山麓王国

No.1542

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今回も長い話になりますので、2回にわけてお話させていただこうとおもいます。

まず、前回に引き続いて民主主義の話をしようかともおもったのですが、その矢先に韓国での戒厳令のニュースが飛び込みました。

あれはまさに「いざとなったら独裁権やそれに近い権限を持つ機関や人があれば、統制がとりやすくなる」というギズモさんのおっしゃった権限を、韓国の政権が利用したものでした。

いまの韓国は右派政権ですが、その政権の出した国家予算に対して、野党(左派)の反対があって決議することができず、国家運営が停滞してしまうという理由で、戒厳令を発したというのです。

戒厳令が実際に敷かれれば、国民の自由や人権は制限されることになります。

これに対して日本のネットでは、右派と左派がそれぞれの見方をいつものように批判し合っていました。

ぼくはそれをみて、ここでの民主主義の話はやめようとおもいました(笑)

ただひとつ、ギズモさんのおっしゃったように、どのような立場であれ、いい方向に世の中が変わっていくべきだとぼくもおもいます。

もしかしたら不完全燃焼におもわれるかもしれませんが、この件はこれでおしまいにさせていただきます。



モロヘイヤは、夏になると比較的食べやすい葉野菜のようで、よく売れます。

ぬめりはありますが、クセが少なくてアクもないでしょう。

夏の葉野菜って、ほとんどぬめりがあって、しかもアクが強いものが多いんです。

つるむらさきにせよ、空心菜にせよ、重曹などのアルカリ性の薬剤でアク抜きしないと口の中がギシギシするような野菜です。

おそらく地域性もあるとおもうんですが、モロヘイヤは下処理なしで料理につかえるので、うちのあたりの夏の直売所では人気があるようです。

人気があると知らず、これまであまりつくってこなかったのですが、意外とよく売れるので、来年は主力のひとつにしようとおもった次第です。



お風呂があたらしくなって、なによりでした。

個人的な話なんですが、ぼくはお風呂の配管の金属アレルギーなのか、薪で風呂をわかしたり、あんまり長く追い炊きをするとダメということがわかりました。

子供のころから、二日目のお風呂でじんましんが出る体質だったんですが、あたらめてこっちに住むようになってアレルギーの出どころがはっきりしました。

せっかく薪風呂が楽しめるお風呂なのに残念ですが、薪集めしなくてよくなったと前向きにとらえています(笑)

うちも風呂の窓があるんですが、窓を開けて外気を取り入れながらお風呂に入るの、気持ちいいですね。



さて、今回話が長引いたのは、大原寂光院に旅行した話を、平家物語と絡めて書こうとおもったからです。

5000文字ほどになったので、前後半にわけて投稿させていただきます。



寂光院に行ったのは、大原が京都市の中でも非常に山深い田舎だったからなんです。

どれくらい山深いかというと……NHKに2分に満たない大原の動画がありましたので、ぜひお暇なときにでもご覧ください(笑)

https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?...

この動画の冒頭で、大原を俯瞰した場面があるのですが、その画像を拝借して、寂光院の位置を示します。

20241205171605-nouennushi.png



京都市内はいまや外国人観光客のルツボと化していて、休日はもちろん平日でも人が多く、駐車場を探すのにも苦労しますし、行く気になれませんでした。

ところが大原は京都市にもかかわらず、喧騒から離れた場所にあります。

特に私生活上のなにかがあったわけではありませんが、旅行に行けるのが平日だったので、日本の歴史上指折りの悲劇の舞台のひとつを、実際にみてみたいとおもった次第です。

ぼくは、當麻曼荼羅を編んだ中将姫もそうですが、日本史上の、悲劇のヒロインに興味があるのかもしれません。



大原は地理的には、京都市中心部(御苑)の北東にあたります。

御苑から寂光院までの距離は直線距離で10kmちょっとです。

実際に行こうとおもうとあと数km伸びるでしょう。

行こうとおもえば、徒歩で半日の距離です。



御苑は朝廷のあった場所で、平清盛ら平家の一族がいた場所でもありました。

安徳天皇の母、平徳子は29歳のときに山口県の壇ノ浦の悲劇から生還して、朝廷から北東に10kmしか離れていない大原に隠棲しました。

本人が望んでそこに決めたわけではないとはいえ、いじましい距離だとおもいます。

余談ですが、大原では古くから「大原女」といって、山でとれる柴(小枝)や薪、農産物を女性が頭に乗せて、京都市内まで売りに出ていたといいます。

徒歩しか交通手段のなかった時代には、山の恵みを都で売るにはちょうどよい距離だったんですね。

大原女は特徴的な格好をしているんですが、これは徳子の従者であった阿波内侍が作業着にしていた衣装が元になっているそうです。

さすがに戦後は大原女の風習も廃れましたが、いまでも観光文化としては残っています。

大原に行ってつくづく感じましたが、建礼門院徳子の伝説が土壌や空気に溶け込むようにして残ってるんです。




話を戻します。

徳子は天皇の母とはいえ、その天皇もうしなわれ、朝廷からすれば逆賊とさえいわれかねない立場になってしまいました。

つい数年前までは、朝廷で栄華の頂点を極めていたのです。

それがすべてを失い、29歳にして剃髪し、700m級の山々に四方を囲まれた大原の山麓で、世をはかなみ、平家の菩提を弔いながら生きることになってしまった。

出家した徳子(建礼門院)のこのような歌が残っています。

思ひきや 深山の奥に住まひして 雲井の月をよそに見んとは

深い山奥に住まうこととなり、かつて朝廷から見ていた月を、まさかこれまでの暮らしと縁のない、遠く離れた場所から眺めることになろうとはおもいもよらなかった、というような意味です。

「よそ」という言葉に、ここはじぶんの本来の居場所ではないという意味が込められているようにおもえます。

かつて暮らした朝廷の華やかさに焦がれ、汚名と孤独を背負いながら、過酷な山奥で生活するのは、死ぬよりもつらいことだったかもしれません。


(後半へ続く)

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