山麓王国

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2026年2月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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こんばんは。

それでは次回は熊野について書かせていただこうとおもいます。

熊野はわたしも理解しにくい場所でしたが、調べてみるとおもしろいところでした。



ギズモさんが感じた、熊野に対する「異世界的、異質なもの」は、実際そうとしかいいようのないところがあります。

紀伊の国、そして熊野は、日本神話、空海、そして山岳信仰、民間信仰がまじりあい、関西風にいうとじつにケッタイ(怪態)な場所になっているのです。

そして、記紀神話が書かれていた奈良時代あたりには、熊野のような大原生林はまだうまく利用価値を見出すことができないむずかしい場所でした。



このあたりのことを目次として、次回をお楽しみいただければとおもいます。

またギズモさんの返信次第では、べつの話も加えさせていただくかもしれません(笑)

期日をもうけずにゆっくりでまったく問題ありませんが、ご返信を楽しみにしております。

2025年12月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

Icon of nouennushi
ややこしい話を聞いていただいているのはわたしのほうですから、お返事のタイミングは一切気になさらないでください。

おそらく次のお返事も、期間を区切るとしんどいとおもいますから、いつになってもけっこうです。

氷川神社でわたしのことをお話いただいて、ありがとうございました。

またさまざまな興味深いお話、お考えをありがとうございます。



今回はこれまでのまとめとして、日本の神代についてお話ししようとおもったのですが、とんでもない長さになってしまいました。

イザナギ・イザナミから卑弥呼・壱与、そこにスサノオがどう絡んだか。

出雲国とヤマト王権の関係性。

そして神武天皇の東遷、崇神天皇へと続き、最後は出雲族の氷川につながる話になります。

あくまでわたしが解釈した「物語」なのですが、神話と実際の歴史の時系列を整えたことで、おもしろい読み物にはなっているとおもいます。

長いので、ぜひゆっくりとお楽しみください(笑)



日本では7世紀になってようやく日本書紀、古事記によって、日本国家の主権を主張しました。

日本も大陸の王朝の歴史書のように、「紀元前よりむかしから国の歴史があった」と示したかったんですが、ヤマト王権の歴史は2世紀あたりに始まったようです。

それ以前は小国……ともいえぬような集団が各地を自治していたと考えられます。

神話では「混沌」とされる時期で、この時期にはヤマト王権につながる系譜はありません。

そのため、記紀神話ではあたかも紀元前から歴史がつながっているかのように、神代から初期の天皇の系譜までを長く引き延ばすレトリックを多用しました。



神武天皇の寿命が127歳だとか、バカげたことになっているのはそのためです。

今回わたしは、イザナギ・イザナミの国生み・神生みから10代崇神天皇までは、西暦100年ごろから250年ごろのたった150年の歴史だったのではないかと考えました。



ところで今回は、これまでわたしが推測した神話の話はぜんぶ忘れてください(笑)

スサノオの件でも、今回はかなり深掘りしましたので、前回と似ている部分もあるものの、まったく違う話になっています。

どうかご容赦ください。



さて、神武天皇や崇神天皇は、一般的には紀元前の生まれということになっているようですが、実際にはもっとのちの世に活躍したとおもわれます。

神武天皇は170年から220年ごろ。
崇神天皇は230年ごろから280年といったところでしょうか。



なぜそう考えるかというと、たとえば10代崇神天皇は倭迹迹日百襲姫命の甥っ子なのですが、この人の墳墓とされる箸墓古墳は250年ごろに建造されたことが、調査で明らかになっているんですね。

西暦250年あたりを生きた人の甥っ子が紀元前生まれだと、つじつまが合いません。



また欠史八代(2代目から9代目までの天皇)をほとんど存在しないものと考えると、神武天皇も2世紀ごろの人だと考えられます。

欠史八代とはよく言ったものだとおもいますが、それを証明するような話として、倭迹迹日百襲姫命のこんな伝説をご紹介しましょう。



倭迹迹日百襲姫命と大物主神が結ばれることになりました。

しかし逢瀬はいつも夜ばかり。

姫が「どうしても明るいところでお顔が見たい」と望みました。

大物主は「わかりました。それでは夜が明けたら櫛箱の中をのぞいてみてください」といいました。

あくる朝、姫が櫛箱をのぞくと、小さなヘビが入っていたため、悲鳴をあげてしまいます。

このヘビこそ、大物主の正体でした。

大物主は姫の態度に恥じ入って(あるいは大いに怒り)、三輪山へ帰ってしまいます。

姫が後悔して腰を落としたところ、箸が陰部に刺さって死んでしまったため、姫の墓は箸墓古墳と呼ばれるようになりました。




ちなみに大物主は奈良県の三輪山にいた製鉄集団の長だったとおもわれます。

櫛箱の中にいたのが「ヘビ」だったことも、製鉄との関係をにおわせます。



大物主は若いころ、勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)を見初めて結婚しました。

その娘を比売多多良伊須気余理比売(ヒメタタライススキヨリヒメ)といいます。

ふたりとも名前に「たたら」が入っていますよね。



ギズモさんも疑問を感じておられたとおもうんですが、日本の製鉄の歴史は6世紀末から始まったといわれます。

しかしこれは発掘調査でそれ以上むかしの製鉄遺跡がみつからないだけで、少なくとも神話を読み解くうえでは、2世紀末にはすでにたたら製鉄は始まっていたと考えられます。



さて、そんな大物主の娘の比売多多良伊須気余理比売は、初代神武天皇の正妻になりました。

これは神話をそのまま読んでいると、非常にヘンな話です。



なぜなら、

・倭迹迹日百襲姫命(10代崇神天皇のおば)が大物主と結婚。

・初代神武天皇に大物主の娘が嫁ぐ。

時系列がめちゃくちゃです。

神武天皇に娘を差し出した大物主が、その数百年後に百襲姫と結婚したのでしょうか。



もちろんそんなことはありません。

まず大物主の娘が神武天皇の妻になります。

このとき、大物主はまだ30代といったところ。



その後20~30年後に、巫女の倭迹迹日百襲姫命と、老境の大物主が結婚。

そうすると、時系列でつじつまが合うのです。

欠史八代がほとんど存在しない、いたとしても神武天皇と崇神天皇の間にほとんど空白期間がない、と考えると、歴史の隙間が埋まります。

逆にいえば、神武天皇と崇神天皇の間に微妙な空白期間があったために、欠史八代が入り込んだとも考えられます。



今回はこんな感じで、神話と実際の歴史の時間差を埋めながら話を進めます。

それでは、日本の歴史の最初、イザナギとイザナミからはじめていきましょう。



神話によるとイザナギとイザナミの物語では、最初にイザナミから求愛をしましたがうまくいかず、イザナギから求愛すると国生みと神生みがうまくいくようになったとあります。

なぜイザナミが最初に求愛したのかというと、ふたりのいた社会ではイザナミのほうが立場が上だったからでしょう。

女性がトップにいる社会というと、卑弥呼とおなじ巫女ですね。

イザナミの墓は出雲にありますから、出雲の巫女だったと考えられます。



しかしイザナミが政治を主導するとうまくいきません。

そこでイザナギに政治を主導してもらい、イザナミが巫女としてサポートする形をとると、圧倒的なスピードで様々な国が出雲の国に従うようになり、多くの人(神)がふたりの国に従うようになりました。

これが国生みと神生みということでしょう。



しかしイザナミは道半ばで亡くなりました。

神話によると、イザナミは、火の神カグツチを生んだことで陰部を火傷して死んだとあります。

カグツチの体からは、大量の山祇命(ヤマツミノカミ:山の神)が生まれました。

この中には大山祇命という山の民の超大物もいました。



すこし性急かもしれませんが、山と火というと、単なる山の民ではなく、やはり製鉄集団の可能性を考えてしまいます。

しかしこのときはまだ「たたら」という言葉が出ませんから、自前での製鉄技術はなく、朝鮮や中国から鉄を買い付けて「鍛冶」をしていたのでしょう。



わたしは「出雲の山にいた製鉄鍛冶集団の中に不届き者がいて、イザナミを殺してしまった」と考えました。

イザナギは激怒し、カグツチを斬り殺します。

この一連の出来事が実際にはどんな感じだったのか、さらに想像を広げてみましょう。



イザナギと順調に国土を広げていったイザナミでしたが、あるときから政治的野心が顔をのぞかせます。

巫女の神懸かりで、じぶんの都合よく事を運ぼうとするようになったのでした。

イザナギはイザナミがおかしくなったことに気づいていません。

ついに山の民が怒り出し、なかでも過激な一派によってとうとうイザナミが殺されてしまいました。

イザナギはなにが起こったのかわかりませんから、激怒し、優秀な仲間を引き連れて、イザナミを殺した主犯を突き止めて殺しました。

しかしイザナミの死の原因を追究していくにつれて、どうやら山の民が相当な不満を抱えていたこと、イザナミに大きな問題があった可能性が浮上します。



まさかイザナミがそんなわけはないだろうとおもいつつ、そのこと問題を突き詰めていくと、イザナミの悪事を支えていた権力者たちによって、イザナギは出雲を追い出されてしまいました。

権力者たちはイザナギに向かって、「お前がどこかで国をつくれば、その国の人間を毎日1000人殺してやる」と脅します。

イザナギは「それならわたしは毎日1500人生まれる国をつくってやろう」というのでした。

イザナギはじぶんに付き従う者を引き連れて九州へ向かって、あらたな国家をつくり、そこでも巫女を立てます。

アマテラス(卑弥呼)でした。



イザナギは黄泉の国の穢れを川で落とすときに、左右の目からアマテラスとツクヨミを生み、鼻からスサノオを生んだといいます。

このうちアマテラスとスサノオは有名ですが、ツクヨミはいまいちはっきりしない存在ですよね。

おそらくツクヨミは「月を読む存在」。

つまり当時の天文である古代道教という規範が、アマテラスの隣にあったということでしょう。

イザナミには、巫女としての規範がなかったことが問題でした。



スサノオは朝鮮からやってきた集団の若い頭領で、出雲ではイザナミに可愛がられていましたが、これといった役職にはついていません。

イザナミが死ぬと、スサノオはイザナギに従って九州に行くのですが、そこで頭角をあらわします。



スサノオたちは、高千穂や出雲や朝鮮などの国々をつなぐ外交官のような存在でもあり、あるいは朝鮮からきたことから、鬼道(道教)を全国に伝え広める役割も担っていたのかもしれません。

ツクヨミとスサノオの伝承が似ていることを考えると、そもそも鬼道をアマテラスに教えたのも、スサノオの可能性があります。

しかし高千穂にいたスサノオに出雲国とのスパイの可能性が浮上しました。



さて、いったんここで想像を止めましょう。

これまでのことを考えると、イザナギは西暦100年ごろから170年ごろ。

イザナミは西暦100年ごろから140年ごろを生きたのではないかとおもいます。



イザナギは140年ごろに出雲を追い出されて、九州であらたな国をつくります。

アマテラス(卑弥呼)は西暦150年あたりに生まれて、160年あたりで高千穂の巫女となったのではないでしょうか。

そして230年あたりまで70~90歳と、相当長生きをしているとおもわれます。

箸墓古墳が250年あたりに建造されたことを考えると、アマテラスから崇神天皇までの皇統が、たった100年程度で一気に進んだということになります。


アマテラス

アメノオシホミミ

ニニギノミコト

山幸彦

ウガヤフキアエズノミコト

神武天皇
↓→このころに卑弥呼(アマテラス)が亡くなる
(欠史八代)

崇神天皇



これをどう100年におさめるのか。

神話を素直に解釈するわけにはいきませんから、わたしはアマテラスの巫女即位から神武天皇が即位するまでの物語は、九州にあったべつべつの小国を巻き込んで、ほんの20~30年の短期間で行われていたのではないかと考えました。

ここまででかなりわたしがおかしなことを言っているようにおもわれるかもしれませんが、神話をよむ限り荒唐無稽ということでもないのです。

ここからはまた想像を広げましょう。



まずイザナギが西暦160年ごろに、高千穂でアマテラス(卑弥呼)をたてました。

まだ10歳くらいの、幼い少女です。

イザナミのときとちがって、この少女には道教の規範を教え込んで、逸脱した神懸かりをしないようにしつけました。

スサノオがその役を引き受けたことから、アマテラスの側近として非常に高い地位を与えられ、さまざまな仕事を任されることになります。

しかしスサノオは次第に増長し、じぶんが出雲の王になれば、高千穂と出雲との抗争もなんとかできるのではないかと、野心を抱くようになりました。

そして、イザナミに会いに出雲へ行きたい、と言い出すようになったのです。



それを知ったイザナギは激怒しました。

これほどの地位と権限を与えたのに、まさかおまえはスパイだったのかと、怒りに任せてスサノオを一族ごと追放してしまいます。

しかしスサノオには野心はありましたが、高千穂を裏切ろうという気はありません。

じぶんの軽挙がこのような誤解を生んでしまったことをひどく後悔し、ほとんど出雲に着いたところで、やはりアマテラスにお会いしてじぶんに二心がないことをお伝えする、と言って、また高千穂に戻ったのでした。



高千穂ではスサノオが帰ってきたために、まさか出雲が攻め込んできたのかと武装します。

しかしスサノオはぼろぼろ泣きながら、じぶんの無実を伝えるのでした。

幼いアマテラスは女官とともにスサノオに対して、裏切り者ではないことの証明をしてみせよといいます。

そして取引として、スサノオからは5人の優秀な人材を差し出させました。(アマテラスとスサノオの誓約)

ほんとうに高千穂がほしい人材だったこともあり、スサノオは許されました。

このときスサノオの差し出した者のひとりが、アメノオシホミミです。



壮齢のアメノオシホミミにはすでに青年となった子がいました(ニニギノミコト)。

ニニギノミコトも秀でた才能の持ち主で、アマテラスに命じられるかたちで、正式に高千穂の王となりました。(天孫降臨)



スサノオはアマテラスに許してもらえたことで、いままで以上に野心を表に出して出雲と高千穂を行き来するようになります。

スサノオには「大きなことを為したい」という気持ちが強く、直情的でわがままで、しかも腕っぷしがめっぽう強いため、周囲を振り回して困らせるわるいクセがありました。

全国に向かう中で悪評も残しながら、出雲では「ニニギノミコトはわたしの縁者だ」といい、大山祇命と人脈を形成。

高千穂では「わたしは大山祇命とコネクションを持っている。大山祇命の娘をニニギノミコトの妻にして友好を図ろう」などと、余計なことをし始めるのでした。



ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの伝説の中で、初夜を共にした次の日にコノハナサクヤヒメの妊娠がわかったことから、ニニギノミコトが「それはわたしの子ではない。国津神の子ではないのか」と告げたエピソードがあります。

国津神とは、「よその国の者、とりわけ出雲の者」という意味を持つ、とんでもない言葉でした。

これはコノハナサクヤが実際に子をはらんだというよりは、彼女にスパイの疑いがかけられたということのようにおもえます。



このあとコノハナサクヤが生んだのが山幸彦と海幸彦なのですが、九州における山の民と海の民をあらわすといわれます。

つまり、高千穂でニニギノミコトが王になる一方、九州の山の民(山幸彦)と海の民(海幸彦)による浦島太郎のような物語が展開されていたと考えられます。



山幸彦が竜宮城(朝鮮)の王のワタツミノカミから娘をもらい、子を授かった(ウガヤフキアエズノミコト)エピソードは、以前お話したかとおもいます。

さらにこのウガヤフキアエズノミコトが、山幸彦の妻の妹と結婚して、神武天皇を生みます。

山幸彦はじぶんの妻の妹をわが子にめとらせることで、ワタツミノカミとの結びつきをより強固なものにしたかったのでしょう。



しかし当時の女性の出産適齢期はかなり短かったはずです。

そう考えると、ウガヤフキアエズノミコトはほとんど精通してまもないころに、山幸彦の妻の妹と結ばれて、子を授かったと考えられます。

ワタツミノカミの後ろ盾を得て、山幸彦は海幸彦を帰順させ、破竹の勢いで高千穂に接近しました。

このとき、山幸彦は30代前半、ウガヤフキアエズノミコトは10代前半で、さらに赤ん坊の神武天皇がいたことになります。



さて、ここでまたスサノオに登場してもらいましょう。

わたしが今回の仮説をたてるうえでずっと疑問だったのが、アマテラスの岩戸隠れでした。

アマテラスが岩戸に隠れて、スサノオが追放される話は、いつ起こったのか。



卑弥呼の死んで壱与が立ったことと岩戸隠れを結びつけると、スサノオがソシモリへ行くのは100歳くらいになってしまいます。

神話だからそれもアリ、といえばそれまでなんですが、今回はできるだけ神話を実際の歴史に近づけたい。

そうすると、ニニギノミコトが高千穂にいるころ、アマテラスがスサノオに脅かされる出来事があったのではないか。

そして調べていくうちに、こんな形でつじつまが合いました。



先ほど、ニニギノミコトが妊娠したコノハナサクヤに暴言を吐いたエピソードがありましたが、その前にも、ニニギノミコトはイワナガヒメを大山祇命に送り返しています。

大山祇命が激怒して、「これでお前の寿命は神ではなく、人間とおなじになった」といったエピソードは有名ですね。



この大山祇命は先ほども話しましたが、イザナミを殺したカグツチから生まれた神のひとりであり、出雲の山の民のトップでした。

イザナギとは因縁があるのですが、スサノオが間をとりもつようなかたちで、大山祇命の娘をニニギノミコトがもらうことになります。

しかし、ニニギノミコトはこの政略結婚を快くおもわず、イワナガヒメを送り返したのみならず、コノハナサクヤも出雲のスパイだとおもうようになりました。

出雲の大山祇命が激怒して寿命のことを話したのは、あるいはこのようなニニギノミコトのふるまいに対して、「やはり高千穂を許さぬ。ニニギノミコトを殺してやる」という脅しだったのではないか。



実際神話では、コノハナサクヤが山幸彦たちを生んでしばらくすると、ニニギノミコトは崩御したとあります。

原因ははっきりしませんが、もし出雲からのスパイによって殺されたとすれば、卑弥呼が出雲勢力(スサノオ)を恐れて天岩戸に隠れた理由になります。



つまり、出雲と高千穂の関係性がいよいよ危ない、どうなるかわからないということになり、卑弥呼が姿をくらました間に、ニニギノミコトが殺されてしまいました。

アマテラスが天岩戸に隠れたことで世の中が暗くなったのはこのためです。



そうと知らぬスサノオが高千穂にやってくると、すぐさまとらえられました。

アマテラスが隠れたこと、大山祇命との争いによってニニギノミコトが崩御したことを伝えられ、その原因がスサノオにあるといわれたため、スサノオは大いにうろたえます。

スサノオに悪意はありませんでしたが、スサノオの行為が最悪の結果を招いたことは事実です。



スサノオはもはや高千穂にも出雲にも居場所を失い、失意にうちひしがれて生まれ故郷の朝鮮へ向かいましたが、やはりすぐにまた出雲へ戻ってしまいました。

ギズモさんのお考えをお借りすると、このときに製鉄について学び、出雲の豊富な砂鉄を利用すれば、自前で製鉄が行えるのではないかと考えたのかもしれません。

これはいい手土産ができたぞと、出雲にたどりつくと、大山祇命には会えませんでしたが、その子であるアシナヅチとテナヅチに会えました。

そこであたらしい製鉄の話を切り出そうとしましたが、どうも様子がおかしい。

聞くと、最近出雲の山であたらしい暴力的な勢力(ヤマタノオロチ)が出てきて、山が勝手に伐採されるわ、それを注意すると殺されたりするわで、山の民がみな困っているというのです。



そこでスサノオの野心がまた、にわかに持ち上がりました。

これは千載一遇の大チャンスだと、機を見るに敏なスサノオのセンサーが反応したのです。

スサノオは、ヤマタノオロチを討伐したら娘をわたしにくれないかと談判しました。

クシナダヒメはまだ10代前半の少女でしたが、なにせ大山祇命の孫ですから、政治的後ろ盾を得る意味で大きな意味があります。

そして見事ヤマタノオロチを退治すると、スサノオは一躍、出雲の製鉄利権のリーダー的存在となりました。



これまでは軽挙でまわりを振り回したり振り回されたり、居場所を失って朝鮮へ渡ったりとさんざんでしたが、ここへきて大山祇命の強力な後ろ盾は得られるわ、若い妻がもらえるわ、自前のたたら製鉄利権が手に入るわと、人生ウハウハの最高潮ではありませんか。

そこで一句。

「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣つくる その八重垣を」
(もっとたたらを踏んで、鉄を溶かして煙を上げろ 出雲に雲をなびかせよ 大事な妻を守るためにこの国をどこまでも堅固にするのだ)



なぜスサノオのエピソードに限って8の字が多いのか、というギズモさんの問いかけについてですが、わたしはこのように考えました。

朝鮮から出雲へきてからというもの、スサノオに突然幸運が舞い込んでくるようになるでしょう。

8という数字は「とても多い」という意味の聖数です。

8という数字が出てくるたびに、スサノオに最高の幸運が舞い込んでくるというイメージですね。



ヤマタノオロチでさえ、スサノオにとってはチャンスでした。

そして八塩折之酒、クシナダヒメとの間の八柱の神。

ギズモさんがおっしゃったように、クシナダヒメが8人姉妹の末っ子だったこともそうですね。

そして「八雲立つ」のあの歌は、もはや確変状態で8を連発しています。

冗談じみた解釈ではありますが、8という数字の多さは、出雲にきてからのスサノオのバカヅキ具合をあらわしているようにおもえてなりません。



文学的には、たとえばこれからわるいことが起こるようなときには、大雨の情況を描いたり、突然カラスがガアガア鳴き始めるとか、不吉な予兆を強調するレトリックがあります。

逆に吉兆の前触れだと、晴天だとか、虹がかかるといったようなことですね。

スサノオの場合は、吉兆を伝えるレトリックとして8がもちいられたのではないか、というのがわたしの推測です。



さて、ヤマタノオロチの腹から出た剣は、アマテラスに献上したとあります。

これはつまり、

「わたしにはアマテラスを困らせるような二心はなかったのです。出雲に帰ってきてしまいましたが、出雲の山の抵抗勢力を討伐したことで、大山祇命とも親族となり、あたらしい製鉄法によってわたしが製鉄利権を統一しました。ニニギノミコトの件については申し訳なかったが、どうか友好の証にこの剣を受け取っていただきたい」

ということでしょう。



スサノオから高千穂に話を戻します。

周辺の国々を制圧した山幸彦が高千穂にやってきました。

ワタツミノカミの後ろ盾も得て、海幸彦の国をも統合した山幸彦は、ニニギノミコトの後継者として認められます。

高千穂の王であることにするため、形式としてコノハナサクヤの子ということになりました。



このとき、卑弥呼(アマテラス)はまだ30代。

卑弥呼は神武天皇をかわいがり、高千穂にいる間は、形式的に神武天皇の妻(吾平津媛)ということにさえなりました。

しかし卑弥呼は神武天皇が15歳くらいになると、ヤマトの地を開拓するように命じ、東遷を見送ったのです。



神武天皇は見事にヤマトの地をおさめました。

卑弥呼は卑弥呼で、九州の地で巫女政治を行っています。

そして230年前後に卑弥呼が死ぬと、巫女がいないことで世が乱れてきたため、ヤマトの地にあらたな巫女として倭迹迹日百襲姫命(卑弥呼の後継者である壱与)が立てられます。



ここにきて、出雲にイザナミ、高千穂に卑弥呼、そしてヤマトに倭迹迹日百襲姫命、という結びつきが出てきました。

ちなみに神話におけるアマテラスは「道教(ツクヨミ)と共にある巫女」という意味で、高千穂の卑弥呼とヤマトの壱与の両方を掛け持ちする形になります。



ところで、吾平津媛(アヒラツヒメ)については情報が少ないのですが、東遷する際に神武天皇を見送ったとあります。

わたしはこの吾平津媛が卑弥呼だったと考えて、この話を組み立てました。



中国の歴史書では卑弥呼について「年既に長大なるも夫婿無し」とあります。

これはそもそも卑弥呼は独身ですが、すでに形式上の結婚状態だった神武天皇の東遷も見送っており、50代前後だったということでしょう。



卑弥呼の後継者の壱与は、卑弥呼の宗女(同族=親族)だったといいます。

欠史八代はほとんど存在しないと考えると、吾平津媛の義理の姪っ子が倭迹迹日百襲姫命になりますから、壱与との関係のつじつまも合います。



さきほど、倭迹迹日百襲姫命の結婚の伝説について書きました。

わたしは最初、大物主と倭迹迹日百襲姫命の結婚の伝説を読んだとき、老いた卑弥呼と老いた大物主の恋の話だと、これは成立しないんじゃないかとおもいました。

箸墓古墳がつくられたのが230~250年あたりですが、そうすると卑弥呼はどう若く見積もっても70~90代の最晩年なんです。

夜に逢瀬を重ねて、大物主の正体をみた卑弥呼が悲鳴を上げて破局する……。

いくらなんでも、卑弥呼の年齢を考えるとナンセンスではないでしょうか。

しかしここを、壱与として考えると、がぜんリアリティが出てくるのです。



また想像を広げましょう。

卑弥呼が亡くなります。

あるいはこのときすでに神武天皇も亡くなっており、ヤマト王権は内部分裂するようなかたちで複数の王が並び立っていたのかもしれません。

そう考えると、欠史八代はこの時期に王が乱立したことをあらわしているようにもおもえます。

また「卑弥呼が亡くなった後に国中に不服が巻き起こり、殺し合いが起きた」という中国の歴史書の説明にもなります。



大混乱の末、ヤマトに倭迹迹日百襲姫命(壱与)が立てられました。

このときに卑弥呼の死を弔う意味と、壱与の誕生を祝う意味で、ヤマトに箸墓古墳が建造されました。

このおかげで混乱はいったんおさまります。



そして若い壱与が老いた大物主と結婚することになりました。

もちろん政略結婚です。



大物主は三輪山の製鉄集団の頭で、娘を神武天皇に嫁がせて、出雲とも太いパイプを持つ、まさに中つ国全土の大物であり、フィクサーでした。

神話では大国主や崇神天皇の夢枕に立って、ああしろこうしろと指図する話が残っていますが、かれらが大物主のいうことを聞くくらいですから、いわゆるキングメーカーでもあったのでしょう。

大山祇命もそうでしたが、やはり当時の製鉄集団は絶大な権力をもっていたと考えられます。



しかしこのあとはご存じのとおりです。

何度か夜の逢瀬を重ねはしたものの、いざ顔をみたいと壱与がせがむと、大物主はもう髪も歯もすっかり抜け落ちた老人でした。

壱与はあまりのショックに、おもわず悲鳴をあげてしまいました。

大物主は表面的には恥じ入った様子をみせましたが、内心はメンツ丸つぶれにされてハラワタが煮えくり返り、ヤマト王権の必死の説得にも応じず、三輪山へ帰ってしまいました。



壱与と大物主の結婚は、政治的に重大な意味があったのです。

このころ、出雲国もかなり勢いが衰えていて、ヤマト王権に平らげられるのも時間の問題でした。

しかしヤマト王権ではすでに神武天皇も卑弥呼もおらず、新たに立った崇神天皇もまだ若い。

さらに壱与と大物主の結婚が破談になり、ヤマト側が混乱に陥ったため、首の皮一枚つながります。



神話では、少彦名がいなくなったあとの大国主が国家運営に悩んだとき、夢枕に大物主があらわれて、わたしを三輪山にまつればうまく国づくりができるだろうと言いました。

そしてそのようにすると実際、国づくりを為すことができたといいます。

これは、大物主が壱与と破局してくれたおかげで、出雲は難を逃れたということかもしれません。

あるいは出雲側と大物主の間で、陰謀めいた政治的策略があった可能性もあります。



いずれにせよ、決して私情を持ち込んではならない、ヤマト王権の政局を決定づける縁談でした。

壱与はじぶんのしでかしたことの重さに耐えきれず、自殺しました。

箸が陰部に刺さって死んだということですが、これはもしかしたら、すでにおなかに大山祇命との子供を身ごもっていたのかもしれません。

壱与が死んだことで、巫女による鬼道政治も断絶しました。



もともと、巫女による政治はイザナギが好んだ政治手法です。

崇神天皇の御代になると、もはや占いに頼って政治をする必要はないと考えたのかもしれません。

実際、崇神天皇は御肇国天皇(ハツクニシラススメラミコト)といわれますが、これははじめてこの国を統治したという尊称で、巫女に頼らなくても抜群の政治センスがあったようです。



壱与の死後、ヤマト王権はかねてから計画していた四道将軍の各地への派遣を急ぎ、実行します。

四道将軍は短期間で各地を平定しましたが、出雲の一帯は支配することができませんでした。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%...



しかし結局その後、崇神天皇は武力で出雲を平定してしまうのです。

日本書紀に「振根の事件」のエピソードがあります。



出雲族の神宝を管理していた出雲振根が筑紫の国へ行った留守の間に、ヤマト王権から使者がきました。

崇神天皇が「出雲の神宝を見たい」といったことを告げると、出雲振根の弟たちは、あろうことから出雲の神宝を差し出してしまったのです。

これは言い換えれば、天皇家が他者に三種の神器を渡してしまうようなものでした。



筑紫の国から帰ってきた出雲振根は激怒して、弟たちを謀略によって斬り殺してしまいます。

ヤマトにいた崇神天皇はこの話を聞くと、今度は使いを出して、出雲振根を殺してしまいました。

そして出雲はヤマト王権によって平定されたとあります。



これは実際には直接的な戦争だったとおもうのですが、いずれにせよ出雲国は崩壊しました。

しかしじつは、出雲国が衰退したころから、すでに多数の同族が国を抜け出して、関東に支配権を広げていたんです。

この関東の出雲族が氷川神社につながってきます。



ところで、国譲り神話はいつの出来事だったのでしょう。

日本書紀では、ニニギノミコトが降臨するよりも前に、神々が大国主に葦原中つ国の統治権を譲るように談判したとあります。

大国主は紆余曲折の末、出雲大社の建造と引き換えに国譲りに応じます。



しかし、この話はおかしいのです。

出雲がニニギノミコトの即位以前に帰順していたとなると、「振根の事件」が崇神天皇の御代に起こったこととの整合性がとれません。

それに、スサノオの子が大国主であれば、少なくとも大国主の登場はヤマタノオロチ討伐以降ということになります。

大国主の夢枕に大物主が立ったのは、壱与がいたころです。

つまり大国主は、西暦200年以降に(少彦名との二頭で)出雲を統治していた王なのでしょう。

みんな言葉を濁すところなのだとおもいますが、記紀の国譲りは、神武天皇の東遷を正当化するために、神代に起こったこととして記された可能性があります。



余談ですが、どうも出雲の国譲りの問題には込み入ったものが多いですね。

戦後でも出雲の国造家の末裔という人がいて、かれらはしばしば、異様なほどの熱情でこの時代の出来事を語るのです。

ギズモさんも紹介しておられましたが、司馬さんの『司馬遼太郎が考えたこと』の1巻に「生きている出雲王朝」というエッセイが収められています。



ふだんは地方新聞社で働く一紳士であるW氏が、司馬さんを前に「いまでこそ新聞記者をしているが、私が当主であるW家は、出雲大社の社家である」と切り出します。

司馬さんいわく、かれは狂人ではないが、故郷である出雲に話が及ぶと、よほどはげしいおもいに駆られるらしく、一種の憑依状態になり、やや正常性を失って小陰謀めいた話をするそうです。

そのようすが司馬さんの好奇心を刺激したらしく、出雲についてのエッセイが展開されていきます。



このエッセイは1961年に書かれたものでしたが、わたしが物部について調べているときにも、インターネットのブログなどで、異様に込み入った出雲系の歴史を語る人々がいることに気づきました。

かれらの物語は、きわめて精緻な論理性で組み上げられているのに、途中からおかしな方向に話が進んでいくため、わたしもやはり「やや正常性を失って小陰謀めいた話」におもえます。



話を戻しましょう。

物部氏(経津主)と中臣氏(武甕槌)は出雲に国譲りを迫った氏族です。

崇神天皇が出雲を平定する前後に、多くの出雲族が関東へ流出しましたが、このふたりの氏族は関東でも、北は茨城の鹿島神宮(武甕槌大神)、南は千葉の香取神宮(経津主大神)で、挟み込むようにして封じました。

このような神社の配置を見ると、もしかしたら出雲族は新天地を求めて関東へ行ったというより、出雲族に関東を開拓させようというヤマト王権側の意図があって誘導されたのかもしれません。



以前調べたとき、氷川神社やその他関東の出雲族の系譜に、なぜか製鉄集団としての記録がないのが不思議でした。

祭神はスサノオですし、神話としてはヤマタノオロチ伝説からの斐伊川から、氷川になっていますよね。

しかし氷川信仰ではこのスサノオ神話から製鉄集団というメタファーが抜け落ちていて、荒川一帯の水神をあがめたというだけです。

実際、氷川神社の周辺をみても、鉄鉱山になりうる山がありません。



もしかしたら、関東の出雲族からは製鉄利権が奪われていたのかもしれません。

ヤマト王権からすると、手つかずの関東をあらたに開拓する余裕はないので、出雲族に開拓させたい思惑もありました。

当時の无邪志(むざし)、胸刺(むなさし/むさし)、知々夫(ちちぶ)の三国はみな出雲国造系が統治しました。

しかし武器利権を持たせたりはせず、小規模な自治を許すにとどめたのではないでしょうか。

イヤな解釈をすると、出雲国がヤマト王権に征服されたため、出雲族が関東に強制連行されたのではないか、という気さえします。



それはともかく、645年に大化の改新が起こると、関東の三国がひとつに統一されました。

その後8世紀に入ると、「武蔵国」という言葉があてられるようになります。



平安時代になると関東にいた農民たちが平氏や源氏と結びついて武士として台頭し、朝廷の脅威となりました。

この農民たちの多くは出雲族の出自だったはずです。



その後、朝廷を守護するという名目で鎌倉が幕府を開き、実質的な政治権力を手にしました。

さらに足利尊氏の時代には、既存の朝廷を大覚寺統(南朝)とし、みずからは持明院統(北朝)としてあらたに天皇を擁立します。

いわゆる南北朝時代ですね。



南北朝は半世紀以上にわたる敵対を続けましたが、最終的に南朝が北朝に譲位するかたちで、朝廷がひとつにまとまりました。

つまり、北朝が勝ったわけです。



イザナギ・イザナミが国づくりをした、日本のスタート地点ともいえる出雲でしたが、3世紀後半にはヤマト王権に帰順。

出雲から逃れた者たちも関東で苦しい開拓者となり、朝廷に抑圧されながら何世代も過ごしました。

しかしかれらが時を経て武士となり、室町時代にあらたな天皇を擁立し、その皇統が現代までつながるのです。

考えようによっては、出雲国は滅んだものの、出雲族は1000年かけて葦原中つ国を平定した覇者だったのかもしれません。



……。



さて、ほんとうに長い記事にお付き合いいただきました。

おそらくこれが、わたしの古代に対する見方の総まとめになるとおもいます。

スサノオのくだりは、じぶんでも物語を組み立てていくうちに、こんなパズルのピースのハマり方をするのかとおどろきながら書いていました。



最後に、河上哮ヶ峰(いかるがのみね)ですが、奈良の斑鳩との関係はわかりません。

しかし、ニニギノミコトが物部氏のご祭神だったことを考えると、物部氏を打倒したとされる聖徳太子と斑鳩が結びつくのは、どこか因縁を感じるところではあります。

あるいは物部氏を打倒したことで、蘇我氏が物部氏のルーツともいえる生駒の「いかるが」を奪って、聖徳太子と結びつけたのではないか。

もしそんな話だったら、ずいぶんいかがわしいですね(笑)



いよいよ年の瀬が迫ってきました。

こちらは、凍てるほど寒くなったかとおもうと、不思議にあたたかくなったりで、体調のリズムがなんだかおかしな感じです。

お互い体調管理に気を付けて過ごしましょうね。

2025年5月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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ナウルのお話は知りませんでしたが、とても興味を持ちました。

アホウドリの糞が化石化してリン鉱石の島になったおかげで世界一裕福な国となり、それがわずか20年ほどで枯渇し、あっという間に貧しい国となってしまったという経緯には、驚くばかりです。

東京オリンピックの時、選手は2~3人、パリオリンピックではたったひとりでしたが、ナウルの国歌はとても日本人好みの素敵な曲(歌)だと思いました。

オーストラリア軍楽隊長(イギリス人)の作曲です。

ナウル語と日本語の母音の構成が似ているらしく、日本語で歌っている?と思わせますし、旋律も、日本に伝わってきた昔の唱歌のような趣があります。



ネイティブアメリカンの言い伝えなのか、サン・テグジュペリのオリジナルなのか、はっきりしないそうですが、

地球は先祖から受け継いでいるのではない、子どもたちから借りたものだ(You do not inherit the earth from your ancestors, you borrow it from your children.)

という言葉があると、最近知りました。

同じくネイティブアメリカンの言い伝えに、

どんなことでも7世代先(セブンス・ジェネレーション)のことを考えて決めなくてはならない

というのもあるそうですね。

現代の地球に住む人間は、それらの格言をどう受け止めているのでしょう。

農園主さんが書いていらっしゃる、
「でもいつか科学技術の発展によって、環境破壊から環境再生優位となり、永続性のある人間社会が訪れることを、一縷の希望としています。」

永続性のある人間社会が、決して当たり前のことではなかったんだと気づかされました。ありがとうございます。



Wさんのお話ですが、さぞ驚かれたことと思います。

その部屋にいらした他の誰かの顔が、なんらかの反射で映り込んでいたとか、カラオケの画面がたまたま写っただけではないかとか、いろいろと科学的に考えてみて、やはり霊現象にしか思えないとのことなのでしょう。

写っていた霊の影響でWさんがうつになったのか、仕事などのストレスからうつになり、その弱くなった心につけ込んだ霊がついてしまったのか、どちらなのかはわかりませんが、前向きに???考えると、「たまたまその部屋にいたのが、たまたまWさんの横に写った」ということもありますね。

なんでも心霊現象と結びつける気はありませんが、やっぱり不思議なことはあるものです。

よけいなおせっかいですが、その写真、削除しましたか?

もう使っていらっしゃらない携帯ならいいのですが、もしSDカードなどで移行し、お手元にあるなら、削除なさってくださいね。

紙の写真なら、お塩を振って焼くのがベスト(焼き魚みたいですね(笑))なのですが、データは削除できるならしたほうがいいかと思いました。



うつというのは、当人が苦しんでいても周りからそう見られなかったり、理解されなかったり、また本人でさえよくわかっていないケースもあるように思います。

高齢者施設で(元気な人しか来館できない施設)、ずいぶん前から私の講座に熱心に出てくださる男性がいます。

恐らく70歳近いはずですが、昨年ぱったりと来なくなりました。

しばらくしていらした時、「ここが(と頭を指さして)ちょっと。入院していました」とおっしゃいました。

てっきり脳溢血や脳梗塞だと思っていたのですが、その後も、講座を申し込んでもすぐキャンセルすることが続いていました。

先日少しお話する時間があり、立ち話をしました。

「外へ出ないと家から出られなくなっちゃうんだよね、だから出るようにしてるんだけど」とおっしゃったので、「無理しないようになさってくださいね。講座は出られる時に出てくださればいいんですよ」という意味のことを話しました。

すると「そういわれるとプレッシャーがかかっちゃうんだよね」とおっしゃるので、「ごめんなさい、そんな意味で言ったのではないんです」と言ったのですが、「それはわかってるけど、裏の意味を考えちゃうんだよね」と。

その時、「ああ、もしかしたら、精神的な問題で入院していたのかもしれない」と思い当たりました。

本当のことはわかりませんが、もしそういったことだとすると、言葉を慎重に選ばないといけないと反省しました。

でも、私が「裏の意味」をまったく含んでいないのに、その方の受け止め方は違う(時がある)かもしれないと思うと、会話自体しないほうが無難という考えになってしまいそうで、それもなんだかなぁと。

難しいですね・・・・。



いつ頃からだったのか忘れましたが、「半夏生だからタコを食べましょう」というようなPOPが、スーパーの魚売り場で見られるようになりました。

そのあたりになると、タコは高くなりますが(笑)

この風習は関西からだったとは知りませんでした。

恵方巻も関西の風習だったそうですが、なぜか2000年にセブンイレブンが大々的に広め、こちらでも当たり前の行事となっています。

チェーン店のお寿司屋さんでは、通常の営業を縮小し、ひたすら恵方巻を作って売るという一日になっていて、それはもう上を下への大騒ぎの日となります(笑)

恵方巻の中身も年々進化し、実にバラエティーに富んでいますが、タコも恵方巻も、離れた地域で定着していくというのは、おもしろいです。

半夏生餅というのがあるんですね。

ご存じかもしれませんが「水無月」という和菓子があり、これは京都発祥で、6月30日の夏越の祓に食べる行事食なのだそうですが、こちらでは、デパートの和菓子屋さんで、6月30日の一日限りや、その前の1週間ほどしか販売しないという、困った和菓子です(笑)

昨年はうっかり買い損ね、しかたなく虎屋で買ったらまずいのなんの(笑)

俵屋吉富という京都のお店が、東京の西武百貨店に入っていて、驚くほどおいしかったのですが、お店によってまったく味が違うんですね。

因みに俵屋吉富は、なぜか東京の百貨店から撤退してしまいました。



旧約聖書の時代からはるかに時は経ちましたが、文明の進歩はしても、人間としては進歩しないものなのかもしれません。

また、愚かであるのが人間なんだとも言えるのでしょうね。

中学生の時だったと思いますが、浅草の映画館で『十戒』を観ました。

祖父母と浅草寺にお参りに行った(連れていかれた)帰りでしたが、もちろんリバイバルです(笑)

祖父母が観たかったので付き合わされたのでしょうが、興味もなかったため、タイトルすらすぐに忘れてしまいました。

しばらくして学校で国語の教師が、授業中に「十戒の映画を観た人いるか?」と聞きましたが、誰も手をあげませんでした。

なぜこの質問が出たのかすっかり忘れましたが、先生が観て感動したからかもしれません。

下校後、「あれ?この前観た映画、十戒っていわなかったっけ?」と思いましたが手遅れでしたね(笑)

ずいぶん経ってから、チャールトン・ヘストン、ユル・ブリンナーなど、豪華キャストのスペクタクル映画だったことを知りました。

海が割れるシーンとシナイ山のシーンは、印象に残っています。

あれ以来観ていないのですが、いずれ機会があれば amazon primeで観たいと思っています←今度はちゃんと観ます!!(笑)



それにしても、例えば木を切って生活に役立つ道具を作るとか、木や動物の骨から楽器を作るとか、古代から人間は発明家だったのだなと驚きますが、鉄鉱石や石灰山、リン鉱石の採掘など、その資源から何を作れるかと思いつくとは、奇跡的な知恵のように思えます。



昨日から近所のスーパーで、「三重県フェア」が始まったので、さっき行ってきました。

物産展は、北海道や京都、北陸、東北、九州などはよく開催されますが、三重県単独というのは珍しいです。

農園主さんがよくご存じの品物ばかりかと思います。

真珠、伊勢うどん、お酒、御福餅、じゃばら、九鬼の胡麻油(出展者の方に、九鬼の水軍の関連の会社ですか?と聞いたら、そうですと仰ってました)、あおさ、伊勢のひりょうず、珍しいのはマンボウのナゲット、etc.etc.、かなりの数のお店が出店していました。

おかげ犬というキャラクターもあるんですね。マスコットや手ぬぐいなど売っていました。

組子のコースター作りを体験できるコーナーもありました。

おかげ横丁あたりの、神具店が出店していたらと思いましたが、なかったので残念でした(笑)

2025年4月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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わざわざごていねいに、ありがとうございますm(_ _"m)

大変お気遣いをさせてしまい、本当に申し訳なく思います。

薬のせいでうつが起きたことは、No.1601のお返事の時に、書かせていただくつもりでした。

引用してくださった「薬剤惹起性うつ病」という名前は知らなかったので、とても参考になりました。
ありがとうございます!!

夫源病のことは、誤解はしませんのでだいじょうぶです。
まぁ、当たらずとも遠からず的な話ですので(笑)

長年のおつきあいですので、お気持ちはよくわかっているつもりです。

それより、ここでのやり取りで農園主さんがストレスを抱えてしまったら大変ですので、いっさいのお気遣いはなさらないよう、そして、いつもお返事は無理のないペースでお願いしたいです(^_^;)
ご体調と、現在のお仕事の忙しさもわかっていますので。

えっと、ざっくばらんに言わせていただけたら、「農園主さん、気を遣いすぎです」(笑)
胃が痛くなりますよ(^_^;)

追記 引用してくださった一覧に、H2ブロッカーではないと言われたので、昨年逆流性食道炎の時に飲んで、軽いうつとひどいめまいを起こした「ランソプラゾール」も書かれていました。
この薬の事は、お返事にも書くつもりで下書きに保存してありまし(訂正)たが、これもうつが起きることにちょっと驚きました。
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前回の記事で一部訂正とお詫びがあります。

ふと、胃薬とうつ病の関連性を調べていたら、薬剤惹起性うつ病という名前を目にしました。

https://www.takanohara-ch.or.jp/wordpres...

この記事の中にガスターも含まれていました。

いままで薬剤はうつ病を緩和するものばかりだとおもっていて、まさかうつ病を誘発することがあるとはおもっていませんでした。すみませんでした。



もうひとつ、夫源病について書いたのですが、ギズモさんのご家庭に関連させるような意図はない、ということをお伝えしておきます。

杞憂であればいいのですが、どうも誤解を呼びそうな書き方だったな、と反省しています。

ストレスという話題から無軌道に話が広がってしまったのですが、前回はじつはすこし余裕がなくて、書いたことをあまり推敲できずに投稿してしまいました。

いま読み返してみて、返信しづらい内容になってしまっているとおもいました。ほんとうに申し訳ないことです。

2024年12月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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速報で入ったので気になりましたが、何もなくてよかったです。

記事は、お気になさらず、農園主さんのペースでお願いいたします。
どんなお話か、楽しみにしております。

今朝の夢見がとても悪く、夢占いではよくないたぐいのものを、連続で3つほど見てしまいました(笑)

ニトリの、紐を引っ張っればみじん切りにできるという便利なものを、先日テレビで見たのですが、今ある電動より使いやすいと思い買いました。
それをお昼前に洗おうと思い、刃のついたパーツを出したとたん目の覚めるような激痛が!←刃を持ったはずはないのですが・・・。

右手の親指の腹から血がドクドクと!!
スッパリと切れました(笑)

夢占いは当たりました(;^_^A

切れ具合がわからないのですが、決して浅くはないのですぐに皮膚科に行きました。
縫うか縫わないかはどちらでも、というあいまいな診断だったので、よ~く考えましたが、土曜、日曜、来週早々に仕事とコンサートが続き、抜糸に行く時間が取れないし、縫った方がひびきそうだったので、抗生剤の軟膏を塗って包帯を巻くという、しごくシンプルな処置になりました。

ピアノは親指を斜めにすればなんとかなるとして、ギターが弾けません。
せっかく「500マイル」を入れたのに・・。と言っても、シンプルなコードのアルペジオだけで、まったくの素人です。

指のケガの連鎖、いつ終わるのでしょう(笑)

わたくしごとで失礼しました(o_ _)o))

堆肥まきでお疲れと思います。
ゆっくりお休みくださいね。
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事故の件、大丈夫です。
お気遣い、ありがとうございます。

ふだんつかわない道路で、うちのあたりはサイレンの音はよく通って、遠いところからでも聞こえるんですが、今回はなにも聞こえませんでした。

成り行きできょうは朝から畑に牛糞堆肥が2トンも届いて、いつもの収穫作業を終えてから、ひたすら畑に堆肥をまいていました(笑)

ところで次の投稿なんですが、6000文字を越えそうなので、また2回に分けることになります💦
どうかご容赦ください。
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今ニュースで、事故のことを放映していました。
直売所にいらっしゃる時に通る道かもしれないと思いましたが、巻き込まれませんでしたか?

2024年11月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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司馬遼太郎の「日本人は均一性を欲する。大多数がやっていることが神聖であり、同時に脅迫である。」という言葉は知りませんでした。

『街道をゆく』に書かれてあるというのですが、読んだことがないので、憶測で話します。

これは現代だと「長いものに巻かれる」とか「同調圧力」という言葉になりますね。

多数派について同調圧力をかける社会は日本に限ったことではないとおもうんですが、そこをあえて司馬さんが「日本人は」と言ったことには注意が必要な気がしました。

この司馬さんの言葉を受けて、今回は雑談をします。

できるだけカンタンに、とおもいつつも、結局ややこしい話になってしまいました。

どうぞゆっくりお読みください(笑)



古い封建主義(王が領主を利用して国を統治するやり方)や、現代でも社会主義国家は、司馬さんのいうところの「均一性」で国を統治しようとするんですね。

社会主義国家は個人主義や民主主義を認めていないので、どうしても全体主義的な、衆人環視による同調圧力で国を支配しようとします。

その点、日本は主義があいまいな国なんです。

鎌倉時代から江戸時代までの日本は、封建主義ですね。

封建主義とは、殿様(王様)がいて、領主がいて、領民がいるという関係です。

殿様は領主にその地を治める自由を与えますが、上納金を要求しますし、国の有事には命を差し出せと迫ります。

領主は領民から好きなだけ税をとることができますが、殿様には逆らえません。

この時代の領民は「均一」でした。

発言権もなにもなく、ただ決められた税をおさめ、必要になれば戦争に駆り出されるだけで、自我らしい自我も認められない、極めて均一な存在です。

先日、実存主義について書きましたが、この時代のほとんどの人は、社会に対してじぶんの実存の喜びを感じるような機会はとても少なかったとおもいます。



すこし話があっちこっちしますが、つい最近NHKで「アウシュビッツ証言者はなぜ自殺したか」という、30年ほど前の古い番組の再放送をみました。

プリーモ・レーヴィという有名なアウシュビッツ生還者が取り上げられているのですが、かれがこんなことを言っていました。

強制収容所の特徴は人間性を消し去ることにある。
囚人だけではない。
囚人を管理する者たちの人間性も奪いとるのだ。
立場はちがうが、結果は同じになる。
収容所の中で人間性を自覚し得た者はごくわずかだった。


国家社会主義をとっていたナチス政権は、収容所の人間の人間性を強制的に消し去って「均一」にしました。

国家から強要されて、じぶんの実存を抑圧されることがいかに不快なことか。

しかしそういったことは、近代以前では程度の差こそあれ、どの国でも当たり前に行われていたことでもありました。



話を戻します。

では、封建主義の江戸時代が終わり、明治時代からの日本はどうなったのか。

意外かもしれませんが、明治以降、いまに至るまで日本はずっと民主主義でした。

ただ、曲がりなりにもまともに運営できていた民主主義が、太平洋戦争が近づくにつれて、おかしなことになるんです。

軍部が政治中枢に入り込むようになり、どんどん人々の暮らしが統制されて、自由が奪われ、民主主義が恣意的に運用されるようになります。

国民は暴力的な抑圧を受けながら、同時に体制翼賛に熱狂します。

戦中の日本は、いわば「民主主義のバランスが著しく崩れた状態」でした。

ある瞬間には政府によって民主主義がないがしろにされ、ある瞬間には国民によって民主主義が暴走する、という状況だったんです。



戦争中の日本のありようは、「日本帝国主義」といわれます。

この言葉はおなじ悪の枢軸だったドイツやイタリアと比べると、どうにもあいまいです。

ドイツだったら、国家社会主義のナチズム。

イタリアは社会保守主義でファシズム。

どちらも「社会主義」という点が共通しています。

なのに日本は「日本帝国主義」で、方向性がよくわからないんですね。

なぜかというと、日本はたしかに一貫して民主主義だったからなんです。

でも西側諸国からみて、戦中の日本を民主主義と認められるかというと、まあムリですよね(笑)

実際当時の日本は、民主主義国家とはとてもいえない統制社会でした。

だから結局「日本帝国主義」というほかないんです。

ちなみに北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和国」ですよね。

あの国は民主主義国家を標榜しています。

だから、北朝鮮とはどういう国だといわれたら、いちおう「共和制をとる民主主義国家である」ということになります。

けれど、いまの北朝鮮が民主主義的な国であることを信じる人はほとんどいないし、民主主義国家とは呼びたくないでしょう。

北朝鮮のありようは、戦中の日本ととてもよく似ています。



司馬さんは若いころに「均一性を欲する」「大多数がやっていることが神聖」な、統制された日本を体験しています。

それだけに司馬さんにとっては、自由が与えられた戦後の日本のほうがよいとおもっていたことでしょう。

しかし同時に、そうカンタンに日本人が変わるはずがない、ともおもっていたとおもいます。

日本人は長いあいだ、統制されて均一に暮らしていました。

たとえ戦後、民主主義や個人主義を受け入れても、過去から続く民族性はなかなか捨てることができません。

現代日本にも司馬さんは、統制され続けてきた日本人のDNAを感じることがあったとおもいます。

均一性を欲する、大多数がやっていることを神聖なものとする性格に、「日本人は」という主語をくっつけた司馬さんがなにをおもっていたのか、前後の文脈が知りたいので、今度『街道をゆく』を読んでみようとおもいます。



東新町氷川神社ですが、御龍社のミツハノメノカミ、クラオカミノカミは、おっしゃるとおりそれぞれ水神ですね。

特にオカミノカミはヒカワヒメの親ですから、やはり氷川神社との浅からぬ縁を感じます。

御龍社の龍がヤマタノオロチをイメージしているのか、あるいは水神との関連で龍ということになっているのかはわかりませんが、やはり斐伊川の伝説のスサノオが結びついているという縁起はたしかなのだろうとおもいます。



お風呂の件、よかったですね。

世の中はかならず、なにか起こったときには明確な原因があります。

この原因の部分を霊現象のように片付けることはできませんよね。

けれど、人生に起こった出来事に、なんらかのメッセージを感じることはあるとおもうんです。

ぼくはこのメッセージについては、「よくわからないのだけど、耳を傾ける」ようにしています。

たとえばひとりのときに、日常で起きた不満について、相手への文句をぶつぶつ考えていたとします。

そういうときには、なぜか柱に足の小指をぶつけるとか、頭になにかぶつける、ということがよくあるんです(笑)

これは原因としては不注意としかいいようがないんですが、じぶんにはみえない存在からメッセージをもらったとおもうようにして「あ、こういう考え方だとダメだな」と気持ちを切り替えるようにしています。

どうしてもじぶんが間違えていないというときは、「アナタはそういうふうにぼくをたしなめますが、ぼくはどうしてもこういう理由で許せんのですよ」と言い訳を述べたりもします(笑)

ネット周りのトラブルのときはいろいろ物入りだったとおもいますが、その後快適になりましたでしょうか?



寒さがなかなか本格的になりませんが、例年よりずいぶん遅く、ようやくこたつを用意しました。

ところですこしお伺いしますが、ギズモさんは平家物語はご存知ですか?

あと、お漬物であるとか、ナスやミョウガが苦手ということはありませんか?

2024年8月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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『昭和天皇物語』をお読みいただき、いろいろな興味深いお話をたくさん、ありがとうございます。

能條純一さん、ご存じだったんですね。
好みの絵柄とは言えませんが、人物の特徴がわかりやすいので、特に気になることはありませんでした。
女性の顔をふっくらとかわいらしく描いているのは、いいですね。

天皇の位置づけ、天皇に対する思想は、わずか10歳の差でまるっきり違うんですね。
歪んだ、と言っていいのかわかりませんが、思想教育を押しつけられた子どもは、大きくなったときにどんな考え方をしていったのか、気になります。

あの漫画では、満州国について、昭和天皇には事実が伝えられていなかったことが書いてあり、驚きました。
私の今までの認識では、戦争関連・満州国のことは、すべて天皇が知っていて、諸々の決断をしたと思っていたからです。
だからこそ、戦争責任を問われたのだと。

司馬さんと半藤さんの関係、知りませんでした。
教えていただき、ありがとうございます。

司馬さんの苦悩を知った上での半藤さんの昭和史は、単なる昭和の歴史を書くのとは違う、見えない重みがあると思います。


今回もいろいろと教えていただき、ありがとうございました。
あの漫画を読んでいると、軍の話あたりから、まったく聞いたことがない人物が続出しました。
いずれ、半藤さんの昭和史なども、読んでみます。

わたくしごとで恐縮ですが、やっとネット環境が復活しました。
ご心配をいただき、申し訳ありませんでした。

NTTから2台(前は1台)、ソフトバンクから1台送られてきたのですが、ルーターとモデムの接続方法が以前と大きく変わっていて、なかなか大変でした(笑)
そして無事開通後、新しいデスクトップの設定がまたけっこう厄介で(笑)

その後、セキュリティソフト、仕事関連のソフトなどのインストール、USBに入れておいたファイルなどの移し替えに、ずいぶん時間がかかってしまいました。

お母様のパソコンの買い替えに、もう1台必要というお話、とてもよくわかります!!
デスクトップが動かなくなったとき、Microsoftのサポートは電話がなくチャットなので、やっぱり他にパソコンがないとだめなんです。
遠隔サポートもないので、もうどうしようもありませんでした(笑)


今日は台風でかなり荒れる予報でしたが、さほどでもなく、もうじき通り過ぎそうでほっとしています。

ネットが使えなくなったこの一週間ほどは、非日常の連続で、普段と違うところで頭を酷使することがあったり、やらなければならないことができないのによけいな用事が増えたりと、精神的ストレスの多い日々でした。
様々なことが進化しているのにやることが簡素化されず、逆に煩雑になっているということを痛感しました。

まだまだ暑い日がありそうですが、睡眠不足になりませんように。
なんだか、すっかり暑さに慣れたような気がします(笑)

2024年3月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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ずいぶんお忙しそうですので、くれぐれも「スピリチュアルと伝統宗教」をはじめ、返信のお気遣いはないよう、お願いいたします(o_ _)o))

ありがとうございます。
おかげさまで、なぜかセッティングはサクサク進み、声はちゃんと出て、予想外の大盛況でした。
みなさんに喜んでいただけて、本当にホッとしました。


ワンチャンス、その通りですね。
今日は初めてのところでしたので、失敗したら今後はありませんでした。

お天気もよく20度ほどあり、暑いくらいで、素敵な花粉日和でした(笑)

無理せず、身体に気をつけてくださいね。


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ありがとうございます。

ワンチャンスのコンサートですから結果のよしあしはうかがいませんが、きっとどのような結果であれ、コンサートを終えてギズモさんの心の中に前向きなおもいがあることを祈っています。

ぼくはきょうは突然ご近所さんに巻き込まれるかっこうで、しいたけの原木栽培づくりで一日が終わりました。

原木50本以上の作業になりそうで、突然いろいろと仕事が入ってきたので、あしたから天気がもっている間、うちの野菜の種まきも含めて、しばらくバタバタになりそうです。

返信は数日後にまとめて、ということになるとおもいます。
Icon of gizumo
わざわざありがとうございます。
お気になさらず、ゆっくりで<(_ _)>

本日は、ひっさびさのコンサートなのですが、声の調子も万全ではなく、どうなることか(笑)

しかも先方の施設にはろくに機材もないので、普通はマイクだけで済むものが、マイクスタンドや小さいアンプ持参で、セッティングを思うだけで気が遠くなりますが、行ってきます(*^^)v
Icon of nouennushi
すみません、ちょっと書きたいことがうまくまとまらないので、しばらく時間をください。

スピリチュアルと伝統宗教について書いています。

2024年2月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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三日坊主とおもわれるやもしれませんが、ちゃんと続けています。

D-のレベルで50点を中心にたまに60点が出る程度。

このあたりで、これまで「ポチ・ポチ」と独立していたタイピングが、すこしずつ「ポチポチ」とつながった部分も出てくる感じ。

ふだんの入力はまだローマ字で行っていますが、考えている言葉とタイピングの言葉のスピードがリンクしてくるようになれば、ふだんの入力をカナに切り替えようとおもってます。

カナ入力の問題はいくつかありますが、カナだけで入力している人は、英語入力はどうしているのでしょう。

あと記号入力もおぼつかないし、結局このあたりは「ALT+カナ」のキーでローマ字に切り替えてやることになりそうです。

なんか、すごいぞ。
20240216095002-nouennushi.png
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このメタリカのジャンガジャンガのリズム。
どっかで聞いたことある、お祭りのリズムです。



こちらの、「ジャンジャジャジャジャン」のリズム。
こちらは、水戸黄門。

「メタル・アメリカ」で「メタリカ」なんですけど、ファンクのような横ノリが似合うあの国で、なんでああいう日本風のノッペリした縦ノリのニュアンスがウケたのか。

ぼくは民謡もメタルも、なんかノッペリしてて苦手だったんですけどね。

このへん、研究したらおもしろそうです。

2024年1月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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妙義神社の詳しいお話をありがとうございます。
偶像の物語がおまけみたい、というお話、とてもわかりやすいです。

「深い河」は闘病中に書いているので、最後の作品になるという予感もあったかもしれませんね。
リドルストーリー的になったのは、みんな違ってみんないい、ということかもしれませんが、遠藤周作は自分なりの結末があったのだと思います。
日本人にキリスト教というものを広めたことで、カトリック界からその功績を称えられた一方、歪められたキリスト教を書いたと非難もされた遠藤周作ですが、結局は最後まで答えの出ないキリスト教というものを追い続けたのではないかと。

タモリさんのヨーデル話法のことは、ネットで知りました。
コロナで人と話す機会が減少したために、声帯の筋肉が衰え、しっかりした声が出せなくなっている人が世代に関係なくいるので、そのせいかなと思ってもいました。
高齢者の場合は顕著ですが、若くても、歩かなければ筋肉が衰えるのと同様、声帯にも影響がでますが、必ずしもそのせいとも言えません。
コロナ禍では、学校の音楽の時間に「歌う」ことが禁止だったので、子どもにも言えることですし、カラオケ屋がずっと営業休止だったことも遠因のように思います。

ヨーデルは単純に声がひっくり返ればいいというものではなく、地声がまずしっかり出せて、その上で裏声をさらにしっかり出せないと歌えません。
「ひっくり返る(裏返る)」のは、偶然の現象であって、歌唱とは異なります。
現代の歌手は、正式なボイストレーニングを受けていないのではないかと思えるほど、地に足がついた歌唱ができていません。
かなり厳しい見方かもしれませんが、歌唱力よりアイドル性が重視されているように思います。

ウイリー沖山の「山の人気者」は日本で大ヒットしましたが、あの歌唱力でさえ、スイスのヨーデルにはかなわないと思います。
それは、歌唱力の問題ではなく、外国人が日本の民謡をどんなにうまく歌っても、日本人の歌う民謡とは違いがあるのと同じかもしれません。

最近の歌手は、ミックスボイスというおかしな歌唱法で歌う(歌わされる)人が多く、それがトレンドのようになっていますが、その歌い方もしっかりできていないために、「声がひっくり返った感」が目立ってしまうように感じます。
あの歌い方がかっこいい、と思って歌っているのでしょうから、文句を言う筋合いでもないのですが(笑)

偉そうなことを言いましたが、ボイストレーニングを教える立場でありながら、ヨーデルをちゃんとは歌えません(笑)
替え歌「焼肉食べ放題」は盛り上がるので歌いたいのですが、私も「運が良ければ声をひっくり返すことがない」程度の歌い方しかできないんです。

いわゆる商業歌手が出てくる前は、歌謡曲(国民歌謡)の流行歌手は、音大出かクラシックの勉強をした人だったのですが(東海林太郎・淡屋のり子などの頃)、それ以降の歌手も、殆どが聴きごたえのある歌唱力の歌い手さんでした。
平成あたりから、どんどん歌手の質が低下しているように思いますが、これも時代なのでしょうね。

2023年12月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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昔の人は(昔とひとくちに言っても、昭和が既にレトロと言われているので、どの時代から昔かわかりませんが)、よく子どもに、
ご飯を残したらバチがあたるとか、嘘をついたらバチがあたる(閻魔さまに舌を抜かれるとも)とか、神仏の名をを利用した「しつけ」をしていた家庭が多かったように思います。
その親たちが特に信心深かったわけではないでしょうが、そう言われて素直に言いつけを守る子どもも多く、それはそれでいい時代だったのかもしれませんね。

農園主さんが書いていらっしゃるエルサレムあたりの話だと思いますが、現地の人を取材した番組を観たことがあります。
安息日に電気を使ったらいけないというので、ネットもご法度、炊飯器などはタイマーにしておくなど、若い人も細かく制限された戒律に従っていて、これをもう少し柔軟にしていくという方向性はないのかな、と思いました。

こういうことを考えると、日本に生まれたことは自由があっていいとは思うのですが、もしかすると現地の人は、生まれる前からの習慣なので、さほど不便、理不尽なことだとは感じていないのかもしれませんね。

下駄の事で、つまらないことを思い出しました。
花魁道中の独特な歩き方は、一種の作法だと思っていたのですが、あのようにしないと下駄が高くて歩けないんだそうです。
私なら、一歩進む前に転ぶでしょう(笑)

餅つき機があるのに、外なら使わないというのは、餅つきはお正月を迎えるための伝統的な行事だからでしょうか。
 (追記)単純に電源の問題??

こういう行事は見るだけでも楽しいものですが、やる方は大変ですよね。
風が強い日となって餅つき機でお餅をついて、おいしいお酒を召し上がってきてくださいね。

今日は、変に暖かい日でした(^^;)
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オーディブル。

まんまことシリーズ。

この作品はすこしずつ主人公たちの結婚が進んでいくんですが、それ以外は謎解きのようになっていて、いわば舞台が江戸の、大人による『ズッコケ三人組』のような感じです。

9巻まであるうちの、7巻『かわたれどき』まで聞いて、さすがにすこし疲れてきました。

1巻10時間ほどあるので、70時間ちょっとは聞いたことになります。

そこで、気分を変えて『木挽町のあだ討ち』を聞くことに。



これはなんとなくうわさでおもしろいということを聞いていて、江戸が舞台であるということ以外、どんな話かさっぱりわからないまま聞いてみました。

つい今しがた聞き終えたんですが、たしかにおもしろい。

芥川龍之介が書いた『藪の中』という作品があります。

これはいまでも「真相は藪の中」なんて言い方をする、そのもとになった作品です。

ある男が死んだ、その真相を知るために、いろんな人から話を聞いていくんですが、みんなそれぞれに証言が食い違っていて、なにがなんだかわからなくなる。

『藪の中』はみんな語り口調で話していく作品なんですが『木挽町のあだ討ち』もおなじやり方で、いろんな人が話をする格好で物語が展開していきます。

真相がどんどんわからなくなっていく短編の『藪の中』の向こうを張って、真相がすこしずつ明らかになって、最終的にすべての伏線がキレイに回収される長編が『木挽町のあだ討ち』といった感じ。

たぶん、作者は『藪の中』を意識してるだろうとおもうんですよね。

ちなみに『木挽町のあだ討ち』はところどころにホロッとくるところがあります。

ひとつ間違うとベタな展開になりがちなところを、こちらの心に浸み込むように伝えてくる技術はすごいとおもいました。



あとこれから、遠藤周作の『沈黙』の朗読があたらしく入ってきたのでこれを聞こうかとおもっていて、さらに半藤一利の語る昭和史と幕末史あたりも聞こうとおもっています。

2か月間で200円の割引セールなんですが、いまだいたい一か月。

ふだんの月額1500円はとても出せませんが、さて、タイムリミットまでにどこまで聞けることでしょう(笑)

#与太話
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今週半ばに、日曜日に餅つきをしようとお誘いがありました。

コロナになってから、自治会のイベントが減ったことで、ご近所さんが有志でやってくれているのです。

集まるのは8人ほど。

屋外の餅つきなんですが、去年からはぼくが鍋の用意を自発的にするようになり、ことしもおなじく鍋の野菜や肉の準備と、あとお酒を買いました。

気をつかわなくていいと言ってもらってるんですが、餅や場所を用意してくださるのがふだん物心両面でお世話になっているご近所さんで、すこしくらい還元させてもらいたくて。

しかしあしたはどうも風が強くなりそうなので、もしかしたらご近所さんの家の中で、餅つき機をつかってやることになるかもしれないとご連絡がありました。

そのほうがラクでよいのは間違いありません(笑)

というわけであしたは一日酒飲みになりそうです。

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庚申信仰は、庚申の日の夜には眠ってはならないというんですよね。

眠ると体内から三尸が出てきて、天帝に告げ口をしてわるいことが起こる(寿命が縮む)というような迷信があるため、人の心が離れてしまったのだろうとおもいます。

むかしはそういった民間信仰でも地域の結びつきにはなっていたのだろうとおもうんですが、この手の罰則をつくるような信仰は長続きしないですね。

生前の行いが死後に裁かれるというような地獄思想が現代になって廃れたのも、罰則だからです。

「〇〇してはならない。これを破ると天罰が下る」というような信仰は、法律がまともに機能していなかった近代以前には一定の効果もあったのかもしれません。

が、法による罰則がしっかり機能する時代になると、罰則は宗教の役割ではなくなります。

それに加えて、庚申信仰は古神道のようにはっきりした教祖もなく、「人間はこう生きるべき」という教義もなくてぼんやりしていたところも、衰退の原因だろうとおもいます。



一本下駄は山登りに便利で修験者が履いていたというんですが、そもそもあれを履きこなすのに修行が必要そうです。

猿田彦も現代風にスパイク長靴くらい履かせてあげればいいのになあ(笑)



信仰の作法の件ですが、先日テレビ番組で宗教者ふたりが対談しているのをみました。

いま起こっているイスラエルの戦争について語っていたんです。

イスラエルの、いま戦争が起こっているガザから東へ80kmほど離れたところに、エルサレムがあります。

エルサレムにはユダヤ教の聖地「嘆きの壁」、キリスト教の聖地「聖墳墓(せいふんぼ)教会」、イスラム教の聖地「岩のドーム」があります。

世界の主要な宗教3つの聖地が、エルサレムに固まっているんですね。

日本人であれば、じぶんの信仰にかかわらず、あんまりむずかしく考えず、嘆きの壁にも聖墳墓教会にも岩のドームにも、観光気分で行くのではないかとおもいます。

でも現地では、じぶんの宗教がユダヤ教なら嘆きの壁にしか行かない。

キリスト教なら聖墳墓教会にしか行かないし、イスラム教なら岩のドームにしか行かないのだそうな。

それぞれ、すぐ近くにあるべつの聖地には見向きもしない。

そういう宗教的な頑固さが、長く続いているイスラエルの戦争の一因ではないかというんですね。



なにが言いたいのかというと、じぶんの信仰に対してあまり頑固になって、よその宗教を受け付けないということをすると、それはやっぱり対立を生んで、いがみあうきっかけになってしまうということです。

キリスト教徒がお焼香をするのは、むしろキリスト教の懐の深さを示すことになるでしょうし……お地蔵さんに柏手を打つのも、その人に信心が備わっていれば問題ないような気がします(笑)

2023年11月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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昆布水!!
知らなかったので検索しました。
塩昆布や昆布茶は塩分が多いので、昆布水はよさそうですね。


あの手の絵柄は、、、苦手です(笑)
ストーリーがよければいいかなと。
時代物の漫画も読みますが、さいとう・たかをさんのように、やはり絵はごつい感じが多いですね。

来年は紫式部ですか。
今調べたら、脚本は大石静さんですね。
確かに序盤が大事ですので、私も最初は見てみようと思います。
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大阪の人が他県の方に贈りものをするときには、昆布を選ぶことが多く、「をぐら昆布」というのが有名どころです。

くらこんの塩昆布のお茶漬けは好物ですが、昆布に花粉症の軽減効果があるのですね。

ぼくはつい最近から昆布水を飲むようになったのですが、来年の春にすこしでも花粉症がラクであればありがたいことです。



信長のシェフ、絵柄だけいま調べてみましたが、ギズモさんは劇画調の絵柄も好みなんですね。

ぼくはここ数年、老眼が進んで漫画をほとんど読んでいないんですが、ザ・シェフはむかしからある漫画だけに知っています。

ぼくも、読みたい漫画も小説もゲームも、うずだかく積みあがっています。



大河ドラマは、去年の「鎌倉殿の13人」はおもしろかったんですが、ことしはひどいものです。

来年は紫式部ですが、序盤をみて続きをみるか決めようとおもいます。
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大阪に行った時、塩昆布の贈答品がとても高いのに驚きました。
大阪は昆布食文化だそうで、老舗の昆布やさんも多いんですね。

以前、塩昆布が花粉症にとてもいいと聞き、スーパーなどにある、大阪の「くらこん」の袋入り塩昆布を切らさず食べています。
それ以来、なんとなくですが、軽くすんでいます。

森見登美彦さんの本は、「夜は短し歩けよ乙女」しか読んでいませんが、他の作品もおもしろそうですね。

最近、完璧な積ん読状態に陥っていて、なかなか新しいものに手がつけられていません。
読書は、毎日夜、布団に入ってからという習慣があるのですが、ここ1年くらいは電子書籍のマンガばかり読んでいて、
買った本はほとんど本棚に並べてあるだけ、ということになっています。

最近ハマっているのは「信長のシェフ」(「仁」みたいに、平成のシェフが信長の時代にワープして歴史を変える話で、まだ連載中)など、
日本や中国などの歴史が絡んだものが多いのですが、剣名舞の「ザ・シェフ」も無料であったので、全巻読んでしまいました。

歴史と言えば、最近のNHKの大河ドラマは、訳の分からないストーリーになっている傾向があるので、うっかりすると歴史を間違って覚えてしまいそうです。
きちんと知った上で見れば、それはそれでおもしろいのかもしれませんが、ちょっとイライラするのでずいぶん長いこと見ていません(笑)
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森見登美彦さんがここ数年、目立った活動をしていないのが気になります。

いま、有頂天家族のアニメをみているのですが、小説同様おもしろい。

小説よりも、ドラマ的な演出があるのもよいです。

三部作になる予定とのことで、もう三巻目が出ているのではないかとおもったんですが、どうやらまだの模様。
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1007
おぼろ昆布ととろろ昆布はモノがちがうんですね。
とろろ昆布のつもりでおぼろ昆布といっていました(笑)

教えていただいてありがとうございます。

おうどんに入れるとろろ昆布でじゅうぶんおいしかったです。


お寿司を紅白にして彩るのはいいですね。
そう考えるとまぐろのお寿司というのは、味のよさで人気なのかとおもっていましたが、紅白という意味でも喜ばれていたのかとおもいました。

酢飯をケチャップで味付けするのはよいですね。酢飯を赤くして、白い具材というのは、いかにも縁起がよさそうです。



はじめ、という言葉はどちらも最初という意味なんですが、最初の行動がその先に継続していく場合は「始め」で、最初の行動そのものを表現する場合は「初め」になるんですよね。

「書き始め」と「書き初め」でイメージするとわかりやすいかもしれません。
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おぼろ昆布は、お吸い物に入れるとろろ昆布と同じ?と思い、調べてみました。
同じ物で、言い方が違うのかな、と。
削り方が違うんですね。
おぼろ昆布は、見たことがないかもしれません。
今度、気をつけて探してみます。


まず具材を考え、さらにひと工夫加えていることに驚きます。
甘酢のカブとナゲット、素晴らしいセンスだと思います。
なかなか考えつかない組み合わせです。

ナゲットから思いついたのですが、酢飯にケチャップを混ぜ、赤いご飯にして卵焼きなどを乗せたら、白いご飯と紅白になっておもしろいかなと。
炒めてしまうと、容器がベタベタしてしまうので混ぜるだけで。
サラダチキンとも合いそうです。

前のコメントで、
「江戸城始め、日本中の何ヶ所かの天守閣~」と書きましたが、気になって調べてみました。
「~~を初め」は間違いで、「~~を始め」を使うのが正しいと思い込んでいたのですが、「始め」も間違ってはいないけれど、最近はひらがなが一般的とされているんですね。
言語は進化するので、時々確認しないと恥をかくことになります(笑)
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1004
決して深くも広くもないですし、ぼくには世に出る才能もないのですけど、都市部であれこれ遊んで、いま一人扶持の農民をしているというのは、ちょっとめずらしい人生かもしれません。

お寿司、海老とカニカマがお好きなんですね。

じぶんでつくれば、安上がりでじぶんの好きなお寿司を好きなだけ食べられるのはうれしいことです。

ぼくはお刺身の代わりになるお寿司の具材がないものかとおもっていますが、この前試しに冷凍のチキンナゲットを揚げたものと、カブの甘酢漬けを巻いたものをお寿司に乗っけたら、これが不思議とおいしくて。

それで、きのうサラダチキンをつくって同様に試してみたら、これは60点くらいでした。
もうひと工夫すると化けそうな気もします。

なんとなくおぼろ昆布を巻いてみただけのお寿司を試してみたら、こんな単純なものが不思議とおいしかったのにはおどろきました。

やってみるまでさっぱりわからないものです。

2023年10月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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次元大介という、Amazonでつくってるドラマ映画をみました。

個人的には、想像していたよりはおもしろかったです。

どう考えたって、映像化するにはハードルが高いので、駄作だったときの心の準備をしていたんですが、B級映画的な割り切りがあったことに好感がもてたし、演者が作品を支える形でうまく作用していました。

燃えよドラゴンのオマージュのような一幕があったり、永瀬正敏の役柄に、ルパン三世に出てきた敵の白乾児(パイカル)をおもいだしたり、全体的に荒唐無稽な世界観ですが、モンキーパンチっぽいダークな雰囲気はあったとおもいます。

久しぶりに型通りのパターンにはまったアクションがみられたのもよかった。

ただ、ぼくはたまたまハマりましたが、人を選ぶ作品ではあるとおもいます。
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SNSをしてたとき、ぼくはほとんどの発信に、いいねがついたりはしても、返信はなかったんですよね。

いいねは、うるさいだけで、あんまりいいものじゃなかったです。
いいねを押す側は回覧板に印鑑押すような感覚なんですが、受け取る側はそうじゃないですよね。

ああいうことでじぶんの承認欲求を満たすというのは……たぶん満たせないんですよ。

むしろ心に競争が生まれて、苦しみのもとになる。

たとえば1万のいいねが毎回つくような人は、それが5000になると苦しむわけで。

でもふだん100ほどのいいねをもらってる人の中には、5000もいいねがつくなんて! といってうらやましがる人もいるかもしれない。

そこにあるのは結局数字であって、だれもそこに、いいねとおもってくれたひとりひとりをおもいうかべることはしません。
(というか、できない)

戦争で「〇万人の死者が出ました」というとき、亡くなったひとりひとりの尊い人生を追いかける人はほとんどいません。

〇万人という数字が、相対的に多いか少ないか。その数字で悲劇の総量を決めてしまう。

そういう状況下では、10の死者が出たときに「10人ですんだのか」とすらおもってしまうようになる。

かといって、われわれは死者の、ひとりひとりの人生をすべて受け止めることはできないし、結局は数であらわすほかないんですけどね。



だから、あんまりこういうサイトでも、アクセス解析なんてのはないほうがいいんだとおもってます。

だれが「何人来たのか」なんてことをやったところで、べつに商業的な効果を狙うサイトでもなし、分析する意味がありません。

それどころか、やっぱり満たされぬ承認欲求に苦しめられるだけですから、ひとりで書きたいことを書いてるのがいいとおもう。



この考え方は、たぶん少数派だとおもいます。

いや、「おもいます」じゃないな。

少数派である、と自信をもって言えます。

なぜなら、ネットでなにかを発信してるほとんどの人は、ぼくのようにひとりで書きものを楽しむなんてことはせず、SNSをやってるのだから(笑)

#与太話

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