオカビ・・・・、どこから集めたんでしょう(笑)
確かにどんぶり一杯分とは、即死しそうな感じもしますが(笑)、医学博士でもある手塚治虫のユーモアなのでしょうね。
鶏の皮、大好きなんですよね(笑)
脂がすごいので、油をひかず焼くか、茹でて鶏皮ポン酢にしたりしますが、皮の脂肪の大部分は飽和脂肪酸だそうですね。
皮串でビール、なんて身体に悪いものは、なんでおいしいんでしょうか(笑)
アイラップでの冷凍の仕方、とても参考になります。ありがとうございます。
あらかじめ切れ目を入れるんですね。
食事がワンパターンと書いていらっしゃいますが、カンタン酢、ポン酢、お醤油、ソースなど、かけるものでけっこう味が変わるし、サラダチキンはいいですね。
塩分制限だと、お醤油やソースも控えたほうがいいのかもしれませんが、ケチャップは糖分もあるし、お味噌も塩分がかなりありますし、よく考えると、調味料って案外身体によくないのかもしれません。
「誰かと暮らすことがストレス」という話ですが。
農園主さんが現在おひとりで暮らしていらっしゃるので、もしお気にさわったらとは思ったのですが、まったく他意はないし、なんらかの意図があるわけでもないので、気になっていらしたら申し訳ないです。
ただ、ひとりで生活したことがほとんどない私が、誰かと暮らすのはストレスだと言うのは、一種の傲慢ですし、心ない書き方だったと思います。
そもそも、一緒に住んでいても別に住んでいても、家族というのは助け合い、心配しあい、いたわりあうものであり、そこに利害や損得、自分優先とか、迷惑に思うとか、そんなものがないのが当たり前の姿ですよね。
自然と自分を後回しにし、家族のために動くことが当たり前で、恩を着せたり、見返りを期待するものでもありません。
特に、親子関係はそれが顕著かと思います。
子どものためならなんでもできるというのは、理想ではなく、本能のようなものかもしれません。
これが夫婦となると少々違うものがあり、ちょっとした損得勘定(金銭に限らない)のようなものも入ってきます。
親子だと、しょうがないなぁ、もう、ですむことが、なかなか難しいわけです。
これをどうクリアするかというと、愛情、もしくはあきらめ、でしょうね(笑)
あきらめというと言葉は悪いですが、結局はいいことも悪いこともお互い様なんですよね。
よく言うところの「自分の機嫌は自分でとり」、モヤモヤしたことがあっても、ぶつけない、恨まない(笑)、悩まない、でストレスにならないよう、気持ちを切り替えることが大事ですね。
「じぶんの生産活動を犠牲にする苦痛を感じながらも、旦那さんの看病に努められたことは、じつはほんとうに大事なことなんだとおもいます」と書いてくださっていますが、本来家族として当たり前のことなので、苦痛を感じてはいけないんですよね(笑)
それを感じてしまうようになったのは、最近自分の体調不良が多かったことだと思います。
決して愛情不足ではないです(笑)
ないですが、愛情もエネルギーなので、体力気力とともに、だんだん衰えてくるものかもしれません(笑)
そう言いながらも心配することは人一倍なんです(たぶん)。
先日、主人が人間ドックで要検査となったため、MRIを受けたのですが、結果を聞きに行った日、とっくに帰ってきていい時間に、なんの連絡もないんです。
結果が思わしくなくて、ショックで倒れていないかとか、ずっとハラハラして何も手につかずにいたのですが、床屋さんに行っていたらしく、帰宅後「連絡しようと思ったんだけど」の一言で終わりでした(笑)
今のところ異状なし、来年の人間ドックで経過観察とのことでほっとしましたが、連絡なしを怒ろうと思い、文句を言い始めたところに娘が入院の知らせが来て、うやむやになってしまいました(笑)
主人は、会社で一年に一度、人間ドックがありますが(義務付けられています)、ここ数年、毎年ひっかかっています。
大腸がんの疑いがあり要検査→ 内視鏡検査により異常なし。
肺に白く小さい点?があるので要検査→ 精密検査後、1年の経過観察から心配なし
膵管が腫れているので要検査 → 半年ごとのMRI2回~腫れているが心配なし
『健康診断を受けてはいけない』という本があったと思いますが、病気を見つけてもらうのは大切ですし、手遅れになったら大変なのもわかりますが、毎年のストレスはどうしてくれるんだ、という感じです(笑)
私が病気の時は、家事や買い物、看病はしてくれるので、熱などで苦しいながらも「ありがとう」は度々言います。
これは、親子でも夫婦でも大事なことだと思うし、共同生活をするうえで、もっとも基本的なことだと思います。
子どものころから自由とほど遠い生き方をしてきたので(ワンマンな母がいたので)、今はたぶん、いちばん自由な時期と言えるかもしれません。
親子でも夫婦でも、不満も感謝もきちんと伝えられる関係性があれば、たいがいのことはクリアできると思います。
気力と体力が落ちている時は無理にがんばらない、これも大事なことかもしれません。
農園主さんのお話、とても考えさせられました。
確かに現代の人たちが、社会や公共とあまりかかわらず、個人を優先しているという傾向はありますね。
1960年以降、核家族化が進み、3世代同居世帯が減少してきたことも、遠因となっているように思いますし、一軒家からマンションのような集合住宅に移り住む人が増えたため、近所付き合いがなくなり、表札を出さない人がほとんどなので、隣の人の顔も名前もわからないということも原因のひとつかもしれませんね。
薬とうつの話に戻ります。
知人の精神科医(たぶん47~8歳)から聞いた話です。彼女は私の歌の生徒さんでした。
いくつかの都内の大きな病院の精神科を掛け持ちしていたのですが、治療方針はどこでもその病院が決めることであり、勤務医はその指示に従うそうです。
精神の病気と言っても多種多様ですが、殆どの病院では、患者さんの話を聞く時間を極力短くし、薬を処方する「治療」をするように指示されるそうなんですね。
ところが、抗うつ薬を始め多くの薬はよけい症状を悪化させ、「治癒」することはあまりないとのことで(かなり軽症の場合は効果があることも)、彼女はその方針に嫌気がさし、週末は福島県の病院に泊まり勤務をしていました。
そこでは、診療は穏やかで決まりはなく、患者さんと向き合う時間もたっぷりあり、入院中の患者さんとも話すこともでき、喜んで勤務していたところに東日本大震災が起きます。
医師が足りないことで東京に帰ってこられなくなりましたが、勤務状況は悪化するばかりで、忙しさもあったのか、うつ症状が出現しました。
自分でうつと言ったわけではありませんが、その後仕事ができなくなり、東京に戻り、家にひきこもってしまったんです。
必要な買い物以外はずっと家にいて、外に出られないと聞きました。
その間、副作用の心配があまりない、漢方薬でのうつの治療法を研究していたようで、ネットを見ると、彼女の研究文献が上がっていました。
おととし連絡をとったのですが、やっと短時間での非常勤勤務を再開したようで、なんと10年以上ひきこもっていたんです。
ひきこもった、という言い方は彼女に対し失礼とは思いますが、わかりやすく表現しました。
詳しい話を聞いたわけではなく、彼女のうつ症状についてはおおざっぱなことしか知らないのですが、病院は福島の浜通り近辺にあり、震災後も2年ほど勤務していたようですので、もしかすると放射能の影響があったようにも思います。
うつを治すはずの薬で症状が悪化するという話は、とても印象に残っていたので、余計な話でしたが、書かせていただきました。
2025年3月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
まず、最近すこし考えていることがあるんです。
それは延命についてです。
ギズモさんが、病気とだましだまし付き合っていくのがよいのではないか。痛みやつらさは、治る大前提のものであってほしいとおっしゃったのは、その通りだとおもいました。
ぼくの場合は胸が痛くてなかなか眠れない夜に「これで突然死するなら仕方ないけど、もし治るなら、どうやったら自力で治せるだろうか」ということを考えていたんです。
まあ、実際なんとかなってるんですが、こうやって問題が起こったときに、じぶんの目先の延命を目指すというのは、案外たのしいものだな、と(笑)
これがもっともっと追い込まれて、死の絶望にさいなまれるような状態になっても、人間は結局そのときのじぶんの状態の中で、「もうすこし生き延びるにはどうすればいいか」ということを考えて、そこに一種のよろこびややりがいを感じるのではないでしょうか。
それはもしかしたら、ほとんど植物状態のようになって、意思の疎通ができなくなってさえ、当人の中ではあともうひと呼吸がんばってみようじゃないかと、望みをはせていたらどうしよう、とおもったのです。
ぼくは以前家族と、「もし延命しなければならないようなことになったらどうするか」ということを相談しています。
この答えはみんなおなじで、「延命はしない」。
けれど、それはもしかしたら、そのとき健康だからこそそう言えたのかもしれません。
ほんとうに死の間際になったら、「もうちょっと延命させてほしいなあ」と家族に心で訴えている、なんてことがあるのではないかとおもうと、どうにも考え込んでしまいました(笑)
やはり当人が意思の表明をできない状態で、第三者が重い判断をくだすのは、むずかしいことですね。
このことについては、まだ考えがまとまっていないので、時間をかけてもうすこし考えてみようとおもいます。
井戸の話なんですが、東京では戦後しばらく、各地で井戸水を生活用水に利用していた時期がありました。
ところが、戦後の爆発的な人口増加の中で、あの人口過密都市で深井戸から取水ですから、つかわれる水はとんでもない量になります。
それで地下水位が低下したことで、かなり深刻な地盤沈下が起こったというんです。
さすがに地面が一年に10㎝も下がっていくというのでは都市計画もままならないので、昭和30~40年代にかけて、法律や条例で井戸(揚水)を規制した、という経緯があります。
なので、もうつかわれなくなった古い枯れ井戸が残っているのでしょう。
工業用水として引っ張ったり、入浴施設で地下深くボーリングして温泉を引っ張るというようなことにもそれなりの規制があって、自治体に許可をもらわねばならないようです。
高額医療費制度や価格統制された光熱費のお話ですが、本来まっとうな国家は、高所得者から税金をとって、福祉(追記:福祉やインフラ機能)を充実させていくものです。
これも司馬さんのエッセイにありましたが、司馬さんの時代は、司馬さんくらいの高額所得者になると年収の8割を税金でもっていかれていたそうです(笑)
じぶんの好きなことをして高額所得を得ているのだから、税金がかかるのはいいのだけど、せめてちゃんとしたことにつかってもらわねば困る、というようなことをおっしゃってました。
ところが消費税ができた時代あたりから、なぜか高額所得者や大企業が、税制面で優遇される時代になるんです。
これは黒柳徹子さんの以下の記事に詳しく書かれてあります。
https://news.livedoor.com/article/detail...
黒柳徹子さんに至っては住民税も含めて収入の90%が税金だったそうで、これをあと10%ほどじぶんの収入として認めてもらいたいと税制調査会で発言したそうです。
その発言が功を奏したか、1987年の法改正で、所得税の最高税率が60%に下がったとあります。
この点に関しては、黒柳徹子さんはずいぶん罪深いことをなさったというのが率直なところです。
そしていま、行政は金持ちに媚びることを平気でするようになりました。
ガソリンにしたって直接的に税を下げることはせず、補助金というかたちで大企業にお金を渡して、わざと中抜きさせてます。
ガソリンの件なんて氷山の一角で、ありとあらゆるところでこのような、大企業、富裕層へのばらまきが行われ、そのツケを庶民が支払わされるという状態になっています。
これはすこしおおげさにいえば、民主主義政治、資本主義の腐敗です。
いつになるかはわかりませんが、現在のシステムもいずれは打倒されて滅びてしまうことでしょう。
日本の過去の例でいえば、いずれ大塩平八郎の乱のようなことが起こり、明治維新のような乱世が起こる。
前回の坂本龍馬の話でいえば、いまの日本は「いや、まだ資本主義・民主主義は腐りきってはいない。いずれぐずぐずに腐って腐り落ちるが、まだそのときではない」という状況だとおもいます。
江戸幕府が「100年で別の体制に変わっていたら、いったいどんな世の中になっていたでしょうか」
ということなんですが、西洋でフランス革命が起こるのは1790年ごろですから、赤穂事件(忠臣蔵)の起こった1700年ごろというと、まだ世界のどこにも民主主義的な価値観がなかった時代です。
アメリカが独立を果たしたのはフランス革命より少し前の1776年で、初代大統領のワシントンはフランス革命が勃発した1789年に就任しました。
それまでのアメリカはいわゆる西部開拓時代で、開拓を終えた州がそれぞれ国家のように作用していましたが、当然人権などの価値観はないに等しく、一攫千金を夢見る荒くれ者ばかりでした。
州の銀行が発行した紙幣が一か月後には信用を失って紙切れになっているということもザラにあったようです。
つまり、成熟した資本主義もまだまだ、といった段階です。
中世ヨーロッパや江戸時代の封建主義というのは、暴力によって上(体制)から下(領民)へ押さえつける国家統治のシステムですね。
民主主義はこれが逆転して、下(国民)から上(体制)へ突き上げていく国家統治のシステムです。
日本は明治維新のときに幕府を打倒してから、これらのあたらしい国家統治のシステムを西洋から学んだわけですが、自前で調達することはできませんでした。
明治維新の際、西洋諸国が大挙して日本で商売をしましたが、日本人は商売の信義則を守らず、ウソばかりつくといって呆れられたそうです。
そのため渋沢栄一は、『論語と算盤』という著作を残していますが、商売には道徳が必要なんだということを当時の日本人に向けて教えるんですね。
それくらい、明治期までの日本の資本主義は未発達なものでした。
もし江戸幕府が100年で崩壊するようなことになった場合は、日本にも民主主義や資本主義の前段階の、「民衆が自発的にじぶんたちの国をつくろうとする意志」を持つようになっていたかもしれません。
でも歴史の現実として、そうはならなかったんですよね(笑)
なので、いま考えるべきなのは、現代の日本人こそは、次の世界のよりよいシステムを自前で用意できるだろうかということだとおもいます。
しかし論語と算盤ではないけども、今後どのようなシステムが世界を席巻するにしても、人を大事にして、人のために生きるという道徳心がセットになっていなければ、立ち行かないとおもっています。
すくなくとも、いま世界中で起こっているような、わざと不道徳な言動をして炎上させて耳目を集めて、ものごとをじぶんの都合のいいように強引に変えてしまうような手法は、長く続けていられるようなシステムではありませんよね。
2024年12月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
農園主さんの、安徳天皇生存説に信憑性がないというお考えと、その理由、よくわかります。
あとから話を作った、ということなんですね。
能勢の陵墓がいまもていねいに守られていて、それが安徳天皇に対する愛からというお話には、心を打たれます。
後ほどゆっくりと読み直しさせていただきますが、とりあえず簡単なお返事で申し訳ございません。
今年もありがとうございました。
佳いお年をお迎えください(*^。^*)
ご両親、弟さんたちと、皆様お元気で、幸せな年末年始をお過ごしくださいね。
祖母が徳島出身であることを知ったのは、最近のことです。
きっかけは子供のころ、祖母がお正月になるといつもおはぎをつくってくれた記憶でした。
これがもち米とうるち米を混ぜて炊いた「半殺し」というもので、一般的なおはぎと比べるとすこし変わっています。
子供のころはなにも気にせず食べていました。
数年前に、あれは徳島の郷土料理だと父が話したことで、ぼくははじめて祖母が徳島出身だったことを知ったんです。
このおはぎは徳島県那賀町が有名なんだそうですが、祖母が徳島のどこ出身なのかはよくわかりません。
つるぎ山は那賀町の北端からつるぎ町にかかっている標高約2000mの山なんだそうですね。
調べてみたんですが、剣山は近世に入ってから修験者の集まる霊峰になったようです。
現在では寺社があり、剣山大権現がまつられているそうですが、修験者が集まるまでは社殿もなにもありませんでした。
修験者が集まるようになったものの、この参道が非常に厳しいものだったため、宿泊施設を兼ねた寺ができたそうです。
そのお寺のうち、円福寺の史料に、安徳天皇と草薙の剣の縁起が残っています。
つまり江戸時代末期になって、安徳天皇と剣山が結びつけられたんですね。
山の呼び方が「けんざん」「つるぎやま」など近代になるまで安定しなかったのは、「剣山」という名称そのものが比較的あたらしいものだからでしょう。
もし修験者によって剣山という名前がつけられていなければ、いまも太郎笈と呼ばれていたかもしれません。
ギズモさんのおっしゃったように、徳島県に平氏の落人が住み着いた話とこの件は無関係ではないとおもいます。
徳島県祖谷地方に平国盛(平教経)が落ち延びて、その地を平定。
その後現在の美馬市のすこし東側にある吉野川市あたりに、おなじく落ち延びていた安徳天皇がおられ、お迎えしたとあります。
しかしこれは、後世につくられた伝説のようです。
ほんとうの落人もいました。
堀川内記という、朝廷で安徳天皇のお付きの医者をしていた男がいて、実際に平家滅亡後に祖谷地方に落ち延びて、医業と神官を兼ねながら暮らしていたというのです。
この堀川内記の子孫の家が、いま平家屋敷民俗資料館になっています。
そう考えると、堀川内記がきっかけで話に尾ひれがついて、平家の落人の伝説がまことしやかにふくらんでいった。
剣山も、もともと江戸時代の『異本阿波史』という本に「神宝の霊剣を納めている」という記述があったようです。
それが、修験者の山として剣山がひらかれるにあたって、安徳天皇と草薙の剣という脚色が加わったのでしょう。
安徳天皇が逃げ延びたという伝説は、西日本を中心として全国に残っていますね。
ぼくの知っているところだと、大阪の最北部に能勢という町があります。
ここは大阪といっても田舎です。
東京だと檜原村に近い風情のようにおもえます。
妙見信仰の総本山があることから、「能勢の妙見さん(妙見山)」として有名です。
この能勢に、野間という地域があります。
樹齢千年以上の大ケヤキが観光資源となっていて、ぼくも行ったことがありますが、じつに立派なものです。
ここで江戸時代、ある屋敷の屋根を修繕していた職人が、天井裏の柱に竹筒がくくりつけられているのを発見しました。
1817年といいますから、江戸から明治に切り替わるほぼ半世紀前です。
中に入っていたのは書簡で、藩に届けられ、当時の役人がこれを苦労して解読しました。
するとどうやら大昔に、藤原経房という男が息子にあてた遺書であることがわかります。
なんとそこには経房が壇ノ浦で二位尼に請われて、安徳天皇を預かって逃げ延びて、能勢の地にたどりついたこと。
そして安徳天皇はその1年後に崩御したが、じぶんは陵墓を守るためにその地に残ったことが記されていたというのです。
この書簡の内容は幕府にも伝えられ、当時の江戸や上方を駆け巡るニュースになりました。
しかしこの文書にはいろいろと矛盾点があり、真偽のほどは怪しいといわれています。
写本はいまも残っているのですが、明治時代には原本も紛失したそうで、真贋の細かい部分を調べることもできなくなっています。
ところで、個人的には安徳天皇生存説には信憑性がないとおもっています。
夢がないとおもわれるかもしれませんが、やっぱり感覚的にそうおもわざるを得ないんです。
というのも、平徳子はおなじ船のうえで、安徳天皇と二位尼が入水するところを目の当たりにしていたわけでしょう。
それを見届けて、みずからも入水。
ところが源氏方に助けられてしまいます。
もし安徳天皇が逃げたと知っていたら、徳子は入水できたでしょうか。
6歳の子を置いて、母親は死ねるだろうか、というのが最初の疑問点です。
次に、徳子が助けられたあと、安徳天皇は死んだと割り切って、生きているかもしれないのにその菩提を弔い、世を捨てることができるでしょうか。
もし安徳天皇が生きている可能性があるなら、寂光院に入寺することもなく、平家の再興のために、なにかアクションを起こしたとおもうのです。
入水した安徳天皇は替え玉だった、という話もあります。
しかしおなじ船に乗っていて、我が子がいつの間にか脱出していて、入水する安徳天皇が替え玉であることに徳子も女房たちも気づかなかった、というのはさすがにあり得ないでしょう。
それに当時の人々も、安徳天皇が生きていたなんてうかつなことを、書き残したり、伝承したりはできないはずなんです。
その時代に生きた人たちにとっては「うかつなことを言えば殺される」わけですから。
ちょっと話が変わりますが、丹後地方には明智たま(細川ガラシャ)という人がいました。
(彼女も日本史上有数の悲劇のヒロインです)
明智光秀の娘で、同盟相手の細川忠興(丹後田辺藩)の妻になるんです。
しかしそれから約4年後、光秀が謀反を起こして、信長を討ってしまいました。
そのあと、秀吉が光秀を討伐するのは、よく知られた歴史ですね。
嫁いだとはいえ逆賊の光秀の娘ですから、秀吉に殺せと言われる可能性があります。
そこでたまは夫の忠興によって秘境へ移され、行方不明であるとして、2年ほど幽閉されるんです。
この隠棲地については、丹波の山の中の「三戸野」だったという記述が残っています。
後世『細川ガラシア夫人』という戯曲を書いたドイツ人が、丹後の「味土野」に行って、これがガラシャの隠棲地にちがいないといいました。
それでいま味土野はガラシャ隠棲の地として観光地化しています。
ところが最近、「三戸野」は丹後ではなくて、もっと南の京丹波町の水戸のことを指すのではないか、という調査が出たんです。
京丹波町にはむかし「三戸野峠」と呼ばれた峠もあったそうで、こうなるとがぜん信憑性が高まります。
ガラシャの隠棲地がごっそり入れ替わるような話です。
ところが、この「三戸野」という情報すら、じつは江戸時代に書かれた軍記ものである『明智軍記』という、あまり信憑性のない書物からきているといわれています。
元ネタの信憑性が薄いわけですから、もう細川ガラシャ隠棲地は、まったくわからなくなってしまうんです。
当時そこに住んでいた人だって、ここにはお姫さんが暮らしていた、なんて絶対に言わないし、書き残すようなことはしません。
そんなことをしたらその地にどんな災いをもたらすかわかりません。
そのようなことを踏まえると、やはり生存説が出てくること自体、緊張感が薄いようにおもえるんです(笑)
しかし、安徳天皇生存説を各地の人がつくった気持ちはよくわかります。
平家物語でかわいそうな死に方をした安徳天皇のエピソードを聞いて、なんとか生きていたという物語にならないものか、とおもった人は、全国各地にいたことでしょう。
それで、たいていの人は物語と現実の区別がついているのだけど、中にはその分別を踏み越えて、ほんとうにあたらしい物語をつくってしまうタイプの人がいるわけです。
みんなそれを半ば怪しいとおもいながらも、疑わしきは罰せずの気持ちで乗っかっているうちに、ウソがマコトになっていく。
なにせ能勢の安徳天皇の陵墓は、いまもていねいに守られてるといいます。
ぼくは生存説に関しては懐疑的な立場ですが、先人たちの安徳天皇愛についてはホンモノだとおもっています。
クリスマスのメッセージをありがとうございました。
師走はやはりあわただしいですね。
あした以降、年末年始はネットをしている時間がありませんので、これで年の瀬のあいさつに代えさせていただきます。
ギズモさんにおかれましても、よいお年をお迎えください。
早く指のケガが治りますように。
2024年6月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
ちょっとした身体の不調だけではなく、心の不調や、いわゆる第六感的なもの(なんとなくいつもと違う、みたいな)も含め、それに気づくことが大事なのかもしれません。
病気になると、「起きていないことを不安に思う」傾向が出がちで、どうしても前向きになれなくなってしまいますよね。
去年、気管支炎から3ヶ月ほどして、初めてコロナになりました←言いましたっけ?
その数日前、めまいで救急車を呼んだ日、救急隊、医師や看護師に咳をしている人が多く、そのあたりから移ったとしか思えないのですが、一度も感染していない人はあまりいないし、仕方ないですね。
40度の熱で二晩苦しみました。解熱剤も効かず、もう何もできない状況です。
いくらか下がってくると、今度は喉が白かったり赤かったり。
ただ咳がほとんど出なかったのは、本当にありがたかったです。
気管支に影響が出たら、私の場合はもうエクモだなぁと恐れていましたし。
平熱になったら、今度は嗅覚がなくなり、味覚もおかしくなりました←半月以上嗅覚がなく、味覚異常はもっと続きました。
寝ながらガラホでいろんな情報を見てしまうんですね、見なきゃいいのに(笑)
すると、「高熱が下がったと思うとまた出る」「味覚・嗅覚が失われて3年たつ」「数ケ月声がかれる」「咳がとれない」など、これでもか、というくらい、希望のない経験談が溢れているんですよね。
そうなると、ポジティブなことなどいっさい考えられず、精神面もかなりやられました。
まさに「起きていないことを不安に思う」状態です。
子どもの頃からけっこうな虚弱体質で、病気には慣れていますが、あの40度のつらさは別格でした(笑)
インフルエンザなら、1週間もすれば軽快するという安心感があるのですが(それでもなんらかの後遺症は残ることがあるようです)、コロナの場合は底なし沼ですね。
自分のことを延々と書いてしまいましたが、記事を読ませていただいて、病気に対するお父さまの前向きな心意気に深く感じ入り、私の意気地のなさに呆れてしまった次第です。
がんの症状も、個人差が大きいのかもしれませんね。
様々な治療方法があっても、それが合わないことも多いので、かなりよくなったことは本当に安心ですね。
ご家族のご心配も大変なものだと思えますし、お父さまへの関わり方も、すいぶんと神経を遣われたことでしょう。
結局はご本人の納得するようにするしかないのでしょうが、早く受診するよう勧めても動いてくれないと、やきもきしますよね。
来月の富士登山、いろいろとご心配なこともあるでしょうが、お父さまの意欲、お母さまの献身的な支えには感服します。
そういった姿勢、思いが、病気を克服していく過程でとっても必要なことと感じました。
余談ですが、富士山のふもとなどには多くの浅間神社などありますが、登りはじめるところ(五合目でしょうか?)には、『冨士山小御嶽神社』があります。
ご祭神はイワナガヒメですが、ここは天狗が「道開きの神」として祀られていて、天狗の行事もあるようです。
農園主さんがお詳しいと思いますが、天狗は道開きの神さま、猿田彦(佐田彦)に通じるように思います。
富士山のたくさんのパワーを吸収して、よい旅になることをお祈りしています(*^^)v
「うな次郎」、ぜんぜん知りませんでしたが、いちまさは有名ですよね。
かまぼこや練り物を、うなぎのタレでさっと煮つけたらおいしいかも、と思いつきました(笑)
では明日、お手数をおかけしますが、よろしくお願いいたしますm(_ _"m)
2024年5月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
農園主さんの記事を読む前に、1459を投稿していました。
気温も下がるようですので、充分にお気をつけくださいね。
お住まいの大修繕工事ですが、建物全体ではなく、上の部屋だけの工事だったのでしょうか。
もしそうだったとしたら、ギズモさんのお部屋もなかなかたいへんだったのではないでしょうか。
しかしいつまでも心身ともに元気で、部屋をきれいに維持できていればいいのですが、なかなかそうはいかない事情に見舞われる可能性もありますし、そういうときに、部屋の原状回復(「現状」じゃないんですね)は身内や親族の負担になるケースもあるようですね。
あと、東京から富士山まで、おそらく直線距離で100kmほどあるとおもうんですが、それでも見えるのでしょうか?
100kmというと、うちからだと、ちょうど大阪の実家あたりになります。
3000m級の山だと、それだけの距離があっても見晴らせるのかと感心しています。
『幽霊繁盛記』、おもしろそうなんですが、またいつか見る機会に恵まれるときを楽しみにします。
落語の死神は、もともとグリム童話で、ぼくは小さいときに絵本でこの話を読んでいたので、落語のほうが後から入ってきたんです。
この落語は1800年代に三遊亭圓朝がグリム童話を下地に創作したというんですが、この話を選ぶところと、落語の構成の仕方はすごいセンスだとおもいます。
特にあの童話はもともとユーモアらしいところもありませんし、まともな医療がなかった時代に、死神をあざむいて人の生き死にをほしいままにして、その報いを受けるという、ただの怖い話です。
ところがあの落語は、「あじゃらかもくれん てけれっつのぱー」もそうですが、死神にも妙なユーモアがあって、キャラを立てる妙味というか、おそらくこのあたりは三遊亭圓朝の才能なんだろうな、と。
下の画像は、むかしうちにあった童話集をぼくが数年前に中古で買い戻したもので、いま探したらたしかにありました。
この童話集では『マルチンのろうそく』というタイトルでした。

福井県の地震のときの件、まさにその方の話です(笑)
その方の思い出話にはおもしろいものが多く、生き字引とはこういうことをいうのだろうとおもいます。
むかしの人ですから、いまの価値観でいうとズレたところもあるんですが、ひょうひょうとしていて腹になにもない、気の良い方です。
去年はこの方も含めてご近所さんで餅つきをして、そのときに盛大に酒を飲みましたが、その方は5合以上飲んでいました(笑)
2024年3月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
農園主さんのご説明は、専門的で難解なお話でも、理解しやすくかみ砕いて書いてくださるので、とてもありがたいです。
「ただぼんやりした不安」というのは、芥川龍之介自身もよく説明できない、漠然とした心持ちだと思っており、そのような理由があったとは知りませんでした。
漱石の「個人主義」にしても、この言葉のイメージからすれば、現代にしてもあまりよいものではないと思うので、この時代だと「かなりセンシティブ」なことだったろうと、想像がつきます。
「国に逆らって好き勝手やるというような意味じゃないんだ、ということを何度もくどくどと説明している」のは、間違って理解されたくないという気持ちがあったのでしょうか。
作家(小説家)はその作品の中で、必ずしも自分の思想、考え方をありのままに表現するわけではないとは思いますが、わざとぼかしたりわかりにくくすることで、どこまで伝えられるかということに心を砕いていたのかもしれませんね。
作品は、その時代背景をきちんと理解した上で読み解くことが重要なのはわかりますが、農園主さんのように、ここまで深く理解してもらえたら、書いた作家も本望だと思います。
農園主さんの書いてくださったことをちゃんと理解したく、繰り返し読ませていただきましたが、見当違いのことを書いていましたら、ごめんなさい。
「岸壁の母」のお話も、グーグルマップまで張っていただき、ありがとうございます。
余談ですが、今まで「貼る」で統一していましたが、この度ちゃんと調べたら、コピーペーストは「貼る」だけれど、リンクの場合は「張る」が正しいと知りました(^_^;)
私も、てっきり東尋坊のイメージでいましたが、舞鶴はそういう場所なんですね。
調べたら、歌詞にはモデルがあって、その女性の取材をした上で歌詞を書いたようですが、実際に舞鶴に行ったという話は見つかりませんでしたので、イメージで作詞したのでしょうね。
不謹慎ですが「怒涛砕くる岸壁に立つ~」というと、サスペンスドラマのシーンを思い起こしてしまいます。
仰るとおり、山際の高台から見ていた、というのが、実際のところだと、私も思います。
「竜宮浜」という場所があるんですね。
ちょっと気になりました(笑)
いつも、私の話からいろいろと話題を広げて教えてくださり、ありがとうございます。
タワラマゼランという品名、おもしろいですね。
皮の色が変わっています。
うまく育ちますように(o_ _)o))
2024年2月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
コロナが流行る前あたり、デパ地下の催事場で、さつま揚げ(呼び方は違ったと思います)の詰め合わせを買ったのですが、今まで食べたことがないくらい、絶品でした。
北海道の、名前は知らない商店でしたが、「北海道にもさつま揚げがあるんだ」と思い、ちょっとびっくりしました。
先日熱海に行った時、駅ビルにある「まる天」というお店に、ものすごく行列ができていました。
お店の名前の由来を調べたら、農園主さんも書いていらっしゃる「丸天」からきているようです。
ここはいつ行っても並んでいるのですが、うちの近くの巣鴨にも店舗があるので、時々買っています。
棒にさしてあるものがメインですが、わりと大きめで300円くらい、いろいろな種類があって、本当においしいので、そのまま食べます。
おいしいものとあまりおいしくないものの差はなんだろう、と時々考えることがありますが、単純に考えれば値段かもしれません。
農園主さんのお住いのあたりの練り物は、こちらでは売られていないのかもしれませんね。
野菜と一緒に豆板醤で炒めてもおいしいし、豚肉の代わりに、豚キムチならぬ、練りキムチもなかなかです。
大石静さんの記事、読ませていただきました。
年代はだいぶ違いますが、他人事ではないと切実に思います。
自分が調子の悪い時に寝込まれると、それはもう悲惨な状況になります。
昨年、気管支炎を長引かせてしまったのは、自分がつらい時に、
恩にきせるわけではありませんが、相手は子どもではないのだから「自分の調子が悪い時は適度に手を抜いて世話をする」ことが大事だと思ったのです←後の祭りですが。
これからどんどん若返っていくわけではないので、自分の健康状態がよくない時に看病なり介護なりをすることになると思うと、共倒れかも、と考えてしまいます。
今まで、熱を出して寝込まれることがほとんどなかったので、あまり深く考えていませんでしたが、ほんの一週間でも、本当に疲れました。
大石さんは、本当に頭が下がります。
老々介護がいつまで続くのか、先が見えないというのは、気が遠くなる話です。
やるだけやったと思い、涙も出ませんでした。夫が恐れず、苦しまずに人生を終えられるように――それをプロデュースすることが妻としての最後のミッションだと思って、こちらの命も削れるほどやりましたので。
これほどのことが、私にできるとはとても思えません。
それは、愛情や気持ちがないから、ということでなく、一週間で音を上げそうになった自分を省みての、率直な思いです。
たいした病気はせずに元気でいてくれて、自分も健康でいないといけない、ということですね。
うちのあたりは日本海側で、本格的な練り物で有名なところです。
練り物はどこも似たようなものといえば似たようなものなんですが、食べ比べてみるとちがうものです。
ただ消費期限の短い食品ですし、地元だと飽和状態になりがちで、4本入り300円の丸天やごぼ天が、たまに半額になっていることがあって、そんなときはよろこんで買います。
で、食べきれない場合は冷凍保存して、煮物に利用します。
薄揚げも冷凍保存がきくので、うちでとれた野菜を煮物にするハードルがずいぶん下がりました。
カブと炊き合わせたり、切り干し大根の煮物、夏には甘唐辛子やオクラと炊き合わせたりなど、冷凍庫様様の暮らしをしています。
ただうちのあたりは停電などがたまにあるので、そのあたりがリスクではあるんですが。
2024年1月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
唱歌に関してなんですが、一流の作曲家と作詞家が、日本に残るような小品を残す、というようなイメージがあります。
現代においては、そのような有志で音楽をつくる例を聞きません。
売れるか、売れないかで音楽を作るし、どんな才能のある人でも「じぶんのおもうほんとうによいモノ」をつくろうとすると、同人化したり、アングラになってしまう時代です。
ぼくはアマプラでアニメをよくみますが、1シーズン3か月のアニメが大量に生産されていて、それぞれのアニメにオープニングとエンディングの歌があります。
これらは音楽の質はともかく、もう飽和状態もいいところで、「心に残るアニメソング」なんて言える速度ではありません。
いまや音楽は使い捨てになったとおもわずにいられません。
そしてそんなわれわれに配慮した……というわけではないでしょうが、アマプラではアニメのオープニング曲とエンディング曲は、飛ばせるようになってます(笑)
権現社のリンク先の文章を読みながら、おもったことがあります。
おそらく返信に困る内容になるとおもうんですが、書きます。
権現社の文章中に『かのやうに』という森鴎外の小説についての記述がありました。
あの作品には物語的な要素はほとんどなくて、理屈が大半を占めます。
その理屈部分をぼくなりにカンタンに説明すると、こうです。
科学的に考えれば、世の中に神様はいません。
しかし歴史という学問においては、神様がいると仮定して考えます。
たとえば数学には点や線という概念が出ますが、実際に点や線があるわけではありません。
数学をやるうえで、この座標に点や線があると仮定しておかないと、理解がしづらいのです。
歴史もおなじで、神様がほんとうにいるわけではないのですが、日本史だと天皇が日本神話の系譜に連なるという以上、神様がいると仮定しないと理解がむずかしくなるんですよね。
でも高天原の神話を日本の歴史とごちゃ混ぜにすると、科学的にはウソをついていることになるでしょう。
その場合、歴史学者は神をどう取り扱えばいいのか。
明治になると、日本では天皇が現人神で、ほかのどんな神仏よりもえらいということになりました。
突然そんなことになったわけですから、「ふざけるな」という人もいたのですが、そういう輩は危険思想の持ち主として取り締まられました。
ふつうに暮らしているぶんには、「はあ、天皇が神様ですか。(よくわからんけどじぶんには関係ないし)わかりました」と言っておけばいいわけです。
しかし歴史学者のように、ほんとうのことを書かねばならない立場の人は、神がいるといえばウソになるし、かといって神などいないといえば、あの時代では危険思想の持ち主であるということになってしまいます。
そこで結論としては、神様がいるとみんなが考えている以上、つまりそれが常識である以上、神話がほんとうの歴史でないことはあきらかなのだけど、いちおう神話がほんとうである「かのように」考えるしかあるまい、というわけです。
で、返信に困るであろう話はここからです。
最近京アニ放火事件の犯人が死刑を宣告されました。
事件の詳細をみていると、あの犯人は統合失調症の可能性があるとおもうんですが、司法によると責任能力があった、というのです。
もし犯人が統合失調症などで精神的に錯乱していて、責任能力がない状態だった場合は、法律上罪に問うことができません。
しかし私怨で建物に火をつけ、36人を死亡させ、32人に重軽傷を負わせた大事件です。
どんな事情であれ、犯人を罪に問わないという決断ができるでしょうか。
すると、犯人がどんな状態であったにせよ、責任能力があった「かのように」みなして、死刑にするほかなくなります。
もし犯人は心神耗弱だから無罪だということになると、社会が司法を一斉にバッシングし、収拾がつかなくなることでしょう。
もちろん、犯人に責任能力があるかどうかなんて判断はむずかしいし、どうとでもできるといえばできます。
オウムの麻原だって、実際のところ責任能力があったのかどうかはわかりませんが、死刑になりました。
現代は科学の時代ですが、じつは社会には常識という名前の宗教が存在していて、法秩序より社会常識が優先されるようなことはいくらでもあります。
で、おそらく多くの人がこの点に気づかずに社会常識の信者になっていて、「かのように」が発動しても、知らずに受け流すか、そんなことはごく当たり前のことだと割り切るか、もし違和感をおぼえても、それが社会常識である以上、黙殺せざるを得ないんですよね。
2023年12月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
ボケ防止にもなる、という大義名分で楽しんでいます(笑)
お父さま、ご病気だったんですね。
病み上がりということは、今は落ち着いているのでしょうがご心配ですね。
病気は、本人はもちろん大変ですが、ご家族のご心労も並大抵ではないと思います。
お父さまのご本復を心よりお祈りいたします。
しばらく読ませていただくことに専念しますね(^^♪
では、また来年もよろしくお願いいたします(*^^*)
いまはピグパズルというゲームがあるんですね。
もうゲームの名前は忘れましたが、アメーバはずいぶんむかしに、畑を耕したり部屋を彩ったりするような箱庭ゲームをやってました。
もう10年くらい前だとおもいますが、しばらく遊んでからアメーバは退会して、その後そのゲームサービスもなくなったと聞きました。
麻雀もずいぶん長いことしていません。
大学時代には付き合いで実際の麻雀をしたり、ゲームの麻雀(プレイステーションの「麻雀幼稚園たまご組」)をたのしんでいました。
符の計算ができないので、点数計算はいつも他人任せ、ゲーム任せで、牌を積むのも苦手な素人でしたが、麻雀というゲーム自体は大好きです。
でも実際の人とネットで対戦するのは、なんだか気乗りがしなくて……とおもってるうちにずいぶんご無沙汰になっています。
ポケモンGOも発売時にほんの少しだけ遊んで、なんだかなじまなくてすぐにやめました。
あれは田舎だとまともに遊べないゲームなんです(笑)
むかしWiiというゲーム機があって、Wii Fitという、体重計のようなコントローラー(実際ゲーム中に体重計としてもつかえます)で、フィットネスができるゲームがあったんです。
あれはひとりでやってると一か月くらいで飽きますが、eスポーツのようにみんなで決まった時間取り組むというようなことであれば続けられるでしょうし、けっこういい運動にもなるとおもいました。
あしたからしばらく、パソコンをつかわないので発信はかなりひかえめになるとおもいます。
こちらからは発信をするつもりですが、スマホの入力は苦手なので、こちらに帰ってくるまでは返信できないとおもいます。
父が病み上がりなので、いつもよりはひかえめなお正月になりそうですが、ひさしぶりに家族で顔をあわせる貴重な機会ですから、楽しみです。
ことしは夏はたいへんな日照りでしたが、秋冬は安定していて、特に雪に関しては年末年始は心配がなさそうでホッとしています。
こちらこそ本年はどうもありがとうございました。
来年もギズモさんにとってよい年になりますよう、お祈りいたします。
まだプライムビデオでみられるようです。
なんだかアクション映画のようなタイトルですが、さにあらず。
舞台は西部劇の時代のアメリカ西部ですから、じゃあ西部劇なのかというとそうでもない。
徹底したヒューマン映画です。
トミー・リー・ジョーンズが監督と脚本と主演を務めた作品で、おなじく主演女優にヒラリー・スワンク、ちょい役にメリル・ストリープが出ていたりと、そうそうたる顔ぶれ。
どういう映画かというと、アメリカという国の精神性・倫理性を暴いています。
作品の舞台である19世紀のアメリカは開拓時代で、白人たちが東海岸からアングロアメリカを広げていこうとする真っ最中です。
東部はすでに安定していましたが、ミズーリ川をへだてて西部はまだまだゴールドラッシュで、法整備も追い付かず、お金の価値も安定していない危険地帯です。
弱肉強食というか、みんな一攫千金を夢見て、女性の人権意識なんて存在しないも同然。
西部ネブラスカで農業をしながら敬虔に、堅実に暮らしていたメアリー・ビー・カディ(ヒラリー・スワンク)は、あるとき西部の厳しい暮らしに心が壊れてしまった3人の女性を、ミズーリ川を越えた東部のアイオワの教会に届けるという役目をみずからうけおいます。
道中、原住民に襲われたり、砂漠の狼に食われるかもしれない過酷な旅で、本来は男でなければできない役目なのですが、ほかの男どもはみな腰が引けている……もっといえば、心の壊れた役に立たない女のためにそんな危険を負う気になれないようで、メアリーが買って出たのです。
彼女は敬虔で勇気あるプロテスタント信者なんですが、30を越えても結婚できずにいます。
周囲の男たちはみんな資本主義に毒されていますから、堅実に生きてじぶんを持っている彼女を「男に対して説教臭く、つまらない女性だ」とけなすのです。
彼女は旅に出る前に、ジョージ・ブリッグス(トミー・リー・ジョーンズ)という、アメリカそのものを象徴するような軽薄な小悪党と出会い、ともに旅をすることになりました。
……まあ、オチを言ってしまうのはアレなのでこのへんにして、ぼくはこの作品を3度みて、そのたびにアメリカという国の抱えるジレンマについて気づくことがありました。
アメリカにはプロテスタントの尊い理念があるはずなのに、資本主義は理念を蹂躙し、正直者がバカを見るようなことになって、だれもこの理念を顧みようとはしない。
一瞬、プロテスタントの敬虔な理念に打たれることがあっても、すぐに忘れてまた資本主義の放縦な暮らしに戻ってしまう。
あの映画をみると、アメリカのプロテスタント精神はもう廃れているのかもしれない、とおもえます。
以前、クトゥルフ神話について調べたことがありましたが、アメリカの恐怖作家が創作した神話的世界観は、一部のコアなファンによって支えられ、「宗教のないアメリカに生まれた宗教」ともいわれたそうです。
「宗教のないアメリカ」というけれど、プロテスタントという宗教があるじゃないか、とおもいますが、それほど実際のアメリカでプロテスタンティズムは形骸化しているのでしょう。
おそらくこのアメリカにおける「プロテスタントの形骸化」が、クリスマスにせよバレンタインにせよ、アメリカから日本に輸入されてきた宗教イベントがなぜ空虚で、資本主義的なのかということを理解するとっかかりになるようにおもえます。
#与太話
たくさんのご馳走にかこまれるお正月、お寿司パーティーも楽しみですね。
最近のゲームは殆どわからないのですが、RPGは漫画と同じで、絵面との相性も大事な気がします。
私は時間があると3人打ちの麻雀と、アメーバのピグパズルをやっていますが(PCやタブレットで)、アバターが変なサイトはやりたくないです(笑)
先日バスに乗った時、私の前に70代の男性が座っていたのですが、タブレットでポケモンGO!をやっていました。
後ろからこっそりのぞいていましたが、なかなかおもしろいですね~。
高齢者施設では、コロナ以降運動不足になっている人が多いので、都や区がeスポーツ事業を推進しています。
大きな画面を使って、ゴルフやボーリング、テニスなどを行うのですが、実際のスポーツより親しみやすく認知の予防にもいいそうで、ゲームというのは単純に遊ぶということではないんだなと思います。
本年はありがとうございました。
どうぞ佳いお年をお迎えください<(_ _)>
雪の状況はいかがでしょうか。
くれぐれも気をつけてお帰り下さいね。
2023年11月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
道教の影響があるかもしれません。
中国はなにしろ広大で多民族のため、地方によってけっこうスタイルが変わっているようです。
お返事を読んで、確かになんとなく日本と似ているところがあることに気がつきました。
金色の紙をいやっというほど折って舟の形にし(不器用なので、うまく折れず疲れ果てました)、故人の衣服や愛用の椅子、本、机などと一緒に燃やすのですが、
あちらの世界で不自由しないようにということだったと思います。
六文銭と似ている部分ですね。(追記)六文銭は舟の渡し賃だけで、あの世でのこととは違いましたね。
お墓は家族単位ではなく、ひとり1基です。
今日は満月ですね。
今からちょっとゴミを出しがてら、見てこようと思います。
コメントは少し間をあけるようにしますね。
コメントをしなくても、ちゃんと読ませていただきます(*^^)v
お気遣いありがとうございます。
お言葉に甘えて、すこし返信をゆっくりめにさせていただこうとおもいます。
中国の葬儀、なんとなく日本と似ているような気もしますね。
ふとイメージしたのは霊幻道士でしたが、あれは道教ですよね。
日本では葬儀の9割近くが仏教式なんだそうですが、中国では地方によって葬儀のスタイルが変わることはあるのかとか、葬儀の多様性はどうなっているのかなど、気になるところです。
外国人の葬儀にあたっての心のケア、むずかしい問題ですが、ケースによっては必要かもしれませんね。
短期的に就労のために来ている外国人の場合は、日本の高額な葬儀費用が捻出できないなどの問題もあろうかとおもいますし、そうなるとメンタルケアにお金をつかう余裕もない、ということにもなりそうです。
ぼくが外国でそのような経験をするとしたら、その国の法律にしたがって葬送だけして、日本でしかるべき葬儀をしてもらうように手配するだろうとおもいます。
死んでしまえば宗派も何も関係ないのかもしれないと考えていたのですが、その東南アジア系の方の葬儀の話を伺い、とても心が痛みました。
亡くなった人の意思表示は大切ですが、やはり今生きていて葬儀を行う人の気持ちの問題を考えるべきということを、なんだか切実に思いました。
異国の地でそのような形で荼毘に付されたことを、遺族や友人は悔やんでいるかもしれないし、郷に入っては郷に従えで納得していたのかもしれない。
それは傍から見ればわからないことですが、自国で行う葬儀とは形式も気持ちも違うのは間違いなく、外国人の日本でのお葬式には、心のケアも必要な問題なのかと思います。
一度、上海で中国人の葬儀に出たことがありますが、身内も参列者も黒っぽい
お通夜からの様々な流れは、日本とはかなり異なりドラマのようでしたが、一連の儀式の荘厳さはあっても、湿っぽさや古臭さを感じないものでした。
いつも自分の場のように図々しく書かせていただいていますが、返信はあってもなくても大丈夫ですので、お気遣いのないようにしてくださいね。
以前からですが、記事やメールを読ませていただく度に、教えていただくことや、いろいろ気づくことが多すぎて、本当にありがたく思います(*^^*)
僧侶がいて、読経をしてもらうほうが、信仰の形が明確になってよいのかもしれませんね。
ギズモさんのご家族が真言宗智山派に菩提をあずけておられるのであれば、その形で弔うのがふさわしいようにおもえます。
きのう、寝る前にふとおもい出したことがありました。
以前、身内の葬式のときに火葬場で……そこはエレベーターのように複数の火葬炉が並んでたんですが、ある火葬炉に、東南アジア系の外国人たちがいました。
かれらは4人ほどでしたが、みんな若く、みんな普段着で、僧侶もおらず、たださびしそうに火葬炉をみつめていました。
かれらの事情はなにもわかりませんが、異国の地で、共通の信仰や形式のコミュニティを持たないまま見送るというのは、どこか寄る辺なくおもえたものです。
弔いの形がどうあるべきかということは、これからもじぶんの中で二転三転しそうなんですが、もうちょっと考えてみようとおもいます。
2023年10月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
https://news.yahoo.co.jp/articles/d7df68...
カブ、4日前に撮影した下の写真と比べて、あきらかに葉が生長しています。

ここからの生育はあっという間で、あと一週間もしないうちに出荷できるサイズになりそうです。
ちなみに、画像の中にひと株だけ、ベカナが混じっています。
わかるかな?
播種機に種がまぎれていたのでしょう。

左がベカナ、右がチンゲンサイ。
ベカナの萌黄色はみていて楽しいです。

ダイコン、根が起き上がってきました。
ついこの間種をまいたという気がするんですが、あっという間です。

ハクサイも、ぼちぼち結球しかかっています。
うちの防除スケジュールだと、毎年最初の外葉が虫にある程度やられて、そこから2回ほどの防除で、虫害がなくなってそれなりによいものが穫れる、というパターンです。
たぶん、産地だともっと厳密に防除しているんでしょうが、うちはそのへん、省力でいい加減です(笑)
#野菜
こうなることはわかっていたので、きのうの午後はすこしきょうのぶんの仕事もしておいたのが正解でした。
で、いまは昼過ぎ。
もうとっくに雨が降っていそうなものですが、まだ穏やかに晴れています。
雨が降る前にと急いだのだけど、これならもうすこしゆっくり仕事を片付けてもよかったかもしれません。