No.1135
「ひ」と「し」が正しく発音できないのは、他の地域にもあるようで、例えば北海道では「旭川」を「あさしかわ」と発音する所もあるようなんです。
仕事でボイストレーニングもやっているのですが(歌だけでなく発音も)「ひ」「し」の発音は誰でも曖昧になりやすい傾向があるようです。
「ひがし」も、「しがし」に聴こえてしまう人はけっこういます。
「ひし形」となると、「シシガタ」に聴こえてしまい、案外多くの人が曖昧な発音で、聞き取りにくくになります。
三代東京に住んでいる人がそうだとか、遺伝とか諸説ありますが、私が考えるところでは、江戸っ子特有の巻き舌的なべらんめぇ口調と、
威勢のいい早口の癖が、発音不明瞭の言葉を作っていったようにも思います。
そういう話し方をする家庭に生まれたから、それを聞いて育ったからといって、そうそう上手に「ひ」「し」が混同したり入れ替わったりしないと思うんですが(笑)
現代でこういう話し方をする人は、ご高齢の一部の人のようですね。
実際は、舌の横方向の形状に関係があるらしいのですが、詳しい理由はわかりません←これだけ書いて結局わからない(笑)
東京の場合、代々住んでいる人はそんなにいるわけではなく、戦後の集団就職あたりから東京に出て来て、そのまま住み着いたというほうが多いかもしれません。
これは、農園主さんが1133で書いていらっしゃる、「それぞれちがった習俗や文化を持ち込む」というお話のように、東京もそういうところだと感じます。
(追記1)
お正月のお雑煮の作り方が家庭によってずいぶん違うのは、その一例かと思います。
お七の話、事実はほとんど不明で、大げさに脚色されたものばかりですね。
昨年あたりでしたか、お七のことを少し詳しく調べてました。
気性が激しいから火をつけた、という話も読んだことがありましたが、農園主さんが書いていらっしゃるように、論理の飛躍だと思います。
女心というものを私なりに考えると、一途に思いつめた末のことで、当時火付けが死罪とわかっていての行動。
自宅が火事になれば、愛する人のいるお寺に避難でき会えるという、短絡的思考ではありますが、会いたい一心だったとわかります。
会いたさ見たさに怖さも忘れ、という歌もありますが(大正13年 籠の鳥)、本当に必死だったんでしょうね。
お七が処刑されたあと、お七の棺に両親がお七が執着した着物をかけてやるのですが、寺男たちが小遣い稼ぎに振袖を質屋に(ひちや・しちやが出てきました)売ってしまいます。
それを親に買ってもらったある娘が、原因不明の病で寝込み死んでしまうのですが、その日は、お七の処刑された日。
そして一年後、やはりお七の命日に原因不明の病で死んだ娘は、その因縁の着物を着てから寝込んだのだとか。
棺にかけてやって、供養されたはずの振袖がまだあったということを知ったお七の親が、今度こそお七の振袖を供養しようとお寺に持って行くのですが、
不思議なことに追記2 振袖に火がついて、その火があっという間に燃え上がり、江戸の大火(明和の大火)となったというお話は、実にもっともらしくできています。
ただしこれは、本郷の質屋の娘、お梅の話と実に紛らわしく、お梅の場合もとても似た話でありながら、振袖火事=明暦の大火とされていて、よくわかりません。
脚色されやすい題材なんでしょうね。
(追記3)
明暦のほうが明和より前なんですね。だとすると、お梅の話のほうがお七より先ということになります。あ~よくわからない(笑)
今日は、お札3体をいただく日でしたか?
ずっと続いてきた慣習をやめるというのも一苦労かと思いますが、それこそ心が伴わない単なる儀礼、習慣ならば、負担のないように行事を減らすのはいいことですね。
寒山拾得が軍服を着せられ~~、というのは、なんだかとても考えさせられますね。
お七の事から「籠の鳥」という歌を思い出し、何気なく検索していたところ、桂吉朝が「狐芝居」という上方落語の中で、実際にこの歌の冒頭を歌ったと書いてあり、
さらに検索しましたが、動画は残っていないようでした。
どんな話かな、とYouTubeを探したら、「ふじいでら素人噺の会」の「可笑家五目」という人のものがありました。
歌は歌っていませんでしたが、この人本当に素人? うまいな~~と思いました。
仕事でボイストレーニングもやっているのですが(歌だけでなく発音も)「ひ」「し」の発音は誰でも曖昧になりやすい傾向があるようです。
「ひがし」も、「しがし」に聴こえてしまう人はけっこういます。
「ひし形」となると、「シシガタ」に聴こえてしまい、案外多くの人が曖昧な発音で、聞き取りにくくになります。
三代東京に住んでいる人がそうだとか、遺伝とか諸説ありますが、私が考えるところでは、江戸っ子特有の巻き舌的なべらんめぇ口調と、
威勢のいい早口の癖が、発音不明瞭の言葉を作っていったようにも思います。
そういう話し方をする家庭に生まれたから、それを聞いて育ったからといって、そうそう上手に「ひ」「し」が混同したり入れ替わったりしないと思うんですが(笑)
現代でこういう話し方をする人は、ご高齢の一部の人のようですね。
実際は、舌の横方向の形状に関係があるらしいのですが、詳しい理由はわかりません←これだけ書いて結局わからない(笑)
東京の場合、代々住んでいる人はそんなにいるわけではなく、戦後の集団就職あたりから東京に出て来て、そのまま住み着いたというほうが多いかもしれません。
これは、農園主さんが1133で書いていらっしゃる、「それぞれちがった習俗や文化を持ち込む」というお話のように、東京もそういうところだと感じます。
(追記1)
お正月のお雑煮の作り方が家庭によってずいぶん違うのは、その一例かと思います。
お七の話、事実はほとんど不明で、大げさに脚色されたものばかりですね。
昨年あたりでしたか、お七のことを少し詳しく調べてました。
気性が激しいから火をつけた、という話も読んだことがありましたが、農園主さんが書いていらっしゃるように、論理の飛躍だと思います。
女心というものを私なりに考えると、一途に思いつめた末のことで、当時火付けが死罪とわかっていての行動。
自宅が火事になれば、愛する人のいるお寺に避難でき会えるという、短絡的思考ではありますが、会いたい一心だったとわかります。
会いたさ見たさに怖さも忘れ、という歌もありますが(大正13年 籠の鳥)、本当に必死だったんでしょうね。
お七が処刑されたあと、お七の棺に両親がお七が執着した着物をかけてやるのですが、寺男たちが小遣い稼ぎに振袖を質屋に(ひちや・しちやが出てきました)売ってしまいます。
それを親に買ってもらったある娘が、原因不明の病で寝込み死んでしまうのですが、その日は、お七の処刑された日。
そして一年後、やはりお七の命日に原因不明の病で死んだ娘は、その因縁の着物を着てから寝込んだのだとか。
棺にかけてやって、供養されたはずの振袖がまだあったということを知ったお七の親が、今度こそお七の振袖を供養しようとお寺に持って行くのですが、
不思議なことに追記2 振袖に火がついて、その火があっという間に燃え上がり、江戸の大火(明和の大火)となったというお話は、実にもっともらしくできています。
ただしこれは、本郷の質屋の娘、お梅の話と実に紛らわしく、お梅の場合もとても似た話でありながら、振袖火事=明暦の大火とされていて、よくわかりません。
脚色されやすい題材なんでしょうね。
(追記3)
明暦のほうが明和より前なんですね。だとすると、お梅の話のほうがお七より先ということになります。あ~よくわからない(笑)
今日は、お札3体をいただく日でしたか?
ずっと続いてきた慣習をやめるというのも一苦労かと思いますが、それこそ心が伴わない単なる儀礼、習慣ならば、負担のないように行事を減らすのはいいことですね。
寒山拾得が軍服を着せられ~~、というのは、なんだかとても考えさせられますね。
お七の事から「籠の鳥」という歌を思い出し、何気なく検索していたところ、桂吉朝が「狐芝居」という上方落語の中で、実際にこの歌の冒頭を歌ったと書いてあり、
さらに検索しましたが、動画は残っていないようでした。
どんな話かな、とYouTubeを探したら、「ふじいでら素人噺の会」の「可笑家五目」という人のものがありました。
歌は歌っていませんでしたが、この人本当に素人? うまいな~~と思いました。