全年9月15日の投稿[3件]
2024年 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
まず、農園主さんのお考えが、トンデモとか眉唾とはみじんも思っていないことを宣言しておきます(*^_^*)
答えの出ないものをいろいろと考えていくのは、「余剰意識」によるものなんですね。
荘子が説いたのは、余剰意識の活用はあまり意味がなく自然に即して考えればいい、ということのようですが、答えが出ないようなこと、考えてもあまり意味がないことをあれこれ考えるのは、楽しいですね。
こういうことができるから、人間っておもしろいんだ、と思います。
生活に必要のない知識や情報は、生きるにおいてさほど重要ではなく、知らなくても差し支えないものかもしれません。
結局は、自己満足の世界、知識欲を満たすだけのものではないかと。
でも、こういったものがなかったら、「知りたい」という欲や好奇心がなかったら、人生は実につまらないものだろうな、と思います。
荘子の教えは、いっさいをあるがままに受け入れる、ということですね。それが自然であると。
これはビートルズの『Let it Be』、「あるがままに、身を委ねなさい」と同じような考え方かと思います。
キリスト教だと、例えば試験勉強を一生懸命やったら、あとは神様に委ねなさい、と教えられます。
委ねてしまい、あとはくよくよと思い悩むな、ということかもしれません。
思い、考え方イコール物の見方であって、それによってずいぶん生き方が変わるのではないか、と思えます。
余剰意識であれやこれやと考え、時には自然に即してあるがままに受け入れる、この二刀流ですね。
今回の記事もずいぶん考えることの多い内容でしたが、すべてが「なるほどなぁ~」と、ストーンと響きました。
私は子どものころから変わっていたのでしょう。今もですが(笑)
人が死んだあと、天国とか地獄に行くというシステムも理解はしていましたが、それを理解はしつつ(天国地獄があるかどうかは別にして)、「見えない・聞こえないだけで、そばにいる(ある)」ように思っていました。
それは本当になんの根拠もない「感覚」としてであり、霊感はないと断言できます(笑)
つまり、この世とあの世は地続きのようなもの、と感じていたわけですね。
分かれ目があるようであって、実はない。
肉体がなくなったあと、「なにか」になって、その辺や、空、宇宙や自然などに「いる。ある」といったらわかりやすいでしょうか。
そこをもっと言えば、転生、ということに関係してくるかもしれません。
(追記)「じぶんの意識とじぶん以外の世界(この場合は蝶の意識)には、じつは分けへだてがないのかもしれません」というのも、この世とあの世に分けへだてがないのかもしれない、ということと、似ている??ように感じます。
以前お話した諸星大二郎の漫画や、手塚治虫の「火の鳥」など、一例ですが、やはり「宇宙」は不可欠だと考えていますね。
農園主さんがおっしゃる「生まれ変わりは地球に限らないぞ」というのも、とっても納得できることです。
人間の身体は「借り物」で、地球や宇宙の歴史のほんの一部分、わずか100年足らずの間借りていて、それを繰り返したり、ほかの何かになったり、悠久の時を漂い続ける、ということかもしれません。
電飾と電球のお話は、例えとしてとても理解しやすいです。
昔読んだなにかに書いてあったことですが、漫画や小説の作り話ではなく、宗教の話でもなく、哲学などに関係する話だったように思います。
無限の宇宙のどこかには、すべてを管轄する絶対的な存在がある。
それを神と呼んでもいいし、高度な文明の宇宙人でもいいし、他の何かでもいい。
その何かが、人間それぞれの人生のシナリオをあらかじめ決定している。
例えば人間がいろいろなことを自分で決めたように思ったとしても、それは実は自分で考えたことではなく、結局はなにものかに生かされ、ゆだね(させられ?)、自然に受け入れていることになる。
これは、農園主さんが書いていらっしゃる「電球がじぶんで灯っているのではなく~」ということのように思えました。
「あらかじめ決められているなら、何も考えず成り行きにまかせよう」と考えるのも、案外難しいことですね。
余剰意識とは、「こころ」と同義、またはこころの一部でしょうか?
唯識論のように、すべてはこころが作り出す仮の世界、と考えると、なんとなくいろいろなことがつながってくるように思えます。
「ジャンケンマン」のお話、いい例をありがとうございます。
確かに理屈をわからない側からすると、マジックか予知ができる「特別なすごい人」ということになりますね(笑)
こういうことが、陰陽道や密教に存在したというのは、とっても興味深いお話です。
さて最後に「トンデモ」話です(笑)
母は、霊感があったわけではないと思うのですが、よく不思議な体験をする人でした。
その中でよく起きていた現象が、「誰かがスカートを引っ張る」というものでした。
私も経験があるのですが、裾のほうをクイっと引っ張られる感覚です。
もちろんそばには誰もいないので、私は「地続きの人だぁ」と自然に思っています。
人(追記・霊)ではなく、動物や妖怪、神仏、未知のなにか、ということもあり得ますね。
答えの出ないものをいろいろと考えていくのは、「余剰意識」によるものなんですね。
荘子が説いたのは、余剰意識の活用はあまり意味がなく自然に即して考えればいい、ということのようですが、答えが出ないようなこと、考えてもあまり意味がないことをあれこれ考えるのは、楽しいですね。
こういうことができるから、人間っておもしろいんだ、と思います。
生活に必要のない知識や情報は、生きるにおいてさほど重要ではなく、知らなくても差し支えないものかもしれません。
結局は、自己満足の世界、知識欲を満たすだけのものではないかと。
でも、こういったものがなかったら、「知りたい」という欲や好奇心がなかったら、人生は実につまらないものだろうな、と思います。
荘子の教えは、いっさいをあるがままに受け入れる、ということですね。それが自然であると。
これはビートルズの『Let it Be』、「あるがままに、身を委ねなさい」と同じような考え方かと思います。
キリスト教だと、例えば試験勉強を一生懸命やったら、あとは神様に委ねなさい、と教えられます。
委ねてしまい、あとはくよくよと思い悩むな、ということかもしれません。
思い、考え方イコール物の見方であって、それによってずいぶん生き方が変わるのではないか、と思えます。
余剰意識であれやこれやと考え、時には自然に即してあるがままに受け入れる、この二刀流ですね。
今回の記事もずいぶん考えることの多い内容でしたが、すべてが「なるほどなぁ~」と、ストーンと響きました。
私は子どものころから変わっていたのでしょう。今もですが(笑)
人が死んだあと、天国とか地獄に行くというシステムも理解はしていましたが、それを理解はしつつ(天国地獄があるかどうかは別にして)、「見えない・聞こえないだけで、そばにいる(ある)」ように思っていました。
それは本当になんの根拠もない「感覚」としてであり、霊感はないと断言できます(笑)
つまり、この世とあの世は地続きのようなもの、と感じていたわけですね。
分かれ目があるようであって、実はない。
肉体がなくなったあと、「なにか」になって、その辺や、空、宇宙や自然などに「いる。ある」といったらわかりやすいでしょうか。
そこをもっと言えば、転生、ということに関係してくるかもしれません。
(追記)「じぶんの意識とじぶん以外の世界(この場合は蝶の意識)には、じつは分けへだてがないのかもしれません」というのも、この世とあの世に分けへだてがないのかもしれない、ということと、似ている??ように感じます。
以前お話した諸星大二郎の漫画や、手塚治虫の「火の鳥」など、一例ですが、やはり「宇宙」は不可欠だと考えていますね。
農園主さんがおっしゃる「生まれ変わりは地球に限らないぞ」というのも、とっても納得できることです。
人間の身体は「借り物」で、地球や宇宙の歴史のほんの一部分、わずか100年足らずの間借りていて、それを繰り返したり、ほかの何かになったり、悠久の時を漂い続ける、ということかもしれません。
電飾と電球のお話は、例えとしてとても理解しやすいです。
昔読んだなにかに書いてあったことですが、漫画や小説の作り話ではなく、宗教の話でもなく、哲学などに関係する話だったように思います。
無限の宇宙のどこかには、すべてを管轄する絶対的な存在がある。
それを神と呼んでもいいし、高度な文明の宇宙人でもいいし、他の何かでもいい。
その何かが、人間それぞれの人生のシナリオをあらかじめ決定している。
例えば人間がいろいろなことを自分で決めたように思ったとしても、それは実は自分で考えたことではなく、結局はなにものかに生かされ、ゆだね(させられ?)、自然に受け入れていることになる。
これは、農園主さんが書いていらっしゃる「電球がじぶんで灯っているのではなく~」ということのように思えました。
「あらかじめ決められているなら、何も考えず成り行きにまかせよう」と考えるのも、案外難しいことですね。
余剰意識とは、「こころ」と同義、またはこころの一部でしょうか?
唯識論のように、すべてはこころが作り出す仮の世界、と考えると、なんとなくいろいろなことがつながってくるように思えます。
「ジャンケンマン」のお話、いい例をありがとうございます。
確かに理屈をわからない側からすると、マジックか予知ができる「特別なすごい人」ということになりますね(笑)
こういうことが、陰陽道や密教に存在したというのは、とっても興味深いお話です。
さて最後に「トンデモ」話です(笑)
母は、霊感があったわけではないと思うのですが、よく不思議な体験をする人でした。
その中でよく起きていた現象が、「誰かがスカートを引っ張る」というものでした。
私も経験があるのですが、裾のほうをクイっと引っ張られる感覚です。
もちろんそばには誰もいないので、私は「地続きの人だぁ」と自然に思っています。
人(追記・霊)ではなく、動物や妖怪、神仏、未知のなにか、ということもあり得ますね。
2023年 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
【野菜の近況あれこれ】
《オクラ》
ことし獣害にあってタイヘンなことになっていたオクラですが、きのう30袋、きょう46袋収穫できました。
8月中は10袋~20袋。
9月に入って安定して20袋ほど。
で、ここにきてグッと収量が増えてきました。
収量が増えた理由としては、獣害によって頭を食われた株が枯れずに、すこしずつ側枝を伸ばしてくれて、ここにきて花を咲かすようになったこと。
獣害でオクラが小さい状態で7~8月の干天になったことで、株のダメージが少なかったのは、不幸中の幸いでした。
株がじゅうぶん大きくなった状態で干天続きになると、葉っぱが落ちたり、花が咲かなくなるのですが、苗に近い状態だったため、生育が遅れる程度ですみました。
そこで9月に入って雨が降るようになって、収量が増えてきたようです。
あと、大奥という品種は15cmくらいまで収穫ができる特性があるため、従来品種に比べて一本当たりの重量があるおかげで、収穫本数のわりにたくさん袋詰めできています。
大奥という品種ですが、やっぱりイボと曲がりがすこし多い気がしますが、どうも生育後半になって、デメリットを取り返すメリットを感じています。
なんというか、花のつきかたに波が少なくて、安定して収穫できるようですし、大きい果実も直売でよく売れています。
これだけ後半に追い上げてくれるなら、来年も栽培にチャレンジしてもよい、とおもえてきました。
最初、このままだと一日1000円ぶん穫れるのが関の山だろうとおもっていたのが、予想外の増収になって、このぶんだと当初想定していた損害がかなり圧縮できそうです。
《ズッキーニ》
きょう、最初の雌花が咲きました。
春のズッキーニはかならず最初に雌花から咲くため、受粉できる雄花がなくて困るんですが、秋ズッキーニの場合は気温の関係なのか、雄花も一緒に咲いてくれるので、最初に受粉できないということがなくて助かります。
これから一か月ほど、たのもしい収入減になってくれそうです。
《ほうれんそう》
黒のワリフで栽培していたほうれんそうですが、苗が溶けてしまいました。
どうもうちはこのパターンでダメになることが多いんですが、日射が原因だとおもっていたのが、どうやらちがうようです。
となりの春菊が順調に育っているだけに、この結果にはガッカリです。
やっぱり、もうどうやってもうちではほうれんそうの栽培は博打になってしまうという結論でよさそうです。
ただ、それでもことしワリフを買って実験できたのはよかったとおもいます。
《ワリフの話》
黒ワリフ、かなり遮光効果が強いのと、水持ちがよいことがわかったので、そのように活用すればよいのだとおもいます。
具体的には春のイモヅルを植えたあとの枯れあがり予防、秋ズッキーニの直播後の日射除けといったところになるかとおもいます。
それから、いまおもいついたところでいえば、夏につるなしインゲンを播種するときにべた掛けするのもいいとおもいます。
おもいついたままメモ書きしますが、8月頭につるなしインゲンの圃場をつくって、播種してワリフをべた掛けして、2週間。
8月中旬にズッキーニの圃場をつくったときに、インゲンのワリフを剥がしてズッキーニに流用、というのがよさそうです。
あと、家庭菜園であれば、秋キュウリもズッキーニとおなじでお盆あたりにまき時を迎えるんですが、これを直播にして苗の間の日射除けにしてもよさそうです。
秋の場合は、マルチをしておいて、地這きゅうりを栽培すれば、台風などの影響も少なくすみます。
なにせ真夏の野菜作りは発芽と活着が安定しないのが問題になりがちなので、黒ワリフはその点ひと役買ってくれることでしょう。
《ベカナ・チンゲンサイ》
9月頭に黒ワリフで育てたぶんですが、問題がいくつかあります。
トレファノサイド乳剤をつかうと、夏の雑草予防に効果的なんですが、肝心の非結球アブラナ科の種も、かなり発芽抑制の影響を受けているようです。
このため、そもそも雑草の生育が旺盛な夏にこれらの野菜を育てること自体が、無理筋なのかもしれません。
かなり薄めに散布して、雑草ともほどよく共存、くらいにするのがよいのか、ちょっとこの点工夫が必要そうです。
では黒ワリフで育てていること自体はどうなのか。
軟弱気味に生長していますが、今回はあくまで実験と割り切って、そのまま最後まで育ててみようかとおもいます。
ことしの秋はなにせ雨が多すぎて、それも予報にないにわか雨が多すぎるので、農薬の防除に切り替えにくいんですよね。
ベカナは発芽率も悪く、極めて軟弱な生長で、栽培は春に限ったほうがよさそうです。
チンゲンサイは除草剤の影響も比較的少なく、黒ワリフの中でそれなりに生長してる感じです。
まだ予断を許しませんが、このままある程度納得できる収穫までこぎつけられるなら、チンゲンサイに絞って、来年の夏の黒ワリフ栽培にチャレンジしてもよさそうです。
#野菜
《オクラ》
ことし獣害にあってタイヘンなことになっていたオクラですが、きのう30袋、きょう46袋収穫できました。
8月中は10袋~20袋。
9月に入って安定して20袋ほど。
で、ここにきてグッと収量が増えてきました。
収量が増えた理由としては、獣害によって頭を食われた株が枯れずに、すこしずつ側枝を伸ばしてくれて、ここにきて花を咲かすようになったこと。
獣害でオクラが小さい状態で7~8月の干天になったことで、株のダメージが少なかったのは、不幸中の幸いでした。
株がじゅうぶん大きくなった状態で干天続きになると、葉っぱが落ちたり、花が咲かなくなるのですが、苗に近い状態だったため、生育が遅れる程度ですみました。
そこで9月に入って雨が降るようになって、収量が増えてきたようです。
あと、大奥という品種は15cmくらいまで収穫ができる特性があるため、従来品種に比べて一本当たりの重量があるおかげで、収穫本数のわりにたくさん袋詰めできています。
大奥という品種ですが、やっぱりイボと曲がりがすこし多い気がしますが、どうも生育後半になって、デメリットを取り返すメリットを感じています。
なんというか、花のつきかたに波が少なくて、安定して収穫できるようですし、大きい果実も直売でよく売れています。
これだけ後半に追い上げてくれるなら、来年も栽培にチャレンジしてもよい、とおもえてきました。
最初、このままだと一日1000円ぶん穫れるのが関の山だろうとおもっていたのが、予想外の増収になって、このぶんだと当初想定していた損害がかなり圧縮できそうです。
《ズッキーニ》
きょう、最初の雌花が咲きました。
春のズッキーニはかならず最初に雌花から咲くため、受粉できる雄花がなくて困るんですが、秋ズッキーニの場合は気温の関係なのか、雄花も一緒に咲いてくれるので、最初に受粉できないということがなくて助かります。
これから一か月ほど、たのもしい収入減になってくれそうです。
《ほうれんそう》
黒のワリフで栽培していたほうれんそうですが、苗が溶けてしまいました。
どうもうちはこのパターンでダメになることが多いんですが、日射が原因だとおもっていたのが、どうやらちがうようです。
となりの春菊が順調に育っているだけに、この結果にはガッカリです。
やっぱり、もうどうやってもうちではほうれんそうの栽培は博打になってしまうという結論でよさそうです。
ただ、それでもことしワリフを買って実験できたのはよかったとおもいます。
《ワリフの話》
黒ワリフ、かなり遮光効果が強いのと、水持ちがよいことがわかったので、そのように活用すればよいのだとおもいます。
具体的には春のイモヅルを植えたあとの枯れあがり予防、秋ズッキーニの直播後の日射除けといったところになるかとおもいます。
それから、いまおもいついたところでいえば、夏につるなしインゲンを播種するときにべた掛けするのもいいとおもいます。
おもいついたままメモ書きしますが、8月頭につるなしインゲンの圃場をつくって、播種してワリフをべた掛けして、2週間。
8月中旬にズッキーニの圃場をつくったときに、インゲンのワリフを剥がしてズッキーニに流用、というのがよさそうです。
あと、家庭菜園であれば、秋キュウリもズッキーニとおなじでお盆あたりにまき時を迎えるんですが、これを直播にして苗の間の日射除けにしてもよさそうです。
秋の場合は、マルチをしておいて、地這きゅうりを栽培すれば、台風などの影響も少なくすみます。
なにせ真夏の野菜作りは発芽と活着が安定しないのが問題になりがちなので、黒ワリフはその点ひと役買ってくれることでしょう。
《ベカナ・チンゲンサイ》
9月頭に黒ワリフで育てたぶんですが、問題がいくつかあります。
トレファノサイド乳剤をつかうと、夏の雑草予防に効果的なんですが、肝心の非結球アブラナ科の種も、かなり発芽抑制の影響を受けているようです。
このため、そもそも雑草の生育が旺盛な夏にこれらの野菜を育てること自体が、無理筋なのかもしれません。
かなり薄めに散布して、雑草ともほどよく共存、くらいにするのがよいのか、ちょっとこの点工夫が必要そうです。
では黒ワリフで育てていること自体はどうなのか。
軟弱気味に生長していますが、今回はあくまで実験と割り切って、そのまま最後まで育ててみようかとおもいます。
ことしの秋はなにせ雨が多すぎて、それも予報にないにわか雨が多すぎるので、農薬の防除に切り替えにくいんですよね。
ベカナは発芽率も悪く、極めて軟弱な生長で、栽培は春に限ったほうがよさそうです。
チンゲンサイは除草剤の影響も比較的少なく、黒ワリフの中でそれなりに生長してる感じです。
まだ予断を許しませんが、このままある程度納得できる収穫までこぎつけられるなら、チンゲンサイに絞って、来年の夏の黒ワリフ栽培にチャレンジしてもよさそうです。
#野菜
きのうも夜半に雨が降ったようで、結果論ですが11日の種まきは、タイミングがよかったようです。
あれを逃すと、もう畑を耕すタイミングがありませんでした。
次はほんとうは2週間ほどあけて25日ごろに種まきがしたいんですが、どうも20日ごろから雨が続くようなので、18日に畑を耕して、19日に種まきという、例年にない無茶なスケジュールになりそうです。

ほとんど1週間しか間をあけていないので、収穫が最盛期になるころに、次の収穫がおいかけてくる格好になります。
あんまり前倒しに作付けしたくはないんですが、こういう天気ですから仕方ないですね。
#野菜
あれを逃すと、もう畑を耕すタイミングがありませんでした。
次はほんとうは2週間ほどあけて25日ごろに種まきがしたいんですが、どうも20日ごろから雨が続くようなので、18日に畑を耕して、19日に種まきという、例年にない無茶なスケジュールになりそうです。

ほとんど1週間しか間をあけていないので、収穫が最盛期になるころに、次の収穫がおいかけてくる格好になります。
あんまり前倒しに作付けしたくはないんですが、こういう天気ですから仕方ないですね。
#野菜