No.1327
去年の大河ドラマ「どうする家康」を酷評したぼくですが、今回の「光る君へ」はどうかというと、非常におもしろい。
いまのところ、若き紫式部と、将来の権力者となる藤原道長との恋という感じ。
まずは幼少時、天皇の側近である超エリート、藤原兼家(道長の父)の一族による謀略と横暴がまずクローズアップされます。
学才はあるものの官途に恵まれない藤原為時と、その学才を受け継ぐ娘の紫式部(まひろ)が、兼家の息子のひとり、道兼の横暴に巻き込まれるという筋立て。
つまり、式部の母が道兼の横暴によって殺されるんですね。
このあたりは完全に脚色なわけですが、これによって紫式部に一種の反体制的な感情が醸成されていく、という味付けをしている。
にもかかわらず、兼家の一族の良識人として描かれる藤原道長には恋心を抱く、というアンビバレントな展開。
脚色のやり方がうまいなあ、とおもいます。
式部の父親の為時は、天皇直属の立場にいる兼家の一族に妻が殺されたため、その死をつまびらかにせず、殺人ではなかった「かのように」ふるまおうとします。
そういう大人の事情も、式部には納得がいかない。
おそらく式部が母の死の真相を訴えても、権力によってひねりつぶされるのは目に見えています。
大人になりつつある式部がそこでどう立ち回るか、ということがいまフォーカスの当たっているところですね。
殿上人のミヤビと、水面下での権力闘争、そして体制に蹂躙された側の憎悪と、庶民のありようの、描き方がうまい。
たぶん、この時代は作品にしづらいところだとおもうんですよ。
なにせ平安時代です。
まだ源平と朝廷による劇的な歴史ドラマが起こるのはもうすこし先で、曲がりなりにも安定した時代。
おそらく藤原兼家一族の権力闘争が最大の山場でしょうが、通史の中でいえば地味なところです。
「鎌倉殿の十三人」も、通史の地味なところをおもしろく切り取った作品でしたが、いまはそういうニッチなところを掘り下げていく話のほうが盛り上がるのかもしれません。
いまのところ、若き紫式部と、将来の権力者となる藤原道長との恋という感じ。
まずは幼少時、天皇の側近である超エリート、藤原兼家(道長の父)の一族による謀略と横暴がまずクローズアップされます。
学才はあるものの官途に恵まれない藤原為時と、その学才を受け継ぐ娘の紫式部(まひろ)が、兼家の息子のひとり、道兼の横暴に巻き込まれるという筋立て。
つまり、式部の母が道兼の横暴によって殺されるんですね。
このあたりは完全に脚色なわけですが、これによって紫式部に一種の反体制的な感情が醸成されていく、という味付けをしている。
にもかかわらず、兼家の一族の良識人として描かれる藤原道長には恋心を抱く、というアンビバレントな展開。
脚色のやり方がうまいなあ、とおもいます。
式部の父親の為時は、天皇直属の立場にいる兼家の一族に妻が殺されたため、その死をつまびらかにせず、殺人ではなかった「かのように」ふるまおうとします。
そういう大人の事情も、式部には納得がいかない。
おそらく式部が母の死の真相を訴えても、権力によってひねりつぶされるのは目に見えています。
大人になりつつある式部がそこでどう立ち回るか、ということがいまフォーカスの当たっているところですね。
殿上人のミヤビと、水面下での権力闘争、そして体制に蹂躙された側の憎悪と、庶民のありようの、描き方がうまい。
たぶん、この時代は作品にしづらいところだとおもうんですよ。
なにせ平安時代です。
まだ源平と朝廷による劇的な歴史ドラマが起こるのはもうすこし先で、曲がりなりにも安定した時代。
おそらく藤原兼家一族の権力闘争が最大の山場でしょうが、通史の中でいえば地味なところです。
「鎌倉殿の十三人」も、通史の地味なところをおもしろく切り取った作品でしたが、いまはそういうニッチなところを掘り下げていく話のほうが盛り上がるのかもしれません。