山麓王国

全年2月7日の投稿5件]

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「まことに此歌は其辭卑猥にして其意放縱なり」を読み、歌詞のどこかにそのような描写があるはずだと思ったのですが、どこも文学的な表現にしかとれませんでした。
農園主さんの訳を読み、ああ、この部分が男女の営みを表していたんだ、とすぐにわかりました。
「二人は波の上に漂ひ、波は相推し相就き、二人も亦相推し相就くこと其波の如くならん」を読んだだけではそれに気づかず、舟に乗り、波にまかせ、ロマンチックな逢瀬をしている、と思い込んでいたところが曲解でした。

リンクをありがとうございます。

志村喬の歌は、なんとも表現ができないですね。
「生きる」のウィキペディアを見てきました。
>黒澤から「この世のものとは思えないような声で歌ってほしい」と注文された。
と書いてありましたが、一流の役者さんというのはすごいな、と思います。

同じ歌でも歌い方でまったく歌詞のイメージが違ってくることもあるし、年によっても受け取り方が違ってきますね。
この歌をシニア層の前で歌うとすると何となくためらいがありますが、若い世代の方が対象なら、陽の部分しか感じない、明るい恋愛の薦めのような歌として捉えられるのでしょう。
そもそも、「命が短い、老いはすぐにやってくる」という実感すらないと思います。

「ゴンドラの唄」を映画の中でこのように用い、歌わせた黒澤明は、本当になんという卓越した感覚の人なのか、と改めて驚きました。

1306の内容を少し変えたもの、読ませていただきました。
ありがとうございます。
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1309
曲解がどちらの意味かわからなかったんですが、曲解がないよう、すこし前の投稿内容を変えました。

あれはようするに、ふたりは小舟の中で、波の押し引きにたとえられるようないけないことをしていたわけですが、それをみているのはこの夜と波だけなんだから構わないんだという、若気の至りを肯定するような内容です。

黒澤明の『生きる』でもゴンドラの唄が印象的につかわれていますが、あれはむしろ「挽歌」の部分にスポットライトが当たっています。

主人公の渡辺勘治(志村喬)は末期がんで、じぶんの生きる楽しみがどこにあるのか、ワラにもすがるおもいで慣れない享楽の世界へ足を運び、若者たちの集う場へ行き、ピアニストにゴンドラの唄をリクエストします。

若者たちは放縦な愛の歌だとおもって聞いているのに、渡辺が陰陰滅滅たる調子でこの歌をうたうものだからしらけてしまう。

ゴンドラの唄では陽の部分だけがピックアップされていますが、森鴎外はベネチアの歌の陰の部分も取り上げて、黒澤明もやはり陰の部分にスポットライトを当てています。

で、ぼくもこの年になると、ゴンドラの唄を挽歌として聞いてるところがあります。

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思いがけず翻訳していただき、ありがとうございます!!

さすがですね。
鴎外の文章の格調高さを残しながらのわかりやすい翻訳をありがとうございます。

「二人は波の上に漂ひ、波は相推し相就き、二人も亦相推し相就くこと其波の如くならん。」の箇所は、まったく意味を曲解していました。

鴎外の『即興詩人』は、アンデルセンを訳したのではなく、鴎外自身の体験による小説のように感じてしまうのは不思議です。
我=鴎外、と思って読んでしまいます。
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1306
以下の一節ですね。

我が乘るところの此舟は、即ちヱネチアの舟にして、翼ある獅子の旗は早く我が頭上に翻れり。帆は風に厭きて、舟は忽ち外海に走り出で、我は艙板の上に坐して、藍碧なる波の起伏を眺め居たるに、傍に一少年の蹲れるありて、ヱネチアの俚謠を歌ふ。其歌は人生の短きと戀愛の幸あるとを言へり。こゝに大概を意譯せんか。其辭にいはく。朱の唇に觸れよ、誰か汝の明日猶在るを知らん。戀せよ、汝の心の猶少く、汝の血の猶熱き間に。白髮は死の花にして、その咲くや心の火は消え、血は氷とならんとす。來れ、彼輕舸の中に。二人はその蓋の下に隱れて、窓を塞ぎ戸を閉ぢ、人の來り覗ふことを許さゞらん。少女よ、人は二人の戀の幸を覗はざるべし。二人は波の上に漂ひ、波は相推し相就き、二人も亦相推し相就くこと其波の如くならん。戀せよ、汝の心の猶少く、汝の血の猶熱き間に。汝の幸を知るものは、唯だ不言の夜あるのみ、唯だ起伏の波あるのみ。老は至らんとす、氷と雪ともて汝の心汝の血を殺さん爲めに。少年は一節を唱ふごとに、其友の群を顧みて、互に相頷けり。友の群は劇場の舞群の如くこれに和せり。まことに此歌は其辭卑猥にして其意放縱なり。さるを我はこれを聞きて輓歌を聞く思ひをなせり。老は至らんとす。少壯の火は消えなんとす。



ぼくなりに、翻訳してみます。


わたしが乗ったのはベネチアの船だった。
ベネチアを象徴する有翼の獅子の旗が、頭上で忙しくひらめいている。

帆が風をはらみ、船はたちまち外海へ走り出す。
わたしは甲板の上に座って、起伏する紺緑の波を眺めていた。

そばで少年の集団のうちのひとりが、ひざまずいてベネチアで愛された歌を歌っている。
この歌は人生の短さと恋することの幸せをあらわしたものだが、おおまかに意訳してみよう。


朱の唇を重ねよ。あしたがまたくるとは限らないのだから。
恋せよ。汝の心が若く、汝の血が熱いうちに。
白髪は死の花。
咲けば心の火は消え、血は氷になっていく。

あの小舟の中に来たれ。
屋根に隠れて、窓をふさいで戸を閉じれば、だれの目にもつかないだろう。
乙女よ、だれもふたりの恋の幸せを邪魔することはない。
波の上に漂って、波が押し引きするようにふたりも愛し合う。

恋せよ、汝の心が若く、汝の血の熱いうちに。
汝の恋の幸せを知っているのは、言葉をもたぬこの夜と、波だけだ。
老いはすぐにやってくる。氷と雪とで汝の心と血を殺すために。



少年は一節を歌うたびに、仲間を振り返って、お互いにうなずき合っていた。
仲間たちは劇場の役者たちのように唱和している。

この歌の歌詞はまことに卑猥で、放埓で、無節操だが、わたしはむしろこの歌に挽歌を聞くような気持ちがした。
老いはすぐにやってくる。若さの灯火はすぐ消えるのだ。



こんなところでしょうか。
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節分に巻きずしを作ったんですね。
甘い卵焼きは欠かせない具材です。

節分の日は、東京駅構内の「駅弁屋」というお店で恵方巻を買おうとしましたが、太巻きの太さでカットされていないので、電車内で食べるのははばかられ、やめました。

毎年恒例の、立春吉方位のひとり旅に行ってきました。
節分・立春を吉方位で迎え、できる限り長く滞在しますが、今年は西南なので、近場の熱海に行きました。

立春の日はあいにくの雨でしたが、小降りになるのを待ち、熱海の來宮神社にお参りし、ご祈祷を受けてきました。
ご祭神は、日本武尊・五十猛命・大己貴命の三柱です。

何度もお参りしていますが、ご祈祷は初めてです。

巫女奉奏(巫女鈴を鳴らしながらの舞)、笙の奉奏、玉串拝礼と、他ではあまりないご祈祷でした。


ご祈祷の神饌(お下がり)でいただいた、干支の置物と、紅白の御幣が、縁起物の棚に加わりました。


ゴンドラの唄は歌詞も曲も好きです。
森鴎外訳の『即興詩人』の中の「妄想」に、ベネチアの水夫の歌が書かれていますが、吉井勇はそれを読んで参考にして歌詞を書いたとのことです。

またおもしろいのは、作曲した中山晋平は、ベネチア民謡の8分の6拍子をマネ?して、「ゴンドラの唄」を8分の6拍子で作ったそうです。
実際は、単純な3拍子に聴こえますよね。

中山晋平記念館が熱海にあり、2021年11月に記事にしていました。
熱海にいるうちに1304を読んでいたら、「ゴンドラの唄」の直筆譜面などがあったかどうか見てきたのですが・・・。

それにしても青空文庫の森鴎外訳は読みにくく、吉井勇が「妄想」から参考にした部分が漠然としか理解できません。

お参りと買い物の他はずっとホテルにいるので、仕事をするつもりでいたのですが、BSで、竹下景子がマドンナで初の海外ロケだという寅さんを真剣に観てしまいました(笑)
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