2023年12月の投稿[82件]
2023年12月31日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
2023年12月29日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
2023年12月27日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
ボケ防止にもなる、という大義名分で楽しんでいます(笑)
お父さま、ご病気だったんですね。
病み上がりということは、今は落ち着いているのでしょうがご心配ですね。
病気は、本人はもちろん大変ですが、ご家族のご心労も並大抵ではないと思います。
お父さまのご本復を心よりお祈りいたします。
しばらく読ませていただくことに専念しますね(^^♪
では、また来年もよろしくお願いいたします(*^^*)
いまはピグパズルというゲームがあるんですね。
もうゲームの名前は忘れましたが、アメーバはずいぶんむかしに、畑を耕したり部屋を彩ったりするような箱庭ゲームをやってました。
もう10年くらい前だとおもいますが、しばらく遊んでからアメーバは退会して、その後そのゲームサービスもなくなったと聞きました。
麻雀もずいぶん長いことしていません。
大学時代には付き合いで実際の麻雀をしたり、ゲームの麻雀(プレイステーションの「麻雀幼稚園たまご組」)をたのしんでいました。
符の計算ができないので、点数計算はいつも他人任せ、ゲーム任せで、牌を積むのも苦手な素人でしたが、麻雀というゲーム自体は大好きです。
でも実際の人とネットで対戦するのは、なんだか気乗りがしなくて……とおもってるうちにずいぶんご無沙汰になっています。
ポケモンGOも発売時にほんの少しだけ遊んで、なんだかなじまなくてすぐにやめました。
あれは田舎だとまともに遊べないゲームなんです(笑)
むかしWiiというゲーム機があって、Wii Fitという、体重計のようなコントローラー(実際ゲーム中に体重計としてもつかえます)で、フィットネスができるゲームがあったんです。
あれはひとりでやってると一か月くらいで飽きますが、eスポーツのようにみんなで決まった時間取り組むというようなことであれば続けられるでしょうし、けっこういい運動にもなるとおもいました。
あしたからしばらく、パソコンをつかわないので発信はかなりひかえめになるとおもいます。
こちらからは発信をするつもりですが、スマホの入力は苦手なので、こちらに帰ってくるまでは返信できないとおもいます。
父が病み上がりなので、いつもよりはひかえめなお正月になりそうですが、ひさしぶりに家族で顔をあわせる貴重な機会ですから、楽しみです。
ことしは夏はたいへんな日照りでしたが、秋冬は安定していて、特に雪に関しては年末年始は心配がなさそうでホッとしています。
こちらこそ本年はどうもありがとうございました。
来年もギズモさんにとってよい年になりますよう、お祈りいたします。
まだプライムビデオでみられるようです。
なんだかアクション映画のようなタイトルですが、さにあらず。
舞台は西部劇の時代のアメリカ西部ですから、じゃあ西部劇なのかというとそうでもない。
徹底したヒューマン映画です。
トミー・リー・ジョーンズが監督と脚本と主演を務めた作品で、おなじく主演女優にヒラリー・スワンク、ちょい役にメリル・ストリープが出ていたりと、そうそうたる顔ぶれ。
どういう映画かというと、アメリカという国の精神性・倫理性を暴いています。
作品の舞台である19世紀のアメリカは開拓時代で、白人たちが東海岸からアングロアメリカを広げていこうとする真っ最中です。
東部はすでに安定していましたが、ミズーリ川をへだてて西部はまだまだゴールドラッシュで、法整備も追い付かず、お金の価値も安定していない危険地帯です。
弱肉強食というか、みんな一攫千金を夢見て、女性の人権意識なんて存在しないも同然。
西部ネブラスカで農業をしながら敬虔に、堅実に暮らしていたメアリー・ビー・カディ(ヒラリー・スワンク)は、あるとき西部の厳しい暮らしに心が壊れてしまった3人の女性を、ミズーリ川を越えた東部のアイオワの教会に届けるという役目をみずからうけおいます。
道中、原住民に襲われたり、砂漠の狼に食われるかもしれない過酷な旅で、本来は男でなければできない役目なのですが、ほかの男どもはみな腰が引けている……もっといえば、心の壊れた役に立たない女のためにそんな危険を負う気になれないようで、メアリーが買って出たのです。
彼女は敬虔で勇気あるプロテスタント信者なんですが、30を越えても結婚できずにいます。
周囲の男たちはみんな資本主義に毒されていますから、堅実に生きてじぶんを持っている彼女を「男に対して説教臭く、つまらない女性だ」とけなすのです。
彼女は旅に出る前に、ジョージ・ブリッグス(トミー・リー・ジョーンズ)という、アメリカそのものを象徴するような軽薄な小悪党と出会い、ともに旅をすることになりました。
……まあ、オチを言ってしまうのはアレなのでこのへんにして、ぼくはこの作品を3度みて、そのたびにアメリカという国の抱えるジレンマについて気づくことがありました。
アメリカにはプロテスタントの尊い理念があるはずなのに、資本主義は理念を蹂躙し、正直者がバカを見るようなことになって、だれもこの理念を顧みようとはしない。
一瞬、プロテスタントの敬虔な理念に打たれることがあっても、すぐに忘れてまた資本主義の放縦な暮らしに戻ってしまう。
あの映画をみると、アメリカのプロテスタント精神はもう廃れているのかもしれない、とおもえます。
以前、クトゥルフ神話について調べたことがありましたが、アメリカの恐怖作家が創作した神話的世界観は、一部のコアなファンによって支えられ、「宗教のないアメリカに生まれた宗教」ともいわれたそうです。
「宗教のないアメリカ」というけれど、プロテスタントという宗教があるじゃないか、とおもいますが、それほど実際のアメリカでプロテスタンティズムは形骸化しているのでしょう。
おそらくこのアメリカにおける「プロテスタントの形骸化」が、クリスマスにせよバレンタインにせよ、アメリカから日本に輸入されてきた宗教イベントがなぜ空虚で、資本主義的なのかということを理解するとっかかりになるようにおもえます。
#与太話
たくさんのご馳走にかこまれるお正月、お寿司パーティーも楽しみですね。
最近のゲームは殆どわからないのですが、RPGは漫画と同じで、絵面との相性も大事な気がします。
私は時間があると3人打ちの麻雀と、アメーバのピグパズルをやっていますが(PCやタブレットで)、アバターが変なサイトはやりたくないです(笑)
先日バスに乗った時、私の前に70代の男性が座っていたのですが、タブレットでポケモンGO!をやっていました。
後ろからこっそりのぞいていましたが、なかなかおもしろいですね~。
高齢者施設では、コロナ以降運動不足になっている人が多いので、都や区がeスポーツ事業を推進しています。
大きな画面を使って、ゴルフやボーリング、テニスなどを行うのですが、実際のスポーツより親しみやすく認知の予防にもいいそうで、ゲームというのは単純に遊ぶということではないんだなと思います。
本年はありがとうございました。
どうぞ佳いお年をお迎えください<(_ _)>
雪の状況はいかがでしょうか。
くれぐれも気をつけてお帰り下さいね。
2023年12月26日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
クリスマスはケの日である、とぼくは割り切ってて、周囲の空気に対してはそれこそノリつつシラけ、シラけつつノリ、という態度でいます。
すこしゲームをしたんですが、10月からやっていなかったRPGは、もうストーリーを半分忘れており、コントローラーのボタンの確認から始めなければならないほどでした(笑)
そのゲームも、あさってからは帰省するのでまた年始までお預けです。
2023年12月25日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
核の部分になにもいないお祭り、私もそう思います。
昨日今日は、ちょっとしたレストランはお正月のかまぼこみたいに一気に高くなるのに、どこも予約ができないくらい混んで、書き入れ時です。
人生初かもしれない、まったくクリスマスらしくないクリスマスを過ごしており、サンタクロースもこないし、夜更けすぎから雪に変わるはずの雨すら降りません(笑)
お返事がいるようなものではないので、お気遣いのないようお願いします(o_ _)o))
早くゲームする時間がとれますように🎅🎄
おそらく向こうのクリスマスも日本の神事仏事とおなじで、神様と一緒にご飯を食べるという感覚はあるはずなんです。
日本の神事だと直会や神饌、仏事だと仏飯ですね。
これがキリストの誕生日に、キリストと一緒にバースデーパーティをしましょうというのが本来のクリスマスでしょう。
日本の神事や仏事だと、われわれはそこに神様や仏様がいることを意識するので、どうしてもお祭りの核の部分では厳かになります。
そこに神様がいるという意識があれば、たがは外れないんです。
ところが日本のクリスマスでは、キリストがいることを意識しない。
バレンタインもハロウィンもそうで、そこになんらかの神(聖人)が存在するであろうという意識がすっぽり抜けるので、核の部分になにもいないお祭りになります。
そうなると、鬼のいぬ間に洗濯というか、見守っている神様がいないので、タガが外れちゃうんですね(笑)
アメリカはプロテスタントの国といいながら、実際のあの国は資本主義に神も魂も売り飛ばしたようなところがあります。
そんなアメリカの「神のいない資本主義のお祭り」が日本に輸入されたのではないか、というのがぼくの推論です。
きのうはいちおう鶏むね肉を余熱で調理したものと、ビールと、あとひさしぶりに安ワインを買って楽しんだんですが、ぼくの隣にいるのは、なじみのないキリストと、あとは仏さんと神さんだけです。
生身の人間がいないのはつまらんな、とおもいながらも、独り身はこういうイベントのときに気軽でいいなどと考えているうちに眠くなって、いつもどおり9時半に床につきました。
2023年12月24日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
今朝、いつも読んでいるスピリチュアル系の女性のブログがアップされていました(スピ系にしては押しつけがましいことを言わないのでよく読んでいます)。
「(クリスマスのご馳走やケーキを食べる前に)キリストに対して、「お誕生日、おめでとうございます!」という、〝お祝いする気持ちを持つ〟ことをおすすめします」
と書いてありました。
それは、キリスト教を信仰しているからとか、していないからということではなく、単純に「お誕生日におめでとうを言う」ことの大切さだとしています。
農園主さんの、「キリストの生誕を祝う気持ちはほとんどだれも持っていないようだ」という文章を読んで、これも奇妙な偶然だなと思いました。
私も、一時クリスチャンだったのに、そういう気持ちを忘れ去っていました(笑)
確かに「メリークリスマス!!」と言ったり書いたり(打ったり)しても、生誕を祝う気持ちとはちょっと違いますよね。
フロイス、
(追記) 沈黙はロドリゴ
沈黙から、なぜ日本にキリスト教が根付かないのかという問題、農園主さんのお考えはとてもわかりやすいです。
「沈黙」についてはいろいろ思うこともありますが、それはまた機会があればということで(*^^)v
今晩はクリスマスイブですね。
キリストのお誕生日を祝いながら、スーパーで買った日本版ローストチキン(焼き鳥)を食べる予定です(笑)
ケーキを買いに行きたいのですが、寒くて悩み中・・・・(◎_◎;)
イブ&クリスマス、楽しくお過ごしください♪←まだお掃除でお忙しいでしょうが、一休み一休み(*^^*)
映画をみたときにはっきりしなかったのが、なぜ日本にはキリスト教は根付かないのか、ということでした。
小説を聞いてはっきりわかったわけではないんですが、おもったところをちょっと話してみようとおもいます。
クリスマス前日のきょう、この作品を聞き終えたのは、奇妙な偶然です。
日本ではだれもが鶏肉を中心とした洋食やワインを楽しんだり、プレゼントを与えるなどして雰囲気は演出するのだけど、キリストの生誕を祝う気持ちはほとんどだれも持っていないようです。
バレンタインデーや、ハロウィンも、宗教儀式ではない「なにか」です。
クリスマスの風習は、戦後西側から突如やってきた……日本人の感覚でいうと、七福神の一種のようなものでしょう。
日本人からすれば、じぶんに利益をもたらしてくれるのであればなんのゆかりもない外来神でも歓迎する、といったところです。
しかし、どんな神がやってきたとしても、日本人はその神を深く掘り下げて信心しません。
みんな横並びに尊い、多神のうちのひとつにすぎず、現代ではその尊さはいよいよ目減りしています。
特に日本という土壌には「絶対神」という考え方が根付きにくいのではないか、という気がします。
明治以来、ほんの70年ほど、天皇崇拝・教育勅語という一神教めいた時代もありました。
子供があたらしいおもちゃを与えられたように、日本人は一神教に熱狂しました。
しかし促成でつくられたこの思想は国民を青天井に熱狂させたあと、戦後西側によって排斥されると、一気に沈静化します。
まるでおもちゃに飽きるような軽薄さで、信仰の薄い社会を受け入れるようになるのです。
天皇が人間宣言をしたあと、日本人は拍子抜けしたものの、だからといって国家神道を巡る聖戦が起こるわけでもなく、せいぜい右翼が「教育勅語にもいいところがあった」と消極的にボヤくくらいしかできませんでした。
日本を占領した西側は、多くの日本人に自由と文化を与えましたが、その延長線上に、現在のクリスマスがあります。
日本人は深く考えず、この楽しげなイベントを受け止めました。
しかしほとんどだれも、クリスマスとキリスト教を結び付けて、深く考えることはしません。
結局のところ、日本人の多くは親鸞や日蓮が広めたように、ただ単純なお題目を教わったとおりに唱えることで救われようとする次元から、どうしても抜け出せないのではないか。
あるいは、集団としての日本人は、宗教にお題目以上の意義を見出せないのではないか。
だから、明治になって教育勅語が広まったときも、それはお題目と化します。
戦争を経験した世代は、教育勅語をそらんじることができました。
しかし、かれらの「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト……」は、まるで円周率を暗誦するかのように無機質な暗唱にすぎません。
クリスマスにしても、多くの人にとって、儀式そのものがお題目なのです。
ただみんながやっているように、見よう見まねで作法を覚えて、それをこなすことで仲間外れにならずにすんだといって、ホッと胸をなでおろす。
仏教にせよ神道にせよ、大昔から日本人はそのようにして、お題目でなにかをやったようなつもりになる性質なのでしょう。
ところで、『沈黙』には、裏切り者のユダをおもわせるキチジローという男が出てくるのですが、この男は、日本にやってきたポルトガル人宣教師が日本人を見下していることを見抜きます。
キリスト教は結局、白人の持ち物なんですよね。
神道が日本人の持ち物であるように、キリスト教は白人の持ち物です。
キリスト教が白人の持ち物だということは、世界のキリスト教分布をみればわかります。
宣教師たちはキリスト教は白色人種の持ち物であるという優位性を無意識のうちに抱えていて、布教をおこないながら、同時に日本人を見下している。
作者は作品中で、このことを(直接的ではないにせよ)語っています。
それはともかく、結局キリスト教は日本には根付きません。
鎖国によって外国から司祭がやってこなくなると、長崎の日本人教徒たちの拝むキリストやマリアは、およそ西洋のそれとは似ても似つかないものに変貌していき、むしろ日本的な宗教のスタイルに和合(習合)していくのです。
作品中で信者たちがこんな歌を歌います。
参ろうや 参ろうや パライソの寺に参ろうや パライソの寺とは申すれど 遠い寺とは申すれど
「パライソ(天国)の寺」というのです。
当時の日本ではカテドラル(聖堂)やチャーチ(教会)という概念を伝えにくいために、妥協の産物として寺になってしまったのかもしれませんが、それでも「パライソの寺」となってしまうと、もはやキリスト教なのか仏教なのか、天国なのか極楽浄土なのかも判断できません。
信者は弾圧をかいくぐるために仏教の檀家をしながら、こっそりとキリシタンを続けている状況であり、結果的に神仏習合(この場合の神はキリスト教)になってしまっているわけです。
そして、弾圧によって棄教した宣教師たちも、それを望む望まざるにかかわらず、闇鍋のような多神の社会に組み込まれて一生を終えました。
この作品はキリスト教というフィルタを通じて、現代に続く日本人の奇妙な宗教性を解き明かしているのでしょう。
キリシタンを苛烈に弾圧した井上筑後守(かれも元はキリシタンだった)が、宣教師を棄教させたあと、最後についたあきらめのため息は、クリスチャンであった作者、遠藤周作のため息のようにおもえたものです。
2023年12月23日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
雪はほとんど降ってなくて、ほんのうっすら白くなっているくらい。
山も雪化粧しておらず、いつもどおりの凍てる朝でした。
ネットで提供されてる道路状況のカメラをみてみると、うちからさらに離れた田舎や、日本海側の北端の地域ではよく積もっていましたが、それでも関西でいうところの「知れてる」程度です。
うちのあたりは標高が100mほどある盆地なので、雪はよく降るし、降ると吹き溜まりになってよく積もります。
今回はたまたま雪雲が流れ込まなかったおかげで、助かったといえるでしょう。
ところで、雪雲が流れ込まなかったおかげで、畑が生きています。
……つまり、農閑期のつもりだったのに、あとひと仕事、できちゃいそうなんだなぁ……。
でもやっぱり、ことしは暖かいおかげで年始にもひと働きできそうだし、このまま休みにして、掃除する時間にあてましょう(笑)
2023年12月22日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
大掃除と、お帰りになる準備でお忙しくなると思いますが、ご無理のないように。
除雪しなくていいくらいの雪だといいですね。
雪かきは腰を痛めやすいので、気をつけてくださいね。
なかなか声の調子が戻らないこと、ものごとはじぶんのおもったようにはいかないこととおもいますが、じぶんに与えられたカードの中で向上心をもって最善を尽くしておられるのは、さすがだとおもいます。
その中でも、お仕事が無事に元のように戻ったことはなによりです。
あしたのクリスマスコンサート、たいへんな中でも、納得のいくものになることをお祈りしております。
ぼくはきょうからぼちぼち農閑期になりそうで、これから数日かけて大掃除にとりかかります。
あしたは雪が降る予報で、除雪作業があるかないか微妙なところなので、すこし緊張感がありますが、結局起きる時間はいつも配達に行く時間とおなじ5時半なので、ふだん通りです(笑)
2023年12月21日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
農閑期は待ちに待った大切な時間ですね。
楽しく充実した日々になりますように(*^^)v
わたくしごとですが、コロナの3年間仕事がほぼなく、もう私の人生(イコール仕事)終わったかも、などと思っていたのですが、今年の4月から一部復活し、さらにご縁があり、今までのところ+他の場所でも講座を担当させていただいています。
23日は何年振りかでクリスマスコンサートなのですが、6月からの気管支炎の影響で、ごく低い音域しか歌えなくなってしまいました。
気管支炎が治ったあとも軽快しないので、音声外来まで行ってきましたが、声帯に異常なし。
それで少しは安心したものの、やはり歌えず、7月ごろからちょっとした鬱になっていました。
命に関わることではないのだからと思っても、歌えないということは生きている意味がない、とまで思っていました。
この不完全な状態でコンサートで歌うのは、来てくださる方に失礼と思い、歌うのは断念し、演奏に留めることにしました。
殆どの時間は、来場者が私の伴奏で歌う、というスタイルなので、歌えなくても問題はないのですが、久々のチャンスを逃したのは本当に残念です。
「徹子の部屋」で偶然見たのですが、齋藤悌子さんという、87歳のジャズシンガーがいます。
気負わず自然でクセのない、素敵な歌い方をする方です。
とってもお元気で、まだあと10年は歌うと仰っていました。
それを聞いて、97才までなら、私はもっともっとある!!と思いました←仕事があれば、ですが。
この番組を見なかったら、自暴自棄になり、歌をあきらめていたところでした。
本当に「偶然」見たことで、やっと前向きになることができたのですが、これも偶然ではなく、見るように、とのことだったと解釈しています。
クリスマスコンサートで、齋藤さんバージョンのシンプルなテネシーワルツ、歌いたかったなぁ、とは思いますが、スッパリあきらめて、歌えるようになるよう精進します。
という宣言を聞いていただくのもご迷惑でしょうが(笑)、一番つらかった時期にまた農園主さんとお話できる機会をいただき、教えていただくことばかりで、その中からたくさん気づくこともあって、本当に感謝しかありませんm(_ _"m)
こちらこそ、よろしくお願いいたしますヾ(@⌒ー⌒@)ノ
現代はその「らしさ」を抑制する社会になっているように感じています。
ぼくとしては、じぶん以外のだれかに「らしさ」を無理強いすることなく、マウントをとるようなことをしなければ、基本的にじぶんの特性を抑圧する必要はないだろうとおもっているんですが、その点は和合の精神だとおもいます。
和合というのは、仲良くすることという意味ですが、特に夫婦和合なんて言葉があって、男女が仲睦まじいという意味合いが強いようです。
これは日本特有の、ものごとをなあなあにすませるとか、いわゆる日和見なところにも通じるんですが、同時に性格のちがうもの同士が一緒に仲良くできるコツのようなものでもあるでしょう。
神道と仏教が習合したのも、和合のひとつのカタチといえます。
なので、ギズモさんのおっしゃる、欠けているところを合わせてよりよくする、というのはただしいとおもいます。
コメントの件ですが、それではいままで通りで、返信のペースを下げるということにしましょう。
ぼくはちょっと農閑期の間は、発信するよりもあたらしくなにかできることはないか模索したり、積みあがったゲームをする時間にあてようとおもっています。
おもいついたことは書き続けるつもりですが、いままでとはすこしペースが変わるとおもいます。
今後ともよろしくお願いいたします。
2023年12月20日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
同じテーマで文章を書いても、採り上げる部分やデフォルメする部分に違いがあったり、論理的で難解だったり、その逆だったりと。
男性脳と女性脳について様々な論議が交わされていますが、医学的・科学的にも思考に差があるとは言われていますね。
男性らしさ、女性らしさという言葉は、ジェンダーの時代によくないとは思うのですが、どうしても二分化されてしまいがちです。
女の子が赤やピンクの服を着たり、お人形を抱いているイメージは払拭されつつありますが、表面的(見た目)のジェンダーレスが進んでも、内面まではそうそう変わるはずもなく、案外文章にも表れるのではと思います。
従来、男はさっぱりしているが女は執念深いと言われたリしますが、愛情のもつれから殺傷事件を起こすのは男性が多いということもあるし、結局は個人差なのかもしれませんね。
話の方向性がずれてしまいましたが、根本的な部分で、男女でものの見え方が違うというのはあると思います。
そして恐らく、男性は女性にあるなにかを求め、女性は男性にある何かを求め、或いはあこがれ、自分にないものを追い続けていくように思います。
生物の進化で、ヒトは男と女の2種類しかないという時代から変わっていくのかもしれませんが、古事記の「成り成りて~」のように、
男女がお互いに欠けているところを合わせて、よりよいものを生み出していくことが大切なのではないかと、そんなことをふと考えた次第です(笑)
「成り成りて~」は、生物的な合体(釣りバカ日誌を思いだしました)以外に、男性的なものと女性的なものを合わせて何かを創造する意味合いもあるように感じました。
単純な思考の女性脳で考えたことですから、笑わないでくださいね(笑)
今のペースを作ってしまったのは、私です。
このままでは、農園主さんがお書きになりたいことより、私の返信の形式になってしまい、これでは申し訳ないと思っていました。
電話やチャットのご提案、とてもうれしく思い考えてみましたが、このスタイルを採るのは時間的な問題があります。
さらに考えてみて、ひとつ提案なのですが。
私のコメント(全然コメントの長さじゃないですよね・・)を、1週間に一度、2週間に一度、といったペースにスローダウンするというのはいかがでしょうか。
もしどうしても早急にコメントしたい時は、特例措置😓として、たまにさせていただくかもしれませんが。
それから、私がコメントした時は、ひとつひとつ丁寧なお返事ではなく、向こうの世界の人たち(笑)みたいに、コメントありがとう~~だけでも充分です。
いずれにしても、農園主さんがお困りにならないやり方が、私にとっても最善の方法だと思っています。
何度も削っているのに、また長くなってしまいました・・・
(追記)
書き忘れました。
コメントは、旧山麓王国のようにこちらに書くのではなく、メールにしてもかまいませんので、そのことも含めてご検討くださいね。
ギズモさんのつくられた鶏団子の煮物、冬には最高ですね。
キノコも野菜もたんぱく質も、栄養バランスもしっかりで……きょうはブリ大根ですか。
ブリ大根、じぶんではなかなか作らないんですが、おいしいですよね(笑)
女性はおそらく、男性とはものごとの見え方がちがうのだろうとおもいます。
しかしなにがちがうということは、ぼくは女性ではないのでいくら考えてもわかりません。
ものごとをかわいくすることは男にとっては優先順位が低く、女性には優先順位が高い、というくらいの表面的なこと以外に、どこか女性にとっても言語化しづらい深層的ななにかがあるのだろうとおもっています。
ところで、すこし相談なんですが、いまは話題を拾いながら長文で返信しています。もちろんギズモさんにも長文の負担をしていただいてます。
そのやり方だと負担が大きいので、用件のあるときにチャットをするか、電話するようなスタイルに切り替えませんか?
ギズモさんのやりやすいカタチに合わせますし、あるいはいままでどおりがよいということであれば、その中で負担を軽減する形を模索したいともおもいます。
ご意見お聞かせいただければ助かります。
2023年12月19日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
野菜は白菜、ニンジン、大根、シメジを入れ、塩味。
「練り物がないのでおでんではない、ポトフともちょっと違う、かと言って鍋料理とも言えない」何かを、作っていました(笑)
普段は肉団子も作るのですが、軟骨入りの肉団子がおいしいので、時々使います。
でも、練り物がちょっとでも入ると、風味やコクが違いますね。
鶏手羽とダイコンの組み合わせはいいですね。
おでん風でなく、ブリ大根の味付けで明日でも作ってみます。
女性作家の江戸時代もの、うっすらと化粧という表現は素敵ですね。
そう言われると、確かに男性が書くものとは違います。
言葉も現代の言葉を使っていたり、難しい政治的な話はあまりなかったりと、とにかく読みやすくなっていますよね。
短編も多いので、ちょっとした時間に読めるのがいいです。
いちいち登場人物の確認にページを戻したり、時代背景がわからず調べたりということが、女性作家の作品にはあまりないように思います。
信長のシェフのドラマは観ていないのですが、原作が完結していないので、途中から脚本家が作ったのでしょうか。
原作漫画では、信長が本能寺で生き残った以上、信長をはじめ、明智光秀や秀吉など、ずいぶん歴史が変わるので、そのあたりをどう始末をつけるのか、ですね。
本能寺の変は1582年ですが、3年後の1585年に、大阪・京都・伊勢・三河でM7の地震が起きているので、その衝撃で突然平成に戻る、というのが私の推理ですが、どうなることやら。
信長を平成に連れて来たらおもしろいのですが、それをやったらギャグになってしまうので、ないでしょうね(笑)
共依存はどこにでも起こるんですよね。
いま政治の世界でいわれてるキックバックの問題にしたって、だれもがダメだとわかっていてもその依存を断ち切れない、どこか組織的になあなあな、共依存状態になっていたのだとおもいます。
結局こういう場合、おもだった責任者を断罪することになるんですけど、実際には責任者だけを叩いてもガス抜きにしかなりません。
やはり構造そのものを病理として手を打っていかないと解決しないんですが、これがまあむずかしいんですよね(笑)
おでんのウインナー、おいしいです。
冬場のおでんは翌日、あるいは翌々日くらいまで食べますが、ウインナーはそのときに食べきれるだけ入れるようにしないと翌日にはダシガラで、そのかわりスープはほんとうにポトフのようになりますね。
おでんにキャベツという発想はなかったんですが、冷凍の肉団子をおでんに入れるとおいしかったので、それならロールキャベツとおなじだと納得しました。
手羽元もいいですね……お話をうかがってると、練り物なしでウインナーと鶏手羽とダイコンたっぷりの煮物でじゅうぶんな気がしてきました。
杉浦太陽さんと辻希美さんのおうちは豪邸なんですか。
最近はあんまり民放のテレビをみないので、おふたりを見かけることもないんですが、やっぱり有名な芸能人には相応の収入があるのでしょうね。
木挽町のあだ討ち、ぼくはオーディブルで聞きましたが、朗読だと10時間ほどで、たいへんよい作品だったとおもいます。
現代の女性作家の江戸の描き方には共通点があるような気がしてて、ヘンな言い方ですが、作品にうっすら化粧をしているような感じなんですよね。
江戸というゴツゴツした時代に、化粧を施してるような感じで……なんというか、やさしい世界観なんですよ。
信長のシェフ、以前ギズモさんから聞いてはじめて知りましたが、ドラマ化もされてるんですね。
2023年12月18日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
ありがとうございます。
共依存の問題、これは夫婦だけでなく、親子にでもあるということですね。
性格にもよるものかと思っていましたが、風土病と聞くと、納得できるところは大きいです。
おでんの材料は、本当に高いです。
練り物は値段の差が大きく、高いものはおいしい、安いものはまずいの差が歴然としています。
普通おでんには入れないのかもしれませんが、鶏の手羽元(骨付き)を入れると、出汁がよくでて、おかずにもなります。
案外おいしいのは、ウインナですね。
和風ポトフみたいなものです。
そう言えば先日、大根以外の野菜を摂ろうと、
やっぱり和風ポトフです(笑)
近くに杉浦太陽&辻希美さんのおうちがあるのですが(どこかは知りませんが豪邸だそうです)、やっぱりどこかで会っていそうなのに、会ったことはありません。
たぶん、堀ちえみさんも他の芸能人も、いろいろ工夫して、ばれないような恰好で外出しているかもしれませんね。
Googleで自動的に出てくるニュースの中に、先日お書きになっていた、オーディブルの『木挽町のあだ討ち』の評判がとてもいいと書かれていました。
これも読んでみたいですが、ますます積読が(笑)
文庫新刊の時代物を読みつつ、電子書籍の漫画も読んでいるのですが、「信長のシェフ」がいよいよ最終章のようで、本能寺の変で、信長が死なず、とうとう歴史が変えられてしまいました。
この後、現代(平成)の人物などの伏線を、どう回収していくか楽しみです。
漫画とはいえ、相当歴史を調べた上で書かれているようで、ただの妄想と違い、なかなかおもしろいです。
あ、絵はゴツいので、好きではありません(笑)
ギズモさんの九州男児に対する感覚は、偏見ではないとおもいます(笑)
九州の男尊女卑は相当なもののようで、以下のサイトでは各都道府県のジェンダーギャップが調べられますが、やはりひどい状態でした。
https://digital.kyodonews.jp/gender2023/
いわゆる「九州男児」の問題は風土病であり、共依存のように作用してるんだとおもいます。
共依存というのは、たとえばアルコール依存症の夫に必要とされることで妻が喜びを感じる、というような状態です。
結局夫はアルコールに依存し続け、妻はそんな夫に依存しながら、くるしい状況がいつまでも続いて、問題が解決しません。
つまり九州男児の問題は、男がそうあろうとしているだけでなく、家庭内や、地域のコミュニティでそのようなイメージを支持している共犯者(共依存者)がいる、と考えるのが自然だとおもいます。
だから、ピンポイントに九州男児を責めるだけではこの問題は解決しません。
おそらく、家庭そのものの構造を病理としてメスを入れていかないと、みんな問題を自覚すらしていないようにおもえます。
堀ちえみさんのお話、以前にうかがったのをおもいだしました。
東京だと、ふだん町を歩いていて芸能人に出会う確率は高いのではないでしょうか。
ちなみに大阪では難波あたりにいると芸人さんとはよくすれちがいます。
おでんは、こっちでは最後におうどんでシメにすることはありますが、ご飯のおかずにはしづらいですよね。
ぼくはおでんは高級料理だとおもってるんですが、練り物や牛すじ、卵などを入れるとなかなかのコストになります。
最近は特に練り物の値段が上がって、畑のダイコンを気軽におでんにもできなくて(笑)
幸い葉野菜にも影響がなく、午後からは収穫作業をし、サトイモをほぐして洗って、一日終了。
あと一週間ほどで帰省しますが、サトイモは年始にもすこしは出せるかな、どうかなといったところ。
1月に雪が積もらずにいてくれれば、カブも出せそうです。
#野菜
寒い中、お疲れさまでした。
おでんは、地域によって味付けや具材が違うようですね。
一般的に、お醤油の色がしっかりついているのが関東風で、うどんもお雑煮もお醤油の色がはっきりついています。
東京は、地方から来た人もずいぶん多いので、家庭によって違いはあると思います。
おでんは、お酒には合いますが、ご飯のおかずにはなぜか不向きです。
クリームシチューがご飯に合わないのと同じかもしれません。
たまに 堀ちえみさんのブログを読むのですが、やっぱりクリームシチューの時は、いつもパンが写っています。
ファンではないし好きでもないのですが、買い物をする場所に共通点があるので、読むことが多く、今まできっとどこかですれ違っている気がします(笑)
偏見とは思いますが、九州の男性は、亭主関白で頑固で封建的、まず自分が一番、妻子は自分につかえる従属物と認識しているタイプが多いように思うんですよね←お身内に九州の方がいらしたらごめんなさい。
九州男児という言い方はかっこいいですが、単なるわがままではないかと(笑)
土地柄というのはあるでしょうが、今の若い世代の人は変わってきているのか、知りたいところです。
近所の人や仕事での知人など、九州出身の男性がもれなくそういうタイプだったので、例外がいることが予想しにくいです(笑)
奥さん、かわいそう~~と思ったことはたくさんありました。
こちらも昨日はずいぶん寒く、風も強かったのですが、雪はまだまだ先のようです。
きのうはご近所さんとたんまり飲んで、餅をついて、おでんをいただいて、鍋をつくって……男3人で一升五合空いたので、まあよく飲んだとおもいます(笑)
結局風も強く、雪がちらつく寒い日だったんですが、いつも通り外での開催となりました。
田舎にいると、キャッシュレス社会は非常に便利です。
銀行に行くにしても距離がありますし、手元に現金がないときの危機感は都市部より強いので、10年ほど前の現金中心の暮らしよりは、ずいぶん手間がはぶけて、安心して暮らせるようになりました。
しかし、そういう暮らしに慣れてくると、口座の数字が増減するだけで、なんだかお金のやりとりをしている実感がないのは確かです。
最近では買い物をしても、スマホやカードを差し出すだけで終わりますよね。
クレジットカードで決済するような場合は、セルフレジのほうが安心だとおもうし、そうなるといよいよ人との交流が薄れて、アナログさが排除されていきますね。
ギズモさんのおっしゃるように、現金の持つありがたみや、蠱惑的な魔力のようなものは、いまの社会では感じる機会が減っているんじゃないでしょうか。
武田鉄矢さんは本はたくさん読んでおられるんですが、ちょっと山師のようなところがあって、ついていけなくなることがあるというか……思想のチカラが強いんでしょうね。
そのへんのアクが非常に強くて、ぼくもはたからみているぶんにはいいんですが、あんまり一緒にいたいとはおもいません(笑)
かれがあるときから保守的な言動をするようになったのは、結局家族に封建主義的なものをよしとするところが残っていたからではないかとおもいます。
父親が封建主義の権化のような人間で荒れ狂っていたから、その反動で戦後の自由主義を謳歌するようなふるまいをしていたけど、根っこの部分、血の部分では古めかしい性格を受け継いでいるということを、どこかで自覚するようになったのでしょう。
もし父親が荒れ狂うことなく、まっとうな保守性を維持していたら、かれは特に思想的に右往左往することもなく、ふつうの保守的なオッサンとして生きていたのではないかなあ、とおもっています。
こちらは昨夜から雪が降りました。
山が雪化粧をする程度に積もりましたが、道路は濡れているだけです。
午後には雪が解けて、野菜の収穫ができればと期待しているんですが、午前中はうっすらとした二日酔いをなだめながら過ごすことにします。
2023年12月17日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
買い物で現金を使うことはだんだん減っていく風潮にありますが、それでも紙幣は新しいデザインで発行される。
お財布に何も入っていないのでは困ることもありますが、昔ながらの「見せ金」のように、お財布をお札でパンパンにしている人はいなくなったのでは。
お年玉やお誕生日プレゼントを、ラインなどで送金する人も多いとか。
そうなってくると、お金のありがたみが薄れて行くように思いますが、こういう古臭いことを言う人間自体、いなくなっていきそうです(笑)
インタビュー記事、ありがとうございます。
保存しましたので、削除しても大丈夫です。
あまり好きな人ではないのですが、このお話は何から何まで心を打ちます。
実際に戦地に行き、実際に戦った人でなければわからないことは多くてあたりまえですが、そういう話を家族が知るということが、とても大切だと思います。
中には誰にも話せなくて苦しんだ人もいるでしょうし、武田鉄矢さんのお父さんにしても、誇張があったり言えなかった部分もあったりと、表面には見えてこない複雑な心理があったのではないかと思います。
風の様子はいかがでしょうか。
楽しい日になりますように♪
子供を「地獄に落ちる」というような戒めで教育することは、いまではほとんどないとおもうんですが、これはやっぱり時代ですよね。
たぶん、半世紀もさかのぼると、みんなそこまで法律や社会基盤を信用していなかったんです。
はっきりいつとはいえませんが、ぼくが子供のころに、テレビでコメンテーターが「これからは個人の問題を解決するのに弁護士をつかう訴訟社会になりますよ。アメリカではすでにそうなってるんです」なんてことをいっていました。
いまになっておもうと、その時代にやたらと「法律相談」みたいなテレビ番組が生まれてるんですよね。
笑福亭仁鶴がやっていた「バラエティー生活笑百科」(1985~2022)なんかがそうですね。
そういう社会の変化は、1980年代後半くらいに芽生えてきて、1990年くらいに本格化してくる感じだとおもいます。
で、われわれの行動が法律に縛られてくるのも、この時代からだとおもいます。
法律こそが人の生きる規範を決める、それ以外のなにかが勝手に規範をつくることを許さない、ということです。
こういう社会の変化にともなって、宗教が人を教育する……とりわけ迷信による戒めによって教育する文化が廃れていったのでしょう。
エルサレムの現地の人は不便や理不尽をさほど感じていないのでは、という件ですが、これは人それぞれだとおもいます。
先日、武田鉄矢さんが朝日新聞でインタビューを受けていたんですが、軍人だった父親についての話でした。
父親は戦前の封建主義的な日本の価値観に居場所があって、戦後の日本では居場所がなかった。
戦争トラウマらしき症状もあって、酒に頼ったり生活が荒れるなどの問題があったそうな。
ところが母親はというと、戦前はさんざん憲兵やら社会にいじめられてしんどかった、アメリカが占領してくれて世の中がよくなった、といって人生を謳歌し始めるんです。
おそらくイスラエルにしても、西側の価値観とイスラムの価値観の中で、人それぞれに適性があるだろうとおもいます。
厳格な宗教規則を苦におもわない人もいれば、そういう規範や社会常識に苦しめられている人もいるだろうとおもいます。
いろんな価値観の人が、それぞれふさわしい居場所を持てるのがよいのですが、ひとつの価値観に固執してしまう社会では、なかなか寛容にはなれないようです。
餅つき機があるのに外ではつかわない理由は、イベントとして楽しみたいということと、参加者にひとり子供がいるので、そういうことを体験させてやりたいということなのでしょう。
餅つきもいわゆる神事に連なるイベントだとおもうんですが、神事は猿田彦の一本下駄や安息日もそうですが、わざと不便でアナログなことをして、精神性をつないでいくようなところがありますね。
さて、それではきょうはたぶん一日つぶれてるとおもいます(笑)
ギズモさんにとってもよい休日でありますように。
あ、あとさっきの武田鉄矢さんのインタビューの記事ですが、鍵付きでパスワードを入れると本文をみられるようにしておきます。
パスワードは、ギズモさんが向こうで書いておられるときのお名前の「♪」抜きです。
2023年12月16日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
ご飯を残したらバチがあたるとか、嘘をついたらバチがあたる(閻魔さまに舌を抜かれるとも)とか、神仏の名をを利用した「しつけ」をしていた家庭が多かったように思います。
その親たちが特に信心深かったわけではないでしょうが、そう言われて素直に言いつけを守る子どもも多く、それはそれでいい時代だったのかもしれませんね。
農園主さんが書いていらっしゃるエルサレムあたりの話だと思いますが、現地の人を取材した番組を観たことがあります。
安息日に電気を使ったらいけないというので、ネットもご法度、炊飯器などはタイマーにしておくなど、若い人も細かく制限された戒律に従っていて、これをもう少し柔軟にしていくという方向性はないのかな、と思いました。
こういうことを考えると、日本に生まれたことは自由があっていいとは思うのですが、もしかすると現地の人は、生まれる前からの習慣なので、さほど不便、理不尽なことだとは感じていないのかもしれませんね。
下駄の事で、つまらないことを思い出しました。
花魁道中の独特な歩き方は、一種の作法だと思っていたのですが、あのようにしないと下駄が高くて歩けないんだそうです。
私なら、一歩進む前に転ぶでしょう(笑)
餅つき機があるのに、外なら使わないというのは、餅つきはお正月を迎えるための伝統的な行事だからでしょうか。
(追記)単純に電源の問題??
こういう行事は見るだけでも楽しいものですが、やる方は大変ですよね。
風が強い日となって餅つき機でお餅をついて、おいしいお酒を召し上がってきてくださいね。
今日は、変に暖かい日でした(^^;)




