No.1656
毎年似たようなものではあるのですが、ことしはいよいよ暑いわ、干ばつだわ、降り始めたら災害寸前の大雨になるわで、異常気象が当たり前になってきた感じがありますね。
自治会長をやっていて気づいたことですが、自治会内で用事があって人に会ったとき、最初に時候のあいさつをするとスムーズなんですよね。
「こんにちは。あついですね」からはじまって、二言三言会話をしたあとで、本題に入ると、お互いに心づもりができます。
いわば落語でいうところの「マクラ」であり、劇場の「前説」にあたるものですが、日常会話でもこういう前置きがないと本題からいきなり切り出すというわけにはいかないものですね。
今回のように無茶苦茶な暑さだと、みんな暑いという感覚を共有しているので、「暑いですね」がいいあいさつになりました(笑)
そういえば桂枝雀という上方の落語家がいたのですが、かれは天才肌であり合理主義者で、あるとき落語のマクラを省略して、いきなりネタを始めたのだそうです。
それをみて師匠の桂米朝が驚いたという話があるのですが、型破りな枝雀さんでもさすがにマクラがないとおさまりがわるいとわかったようで、しばらくするとまた元の伝統的なスタイルに戻ったそうな。
ところで、ビールは日本以外では常温で出すところも多いそうですね。
日本では明治時代あたりからビール文化が本格化しますが、やはりその当時はみな常温でビールを飲んでいたことでしょう。
しかし日本でビールを常温で飲む文化が定着しなかったのは、太平洋戦争でビール文化が断絶したからだとおもいます。
戦後しばらくして、ビール文化がまた機運を得て盛り上がっていくのですが、そのころには高度経済成長の中、氷式冷蔵庫など、冷蔵保存が一般家庭にも少しずつ浸透していきます。
ビールは冷やして飲むもの、というかたちでメーカーの刷り込みが行われて、酒造メーカーも冷やして飲むことを前提にしたビール販売戦略をとりました。
常温で飲むことを楽しむという文化が醸成しないまま断絶したので、冷やして飲むのが当たり前、という文化になったんだとおもいます。
そういえばうちの集落で冬に飲む機会があったとき、ある老爺が「ビールを燗にしてくれ」といったのを覚えています。
冷たいと体にこたえるからだとおもうんですが、ビールを温めて飲みたいというのは、あまりわれわれの価値観にはないところです。
でもドイツではホットビールが飲まれていて、ハーブや砂糖を足して薬用酒のようにして飲むでしょう。
日本では「たまご酒」がありますが、ビールをいろんな温度、アレンジで楽しむ文化が日本に根付かなかったのは、もしかしたらもったいないことだったかもしれません。
大阪にいたぼくでもなじみのない言葉ですが、大阪では「カチ割りビール」といって、ビールに氷を入れて飲む文化があるようです。
これは東南アジアでは比較的ポピュラーな飲み方みたいですね。
蛙の笛、いい歌ですね。
田舎にいると、カエルの大合唱は風物詩でしたが、最近はうちのまわりも田んぼをやる人が減って、むかしのようにやかましいほどの虫の音やカエルの鳴き声はなくなってきました。
カエルのコロコロという鳴き声はじつに牧歌的で、あいつらはあんな粘膜を剝き出しの皮膚で暮らしていて、どうしてあんなにのどかに生きられるのだろうと不思議な気がします。
しかしせっかくよい歌をご紹介いただいたのに、ここからどんどんおかしな方向に話がそれていきます。
数年前、足元でキューキューと悲しげな鳴き声が聞こえました。
なんとカエルがちょうどヘビに飲み込まれている真っ最中だったのです。
カエルとはまったく種のちがう人間でも「なんて切ない鳴き声なんだろう」とわかるくらい、悲しげな鳴き声でした。
あんなほとんど脳みそのない生き物にも、世をはかなむ感情はあるのだ、と妙なところで感心したのをおぼえています。
カエルからはすこし話がずれますが、むかし養鶏をしているご近所さんからいただいた2羽の老鶏をしめたときも、おなじようなことをおもいました。
鳥は記憶力がなく、ものごとを深く考えることができないというのですが、一羽を逆さづりにして首を切って放血していると、もう一羽が羽をくくられたまま逃げ出して、藪の中に首を突っ込んで座り込んでしまったのです。
これはわるいことをした、とおもいました。
鶏には現状を理解することができないだろうとおもっていたのですが、そんなことはなく、鶏はじぶんの仲間が殺されているのをみて、恐怖したようです。
おびえて首を突っ込んでいた鶏は、恐怖を長引かせるのが気の毒だったので、その場で首を切ってしめました。
あのような恐怖を与えてしまうのは本意ではありませんでした。
罪滅ぼしになるわけでもありませんが、その後、鶏はとさかから内臓から足の骨まで、ほぼ余すことなくおいしくいただきました。
ちょうど母親がうちにきていたのですが、こんなにうまい鶏ガラのスープは飲んだことがないと褒めていたのが、よけいに心にチクチク刺さったものです(笑)
しかし、漫画の演出とはいえ、カエルを生で食べるのはかなりリスキーですね。
中島らもの『アマニタ・パンセリナ』という本があります。
アマニタ・パンセリナとはテングタケという有名な毒キノコの学名なんですが、あえて一見わかりにくい学名のほうをタイトルに選んだのでしょう。
ドラッグや市販薬など、いろいろな危ない薬をらもさん独自の視点で紹介するという作品です。
そこに南米のヒキガエルのエピソードがありました。
中南米のある部族の話だったとおもうんですが、祭りでトリップする際に、ヒキガエルを口にくわえて踊るんだそうです。
ヒキガエルの分泌物がなんらかの作用をもたらすそうですが、文字通り、正気の沙汰ではありません。
もちろんギズモさんの漫画のお話はフィクションであるという分別はあるのですが、「戦争中で、食べ物がないから貴重な食料なの」といった女学生は、生きたカエルの分泌物の作用をわかっていて、ありがたがった可能性すら感じました(笑)
もう少しカエルの話をしますが、うちのお隣の長老が戦後間もない子供のころ、大きな切り傷を負ったそうです。
するとちかくにいた老婆が「クソガエル」といわれる……畑にいる小さなカエルなんですが、これを捕まえて、おもむろに皮をひん剥きました。
そしてその皮を長老少年の傷の上にぺたりと貼り付けたんだそうな(笑)
ずいぶん気持ちの悪い話ですが、不思議なことに傷口の出血はあっという間に止まったといいます。
感染症リスクを考えるとかなり野蛮な話ですが、カエルには妙な薬効があるものです。
そういえばあの救心の主成分もセンソといって、やはりカエルの分泌物なんだそうですね。
その救心のホームページに、ムツゴロウさんがカエルの分泌物を舐めて元気に徹夜したというエピソードがありました。
https://www.kyushin.co.jp/herb/herb05.ht...
ホンモノのガマの油はとんでもない苦さだったそうです。
すると南米でヒキガエルをくわえてトリップを決めていた部族は、薬理効果を得るためにずいぶん苦いおもいをしていたのかもしれません。
いわんやカエルを生で食べていた女学生をや、ですね(笑)
カエルの話はこのへんにしておいて、ぼくも以前、牛久大仏の中を見物したことがあります。
車で茨城を走りながら、大仏が見えてくると、子供のころにみた「超合金ロボ」のような大きさにギョッとしました。
ギズモさんのおっしゃるように、如来像の胎内は数フロアぐるりと位牌が並んでいて、あれは永代供養になっているわけでしょう。
ホームページをみると、大きいスペースが100万円、小さいほうで30万円なんだそうで、明朗会計はよいことなのかもしれませんが、どうにも営利のにおいがきつく、わるい意味で感心しました。
あの胎内での永代供養は相当数並んでいるので、それだけ死後の安寧を願う遺族からの申し込みがあるということですね。
もしギズモさんが気分がわるくなられたというのであれば、霊的なものというよりは、臆面もなく仏教を商売化して、テーマパーク化する破戒的な悪趣味と、そういうものに疑問を感じないご遺族側の無邪気な信仰に「あてられた」とでもいうべきものではないかとおもいます(笑)
すくなくともぼくが訪れたときは、そのような気味悪さをつよく感じたのをおぼえています。
牛久大仏は1983年に着工したということですから、高度経済成長期からバブルへと向かう空前の好景気の影響を強く受けていますね。
そういう意味では、いまはもう信仰による寄進が無尽蔵に集まる時代ではありませんし、あのようにテーマパーク化してお金を集めないと、苑や仏像の維持管理ができないのかもしれません。
これもやはりギズモさんのおっしゃったように、先々を考えると経営が苦しくなるかもしれませんね。
しかしバブル時代に行政が第三セクターでつくった大型のハコモノでさえあらかた生き残れなかったことを考えると、浄土真宗だけであれだけの建造物を管理しているのだから、うまくやっているほうなのでしょう。
返信が以前に比べてゆっくりになりましたが、個人的にこれくらいのペースが落ち着いて書くことのできるペースで、ありがたいです。
ことしはこれからも10月になると自治会事業で立て込みますし、返信が遅れがちになるのはお互い様、ということでどうかご容赦ください(笑)
盆も過ぎて暦は残暑といいますが、気を抜けない暑さが続きます。
なんとか健康を維持して乗り切りましょうね。
自治会長をやっていて気づいたことですが、自治会内で用事があって人に会ったとき、最初に時候のあいさつをするとスムーズなんですよね。
「こんにちは。あついですね」からはじまって、二言三言会話をしたあとで、本題に入ると、お互いに心づもりができます。
いわば落語でいうところの「マクラ」であり、劇場の「前説」にあたるものですが、日常会話でもこういう前置きがないと本題からいきなり切り出すというわけにはいかないものですね。
今回のように無茶苦茶な暑さだと、みんな暑いという感覚を共有しているので、「暑いですね」がいいあいさつになりました(笑)
そういえば桂枝雀という上方の落語家がいたのですが、かれは天才肌であり合理主義者で、あるとき落語のマクラを省略して、いきなりネタを始めたのだそうです。
それをみて師匠の桂米朝が驚いたという話があるのですが、型破りな枝雀さんでもさすがにマクラがないとおさまりがわるいとわかったようで、しばらくするとまた元の伝統的なスタイルに戻ったそうな。
ところで、ビールは日本以外では常温で出すところも多いそうですね。
日本では明治時代あたりからビール文化が本格化しますが、やはりその当時はみな常温でビールを飲んでいたことでしょう。
しかし日本でビールを常温で飲む文化が定着しなかったのは、太平洋戦争でビール文化が断絶したからだとおもいます。
戦後しばらくして、ビール文化がまた機運を得て盛り上がっていくのですが、そのころには高度経済成長の中、氷式冷蔵庫など、冷蔵保存が一般家庭にも少しずつ浸透していきます。
ビールは冷やして飲むもの、というかたちでメーカーの刷り込みが行われて、酒造メーカーも冷やして飲むことを前提にしたビール販売戦略をとりました。
常温で飲むことを楽しむという文化が醸成しないまま断絶したので、冷やして飲むのが当たり前、という文化になったんだとおもいます。
そういえばうちの集落で冬に飲む機会があったとき、ある老爺が「ビールを燗にしてくれ」といったのを覚えています。
冷たいと体にこたえるからだとおもうんですが、ビールを温めて飲みたいというのは、あまりわれわれの価値観にはないところです。
でもドイツではホットビールが飲まれていて、ハーブや砂糖を足して薬用酒のようにして飲むでしょう。
日本では「たまご酒」がありますが、ビールをいろんな温度、アレンジで楽しむ文化が日本に根付かなかったのは、もしかしたらもったいないことだったかもしれません。
大阪にいたぼくでもなじみのない言葉ですが、大阪では「カチ割りビール」といって、ビールに氷を入れて飲む文化があるようです。
これは東南アジアでは比較的ポピュラーな飲み方みたいですね。
蛙の笛、いい歌ですね。
田舎にいると、カエルの大合唱は風物詩でしたが、最近はうちのまわりも田んぼをやる人が減って、むかしのようにやかましいほどの虫の音やカエルの鳴き声はなくなってきました。
カエルのコロコロという鳴き声はじつに牧歌的で、あいつらはあんな粘膜を剝き出しの皮膚で暮らしていて、どうしてあんなにのどかに生きられるのだろうと不思議な気がします。
しかしせっかくよい歌をご紹介いただいたのに、ここからどんどんおかしな方向に話がそれていきます。
数年前、足元でキューキューと悲しげな鳴き声が聞こえました。
なんとカエルがちょうどヘビに飲み込まれている真っ最中だったのです。
カエルとはまったく種のちがう人間でも「なんて切ない鳴き声なんだろう」とわかるくらい、悲しげな鳴き声でした。
あんなほとんど脳みそのない生き物にも、世をはかなむ感情はあるのだ、と妙なところで感心したのをおぼえています。
カエルからはすこし話がずれますが、むかし養鶏をしているご近所さんからいただいた2羽の老鶏をしめたときも、おなじようなことをおもいました。
鳥は記憶力がなく、ものごとを深く考えることができないというのですが、一羽を逆さづりにして首を切って放血していると、もう一羽が羽をくくられたまま逃げ出して、藪の中に首を突っ込んで座り込んでしまったのです。
これはわるいことをした、とおもいました。
鶏には現状を理解することができないだろうとおもっていたのですが、そんなことはなく、鶏はじぶんの仲間が殺されているのをみて、恐怖したようです。
おびえて首を突っ込んでいた鶏は、恐怖を長引かせるのが気の毒だったので、その場で首を切ってしめました。
あのような恐怖を与えてしまうのは本意ではありませんでした。
罪滅ぼしになるわけでもありませんが、その後、鶏はとさかから内臓から足の骨まで、ほぼ余すことなくおいしくいただきました。
ちょうど母親がうちにきていたのですが、こんなにうまい鶏ガラのスープは飲んだことがないと褒めていたのが、よけいに心にチクチク刺さったものです(笑)
しかし、漫画の演出とはいえ、カエルを生で食べるのはかなりリスキーですね。
中島らもの『アマニタ・パンセリナ』という本があります。
アマニタ・パンセリナとはテングタケという有名な毒キノコの学名なんですが、あえて一見わかりにくい学名のほうをタイトルに選んだのでしょう。
ドラッグや市販薬など、いろいろな危ない薬をらもさん独自の視点で紹介するという作品です。
そこに南米のヒキガエルのエピソードがありました。
中南米のある部族の話だったとおもうんですが、祭りでトリップする際に、ヒキガエルを口にくわえて踊るんだそうです。
ヒキガエルの分泌物がなんらかの作用をもたらすそうですが、文字通り、正気の沙汰ではありません。
もちろんギズモさんの漫画のお話はフィクションであるという分別はあるのですが、「戦争中で、食べ物がないから貴重な食料なの」といった女学生は、生きたカエルの分泌物の作用をわかっていて、ありがたがった可能性すら感じました(笑)
もう少しカエルの話をしますが、うちのお隣の長老が戦後間もない子供のころ、大きな切り傷を負ったそうです。
するとちかくにいた老婆が「クソガエル」といわれる……畑にいる小さなカエルなんですが、これを捕まえて、おもむろに皮をひん剥きました。
そしてその皮を長老少年の傷の上にぺたりと貼り付けたんだそうな(笑)
ずいぶん気持ちの悪い話ですが、不思議なことに傷口の出血はあっという間に止まったといいます。
感染症リスクを考えるとかなり野蛮な話ですが、カエルには妙な薬効があるものです。
そういえばあの救心の主成分もセンソといって、やはりカエルの分泌物なんだそうですね。
その救心のホームページに、ムツゴロウさんがカエルの分泌物を舐めて元気に徹夜したというエピソードがありました。
https://www.kyushin.co.jp/herb/herb05.ht...
ホンモノのガマの油はとんでもない苦さだったそうです。
すると南米でヒキガエルをくわえてトリップを決めていた部族は、薬理効果を得るためにずいぶん苦いおもいをしていたのかもしれません。
いわんやカエルを生で食べていた女学生をや、ですね(笑)
カエルの話はこのへんにしておいて、ぼくも以前、牛久大仏の中を見物したことがあります。
車で茨城を走りながら、大仏が見えてくると、子供のころにみた「超合金ロボ」のような大きさにギョッとしました。
ギズモさんのおっしゃるように、如来像の胎内は数フロアぐるりと位牌が並んでいて、あれは永代供養になっているわけでしょう。
ホームページをみると、大きいスペースが100万円、小さいほうで30万円なんだそうで、明朗会計はよいことなのかもしれませんが、どうにも営利のにおいがきつく、わるい意味で感心しました。
あの胎内での永代供養は相当数並んでいるので、それだけ死後の安寧を願う遺族からの申し込みがあるということですね。
もしギズモさんが気分がわるくなられたというのであれば、霊的なものというよりは、臆面もなく仏教を商売化して、テーマパーク化する破戒的な悪趣味と、そういうものに疑問を感じないご遺族側の無邪気な信仰に「あてられた」とでもいうべきものではないかとおもいます(笑)
すくなくともぼくが訪れたときは、そのような気味悪さをつよく感じたのをおぼえています。
牛久大仏は1983年に着工したということですから、高度経済成長期からバブルへと向かう空前の好景気の影響を強く受けていますね。
そういう意味では、いまはもう信仰による寄進が無尽蔵に集まる時代ではありませんし、あのようにテーマパーク化してお金を集めないと、苑や仏像の維持管理ができないのかもしれません。
これもやはりギズモさんのおっしゃったように、先々を考えると経営が苦しくなるかもしれませんね。
しかしバブル時代に行政が第三セクターでつくった大型のハコモノでさえあらかた生き残れなかったことを考えると、浄土真宗だけであれだけの建造物を管理しているのだから、うまくやっているほうなのでしょう。
返信が以前に比べてゆっくりになりましたが、個人的にこれくらいのペースが落ち着いて書くことのできるペースで、ありがたいです。
ことしはこれからも10月になると自治会事業で立て込みますし、返信が遅れがちになるのはお互い様、ということでどうかご容赦ください(笑)
盆も過ぎて暦は残暑といいますが、気を抜けない暑さが続きます。
なんとか健康を維持して乗り切りましょうね。