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2023年8月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
神道には、教義も教祖もないのだけど、神社に参拝する側の理解として、これだけは間違いないということがひとつだけあります。
それは、その場所で代々長い間、ようわからんながらに神さまなるものに畏怖の心を持ちながら、人々がおもいを寄せていた、という点です。
平安時代の終わりごろから、鎌倉時代になるかならないか、といったあたりまで生きた西行という僧侶が、伊勢の神宮に訪れたときに、こんな歌を詠みました。
「なにごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」
そこになにが奉られているかよくわからないのだけど、畏れ多くて勝手に涙がこぼれる、というわけです。
神社なんてそれでいいんです。
よくわからんけど畏れ多くて、拝んでしまう、ということをむかしの人が連綿と繰り返していて、そこにあんまり小難しい理屈はなかったし、現代のわれわれもそれでいい。
明治以降、急に降ってわいたような国家神道の思想や、現代だとお参りのマナーや心構えみたいなものは、お参りをする側からすればどうだっていいことです。
過去にわたって鎮守の神様のもとで、たとえば病気の身内のためにお百度を踏んだり、みずからの心願成就を祈念したり、地域で集まってお祭りをしたりと、暮らしに根差すような形で長い間神社がそこにあった、ということだけが、ほんとうです。
だから、そういう過去の人々の願いや祈りの中に現代を生きるじぶんも混ぜてもらって、そのときのじぶんのありようを聞いてもらう。浄めてもらう。
ぼくにとって神社に参拝するのは、その程度の意味合いです。
神様もご先祖さんも、おおらかに、こちらの気持ちをじっと聞いてくださる。
それできょうは神社にお参りしてきました。当地の氏神さんである八坂神社と、市内にある若宮神社です。
八坂神社も若宮神社も、厄除けのご利益があるといいます。
「最近、畑はうまいこといかんし、親父に病気がみつかるし、タイミングがわるいのかいろいろわるいことが立て続いているようにおもえまして。どうぞこの厄を浄めてもらいたいんです。よろしくお願いします」
と、わずかばかりのお賽銭を入れて、二礼二拍手一礼。
宮司さんががっかりする程度のお賽銭しか入れないので、せめて若宮神社では厄除けのお守りをいただこうとおもったのだけど、おおらかで優しい神様はこうおおせになった(ようにおもえた)。
「よう来た。ようわかった。でもおまえみたいな貧乏人は、もう無理せんでよい」
その証拠に、社務所はだれもいませんといわんばかりに窓をぴっちり閉めて、中にはブラインドがかかっていました。(おそらく実際は暑すぎるから)
ぼくは心の中でかしこまりながら、
「おっしゃるとおり、ことしはタイヘンなんです。お言葉に甘えさせてもらいます。おおきに、ありがとうございました」
とお礼を申し上げた次第。
帰りにスーパーで買い物して、晩酌のおともにお刺身でも買おうかと考えたけど、お守りのかわりにお刺身を買うような贅沢をするようではさすがに申し訳ないと、そこは自粛しましたとさ。←晩酌はする
#与太話
それは、その場所で代々長い間、ようわからんながらに神さまなるものに畏怖の心を持ちながら、人々がおもいを寄せていた、という点です。
平安時代の終わりごろから、鎌倉時代になるかならないか、といったあたりまで生きた西行という僧侶が、伊勢の神宮に訪れたときに、こんな歌を詠みました。
「なにごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」
そこになにが奉られているかよくわからないのだけど、畏れ多くて勝手に涙がこぼれる、というわけです。
神社なんてそれでいいんです。
よくわからんけど畏れ多くて、拝んでしまう、ということをむかしの人が連綿と繰り返していて、そこにあんまり小難しい理屈はなかったし、現代のわれわれもそれでいい。
明治以降、急に降ってわいたような国家神道の思想や、現代だとお参りのマナーや心構えみたいなものは、お参りをする側からすればどうだっていいことです。
過去にわたって鎮守の神様のもとで、たとえば病気の身内のためにお百度を踏んだり、みずからの心願成就を祈念したり、地域で集まってお祭りをしたりと、暮らしに根差すような形で長い間神社がそこにあった、ということだけが、ほんとうです。
だから、そういう過去の人々の願いや祈りの中に現代を生きるじぶんも混ぜてもらって、そのときのじぶんのありようを聞いてもらう。浄めてもらう。
ぼくにとって神社に参拝するのは、その程度の意味合いです。
神様もご先祖さんも、おおらかに、こちらの気持ちをじっと聞いてくださる。
それできょうは神社にお参りしてきました。当地の氏神さんである八坂神社と、市内にある若宮神社です。
八坂神社も若宮神社も、厄除けのご利益があるといいます。
「最近、畑はうまいこといかんし、親父に病気がみつかるし、タイミングがわるいのかいろいろわるいことが立て続いているようにおもえまして。どうぞこの厄を浄めてもらいたいんです。よろしくお願いします」
と、わずかばかりのお賽銭を入れて、二礼二拍手一礼。
宮司さんががっかりする程度のお賽銭しか入れないので、せめて若宮神社では厄除けのお守りをいただこうとおもったのだけど、おおらかで優しい神様はこうおおせになった(ようにおもえた)。
「よう来た。ようわかった。でもおまえみたいな貧乏人は、もう無理せんでよい」
その証拠に、社務所はだれもいませんといわんばかりに窓をぴっちり閉めて、中にはブラインドがかかっていました。(おそらく実際は暑すぎるから)
ぼくは心の中でかしこまりながら、
「おっしゃるとおり、ことしはタイヘンなんです。お言葉に甘えさせてもらいます。おおきに、ありがとうございました」
とお礼を申し上げた次第。
帰りにスーパーで買い物して、晩酌のおともにお刺身でも買おうかと考えたけど、お守りのかわりにお刺身を買うような贅沢をするようではさすがに申し訳ないと、そこは自粛しましたとさ。←晩酌はする
#与太話
https://www.yomiuri.co.jp/economy/202308...
コンビニおにぎりの中にゴキブリが入っていたんだそうで。
そういえば先日丸亀製麺のシェイクうどんにカエルが入っていたという問題もありましたが、こういうことは、工場を消毒するとかそういうこととは別個の問題があるようにおもうんですよ。
たとえばじぶんのおにぎりをつくるときに、ゴキブリが入ってりゃ、「見りゃわかる」でしょう。
じぶんのおうどんをつくるときにカエルが入ってたら、これも「見りゃわかる」はずです。
じゃあなにが問題なのかというと、製造過程で「だれも商品を見てない」ことが問題なんですよね。
会社側は、「製造ラインを停止した上で洗浄・殺菌、防虫業者による緊急点検・燻蒸処理などを実施いたしました。」というのだけど、それ以前に人間が目視で確認する部分のコスト省いてる、あるいは省かざるをえないという問題が横たわっていないかい? と。
会社側は人件費をケチりたいし、働き手は現場の衛生環境がわるくても、責任の所在がじぶんにないことを知っているし、そもそも人件費をケチられているので毎日の業務でいっぱいいっぱいでそんなことの相手をしていられません。
そりゃ殺菌や燻蒸も応急処置にはなるのだろうけど、この会社にかかわらずどこも似たようなものでしょうから、こういうケースは今後後を絶たないでしょう。
だって、ぼくもそうですもん。
ひとりで百姓やって、ひとりで収穫。ひとりで袋詰め。
そもそもがボンクラのオッサンなのだから、一生懸命やっても見落としが出ます。
さすがにゴキブリやカエルが入ってたことはありませんが、野菜の小さな傷を見落としていて、それが陳列棚に置いてからわるくなってた、みたいなことがあります。
反省するし、次におなじことはすまい、と気を付けるんですが、そうなるとひとり体制というのはとても怖い。
もしぼく以外にも働き手がいれば、ぼくが気づかないミスに気づいてもらえる可能性は上がるし、逆に相手が気づいていないミスにぼくが気づくこともあるでしょう。
じゃあそれはぼくが人件費をケチっているのか、というと、ぼくの場合はそうではありません。
ケチるもなにも、ひとり親方のぼくが最低賃金以下で仕事をしてるのだから、人を雇えるわけなんかないのであります! ←開き直り
#野菜
#与太話
コンビニおにぎりの中にゴキブリが入っていたんだそうで。
そういえば先日丸亀製麺のシェイクうどんにカエルが入っていたという問題もありましたが、こういうことは、工場を消毒するとかそういうこととは別個の問題があるようにおもうんですよ。
たとえばじぶんのおにぎりをつくるときに、ゴキブリが入ってりゃ、「見りゃわかる」でしょう。
じぶんのおうどんをつくるときにカエルが入ってたら、これも「見りゃわかる」はずです。
じゃあなにが問題なのかというと、製造過程で「だれも商品を見てない」ことが問題なんですよね。
会社側は、「製造ラインを停止した上で洗浄・殺菌、防虫業者による緊急点検・燻蒸処理などを実施いたしました。」というのだけど、それ以前に人間が目視で確認する部分のコスト省いてる、あるいは省かざるをえないという問題が横たわっていないかい? と。
会社側は人件費をケチりたいし、働き手は現場の衛生環境がわるくても、責任の所在がじぶんにないことを知っているし、そもそも人件費をケチられているので毎日の業務でいっぱいいっぱいでそんなことの相手をしていられません。
そりゃ殺菌や燻蒸も応急処置にはなるのだろうけど、この会社にかかわらずどこも似たようなものでしょうから、こういうケースは今後後を絶たないでしょう。
だって、ぼくもそうですもん。
ひとりで百姓やって、ひとりで収穫。ひとりで袋詰め。
そもそもがボンクラのオッサンなのだから、一生懸命やっても見落としが出ます。
さすがにゴキブリやカエルが入ってたことはありませんが、野菜の小さな傷を見落としていて、それが陳列棚に置いてからわるくなってた、みたいなことがあります。
反省するし、次におなじことはすまい、と気を付けるんですが、そうなるとひとり体制というのはとても怖い。
もしぼく以外にも働き手がいれば、ぼくが気づかないミスに気づいてもらえる可能性は上がるし、逆に相手が気づいていないミスにぼくが気づくこともあるでしょう。
じゃあそれはぼくが人件費をケチっているのか、というと、ぼくの場合はそうではありません。
ケチるもなにも、ひとり親方のぼくが最低賃金以下で仕事をしてるのだから、人を雇えるわけなんかないのであります! ←開き直り
#野菜
#与太話
ぼくが秋冬に作る野菜を以下に挙げます。
・ハクサイ
・カブ
・チンゲンサイ
・ベカナ
・シュンギク
・ダイコン
といったところでしょうか。
ハクサイとダイコンはほぼ自家用で、白菜は毎年早生系の60日の耐病性品種。
これをお盆過ぎくらいからペーパーポットに播種して、9月を過ぎてから移植して栽培します。
ダイコンは毎年耐病総太り。これは9月初旬に高度化成とダイアジノン粒剤5を畝にすきこんで、直播。
ある程度苗が育ったら一本立ちにして、あとは放任です。
虫害が発生するので、10月くらいまでは防除します。
ぼくはカブは「はくれい」という品種を育てています。
種の価格が比較的安いのと、食味がよくて草姿もよい、という理由です。
チンゲンサイは、ミニチンゲンサイの「シャオパオ」です。
小さくて若いうちに、200gで5つくらい詰めておくと、お得感があるようでよく売れます。
春菊はもうずっと、「さとゆたか」という摘み取り系の品種を育てています。
春菊は在来種ばかりなのですが、比較的べと病に強いそうで、作りやすくて食味も比較的よいので重宝しています。
ぼくはハクサイとダイコン以外は、それぞれ9月10日ごろ、その2週間後の9月25日ごろ、最後に10月10日ごろと3回にわけて栽培します。
9月10日はまだ、炎天が残っていて発芽が不安定でうまくいかないこともありますが、9月20日以降は毎年安定して栽培できます。
10月ごろからは日本海側は雨がだんだん増えてくるので、地面が乾くタイミングを見計らってスケジュールを前後させながら播種します。
種袋に8月下旬から育てられるとあったので、8月中にカブを育てたことがありましたが、外の見た目は変わらないし、葉っぱもきれいに育ったのに、よく太った根の中に黒いスが入ったようになったことがあります。
おどろいて種苗会社に聞いてみたら、真夏の炎天が原因の生理障害ということでした。
適期栽培はやはり大事なようですね。
今夏の葉野菜栽培もやはりむずかしかったです。
水やりを欠かさず、発芽してある程度育っても、こんどは炎天で外葉が焼けて黄色くなってくる。
防除をしてもなぜか葉に微細な穴があいて、美観を損なう。
やっぱり35度を超えてくると露地の軟弱野菜には厳しいようで、なんらかの形で日よけをするとか、防虫の工夫が必要になるようです。
しかし9月をすぎればそんなことを気にしなくても育つのだから、高くて場所をとる被覆資材を用いて、農薬と水やりに金をかけるくらいなら、夏には夏の実物野菜を、獣害などに気を付けながらきちんと育てるのが、結局定石なのだろうな、と考え直しています。
ちなみに春菊はまだ発芽率のわるささえ気を付ければなんとか育ちますが、ホウレンソウは輪をかけて発芽が気まぐれで、ネーキッド種子をつかい、水やりを欠かさずにいても、発芽がまともに安定せず、売り上げにつながらないことがあったので、栽培自体をやめることにしました。
でも、ホウレンソウはよく売れるから、ほんとうは作りたいんですけどね(笑)
#野菜
・ハクサイ
・カブ
・チンゲンサイ
・ベカナ
・シュンギク
・ダイコン
といったところでしょうか。
ハクサイとダイコンはほぼ自家用で、白菜は毎年早生系の60日の耐病性品種。
これをお盆過ぎくらいからペーパーポットに播種して、9月を過ぎてから移植して栽培します。
ダイコンは毎年耐病総太り。これは9月初旬に高度化成とダイアジノン粒剤5を畝にすきこんで、直播。
ある程度苗が育ったら一本立ちにして、あとは放任です。
虫害が発生するので、10月くらいまでは防除します。
ぼくはカブは「はくれい」という品種を育てています。
種の価格が比較的安いのと、食味がよくて草姿もよい、という理由です。
チンゲンサイは、ミニチンゲンサイの「シャオパオ」です。
小さくて若いうちに、200gで5つくらい詰めておくと、お得感があるようでよく売れます。
春菊はもうずっと、「さとゆたか」という摘み取り系の品種を育てています。
春菊は在来種ばかりなのですが、比較的べと病に強いそうで、作りやすくて食味も比較的よいので重宝しています。
ぼくはハクサイとダイコン以外は、それぞれ9月10日ごろ、その2週間後の9月25日ごろ、最後に10月10日ごろと3回にわけて栽培します。
9月10日はまだ、炎天が残っていて発芽が不安定でうまくいかないこともありますが、9月20日以降は毎年安定して栽培できます。
10月ごろからは日本海側は雨がだんだん増えてくるので、地面が乾くタイミングを見計らってスケジュールを前後させながら播種します。
種袋に8月下旬から育てられるとあったので、8月中にカブを育てたことがありましたが、外の見た目は変わらないし、葉っぱもきれいに育ったのに、よく太った根の中に黒いスが入ったようになったことがあります。
おどろいて種苗会社に聞いてみたら、真夏の炎天が原因の生理障害ということでした。
適期栽培はやはり大事なようですね。
今夏の葉野菜栽培もやはりむずかしかったです。
水やりを欠かさず、発芽してある程度育っても、こんどは炎天で外葉が焼けて黄色くなってくる。
防除をしてもなぜか葉に微細な穴があいて、美観を損なう。
やっぱり35度を超えてくると露地の軟弱野菜には厳しいようで、なんらかの形で日よけをするとか、防虫の工夫が必要になるようです。
しかし9月をすぎればそんなことを気にしなくても育つのだから、高くて場所をとる被覆資材を用いて、農薬と水やりに金をかけるくらいなら、夏には夏の実物野菜を、獣害などに気を付けながらきちんと育てるのが、結局定石なのだろうな、と考え直しています。
ちなみに春菊はまだ発芽率のわるささえ気を付ければなんとか育ちますが、ホウレンソウは輪をかけて発芽が気まぐれで、ネーキッド種子をつかい、水やりを欠かさずにいても、発芽がまともに安定せず、売り上げにつながらないことがあったので、栽培自体をやめることにしました。
でも、ホウレンソウはよく売れるから、ほんとうは作りたいんですけどね(笑)
#野菜
いまや花火大会も有料イベントになりつつあるようで、お金を出さない人は見てはいけない、なんてことになっているようですが、そんなん地元住人はなんの恩恵もなく、ただ住環境が脅かされて、ポイ捨てゴミの後始末をするだけじゃないかという反発もあるようです。
ぼくは高校時代、世界一のスケールだったときに富田林に自転車で行き、高台の空き地からPL花火を見ました。
人の家の空き地ですからいまだったら取り締まられるんでしょうが、当時はほんとうに自由でした。
もちろんすごい感動でしたが、いまとなってはもうあれ以上のものは見られないとわかって、花火の大混雑に立ち向かう気力もなくなったので、まあどうでもいいっちゃどうでもいいんです。
しかし現代は映像技術も進歩してるはずでしょうし、おなじ有料でやるんだったら、夏の間ドームかなにかを利用して、超リアルな劇場花火なんてのはできないのかな、と夢想しています。
冷房きいてて、屋台的な飲食ができる売店があって、2時間ほどのイベントで、というのだったらいいなあ。
おじさんは、そんなんのほうがいいなあ。
#与太話
ぼくは高校時代、世界一のスケールだったときに富田林に自転車で行き、高台の空き地からPL花火を見ました。
人の家の空き地ですからいまだったら取り締まられるんでしょうが、当時はほんとうに自由でした。
もちろんすごい感動でしたが、いまとなってはもうあれ以上のものは見られないとわかって、花火の大混雑に立ち向かう気力もなくなったので、まあどうでもいいっちゃどうでもいいんです。
しかし現代は映像技術も進歩してるはずでしょうし、おなじ有料でやるんだったら、夏の間ドームかなにかを利用して、超リアルな劇場花火なんてのはできないのかな、と夢想しています。
冷房きいてて、屋台的な飲食ができる売店があって、2時間ほどのイベントで、というのだったらいいなあ。
おじさんは、そんなんのほうがいいなあ。
#与太話
いまさらですが、3DSのドラクエ11を終盤まで遊んでいて、キャラクターはたいがいレベル90台後半。
ヨッチ族の物語をクリアしようと……これは正直つまらないんですが……がんばっています。
前回クリアしたときは飛ばしていた要素です。
ことしの頭には、それなりに楽しんでクリアしたファンタジーライフも、あらためてすべての職業をダラダラとクリアしました。
どちらも軽く200時間以上は遊んでるんですが、いま、ファミコンやスーパーファミコンが遊べる携帯端末が出たら、ぼくはどうなっちゃうんだろう。←寿命がきます
#与太話
ヨッチ族の物語をクリアしようと……これは正直つまらないんですが……がんばっています。
前回クリアしたときは飛ばしていた要素です。
ことしの頭には、それなりに楽しんでクリアしたファンタジーライフも、あらためてすべての職業をダラダラとクリアしました。
どちらも軽く200時間以上は遊んでるんですが、いま、ファミコンやスーパーファミコンが遊べる携帯端末が出たら、ぼくはどうなっちゃうんだろう。←寿命がきます
#与太話
ルパン三世の作曲家である大野雄二の、大野雄二節は、たしかにあるのです。
もう、この人にしかできない節回しというか、聞けばすぐ、「大野さんやんか」となる。
この曲はぼくがとても好きなルパン三世の一曲ですが、大野雄二さんのほかの曲を聞いて、ルパン三世を彷彿することもあります。
これなんかわかりやすい一例で、横溝正史の金田一耕助シリーズにおける犬神家の一族の曲ですが、もう冒頭部分がルパンそのもの。
あまりにも犬神家の一族の曲として定着してるからそうなっているだけで、あるいはルパンが犬神家なのか、大野雄二がルパンなのか、大野雄二が金田一耕助かもしれないし、金田一耕助がルパンなのか、もう倒錯してワケがわかりません。
#音楽
炭鉱のカナリヤは、Twitter(Twitterと、言いたい)を去る。
きょうかあしたに、ぼくのアカウントは消えます。
きょうかあしたに、ぼくのアカウントは消えます。
配達を終えて、朝、入院中の親父から電話があったんですよ。
まだ7時だったから、ふつうこんな時間にかかってくることはありません。
電話をとって、「もしもし」
返事がない。
可能性としてはふたつで、なにかとてもわるいことが起こっているか、単に電話のかけ間違い。
「聞こえてる? 電波わるいかな。ちょっとかけ直すから切るで」
と伝えて、電話を切ってかけ直すと、「もしもし」と父の声。
しゃがれてはいたけど、親父の声で、ひと安心。
結局スマホの操作を間違えてぼくにかかったらしい。
「体調はどない?」と聞くと
「体調か……最悪や」とひと言。
その言葉になんともいえぬユーモアを感じてちょっと笑ってしまい、とりつくろうように「そうか、あとひと息の辛抱やで、がんばってよ」と声をかけ「もしなんかあったら電話してや」というと、「ありがとう」と。
お盆を過ぎたあたりで、放射線治療と抗がん剤治療が終了し、そこから経過をみることになります。
ほんとうに、あともうちょっとの辛抱だし、なんとかこの治療が奏功してほしい。
まだ7時だったから、ふつうこんな時間にかかってくることはありません。
電話をとって、「もしもし」
返事がない。
可能性としてはふたつで、なにかとてもわるいことが起こっているか、単に電話のかけ間違い。
「聞こえてる? 電波わるいかな。ちょっとかけ直すから切るで」
と伝えて、電話を切ってかけ直すと、「もしもし」と父の声。
しゃがれてはいたけど、親父の声で、ひと安心。
結局スマホの操作を間違えてぼくにかかったらしい。
「体調はどない?」と聞くと
「体調か……最悪や」とひと言。
その言葉になんともいえぬユーモアを感じてちょっと笑ってしまい、とりつくろうように「そうか、あとひと息の辛抱やで、がんばってよ」と声をかけ「もしなんかあったら電話してや」というと、「ありがとう」と。
お盆を過ぎたあたりで、放射線治療と抗がん剤治療が終了し、そこから経過をみることになります。
ほんとうに、あともうちょっとの辛抱だし、なんとかこの治療が奏功してほしい。
きょうの農作業は、出荷をすませて、わずかばかりの収穫と袋詰め。朝夕の水やり。
きのうやり残した除草剤散布。
奥の圃場の草がだいぶ伸びてたので、トラクターで中耕除草。
トラクターをかけていると、土が乾燥しきっているので、細かい砂が舞うんですね。
この畑でこれなら、砂漠でトラクターをかけたらどうなるんだろうな、としょうもないことを考えながら、アレルギー体質なので、砂を吸うとあんまりよくありません。
いろいろしゃあないんですが、長靴が日射を受けることで足指の先が低温やけどみたいになったり、職業病みたいなものはどうしても起こりますね。
仕事中、来客がおふたり。巨峰とデラウェアをひと房ずつと、ビールを6本いただいて、感謝しきり。
#野菜
きのうやり残した除草剤散布。
奥の圃場の草がだいぶ伸びてたので、トラクターで中耕除草。
トラクターをかけていると、土が乾燥しきっているので、細かい砂が舞うんですね。
この畑でこれなら、砂漠でトラクターをかけたらどうなるんだろうな、としょうもないことを考えながら、アレルギー体質なので、砂を吸うとあんまりよくありません。
いろいろしゃあないんですが、長靴が日射を受けることで足指の先が低温やけどみたいになったり、職業病みたいなものはどうしても起こりますね。
仕事中、来客がおふたり。巨峰とデラウェアをひと房ずつと、ビールを6本いただいて、感謝しきり。
#野菜
『竜馬がゆく』を読み続けています。トイレ読書なので、なかなか終わらない。ずいぶん前から読んでるんですが、まだ3巻の途中です。
ぼくは勝手にそうおもってるんですが、ぼくがそのとき思案しているようなことに、司馬さんの本がこたえてくれるようなことがよく起こるんですよ。
もちろんおもい込みにすぎないんですが、その起こる頻度がほかの本と比べてあまりに多いので、これは「司馬さんとの対話」だとおもうようにしたわけです。
1960年代に書かれたこの小説の中に、ある一節があって、それがいまのぼくの中で痛烈に響きました。
引用します。
最近、ついカッとなって、旧Twitterで、芸人を開店休業しながら政治活動をしてる人のツイートに反応したんですよね。
あんまり褒められたことじゃねえな、とおもいつつも、どうしてもこちらのおもうことを述べたくなったのです。
その人の発言は大炎上したようで運営側に削除されていますが、相手は大量の石つぶてを受けているので、ぼく個人の意見など届くはずがありません。
その後のかれの考え方をみる限り、あの発言に対して真意が読めずに反論をしているわれわれがわるい、ということになっているらしい。
それでまたカッとなって、もう一度メッセージを送って、それでもう、つくづく徒労感で、こんなことはするもんじゃないな、とこっちが反省する始末。
それで、もう旧Twitterに参加する気にもなれず、じぶんの王国に引きこもってる格好になってるわけですが、そこへ、けさの司馬さんからのメッセージ。
「人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、負けたあと、持つのは、負けた恨みだけである。」
相手の考える正しさとじぶんの考える正しさがちがっていても、それはそれで受け止めておく、くらいの器量は、ぼちぼち持ちたいものです。
#与太話
ぼくは勝手にそうおもってるんですが、ぼくがそのとき思案しているようなことに、司馬さんの本がこたえてくれるようなことがよく起こるんですよ。
もちろんおもい込みにすぎないんですが、その起こる頻度がほかの本と比べてあまりに多いので、これは「司馬さんとの対話」だとおもうようにしたわけです。
1960年代に書かれたこの小説の中に、ある一節があって、それがいまのぼくの中で痛烈に響きました。
引用します。
竜馬は、議論しない。議論などは、よほど重大なときでない限り、してはならぬ、と自分にいいきかせている。
もし議論に勝ったとせよ。
相手の名誉をうばうだけのことである。通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、負けたあと、持つのは、負けた恨みだけである。
最近、ついカッとなって、旧Twitterで、芸人を開店休業しながら政治活動をしてる人のツイートに反応したんですよね。
あんまり褒められたことじゃねえな、とおもいつつも、どうしてもこちらのおもうことを述べたくなったのです。
その人の発言は大炎上したようで運営側に削除されていますが、相手は大量の石つぶてを受けているので、ぼく個人の意見など届くはずがありません。
その後のかれの考え方をみる限り、あの発言に対して真意が読めずに反論をしているわれわれがわるい、ということになっているらしい。
それでまたカッとなって、もう一度メッセージを送って、それでもう、つくづく徒労感で、こんなことはするもんじゃないな、とこっちが反省する始末。
それで、もう旧Twitterに参加する気にもなれず、じぶんの王国に引きこもってる格好になってるわけですが、そこへ、けさの司馬さんからのメッセージ。
「人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、負けたあと、持つのは、負けた恨みだけである。」
相手の考える正しさとじぶんの考える正しさがちがっていても、それはそれで受け止めておく、くらいの器量は、ぼちぼち持ちたいものです。
#与太話
スマホから旧Twitterをみると、背景が真っ黒け。パソコンにはまだ仕様変更は適用されていないようです。
そうなるという話はニュースで聞いていたから、驚きはなかったものの、背景が黒いというだけで、フォロワーさんの善良でイノセンスな菜園ツイートも陰謀論めいてみえてきます(笑)
むかしテキストサイトの一群の中にいたころ、よくアクセス数を稼いでいた「斬鉄剣」というサイトがあって、これはなんだかあちこちにケンカをふっかけているおかしなサイトだったんですが、背景が真っ黒で、いかにも「後ろ暗い」演出でした。
いまからおもうとあれは炎上商法のはしりのようなもので、野次馬をあつめるような形でアクセスを稼いでいたんですが、しかしウェブサイトがマネタイズしにくい時代にあんなことをしていた理由は、いまだによくわかりません。
ああいう過激な言論にあこがれたといってたのが「侍魂」というテキストサイトでした。しかしこちらはべつに炎上を狙っているわけではなく、文字を積極的に装飾しておもしろさをアピールするものでしたが、やはり背景は真っ黒でした。
こちらは、言論の後ろ暗さというよりは、単純に黒い背景だったことで文字の装飾のインパクトが強くなる、という効果があったようにおもえますが、読み手としては背景の暗さによって、ブラックユーモアを楽しむ心構えができていたような気はします。
どちらも個人的には「有名サイトである」以上の興味はなかったのだけど、侍魂はとりわけ多くの閲覧者をあつめて、それらの一介の個人サイトが「ネット利用者を集約する」力強さには、ネット黎明期の勢いを感じました。
当時は違法な割れサイトなども、たいがい背景が真っ黒で、いちいちご丁寧に閲覧者にそのサイトの持つ印象をアピールしていたものです。
なにが言いたいのかというと、ウェブサイトのロゴであるとか、背景といったものが、利用者の心理になんらかの作用を及ぼすということは、やっぱりあるとおもうんですよね。
古い時代をおもい返しながら、旧Twitterがいまやっている演出は、後ろ暗いものを好む閲覧者をあつめる効果はあるだろうな、などと考えるきょうこの頃。
#与太話
そうなるという話はニュースで聞いていたから、驚きはなかったものの、背景が黒いというだけで、フォロワーさんの善良でイノセンスな菜園ツイートも陰謀論めいてみえてきます(笑)
むかしテキストサイトの一群の中にいたころ、よくアクセス数を稼いでいた「斬鉄剣」というサイトがあって、これはなんだかあちこちにケンカをふっかけているおかしなサイトだったんですが、背景が真っ黒で、いかにも「後ろ暗い」演出でした。
いまからおもうとあれは炎上商法のはしりのようなもので、野次馬をあつめるような形でアクセスを稼いでいたんですが、しかしウェブサイトがマネタイズしにくい時代にあんなことをしていた理由は、いまだによくわかりません。
ああいう過激な言論にあこがれたといってたのが「侍魂」というテキストサイトでした。しかしこちらはべつに炎上を狙っているわけではなく、文字を積極的に装飾しておもしろさをアピールするものでしたが、やはり背景は真っ黒でした。
こちらは、言論の後ろ暗さというよりは、単純に黒い背景だったことで文字の装飾のインパクトが強くなる、という効果があったようにおもえますが、読み手としては背景の暗さによって、ブラックユーモアを楽しむ心構えができていたような気はします。
どちらも個人的には「有名サイトである」以上の興味はなかったのだけど、侍魂はとりわけ多くの閲覧者をあつめて、それらの一介の個人サイトが「ネット利用者を集約する」力強さには、ネット黎明期の勢いを感じました。
当時は違法な割れサイトなども、たいがい背景が真っ黒で、いちいちご丁寧に閲覧者にそのサイトの持つ印象をアピールしていたものです。
なにが言いたいのかというと、ウェブサイトのロゴであるとか、背景といったものが、利用者の心理になんらかの作用を及ぼすということは、やっぱりあるとおもうんですよね。
古い時代をおもい返しながら、旧Twitterがいまやっている演出は、後ろ暗いものを好む閲覧者をあつめる効果はあるだろうな、などと考えるきょうこの頃。
#与太話
「クリニカアドバンテージ +ホワイトニング」という歯磨き粉をつかうようになってから、シャリシャリとした歯石になりかかったような歯垢が剥がれるのがおもしろくて、歯磨き→歯間ブラシ→フロス→歯磨き という、念入りな歯磨きを楽しんでいます。
2回目の歯磨きでもすこしシャリシャリしますから、一回ではどうしても磨きのこしが出ちゃうんでしょうね。
ちなみにぼくは先日歯医者の定期検診をすっかり忘れてしまい、また無事(?)歯医者難民となりましたので、もう虫歯になるわけにはいかんのです。←自業自得
#与太話
2回目の歯磨きでもすこしシャリシャリしますから、一回ではどうしても磨きのこしが出ちゃうんでしょうね。
ちなみにぼくは先日歯医者の定期検診をすっかり忘れてしまい、また無事(?)歯医者難民となりましたので、もう虫歯になるわけにはいかんのです。←自業自得
#与太話
日本の宗教について、身近なところで起こっていることでいうと、アニメやゲームで、世界中の神話や伝説からキャラクターがとられることって、日本特有の現象のようです。
転生ものにしてもそうなんですが、海外だと国をあげてひとつの宗教の価値観が根付いていたりするから、日本のように無節操な死生観や、世界中の神話からのパクリみたいなことは、かなり抵抗があるのではないかとおもいます。
日本だと、転生もののアニメや、神話のキャラクターが無尽蔵にあらわれるゲームが無節操であるという意識も薄いとおもうんですが、おそらく海外ではこれは、じぶんの信じる宗教への冒涜ということにさえなりそうです。
日本は江戸時代までは仏教推しでしたが、明治からは神道推しになりました。
推しどころか、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)といって、仏教はもう日本から追い出そう、というところまで極端な運動に発展します。
ところが仏教とちがって神道には教義も教祖もないので、政府が天皇を神格化し、教育勅語という教義を作りました。
日本人はおおむねこの信仰のありようの変化を受け入れて熱狂したわけですが、太平洋戦争の敗戦によって教育勅語は廃止。
天皇は神ではなく人間であり、日本の象徴である、ということになって、日本人は「それじゃあわれわれはなにを信じたらいいの?」というところが宙ぶらりんになったんですね。
宙ぶらりんになったまま、80年近く過ぎようとしているわけです。
新興宗教もなんとなく怖いし、かといって葬式仏教も嫌気がさしてるし、なんだかなあ、といいながら、朝テレビで星座占いをみるようなのだってスピリチュアルで、プレ宗教みたいなものです。
みんながなにかひとつの信仰を持つ、ということがなくて、まとまらない。
お寺でお葬式をあげて、神社でお参りして、クリスマスパーティをする、なんて節操のなさにも、特に抵抗を感じることもありません。
なので、宗教的価値観に基づかないなんにでも転生しちゃう物語がジャンル化したり、ゲームのキャラクターには世界中の神様がやたらと出てくる、なんてことが起こってしまう。
それがわるいといってるんじゃないですよ。むしろよいことで、世界に例のない価値観だとおもっています。
人間はなにかを信仰せずにはいられない生き物だとおもっていますが、ぼくの場合も日本人であることをいいことに、特定の信仰に入信することもせず、つまみ食い的にいろいろとかじっては、なるほどなあ、なんてことをやりながら、だましだましその日を暮らしています。
そういう信仰の態度が許されている戦後日本の風土は、よいものだともおもっているのです。
#与太話
転生ものにしてもそうなんですが、海外だと国をあげてひとつの宗教の価値観が根付いていたりするから、日本のように無節操な死生観や、世界中の神話からのパクリみたいなことは、かなり抵抗があるのではないかとおもいます。
日本だと、転生もののアニメや、神話のキャラクターが無尽蔵にあらわれるゲームが無節操であるという意識も薄いとおもうんですが、おそらく海外ではこれは、じぶんの信じる宗教への冒涜ということにさえなりそうです。
日本は江戸時代までは仏教推しでしたが、明治からは神道推しになりました。
推しどころか、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)といって、仏教はもう日本から追い出そう、というところまで極端な運動に発展します。
ところが仏教とちがって神道には教義も教祖もないので、政府が天皇を神格化し、教育勅語という教義を作りました。
日本人はおおむねこの信仰のありようの変化を受け入れて熱狂したわけですが、太平洋戦争の敗戦によって教育勅語は廃止。
天皇は神ではなく人間であり、日本の象徴である、ということになって、日本人は「それじゃあわれわれはなにを信じたらいいの?」というところが宙ぶらりんになったんですね。
宙ぶらりんになったまま、80年近く過ぎようとしているわけです。
新興宗教もなんとなく怖いし、かといって葬式仏教も嫌気がさしてるし、なんだかなあ、といいながら、朝テレビで星座占いをみるようなのだってスピリチュアルで、プレ宗教みたいなものです。
みんながなにかひとつの信仰を持つ、ということがなくて、まとまらない。
お寺でお葬式をあげて、神社でお参りして、クリスマスパーティをする、なんて節操のなさにも、特に抵抗を感じることもありません。
なので、宗教的価値観に基づかないなんにでも転生しちゃう物語がジャンル化したり、ゲームのキャラクターには世界中の神様がやたらと出てくる、なんてことが起こってしまう。
それがわるいといってるんじゃないですよ。むしろよいことで、世界に例のない価値観だとおもっています。
人間はなにかを信仰せずにはいられない生き物だとおもっていますが、ぼくの場合も日本人であることをいいことに、特定の信仰に入信することもせず、つまみ食い的にいろいろとかじっては、なるほどなあ、なんてことをやりながら、だましだましその日を暮らしています。
そういう信仰の態度が許されている戦後日本の風土は、よいものだともおもっているのです。
#与太話
きょうの午前中は、収穫作業と、葉野菜の防除。敷地の除草剤散布。
除草剤散布はまだ1/3すませただけなので、夕方に残りをやります。
炎天に20kgの噴霧器を担いでの1万歩コースです(笑)
#野菜
除草剤散布はまだ1/3すませただけなので、夕方に残りをやります。
炎天に20kgの噴霧器を担いでの1万歩コースです(笑)
#野菜
もう10年以上、むかしの話です。
ディズニーで売ってるチュロスは、USJではなぜかチュリトスという名前で売られていて、売店でそれを「チュリトリス」と注文した女の子がいました。
それを聞いたぼくは目を伏せて心を殺すしかありませんでしたが、なぜかふとあのときのことをおもいだしたのと同時に、もしかしたら売店の人にとっては、その言い間違いはよくあることなのではないか、という気がしてきました。
https://www.google.com/search?client=fir...
検索してみたら、やっぱりそれなりにある間違いのようなので、あれは間違えた人がわるいんじゃなくて、チュリトスを売るほうがわるいんだ、とおもうようにしました。
マンゴーも名前がわるいとおもう。←延焼
#与太話
ディズニーで売ってるチュロスは、USJではなぜかチュリトスという名前で売られていて、売店でそれを「チュリトリス」と注文した女の子がいました。
それを聞いたぼくは目を伏せて心を殺すしかありませんでしたが、なぜかふとあのときのことをおもいだしたのと同時に、もしかしたら売店の人にとっては、その言い間違いはよくあることなのではないか、という気がしてきました。
https://www.google.com/search?client=fir...
検索してみたら、やっぱりそれなりにある間違いのようなので、あれは間違えた人がわるいんじゃなくて、チュリトスを売るほうがわるいんだ、とおもうようにしました。
マンゴーも名前がわるいとおもう。←延焼
#与太話
それにしても暑くて暑くて。
あんまり暑いとセミすら元気がなくなるようで、梅雨が明けたころの蝉時雨はたいしたものでしたが、いまは山の木陰でシャワシャワ鳴いとるな、くらいなものです。
そない長生きもできんのに、こないムチャクチャな暑さやとアンタらもずいぶん気の毒やな、と同情してる場合じゃありません。
この時間帯は、ぼくもヘタすりゃ家の中で倒れ込みそうです(笑)
#与太話
あんまり暑いとセミすら元気がなくなるようで、梅雨が明けたころの蝉時雨はたいしたものでしたが、いまは山の木陰でシャワシャワ鳴いとるな、くらいなものです。
そない長生きもできんのに、こないムチャクチャな暑さやとアンタらもずいぶん気の毒やな、と同情してる場合じゃありません。
この時間帯は、ぼくもヘタすりゃ家の中で倒れ込みそうです(笑)
#与太話
2023年7月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
ふと、當麻という言葉をみかけて、「あ」とおもいました。
去年ぼくは、奈良国立博物館で「中将姫と當麻曼荼羅 ―祈りが紡ぐ物語―」という特別展をやっているのを、その開催期間が終わった冬の農閑期に知って、歯噛みしたのです。
ものすごく興味があったんですが、なぜ興味があったのかということを説明するために避けて通れないのが、中将姫の物語です。
以下、仏教説話として知られる中将姫物語を要約しました。
藤原豊成は実在の朝廷高官でしたが、中将姫は実在した人物かどうか、さだかではありません。
当時、奈良から大阪の四天王寺にかけて、この手の仏教説話が多数つくられたようです。
継母にいじめられて家を追い出され、仏の功徳を受けるというパターンはほかにも「俊徳丸伝説」があって、どちらも物語の骨格の部分がとても似ています。
それはともかく、ぼくは子供のころ、東大阪市にある「大蓮」という地域に住んでいました。
近くの公園の土を30cmも掘ると水がわいてくるようなところでした。
いまは治水工事がなされていますが、むかしの大阪はどこもかしこも沼地で、田んぼとレンコン畑だらけだったという、その名残があったんですね。
最近になって知ったんですが、この大蓮という地名は、中将姫が蓮の糸を探したときに、とてもよい蓮がとれたことからその地名になったとのことでした。
知らず知らず中将姫の伝説に縁のあるところで暮らしていたのだな、と勝手に親近感をおぼえていたのです。
#与太話
去年ぼくは、奈良国立博物館で「中将姫と當麻曼荼羅 ―祈りが紡ぐ物語―」という特別展をやっているのを、その開催期間が終わった冬の農閑期に知って、歯噛みしたのです。
ものすごく興味があったんですが、なぜ興味があったのかということを説明するために避けて通れないのが、中将姫の物語です。
以下、仏教説話として知られる中将姫物語を要約しました。
奈良時代の貴族、藤原豊成の妻に女の子が生まれます。
紫陽花寺で有名な長谷寺に願をかけて生まれたことから、長谷姫と名付けられました。
その後豊成の妻が亡くなります。
長谷姫が6歳のときに豊成は後妻をめとるのですが、この後妻が非常に嫉妬深い性格でした。
長谷姫は聡明な美女だったために、この継母から虐待を受けます。
長谷姫は13歳の折に、朝廷でその才が認められ、中将の位を授かって内侍となり、中将姫と呼ばれるようになりました。
いよいよ嫉妬心を燃やした後妻は、家臣に命じて中将姫を殺害しようとします。
しかし中将姫の心根を知っている家臣には、殺すなどできようはずがありません。
中将姫は家臣に助けられ、宇陀の山中にかくまわれて暮らすことになりました。
豊成はその後姫を探し続けたのですが、翌年ようやく再開を果たします。
豊成は娘を都に連れて帰ろうとしたのですが、姫はそれを断り、仏門に入りたいと願い出ました。
豊成はその願いを受け入れて、當麻寺に姫を届けます。
中将姫は16歳になっていました。
それからというもの、姫は毎日仏道に励み、亡くなった母をおもい、じぶんも極楽浄土へとのおもいを募らせるようになります。
あるとき姫は仏の化身に出会い、蓮をたくさん集めなさいという啓示を受けます。
中将姫は方々に頼んでたくさんの蓮をあつめて、それを糸にしました。
するとまた仏の化身があらわれて、この糸を織り上げなさいという。
姫は一心に蓮糸をつむぎ、一夜のうちにすばらしい曼荼羅を作り上げました。
曼荼羅を完成させた中将姫は、29歳で極楽に往生したといいます。
藤原豊成は実在の朝廷高官でしたが、中将姫は実在した人物かどうか、さだかではありません。
当時、奈良から大阪の四天王寺にかけて、この手の仏教説話が多数つくられたようです。
継母にいじめられて家を追い出され、仏の功徳を受けるというパターンはほかにも「俊徳丸伝説」があって、どちらも物語の骨格の部分がとても似ています。
それはともかく、ぼくは子供のころ、東大阪市にある「大蓮」という地域に住んでいました。
近くの公園の土を30cmも掘ると水がわいてくるようなところでした。
いまは治水工事がなされていますが、むかしの大阪はどこもかしこも沼地で、田んぼとレンコン畑だらけだったという、その名残があったんですね。
最近になって知ったんですが、この大蓮という地名は、中将姫が蓮の糸を探したときに、とてもよい蓮がとれたことからその地名になったとのことでした。
知らず知らず中将姫の伝説に縁のあるところで暮らしていたのだな、と勝手に親近感をおぼえていたのです。
#与太話
午前中、草刈り機のあれこれをし、午後はオクラの圃場の草取りをしました。
葉っぱが獣に食べられて、ほとんど茎だけになったとき、もうこれは終わったな、とおもっていたのが、オクラはよほど頑丈な植物のようで、そこから脇芽が育つ格好で、低いところから花を咲かせ始めています。
花が充実するまでにまだ2週間ほどかかりそうですから、やっぱりお盆くらいにすこしだけ盛り返してくるかな、と。
いまは2袋とれるかどうか、といったところですが、1日10袋ぶんもとれれば、当初の絶望をおおもえば上々ですよ(笑)
毎日水やりしたことで、葉野菜もそれなりに発芽してきました。
残念ながら発芽時期はそろっていませんが、発芽率はまあまあです。
あとひと息、なんとか全体的に発芽してもらいたいとおもいつつ、このまま育ってくれれば、売り物にはなりそうです。
ぼくもがんばるから、野菜もなんとかがんばってほしい(笑)

#野菜
葉っぱが獣に食べられて、ほとんど茎だけになったとき、もうこれは終わったな、とおもっていたのが、オクラはよほど頑丈な植物のようで、そこから脇芽が育つ格好で、低いところから花を咲かせ始めています。
花が充実するまでにまだ2週間ほどかかりそうですから、やっぱりお盆くらいにすこしだけ盛り返してくるかな、と。
いまは2袋とれるかどうか、といったところですが、1日10袋ぶんもとれれば、当初の絶望をおおもえば上々ですよ(笑)
毎日水やりしたことで、葉野菜もそれなりに発芽してきました。
残念ながら発芽時期はそろっていませんが、発芽率はまあまあです。
あとひと息、なんとか全体的に発芽してもらいたいとおもいつつ、このまま育ってくれれば、売り物にはなりそうです。
ぼくもがんばるから、野菜もなんとかがんばってほしい(笑)

#野菜
自走式の草刈り機がまた故障。
といっても、これは完全にぼくの側の問題で、木の根っこにブレードが当たってしまったことで、刃が回転しなくなり、途方にくれました。
おそらくどこかがゆがんでしまって、回転する際に負荷がかかって、回らなくなっているのでしょう。
板金で直すか、ハウジングボディとブレードガイドを買って(それぞれ17800円と7884円)交換するか。
もうこれ以上の出費はかなわんし、さすがにこの手の板金はシロウトがやれるものじゃなさそうだし……。
で、仕方ないのでとりあえずブレードを外して、具合を確認。
まずブレードを固定しているボルトの頭が完全になめていて、16サイズのレンチで合わせても、クルクル回ってしまいます。
そりゃそうですよ。
ブレードと一緒に回ってて、草や木の根っこに当たり続けてたんだから、ボルトの角は削れてしまいます。
で、仕方ないのでモンキーレンチでボルトを挟み込んで……外れない。
結局、かなづちで叩きながらゆっくりとボルトを外しました。
ボルトもヘンな方向に負荷がかかっているようで、なかなか外れなくなってるんです。
これを無理やり外して、様子を見たんですが、やっぱりシロウトが手出しできる感じじゃなさそう。
気休めにKURE3-36(防錆と潤滑)のスプレーを念入りにふきかけて、ブレードをもとに戻したんですが、意外とこのスプレーによってブレードがスイスイ回るようになりました。
もしやとおもってエンジンをかけて回転数を上げると、しぶしぶ回ってくれます(笑)
作業後にスプレーで潤滑させながら様子をみて、やっぱり調子が悪いようなら、部品を交換しようとおもいます。
あーあ、ことしはこんなんばっかりだぁ。
ちなみにボルトを外すときに指のあちこちをすりむいて、血が出てヒリヒリ痛いのも悲しい(笑)
#野菜
といっても、これは完全にぼくの側の問題で、木の根っこにブレードが当たってしまったことで、刃が回転しなくなり、途方にくれました。
おそらくどこかがゆがんでしまって、回転する際に負荷がかかって、回らなくなっているのでしょう。
板金で直すか、ハウジングボディとブレードガイドを買って(それぞれ17800円と7884円)交換するか。
もうこれ以上の出費はかなわんし、さすがにこの手の板金はシロウトがやれるものじゃなさそうだし……。
で、仕方ないのでとりあえずブレードを外して、具合を確認。
まずブレードを固定しているボルトの頭が完全になめていて、16サイズのレンチで合わせても、クルクル回ってしまいます。
そりゃそうですよ。
ブレードと一緒に回ってて、草や木の根っこに当たり続けてたんだから、ボルトの角は削れてしまいます。
で、仕方ないのでモンキーレンチでボルトを挟み込んで……外れない。
結局、かなづちで叩きながらゆっくりとボルトを外しました。
ボルトもヘンな方向に負荷がかかっているようで、なかなか外れなくなってるんです。
これを無理やり外して、様子を見たんですが、やっぱりシロウトが手出しできる感じじゃなさそう。
気休めにKURE3-36(防錆と潤滑)のスプレーを念入りにふきかけて、ブレードをもとに戻したんですが、意外とこのスプレーによってブレードがスイスイ回るようになりました。
もしやとおもってエンジンをかけて回転数を上げると、しぶしぶ回ってくれます(笑)
作業後にスプレーで潤滑させながら様子をみて、やっぱり調子が悪いようなら、部品を交換しようとおもいます。
あーあ、ことしはこんなんばっかりだぁ。
ちなみにボルトを外すときに指のあちこちをすりむいて、血が出てヒリヒリ痛いのも悲しい(笑)
#野菜
おじさんは、ここ最近、ずーっとこの曲聞いてる。
#音楽
#音楽
中央線、東京に行ったときに一度だけ乗ったのだけど、こんな情緒のある感じじゃなかったな。
でも、たぶん、そこに暮らしていると、情緒が生まれるんだとおもうのです。
#音楽
長生ちゃん、すごい人だったんですよね。
#音楽
#音楽
ことしはたぶんどこもお祭りさかんだとおもいますが、ぼくは大阪の八尾に住んでいたことがありました。
八尾というのは河内音頭の本拠地で、ちょっとヤンチャなのはやぐらの内側で「飛び河内」というカロリー消費の激しい踊りをして、やぐらの外側ではおっとりした老若男女踊れるのをやってる。
石田長生はギタリストで、charという日本を代表するギタリストの相棒を務めるような技巧者で、八尾出身でした。
ぼくは当時八尾のショットバーに通う阿呆な道楽者で、そのバーでブルースバンドをしてたんですが、あるとき店に行くと、先輩が「おい、この人知ってるか」という。
「んー?」というと、「石田長生さんやがな!」と興奮気味にいわれて、ああ、すごい人やんかと。
八尾出身の人だから、たまたま帰ってきてて、適当なバーに立ち寄った、ということなんでしょう。
ちょうどそのときは妹も後で合流して飲む予定だったんですが、ともかくぼくは酒飲みなので、長生さんとわあわあしゃべってるうちにべろんべろんに酔っ払い、妹も合流してこれもまた酒飲みで、次第に明るい酒ではあるけども乱れてくる。
「長生ちゃん! 帽子かして!」
「長生ちゃん! 一緒に写真撮りましょっ!」
悪魔のような酒乱の兄妹が、文句のいえぬ著名人を相手取り、妹が帽子をぶんどってぼくに長生きちゃんの帽子をかぶせ、ぼくと妹と長生ちゃんで写真を撮るという、いまからおもえば信じられぬような狼藉をはたらき、それでも長生ちゃんはなぜかうれしそうで、ご機嫌でしてね。
そのときはものすごくよい酒宴だったのです。
あれから15年ほどして、長生ちゃんがガンで亡くなったと知り、ぼくはそりゃあもう、いまでも落ち込んでます。
さて、AZUMIという、これも日本を代表するブルースギタリストがいて、この人の弾き語りは、完全なる憑依型。
予定調和的なものではなくて、その瞬間の空気から作品を生み出していくような、天才です。
大学時代に、伊勢の内宮のカップジュビーというカフェでライブをしていて、それを聞いて以来、いまもYouTubeで親しませていただいてるのだけど、そのAZUMIさんの、石田長生さんを憑依させた自家製河内音頭の一曲。
八尾というのは河内音頭の本拠地で、ちょっとヤンチャなのはやぐらの内側で「飛び河内」というカロリー消費の激しい踊りをして、やぐらの外側ではおっとりした老若男女踊れるのをやってる。
石田長生はギタリストで、charという日本を代表するギタリストの相棒を務めるような技巧者で、八尾出身でした。
ぼくは当時八尾のショットバーに通う阿呆な道楽者で、そのバーでブルースバンドをしてたんですが、あるとき店に行くと、先輩が「おい、この人知ってるか」という。
「んー?」というと、「石田長生さんやがな!」と興奮気味にいわれて、ああ、すごい人やんかと。
八尾出身の人だから、たまたま帰ってきてて、適当なバーに立ち寄った、ということなんでしょう。
ちょうどそのときは妹も後で合流して飲む予定だったんですが、ともかくぼくは酒飲みなので、長生さんとわあわあしゃべってるうちにべろんべろんに酔っ払い、妹も合流してこれもまた酒飲みで、次第に明るい酒ではあるけども乱れてくる。
「長生ちゃん! 帽子かして!」
「長生ちゃん! 一緒に写真撮りましょっ!」
悪魔のような酒乱の兄妹が、文句のいえぬ著名人を相手取り、妹が帽子をぶんどってぼくに長生きちゃんの帽子をかぶせ、ぼくと妹と長生ちゃんで写真を撮るという、いまからおもえば信じられぬような狼藉をはたらき、それでも長生ちゃんはなぜかうれしそうで、ご機嫌でしてね。
そのときはものすごくよい酒宴だったのです。
あれから15年ほどして、長生ちゃんがガンで亡くなったと知り、ぼくはそりゃあもう、いまでも落ち込んでます。
さて、AZUMIという、これも日本を代表するブルースギタリストがいて、この人の弾き語りは、完全なる憑依型。
予定調和的なものではなくて、その瞬間の空気から作品を生み出していくような、天才です。
大学時代に、伊勢の内宮のカップジュビーというカフェでライブをしていて、それを聞いて以来、いまもYouTubeで親しませていただいてるのだけど、そのAZUMIさんの、石田長生さんを憑依させた自家製河内音頭の一曲。
きょうもきょうとて水やりに追われる一日でした。第二弾の葉野菜の発芽はそれなりに課題はあるものの上々。
来年の夏は、状況をみながらヒットアンドアウェーで栽培できるんじゃないかな、という気がします。
雨が多いようなときには畑づくり自体を我慢しつつ、タイミングの合うときに栽培して水やりと防除をしながら出荷。
夏のひと仕事が増えてくれれば、より生活が安定します(笑)
ことしは少し足止めをくらいましたが、こういう栽培スタイルが確立すれば来年にはかなり飛躍できそうにもおもえます。
問題はオッサンひとりのマンパワーが足りるかどうかですが。
#野菜
来年の夏は、状況をみながらヒットアンドアウェーで栽培できるんじゃないかな、という気がします。
雨が多いようなときには畑づくり自体を我慢しつつ、タイミングの合うときに栽培して水やりと防除をしながら出荷。
夏のひと仕事が増えてくれれば、より生活が安定します(笑)
ことしは少し足止めをくらいましたが、こういう栽培スタイルが確立すれば来年にはかなり飛躍できそうにもおもえます。
問題はオッサンひとりのマンパワーが足りるかどうかですが。
#野菜
画像の投稿サイズを無制限にしてたんですが、これちょっと圧縮しないとサーバーに負担がかかるなあと、レンタルサーバーの容量をみたら200GB。
画像1枚5MBまでにしたとして、きっちり5MBの画像で200GBを割ると、およそ4万枚の画像が貼れます。
毎日1枚投稿するとしても、100年以上つかえるようです。
2枚だったら50年。
まあ、ぼくの寿命を考えて、そんなに気にせんでよかろう、とおもうんですが、いちおう1枚の画像のサイズは5MBまでに制限します。
画像1枚5MBまでにしたとして、きっちり5MBの画像で200GBを割ると、およそ4万枚の画像が貼れます。
毎日1枚投稿するとしても、100年以上つかえるようです。
2枚だったら50年。
まあ、ぼくの寿命を考えて、そんなに気にせんでよかろう、とおもうんですが、いちおう1枚の画像のサイズは5MBまでに制限します。
先週の土曜日に母に電話したとき、闘病中の親父が入院している同室でコロナ患者が出た、という話は聞いていたんですよ。
で、その日に検査をしたら陰性だったけど、電話をした翌日の先週日曜日に陽性が出ていたことを、きょう電話で聞きました。
5月以降、楽観的な見通しの後で、絶望に突き落とされるようなひどいことになって、それがなんとか最悪の事態にならずにすんで、ホッとしたとおもったら、またわるいことが起こって、それが最悪の事態にまではならずにすんで、というループを3回ほど繰り返しています。
今回もコロナにかかった、というのは、正直命にかかわるくらいの一大事でしたが、病院内で起こったということと、ともかく一週間過ぎて回復基調にあるということで、これもまた最悪の事態にはならずホッとしています。
母からすると、個室に入れられて外に出られず、カラダを動かすことができないので、機能低下が起こるのではないかという心配があるようです。
まあ親父はまだそこまでやる気がない状態にはならないとおもうので、多少筋肉が落ちても、またリハビリしてもらえるだろうとおもってるんですが、どうなることやら。
ことしは親父がこんな調子だから、ぼくが墓参りに行こうとおもってたんですが、いま電話したら、母が「わたしひとりでも行くで」というので、それならいったんお任せするけど、もしなにか事情ができたらいつでも言うてや、と伝えておきました。
なんだかぼく自身もことしは百姓仕事でいろいろあるので、心の逃がしどころみたいなのがあればとおもってたんですが、そういうことなら、神社にでもお参りして、親父のぶんとぼくのぶん、お守りでも授かろうかなとおもう次第。
で、その日に検査をしたら陰性だったけど、電話をした翌日の先週日曜日に陽性が出ていたことを、きょう電話で聞きました。
5月以降、楽観的な見通しの後で、絶望に突き落とされるようなひどいことになって、それがなんとか最悪の事態にならずにすんで、ホッとしたとおもったら、またわるいことが起こって、それが最悪の事態にまではならずにすんで、というループを3回ほど繰り返しています。
今回もコロナにかかった、というのは、正直命にかかわるくらいの一大事でしたが、病院内で起こったということと、ともかく一週間過ぎて回復基調にあるということで、これもまた最悪の事態にはならずホッとしています。
母からすると、個室に入れられて外に出られず、カラダを動かすことができないので、機能低下が起こるのではないかという心配があるようです。
まあ親父はまだそこまでやる気がない状態にはならないとおもうので、多少筋肉が落ちても、またリハビリしてもらえるだろうとおもってるんですが、どうなることやら。
ことしは親父がこんな調子だから、ぼくが墓参りに行こうとおもってたんですが、いま電話したら、母が「わたしひとりでも行くで」というので、それならいったんお任せするけど、もしなにか事情ができたらいつでも言うてや、と伝えておきました。
なんだかぼく自身もことしは百姓仕事でいろいろあるので、心の逃がしどころみたいなのがあればとおもってたんですが、そういうことなら、神社にでもお参りして、親父のぶんとぼくのぶん、お守りでも授かろうかなとおもう次第。
夏ならではの怖い話、といっても、ぼくはなにか、守られているとか、直感はあるのだけど、霊感はまったくないんで、その手の話はできません。
ただ最近、個人的に怖いとおもったことはあって、それはなにかというと。
寝ている間に怖い夢をみて、金縛りにあったりして、「助けてくれ」と言おうとしてもうまく声が出せず、ようやくなんとか声が出て、「助けてくれえ!!」と叫ぶ。
そんな経験、ありませんか?
一生懸命叫んだので、これでだれか助けてくれるんじゃないかと期待しながら、なんとか金縛りを解いて、フッと目が覚める。
しかしどうやらこのとき、「助けてくれ」の言葉は、実際には言葉になっていないらしいんですよ。
ぼく自身は、あれは現実の言葉になっているとおもい込んでいたのですが、実際はまったく言葉になっていないようです。
だから、すごい怖い夢をみても、一生懸命叫んでも、現実にはだれも助けにきてくれないんですよね。
ばあちゃんが亡くなる二日前のこと。
97歳のばあちゃんは、もう意識もほとんどなく、衰弱していたんですが、もう最後かもしれないと、親戚がみんなで集まってあれこれしゃべってたときに、ベッドに寝ているばあちゃんの指がとことこと動くのをみたんです。
なにか懐かしい声がするので、意識の反応があったのだろう、というくらいのことでした。
いまになって、もしかしたらばあちゃんは、夢の中で、なにかわれわれに向かって、言葉を叫んでいたのかもしれないなと、そんなことをおもったんですよね。
あの指の動きからばあちゃんの言葉を汲み取ってやることはできなかったものか、とおもうと同時に、じぶんが死ぬときも、もしかしたら、一生懸命叫んでるのにだれにも言葉が届いてないのかもしれないなとおもうと、背筋がキュッとなったんですよね。
#与太話
ただ最近、個人的に怖いとおもったことはあって、それはなにかというと。
寝ている間に怖い夢をみて、金縛りにあったりして、「助けてくれ」と言おうとしてもうまく声が出せず、ようやくなんとか声が出て、「助けてくれえ!!」と叫ぶ。
そんな経験、ありませんか?
一生懸命叫んだので、これでだれか助けてくれるんじゃないかと期待しながら、なんとか金縛りを解いて、フッと目が覚める。
しかしどうやらこのとき、「助けてくれ」の言葉は、実際には言葉になっていないらしいんですよ。
ぼく自身は、あれは現実の言葉になっているとおもい込んでいたのですが、実際はまったく言葉になっていないようです。
だから、すごい怖い夢をみても、一生懸命叫んでも、現実にはだれも助けにきてくれないんですよね。
ばあちゃんが亡くなる二日前のこと。
97歳のばあちゃんは、もう意識もほとんどなく、衰弱していたんですが、もう最後かもしれないと、親戚がみんなで集まってあれこれしゃべってたときに、ベッドに寝ているばあちゃんの指がとことこと動くのをみたんです。
なにか懐かしい声がするので、意識の反応があったのだろう、というくらいのことでした。
いまになって、もしかしたらばあちゃんは、夢の中で、なにかわれわれに向かって、言葉を叫んでいたのかもしれないなと、そんなことをおもったんですよね。
あの指の動きからばあちゃんの言葉を汲み取ってやることはできなかったものか、とおもうと同時に、じぶんが死ぬときも、もしかしたら、一生懸命叫んでるのにだれにも言葉が届いてないのかもしれないなとおもうと、背筋がキュッとなったんですよね。
#与太話
いままで散水ノズルって、ホームセンターの500円くらいの安いのをつかってたんですが、ネットで散水ノズルをいろいろみていると、大水量が出るノズルがありました。
ネットでは買わなかったんですが、その後ホームセンターに行くとおなじようなものが売ってて、1500円くらいするから高価ではあるんですが、作業が省力化するなら一度試してみようかな、と購入。
で、買ったことをすっかり忘れてて、3日くらい前にふとおもい出して使ってみたんですが、ほんとうに作業時間が短縮されました。
ぼくはふだん「シャワー(外)」というパターンで水やりをするんですが、これまでのものはジョウロの水やりに圧をかけたくらいの、ジャアジャアといった感じで水が出ていました。
これが大水量のモデルだと、おなじ「シャワー(外)」で水を出した瞬間、ちょっと手首に負荷がかかるくらいの水圧がかかり、ジャーッって感じで出ます。
そのまま直に畝に向けると土がえぐれるくらい水圧が強いので、ヘッドを上向きにしてやわらかく水をかけるようにしていますが、これまで2アールほどの畑に一回の水やりで30分ほどかかってたのが、20分足らずでいままでよりたっぷり水やりができるようになりました。
水やりの時間短縮を、人件費として考えたら、高価なノズルでも、安い買い物だったとおもいます。
やっぱり、道具選びは大事だなとつくづく。
#野菜
ネットでは買わなかったんですが、その後ホームセンターに行くとおなじようなものが売ってて、1500円くらいするから高価ではあるんですが、作業が省力化するなら一度試してみようかな、と購入。
で、買ったことをすっかり忘れてて、3日くらい前にふとおもい出して使ってみたんですが、ほんとうに作業時間が短縮されました。
ぼくはふだん「シャワー(外)」というパターンで水やりをするんですが、これまでのものはジョウロの水やりに圧をかけたくらいの、ジャアジャアといった感じで水が出ていました。
これが大水量のモデルだと、おなじ「シャワー(外)」で水を出した瞬間、ちょっと手首に負荷がかかるくらいの水圧がかかり、ジャーッって感じで出ます。
そのまま直に畝に向けると土がえぐれるくらい水圧が強いので、ヘッドを上向きにしてやわらかく水をかけるようにしていますが、これまで2アールほどの畑に一回の水やりで30分ほどかかってたのが、20分足らずでいままでよりたっぷり水やりができるようになりました。
水やりの時間短縮を、人件費として考えたら、高価なノズルでも、安い買い物だったとおもいます。
やっぱり、道具選びは大事だなとつくづく。
#野菜
この時期の雨は蜃気楼のようなもので、降りそうでも、降らないことが多いのです。
夕方にかけて遠雷がドカドカ鳴っていて、向こうに雨雲が流れていても、こちらの空は晴れている。
そんな日が続いています。
雨の予報が出ていても、空の調子をみていれば「これは五分五分やなあ」と感覚でわかります。
なので、雨がもらえるかもしれない、という期待はせず、水やりします。
けさもよく晴れています。さあ、ぼちぼち収穫をして、水やりをしましょう(笑)
夕方にかけて遠雷がドカドカ鳴っていて、向こうに雨雲が流れていても、こちらの空は晴れている。
そんな日が続いています。
雨の予報が出ていても、空の調子をみていれば「これは五分五分やなあ」と感覚でわかります。
なので、雨がもらえるかもしれない、という期待はせず、水やりします。
けさもよく晴れています。さあ、ぼちぼち収穫をして、水やりをしましょう(笑)
それにしても、8月に入るあたりから、葉物が充実するまで、微妙にヒマになりそうなのです。
そこで、なにかじぶんの気分を納得させる材料みたいなのが欲しいなあ、とおもってるんですが、ことしは闘病中の親父にかわって、ぼくがお盆に実家の墓参りをするのがいいかな、とおもって。
ヒマだからとじぶんだけのためにどこぞへ旅行したいというようなこともないので、不運を逆利用するにはちょうどよい機会ととらえて、軽く日帰り墓参りと洒落込もうではありませんか。
そこで、なにかじぶんの気分を納得させる材料みたいなのが欲しいなあ、とおもってるんですが、ことしは闘病中の親父にかわって、ぼくがお盆に実家の墓参りをするのがいいかな、とおもって。
ヒマだからとじぶんだけのためにどこぞへ旅行したいというようなこともないので、不運を逆利用するにはちょうどよい機会ととらえて、軽く日帰り墓参りと洒落込もうではありませんか。