山麓王国

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2024年6月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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さっきの記事に追記をさせてください。



桜大刀自命の名前に、なにか記憶の引っかかりがあって、いまおもい出したんです。

折口信夫の『死者の書』という小説があります。これは難解な小説といわれるんですが、下地になっている物語を理解すると、取っ掛かりになります。

この物語は、當麻曼荼羅の中将姫伝説が下地になっています。

藤原鎌足の玄孫であるうつくしい中将姫は、継母にうとまれ、虐待を受けて家を追い出されます。

そして奈良の宇陀のお寺に身を寄せるのですが、非常にきびしい暮らしを強いられます。

そこへ父親が偶然通りかかり、姫に一緒に帰ろうというのですが、姫は「わたしはもう仏様に帰依して、ひたすら祈り続けたい」と言い、父はその願いを聞き入れ、娘を當麻寺に預けます。

しばらくすると姫の夢枕に仏が立ち、蓮の糸で曼荼羅を織るように託宣されました。

姫はお寺の者にそのことを伝え、各地から蓮の糸を集めて、一心に曼荼羅を織り上げました。その後姫は29歳で亡くなります。



『死者の書』では、まず最初に、半世紀以上前に非業の死をとげている大津皇子が目覚めるところから始まります。

死者である大津皇子は、目覚めたときに妃の耳面刀自(みみものとじ)のことを恋しくおもいました。

耳面刀自は藤原鎌足の娘です。



中将姫は藤原南家の娘、「藤原南家郎女」という名で登場します。

中将姫も藤原鎌足の血を引いていますが、大津皇子は郎女を耳面刀自と勘違いするんですね。

そして郎女が死者の霊をなぐさめるために曼荼羅を織る、という展開です。




ずいぶん長い前置きになりましたが、ここでようやく、耳面刀自が出てきました。

桜大刀自命にも、耳面刀自にも、おなじ「刀自」の名前がありますよね。

この刀自(とじ)というのは、年配の女性、それも宮中の女性への尊称、というような意味があります。

ポイントは、年配の高貴な女性への尊称ということです。



冨士山小御嶽神社の御祭神はイワナガヒメに加えて、桜大刀自命と苔虫命ですが、苔虫命は、年齢を重ねたイワナガヒメをあらわす、といいました。

で、桜大刀自命はコノハナサクヤの別名なんですが、おそらくこれは、おなじコノハナサクヤでも年配になった姿をさしているのではないかとおもうのです。

だから、桜という花に、大刀自(大がつくのは、身分の高さをあらわしています)という年配の女性をあらわす尊称をくっつけているでしょう。

そこで、なぜこの有名な姉妹の神が、年配のお姿でまつられているのか、ということが気になったのですが、そこはどうにもよくわかりませんでした。

以上、長くなりましたが、追記でした。
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コロナ、最近なんだかまた流行し始めていて、ラジオのパーソナリティが、非常にたちのわるい風邪が流行っている、という話をしていました。

周囲でもそういう話をちらほら聞くのですが、巷のうわさのようにして、「おかしな風邪が流行っている」という話を聞くのは、なんだか不気味です。

こちらは田舎なのであまり危機感がない状況ですが、そちらは影響はないでしょうか。



今回はせっかくお話をいただいたので、冨士山小御嶽神社の話をします。

御祭神のイワナガヒメなんですが、以下のようなエピソードがあります。

高天原から中つ国に降臨したニニギノミコト(天孫)が、コノハナサクヤとイワナガヒメをめとることになったんですが、イワナガヒメの容姿が気に入らないニニギノミコトが、イワナガヒメだけ実家に送り返してしまうんです。

イワナガヒメは長命をつかさどる神でしたから、彼女を送り返したことで天孫以降、人間は短命になったといいます。

日本神話には教義らしい教義はないんですが、このエピソードには教義めいたものがあります。

人を美醜で判断する愚かさに対する戒めが込められているんですが、だいたいのことにおおらかな日本神話で、こういう説教っぽい展開は、めずらしいんですよね。

で、それはそれとして、冨士山小御嶽神社ではイワナガヒメのほかに「桜大刀自命(さくらおおとじのみこと)、」と「苔虫命(こけむしのみこと)」がまつられているそうです。

そのうち桜大刀自命はコノハナサクヤの別名なのだそうで、姉妹そろってまつられているようですね。

それで、苔虫命について調べたんですが、どうもこれが、イワナガヒメをさすらしいんです(笑)

イワナガヒメは「岩」で、それだけに長命なわけですが、その岩に苔むす→苔虫、という流れで、苔虫命はすなわち、長く生きられたイワナガヒメをあらわすようです。



小御嶽神にまつられている天狗の名は小御嶽古太郎坊正真というそうですね。

天狗は山体の霊気によって神通力を得ています。

つまり、天狗と山は切っても切れない関係です。

以前お話ししましたが、秋葉山にも秋葉三尺坊(秋葉権現)という大天狗がいます。

ほかにも、有名どころだと鞍馬山の鞍馬天狗。

群馬県の妙義山の妙義神社での、武尊大権現も天狗信仰につながってきますね。

余談ですが、小御嶽神社にもヤマトタケルはまつられているので、やはり日本神話のヤマトタケルと修験道には接点があるのだとおもいます。

いずれにせよ、修験道につかわれる山では、なんらかの天狗が崇められています。

富士山ももちろん修験道に利用されていたわけですが、どうも5合目あたりが修験者のたまり場になっていたようですね。

それで修験者は山のエキスパートですから、道祖神(道開きの神)と結びついて、天狗・猿田彦・シオツチノオジなどとも融合していく……。



しかしこんな話を富士山に行く親にしたところで、なにひとつ理解してもらえないわけですから、親にはただよい体験と無事を祈るにとどめておきます(笑)



ところで、この場をお借りして。

ちちぶまゆを食べてみたんですが、外側のグラニュー糖がさくさく、きめのこまかいましゅまろがふわふわ、カエデ糖(これ秩父のカエデから収穫しているそうですね)がとろとろで、とてもおいしかったです。

素朴な味わいのマシュマロに、グラニュー糖、メープルシロップと、特別なことをしているわけではないのに、格別な味になっていますね。

たいへんよいものを、ありがとうございました。

2024年1月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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返信に困るであろう話、ということの理由を教えていただき、ありがとうございます。

ひとつ申し訳なく思うのは、ここは農園主さんの山麓王国で、メールのやり取りの場ではないと認識しています。
なので、おだやかな会話というものを考慮なさるお気遣いは無く、やり取りの中で気づいたこと、例えば今回の「かのように」の説明として京アニ事件を取り上げるということに何の問題もなく、ごく当たり前のことだと思います。
でも、それに対し私がトンチンカンな返信をしてしまうと、せっかくの説明が無に帰することになってしまいます。

それに対しても、気長にお返事してくださり、ありがたく思います。

時事問題は、確かにセンシティブだとは思います。
それを避けてほしいとはまったく思いませんが、農園主さんの意図やお考えとかけ離れた返信をすることがあるかもしれません。
そんな時は、スルーしていただいても、反論してくださっても大丈夫です。
ぶつかることとケンカになることは違うと思いますし、もしケンカになったらなったでその時は私に気遣うことなく対応してくださればいいと思います。

ここまで書いて、なんだかケンカを売っている文章に取られないかなと心配になりましたが、そういうつもりは全然ありません。

青空文庫で「かのように」を読んでみました。
農園主さんの説明で内容はわかりましたが、実際に読むと、会話が多いので想像よりおもしろく読めました。

2023年11月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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とんでもないです、農園主さんが謝る必要はぜんぜんありません。
返信はいつでも、無理のないようにお願いしますm(_ _"m)
ご自分の記事も、ちゃんと書いてくださいね。

1115、これからゆっくり読ませていただきます(*^^*)

追記
1115、今読み始めてびっくりしました。
さきほど、森鴎外の「寒山拾得」「寒山拾得縁起」、そして芥川龍之介の「寒山拾得」を読みましたが、最低の基礎知識はあるはずなのに、どうも理解が追いつきませんでした。
解説してくださっていたとは。
これから先を読ませていただきます。
ありがとうございます!!
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1114

ごめんなさい。今回は話が長くなるので、返信の話題をひとつに絞らせていただきます。



最近ひとつ気づいたことがあって、仏教というのは、メーテルリンクの『青い鳥』によく似てるんですよね。

青い鳥では、チルチルとミチルのきょうだいが幸せをよぶ青い鳥を探して遠い旅に出るのですが、結局みつからず、家に帰って鳥かごをみたら、そこに青い鳥がいたという話です。

いくら遠いところに幸せを探しても、結局幸せはいつもどおりの生活そのものの中にある、という教訓が込められています。

仏教もさんざん修行して、「悟り」なるものを探し求めるんですが、結局じぶんそのものに悟りがあって、ただ生きることこそが悟りなんだ、というところに行きつくようです。



般若心経は無を知ることで悟りが得られると説きますが、この無というのは、じつは無限とおなじことなんですね。

般若心経の「無」は、「人間には知り得ぬ概念」という言葉に置き換えると、わかりやすいかもしれません。

この世のすべてはわれわれには知り得ないことであり、目で見ていることも感じていることも、当たり前にわかっている(有る)とおもえるようなことは、じつはなにもかも知り得ないこと(無・無限)なんだというのです。

無や無限はわれわれに知り得ぬ概念ですが、じつはわれわれはこの無と無限の中にある。

すべてをわかるために修行をしているのに、結局、なんにもわからないということを腹の底から認めなければならないということを説いているわけです。

つまり、わかろうと努力しながらも、わけもわからずじぶんを生きていることこそが悟りである、ということになります。



寒山拾得にしても、かれらは風狂ですが、仏教というものを深く理解していながら、わざと社会通念とは無縁に生きています。

以前、禅は仏教の中ではめずらしく個人主義だといいましたが、文殊菩薩と普賢菩薩であるとさえいわれる寒山と拾得は、社会の中で生産をするわけでもなく、仏道を広めるわけでもなく、ただ生きるままに生きていて、禅僧たちはそういう個人主義の究極的なところにあこがれているといいます。



ここまでを前提として、森鴎外の『寒山拾得』をぼくなりに解説します。

現在の上海から南に200kmほど離れた台州にあたらしく着任した閭丘胤という官吏が、豊干という乞食僧と出会い、頭痛を治してもらうんですね。

そこで閭丘胤が豊干に礼をしたいと言いました。

「寸志のお礼がいたしたいのですが」
「いや。わたくしは群生を福利し、驕慢を折伏するために、乞食はいたしますが、療治代はいただきませぬ」


上の会話が意外と重要です。

豊干は仏陀にたとえられる人物です。



閭丘胤は豊干がどこの寺にいたかをたずね、国清寺であることを知ると、そこにはためになるような人はいるか、とさらにたずねます。

すると豊干は、国清寺には寒山と拾得という僧がいるが、かれらはじつは普賢菩薩と文殊菩薩であるというのです。

閭丘胤は国清寺に訪れ、寒山と拾得に出会い、じぶんの社会的な身分を伝えて、ていねいに自己紹介をします。

「朝儀大夫、使持節、台州の主簿、上柱国、賜緋魚袋、閭丘胤と申すものでございます」

すると寒山拾得は大笑いして、「豊干がしゃべったな」といって走り去った、というのがあらすじです。



まず、仏陀にたとえられる豊干はさっき言ったとおり、「群生を福利し、驕慢を折伏するために、乞食」をしています。

つまりその仏道には人々を救い、みずからのおごりをくじくという明確な目的があります。

閭丘胤の頭痛を治すことで、社会の役にも立っている。

つまり、仏陀は個人主義ではなく、衆生(群生)を救うために行動しているんだ、ということをここで述べています。



で、閭丘胤が寒山拾得に会い、じぶんの身分を告げ、できるかぎりていねいな礼をすると、寒山拾得は大笑いしました。

あれはどういうことかというと、寒山拾得は禅的な個人主義を極めていて、その生活から虚飾を捨て去っています。

なので閭丘胤の世俗的で虚飾にまみれた礼がおかしくなって笑うんですね。

同時に、群生(閭丘胤)を助けようと寒山拾得を紹介した仏陀(豊干)のことも皮肉って、「豊干がしゃべったな」と言いました。

寒山拾得(禅宗)にとっては、仏陀のやってる「群生を福利」することや、「驕慢を折伏」するようなことは興味がない、というわけです。

これがぼくの現段階での理解ですが、まだこれでようやく寒山拾得のとっかかりを得た、という感じです。



かなり長くなってしまったんですが、最後にもうひとつだけ。

ギズモさんはガラホを持ってらっしゃるんですね。

最近はなんでもかんでもアプリで登録して、便利な機能をという流れですが、そのたびにメールアドレスやパスワードをあたらしく登録するのがあまりにも面倒で、結局アナログに立ち返ってしまいますね。
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寒山寺の話から、ずいぶん広くお調べになったことに驚きました。
こちらこそ学ばせていただき、ありがとうございます。

蘇州夜歌をご存じだったとはびっくり。
お聴きになってらっしゃるのは、渡辺はま子さんのでしょうか。
中国語のものは日本語の歌詞に忠実に作られていて、テレサ・テンのカラオケにもあったように思います。
渡辺はま子のカラオケだと、バックに蘇州の映像が流れるのですが、とても美しいです。
作詞は西條八十ですが、確かに楓橋夜泊のオマージュですね。
まったく気づきませんでした。

今朝、記事を読ませていただいた後に、「東京国立博物館の寒山拾得図―伝説の風狂僧への憧れ」という特別展があったことを知りました。
11月初めで終わってしまい(非常に残念・・なんで気づかなかったのか・・)、今は、横尾忠則の「寒山百得」というのが開催されています。

終了したほうには、
「寒山と拾得は中国、唐時代に生きた伝説的な詩僧で、世俗を超越した奇行ぶりは「風狂」ととらえられました。
中国禅宗では、悟りの境地として「風狂」が重要視されましたが、寒山拾得の脱俗の境地は、仏教に通じるものとして、中国や日本で伝統的な画題として数多く描かれてきました」と、書かれています。
禅宗の悟り、つい先日教えてくださった話ですね。

『寒山拾得』は読んだことがないのですが、芥川龍之介なども書いていて、森鴎外夏目漱石も出てきているようなので、早速読んでみます。

スマホのことですが、ガラホ(訂正)4Gの「ガラパゴススマホ」、通称ガラホを持っています←通称はどうでもいいですね(笑)
折り畳み式で、ガラホ(訂正その2)ガラケーと違って今後も販売していくようですし、Wi-Fiも使え、ネット検索もできるので、特に不便はありません。
美術館などや飛行機搭乗のチケット、一部のクーポンは使えますが、アプリをダウンロードできないので、困ることは増えています。
必要な時はタブレットを持参しますが、面倒ですね。
スマホを持たないのは、スクロールでめまいが起きるからなんです(笑)
タブレットは、画面が大きく字も大きいので、なんとかセーフです。

昨日、上海のあたりをグーグルアースで見てみたら、やっぱり平面でも目がグルグル(グーグルだから?)してしまいました(^_^;)
こればかりは、慣れませんね。
もし大丈夫なら、ドラクエも、お城の裏が見えるようになったあたりで中断しないですみました(笑)
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蘇州についてのいろんな情報、ありがとうございます。多くの学びがありました。

漢詩については、学生時代に苦手意識がついてしまって、あまり知らないんです。

きょう、楓橋夜泊の詩を教えていただいてから、ふと蘇州夜曲を聴きました。

君がみ胸に 抱かれて聞くは
夢の船唄 鳥の歌
水の蘇州の 花散る春を
惜しむか柳が すすり泣く

花を浮かべて流れる水の
明日のゆくえは 知らねども
こよい映した ふたりの姿
消えてくれるな いつまでも

髪に飾ろか 接吻しよか
君が手折りし 桃の花
涙ぐむよな おぼろの月に
鐘が鳴ります 寒山寺

メロディが好きで、あまり歌詞を深く読み込むことはしていなかったんですが、夜の歌であること、船宿に眠るような描写もあり、夜烏の部分を鳥の歌として、寒山寺の鐘が鳴るというあたり、楓橋夜泊のオマージュなんですね。



寒山寺と楓橋夜泊のことをうかがってから調べていくうちに、寒山寺が寒山拾得とつながっていることを知りました。

学生時代に森鴎外の『寒山拾得』を読んだとき、なんてつかみどころのない、わけのわからない小説なのだろうとおもったのですが、ようやく取っ掛かりを得た気がします。

といっても、寒山と拾得の物語は、仏教的な教訓もなく、寒山にも拾得にも特殊な仏性を感じるわけでもなく、いかにも禅宗の好みそうな話だとおもいます。



上海の建物について、もしやとはおもっていましたが、やっぱり過去の共産主義と、その後の市場開放と経済成長の影響が混じり合っている感じなんですね。

2LDK5000万ですか。

ぼくにはとても縁遠い世界ですが、いまの上海はそういう経済圏になっているのですね。

ところでギズモさんは、スマホは持たずとも、いわゆるフィーチャーフォンは持っておられるのでしょうか。

ぼくは楽天でスマホを契約して、安価につかっています。

ペイペイは便利だったのですが、来年からはYahoo!のクレジットカード以外では紐付けてくれないようで、ぼくはYahoo!のクレジットカードは持っていないので、結局今後スーパーなどの買い物はクレジットカードが中心になりそうです。

2023年10月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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木村さんと、房之介さんの、「酒と泪と男と女」

近藤房之介さんは、日本のブルース界ですごい存在なんですが、一般的にはちびまる子ちゃんの主題歌のBBクイーンズ「おどるポンポコリン」の、インチキおじさんのほうで有名です(笑)

タッタタラリラ、の人ですね。

ブレイクダウンというバンドに参加していたことがあって、むかしは「東のブレイクダウン、西のウエストロード」というような、関東と関西でブルースバンドの競い合いのようなこともあったそうな。
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ぼくはまだ左胸が痛い。

と、そんなことより、BEGINがこの歌を歌うときの相性のよさ。

比嘉栄昇さんの歌声、好きやなあ。

ちなみにぼくは若いころ、ライブの休憩中にお酒を飲んでた木村さんと握手してもらって、さらに写真撮ってもらって、ちょっとだけ話したことがあります(笑)

#音楽
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AIが人間を追い越すことを、シンギュラリティというらしいんですが、これはアキレスと亀でしょう。

AIが人間に近づいて、知性の面では人間を追い越すとしても、人間にはなれない。



芥川龍之介の『侏儒の言葉』における『天才』という項目にはこうあります。

天才とは僅かに我我と一歩を隔てたもののことである。 ただこの一歩を理解する為には百里の半ばを九十九里とする超数学を知らなければならぬ。

ようするに、凡人と天才の違いはたった一歩だが、この一歩がどうしても追い付けぬのだ、と。



AIと人間もおなじで、AIがいくら人間に肉薄しても、このあと一歩にたどりつくことができません。

それは、絶対にできない。



われわれがAIを畏れるのは、たとえば機関車と駆けっこして勝てなくなるということを畏れるのに似ています。

機関車は人間の走る速度をはるかに超えているけれど、それで人間を追い越したということにはなりません。



AIもおなじようなものです。

人工知能がいくら進化して人間の知性を凌駕しても、AIは人間に追い付くことも、追い越すこともできない。

あと一歩のところまで肉薄しても、その次の一歩。

「この一歩を理解する為には百里の半ばを九十九里とする超数学を知らなければならぬ」のです。

#与太話
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NHKスペシャルの「"宗教2世"を生きる」をみました。

エホバや統一教会における教義を、ただ信者から生まれたというだけで押し付けられた2世の悩みや苦しみについて取り上げたものです。

この問題の本質は、宗教の教えが社会のありようと食い違っていて、教団側が教えにしたがうことを暗に求めていた場合、信者がどう行動すべきか、社会はどう働きかけるべきかということです。



たとえば、シビリアンコントロール(文民統制)という言葉があります。

文民とは、軍人以外の人間をさします。

つまり、軍人以外はみんな文民です。

で、この軍人を文民によって統制する、という制度がシビリアンコントロール。

これが守られないと、戦前の日本のように、軍人が文民よりも権力をもってのさばる社会になります。

暴力装置が市民を抑圧することになるわけですから、当然、そういう社会はろくなことがありません。



宗教の場合も、文民統制がおかしくなるようなことが、起こるわけです。

社会、コミュニティ、家庭よりも、宗教の教義のほうが重い、という逆転現象が起こってしまう。

そもそも、この社会でうまく生活していくために宗教があるのに、その宗教がじぶんの生活や社会より重い存在になってしまって、反社会であったり、家庭崩壊を招く。

信者がこの点を理解していないことも問題なんですが、社会や生活よりも教義のほうが大事なんだと教団側が仕向けているとすれば、それが最大の問題です。



日本社会は法治国家です。憲法、法律は、当然宗教の教義より重い。

それが日本国民にとっての「常識」です。

ところが特定の宗教の教義を、原理的に解釈すると、憲法や法律とかみ合わないことがある。

宗教の教義は、日本の憲法や法律が定められるより前から存在するものがたくさんありますから、そういうことも起こるでしょう。

けれど、やっぱりわれわれは教義と社会を天秤にかけたときには、社会を重んじなければならない。



宗教の教えが社会のありようにそぐわないとき、信者は迷わず社会のありように沿うべきです。

社会もそれを支持し、教団の問題を追及しなければなりません。

これまでの日本社会はこの点での追及が弱かった。

宗教はどのような教義であったとしても、その国の社会に従わねばならないという統制が、課題なのだろうとおもいます。

#時事

2023年9月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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ニャルラトホテプ 1



ニャルラトホテプ……這いまわる混沌……わたしは最後のひとり……虚空に向かってこの言葉を残そう……

数か月前。

社会は大混乱に陥っていた。

だれもが身の危険を感じ、陰鬱な不安と緊張感に満ちている。

この危険は広範囲に及び、すべてを覆っている。

人々が青ざめた顔で心配そうに歩き回っているのを覚えている。

なにかの前触れではないかとか、危険が迫っているなどと、予言や警告をささやく者もいたが、みんな聞かないふりをした。

言い知れぬ罪悪感が大地を覆っている。夜空の星々の深淵から流れてくる冷たい風は人々を凍えさせた。

季節の移ろいには、悪魔でも潜んでいるようだった。秋になっても、ひどく暑いのだ。

この世界と宇宙に存在した神々が、未知の神々に支配を明け渡したのだとおもわずにいられなかった。



ニャルラトホテプがエジプトに現れたのはそのときである。

何者かはだれにもわからない。ファラオのような見た目だったから、おそらく古いエジプトの血族なのであろう。

エジプトの農民たちはかれをみるや、ひざまずいたが、これもなぜかはわからない。

かれは地球ではない場所でメッセージを受け取り、27世紀の暗黒の中からやってきたのだと言う。

浅黒く、細身で、邪悪な男だった。

ニャルラトホテプは地球の文明を利用して、ガラスや金属の奇妙な器具を購入し、それらを組み合わせてさらに奇妙な器具を作った。

そして電気や心理学といった科学を利用して、人々の心をつかんだ。
かれはどんどん有名になっていき、たいへんな名声を手に入れた。

人々はこぞってニャルラトホテプに会おうとしたが、みな身震いする羽目になった。

ニャルラトホテプの行くところ、安らぎは消える。

みな悪夢にうなされて叫び声をあげるのだ。

これまで、悪夢による叫び声が社会問題になったことがあるだろうか。

どんな賢者たちでさえ、みなが夜に眠ることを禁じてくれないかと、祈ることしかできなかった。

そうすれば、
橋の下にたゆたう緑の水の上に輝く、崩れ落ちそうな古い尖塔も。
橋の下にたゆたう緑の水の上に輝く、青白くあわれな月も。

この悪夢の叫び声に思い悩まずにすむだろう。


#ラヴクラフト  #ニャルラトホテプ
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日蓮(法華経の開祖)だったとおもうんですけど、ふだんから親交がある家の、つい数か月前に会ったばかりの10代の若い武士が亡くなったと知って、その家に手紙を書き送ったというエピソードがあります。

「人の生き死には自然のことわりであって、ごく当たり前のことなのだから、嘆き悲しむようなことではないとふだん弟子にも言っています。
しかし現実にこのような死を知ると、やはり悲しくて、取り乱してしまうものです」

というような内容で、いくら生き死にを深く理解した日蓮でさえ動揺するのだから、われわれはなおのこと、人の生き死にに対する情動は抑えられるものではないんですよね。


昼過ぎに、親に電話をしていました。

父のガンに関しては、喉の腫瘍は取り切れているとのことで、ホッとひと安心。

肺の検査はまた後日とのこと。

あとは12月に再度PET検査があるそうで、これで光る部分がなければよい、ということでした。

人間はどうしたっていずれは死ぬのだし、こういうことにしても、あんまり一喜一憂しては身がもたないぞ、という気はするんですけどね。

そこはさっきの日蓮のようなもので、腹の中で一喜一憂するもんじゃないといっても、実際にはやっぱり、わるいことにならなかったことはうれしいし、ことし父にがんが発見されてからは、ずっとハラハラしていました。

で、もちろんこのまま何事もなく根治してもらいたいと願うわけです(笑)
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「怪奇小説を書く際の覚え書き」、加筆修正……というか、ややこしい表現をぜんぶ削り取って、意訳しまくりでじぶん好みに書き換えました。

この調子でニャルラトホテプに臨みます。

2023年8月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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まだしばらく天気がもちそうなので、ジャガイモの植え付けはすこし日延べして、いったん日光に当てて「浴光催芽」をしています。

ようするに、ジャガイモを青くして、芽が出やすい状態にすること。
数週間やるといいというのですが、そこまでの時間はないので、とりあえず数日やります。

あと、ほうれんそうの種をポチ。
秋冬のほうれんそうにはいろんな品種があるんですが、今回はサカタの「ドンキー」を選びました。
あくまで日石ワリフ(黒)の効果を確かめる目的なので、100ml(約5000粒)のみ購入しています。


ズッキーニに追肥。
やっぱり発芽後の成績がさらにわるく、活着率は6割ほどに。
バイオマルチの下に苗がもぐることで、溶けてしまっているものがあるようです。

やわらかい葉っぱや、ウリ科の実は、高温下のバイオマルチに当たることで、双方に分解作用が起こるような印象です。

バイオマルチに当たると、カボチャの底も溶けるし、まくわうりはいよいよぐちゃぐちゃに溶けます。

ズッキーニだけはバイオマルチに向いているとおもっていたんですが、夏の栽培ではおもわぬ悪影響が出てしまいました。

これはやっぱり、インゲンをふつうの黒マルチで栽培して、不耕起のままズッキーニを直播、ワリフをべた掛け、という流れがよいような気がしてきました。

来年の栽培に向けて検討します。


ハクサイの種まきをしました。
これはたんなる播種日の記録です。

#野菜

2023年7月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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おじさんは、ここ最近、ずーっとこの曲聞いてる。



#音楽
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中央線、東京に行ったときに一度だけ乗ったのだけど、こんな情緒のある感じじゃなかったな。
でも、たぶん、そこに暮らしていると、情緒が生まれるんだとおもうのです。


#音楽
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長生ちゃん、すごい人だったんですよね。



#音楽

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ことしはたぶんどこもお祭りさかんだとおもいますが、ぼくは大阪の八尾に住んでいたことがありました。

八尾というのは河内音頭の本拠地で、ちょっとヤンチャなのはやぐらの内側で「飛び河内」というカロリー消費の激しい踊りをして、やぐらの外側ではおっとりした老若男女踊れるのをやってる。

石田長生はギタリストで、charという日本を代表するギタリストの相棒を務めるような技巧者で、八尾出身でした。

ぼくは当時八尾のショットバーに通う阿呆な道楽者で、そのバーでブルースバンドをしてたんですが、あるとき店に行くと、先輩が「おい、この人知ってるか」という。

「んー?」というと、「石田長生さんやがな!」と興奮気味にいわれて、ああ、すごい人やんかと。
八尾出身の人だから、たまたま帰ってきてて、適当なバーに立ち寄った、ということなんでしょう。

ちょうどそのときは妹も後で合流して飲む予定だったんですが、ともかくぼくは酒飲みなので、長生さんとわあわあしゃべってるうちにべろんべろんに酔っ払い、妹も合流してこれもまた酒飲みで、次第に明るい酒ではあるけども乱れてくる。

「長生ちゃん! 帽子かして!」
「長生ちゃん! 一緒に写真撮りましょっ!」

悪魔のような酒乱の兄妹が、文句のいえぬ著名人を相手取り、妹が帽子をぶんどってぼくに長生きちゃんの帽子をかぶせ、ぼくと妹と長生ちゃんで写真を撮るという、いまからおもえば信じられぬような狼藉をはたらき、それでも長生ちゃんはなぜかうれしそうで、ご機嫌でしてね。
そのときはものすごくよい酒宴だったのです。

あれから15年ほどして、長生ちゃんがガンで亡くなったと知り、ぼくはそりゃあもう、いまでも落ち込んでます。

さて、AZUMIという、これも日本を代表するブルースギタリストがいて、この人の弾き語りは、完全なる憑依型。
予定調和的なものではなくて、その瞬間の空気から作品を生み出していくような、天才です。

大学時代に、伊勢の内宮のカップジュビーというカフェでライブをしていて、それを聞いて以来、いまもYouTubeで親しませていただいてるのだけど、そのAZUMIさんの、石田長生さんを憑依させた自家製河内音頭の一曲。



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きょうもきょうとて水やりに追われる一日でした。第二弾の葉野菜の発芽はそれなりに課題はあるものの上々。
来年の夏は、状況をみながらヒットアンドアウェーで栽培できるんじゃないかな、という気がします。

雨が多いようなときには畑づくり自体を我慢しつつ、タイミングの合うときに栽培して水やりと防除をしながら出荷。
夏のひと仕事が増えてくれれば、より生活が安定します(笑)

ことしは少し足止めをくらいましたが、こういう栽培スタイルが確立すれば来年にはかなり飛躍できそうにもおもえます。
問題はオッサンひとりのマンパワーが足りるかどうかですが。

#野菜
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画像の投稿サイズを無制限にしてたんですが、これちょっと圧縮しないとサーバーに負担がかかるなあと、レンタルサーバーの容量をみたら200GB。

画像1枚5MBまでにしたとして、きっちり5MBの画像で200GBを割ると、およそ4万枚の画像が貼れます。

毎日1枚投稿するとしても、100年以上つかえるようです。

2枚だったら50年。

まあ、ぼくの寿命を考えて、そんなに気にせんでよかろう、とおもうんですが、いちおう1枚の画像のサイズは5MBまでに制限します。
Icon of nouennushi
先週の土曜日に母に電話したとき、闘病中の親父が入院している同室でコロナ患者が出た、という話は聞いていたんですよ。

で、その日に検査をしたら陰性だったけど、電話をした翌日の先週日曜日に陽性が出ていたことを、きょう電話で聞きました。

5月以降、楽観的な見通しの後で、絶望に突き落とされるようなひどいことになって、それがなんとか最悪の事態にならずにすんで、ホッとしたとおもったら、またわるいことが起こって、それが最悪の事態にまではならずにすんで、というループを3回ほど繰り返しています。

今回もコロナにかかった、というのは、正直命にかかわるくらいの一大事でしたが、病院内で起こったということと、ともかく一週間過ぎて回復基調にあるということで、これもまた最悪の事態にはならずホッとしています。

母からすると、個室に入れられて外に出られず、カラダを動かすことができないので、機能低下が起こるのではないかという心配があるようです。

まあ親父はまだそこまでやる気がない状態にはならないとおもうので、多少筋肉が落ちても、またリハビリしてもらえるだろうとおもってるんですが、どうなることやら。

ことしは親父がこんな調子だから、ぼくが墓参りに行こうとおもってたんですが、いま電話したら、母が「わたしひとりでも行くで」というので、それならいったんお任せするけど、もしなにか事情ができたらいつでも言うてや、と伝えておきました。

なんだかぼく自身もことしは百姓仕事でいろいろあるので、心の逃がしどころみたいなのがあればとおもってたんですが、そういうことなら、神社にでもお参りして、親父のぶんとぼくのぶん、お守りでも授かろうかなとおもう次第。

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2026年4月5日(日) 10時39分29秒〔45秒前〕