No.1081
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中村仲蔵の話はたしかにおおげさですね。
芝居が終わって客席が静まり返ってどよめくことは、ほんとうに起こることなのかどうか。
現代ではドラマや漫画の手法として、あまりにもすばらしい演目のあと、客席が一瞬静まり返ってから満場の拍手という演出は、常套化していますよね。
それがほんとうにありえる現象なのか、一度役者さんにたずねてみたいものです。
伊勢の神宮の、監視されているような感じというのは、間違っていないとおもいます。
一般的な神社も地域の縄張りをあらわす一面がありますが、神宮は縄張りの単位が「国家」なので、ありようが特殊なんですよね。
日本神話の神々が絵にしづらいのは、神道には宗教的熱情が起こりにくいからではないかとおもいます。
キリスト教の教会壁画であったり、仏教の曼荼羅など、宗教絵師が命を懸けて表現するような、その「もとになるもの」が神道にはありません。
神道にはこう生きるべきであるという教義であったり、救いの道筋がないので、どうしてもこの神話のシーンを描き残しておかねばならない、とか、この思想を形に残さねばならない、という強い情熱が起こりにくいのだとおもいます。
中村仲蔵の話はたしかにおおげさですね。
芝居が終わって客席が静まり返ってどよめくことは、ほんとうに起こることなのかどうか。
現代ではドラマや漫画の手法として、あまりにもすばらしい演目のあと、客席が一瞬静まり返ってから満場の拍手という演出は、常套化していますよね。
それがほんとうにありえる現象なのか、一度役者さんにたずねてみたいものです。
伊勢の神宮の、監視されているような感じというのは、間違っていないとおもいます。
一般的な神社も地域の縄張りをあらわす一面がありますが、神宮は縄張りの単位が「国家」なので、ありようが特殊なんですよね。
日本神話の神々が絵にしづらいのは、神道には宗教的熱情が起こりにくいからではないかとおもいます。
キリスト教の教会壁画であったり、仏教の曼荼羅など、宗教絵師が命を懸けて表現するような、その「もとになるもの」が神道にはありません。
神道にはこう生きるべきであるという教義であったり、救いの道筋がないので、どうしてもこの神話のシーンを描き残しておかねばならない、とか、この思想を形に残さねばならない、という強い情熱が起こりにくいのだとおもいます。