山麓王国

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2024年4月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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予算会、お疲れ様でした。
やりやすいように変えていくのはいいことですね。
より効率的で負担が少ないよう、改善できることと思います。


おばあさまたちの心温まるお話、ありがとうございます。
家族と施設との関係性、本当に重要なことだと思います。

双方のコミュニケーションがうまくとれていれば、入居者・家族・施設で働いてる人、みんなが気持ちよく過ごすことができますよね。
入居している方が快適に心地よく過ごせるというのは、施設の方の接し方だけではなく、ご家族の愛情や努力のたまものと思います。
そしてその結果、穏やかなお別れができるんだと思います。

農園主さんのご家族のように、みなさんが精一杯のことをして差し上げ、悔いのないお見送りをできるというのは、数少ないと思います。

「おおきに。さいなら」
読んだだけでも涙が出ます。

その時は、お互いに「じゃ、またね」のお気持ちだったでしょうが、それが最後のことばだったことは、さぞかし感無量だったと思います。
※読み直して、「感無量」の使い方が間違っていると感じましたが、他に言葉を探してみても、しっくりするものが思い当たりません←語彙不足・・・


私のひいおばあちゃん(母の祖母)は、私が3才になる少し前に亡くなりましたが、同居していたのでおぼろげな記憶があります。
今でいう認知症でしょうが、トイレで排便後、壁になすりつけていたそうです。
母が後始末をしていたそうですが、母にとっては大好きなおばあちゃんだったので、ずいぶんショックだったと聞いたことがあります。


私の場合、金銭的な負担もなく介護をすることもなく、両親を見送りました。
10年ほど前、父は悪性リンパ腫で数か月入院していたのですが、まだ亡くなるとは思っていなかったので、父に頼まれた鰻などを買って、頻繁に病院に行っていました。
危篤になってからはまる一日病室にいたのですが、最後の息を引き取るのを見届けることができました。

呼吸ですが、だんだん間延びしていって、息を吸うのと吐く時間の間隔がどんどんあき、はた目にはもう亡くなったかのようにみえても、1分後くらいにまた息をするのが不思議でした。

今は、本当に気軽に簡単に、動画も音声も残せる時代になりました。
両親の動画を撮っておけばよかったな、と、今ふと思いました。


大浦ゴボウ、初めて知りました。
2~3日前テレビで、「あなたのご飯みせてください(昼めし旅)」という番組をやっていました。
その日の取材場所は大阪の八尾だったのですが、青いフキのような野菜を使って調理しているところで、「八尾若ゴボウ」と書いてありました。
ゴボウなのに青いんですね~。
びっくりでした。

最近は生ワカメ、ニンジン、ウドのキンピラに凝っていますが、ウド、高いです(-_-;)
直径3㎝、長さ40㎝くらいのもので、600円以上です。
あまり買う人がいないのか、スーパーに並ぶ数も少ないです。
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介護の話の延長線上で、ぼくの場合はあくまで雑談として、うちで経験した介護と施設の話もしようとおもいます。

もう15年以上前になるでしょうか、母方の祖母が老人ホーム難民のようになっていたところ、たまたま実家の近くにできた新築の特養に滑り込むように入所できたんです。

それで、母は当時フルタイムの仕事をしていましたが、マメに施設や職員さんと関係性を築いたことで、公費のサービスとしては手厚いケアを受けることができました。

じつは施設の職員は、利用者当人とおなじくらい、あるいはそれ以上に利用者の家族について観察していて、その記録もつけてるんですよね。

ここで関係性を築いていないと、要介護の等級の認定なども、実際の状態より軽く認定されることが多いのだそうです。

もし利用者への聴き取りだけだと、当人はまだまだちゃんとやれている、といって外面をよくみせようとするので、等級が軽くなりがちなんです。

そのとき、家族が施設側とうまく関係性を築いていれば、ケアマネージャーに、利用者の「ほんとうの状態」を伝えることができます。

なにせ特養は介護保険で運営される公費の施設ですから、費用は安いのですが、要介護3以上でないとホームに入所できず、われわれとしてはこの認定をもらうのに必死でした(笑)

というのも、祖母は会話は達者でしたが、もう認知症が進んでいて、腰の骨も足の骨も折っているし、トイレでじぶんの大便を触って壁になすりつけるといったこともあり、家族で面倒をみるのは限界だったのです。

結果、祖母は「要介護4」の認定をしてもらい、施設に入所できました。

そのご縁で、数年後にうちの父方の祖母も認知症が進んだ際、おなじ施設が運営しているデイサービスを利用させてもらいました。

さらにその後自宅で骨折したり、軽い脳梗塞を発症したりと問題が起こり、自宅での生活はもう危険だという状況になったのですが、たまたま施設の職員さんから空き部屋が出たという連絡をいただいて、母方の祖母とおなじホームに入所することができたのです。

フロアはちがいましたが、おなじ施設でふたりの祖母をみてもらうことができたのは、家族の負担面でも大いにありがたかったです。

母方の祖母は7年ほど前、施設で最期の看取りをすることができました。97歳でした。

父方の祖母は5年ほど前、熱を出して入院し、深夜、ひっそりと亡くなりました。94歳でした。

ふたりとも老衰ということになります。

父方の祖母はふだんからじぶんのことで人をわずらわすことを嫌う人でしたから、祖母らしい最期だったとおもいます。

孤独な最期ではありましたが、亡くなる2週間ほど前、施設に家族みんなで会いに行ったんです。

すると祖母はもう老衰で弱っており、会話はできるものの「目が見えない」といい、じぶんの最期を理解していたのか、「ほな、帰るわ」と告げると、みんなに向かって「おおきに。さいなら」と言いました。

虚をつかれて家族みんなグッときてしまい、その場を取り繕うように「また会いにくるで」といいましたが、結果的にあれが最後でした。

もちろん施設に入所してからも家族の負担はそれなりにきつかったのですが、施設という受け皿がなければ、両祖母ともに穏やかなお別れができなかっただろう、とおもいます。




千葉県は富士山の火山灰による地層で、水はけのよい農地が多いようですね。

日本海側のように晩秋以降雨に悩まされることもありませんから、晩秋に収穫期を迎える落花生は、よいものが収穫できることでしょう。

そのほか、場所によってはごぼうなどの、根が長い根菜もつくりやすいとおもいますが、大浦ゴボウの産地なんですね。

あれはうちのような粘土土でもつくりやすい短い根の品種で、煮物にするとやわらかくて風味がよくて、バツグンにおいしいです。

しかし軟弱地盤が多く、また太平洋側に突き出た半島ですから、地震や台風では大きな被害が出ることがあるようですね。

特産品を調べてみたのですが、たしかにウェブでは落花生の一本調子でした。

ただ、どうも海産物では伊勢エビの漁獲量は日本一なんだそうです。

また農業に関してはかなりさかんで、ぼくがつくるようなすこしニッチな野菜の生産に力を入れているように感じます(笑)



高齢者施設の会計担当となると、うちのような戸数が20件を切った田舎の自治会の会計とは比べ物にならない煩雑さだろうとおもいますし、断れるものなら断りたいですよね(笑)

うちの場合はもう後がないというか、腹を決めてやらざるをえないというところまできているので、逆に気分的にはラクかもしれません。

自治会内の雰囲気もよいですし、むかしに比べるとやりやすくなりました。

きょうはいまから予算会です。いろいろやりやすいように変えていこうとおもいます。

ギズモさんもあわただしい日々が続いて気苦労がおありとおもいますが、どうかお疲れの出ませんように。
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会計というのは、さぞかしお骨折りのこととお察しします。
私が講座を行っている高齢者施設では、副館長は2名で、それぞれ講座担当と会計担当に分かれます(各館一律ではありません)。
会計担当になったら辞退する、という人がいるくらいですから、その煩雑さはすごいと思われます。


最近、入居者を粗雑に扱ったり暴力をふるったりといった事件が多いですね。
施設側はいいことしか言わないので、実際に手あつい世話をしてもらっていたかどうかはわかりません。

お母さまは、本当にきめ細やかにお世話をなさっていたんですね。
日常的にできることばかりではないと思いますが、ご家庭と両立させて、心身共に尽くしていらしたことに頭が下がります。

親を介護するとなると、子どもには、金銭的にも身体的にも精神面にも負担をかけることになりますが、子どもの生活が破たんしないよう、ピンピンコロリが理想だと思うようになりました。


外周は200kmですか!!
昨日、80代の知人とたまたま修学旅行の話をしていたのですが、その人の時は、中学で京都・奈良、高校は房総半島1周だったそうです。
よく覚えていないけれど、文化・歴史を勉強する旅だったような気がする、と言っていました。

最近は、中学でも私立なら海外への修学旅行が一般的になり、親の負担は大変なものです。


今日は、母の除籍謄本、改原戸籍などを区役所に取りに行きましたが、生まれた時まで遡って取るため、2時間も待ちました。


しばらくは相続関係での事務的なことも多々あり、新年度のために仕事もまだ日程が定まらないので、何かと慌ただしく落ちつかない日が続きます。
無理をしないよう、適度に手を抜いて休み休みやることにします。


農園主さんも、あまり根を詰めないように。
お仕事も自治会も、ここも、くれぐれもご無理のないようになさってください( ^^) _U~~
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有料老人ホームだからでしょうか、入所者の身の回りのお世話を施設で管理してもらえたのは、ありがたいことですね。

いまの社会が求める人間らしい暮らしの水準は高すぎて、家庭で細やかな介護をするのはほとんど不可能に近いです。

うちの祖母はふたりとも特養に入所しましたが、それでも家族はかなり細かくサポートが求められて、預けっぱなしとはとてもいかない日々でした。

むしろ老人ホームに預けたことによってケアが手厚くなるものだから、家庭だと「これくらいはもう堪忍してもらおう」というところがそういうわけにもいかず、むしろ気が抜けない日々になったようにおもえたものです。

母が甲斐甲斐しく世話をしてくれたからよかったものの、日常生活が圧迫されるという点で、なかなかどこのご家庭でもできることではないだろう、というのがぼくの正直な感想です。

またうちの場合、祖母にとっても家族にとっても、突っ込んだ介助に関しては、身内ではなく他人にしてもらいたいという感情もあったようにおもえます。




冷凍の野菜は、そのまま一気に加熱するのがセオリーだというのは、恥ずかしながら今回のサトイモで知りました(笑)

市販の冷凍野菜もそうなんですね。

となると、ジャガイモなんかもうちで収穫したのをあらかじめ細切りにしたり、薄切りにしておいてフリーザーバッグで冷凍保存しておけば、冷食のフライドポテトみたいに調理したり、好きなときにポテトチップスがつくれるかもな、などと考えています。



東野圭吾の作品は読んだことがありませんが、最近は現代小説を聞くターンになっているので、『さまよう刃』もいつか触れてみようとおもいます。

積読になる可能性も大ですが(笑)



千葉県、10年ほど前に一度、下道で東北まで行った帰りに、千葉市を「通った」ことがあります。
ひと晩道の駅で車中泊し、スーパー銭湯で汗を流したのですが、完全に都市部でした。

房総半島の西側は東京湾の江戸前の海の幸、東側は太平洋の海の幸に恵まれているようにおもえるのですが、そういえばあまり海産物のイメージがないですね。

でも千葉市中心部から半島の南端まで、直線でおよそ80km、外周をぐるりと回れば200km近くもあるのをみて、これは深掘りすればいろいろ文化や歴史面で楽しい発見がありそうだな、とおもいました。



はしかのワクチンは打ってないんですが、子供のころにかかったかどうか、はっきり覚えてないんですよね。

東京のように人口密集地だと、感染症に対する不安はより大きいものとおもいます。

もちろんぼくが田舎だから安全というわけではないですし、大阪に帰省するときはいつも風邪をもらいそうになったり、実際もらったりしますから、気を付けるようにします。

ありがとうございます。



わたくしごとですが、以前、自治会の副会長をすることになったと言いました。

副会長といっても実質的に会計なんです。
自治会のお金の動きを1年間みて、年度末には決算書をつくって承認してもらいます。
ここしばらくは自治会の通帳と帳簿を照らし合わせて、一年の仕事の流れを調べることに追われています。

小さな自治会ではありますが、手続き部分がかなり煩雑で、生活と両立するのがタイヘンです。

そんなこんなで、言い訳がましいのですが、いままで以上に返信が遅れがちになることをお詫びしたうえで、ご理解いただきますようお願いします。
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ありがとうございます(o_ _)o))

3年ほど前に転倒したことから要介護の認定となり、それからは家に区のヘルパーさんが来てくれていたのですが、ホームに入居したほうが安心だと思ったらしく、行政にも相談し、適当な有料老人ホームを探してもらったようです。

比較的安い所も一時金が怖ろしく高い所(マンションを買える値段)もまったく空きがない状態で、かなり待たされてやっと、都心からは少し離れた、交通が不便な所に空きがでて、入居した次第です。

空きが出るという事は、どなたかが亡くなったということなのでしょうね。

少しばかり歩行がつらい時はあったようですが、寝たきりにも痴呆にもならず、元気でいてくれたことにはホッとしました。

責任の所在、確かにいろいろつきつめると、本当にややこしいことになりますね。

今回は、行政とホームの責任もありますが、おおもとの問題は私です。
そのホームに入居したことは聞いていたので、たとえ行かなくてもホームと連絡を密にしていれば、今回のようなことにはならなかったと思います。


そう言えば、市販の冷凍野菜は、解凍しないで調理するように書かれているかもしれません。
先日、ブロッコリーとカリフラワーなどが入った西洋野菜ミックスの冷凍品を、解凍してから炒めたら、ぐちゃぐちゃになってしまいました。


テスカトリポカ、ネットでネタバレ感想を見ると、かなり精神的にまいってしまう作品のようですね。
以前、東野圭吾の「さまよう刃」で、ずいぶんと神経をやられました。
あれとは内容が違うでしょうが、小説で受ける影響というのは、けっこう大きいものですね。


昨日、所用があり、義弟の車で妹と千葉方面に行きました。
首都高から降りても、コンビニもスーパーはもちろん、道の駅や直売所というものがまったくなく、妹が「埼玉と全然違うね~、野菜を買うのを楽しみにしてたのに」と。

野菜があまりとれない県なのか他に理由があるのかはわかりませんが、有名なのは落花生と鉄砲漬けくらいなのかもしれません。

若葉というから東京23区のようなイメージだったのですが、山の中で、近くの公園の桜は5~6分咲き、蛙とウグイスが大きな声で鳴いていて、伸び伸びとした春を味わうことができました。



ところで、農園主さんは麻疹はかかっていますか?
最近はやっているようですので、もしまだのようでしたらお気をつけください。
私は小学校の頃かかりましたが、稀にですが2回感染することもあるらしいので、ちょっと怖いです(;´Д`)
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ギズモさんのご事情、今回のニュース記事の件とリンクしていたんですね。

ニュースの件も含めて、もちろん事なかれ主義や責任のたらいまわしは大問題なんですが、だれを責めるわけにもいかない、明確な責任がどこにもないのは、モヤモヤするところであると同時に、だれにとっても救いなのかもしれないとおもいます。

というのも、この問題、行政などがあまり強引に突っ込むと、他人のプライバシーを行政が監視するとか、家族のつながりのない人は施設で受け入れられないなど、かなりややこしいところまで発展しそうなので、あまり責任の所在を決めないほうがいい側面もあるような気がするんです。

いずれにせよ、お母さんが施設で和やかな晩年をお過ごしになられていたのは、よかったですね。

そして、たいへんな経験をなさっていたこと、あらためておつかれさまでした。



テスカトリポカは、社会の暗部を描く、神経に響く作品でした。
ぼく個人としてはこの作品は非常に高く評価しているんですが、なにせ精神が削られます(笑)

残酷な描写に耐性がおありでしたら、異色の大作だとおもいますので、ぜひおススメします。

塞王の盾はその点、ちょっとエンタメ性が強く、聞いていて楽しいんですが、土木工事の話なので、地形関係の話は文章では理解しづらくて、特に朗読だと聞き流してるところが多いです。

口訳古事記は、読まなくていいとおもいます(笑)
でも、神武天皇あたりで古事記を読むのは息切れしがちなんですが、この作品は一本調子なのでそのまま惰性で聞くことができました。



早春賦、いい曲ですね。
こちらは3月あたりからぼちぼちウグイスの鳴き声が聞こえ始めたのですが、そこからグッと寒くなるという不思議な天気でした。

3月頭には水仙の葉が顔を出していたのに、咲き始めたのはいまごろで、桜も例年になく入学式に間に合う感じです。

寒暖差のお気遣い、ありがとうございます。
これからゆっくりと体を慣らして、本格シーズンに向けていきたいところです。

あとすこし寒の戻りがあるかもしれませんが、お互いうまく適応していきましょうね。
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農園主さんが引用してくださった記事、読ませていただきました。
この記事のことから、申し訳ないのですが、もう少し母の話を続けさせてください。

父の時は、社葬にするという話でしたが、父の生き方考え方は、↓ のとおりだったので、母と妹と相談して、家族だけの直葬としました。

先生がいわれた
礼だ礼だといっても玉や絹布の事であろうか
楽だ楽だといっても鐘や太鼓のことであろうか
(儀礼や形式よりも その精神こそが大切だ )
論語 阳货第十七 11



今回、母も直葬にしました。
これから書くことは、経緯がよくわからないかもしれませんが、詳しい事情は伏せたいので、失礼をお許しください。

25日、妹の家の家電に、豊島区役所から留守電が入っていたそうで、すぐ妹からその旨メールがありました。
私から区役所に電話をしましたが、開口一番、担当の職員さんが「お母さまのことで、何か連絡がありましたか?」と。
「いえ、どこからも」と答えると、「実はお母さまが亡くなりまして。。。」というお話でした。

事務的な話をしたあと(火葬の件など)、すぐに母が入所していた有料老人ホーム(入所は3年前です)に連絡をし、「長女ですが、区役所から連絡をいただいて、、」と話すと、「23日に病院で亡くなりましたが、その時連絡がありませんでしたか?」という話をされました。

これ、責任のなすり合いみたいなものですよね。
どこから連絡があって然るべきだったのかとなると、私は、ホームと行政、双方にその責任があると思います。
ただ、うちも放りっぱなしでいたわけなので、そのあたりを追及するつもりはありません。

でも、もし連絡がこなかったとすると、引用してくださった記事に書かれているケースと同じことになっていたかもしれません。


役所もホームも言い訳のように(言い訳そのものですが)、「長女の方の連絡先に電話したら、この電話は現在使われていないということでしたので」と。
一回引っ越しているので家電は確かに変わりましたが、区役所は妹の携帯番号も把握しているので、入居の際も連絡先として、私と妹の双方の電話番号が記録されているはずです。


1月に肺炎で入院した時はともかく、亡くなる2日前に容態が変わり、ホームに病院から連絡があったとのことですので、その時点でなぜ連絡をくれなかったのか。
いくら鬼のような娘でも、そのような連絡が来れば行きました。


人の家の事情を聞かされてもお困りですよね、ごめんなさい。

所詮、お役所仕事というのはこういうことなんだな、と思える出来事でした。


今日ホームから、母がホームに隣接しているデイサービスに連れて行ってもらい、楽しそうに過ごしている写真が送られてきました。
電話でも、明るく社交的でみんなと仲良く過ごしていた、という様子をお聞きすることができたので、ちょっと安心もしています。
(追記)「安心」と書きましたが、「心が休まりました」という表現の方が合うと思い、書き足します。同じ意味ではあるでしょうが、少し違うように思ったので。


高校生の頃、頭はわるいくせに、古文・漢文が10段階の10だったのも、最近シャンソンを歌うようになったのも、母のおかげです。
母の悪い面は、自分はそうならないようにと気をつけてきたし、いいところもそうでなかったところも、やはり影響は大きいです。


今聞いていらっしゃるの、とってもおもしろそうですね。
特に「テスカトリポカ」は、興味がありますので、近いうちに読みたいと思います←また積読が増えそうですが(笑)


今日は暖房をつけたくらい、冷えました。
「春は名のみの風の寒さよ」という歌詞そのものの陽気でした。

農園主さんも、寒暖差にお気をつけください。
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火葬の予約の件、教えていただいてありがとうございました。

やはり待ち時間が長くなっているのですね。
いざというときの心積もりをさせていただきました。

最近は直葬が増えているようで、ぼくもそうしてもらうつもりなんですが、きょうちょっと気になる記事をみかけました。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/2024040...

人同士が常時つながりあうということをしなくなった社会では、じぶんの死がだれにも知られないまま、行政に「処分される」ことも、可能性のひとつとして覚悟しておかねばならないのかもしれません。



うちのあたりは、最近でこそ少なくなりましたが、集落のだれかが亡くなると自治会でお葬式に参加することがよくありました。

その際、お焼香のスタイルや、どのタイミングでご遺族に挨拶するのかといったことは、ぼくはわざと無頓着でいるようにしています。

故人を悼む気持ちを持ち、礼服と数珠と袱紗だけは欠かさず失礼にだけならぬよう気を付ける、というだけで、段取りや決め事に関しては、もう笑って許してもらおう、と(笑)

ぼくに社会的な立場がないからこそ許されるのだとおもいますが、いまの葬儀社が執り行う段取りは、むかし各家庭でお葬儀をしていたころにはなかった(地域の独自ルールだった)もので、この半世紀の間に醸成されてきたものなんですよね。

だから、できなくて当たり前くらいの感覚でいます。



ぼくはいま、アマゾンのオーディブルがまた2か月200円で聞けるというので、再登録しました。
年末に200円で2か月さんざん楽しんだのに、また間を開けずにキャンペーンで不思議だったんですが、今回は「口訳 古事記」と「テスカトリポカ」を聞き、いまは「塞王の盾」を聞いています。

現代小説には疎いんですが、ちょっと流行りものに手をだした感じです。

山本周五郎、青空文庫にあるのですね。

よい情報をありがとうございます。

「三十二刻」、また時間のあるときに読ませていただきます。

これから戦後の読みやすい作家の作品が多数青空文庫に充実しそうですね。
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ありがとうございます。
今日はずいぶん楽になりましたが、まだかゆいし、頭痛もします(笑)
アレルギーの薬を飲んでいても、さほど効き目がありません。
相変わらず家の中にユリの香りがするせいかもしれません。

かゆみは痛みよりつらいことも多いですよね。


親子って、やっぱりそうそう簡単な関係ではないですね。
血がつながっているからこそ厄介な面もあり、そこをうまく折り合いをつけて生きて行くのは、なかなか難しいこともあります。

私の場合、母はこういう人なんだと受け入れることで、いびつな鏡のイヤな跳ね返りを、なんとなく回避してきたのかもしれません。



23日に亡くなったのですが、どの葬儀場もとても混んでいて、最短で昨日ということでした。

親戚などには、家族だけで済ませるというお知らせをし、葬儀は昨日一日だけで、ごく簡単なものにしました。

2月は亡くなる人が多いのでずいぶん待つようですが、この時期にこれほど混んでいるとは思いませんでした。

一般的には亡くなった翌日がお通夜、翌々日が告別式で火葬という流れですが(友引ははずして)、ずいぶん日にちがかかってしまいました。


最近は、テレビでもよくやっていますが家族葬も多く、簡易型の葬儀が増えつつあるようですね。
亡くなった人の地位や職業から、どうしても盛大にやらないといけないケースもあるでしょうし、生きている人の体裁のために盛大に行う場合もあるでしょうし、葬儀もそれぞれですね。

昨日は、ひとりで火葬に立ち会っている方もいらっしゃいました。

お墓と同じで、葬儀の形も変わってきているし、これからも変わっていくのかもしれません。


ところで、長女なので、一番最初にお焼香をしたのですが。
10年以上お葬式に出たことがなかったので(それは言い訳になりませんが)、うっかり、抹香ではなく香炉の灰の方をつまみそうになり、葬儀やさんに「そっちじゃありません」と言われてしまいました(笑)

お焼香は宗派によってやり方が違うので、お葬式に出る時は前の人のやり方を盗み見て真似をするのですが、今回トップバッターということで、しくじりました・・・。


数日前、青空文庫で、新しく追加された作品の中から、山本周五郎の「三十二刻」を読みましたが、なかなかおもしろかったです。
you tubeで朗読もありましたが、時代物は特に、漢字が見えないと理解しにくいことがあるように思いました。
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ユリ科の花粉のアレルギー、すこしでもよくなりましたでしょうか。

ぼくもアレルギー(アトピー)持ちなので、かゆいことの不快感は共有できるとおもいます。

先日またかゆみが出てきて、花粉症の対策ついでだと、眠くなりにくい飲み薬を飲んだんですが、かゆみが落ち着くと同時にリラックスしたんですよね。

たぶん、かゆいという不快感でカラダが緊張状態になっていたんだとおもいます。



解けない宿題の件ですが、ぼくたちは親の遺伝を強く受け継いでいて、親のいいところもわるいところも、多かれ少なかれ受け継いでしまいますよね。

それで、親のあり方を解読して、こんなふうにはなるまい、あるいはこのようになりたい、ということを選別して、じぶんを形成していくことが多いです。

親になにか悪癖があると、じぶんに直接遺伝しているような気がするから、きつく当たってしまったりすることも、ぼくの場合はありました。

親に対して、じぶんに理解できない部分があると、いびつな鏡のようになってじぶんにイヤな跳ね返り方をしてくることがあるんですが、その点ギズモさんはどこかでうまく親とじぶんとを切り分けられたのかな、とおもいました。



ところで、最近都市部では火葬の手配に時間がかかると聞いたことがありますが、お葬儀から日をあけて、あらためて家族で集まって荼毘にふしたということでしょうか。

うちも実家は大阪市内なので、いつか団塊世代の親を送るときには、火葬を待つかもしれないとおもっています。
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今日が火葬でしたが、桜がほぼ満開で、場違いに感じるほどいいお天気でした。

私は、妹も精神的に疲弊していたとは知らなかったので、懸命に我慢して母と過ごしていました。
ところが本当に思いがけず、妹の方が先に「もうだめ」状態になりました。

妹は、かかってくる電話には出る程度のつきあいはありましたが、ここ5年ほど、まったく母から連絡がきませんでした。
何か思うところがあったのでしょうね。

農園主さんがご心配してくださっていた、「解けない宿題がわだかまる」ということ、ものすごく身に沁みました。
それは、たぶん「後悔」とは違って、ひとつ解けないとさらに解けないところが増えると言えばいいのか、はっきりとした何かではなく、それこそすべてが宿題のようにも思えます。

妹は今日、すごくもやもやする、と言っていました。
私は自分の気持ちは話しませんでしたが、不思議とすっきりした感じでした。

たぶん、ずっと母と普通に過ごしていたらどこかで崩壊してしまったはずが、距離を置いたことによって、気持ちが昇華されてしまった、ということだと思えます←都合のいい考えですよね。

今は母に感謝の気持ちがいっぱいで、非難とかうらみとか、そういったものは微塵もありません。
もちろん、亡くなってからでは手遅れと理解はしていますし、まったく後悔がないわけではありませんが、きっと気持ちは伝わったと思います。

こういった心境は、妹や家族には話していないのに、またここでよけいなことを書いてしまい、申し訳ありません。


今回、火葬場の方々の仕事っぷりには、本当に頭が下がりました。
まだ若い20代前半位の男の子たち、火夫さんというお仕事だと思うのですが、仕事とはいえ、心を込めて終始対応してくれて、その節度と言うか距離感がみごとで、そちらの方に意識がいっていました(笑)

大変な仕事だと思います。

また、葬儀社の方々も、今まで経験したことのないような素晴らしすぎる対応で、「これは母の人徳か?」と思ってしまいました。


中に入れるお花と、のせるお花をお花屋さんに頼む時「カサブランカなど、ユリの系統は入れないでください」とお願いしたのに、ゆうべ取りに行ったらちゃんと入っていました(笑)
母がカサブランカなどが大好きだったので、入れてほしかったのかもしれませんね。
おかげで、今日家に帰ってからも、家の中でユリの香りがしていて(しているような気がして)、今も顔がかゆくてしかたありません(^_^;)


暗い話が続き、失礼いたしました。
お返事のお気遣いはないようにお願いいたします(o_ _)o))

それにしても、本当に顔が。。。かゆいです。。。
ユリ、スギに勝るという感じです(◎_◎;)
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1414
関係が複雑だったということは以前うかがいました。

そのうえで、じぶんに理解できないところを持つ親が、理解できないままいなくなったとき、遺伝を受け継ぐ子供としては、解けない宿題がわだかまるような気もしたんです。

でも、いまギズモさんにとって、春の花がきれいに見えるのであれば、それがなによりだとおもいます。

この世は生きている者のためにあり、憂いは少ないほうがいいですから。



ぼくもこの時期は花粉に悩まされるんですが、きょうは暖かかったにも関わらず、目もかゆくならず、くしゃみもほとんどありませんでした。

3月ごろはわりとふつうに花粉症気味だったので、ここにきてもうシーズンが過ぎたのかもしれないと、拍子抜けしています。

きょうはひたすら畑仕事をして、ようやくエンジンがかかってきたようにおもえます。

あたたかくなったときに急に動いてカラダを痛めるということはよくあることですから、急アクセルを踏み込まないように、お互いゆるゆるいきましょうね。

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温かいお気遣いをありがとうございます。

以前お話したかどうか忘れましたが、母とは正常な関係ではなく、ここ10年ほど、まったくの縁切り状態でした←私の方から連絡を絶ちました。

関係を修復できなかった(しなかった)のを後悔している部分もありますが、それはそれでよかったとも思えます。


どんなに小さくても小さいなりの、大きければ大きいなりのご苦労があることと思います。
農園主さんが副会長になれば、継続すべきことは継続し、見直すところは見直して、よりよい自治会になることでしょう。

人から頼られるというのは、厄介なところもありますが、やりがいがあると思います。


そう言えば、父が亡くなった時は3ヶ月以上毎日泣いていて(お風呂に入った時とかベッドに入った時とか突然涙が。。。)、外に出ても、街の景色に色がないような感覚でした。

今回はあまり涙も出ず、所用で外に出ると、道端のお花がきれいに咲いてるな、などと感じ、この差はいったいなんなんだろう、と考えているところです(◎_◎;)

今年はまだ花粉症がほとんど出ていません。
薬が効いているだけかもしれませんが。

これからますますお忙しくなると思いますが、農園主さんもご無理のないように、気温差には気をつけてくださいね。
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返信が拾えず申し訳ないんですが、取り急ぎ。

ご母堂のお話はいままで何度かおうかがいしましたね。

急なことだったとのことですから、ギズモさんにはきっといろんなおもいが去来されているとおもうのですが、まずは目の前のたいへんなことが無事に解決することを祈っています。

まだこれからいろいろと手続き面でのご苦労があるかとおもいますが、季節も変わり目で体調を崩しやすいときですから、どうぞご無理のないようにしてくださいね。



急に春めいてきて、ぼくはぼくでことしは自治会の副会長(といっても田舎の小さな自治会です)をすることになって、ちょっとバタバタしています。

東京のほうはもう夏をおもわせる気候だったようですね。

こちらはきょうは晴れ予報が外れて曇り気味の一日で、過ごしやすい気温で、ズッキーニと、キュウリ、天狗ナスと万願寺唐辛子、かぼちゃを、苗箱に種まきしました。
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漱石の説明、ありがとうございます。

ちょっと方向が違いますが、漱石の頃の識字率を調べてみました。
それを考えると、新聞や漱石たちが書いたものを読む(読める)人はそんなに多くはなく、読む人は、充分に議論を闘わせることのできる人々だったと推察します。

現代なら、よく道理をわかっていない人々も、安易に見当違いな意見を発信できるので、漱石が現代に来てそんな場面に遭遇したら、さぞかし面食らうことでしょう(笑)

いつの時代でも、世の中に自分の意見を発信するということは、大変なことだと思います。


浦島太郎が、玉手箱を開けたら鶴になったという話を知らない人は多いですね。
シニア向けの童謡・唱歌の講座の中で、「浦島太郎」「桃太郎」「一寸法師」「花咲かじじい」など、おとぎ話系の唱歌をみんなで歌うことがあり、題材にすることもあるのですが、全員が歌詞のとおりのお話だと思っています。


舞鶴のあたりに民話が集中しているというのは興味深いですね。
地形も関係しているのかな、と単純ですがそう思いました。


豊玉姫がワニの姿で出産するという話ですが、海神の娘だから海に関わる動物の化身だった、というように理解していました。
ワニの姿を見られたことで海に帰ってしまうようですが、民話に多い海や山というのは、外国の人が隠れ住んでいたところだった、という気もします。

見るなと言うのを見たからワニだとわかったわけですが、言いつけを正直に守って見なかったら、話が進展しなかったんですね(笑)
神話でもそんな話があるし、「鶴の恩返し」などの民話や、外国にもありますね。
見るな、と言われたら、見るつもりがなかったはずの人でも見たくなりますよね(笑)


むかし話や神話に登場する、動物や化け物の意味を考えたことはありませんでしたが、ワニのお話から、とても興味を持ちました。


わたくしごとで申し訳ありませんが、一週間ほど前に、母が亡くなりました。
急なことでしたが、年齢的には充分だと思います。

葬儀はまだこれからなのですが、法的なこともあり、頭が悪いといろいろと大変なことばかりだ~~と痛感している今日この頃です(笑)

父が亡くなった後、パソコンのロックを解除したり、通帳を調べるのに(隠してあったのがあるらしく)、大変な手間と時間がかかりました。

自分が亡きあとには、葬儀のことも含め、家族にそういう苦労がないよう、今からきちんとやっておこうと思いました。


桜、急に咲き始めました。
今日は予報では最高気温は27度です。
春の花も各種(パンジーの他は不明)色とりどりにきれいに咲いていて、本格的な春ですね~(^^♪
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1408
漱石がくどくどと、個人主義の説明をした理由なんですが、右翼(保守)という属性の人にとって、個人主義や自由主義は受け入れがたい考え方のようです。

逆に左翼(リベラル)という属性の人にとっては、全体主義や権威主義は受け入れがたい考え方であるといえます。

いま、SNSで運動家たちが非難のやりあいをしているのは、結局はこの主義の対立なんですね。

で、漱石の時代には、社会全体で全体主義や権威主義がどんどんふくれあがってきて、「個人主義」という言葉を出すだけで社会が反応する、という時代でした。

だから漱石はくどくどと、ほんとうの個人主義とはどういうものか、という説明しなければならなかったというわけです。



舞鶴のあたりって、やっぱり浦島太郎の伝説が色濃い場所なんだとおもいます。

浦嶋神社はもちろん、舞鶴という地名にしても、浦島太郎が玉手箱をあけた後に鶴になる伝説を彷彿させます。

そう考えると、大江山の鬼、山椒大夫もそうですが、あのあたりは日本で有名な民話の集中地帯といえそうですね。

ところでこの話も以前にしたかもしれませんが、古事記にはワニが出てきます。

あのワニはサメなんじゃないか、などといいますが、たぶんあのワニって、外国人ですよね。

因幡の白兎の物語では、ワニをだましてからかった白兎がひどい目にあいます。

このワニを、大陸からきて因幡の海岸のあたりに勝手に住み着いていた外国人と置き換えるんです。

そうすると、外国人をからかっていた地元のいたずらっ子が、いたずらの度がすぎてひどい目にあって、さらに土地にのさばる権力者(神々)になぶられた、という話になります。

もうひとつは、山幸彦(神武天皇の祖父)の話です。

山幸彦が竜宮城に行って、豊玉姫と結ばれます。

そして豊玉姫が日本で出産するときに、ワニの姿になったというのですが、これもそもそもが外国人と置き換えて考えないと、天皇の血筋にワニがいることになってしまいます。

この場合、豊玉姫は朝鮮半島か、あるいは中国大陸のどこか、はたまた日本と大陸の間のどこかの島の、王族の娘、と考えると、腑に落ちるようにおもえます。

もちろん、天皇の血筋に外国人の血が混じっているわけがない、と考える人にとっては、ぼくがいま言ったようなことはたいへん都合のわるい解釈だとはおもうんですけどね(笑)

最近は、むかし話や神話における動物や化け物の意味について、あれこれ考えていたりします。
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詳しいご見解をありがとうございます。

農園主さんのご説明は、専門的で難解なお話でも、理解しやすくかみ砕いて書いてくださるので、とてもありがたいです。
「ただぼんやりした不安」というのは、芥川龍之介自身もよく説明できない、漠然とした心持ちだと思っており、そのような理由があったとは知りませんでした。

漱石の「個人主義」にしても、この言葉のイメージからすれば、現代にしてもあまりよいものではないと思うので、この時代だと「かなりセンシティブ」なことだったろうと、想像がつきます。
「国に逆らって好き勝手やるというような意味じゃないんだ、ということを何度もくどくどと説明している」のは、間違って理解されたくないという気持ちがあったのでしょうか。

作家(小説家)はその作品の中で、必ずしも自分の思想、考え方をありのままに表現するわけではないとは思いますが、わざとぼかしたりわかりにくくすることで、どこまで伝えられるかということに心を砕いていたのかもしれませんね。

作品は、その時代背景をきちんと理解した上で読み解くことが重要なのはわかりますが、農園主さんのように、ここまで深く理解してもらえたら、書いた作家も本望だと思います。

農園主さんの書いてくださったことをちゃんと理解したく、繰り返し読ませていただきましたが、見当違いのことを書いていましたら、ごめんなさい。


「岸壁の母」のお話も、グーグルマップまで張っていただき、ありがとうございます。

余談ですが、今まで「貼る」で統一していましたが、この度ちゃんと調べたら、コピーペーストは「貼る」だけれど、リンクの場合は「張る」が正しいと知りました(^_^;)

私も、てっきり東尋坊のイメージでいましたが、舞鶴はそういう場所なんですね。

調べたら、歌詞にはモデルがあって、その女性の取材をした上で歌詞を書いたようですが、実際に舞鶴に行ったという話は見つかりませんでしたので、イメージで作詞したのでしょうね。

不謹慎ですが「怒涛砕くる岸壁に立つ~」というと、サスペンスドラマのシーンを思い起こしてしまいます。
仰るとおり、山際の高台から見ていた、というのが、実際のところだと、私も思います。

「竜宮浜」という場所があるんですね。
ちょっと気になりました(笑)

いつも、私の話からいろいろと話題を広げて教えてくださり、ありがとうございます。

タワラマゼランという品名、おもしろいですね。
皮の色が変わっています。
うまく育ちますように(o_ _)o))
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1404
よく大正デモクラシーといいますが、あれは民権運動が自然に高まったんじゃなくて、社会がどんどん統制的になり、イデオロギッシュになる中で、反動として起こったんですよね。

だから実際には大正デモクラシーという民権運動は、全体主義や軍国主義の暗い影が日本社会を覆っていく中での、ごく一時的な反発だったといえるでしょう。



たぶん以前にもお話ししたことがあるとはおもうんですが、前回にお話しした漱石と芥川龍之介の話を、この点にからめてもう少しお話しします。

夏目漱石は大正5年に49歳で亡くなるのですが、かれが亡くなる2年前の学習院大学での講演の写しとりが、『私の個人主義』というタイトルで出版されています。

大正2年のことで、この時代にはすでに「個人主義」という言葉はかなりセンシティブなものだったようです。

実際漱石は、じぶんの言う個人主義とは、国に逆らって好き勝手やるというような意味じゃないんだ、ということを何度もくどくどと説明しています。

そしてこの作品の中で、社会にすでに、極右的なものが台頭していることを匂わせています。

漱石が朝日新聞の文芸欄を担当していたときに、三宅雪嶺という右翼をほんの数行だけ批判したことがあったのですが、そのときに三宅ではなく、三宅の子分とでもいうべき、いわゆる「日本及び日本人」を自称するような連中が、漱石の文章を取り消せと、息巻いてきたのだそうな。

向こうは烏合の衆で、こちらは個人。漱石もずいぶん困ったというのです。

ちなみに漱石のいう個人主義というのは、ぼくには筋が通っているようにおもえます。

たとえば漱石は、個人の自由は国家の安危にしたがって、寒暖計のようにその範囲が広がったり狭まったりするといいました。

つまり自然の状態がそうなってくるのです。国家があやうくなれば個人の自由が狭められ、国家が泰平のときには個人の自由が膨脹してくる、それが当然の話です。いやしくも人格のある以上、それを踏み違えて、国家の亡びるか亡びないかという場合に、かんちがいをしてただむやみに個性の発展ばかりめがけている人はないはずです。

漱石のいう個人主義は、現代のSNSなどで悪目立ちしている左翼たちの、じぶんたちに都合よく、際限なく拡大解釈されていく個人主義運動とはずいぶんちがっています。

しかしそんな漱石のまっとうな思想でさえ、時代が進むにつれて言えない空気になっていきます。

そんな時代の圧迫感は、漱石山房(漱石を師事する知識人たちのサロン)の一員で、漱石より25歳年下の芥川龍之介はとても強く感じていたようです。

かれは自殺する前に、『或る阿呆の一生』という自伝的な作品を書いています。漱石の講演から13年後の、昭和2年です。

そこではかれはじぶんの死ぬ理由である「ただぼんやりとした不安」を詳しく分析して書いたというのですが、じぶんの人生に暗い影響を与えた、江戸時代の封建主義のことだけは書かなかったといいます。

なぜかというと、芥川の生きている時代も、多少は封建時代の影の中にあるからだというのです。

この封建主義というのは、芥川がわざとわかりにくく言ってるんです。

芥川のいう封建主義とは、さっき漱石が言った「三宅雪嶺の子分」みたいな人間が、芥川龍之介の作品を監視し、いつでも弾圧しようとしているということです。

江戸時代に強いものが弱いものをいじめた封建主義は、明治に入ってなくなったはずなのに、芥川の時代にはべつのカタチでずいぶん色濃いものになっていた。

国粋主義や軍国主義が、市民をいじめるようになったわけです。

社会には思想警察がうようよしていて、わかりやすいカタチで時代批判などしようものなら、「日本及び日本人」を自称するような思想警察たちがすっ飛んできて、すぐに弾圧されてしまいます。

だから芥川は、ぼかして書くしかなかったのです。

もし正直に「じぶんの死因はこの息苦しい社会のせいである」なんて書いてしまったら、かれの家族や友人にまで類が及ぶかもしれません。

封建主義というわかりづらい言葉を選んだのは、わかりやすく書いてしまうと社会からなにを言われるかわからないから、巧妙に言葉を置き換えて、読者(思想警察)がうまく理解できないようにごまかしてるんですよね。

そしてじぶんの死ぬ理由も「ただぼんやりとした不安」と、ぼかしました。

明治・大正・昭和にかけて加速度的に、正直にものが言えなくなっていく空気が、伝わるかとおもいます。



ずいぶん長くなってしまいました。

「岸壁の母」、聞かせていただきました。

戦地から帰ってくる息子を待ち続けるという、あの戦後すぐの時代を実際に体験した人にとってはほんとうに琴線に触れる曲だったことでしょう。

前に板東英二を不思議だと言いましたが、現代に二葉百合子さんが見事な歌声で歌いつないでおられるのも不思議な気がします。

ところで、せっかくの歌にちょっと水を差すようなことをいいますが、舞鶴港は湾になっていて、海岸に沿うように100~200mほどのなだらかな山がぼこぼこそびえているような地形なんです。

曲の最後に「怒涛砕くる岸壁に立つ母の姿を」とありますが、湾ですから、ふだんの波は穏やかです。

岸壁というと福井県の東尋坊のような岩場を想像しますが、実際には穏やかな舞鶴の湾に入ってくる引き揚げ船を、山際の高台から見ていたということではないかとおもいます。

以下のグーグルマップをみてもらうと、イメージしてもらいやすいかもしれません。

https://www.google.com/maps/@35.5095479,...

それでももちろん、帰らぬ子を待つ親の狂おしい心情をあらわすには、巌のような岸壁と荒れ狂う波濤が似合うとおもいます。
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満鉄社歌について、詳しいお話をありがとうございます。

そういう経緯があったのですね。
大正時代は、大正浪漫と言う、ハイカラでモダンで、一見自由な文化の反面、思想は自由に表現することができなかったのですね。

社歌は、曲調も独特ですが、メロディーにムリムリ歌詞をはめ込んでいる部分がとても気になります(笑)
イデオロギッシュでギラギラした、という表現は、その通りだと思いました。

板東英二は満州で生まれたんですね。
徳島弁で話すタレントさんというイメージが強く、野球選手ということは忘れがちでした。

他にも芸能人や著名人でけっこういたように思うので、ウィキペディアで「引揚者一覧」という項目を見たら、満洲以外からの引揚者も大勢いるのですが、こういう項目があることも初めて知り、なんだか不思議でした。

舞鶴の引き揚げも「岸壁の母」で歌われていますが、戦争についての歌詞が削除されたり、書き換えられる中で(唱歌や童謡が殆どだとは思いますが)、いまだに歌われているのも貴重なことだと思います。

二葉百合子のファンというわけではないのですが、去年末、テレビに出演して歌ったようで、92才というのに、あの声量と声の艶に唖然としました。
やはりもとが浪曲師というのは、一般的な歌手とは違い、まさに脅威の歌唱力です。もちろん若いころに比べたら、衰えは見られますが。


池袋西武百貨店に「狗不理」という、点心と中国料理のお店がありました。

「狗不理」の本店は、中国天津の静園のあたりなのですが、愛新覚羅溥儀ゆかりの地ということでなのか、西武百貨店の店内に「溥儀」(溥傑のほうだったかも?)の名前の入った書額がありました。
4~6文字くらいの漢字が書いてあったのですが、なんて書いてあったのか記憶にありません。
契約終了で閉店してしまったので、確かめることもできませんが、はたしてあれは直筆だったのか、コピーなのか、それはちょっと気になります(笑)





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満鉄社歌、確認されている日本最初の社歌なんですね。

イデオロギッシュでギラギラした歌だとおもいましたし、北朝鮮のような曲というのも、あの国威をむやみに掲揚する感じがたしかに似ているとおもいました。

しかしこの作詞をした山口慎一は、満鉄社歌が採用された4年後には左翼として検挙されて、満州から日本にいったん帰国したとあります。

大正当時の社会はすでに思想警察のはびこるきな臭い匂いで充満していたのでしょう。

そんな中で、文学でいえば芥川龍之介は漱石から受け継いだじぶんの自由主義的な思想を「上手に隠す」ようになりますし、谷崎潤一郎は対米戦争の足音を聞きながら、西洋文化のまばゆい明るさに背を向けるように『陰翳礼賛』を著したんですね。



愛新覚羅という苗字は、戦後すぐの日本でさぞかし生きづらかったことだろうとおもいます。

そういえば、タレントの板東英二は満州生まれですね。

満州で生まれて、日本への引き揚げの際に置き去りにされそうになったのを、間一髪で連れ帰ってもらったそうで、そこからはご存知とおもいますが、高校野球で大活躍し、プロ野球選手、タレントと、表舞台で活躍するようになりました。

ひとりの人間が、満州という歴史上の亡国に取り残されかけたところから華やかな戦後日本の寵児へと、シームレスにつながっているというのはどうも不思議な気分です。

おなじように、愛新覚羅という苗字をつないで生きている人が日本にいるというのも、やはり不思議です。
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満州国が続いていたらというお話、とても興味深いです。

当時の満州では、日本と同じように、流行歌や子どもの童謡などが流行ったようですが、中でもおもしろいのが、満鉄(南満州鉄道)の社歌です。
日本人の作詞作曲ですが、聴いてみると、どうも北朝鮮の歌のような雰囲気を感じてしまいます。
大正6~7年あたりにあのような曲調の歌は珍しいと思うのですが、満州の位置を考えると、北朝鮮あたりの影響を受けていてもおかしくないのかなと。

社歌というジャンルなので、重みを感じるものにしたのかもしれませんが、満州のようなところにずっといると、音楽でも小説でも、日本にいる時に作るものとは違ってくるのかなと思いました。


満州と言えば、東京都品川区に「愛新覚羅」という姓の、女医さんの眼科クリニックがあります。
まだ若い人ですが、以前テレビで放映したのを見ました。

溥儀の親戚の人かとよく言われるそうですが、直系ではなく、徳川家みたいに枝分かれしているようですね。

話がさらに逸れてしまいますが、私の親より少し前の世代の人で、満州から引き揚げてきた人は、ずいぶんいました。
子どもの頃、満州で中国人の女中さんにおんぶされて育った話や、集団でチフスにかかったけれど生き延びた話とか、本当に小説の中のような話を聞いたこともありました。

今回、満州の音楽の事をちょっとだけ調べてみたのですが、満州なんとか、という流行歌が数多いのは知っていましたが、童謡「ペチカ」「待ちぼうけ」が、満州から逆輸入されて日本に入ってきたのは、初めて知りました(今までも調べていたはずなのになぜ覚えていなかったのか????)

北原白秋と山田耕作が、実際に満州に行って作り、「満州唱歌」に入っていたそうです。

特に「待ちぼうけ」のあの荒れ野の描写は、やっぱり日本の風景ではなかったことで、なんとなくスッキリしました(笑)
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カントリーロードの歌詞に出てくる車は、大昔の武骨なマニュアル車をおもわせますね。

500マイルにせよカントリーロードにせよ、郷愁をおもわせる日本の曲って少ないです。

国土が狭くて交通網がそれなりにしっかりしてるからだとおもいますが、それ以上に、戦後の日本には西洋のような開拓の歴史がないので、安住の地から危険な未開拓の土地へ、という物語がないんですよね。

以前、海外の民族音楽を日本人がそれっぽく歌っても、文化的に根を張っていなければうまくいかない、という話をしましたが、あれに似ているとおもいます。

ヘンな話ですが、もし満州国というものが戦後も続いていて、日本人が日本から満州へ出稼ぎに、ということがあったら、500マイルやカントリーロードのような歌が日本の自前でできていたかもしれないな、とおもいました。



駒込の妙義神社は武勇の神社ですよね。

古い販売機だから故障しているということでしたが、いつごろからそういうおみくじのスタイルだったんでしょうね。

あまり大阪やうちのあたりの神社ではみかけません……いや、そういえば宝塚大劇場の近くにある清荒神という神仏習合の寺社では、境内から出た門前町の入り口に、そんな自販機があったようにおもえます。

それでもおみくじはたしか、100円か、あるいは200円で、10円ということはありませんでした(笑)

いずれにせよ、大吉のおみくじでよいお参りになったようでなによりです。


うちのあたりも天気が大きく崩れて、春の手前で一気に寒の戻りです。

けさは畑がうっすら白くなっていましたし、日中も粉雪がちらついていました。

寒暖差がすごいうえに花粉もシーズンですので、体調にはどうぞお気を付けくださいね。
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昨日ちゃんと読んでいたのに、なぜか500kmに違和感がありませんでした(^_^;)

一輪車を押しながらの1万歩は、相当お疲れだったことと思います。
原木500キログラムというのは、想像もつかない量です。

500マイルは鉄道なんですね。
「耳をすませば」の中で、「カントリーロード」を日本語詞で歌っていましたが、もとはジョン・デンバーの歌でしたね。
あの曲も、ず~~っと延々と続く道のイメージですが、「カントリーロード」では、鉄道ではなく車のようです。
これも、おっしゃるように、蜘蛛の巣的な道だとイメージできない曲ですよね。

この曲は本名陽子のイメージが強く、それこそ中山千夏、倍賞千恵子のような、澄んだ歌い方がマッチしているように思います。

コンサートの次の日、朝起きてからふっと「今月の辰の日はいつだっけ?」と思い、調べたらその日でした。
以前詳しく教えていただいた駒込の妙義神社で辰の日限定のお守りが出るので、せっかく行くなら辰の日にと思い、行ってきました。
数十年ぶりでしたが、すっかりきれいになっていました。

限定のお守りは、黒い木の勝守でした。

その前に駒込の大黒神社にお参りしてきましたが、自動販売機のおみくじを引きました。
今時びっくりの10円です。

妙義神社にもそっくりの形の自動販売機おみくじがありましたが、こちらは100円でした。
この差はなんなんでしょうね(笑)

100円入れてもおみくじが出ません。
軽くゆすってみましたが、出ません。
授与所に言って話したら「あ~古いので」と言いながら、若い男性の神職さん?が、100円玉を下さって、これで引いてくださいと。
お礼を言ってもう一度試しましたが、、、、。
出ません・・・。

ちょっと笑いながら「やっぱり出ませんでした」と言ったら、おみくじが20体くらいのっている三宝を出して、「ここからひいてください」と。
お礼を言ってひかせていただきました。

今年は殆ど末吉なのですが、大吉でした。
末吉だろうが中吉だろうが、書いてある内容と比例していないので、落ち込むこともないのですが、やっぱり大吉はうれしいです。

自動販売機では凶が出る予定だったので、大吉をひかせるために、神様が販売機を故障させたのかもしれません←こういうところだけポジティブ(笑)

帰りがけ、授与所にウーバーイーツが届きました。
神社にウーバーイーツ・・・。
ちょっとした異文化のように感じ、こっそり笑ってしまいました。

なんだかすごいお天気です、今日は。
晴れてたと思ったら、いきなり曇り、また晴れたら雨、強風、そして雷。
雹が降ったところもあったようです。
寒さも戻るようで、桜はまだ先かもしれません。
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1396
きょうもひどい忙しさで、朝からジャガイモの植え付けと春菊の種まきをすませて、午後はしいたけの原木の運搬に追われました。

原木500kmキログラム(←疲れていたのでしょう)を一輪車に乗せて、1万歩。いい運動でした。

伊勢佐木町ブルースのあのフレーズは、集団でやるものではないとおもいます(笑)

集団で本気でやればオットセイの鳴き声のようになるでしょうし、照れるとそれこそターザンのようになってしまうことでしょう。

清志郎の500マイル、いいですよね。

kmに直すと、500マイルはおよそ800kmになります。

大阪から下道で宮城県まで行ったとき、だいたい片道でそれくらいの距離でした。

でも日本のように蜘蛛の巣な交通網のあるところだとあの原曲はイメージしづらいとおもいます。

あれはむかしのアメリカあるいはイギリスのような土地における、延々と田舎道を走り続ける鉄道の800kmであり、「歩いて戻ってこられる距離ではない」「まして文無しは帰ることができない」というようなニュアンスが含まれているのでしょう。

それを清志郎は、日本的な郷愁を感じさせる歌詞に変えて、元歌のニュアンスは崩さないように、ものすごくうまいアレンジをしているんですよね。

ゴンドラの唄もいいですね。映画『生きる』をみてしまうと、聞くと涙腺がゆるむかもしれません(笑)
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ごめんなさい。
後回しどころか、お疲れのところ、お返事をありがとうございます。

曲目リスト、削除します。ありがとうございます。

「伊勢佐木町ブルース」は、お客さまに「ため息」と「デュデュビ~~」のところをお願いしました。
「切ないため息」を要求したのですが、ターザンのような「あぁ~」になってました(笑)

従って、私はその「セクシーさ」は演出していません・・・。
あれは歌よりも難しいですよね。

ありがとうございます。
すでに次の曲目選びに熱中しています(笑)

農園主さんの今までの記事では、ずいぶんヒントをいただいています。
確か「500マイルも離れて」の日本語(忌野清志郎?)の記事もあったかと思いますが、日本語詞のものと、「ゴンドラの唄」も、レパートリーに入れたいと考えています。

では、ゆっくり寝てお疲れを癒してくださいね(^^♪
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曲目、消していただいてけっこうです。
ここは検索エンジンからの集客を消しているので、ほとんど見ている人はいないとおもうんですが、ぜひ万全をとってください。

ちょっときょうはバタバタしすぎて、うまく返信できそうにありません。

いろいろ後回しにして申し訳ないです。

シャンソンや歌謡ブルースの名曲の数々、いい選曲ですね。

伊勢佐木町ブルースのあの冒頭は、むずかしくないですか?

当時の商業的に乗せられるギリギリのセクシーさを、あの冒頭のインパクトで伝えている曲だとおもうんですが、どうコントロールして伝えるか、そのときの舞台の空気も含めて、演じ方のむずかしい曲だとおもいます。

曲目をみていると、ぼくが観客席にいても大いに盛り上がれそうですし、ギズモさんの観客を楽しませようというおもいが伝わりました。

ピアノの不調は、冷や汗ものだったことでしょう。

たいへんだったこととおもいますが、次につながるよいお疲れでありますように。
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ありがとうございます。
実績をつけないとあとがないのがなんともつらいところです。
今日はさすがに起きるのがつらいくらい疲れました。

その施設の近くに稲荷神社があります。
仕事の時はたまにお参りするのですが、コンサートの前日に行き、「ちゃんと声が出てちゃんと歌え、来てくださった方に喜んでいただけますように」とお願いしてきました。
あわれに思い、お願いを聞いてくださったのかもしれず、当日、終わってからお礼を言いに行きました。

気の持ちようでしょうが、護ってくれたのかも、と取ることにします(笑)

ただ、そこは電子ピアノなんですが、ずっとペダルの調子が悪く、案の定、サスティンペダル(ダンパーペダル)が不調で、コンサート中に電源の入れ直しをする事態になりました。

私の場合、コンサート、といういかにもきちんとしたものではなく、かなりふざけたユニークな感じの構成で、みなさん、笑いっぱなしでした(笑)

曲目は、、、ごめんなさい、忙しいのにたいして興味ないですよね(笑)


テーマは「世界の音楽」でした。
コーヒールンバは、2番で「お酒ルンバ、薬ルンバ」という替え歌を入れました。
古賀正男の弟子の、アントニオ古賀が歌ったものです。

そう言えば、知人の女性が、昨日から目がかゆくてかゆくて、開けていられない、と言っていました。
市販の目薬では全然効かないそうです。

ヒノキの花粉でもつらいですよね。
花粉ではないですが、ヒノキで作った桶やまな板などを売っているところがあるんですが、あの木の匂いで頭痛がします(笑)

今日もお疲れさまでした(o_ _)o))

いよいよ本格的に忙しくなりますね。
疲れをためないよう、気をつけてください。

雑談でもうれしいですが、それもご無理のないようにしてくださいね。
Icon of nouennushi
1390
コンサート、よい結果が得られたようでなによりでした。

コロナ騒動も落ち着いて、またみんなにぎやかに集まろうとしているようですね。

きょうは花粉で目がかゆくなりましたが、いまのシーズンに症状が出るということは、ぼくはスギではなくヒノキの花粉症なのかもしれません。

きょうは昼から雨が降るということだったので、朝から急いで畑の乾いたところを耕して、葉物野菜の種まきをしました。

昼過ぎに作業が終わって、ヘロヘロの状態で次は原木しいたけ作業に。

で、降る予定だった雨が降らなさそうなので、あしたはジャガイモの植え付けと、もうすこし葉物野菜の種をまいてから、午後にしいたけ作業をする予定です。

もしこれから雨が降らない場合、作業が一気に立て込んでくるので、スピリチュアルと伝統宗教の話はだいぶ先になるかもしれません(笑)

その際は、雑談のやりとりでよろしくお願いします。
Icon of gizumo
ずいぶんお忙しそうですので、くれぐれも「スピリチュアルと伝統宗教」をはじめ、返信のお気遣いはないよう、お願いいたします(o_ _)o))

ありがとうございます。
おかげさまで、なぜかセッティングはサクサク進み、声はちゃんと出て、予想外の大盛況でした。
みなさんに喜んでいただけて、本当にホッとしました。


ワンチャンス、その通りですね。
今日は初めてのところでしたので、失敗したら今後はありませんでした。

お天気もよく20度ほどあり、暑いくらいで、素敵な花粉日和でした(笑)

無理せず、身体に気をつけてくださいね。


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1388
ありがとうございます。

ワンチャンスのコンサートですから結果のよしあしはうかがいませんが、きっとどのような結果であれ、コンサートを終えてギズモさんの心の中に前向きなおもいがあることを祈っています。

ぼくはきょうは突然ご近所さんに巻き込まれるかっこうで、しいたけの原木栽培づくりで一日が終わりました。

原木50本以上の作業になりそうで、突然いろいろと仕事が入ってきたので、あしたから天気がもっている間、うちの野菜の種まきも含めて、しばらくバタバタになりそうです。

返信は数日後にまとめて、ということになるとおもいます。

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