山麓王国

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オーディブル。

まんまことシリーズ。

この作品はすこしずつ主人公たちの結婚が進んでいくんですが、それ以外は謎解きのようになっていて、いわば舞台が江戸の、大人による『ズッコケ三人組』のような感じです。

9巻まであるうちの、7巻『かわたれどき』まで聞いて、さすがにすこし疲れてきました。

1巻10時間ほどあるので、70時間ちょっとは聞いたことになります。

そこで、気分を変えて『木挽町のあだ討ち』を聞くことに。



これはなんとなくうわさでおもしろいということを聞いていて、江戸が舞台であるということ以外、どんな話かさっぱりわからないまま聞いてみました。

つい今しがた聞き終えたんですが、たしかにおもしろい。

芥川龍之介が書いた『藪の中』という作品があります。

これはいまでも「真相は藪の中」なんて言い方をする、そのもとになった作品です。

ある男が死んだ、その真相を知るために、いろんな人から話を聞いていくんですが、みんなそれぞれに証言が食い違っていて、なにがなんだかわからなくなる。

『藪の中』はみんな語り口調で話していく作品なんですが『木挽町のあだ討ち』もおなじやり方で、いろんな人が話をする格好で物語が展開していきます。

真相がどんどんわからなくなっていく短編の『藪の中』の向こうを張って、真相がすこしずつ明らかになって、最終的にすべての伏線がキレイに回収される長編が『木挽町のあだ討ち』といった感じ。

たぶん、作者は『藪の中』を意識してるだろうとおもうんですよね。

ちなみに『木挽町のあだ討ち』はところどころにホロッとくるところがあります。

ひとつ間違うとベタな展開になりがちなところを、こちらの心に浸み込むように伝えてくる技術はすごいとおもいました。



あとこれから、遠藤周作の『沈黙』の朗読があたらしく入ってきたのでこれを聞こうかとおもっていて、さらに半藤一利の語る昭和史と幕末史あたりも聞こうとおもっています。

2か月間で200円の割引セールなんですが、いまだいたい一か月。

ふだんの月額1500円はとても出せませんが、さて、タイムリミットまでにどこまで聞けることでしょう(笑)

#与太話
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今週半ばに、日曜日に餅つきをしようとお誘いがありました。

コロナになってから、自治会のイベントが減ったことで、ご近所さんが有志でやってくれているのです。

集まるのは8人ほど。

屋外の餅つきなんですが、去年からはぼくが鍋の用意を自発的にするようになり、ことしもおなじく鍋の野菜や肉の準備と、あとお酒を買いました。

気をつかわなくていいと言ってもらってるんですが、餅や場所を用意してくださるのがふだん物心両面でお世話になっているご近所さんで、すこしくらい還元させてもらいたくて。

しかしあしたはどうも風が強くなりそうなので、もしかしたらご近所さんの家の中で、餅つき機をつかってやることになるかもしれないとご連絡がありました。

そのほうがラクでよいのは間違いありません(笑)

というわけであしたは一日酒飲みになりそうです。

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庚申信仰は、庚申の日の夜には眠ってはならないというんですよね。

眠ると体内から三尸が出てきて、天帝に告げ口をしてわるいことが起こる(寿命が縮む)というような迷信があるため、人の心が離れてしまったのだろうとおもいます。

むかしはそういった民間信仰でも地域の結びつきにはなっていたのだろうとおもうんですが、この手の罰則をつくるような信仰は長続きしないですね。

生前の行いが死後に裁かれるというような地獄思想が現代になって廃れたのも、罰則だからです。

「〇〇してはならない。これを破ると天罰が下る」というような信仰は、法律がまともに機能していなかった近代以前には一定の効果もあったのかもしれません。

が、法による罰則がしっかり機能する時代になると、罰則は宗教の役割ではなくなります。

それに加えて、庚申信仰は古神道のようにはっきりした教祖もなく、「人間はこう生きるべき」という教義もなくてぼんやりしていたところも、衰退の原因だろうとおもいます。



一本下駄は山登りに便利で修験者が履いていたというんですが、そもそもあれを履きこなすのに修行が必要そうです。

猿田彦も現代風にスパイク長靴くらい履かせてあげればいいのになあ(笑)



信仰の作法の件ですが、先日テレビ番組で宗教者ふたりが対談しているのをみました。

いま起こっているイスラエルの戦争について語っていたんです。

イスラエルの、いま戦争が起こっているガザから東へ80kmほど離れたところに、エルサレムがあります。

エルサレムにはユダヤ教の聖地「嘆きの壁」、キリスト教の聖地「聖墳墓(せいふんぼ)教会」、イスラム教の聖地「岩のドーム」があります。

世界の主要な宗教3つの聖地が、エルサレムに固まっているんですね。

日本人であれば、じぶんの信仰にかかわらず、あんまりむずかしく考えず、嘆きの壁にも聖墳墓教会にも岩のドームにも、観光気分で行くのではないかとおもいます。

でも現地では、じぶんの宗教がユダヤ教なら嘆きの壁にしか行かない。

キリスト教なら聖墳墓教会にしか行かないし、イスラム教なら岩のドームにしか行かないのだそうな。

それぞれ、すぐ近くにあるべつの聖地には見向きもしない。

そういう宗教的な頑固さが、長く続いているイスラエルの戦争の一因ではないかというんですね。



なにが言いたいのかというと、じぶんの信仰に対してあまり頑固になって、よその宗教を受け付けないということをすると、それはやっぱり対立を生んで、いがみあうきっかけになってしまうということです。

キリスト教徒がお焼香をするのは、むしろキリスト教の懐の深さを示すことになるでしょうし……お地蔵さんに柏手を打つのも、その人に信心が備わっていれば問題ないような気がします(笑)
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三尸の虫の話は道教でしたね。
庚申信仰というのは、なかなかややこしいですね。
なんとなくですが、神社に行ってお参りするというより、もっと地域的な、人とのつながりを感じま・・・・。

・・・ここでちょっと気になったので、ネットで検索してきましたが、やっぱり「講」もあったんですね。


小野照崎神社、お参りしたことはありませんが、地獄と行き来していたという、小野篁の神社ですね。
ネットで写真を見ると(HPではありません)、まゆ玉みくじの結び処は、五芒星の形になっています。
雅楽の奉納やいろいろな神事もあり、けっこう規模の大きい神社のようです。
SNSで公式サイトがあり、最近は全然読んでいませんでしたが、さきほど見たら猿田彦・庚申塚についての記事がありました。

https://note.com/onoteru/n/n68a01c76be86

猿田彦役の人、天狗のようなお面をつけていますね。
あの一本歯の下駄は、山伏が履く下駄でしょうか。
神職の人が猿田彦役なのかどうかわかりませんが、あれでちゃんと歩けるのか心配です(笑)

(追記)
 この世とあの世の境「六道の辻」に立つ六道珍皇寺の境内には、小野篁が冥土通いに使ったと伝わる井戸がある。六道の「六」がまたありました。

曾祖母の話、個人的なことで申し訳なかったのですが、農園主さんが仰ってくださったこと、よくわかります。
曾祖母のお墓があるお寺は浄土宗なのですが、昔は菩提寺というものは信仰とは別で、単純に先祖のお墓があるからお参りするというものだったのかもしれません。

日本では、特定の宗教一種類だけを信心している人はごくわずかだと思います。
クリスチャンの場合は、寺社仏閣で手を合わせない、お焼香はしないという暗黙の了解があるようですが、郷に入っては~~という感覚がないのかな?と思います。
私もクリスチャンだった時期があるので、そのような融通のきかない姿勢は気になります。

お地蔵さま(高岩寺)や、他のお寺では、お賽銭箱の前で二礼二拍手をしている人がよくいます。
神仏はそのようなことは気にしないと思いながらも、お参りの最中のパンパンという音は、ちょっとイラッとします(笑)←修行が足りない(>_<)
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猿田彦大神庚申堂のご紹介、ありがとうございます。
参考になりました。

庚申信仰はほんとうに不思議で、道教の影響を受けながら、闇鍋のように天台宗、山岳信仰、神道などをごった煮にしているでしょう。

もうすでに江戸時代末期には自然衰退していたといいますが、日本の信仰としては傍流扱いだったためか、明治の神仏分離の直接的な迫害の影響は少なかったようですね。

大阪の四天王寺にも庚申堂があります。

大阪市のホームページでは、庚申信仰の発祥の地であるというのですが、それにしては四天王寺の境内からは外れたところにあり、一般的な都市部のお寺くらいの広さです。

ぼくは庚申信仰について知らないまま、四天王寺あたりを自転車でぶらぶらしていて、このお堂をみつけました。

三猿がいたり、本尊が青面金剛で、三尸の虫の伝説など、非常に変わった伝説があることにおどろいたんですが、たしかあのときはたまたま庚申まいりの日だったかなにかで、それなりに賑わっていたんですよね。

記憶があいまいなんですが、3千円くらいだったかで、お線香とお札だったかを買うことで、中のお堂でご祈祷をしてもらえるようで、ぼくがいた数十分の間にも何組かが購入していました。

あの人々はほんとうに庚申信仰をしているのか、四天王寺の信仰のついでなのか、そのあたりはよくわかりません。

日本三大庚申は、京都八坂、東京浅草寺、大阪四天王寺のみっつなのだそうですが、浅草の入谷庚申堂はいまはなく、小野照崎神社に塚がうつされているようです。

そう考えると、巣鴨の庚申塚駅のほうが信仰としてはまだ残っている感じがありますが、マジメに庚申信仰をしている人はもうほとんどいないのではないかという気がします。




南無大師遍照金剛ということは、真言宗ですね。

日本のいわゆる十三宗で、南無〇〇、という唱名で、日本の僧侶の名前が入るのは、空海(真言宗)と最澄(天台宗)という、同時期を生きたふたりなんですよね。

唱名が、真言宗では南無大師遍照金剛、天台宗では南無宗祖根本伝教大師福聚金剛。

ほかは基本的に南無釈迦牟尼仏や南無阿弥陀仏、日蓮宗は法華経そのものが本尊で南無妙法蓮華経ですね。

そういう意味では、鎌倉以降に出てきた開祖たちと比べて、空海と最澄……とりわけ空海は人間というよりは超越した概念として扱われている感じです。



あくまでぼくの解釈ですが、神仏はわれわれに信仰を押し付けたりはしないので、曾祖母様がみられた夢は、ご自身の心の中に、信仰をおろそかにしているという自覚があったのではないかとおもうのです。

それが夢という形を借りて出てきて、じぶんへの戒めとして心に刻まれた。

信仰というのは、時代の変化、じぶんをとりまく環境の変化、じぶんの心境の変化によって揺らぐもので、ぼくのような気まぐれな人間は特にそうなりやすいから特定の信仰をもたないんですが、曾祖母様はもっと確固たる信仰を目指しておられて、忸怩たるおもいがあったのではないか、とおもった次第です。
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私の方が字数が多くなることが多く、申し訳ありませんm(_ _"m)

先日行った神奈川県の六所神社が総本社だと思っていましたが、HPにはそのような記載もなく、気になるところでした。

「火の鳥」は何回か読みましたが、だいぶ前なので殆ど忘れています。
今度、しっかりと読み直してみますが、手塚治虫は本当にすごい人だったんだな、と改めて思います。

猿田彦の多様性。
巣鴨の駅近くにある、薬師如来の真性寺→とげ抜き地蔵の高岩寺、そしてそこから10分ほど歩くと、「猿田彦大神庚申堂」という、普段は無人の小さな小さな神社があり、
ご祭神は、天津祖庚申猿田彦大神・地津主甲子大己貴神・人津霊己巳小彦名神となっています。
このすぐそばの都電(現在、都内ではこの路線だけです)の停留所名が「庚申塚」です。

ここは、奉賛会が管理しており、社務所もなければ神職も常在していません。

https://www.sugamokoushin.com/index.html

↑に何件も動画はあるのですが、 ↓ が一番様子がわかりやすいと思います。
狛犬ではなく、狛猿です。

https://www.sugamokoushin.com/newpage3-2...


農園主さんのご見解のように、庚申信仰との結びつきだったんですね。
なぜ、庚申塚に祀られているのか、わかっていませんでした。

だいぶ前にお話したかもしれませんが、曾祖母が猿田彦を(も)信心していました。
四国をお遍路した人でしたので、空海は信心していたようですが、他にも薬師如来、猿田彦などを信心していたみたいなのです。
母が、私の曾祖母が唱えるのを聞いていて、弘法大師のご宝号と薬師如来の真言を知っており、
私も小さい時から「南無大師遍照金剛」「オンコロコロセンダリマトウギソワカ」という、呪文みたいなものを何度か聞いたことがありました。

曾祖母がある時夢を見て(夢ではないと言っていたそうな)、天井を突き抜くような毛むくじゃらの大男が出てきて「なぜお前はわたしを信じなくなったのだ」と聞いたそうです。
曾祖母が何と答えたか、その後信心はどうなったのか、聞いたはずですが覚えていないのが残念です。

コロナが流行り始めた頃、伊勢の猿田彦神社の火打ち石に、「行く道を祓い清める」というご利益があると聞き、電話で問い合わせをし、送っていただきました。
それ以来、家を出る前、帰宅後はカチカチやっています。
お参りに行きたいと思いながらも伊勢までは行けないので、他の猿田彦神社を探したところ、農園主さんがお書きになっている鼻節神社を見つけました。
結局行かなかったのですが、子どもの頃から時々行っている巣鴨の猿田彦神社が、小さいながらも境内社でも末社でもないので、近くていいかなと(笑)

境内社・末社としてはところどころで見かけます。
↓ の画像は、埼玉県岩槻市の「岩槻久伊豆神社」の境内に祀ってある猿田彦です。
やはり天狗、庚申の文字がありました。

猿田彦大神も、私にはご縁があると思えます。

「六」の意味、とてもよく理解できます。
神仏習合と神仏分離は、様々なことにおいて、やはり大事なポイントなんですね。

今回も、いろいろなことが農園主さんのおかげでスッキリしました。
ありがとうございます<(_ _)>


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全国の六所神社はそれぞれ、その土地周辺の六つの神社を合祀したもの、あるいは六柱の神々をまつった神社、という程度の意味のようです。

祭神もバラバラで、全国の六所神社を束ねる総本社があるわけでもありません。

なぜ全国の六所神社が、「六」という数字を選んだのか、「六所」という名前を選んだのかという点について、今回も最終的に謎解きのようになるカタチで、話します。

今回はちょっと話にまとまりがない、というか、複雑多岐にわたるので、覚悟してお読みください(笑)



ギズモさんは、六所神社からシオツチノオジを発見されましたので、まずそこから話をします。

宮城県の塩竈神社の別宮である塩釜六所明神には、六柱の神(猿田彦、事勝國勝、塩土老翁、岐神、興玉命、太田命)がまつられていますが、それぞれ名前がちがうだけでおなじ神なんだそうです。

それでふと気づいたのが、手塚治虫の『火の鳥』です。



火の鳥は、人間の輪廻転生を描く大作なんですが、この作品によく出てくるのが、猿田彦です。

どの作品にも、名前と人格を変えながら、猿田彦とおもわれる人物が出てくるのです。

まるで塩竈六所神社の祭神のように、みんなちがう名前なのに、おなじ猿田彦なんですよね。

手塚治虫の描く猿田彦は、鼻の長い男です。あるいは作中で突如鼻がふくれあがってしまう、という場合もあります。

これは、猿田彦が天狗信仰と結びついているという伝説からそういう描写にしたのでしょう。



ところで、猿田彦と天狗が同一であれば、シオツチノオジと天狗は同一なのでしょうか。

……しかしどうもこの三段論法は通じないようです。

シオツチノオジと猿田彦は同一です。

猿田彦と天狗は同一です。

しかし、シオツチノオジと天狗は同一ではありません。

仙台にある塩竈神社から東へ6kmほど離れた、太平洋の海岸沿いに、「鼻節神社」という神社があります。

ここの祭神は猿田彦の一柱です。

式内社ですから、由緒は古いです。

猿田彦と鼻節神社、ここから天狗信仰と猿田彦が結びついていった、と考えられそうです。

鼻節神社にはシオツチノオジはまつられていませんから、シオツチノオジは天狗とは結びつかないという理屈にもなります。



話があちこちにいって申し訳ないんですが、手塚治虫は、猿田彦という神のつかみどころのない多様性に注目していたのだとおもいます。

火の鳥に出てくる猿田彦は、おなじような風体でありながら、ちがう時代に、ちがう人格で登場します。

かれは物語の水先案内人であり、同時に主人公でもあります。

こういう描き方をした手塚治虫は、日本神話の重要人物でありながら、形を変えてあちこちに登場して水先案内をする猿田彦という神のことをよく調べていたのでしょう。



ところで、この猿田彦の多様性を説明するキーワードは、「岐の神」だろうとおもいます。

「岐」には、クナド・クナト・フナドなどいろんな読み方がありますが、もともとはイザナギが黄泉の国でイザナミと対決し、戻るときに「これ以上来るな」といって投げた杖が、来名戸祖神(クナト祖神)に変化し、これが岐の神であるというのです。

岐の神は、道祖神の意味もあり、道祖神と猿田彦もおなじであり、シオツチノオジともおなじ神であるともいいます。

道祖神ですから、つまり水先案内の意味を持つんですよね。

さらに興味深いのは、岐の神は仏教と習合していて、庚申信仰と結びついていたらしいのです。

そして仏教における地獄の六道(六趣)から衆生を救う「六地蔵」と、道祖神である岐の神がむすびつきます。



ここで話がもとに戻るんですが、六所神社。

なぜ六なのか、ということなんですが、ここからは毎度おなじみぼくの憶測の論理展開です。

これはやはり、神仏習合と神仏分離が絡んでるんじゃないでしょうか。

まず、地獄の六道の考えが神道と習合します。

そして六道から衆生を救うために、六柱の神様をまつる、あるいは六つの神社を合祀する。

六地蔵だとそのまま仏教になってしまうので、地蔵の部分を神様や神社にしたというわけです。

しかし神仏分離によって、仏教の六道、六地蔵の部分が由緒から抜けて、全国に六所神社という名前だけが残ったことで、ややこしくなった。

以前とおなじく、これも憶測ですから、ほんとうはちがう可能性もありますが、なぜ「六」なのかというひとつの推測にはなるようにおもえます。



きょうもそこそこの字数になったので、ぼくの相性の良い神仏の話については、次回以降ということで(笑)
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私の雑談的な話が、問題提起になってしまいましたね。
教えていただくことばかりで申し訳ありませんが、とても興味深いです。

柳沢吉保が造営した大名屋敷というくらいしか知りませんでしたが、大和郷につながるとは、もう謎解きの世界のように思いました。
しかも、明日が討ち入りの日とは。
これは、偶然はなくすべてが必然と言う、ユングの共時性(同時性)かもしれませんね。

忠臣蔵のお話は、歌舞伎の演目にもありますが観たことはありません。
どうも筋が理解しにくいからなのですが、農園主さんのご説明で、すっと頭に入りました。

「金と女を使う」というのは、案外、正鵠を得た発言かと思います。
いい方にも悪い方にも、確かにお金と女は使いようです(笑)

大和郷は、駒込と巣鴨の両駅の内側部分となりますが、巣鴨駅正面には、徳川慶喜が駿府から戻った明治30年に住んだお屋敷がありました。
そこを選んだ理由はわかりませんが、すぐ前に山手線が開通すると聞き、4年住んだだけで引っ越してしまい、今は石碑しか残っていません。

仙台の塩竈神社は何回かお参りしておりますが、最近行けなかったので、今年はお清めの「切麻入り御塩」を送ってもらいました。
この神様が、愛知県岡崎の六所神社でまつられているのが気になりました。
以前、籠神社のお話では、塩竈神社のご祭神・鹽土老翁神も、籠に乗ってワダツミに行ったというお話もあったように思います。

相性のよい神仏のお話もぜひ伺いたく、楽しみにしております(*^^*)

前に、スサノウ→牛頭大王→薬師如来というお話を伺ったことを思い出しました。
巣鴨の真性寺の薬師如来は秘仏で、たまにお参りするんですが、そのたびになぜか地面がぐらぐらするんです。
階段を上ったところに本堂があるのですが、下は建物の1階になっているので、それは理由にならないはずです。
もしかすると、とてもパワーの強い薬師如来なのではと思います。
何が言いたかったかというと、牛頭天王はご縁が無くお参りしたことはありませんが、スサノオに導かれた(ように思う)時期と、この薬師如来を真剣にお参りするようになった時期がほぼ同じなんです。

農園主さんの「あしたが討ち入りの日というのは、なにかの偶然でしょうか」の一文に、私もスサノウと薬師如来が同時期に気にかかったことは、偶然ではなく必然だったように思ったわけです。
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……あしたが討ち入りの日というのは、なにかの偶然でしょうか。
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大和郷について、気になったので調べていました。
すこし長くなりますが、きっと参考になるとおもいます。


六義園は、「生類憐みの令」で有名な徳川綱吉につかえた柳沢吉保(1659~1714)が造営しました。

吉保は譜代大名です。

一般的な大名は、日本全国にいる藩の殿様ですが、譜代大名は徳川家の家臣で大名の立場になった者をさします。
つまり、江戸城でつかえながら、同時に大名というわけです。

柳沢吉保は能力が高く、将軍の雑務をする小納戸といわれる役人の立場から、最終的に江戸の大老にまで成り上がります。

もちろんそんな大出世の裏には、いろんな政治工作があったことでしょう。



柳沢吉保には悪役のイメージがつきまとうのですが、そのきっかけは、忠臣蔵の物語で有名な赤穂事件(1701~1703)でした。

以前にも話したかもしれませんが、赤穂事件についてざっと説明します。

いまの兵庫県の赤穂藩の殿様である浅野内匠頭が、江戸城で天皇家の饗応役をすることになったのですが、そこでおなじ饗応の責任者であった吉良上野介こと吉良義央に斬りかかります。

なぜこのときに浅野が吉良に斬りかかったのかは、文献がなく、はっきりしていません。

忠臣蔵が物語になってからは、吉良が饗応の手配をする間に浅野をいじめて、「フナじゃフナじゃ、フナ侍じゃ」の有名なセリフを言ったということになっていきますが、これはもちろんフィクションです。

いずれにせよ、浅野は刀を抜いて吉良に斬りかかり、周囲にいた者が「浅野殿、ここは殿中でござるぞ」といって浅野を止めました。

江戸城内(殿中)で刀を抜くことはご法度だったのです。

しかしこの時代、ケンカは両成敗が原則でした。

それがなぜか浅野だけが即日切腹となり、吉良はおとがめなしとなったのです。

さらに赤穂藩は取りつぶしとなります。

この理不尽に対して赤穂藩の家老である大石内蔵助を中心に、藩内がもめました。

ともかくここは辛抱して赤穂藩をたてなおすことを考えよう、という者もいれば、これで黙っていれば武士の名折れである、お家が断絶してでも吉良を討つべし、という声もある。

結局四十七士で吉良を討つことになるわけですが、うわさで江戸の世論が盛り上がってしまい、吉良邸への討ち入りのときには見物者が出るほどだったそうな。



で、浅野内匠頭を即日切腹にし、赤穂藩をとりつぶすという裁定に、柳沢吉保がかかわっていたんですよね。

そういう理不尽な裁定が江戸庶民の話題になったこともあって、世間では柳沢吉保は悪役というイメージがつくことになりました。

また出典がはっきりしないのですが、柳沢吉保には「泰平の世の中で、出世をするのは、金と女を使うに限る」と言ったという話が残っています(笑)

よほど世間からよくおもわれていないのだろうとおもいますが、少なくとも政治手腕はたしかでした。

いわゆる清濁併せ呑むタイプの大人物だったのだろうとおもいます。



1704年、吉保は江戸にいながらにして甲府藩主、15万石の大名となりました。

しかし1709年に綱吉が亡くなると、徳川家の体制が一新し、吉保は隠居に追いやられます。

隠居した吉保は、過去(1695年)に幕府から拝領していた土地を、本格的に庭園として造営しました。

これが六義園です。



吉保は1714年に亡くなりますが、その息子である柳沢吉里は、1724年に大和郡山に転封となりました。

享保の改革により、江戸幕府の天領(直轄地)を増やすこととなり、甲府は幕府が管理することになったのです。

吉里に落ち度があったわけではありませんし、転封先の郡山も15万石でしたが、……親父が成り上がりすぎたために、その死後、子孫が振り回されるハメになった側面はあるでしょう。

かくして柳沢家は藩の殿様となり、その後明治まで郡山藩の大名を務めました。

しかし柳沢氏が郡山に転封されてからも、六義園には柳沢の下屋敷(しもやしき・控えの屋敷)があったことから、大和村(大和郷)といわれたのだそうです。



以上、六所神社のことも気になったのですが、また機会のあるときにします。

あと、相性のよい神仏というお話から考えてみると、ぼくはどうも……ここに移住するにあたってこれまでにいた神様に偶然のご縁があって、これがまた最近あたらしく気づいたつながりがあったんですが、それもまたべつの機会にお話しします。
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農園主さんのお考えの通り、駅前の六義園の裏には大和郷(やまとむら)という高級住宅街があり、そこにある幼稚園は庶民は入れないところで、美智子さまも通っていました。
因みにこの幼稚園の初年度納入金は、約80万円です(◎_◎;)

ここも「ヤマト」の名がついていますが、関連はわかりません。

https://www.mecyes.co.jp/column/article/...

駅を下っていく道は、両側が広い商店街で、今でも昔ながらの庶民的なお店がたくさん連なっていますが、確かに大和郷のあたりはお店はあまりありません。

今回の「妙義神社」のこと、些細な話題でしたのに、これほど詳しく教えてくださりありがとうございます。
脱帽以上、もう本当に驚いています。
感服というか(いつもですが)、適当なことばが見当たりません。
何度も読み返しました。

花山院長親の名前は初めて聞きました。
群馬県の妙義神社は行ったことがないのですが、榛名神社は何度かお参りし、ここも岩山、奇岩で、本社も岩に接しています。

群馬県の妙義神社と駒込の妙義神社の関連、詳しくご説明いただき、ありがとうございます。
双方の妙義神社の神職の方も知り得ない、すごいご見解だと思います。
仰るように、憶測なのかもしれないけれど、それはもう立派な考察です。

神仏習合~分離神仏神仏分離も、大いに関係しているのですね。
「武尊大権現」にもびっくりです。

先日お参りした六所神社、お参りの際ざっと調べたのですが、日本に点在する六所神社の中にはご祭神がなんだか違うところもありました。
(追記)六所神社の場合、六柱の神様が祀ってあるという意味合いで、土地によって祭神が違っているようでした。

こういうことを考えると、神社の名前の意味するところは、あいまいなこともあるのかな、とは思っていました。
全部調べたわけではありませんが、愛知県岡崎市の六所神社は、こうなっていました。

鹽竈六所明神(鹽竈神社の六所宮の神)より勧請を受けたもので、六柱の神を祀っていた。岡崎の六所神社はそのうち猿田彦命・塩土老翁命・事勝国勝長狭命の三神の分祀を受けた。現在は、他に12柱の神を祀る

塩土老翁命、前に教えていただいたことがありましたね。

このうち、猿田彦神は、お札はおまつりしていないのですが、適度に信じており、伊勢神宮の中?そば?の猿田彦神社から、お浄めされた火打石を送っていただいています。

神仏は、好みというか、なんとなく相性があるように感じます。
神社・お寺にもそういったなにかはありますね。
そう考えると、人間も同じかもしれませんが。

いつも、いろいろ教えていただき、本当にありがとうございます(o_ _)o))
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山手線の中で降りたことがない駅のナンバーワンというのは、もしかしたら郊外で閑静な住宅街というようなイメージがあるのでしょうか。

商業地域がすこし離れた場所にあって、住宅街が主役の街の駅は地味になりやすいようにおもえます。



駒込の妙義神社は、群馬県の妙義山の中腹にある妙義神社と、祭神がヤマトタケルである点が共通しているんですが、駒込の神社はもともと白鳥社としてヤマトタケルをまつっていたところから、なぜ妙義神社という名前にしたのかがよくわかりませんでした。

群馬県の妙義山は、ゴツゴツとした岩山であり奇岩なんですが、南北朝時代の知識人である花山院長親がこれをみて「明々魏々である」といったことが、妙義に転じたということのようです。

それで、群馬の妙義神社では花山院長親も祭神に数えられているんですが、駒込の妙義神社ではまつられていません。



ネットで調べたんですが、どうもおなじことが気になった方がいるらしく、群馬の妙義神社に電話をかけて聞かれたというホームページがありました。

そこで、駒込の妙義神社は、室町時代に江戸城を建城した武将、太田道灌が白鳥社から妙義神社としたのではないかというんですが、太田道灌と群馬県の妙義神社の関係性まではわからないのだそうな。

駒込の妙義神社には、末社に太田道灌霊社がまつられているようですね。



室町以前、駒込の妙義神社が白鳥社という名前だったころ、ヤマトタケル信仰は廃れていましたが、これを太田道灌の時代に神仏習合で補強したのかな、というのがぼくの憶測です。

群馬県の妙義神社の鳥居の片側に「武尊大権現」と書かれた写真をみつけました。

妙義神社ではヤマトタケルが、仏教由来の山岳信仰である大権現と結びついていたんですね。

おなじヤマトタケルを信仰していた駒込の白鳥社が、名前を妙義神社に改め、仏教の信仰を取り込むことで、地域の信仰を取り戻そうとしたのかなと。

しかし明治の神仏分離で、そのあたりの事情についてはっきりしたことが言えない状態になって、由緒をみても情報が断絶したままになっている、といったところでしょうか。

特に東京の神社ですから、神仏習合の名残はすべて隠滅させていたのかもしれないなあ、と。

繰り返しますが、憶測です(笑)



駒込の妙義神社は太田道灌が武勇の人であったため、「勝負の神様」「戦勝の宮」といわれたそうですが、ヤマトタケル、牛頭天王も含めて、やはりギズモさんは神仏習合の、荒ぶる神がお好きなようにおもえます。
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地名を調べると、昔の様子がわかりますね。

駒の意味、ありがとうございます。
高麗が由来というのは、おもしろいですね。

駒込は、山手線の中で降りたことがない駅のナンバーワンという称号をもらっています(笑)
有名な庭園も2ヶ所あるし、東洋文庫もあるんですが、どうしてなんでしょうね。

生まれた家のすぐ近くにあったので、つい最近まで氏神さまだと思っていた「妙義神社」のHPにはこのように書かれています。
祭神は日本武尊です。

伝承によれば、日本古代史における伝承上の英雄 日本武尊が、当時東国にいた民族である蝦夷を討つために東征した際、この妙義神社がある場所に陣営を構えたと伝えられています。
人々は、御威徳慕い尊びまつりこの地に社が建てられました。
日本武尊が白鳥に生まれ変わり飛び立ったという伝説から、白雉(はくち)2年(651)5月12日、白鳥社と号しました。


ボロボロの神社だったのですが、さっきHPを見たら、令和2年に 「木造の神明造、拝殿に勝軍宮の扁額、社殿の昇龍と降龍の彫刻と、昔の神社の姿を復元」とあり、すごく立派になっていました。

古いだけに真偽がわかるはずもないですが、このような伝説は、日本中にあるのでしょうね。

笑われるかもしれませんが、最近どうもスサノオとヤマトタケルに呼ばれることが多く、妙義神社も近いうちにお参りしてこようと思います。
呼ばれるというのはもちろん直接「おいで」と言われたわけではなく(笑)、夢を見たり、今日みたいに、検索したというほんの偶然から、引き寄せのような形で呼ばれたんだろうな、という自己判断です。
スピリチュアルとか霊感とかではありませんが、どちらにしろあやしいと思われるのは同じかもしれません(笑)
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1173
駒込の地名の由来、ヤマトタケルに由来してるんですね。

余談ですが、駒という地名がつく場合、ひとつは「馬」が語源なんですが、朝鮮半島が由来になることもあるようです。

大昔の人々は、朝鮮のことを「高麗」(こうらい)(こま)と呼んでいました。

コマ遊びの独楽も、奈良時代に唐から朝鮮半島を経由して伝わったことから、「高麗=コマ」なんだそうな。

東京にある狛江という地名は、高麗人(朝鮮人)が住んでいたからなんだそうで、おなじく大阪の大和川沿いにある駒川という地名も、高麗人の居住地だったことが由来らしいです。



スサノオを「いるさ」と読むのははじめて聞いたようにおもえます。

ヤマトタケルの伝承といい、おそらく駒込という地域では古くから、日本神話に対する信仰があつかったのではないでしょうか。

Wikipediaで千駄木を調べたところ、牛舎の写真や歌川広重の絵がありましたが、江戸城からたった5km離れた東京の中心部といわれてもピンとこないような、のどかな様子でした。

こういった歴史の延長線上に、ギズモさんのおっしゃっていた、六本木で金魚を飼っていたというような景色があったのだろうかとおもいました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%...
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おじいさまのそういうお話は貴重ですね。
何気ない会話だったとは思いますが、昔のことを、実際に経験したりご存じだった方から聞く機会は、ありそうでなかなかないものです。

東京では、自然がどんどん失われていく一方で、商業施設の屋上などに、ビオトープが作られていたりします。
小さな自然保護なのでしょうが、金魚鉢の延長のように思ってしまいます。
と言いながら、けっこう見て楽しんでいたりするのですが(笑)

私が小さい頃、家に、古くて細長い木の札があって、墨で「東京府北豊島群駒込村~~」と書かれていました。
駒込村からあとの住所表示も書かれていたはずですが、覚えていません。
たぶん、昔、家の玄関に掛けてあったんでしょうが、あれを取っておいたら鑑定団で1,000円くらいの値がついたのではないかと思います(笑)

真偽はわかりませんが、日本武尊が訪れた時、林にいた、たくさんの馬を見て、「駒、込みたり」と言ったので、駒込という地名がついたそうです。
この林は、その頃「素盞烏山(いるさやま)」と呼んでいたらしいのですが、その後「駒込林」となったようです。
素盞烏山の素盞烏、これスサノオですよね?
でも読み方が違う??
おもしろい発見をしました。

「転間(こま)」(川に囲まれた谷や低湿地)とする説もあるそうです。

森鴎外・夏目漱石が住んでいた、文京区千駄木も、昔は駒込村千駄木でした。

ごめんなさい、生まれたところをちょっと熱く語ってしまいました(笑)
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うちの祖父も、戦前戦後の大阪平野は見渡す限り田んぼか沼しかなかったといってました。

ぼくが子供のころ、40年前でも、都市部の中に田んぼや畑があるのはめずらしい光景ではなかったのですが、いまはほとんど見かけなくなりました。

むかしの都市部はいまみたいに高い建物がありませんから土地の高低がわかりやすかったでしょうし、水が高いところから低いところへ通り、高台に木々が生えているというようなこともわかりやすかったことでしょう。

アスファルトに覆われて、人工的に治水工事がなされてしまうと、むかしどのようになっていたのかは想像がつかなくなりますが、そういうことが土地の名前に残されてたりするんですよね。

大都市をみていると、ほんとうにこれが人間の手でやれることなのかと不思議におもうほどですが、同時にそこに生まれて暮らしていると、ぼく自身もそうであったように、自然の地理がじぶんの生活にどう影響するのか、わからなくなってしまう問題もあろうかとおもいます。



江戸城からわずか2km離れた六本木が田舎だったころというのは、どんなものだったのか、みてみたいものです。

スクランブル交差点も一度渡って、おのぼりさん気分を味わってみたいです(笑)
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リンク先で、「支谷」という言葉を初めて知りました。

地理は(地理)苦手なのですが、農園主さんの説明で少しばかり興味を感じました。

東京に谷があったとは全然知らず、時代物でも谷の話が出てきたかな、と思い起こしています。

東京は、少し裏道に入ると、暗渠なのか、明らかに元は川だったらしく、細くてくねくねと曲がっている道がけっこうあるのがわかります。

電動自転車でも上れないという、かなり高低差のある坂も多いのですが、もしかすると坂ではなく、丘だったのかもしれないですね。

リンクを読んで思い出したのですが、70代以上の人が、すっかり国際化し、繁華街となった今の六本木を、
「あんなとこは、昔、金魚育ててたようなド田舎だ」と言っていました。
芋洗坂や狸穴のような地名もあることから、そうだったんだろうな、とは思います。

「~~天現寺橋付近で渋谷川の谷と合流する」ということが書かれていましたが、今は無くなってしまった渋谷川は、唱歌「春の小川」の舞台とされています。
作詞者が住んでいた渋谷に、宇田川・河骨川があり、メダカが泳いでいたようですが、いずれも渋谷川の支流なので、渋谷川とまとめられているようですね。
出身地の長野県の川と言う説もあります。

若者の街、渋谷にしても、昔は田んぼだったそうですし、どこでも昔から都会だったわけではないですよね。
渋谷と言えば、スクランブル交差点は、人が多すぎて渡れません(笑)

あ、渋谷も谷? と思ってちょっと調べてみました。

https://www.mapple.net/articles/bk/4503/...
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麻布にも谷町があったんですね。

大阪の谷町は、谷だったから谷町という、単純な名前なんです。

それで、六本木の谷町ジャンクションのあたりを標高地図で調べていたんですが、南側が標高20~30mほどで、谷町ジャンクションあたりで標高10mほどに下がるんです。

で、北の皇居に向かって標高が下がっているので、ちょうどジャンクションのあるあたりから皇居あたりまで、地形的に谷になっていたんじゃないかな、とおもいます。

と、もうすこし調べてたらこんなサイトがありました。

https://adeac.jp/minato-city/texthtml/d1...

六本木交差点から首都高速道路の谷町ジャンクションを通る六本木通り沿いの谷などが並ぶ

おそらく麻布谷町も、谷だったのでしょう。



町を碁盤の目にするのは経済を回したり、市民を管理するにはいいんですが、防衛という点では弱いんですよね。

といっても現代では地上戦による戦闘はほとんど考える必要がなくなりましたから(空から爆撃されてしまう)、現代では江戸時代に開発された町のありように沿って都市開発をおこなったことによる非合理性もあるのだろうとおもいます。

現代において、プロがみて地形的に自然な形で東京や大阪をあたらしくつくるとしたら、どういう都市開発を行うかという予想図をみてみたい気がします。
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自分がわかっているから相手もわかっている、という思い込みが強い傾向があるんですよね、私。
気をつけます(>_<)

大阪の雑談、ありがとうございます。

京都は、通りの名前を覚える歌があったり、丁稚奉公、女中奉公はまず通りの名前を覚えさせられたと言いますが、大阪にも筋と通りの習わしがあるんですね。

松屋町筋=東京では浅草に、人形店が並んでいます
道具屋筋=かっぱ橋が道具屋街。地名ではありませんが浅草の近くにあります。河童が出るという言い伝えがあったようです。
谷町筋=東京では、港区に「麻布谷町」というのがあったようですが、今はなく、タニマチとの関係はわかりません。首都高の「谷町ジャンクション」は、その名残で、今もあります。

大阪のお話から、東京はなぜ規則的な道がなく、無秩序なところなんだろうと思い、ざっと調べてみました。


📍徳川家康は外敵から江戸を守るために、直線的な道を作らなかった。

📍町割りも防衛を考えて作られていたが、埋立地ではけっこう直線的な道路が作られた。下町や銀座など。

📍江戸内部の主要な交通網は、道路ではなく無数の運河。運河も埋立地の多い城東(江戸城=皇居を中心として)では直線だが、河川に近づくとそれに合わせて曲がる。
 道も河川の影響で曲がっている。

📍大名屋敷や大きな寺社は自然の地形を利用していたので、外周に自然の小川の流れをそのまま使っている場合が多くあった。

📍東京は平野に見えて大変に起伏の多い土地なので、大規模な碁盤目状の道が作れず、そうした場所は城東に限られた。

📍城西でも一部の長屋街や町人街は直線的な道によって作られていて、新宿区百人町にその名残がある。

知らなかったことばかりでした。


「家康が直線的な道を作らなかった」、と打っていたら、『家康、江戸を建てる』(門井慶喜の歴史小説)が立派な積読になっていることを思い出しました。
読まないと(笑)
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ありがとうございます。
なるほど、宇宙語=大阪弁から、宇宙=大阪だったんですね。

もうちょっと考えればひらめきそうな、やっぱり教えてもらわないとわからなかったような(笑)
わかるとスッキリでした。



せっかく話があったので、大阪で雑談をします。

大阪市内は、京都市内のようにちゃんとした碁盤の目には作られてないんですが、南北をとおる縦の道を「筋(すじ)」、東西をとおる横の道を「通り」という習わしがあります。

で、横のラインである通りにはあんまり特徴はないんですが、縦のラインである筋は、商売の組合のような意味が含まれていることが多いんです。


難波周辺でいえば、たとえば松屋町筋(まっちゃまちすじ)は、縦の道路一帯に人形店が、小さな店から大店までズラッと並んでるんです。

その時期に合わせてひな人形や五月人形などを並べて、夏になると人形ではなくて花火が売られるようになる、古き良き風情のある場所です。


戎橋から南東にすこし行くと、なんばグランド花月という吉本の劇場があります。

そのすぐ近所に、道具屋筋という商店街があるんですが、ここは料理道具や荒物が並ぶ場所になっています。


相撲の「タニマチ」で有名な谷町筋は、特定の商売で団結しているわけではないんですが、興行をひいきにするお金持ちが多いというイメージがついています。


大阪のキタには天神橋筋があって、ここには日本一長い商店街である、天神橋筋商店街が通っています。


そうでないこともあるんですが、大阪の筋には、なんらかのブランドイメージがあるような感じがします。
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深読みさせてしまいましたね、ごめんなさい。
「大、、」は「1155」の「宇宙語=大阪弁」からきていることで、宇宙を指す「大阪」のことでした。
だいたいにおいて、私は何かそういう学術的だったり、暗喩だったりすることは書けません(笑)

あ、あそこが戎橋だったのですね。
写真、たくさん撮ってきました。
あの橋のあたりは、とにかくすごい人でびっくりしました。

日本橋は同じ字でも、こちらでは「にほんばし」ですが、大阪では「にっぽんばし」でしたね。

同じエビスでも字が違うと、受けるイメージが違うものです。

秋葉原みたいなオタロード、ネーミングがいいですね。
わかりやすいです(≧▽≦)
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ぼくが解釈を間違えているのかもしれないのですが、1159の投稿の中で、「大、、でなくて宇宙は、2018年10月に行きました。」とあり、歌舞伎と宇宙がどうつながるのだろうとおもったんです。


松竹座はグリコの看板のすぐ向こうですよね。

タイムリーなことにあのグリコの看板がある橋は「戎橋(えびすばし)」といいます。

むかしはナンパする若いのが多かったことから「ひっかけ橋」とも言われていました。

大丸のあたりから南に2kmほど行くと、恵美須町という町があるんですが、こちらは戎でも恵比寿でもなく、恵比須なんですよね。

松竹座から1kmほど歩くと、日本橋という……むかしは「でんでんタウン」といったんですが、いまでは秋葉原に次ぐオタク街になっていて、本通りからすこし裏道に入ったところは「オタロード」と呼ばれているようです。

むかしはよくここでパソコン関係のものを物色したもので、電気関係ならいかがわしいものもよく売っていました。
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もとは外来の神様だから蔑称で戎と言っていたのに、今は日本の福の神の代表になっているのはおもしろいですね。

うわ~~、懐かしい!!
それです!!!
改めて配役を凝視してしまいました(笑)

すっかり忘れていた、海老蔵の團十郎花火も思い出しました←花火はプロジェクションマッピングの投影で、ぜんぜんおもしろくありませんでした。
 
歌舞伎は、筋書きをしっかり頭に入れてから観ないと、何が何だかわからず失敗することも多いです。
役者の見分けもつきにくく、今舞台にいるのは誰だっけ?ということもよくあります←あくまで私の場合です。

歌舞伎は、農園主さんが書いていらっしゃるように、何度か同じものを観てわかってくると、深みがでておもしろくなってくるものかもしれません。

宇宙とのつながりですか?
能や歌舞伎など、古典芸能の解説、歌舞伎の見方を書いたりしている、渡辺保さんの「歌舞伎という宇宙」の本の事でしょうか?
これでしたら読んでいませんが、歌舞伎を知るにはわかりやすい参考書のようなものと聞いています。
このことでなければ、正直なところ、わかりません。
何か気がついたことがありましたか?
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1159
外来の神様としてのエビスさんは、もともとは外国人の蔑称としてつかわれている言葉ですよね。

あれは、むかしの日本人の性格を考えるとわかりやすいとおもうんですが、よそものはみんな蔑称で呼んでいたんですよね。

みんなじぶんの領地・領土を守る意識が強かったので、よそものは敵です。

戦国時代に貿易のために訪れた外国人は、肌の色にかかわらず「南蛮人」という蔑称で呼んでいました。

明治あたりでも「毛唐人」でした。

江戸時代の書物では「西洋人」という蔑称でない言葉もつかわれていたんですが、これは現金なもので、じぶんたちに文明であるとか、なにか利益を与えてくれるとわかって、はじめて言葉遣いが変わるわけです(笑)

「エビスさん(えべっさん)」というのも、蔑称がそのまま尊称になったという例だろうとおもいます。




ところで、ぼくは歌舞伎のことはほとんどわからないんですが、歌舞伎と宇宙にはつながりがあるのでしょうか。

おそらく2018年10月の大阪の歌舞伎というと、この公演ですよね。

https://www.kabuki-bito.jp/uploads/image...

以前にも言ったとおもうんですが、歌舞伎観劇が趣味というのはうらやましいです。

古典芸能はたぶん、わかるとどんどん深みが出てきておもしろいのだろうなとおもいます。



キャンディーズの歓声ですが、ビートルズのときも、歓声でだれでも音楽を聴いていないことに、当のビートルズもイヤになってしまったといいますよね。

いわゆる「失神コンサート」というのは、むかしほどは聞かなくなりましたが、あれは一種の集団ヒステリーなんだとおもいます。

ライブが、集団で狂乱状態になるための道具になっているんですね。

アメリカの1960年代のウッドストックという、ロックフェスティバルのときの映像をみていると、あきらかにドラッグでトランス状態になった人たちが、恍惚としながら爆音のライブを眺めてる様子がみられます。

主人公は演奏者である、というのがふつうのわきまえなんですが、狂乱状態になると、主人公がオーディエンスになるという逆転現象が起こるのでしょう。
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大阪では「戎」の字を使うんでしたね。
今、戎と恵比寿の違い、由来をちょっとだけ調べてきましたが、エビスと言ったら、やっぱりビールのイメージです(笑)

大、、でなくて宇宙は、2018年10月に行きました。
10年に一度くらいしか上演されない歌舞伎の演目が松竹座であったんです。
目的の夜の部を観たのですが、昼の部も観たくなり、翌日の切符を取ろうとしましたが、いい席が無く断念。
一度帰り、数日後にまた松竹座に行った、という次第です。

それぞれ1泊ずつして、水掛不動さん、グリコのあたり、大丸デパートとか、ちょっとだけうろうろしてきました。

演目は、先日亡くなった市川猿翁演出の『雙生隅田川(ふたごすみだがわ)』。
ご両親の自殺ほう助で逮捕された市川猿之助が引継ぎ、この時も出演していました。
敵討ちの話ですが、舞台で水を豪勢に使ったり、天狗になった主人公の宙乗りと、見どころ満載のものです。

歌舞伎というとお年寄りが観るものというイメージがありますが、4歳くらいの頃から観に行って(行かされて)いたので、私の歌舞伎好きはその影響です。

蘇民祭、そういうことなんですね。
古くからの伝統行事の残し方は、難しいですね。
簡略化するといずれ0になってしまうのではないかという気持ちもわかりますが、100として残していけないなら、農園主さんのお考えのように、30でも10でも残していった方がいいはずですよね。


スーザンボイルは、あの有名なイギリスのオーディション番組『ブリテンズ・ゴット・タレント』でグランプリをとったのがきっかけで、ブレイクしました。
ただ、あの番組は、審査員があまりにも大げさで、やらせの部分が多いように感じます。
最初に番組に出た時、「そのへんにいるボサボサ頭のふつうのおばさん」のイメージを観客に植え付けておいて、歌唱力とのギャップを際立たせようとした狙いがあったんだと思います。
本当に、優しそうで素朴で、好感の持てる人だと思います。
そういう人を、おかしな売り出し方でブレイクさせると、性格も変えてしまい健康を損ねたりと、結局は長続きしない使い捨てタレントになってしまう可能性が高いです。

話がとびますが、先日、YouTubeでいろいろな人の「朝日のあたる家」を観ていたら、キャンディーズの CANDIES FINAL CARNIVALで、伊藤蘭が歌っているのを見つけました。
1976年、蘭ちゃん、かわいくて若いです(笑)
それを途中まで観て、なんだかかわいそうになり、やめました。
一生懸命歌っているのに、ファンの歓声がすごいんですよね。
ヤジではなく応援の叫びだとは思うのですが、前奏・間奏の部分はしかたないとしても(生で演奏しているミュージシャンがいるので、本当はここでも静かに聴くべきですが)、
歌っている時はちゃんと聴いてあげてよ、と思ったわけです。

ファンあってのアイドルなので、こういう現象はあたりまえなのかもしれませんが、ファンならなぜちゃんと聴かない!!と思うわけです。

自分が小さいながらもステージに立つものであるので、よけい悲しくなったのだと思います。
まぁ、アイドルではないので(笑)、演奏や歌唱の時は、みなさん、シーンとして聴いてくださるのはありがたいです。
中村仲蔵なら、終わった後の拍手ひとつない静寂に包まれ落ち込むのでしょうが、適度な拍手もいただけるので、アイドルにならないでよかった、と(笑)
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1155
ギズモさんの宇宙に行った2度の経験談をぜひうかがいたいです(笑)



蘇民祭ですが、あれはやっぱり備後風土記に出てくる蘇民将来とスサノオ(牛頭天王)の伝説に基づいてるんでしょう。

ただ、あのお祭り自体はまったく現代にそぐわないというか……あの裸祭りは現代人はやりたくないとおもいます。

1月~3月の真冬の岩手での裸祭りが、神事だから強要されてよいとはちょっと言えません。



最近つくづくおもうんですが、ほんとうに古くからやってきた神事(あるいは田舎の行事)をつないでいきたいのであれば、その形式の部分をどんどん現代に合わせていく必要があるとおもっています。

なのにどうもうちの田舎をみていても、100か0かという話になってしまいがちなんです。

ぼくは昔ながらの100では続けられないなら、現代風に30にでも10にでも簡略化して、ともかく息を細くしてでも続けて行けばいい、とおもっています。

でも多くの人は、簡略化をすると宗教行事として意味がないとか、簡略化をするとそのままいずれ断絶して0になってしまうとおもってしまうようです。

「続けていくために簡略化をするんだ」という目的意識を明確にすれば、また将来、田舎で人口が増えるような機会があれば、むかしながらの神事を復活させることもできるかもしれません。

なのに、みんなもう、いまのことしか考えないクセがついてしまったのか、100年後に細々とでもつないでいくことに意義があるという意見はなかなか聞かれません。

古代の神道が仏教と習合していったようなことも、その時代に合わせて神道を弱体化させてでも生き残ろうということだったはずです。

蘇民祭にしても、裸祭をやめて、まったくちがう形になってでも、現代社会によりそう様式にして、次の時代につないでいく、という考えはなかったのか、とおもいます。



スーザンボイル、画像検索をするとどれも笑顔の写真で好感がもてました。

ただ実際にお会いしたわけでも、性格もフィーリングもわかりませんから、それ以上はなにもわかりません(笑)

六所神社の縁起物の写真、じつに福々しくていいですね。ありがとうございます。

この戎さんもニコニコしておられて、好感がもてましたし、鯛がかわいいです。
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きのうはいつもの収穫作業に加えて、ジャガイモの収穫。

ほとんどはじめてに近い秋じゃがの栽培でしたが、収量はというとイマイチで、しかもこのあたりは12月になるともう土がベタベタなので作業性もわるいです。

ただ、来年の春の種イモは得られましたし、何日かおなかいっぱいポテトフライが食べられるくらいには収穫も得られました。

親芋のように茶色くなったジャガイモが複数あったのだけど、そうか病のようでちょっとちがうようにおもえます。

春作には病害系農薬のフロンサイド粉剤やアミスター20フロアブルなどでそうか病を予防しながら作付けしようとおもいます。



きょうはいつもの収穫作業に加えてサトイモの片づけ。

もうぼちぼち室内に退避させないと、外の寒さでイモが腐ります。

あとバジルとモロヘイヤの種取り。

モロヘイヤは固定種なので、種取りができます。

ことしはじめて栽培して、はじめての種取りでしたが、この種取りがけっこうたのしい。

バジルは固定種なんですが、交雑しやすいので、種取りは一回にして、次はまた種を買います。



なんだかまだあれこれ忙しいんですが、これですこし落ち着いた感じです。

あとは自家用に育てていたダイコンやハクサイなどを、収穫をかねて引き上げて、保存していきます。

そのうち雪が降れば、収穫作業もできなくなって、待望(?)の農閑期に入ります。

#野菜
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私、宇宙は2回しか行ったことがないのですが、頭に来た時や呆れた時、なぜか宇宙語でヒトリゴトを言う傾向がありまして(笑)

アケスケにポンポン言う人はお腹の中はキレイ、ということもありますね。
逆に言うと、たいして本気で思っていないことも、なにかしらのきっかけでついポロッと言ってしまうということもあるでしょうし。

お見合いと自由恋愛を比べて、どちらもわるいことではないというまとめは、押しつけがなくていいですね。
どんどん時代が変わっていっても、古いものをすっぱりと新しいものに入れ替えてしまうのではなく、いいものは残していきながら新しいものを取り入れて行くことがいいように思うのですが、古いものがどんどんなくなっていくのは寂しいですね。

現代は親と同居が珍しくなっているし、「家族という共同体への奉仕の感覚」というのは、なくなってきているように思います。
昔、当たり前だったことがいつのまにかなくなっていく、或いは薄れていく。
時代だから仕方がないと言ってしまえばそれまでですが。

朝、岩手県の神社のお祭りが、高齢化と担ぎ手不足のため、来年で開催終了というニュースを見ました。
またひとつ、古いものが消えて行くわけです。
黒石寺も、蘇民祭も知らなかったのですが、こういうことは、たぶん他でも起こっていることだと思います。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/2023120...

やはり大衆が、見目のよい役者さんを求めているということなんですね。
私は歌舞伎が大好きなんですが、では、歌舞伎役者では誰が惚れ惚れするようないい男か?と聞かれたら、誰も思いつかないです(笑)

そう言えば、スーザン・ボイルがなぜあれほど一気に周知され、のし上がったかと言えば、見た目と歌唱力のギャップでしたよね。
美人が上手に歌っても当たりまえ、と判断されてしまうのか、このあたりもなんだか納得のいかない世界ですが、これは不美人であったための圧倒的な勝利でしょう。
結局は先細りになったようですが、一時的にでもあれだけ世界中に知られたら、もう本望かと思います。


先日お参りした六所神社の境内には、おみくじやお守りの他、クシナダヒメの関係か櫛も売っていましたが、一目で気に入った縁起物があったので、買ってきました。
お福分けです(^^♪


20231208180847-gizumo.jpg
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なぜかその宇宙語、意味がわかります(笑)

お気遣い、ありがとうございます。

ほんとうに、悪気がなく時代にそぐわないことをするんですよね。

ただ、わずらわしくもあるんですが、こういうホンネ丸出しでアケスケなことを言う人がいるから、田舎の自治がうまく機能している一面もあります。

なので、個人的にはわずらわしいところもあるんですが、田舎で自治をするという点では、必要なコストなんだとおもってたりもします。

でもギズモさんのおっしゃるように、やっぱりこんな田舎でも、「頭が古い人」はすこしずつ淘汰されているようにおもえます。



小津安二郎は、時代の変化に対して非常に鼻のきく人でした。

かれの作品には、古い時代とあたらしい時代、という対比があります。

「お茶漬けの味」では、むかしながらのお見合い結婚と、当節流行りの自由恋愛が対比されていて、最終的には、どちらもわるいことじゃない、というような形でまとめられていました。

「東京物語」の場合は、仕事社会で資本主義になったことで、身内の付き合いにもかまっていられないあたらしい世代の人たちと、そういった社会の変化に最大限気遣いながらも、あたらしい世代の人であるじぶんの子供たちに頼ってくる親(古い世代)が対比されています。

東京物語の場合は、古い価値観をいつくしんで、家族という(お金にならない)共同体への奉仕の感覚が薄れていくことを哀しんでいます。



梨園の見目の話なんですが、あれはやっぱり、見目のよさを求める大衆があるからこそ、そうなっているのだとおもいます。

たとえば実際にあった出来事のドラマ化というときに、実際の人の容姿に役者を寄せるなんてことはまずありません。

そのほとんどすべてが、実際の人よりも容姿端麗な役者を用意します。

そうしないと大衆に受けないからで、そうなると大衆に受ける必要のある梨園もやはり、見目を重視するようになるでしょう。

そんなことを考えてると、どうも人間にとって器量のよしあしというのは、果てしない戦いのようにおもえてきました(笑)



ほんとうに、人との付き合いはご縁とフィーリングが大事だとおもいます。

ビジュアルやお金ははっきりした物差しになりますから、そういったことが重視されるのかもしれませんが、仮にそうであってもフィーリングを育んだほうがいいですね。
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ソナイイケズデ アホナ ジーサンバーサンノコト キニセントキヤ ナンダッタラ イッパツ ナグッ・・・・

↑ 宇宙語です(≧▽≦)

長老さんたち、悪気はないんでしょうが、頭が古いですね。
お金があって見た目のいい男性と結婚したら絶対幸せになれる、それは思い込みですね。
その人たちは、ご自分の娘さんやお孫さんが(娘・女の子の孫がいると仮定して)結婚する時、お金がある人、もしくはイケメンと結婚するよう、
親として祖父母として勧められるのでしょうか。
私が親ならそれは二の次で、堅実で誠実、間違っても女に手を上げず、大切にしてくれる人を選びなさいと言うんですけどね。

かっこよくてお金持ちの人と結婚しても、浮気はされる、お金を自由に使わせてくれないどころか生活費もくれない、暴力を振るわれる、束縛される、おかしな性癖がある、など、
だいたいお金持ちはどこかおかしいと思った方が無難です←小説の読み過ぎかも。

お金を持っていなくても「イケメンならどないかなる」、という筆頭はホストかもしれませんね。
でもそれは職業なので、生活を共にするとなると、ぜんぜんどないにもならんゎ、と思います(笑)

まぁ、いずれにしても、お二方の発言は、全女性・全男性への蔑視につながりかねないものと言えるかもしれません。

・・・・・農園主さんのところの長老さんたちに対し、失礼な発言をお許しください(o_ _)o)

小津安二郎のような、昭和の匂いがする映画はいいですね。
自由恋愛になったのは、女性が仕事を持つようになったりで、活動的になったという一因もありそうです。
簡単に言うと、強くなったんでしょうね。
三歩下がるどころか、追い越していく女性が増えてきて、男性がおとなしくなってきた感じもします。

今は、○○家の嫁、という考え方も薄れてきて、親も結婚を強制しない傾向になり、結婚の形もずいぶん変わってきましたね。

見目、ということでいつも思うのですが。
梨園の結婚は、自由になったとはいえ、やはり女性の見た目を重視しているように思います。
いくら好きだからと言ってあまり美人とは言えない女性は、現代においても反対される重要なポイントだと思うんですよね。
だいたいにおいて、歌舞伎役者の子どもは見目麗しいです。
きれいな奥さんをもらうからですね。
いわゆる、恋愛と結婚は別、という考え方もあるのかと思います。
だから、やたらと不倫だの浮気だの、芸は身の肥やし的なことをやる役者が後を絶たない(笑)

確かに誰でもルックスの好みはあるかもしれませんが、やっぱり縁というか、感じるフィーリングだと思います。
男女に限らず、相手から伝わってくるもの、心や考え方、それを大切にすることが、見目やお金より大事なことのように思うのですが、
見目・お金重視は、案外若い世代の人に多いかもしれませんね。
とは言え、好きになったらそんなことは関係なくなってしまうのが、恋愛の醍醐味かもしれません(*^^)v

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