No.949
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1990年代くらいまでは、難解なものが喜ばれるところがあって、一般的にはついていけないような芸術作品があちこちにありましたね。
ぼくの子供時代もこういうものにずいぶん惑わされていたような気がします。
90年代になって、徐々に、情報はわかりやすくしていこう、という風潮が出てきました。
インターネットの時代になって、社会に出回る情報量がどんどん多くなっていくにつれて、人々がひとつのことを長く考える時間がとれなくなった、ということでもあるとおもいます。
答えが出ないむずかしい芸術に時間をとられるより、カンタンな作品をたくさん消費したい、という風潮になっていったのでしょう。
もちろん、アバンギャルド(前衛的)なものがあんまり社会で幅を利かせると、ワケがわからなくなってしまいます。
理解しやすいカンタンなものが社会の中心であるほうがいいんです。
けど、なかなか答えが出ないことを時間をかけてダラダラと考えるのは、とてもぜいたくなことで、情報の洪水の中でその時間がとれない……どころか、難解であるというだけで拒絶されるような社会になったのは、ちょっともったいないようにもおもえますね。
1990年代くらいまでは、難解なものが喜ばれるところがあって、一般的にはついていけないような芸術作品があちこちにありましたね。
ぼくの子供時代もこういうものにずいぶん惑わされていたような気がします。
90年代になって、徐々に、情報はわかりやすくしていこう、という風潮が出てきました。
インターネットの時代になって、社会に出回る情報量がどんどん多くなっていくにつれて、人々がひとつのことを長く考える時間がとれなくなった、ということでもあるとおもいます。
答えが出ないむずかしい芸術に時間をとられるより、カンタンな作品をたくさん消費したい、という風潮になっていったのでしょう。
もちろん、アバンギャルド(前衛的)なものがあんまり社会で幅を利かせると、ワケがわからなくなってしまいます。
理解しやすいカンタンなものが社会の中心であるほうがいいんです。
けど、なかなか答えが出ないことを時間をかけてダラダラと考えるのは、とてもぜいたくなことで、情報の洪水の中でその時間がとれない……どころか、難解であるというだけで拒絶されるような社会になったのは、ちょっともったいないようにもおもえますね。