山麓王国

全年全月9日の投稿35件]

2026年2月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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書き足しをしないで新しく投稿で、失礼します。


国護りの話はいくつか読んだことがありますが、単純に、「するかしないか」のような表現をしたものしか知らず、農園主さんが書いてくださった『否・然』の言葉を初めて知りました。

農園主さんがご存じのことばかりとは思いますが、ちょっとした発見をした話をお読みください。



出雲大社のホームページには、『天照大御神様は目に見える世界(顕事・政事)を、大国主大神様は目には見えない世界(幽事・神事)を主宰される神様』と書かれています。

旧暦の10月10日なので毎年日程が異なりますが、昨年の神迎神事(神在月)はずいぶん遅かったです。


11月29日の夜に斎行されました神迎神事・神迎祭にて全国八百萬の神々を出雲大社にお迎えし、翌日から12月6日までの1週間、神々により縁結びの神議り(かむはかり=会議)がなされました。

この神在祭の期間中には様々な祭典が古式ゆかしく斎行され、12月6日夕刻の神等去出祭(からさでさい)にて全国八百萬の神々は出雲大社をお発ちになられました。
(出雲大社ホームページより)



出雲の観光ガイドには、以下のように紹介されています。

出雲大社の西方1kmにある稲佐の浜で、神々をお迎えする神迎神事(かみむかえしんじ)が斎行されます。
夕刻7時、浜で御神火が焚かれ、注連縄が張り巡らされた斎場の中に神籬(ひもろぎ)が2本、傍らに神々の先導役となる龍蛇神が海に向かって配置され、神事が斎行されます。(浜での神事は20分~30分ほど)
神事が終わると、神籬は両側を絹垣で覆われ、龍蛇神が先導となり、高張提灯が並び奏楽が奏でられる中、参拝者が続き、浜から出雲大社へ行列が続きます。
この後、出雲大社拝殿において国造(こくそう)以下全祀職の奉仕により「神迎祭」が執り行われます。これが終わると、ようやく神々は旅(宿)社である東西の十九社に鎮まられます。

神々の先導の竜蛇神は、豊作や、豊漁・家門繁栄などの篤い信仰があります。神迎祭終了後には特別拝礼、さらに神在祭期間中にも境内に竜蛇神を奉祭し、一般の自由参拝が可能です。



八百万の神が一斉に出雲大社に出向き、大国主が議長となり、会議をするんだそうです。

前に書いたかもしれませんが、神様たちが出雲に向け各地を出立する日、おみやげを神棚に用意します。

会議中、みんなで飲んでいただく日本酒の1合瓶、おつまみ(甘いものと塩気のもの)です。

神様たちはお酒が大好きだそうですので、なにとぞよしなにお願いします、という賄賂ではなく、気持ちとして、です(笑)



神様たちは、いきなり出雲大社集合ではなく、稲佐の浜に集まってから、龍蛇神先導のもと、出雲大社に向かいます。

その一連の儀式を、神職たちが行うわけです。


 
「否・然(いな・さ)」、ここから稲佐の浜と、名付けられたのでしょうか。

古事記では、「伊那佐之小濱」と書かれているようですが、後に稲佐の浜になったということですね。

いずれにしろ、「いな・さ」ですし、稲佐の浜は、国護りにおいて重要な場所でしたね。

出雲大社に直行しては、ならないわけです(神様たちが船で行くなら別ですが)。

書き足し: 船(または舟)で行く説が有力みたいですね。飛ぶ、というのも歩くのも、瞬間移動もピンときません(笑)

稲佐は「鋳成(イナリ)」つまり、製鉄から来た名前とも言われるみたいですが、関連はあるにせよ、やはり否然(いなさ)からが順当に思えます。



ということに、農園主さんの記事で気がついたのですが、書き忘れていたので、書かせていただきました。



昨日は一日お疲れ様でした。

心身ともにお疲れになったことと思います。

できたら今日はゆっくり過ごしてくださいね。

こちらは予想より雪が積もったので、こっそり雪を持ってきて、手のひらサイズの雪だるまを作りました(笑)

さすがに外ではできません( ̄▽ ̄;)

2026年1月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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喜んでいただけて、なによりありがたいことです。

大阪に暮らしていても、「高槻のはちみつ」なんていわれると、あんな都会ではちみつが得られるのだろうか、と首をかしげたくなるんですが、高槻市は南部が都市化されていて、北部が広大な山林になってるんですね。

京都市内から西に、箕面や丹波にかけて広がる山地の入り口ともいえるところです。

以前安徳天皇の生存説の際にお話したことがあったとおもうんですが、大阪の能勢にある大ケヤキで有名な野間地区は、ここから西に10㎞ほどの、やはり山間部にあります。



だし巻き卵のもとなんですが、毎年大阪からこちらへ帰るときに立ち寄る卵屋があります。

京丹波の国道沿いに大きな養鶏場があり、直売所が併設されているんです。

10年ほど前に鉄腕DASHというテレビ番組の、ゼロ円食堂という企画に登場したこともあるそうな。

個人的にはそれより前の、ここへ移住したときからおいしい卵が安いので、よく利用していました。

特に新年の数日間だけ、割れ卵や小型卵などがふだんの半額くらいで売られていて、これを喜んで買います。

自社製のマヨネーズや卵関係の調味料などもつくっているようで、これも「めずらしいもの」という視点からひとつ選んでしまいました(笑)



大神神社は神符ですが、石上神宮のお守りは七支刀のデザインを選びました。

七支刀(六叉の鉾)は、4世紀ごろに百済から伝わった祭具と考えられます。

日本書紀と、剣にはめこまれた象嵌の文字をあわせて解釈すると、百済にあった谷那の鉄山の良質の鉄を利用してつくられた、百兵もの敵(万難)を退ける、つまり魔よけの祭具だったようです。

実際に使用する武器ではなく、百済とヤマト王朝の軍事的友好の証としてささげられた装飾品だったのでしょう。



ことしもギズモさんにとってよい一年になりますように。

おたがい寒さに負けないようにがんばりましょう。

前回の記事のお返事は、ほんとうにいつでもかまいません(笑)

2025年8月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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暑いですね~(;^_^A アセアセ・・・

仕事先でも近所でも、ご挨拶のひと声目は「暑いですね~~」になっています(笑)

今年の夏のように、連日40度近くで、連日熱帯夜がデフォルトになったらと思うと、本当に怖ろしいです。

毎日のように熱中症で救急搬送される人がいますが、家の中で熱中症になる人の方が多いそうです。

そうはいっても、炎天下で仕事をする人のご苦労は、並大抵のものではないでしょう。

ベストなどに扇風機のようなファンがついているものを着ている作業員の方をよく見ますが、リュックの背中にファンがついているものもあるんですね。

以前は、夏、クーラーを使うと電気が足りないだのなんだの言ってましたが、今年の夏の電気使用量は相当のはずなのに、一言も聞こえてこないのは不思議です。



先日、この暑さで窓ガラスの熱割れが多発しているというニュースがありました。

今までそんな話を聞いたことがなかったのですが、今後も毎年このような暑さになるなら、暑さに強い窓ガラスを作る会社がでてきそうですね。

昔上海にいた時、夏は38度以上が当たり前でした。

40度になると会社はすべて休みという決まりがあったので、40度に達していても、決して40度という発表がされません(笑)

それほどの暑さの中でも窓ガラスが割れたという話は聞いたことがなかったのですが、近くにビールで有名な『光明啤酒』の工場??がありました。

薄い緑色の瓶のビールですが、これをなぜか外の炎天下に置いておくので、けっこうな頻度でボーン!と破裂するのを見ました。

お店でビールを注文すると、こともあろうに常温で提供されます。

ホテルのバーやレストランだといくらかマシで、「ぬるい」と感じる程度には冷えています(笑)

日本だと、グラスやジョッキも冷やしてあるので、考えられないことですね。



農園主さん、台湾でカエルを召し上がったことあるんですね。

日本でも、昭和の終わりごろでしょうか、炉端焼きのお店があって、カエルとかスズメを焼いていたと、母から聞いたことがあります。

私は上海で、『田鶏』を食べたことがありますが、食用カエルなのか、そのへんの池から捕まえてきたのかはわかりません(笑)

抵抗なく食べましたが、おいしかったです。

ウシガエルの分布図をありがとうございます。

特定外来生物に指定されていたんですね。知りませんでした。

余談ですが、『蛙の笛』という唱歌があります。

♪月夜のたんぼで コロロ コロロ コロロ コロコロなる笛は

あれはね あれはね あれは蛙の 銀の笛 ささ 銀の笛♪

輪唱で有名な『カエルの歌』では、

クワ クワ クワ クワ ケケケケケケケケ クワ クワ クワ (地方により多少違うそうです)

どちらにしろ、ウシガエルをモデルにした歌詞ではなさそうですね(笑)

単純に考えると、個体の大きさでも声の高さ(周波数)が異なるので、鳴き声も変わるのかもしれませんが、私のイメージでは蛙は全部ゲコゲコです(笑)




蛙と言えば、昔読んだ怖い漫画で、中学校??で、帰りが遅くなった女子が、教室でひとりの気味の悪い女学生が座っているのを見つけます。

クラスの子ではないので、不思議に思っていると、その女学生が生きた蛙を食べているんですよね。

今は戦争中で、食べ物がないから貴重な食料なの、と言いながら。

女子は気絶したのか逃げたのか忘れましたが、この漫画のおかげで(せいで?)、戦時中は食料に困っていたため誰でも蛙を食べていたという認識ができてしまいました。

実際はどこでも誰でもということはないのかもしれませんね。

話がとても逸れてしまい、失礼しました(笑)

この系統の漫画はずいぶん昔に読んだのですが、最近調べてみると、絵の作風から、漫画家は古賀新一だと思います。

ずっと楳図かずおだと思っていました。



消費税のお話ですが、読ませていただき、消費税というものが今までまったくわかっていなかったことに気づきました。

わかりやすい例を挙げてくださったので、ドーンと、すっきり!!理解できました。

ありがとうございます。

『なんらかの対立構造をつくって、徹底的に叩きながら成長していくという仕組み』、ポピュリズムのお話、とても興味深かったです。

信念に基づいていいことだけを一生懸命やっているより、むちゃな主張で意図的に衆目をあつめ、味方にしていくほうが有効というのが、現代の政治の形なのですね。

どんな政治であれ、誰もが日本に住んで良かったと言えるような、国であってほしいです。



選挙の時のお仕事を微細に書きとめてくださり、その大変さに驚きました。

あのような流れで事が進められるとは、知りませんでした。

投票箱の前に微動だにせず座り、じ~~っと投票用紙を入れるのを見ていられると、なんだかものすごく悪いことをしているようで、なにか注意されるのではと気おくれし、あんなに大勢いなくてもいいのになぁと長年思っていたのですが、大変なお役目なんですね。

傍目には、「座って監視しているだけで、そうそう問題も起きることがないので、楽な仕事」と思っていたのですが、とんでもないことでした。



地蔵盆ですが、お地蔵さまはお堂に入ったままでなく、出すのですね。

おかしな例えですが、おそらくお米10キロの袋より持ち上げにくく、神経も遣うので、大変な労働だと思います。

うっかり足にでも落としたら大けがをしそうです。

お盆とはまた違うイベントのようですが、やはり神事・仏事の類は、できるなら残していくことが大事ですね。

同じようなことをしても地域で異なるでしょうし、古くから伝承されてきている行事は、お話を伺うだけでも神妙な気持ちになります。



今回も、いろいろなことを教えていただき、ありがとうございました。

私のよもやま話からお話を広げていただき、気づかなかった蓮のロマンを感じることができました。

公共施設建設工事がなかったら、まだ眠り続けていたかもしれませんね。

そう思うと、蓮の神性というものに、心を打たれます。

農園主さんが書いていらっしゃるところの蓮の花の神聖さを思うと、数千年眠っていてあるきっかけで萌芽したのは、お釈迦様など、神仏のメッセージのように思います。



『一日がちゃんと終わることに妙に納得』というのは、とっても同意するお話でした。

少し意味合いが違うかもしれませんが、いやなことをしないといけない時など、「あと5時間、あと4時間~~」とカウントダウンし、時間さえ過ぎればいやなことが終わる、と自分に言い聞かせることを最近覚えました。

そのように暗示をかけなくても、同じように時は過ぎるのですが、けっこう効き目があります(笑)

もちろんいいことでも時間が過ぎるし、いいことだらけでも一日は終わるのですが、とりあえずなにがあっても一日というものはちゃんと終わるものなんだな、と最近考えていたので、農園主さんが感じたことにちょっとびっくりでした。



今週は、日帰りで茨城県の牛久に行ってきました。

牛久は東京に近いので、1時間半もあれば行けますが、牛久大仏→牛久シャトー(日本で最初のワイン醸造所)→阿見プレミアムアウトレットのコースです。

牛久浄苑は、浄土真宗東本願寺派本山東本願寺が運営しているそうで、牛久大仏(ブロンズ)は立像としてはギネス記録です。

浄苑なので、お寺と違い、お堂はありませんが、800円払うとエレベーターで大仏の胸まで(5階建て)上がれます。

牛久大仏の拝観券を買った時、浄苑のお墓のパンフレットを一緒に渡されましたが、中でもいろいろなグッズを売っているし、苑内には仲見世や庭園、動物園もあり、かなりの商売意欲を感じました(笑)←庭園のみで大仏胎内に入らなければ500円でした。



今日、仕事先の職員さんたちに茨城のおみやげを差し上げたのですが、牛久に行ったと言うと、副館長(女性)がすぐ「牛久大仏??」と。

ご主人の亡くなったご両親(茨城県神栖の人)のお墓が牛久浄苑にあるそうで、できた時(存命中)にすぐ買ったそうです。

首都圏最大級の公園墓地だそうですが、墓じまいを希望する人が多い現代です。経営は難しくなりつつあるでしょうね。

大仏胎内には、1フロアまるまる、お位牌が安置されている階がありました。

かなりの数で、○○家、と書かれたお位牌がずらっと並んでいました。

知らずに堂内(追記:お寺だと本堂にあたるところだということでした)に入った時、なんとなくいや~な感じがしたのですが、人様のお位牌だとわかったとたん、主人を引っ張って「早く出よう」と言いました(笑)

またオカルトチックなお話になりますが、その後ずっと、身体の熱感(熱は平熱)、しびれ、何とも言えない倦怠感、めまい、肩こり、軽い吐き気が4日ほど続き、今日になってやっとスッキリしてきました。

「牛久に行ってからなんだか調子が悪くて」と、その女性副館長に行ったら「あ~~連れてきちゃったのね」と言われました(笑)

まぁ、無きにしも非ず、というところでしょうか。

猿田彦神社の火打石は毎日打ってますし、お不動様のご真言も唱えていたのですが、あのお位牌の数には対抗できなかったのかもしれません(笑)

言い訳になってしまいますが、人の位牌が気持ち悪いという失礼な意味とは違います。

位牌は、故人が顔を出せる(現れることができる)媒体だと聞いたことがあるので、各家庭のお仏壇ではなく、こういうところに数えきれないお位牌があると、そのパワーというか、念は相当強いものだと、いやおうなしに気づいてしまった(訂正:気づかされた)体験でした。

ということで、ここ数日、どうにもお返事を打つ気力と体力が失われ、気になりながらも遅くなってしまいました(o_ _)o))



今回も、とりとめのないよもやま話でした。


慢性熱中症というのもあるそうですし、くれぐれもお気をつけください。

ポカリや経口補水液が有効のようですが、糖分・塩分のリスクもありますし、難しいところですね。

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気遣いというより、ぼくの性分なんです(笑)



上方落語に「いらちの愛宕参り」という演目があります。

いらちというのは、関西弁で「せっかち」という意味です。

いらちの辰という男が登場人物なんですが、常から気忙しく、おっちょこちょいで、始終焦ってるんですね。

そんな性格だから、もうちょっと落ち着けと周囲からたしなめられます。

そうすると辰が、こう言いました。

「そういわれても、わたい晩飯を晩が来るまで待ってられしまへんねんで。晩飯も昼前に食うてしまいまんねん」

もはや病的ないらちぶりです。



この落語を聞きながら、ぼくはあんまりこの辰を笑っちゃいけないな、とおもいました。

性格がちょっと似てるからなんです。

何事もとっととすませてしまいたい。

しかるべきタイミングをうまく待つのが苦手。

カップ麺にお湯を入れても、3分待つ間に洗い物をするとか、なにか気を紛らわす仕事で埋めるといいんですが、ただじっと待っているとなると、そわそわしてくる。

そんな性格だから、日程や時間の決まったイベントごとに、ふつうの人が感じないような焦りや心配を感じたりします。

そういうわけにはなかなかいきませんが、じぶんの間合いですませられるのなら、なにごとも早めにひとりで勝手にすませてしまうほうが気がラクだという性分なんです。

それこそ、ぼくひとりだったら、「初詣は混みあうから、12月中にお参りをすませておこうではないか」ということを本気で考えるタイプです。



それだとずいぶん生きにくいだろう、とおもわれるかもしれません。

実際、ずいぶん生きにくいんです(笑)

けれど性分なので、さすがに40代後半ともなると、治そうとして治るものでもないことはわかります。

おそらくぼくのこういった性分を詰めていくと、なにか精神医学の分野での「〇〇症」みたいなものは見つかるとおもいます。

なので、長い前置きでしたが、謝っていただくとかえって困るんです(笑)

むしろこちらが謝るべきことなんですが、それもやはりかえっておかしなことになるでしょうから、ここまでにしておきましょう。



ところで偶然ですが、ぼくも以前大洗に行ったことがあります。

残念ながら大洗磯前神社には参拝しませんでしたが。

以前お話ししたかもしれませんが、東日本大震災から数年後に、軽自動車で下道を利用して、宮城のあたりまで行きました。

そのとき大洗のあたりで数時間滞在しました。

海を眺めて、太平洋側はどこもこんなに荒々しい風情なんだろうか、と感心したのをおぼえています。

実際にはそんなことはなくて、大洗のあたりは岩礁の影響なのか、波濤がすごいんですね。



HPによると、大洗磯前神社はオオナムチとスクナヒコナがまつられているとのことですが、オオナムチというと因幡の白兎の伝説ですね。

ワニにひどい目にあわされた白兎と、白兎に蒲の穂の治療を指南した若きオオクニヌシ(オオナムチ)の情景は、あの荒々しい大洗の海とよく似合うなあとおもいました。

スクナヒコナもオオナムチとおなじで、医療を象徴する神ですね。



神仏習合の時代になると「大洗磯前薬師菩薩明神」がまつられるようになったとありました。

薬師菩薩という名前は初めてみましたが、おそらく薬師如来と、おなじ現世利益の仏である観音菩薩が融合したのでしょう。

薬師如来も観音菩薩も、病気を治してくれる仏さんですね。

そこへ「その土地独自に信仰されている大神」という意味を含む「明神」という称号が加わった。

つまり大洗磯前神社も、氷川大神や浅間大神とおなじように、その地で特有の信仰を培っていたのでしょう。

病気平癒のつよい願いが重なった場所ですから、きっとよいご利益に恵まれることとおもいます。

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後半です。

ここからはぼくの旅行の話も混じります。

自宅から大原へ向かったんですが、あと1時間足らずで大原に到着しそうだというあたりで、たいへんな峠に差し掛かってしまいました。

グーグルマップをカーナビがわりに案内してもらっているだけではわからないものですね。

そこは国道477号線、「百井別れ」といわれる、関西でも屈指の酷道だったんです。

昼間でも薄暗く、離合のむずかしい急坂(ガードレールなし)を30分ほど、延々とゆきました。

ハンドルミスひとつで、ほんとうに滑落しかねない道です。

帰ってからネットで調べたら、477号線を「死なな(477)いで」とかけていたのをみて、笑ってしまいました。

地元の人でもこの道は通らないといいます。

どうりで午前11時ごろだったにもかかわらず、対向車がほとんどありませんでした。

あのあたりはちょうど鞍馬のあたりで、うっそうとした険しい山道を緊張して走る中、これはたしかに天狗がいてもおかしくないとおもったものです。

道中、一瞬だけひらけたところに出たんですが、それがむしろ異界をおもわせる情緒でした。

民家の前で年老いた女性が大根を洗っていました。

車から降りて「この先どう行けばいいですか」と聞こうかとおもったんですが、高野聖みたいになるといけないとおもってやめました(笑)

あの酷道を走ることはもうないとおもいますが、ある意味で貴重な経験だったとおもいます。



峠を越えて、なんとか寂光院のふもとに着きました。

寂光院は平野部からすこしはずれて、なだらかな山坂をしばらくのぼったところにあります。

寂光院に向かう坂道の途中で、土地を持っている民家がそこここに駐車場をつくっています。

だいたいどこも時間設定なしで料金は乗用車が300円でした。

寂光院の拝観料はたしか700円ほどで、駐車場も拝観料も観光地にしては良心的だったとおもいます。

寂光院は尼寺なんですが、寺院のたたずまいに権勢を誇るようなところがなく、どこかひっそりとした落ち着きを感じさせて、やっぱり女性的なお寺だとおもいました。

全体的にひかえめで、奥ゆかしい印象です。

参道も商店があるんですが、派手な商売っ気もなく、落ち着いていました。



参道から境内まで端正なたたずまいでしたが、おそらく徳子がいた時代は、現代のように管理はできなかったことでしょう。

土地の保全に機械をつかうわけにもいかないし、山をおりて平野部に行かないと、食料生産もおぼつかなかったとおもいます。

ぼくも田舎に暮らしているだけに、いかにも暮らすのがたいへんな場所であることは察しがつきました。



帰り際、授与所で年配の女性の方(お寺の関係者)に声をかけていただきました。

他愛ない会話だったんですが、最後に「仏様のお導きがあったんだとおもいますよ。またお越しください」とおっしゃられました。

その言葉があったから、というわけでもないのですが、ここはおそらく再訪するだろうな、という気がしています。

訪れた者を拒まない、柔和な空気が漂っているようにおもえたからです。



さて、平家を追い込んで破滅させた後白河法皇は、徳子が寂光院にいると知って、文治2年(1186年)に大原に御幸(外出)しました。

もちろん嫌がらせで御幸したのではありません。

後白河法皇は平清盛を憎んでいましたし、徳子はその娘です。

政治的には、源頼朝から「日本第一の大天狗」といわれるほどの権謀術数を誇る野心家でもありました。

生き馬の目を抜くような伏魔殿の中でやってきた政治家です。

その法皇が大原に行くということだけ聞けば、落ちぶれた徳子の顔をみてやろうとでもおもったのだろうかと勘繰りたくなりますが、じつはそうではないのです。



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すこしややこしい家系の話になりますが、後白河法皇の女御(妻)は平滋子といいます。

滋子は平清盛の妻時子(二位尼)の姉でした。

そして後白河法皇と滋子の間にできたのが高倉天皇です。

平徳子は、清盛と時子の娘です。

後年、高倉天皇と平徳子が結びつくんですね。

つまり、徳子は伯母の子と結婚した……言い換えればいとこと結婚したというわけです。

後白河法皇にとって、徳子は義理の(追記:妹の)娘であり、姪っ子でした。

平家は後顧の憂いを断つためにも滅ぼさねばならぬ敵であると同時に、かけがえのない身内だったわけです。



当時の世の習いとして、戦になった以上、負けた武士は死ぬ必要がありましたが、女や子供は殺す必要がありませんでした。

頼朝は平家討伐にあたって、安徳天皇の無事と、平家が勝手に持ち出してしまった三種の神器を取り返すように命じています。

しかし平家の側で「生きて虜囚の辱めを受けず」のようなかたちで、女房も多くが壇ノ浦の海で自害してしまったんですね。

もちろん生き延びたものもいますが、武士のほとんどは処刑され、女房達もほとんどが放逐されて名もなき者となりました。



とまどう安徳天皇の手を引き「浪の下にも都があるのですよ」といって一緒に入水したのは、さきほど述べた清盛の妻、時子(二位尼)でした。

三種の神器のうち、草薙剣がこのとき海の底へ沈みました。

後白河法皇からすると二位尼は義理の妹であり、安徳天皇に至っては血を分けた孫です。

いくら敵対する関係だからといって、このような結末を心から望んでいたはずがありません。

甘いことをいえば、安徳天皇と三種の神器が朝廷に帰ってきて、平家が没落し、みずからの脅威とならなければそれでよいのですが、みずからの怒りを武士集団である源氏に預けた以上、血が流れずにはすまないことを法皇はわかっていました。

(追記:しかしまさか法皇も、平家が命乞いすることもなく天皇に至るまで自決して、あとになにも残らないほどの惨状になるとはおもっていなかったでしょう)

寂光院へ向かったときの後白河法皇の心境は、もはや恩讐を越えて、忸怩たるおもいや、むなしさに満ちていたのではないでしょうか。

そして、「どのツラ下げて」という話ではありますし、表立ってそんなことをいうはずがありませんが、徳子が生きて救われたと聞いたとき、法皇はきっとうれしいやら心配するやらで、会いに行かずにおられなかったのだとおもいます。



ちなみに後白河法皇が御幸したルートは、ぼくが通った百井別れの道ではなく、京都市内から北東へ向かうすなおな道でした。

大原女もこのすなおな通って都へ向かっています。

ぼくは大原からの帰りに、百井別れをもう一度通る気になれなかったので、京都市内に出て大回りして帰ったのですが、この道なら法皇も訪れやすかっただろう、とおもったものです。




法皇の突然の来訪に徳子は取り乱しました。こんなあわれな姿をみられたくないといって、激しく拒絶したともいいます。

しかししばらくすると気持ちを落ち着けて、互いに敬意をはらいながら、語り合うこととなりました。

平家物語のすごいところは、武家と皇室による血で血を洗うような因縁の物語が、巻末の「灌頂の巻」における法皇と徳子の語り合いによって、浄化されてしまうことです。



徳子は法皇を前に、じぶんが朝廷にいたとき、そして追われる身となったとき、壇ノ浦の悲劇を目の当たりにしたときのことを、地獄の六道にたとえて話しました。

法皇は徳子の長い身の上話をじっと聞き入ったあと、

「玄奘三蔵は悟りを開く前に六道をみたと申します。わが国の日蔵上人は蔵王権現のお力にて六道をみたと承っております。あなたのように生きながら目の当たりに六道をみるようなことは、ほんとうにあり得難いことでございました」

といって涙をぼろぼろ流しました。

徳子もはらはらと涙し、法皇のお付きの者も、徳子の女房たちも、みんな涙に暮れたといいます。

寂光院の鐘が鳴り、夕方が近づくと、法皇は名残を惜しみ、涙をこらえながら御所へ帰りました。

徳子はとめどなく涙をこぼしながら、長いあいだお見送りをし、寂光院に戻ると安徳天皇、平家一門に向けて祈りました。

徳子の死がいつであったかは諸説ありますが、平家物語では建久2年(1191年)、36歳の徳子は病を得て、女房たちが見守る中、五色の糸を手に御念仏を唱えながら亡くなったといいます。

平家物語のエピローグである灌頂の巻の「灌頂(かんじょう)」には、お墓に水を上げるという意味があります。

寂光院を訪れながら、ああ、徳子も後白河法皇も、この大原のなだらかな坂を上ったのだろうとか、平野部の景色は現代のものだけど、山々の景色はあのころとほとんど変わっていないのだろうな、とおもったものです。



というわけで、旅の話はおしまいです。

今回は勝手なことでしたが、前後半にわけて、大原の旅の記憶についてあれこれお話させていただきました。

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きのう、ひさしぶりにサルが出ました。

山の奥まで鉄パイプを打ち鳴らしながら追いかけまわしましたが、どうも群れではなく、一匹でやってきたようです。

幸いなんの被害もなかった……と見回りをしたときにはおもったのですが、けさズッキーニの収穫をしようとしたら、たくさん食い荒らされていました(笑)

しかし不幸中の幸いだったのが、ズッキーニの株自体に被害がなかったことです。

ていねいにズッキーニをもぎとって、そして中途半端に食い荒らしているのです。

べつに甘いわけでもなく、栄養価が高いわけでもない、サルにとっておもしろくもない野菜だったとおもいます。

数年前まではこの時期はえんどう豆が収穫時のシーズンで、きっとそれを狙ってきたのでしょうが、ぼくはもうサル対策で豆をつくらないようにしています。

もちろんぼくは被害が出たので腹を立てていますが、サルからすればアテがはずれたあげく、こわい人間に追いかけまわされて、ろくな目にあわなかったといったところでしょう。



サルに限らず、人間以外の生き物は結局、生きるための用があって動いているわけで、人間のような気まぐれはほとんどないんですよね。

なので、ギズモさんのベランダの柵にまた鳥がきたときには、鳥よけのトゲトゲのマットをベランダ柵に一時的に設置して様子をみるのもいいかとおもいます。

鳥からすれば止まり木になるモノがなくなれば用がなくなるので、めったに来なくなることでしょう。



水系の話ですが、ぼくも地理にはうとかったのが、あるときからこのように考えるようになりました。

水は高いところから低いところに流れるわけですが、山というのはミニチュアでいえば、「山のカタチをしたスポンジ」のようになってるんですね。

なので、土のスキマなどに水が浸み込んで、岩山だったら水が磨かれてきれいな飲み水になるし、そうでない山でも、長い時間をかけて、扇状地などの谷をつくって、そこを山から沁みだした水が流れ、人間にとって生活水になります。

山はスポンジですから、雨がやんだあともよほど乾かないと、当面水を流し続けてくれます。



インドと中国をへだてるヒマラヤ山脈は8000m級の巨大な連峰なんですが、この山から下りてくる水はすさまじい大河を形成します。

そしてこの大河のほとりにいくつもの古代文明ができました。

古代文明ができたということは、たくさんの人が集まったということです。

山が大きいほど、含む水の量も多く、ふもとは巨大な川になるというわけで、そのようなところでは安定して人口を増やすことができたために、その当時の世界の中では突出した文明が興ったんですね。



ヒマラヤから日本に話を戻しますが、以前、人間は谷のあるところなら生きていける、という話をしました。1438

これはつまり、谷が形成されるには、それなりに高い山が必要で、山があれば木がある。
木があるということは、人間にとって木々を利用した道具や燃料があるということです。

それで、むかしの日本人もヒマラヤのような規模ではありませんが、川の近くに集まりました。

みんな、山と川の大事さがわかっていますから、山の岩などを神様に見立てて信仰し、地域一帯で縄張りにします。

つまり、生活をするのに大事な山を、地域一丸で管理したわけです。

この山を外部の人間がみだりに荒らすようなことをすれば、それは「神の名のもとに」成敗されました。

このように思考のとっかかりを得たことで、日本の山のありかたと川のあり方を知ることは、その土地で古くから生きていた人の足跡を知ることだとおもうようになりました。

ぼくの川や山への興味はそういうところから始まっています。



佐藤さとるさんは手塚治虫とおなじ生まれ年で、2017年に89歳で亡くなられました。

コロボックルシリーズ以外にもうちには佐藤さんの本がありました。

子供のころに読んで、心に残っていておもしろかったのは、『赤んぼ大将』という物語です。

まだ言葉の話せないやんちゃな赤ん坊が、じつはオモチャや動物、ショベルカーなどとは言葉を交わすことができて、冒険をするというもので、これも村上勉さんの挿絵がとてもよかったんですよね。

『星の王子さま』の挿絵は、作者自身で描いたというんですが、文章も挿絵も、どちらもが非常に心をつかむものであるという稀有な作品で、ぼくも大好きです。

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直売所の群馬県の野菜ですが、もしかしたら地域一帯の農家さんでまとまって、そのときに収穫した野菜をまとめて配送して、ガソリン代などを節約しているかもしれませんね。

店側は売れ残りの廃棄などを請け負って、手数料を引いた売り上げを農家さんに分配。

農協や地元の市場に卸す場合、ポピュラーな野菜を大量生産して一気に収穫して出荷するやり方でないと商売になりませんが、実際の田舎では小規模な畑でめずらしい野菜などもつくっています。

つまり、ぼくのような野菜作りのスタイルですね(笑)

ところが、そういうやり方の場合、直売所に卸すしかありませんから、販路が少ないのが悩みになります。

なので必然的に栽培される量が減ります。

特に都市部にはほとんど出回りません。

その直売所はそこに目を付けて、特定の地域の農家さんと契約して野菜を仕入れているのかな、と。

百姓目線のひいき目もありますが、きっと大儲けできるようなスタイルではなく、手間はかかるけど都市部の地域の人々の食卓を賑わせるためにやっているささやかなご商売でしょうから、ぜひ地元の人に愛されて長く続いてほしいものです。

2024年5月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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確かにんにくの皮むきで、以前手をケガされたことがありましたよね。
にんにくの皮むきができるアタッチメント付きのフードプロセッサー、初めて知りましたが、時間も節約できるし便利ですね。

8,1は、とても速く快適で、サポートが終了しても問題なく使えていたのですが、ここ2~3ヶ月でノロノロ運転になってきました。
officeが立ち上がるのも遅くなり、いつまでもつか不安なところでした。
新しいnoteはサクサク動きますが、デスクトップに比べると使い勝手が悪いです。
慣れればなんということもないのでしょうが。


そうか、東京は坂の町だったんだ、と気づくお話をありがとうございます。

あるテレビ番組を思い出したので、そのお話を。

昔、数回しか見たことはなかったのですが、女性タレントが東京の坂を全力で駆け上がる、という、わけがわからない番組です。
今もやっているのかと調べたら、今でも週に4回、テレビ朝日で放送していました。
夜中の1:20~なのですが、ちょうど調べたのが1時過ぎだったので、見ることができました←何時まで起きてるんだという(笑)

その名も「全力坂」というタイトルで、6分枠のうち、なんと4分はCM。
女性タレントが(男性の時もあります)、全力で坂を駆け上がるだけ、という謎の番組です(笑)

けっこう有名なタレントも出ていたりするようですが、息が切れて苦しそうな風情を楽しむのか、多少なりとも揺れる胸を観賞するのか、東京の坂を知るための教養番組なのか(笑)

昔、偶然見た時、家の近くの坂が映っていて、「へ~、こんな辺鄙なところもくるんだ~」と思ったことがありました。


私が去年から行っている高齢者施設のひとつは、それはもうみごとに「どこから行っても坂」という難所にあります(笑)
地名は「中台」といい、その一番低いところでも地盤がいいそうで、昔は近くにある陸軍火薬製造所で製造した弾薬を保管する弾薬庫があったということです。

おもしろいのは坂の途中の横道に、さらに上に上る階段があるところも多く、その階段脇の斜面に家が建てられています。
階段の脇に、自転車が通るスロープもない所も多いです。

こういう家に住んでいる人の引越しはどうするんだろう、宅配は? と考えてしまいます。
上りきった平らな道に車を置いて荷物を担いで階段を下りるのか、階段の一番下に車を置いて担いで上るのか・・・・・。

おまけに、その階段の段の高さが、すご~く高いです。
間違いなく、筋肉痛になります(笑)

坂を上らなくてもいいように、バスもありますが、1時間に1本・・・・。
そんな難所なのに、高齢者向き賃貸マンションが続々建っているという不思議。
ただし、「元気な高齢者のためのマンション」と書いてありますが(笑)

今、高齢者の入居を嫌がる家主が増えているので、こういった高齢者向きの賃貸マンションが増えるといいと思います。

2024年3月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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鎌倉に南天を植えているご家庭が多いのを実際に調べたというのはすごいです。
鎌倉夫人という言葉をみたのはたぶん初めてだとおもうんですが、その名前の文学作品があるようですね。

柴又帝釈天の大客殿に、樹齢1500年の南天の床柱があるそうですが、一般的な樹齢1000年越えの巨木と比べると、幹の直径が30cmとかなり小ぶりです。

そう考えると庭木として世代を超えて何百年でも長く楽しめるわけですが、鎌倉の家々の南天がいつごろに植わったものなのか、気になるところです。

ぼくが知っているのは「鎌倉文士に浦和画家」という言葉ですが、鎌倉夫人にせよ鎌倉文士にせよ、いずれにしてもハイソな場所ですね。



神仏が守ってくれるという話なんですが、現代のような文明がなかったむかしの人は、守り本尊にじぶんの運命をあずけて……たとえば小さな木彫りの仏像であったり、あるいは石になにか刻んだようなものを懐に入れて、そういったものをじぶんの守り神として拝みながら暮らしていたのだろうとおもいます。

しかしギズモさんの高校時代のご友人は、どういうきっかけでその若さで守り本尊のことを知ったんでしょうね。

ぼくのように中年になるまでまったく知ることなく生きてきた人間としては、守り本尊を知っているかどうかの、世代別アンケート調査があったらみてみたいものです(笑)

2024年2月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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今回の腰痛に関しては、風呂の薪を焚き口に入れるときに、不自然な体制でしゃがむことで起こってるような気がします。

あとこれはメモだけど、ぼくはどうやらシイタケにアレルギーがあるっぽい。

原木栽培してるのに、シイタケにアレルギーがあるなんて悲しい限りですが、シイタケを食べると強い肌荒れが出て、シイタケを食べずにいるとおさまってくる。

あと酸素系の漂白剤のアレルギーなのはほぼまちがいありません。

風呂でアレルギーが出るのはどうしてなのかわからなかったんですが、去年長靴を洗ったときに漂白剤をつかったら、それ以来足にアレルギーが出て、ふとおもい当たりました。

過炭酸ナトリウムで風呂釜を掃除してたんですが、それが原因のアレルギーだったのか、と。

ことしは風呂釜をホースと水で毎回こまめに掃除するようにしたんですが、そうするとアレルギーもなくなりました。

そう考えると、ぼくの場合、意外と身近なわりに、あんまりポピュラーではないものでアレルギーが出てる気がします。
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農閑期に入って、座っていることが多くなったからか、腰がいたくて。

座ってるときの姿勢があまりよくないんですが、30代後半くらいから、膝がいたい、腰がいたい、手指がいたい、という症状は代わるがわる出てくるようになりました。

筋肉は老化にしたがってどんどんニカワのように固く、柔軟性を失っていくし、背骨は神経を束ねる結束バンドみたいな役割をしてるんですが、これも老化でガタガタしてくる。

そうすると筋肉はしょっちゅう軽い断裂を起こすし、ちょっと重いものを持ち上げれば腰骨が神経をはさむようになる。

40代になってから、そういった老化の入り口ともいえる諸問題が悩みのタネになりました。

ある意味では自然の摂理に沿っているわけですが、いたいものはどうにかしないと辛い。

しかしいまどきは便利なモノが安く売ってて、ホームセンターやネット通販では、しっかりした腰痛ベルトが1000円代で売っています。

これをつけると比較的早い段階でラクになって、念のために一週間ほどつけていると、いたみの炎症はすっかりおさまっている、という次第。

膝がいたいときも膝用のサポーターをつけ、手指がいたむときにはシリコンのサポーターをつけます。

そういえば、手指の痛みが長く続いていたとき、たまたまマルチビタミンのサプリメントをとったら痛みがなくなったということがありました。

微量栄養素が不足することで起こる不調が、手指にあらわれていたのだろうかもしれないなとおもいましたが、ほんとうのところはよくわかりません。

老人になっていくということは、すなわちだましだまし生きていくことである、と言ったのはだれだったか、おもい出せずにいますが、なるほどその通りかもしれない、とおもいつつ。

2024年1月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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今回の震災の政府対応でおもうのは、政治が「エコノミー」を意識しすぎているということです。

エコノミーとは、日本語の経済とはちょっと意味のことなるところがあって、節約とか合理的という意味が含まれます。

そのうえで、エコノミーはエコノミストに任せておいて、政治家(ステーツマン)にはこんなときこそ浪花節で動いてほしい。

義理人情の精神が行き過ぎていて非現実的であるなら、現場が止めればいい。

もちろん政治家にも合理性は必要なのだけど、われわれはかならずしも政治家に冷徹なエコノミストであってほしいわけではないので、被災者が心身ともに極限状態にある局面で、合理性ばかりが強調されている状況には、どうにも納得がいきません。

つらいおもいをしている人の顔を見る、手を握る、心を寄せる、なにがなんでも支援をする……こういったことは、合理性を前にすれば、ムダな行為と切り捨てることもできそうですが、政治家はむしろそこをこそ拾うのが仕事ではないか。

特にニュースで維新系政治家の新自由主義的な意見をみると、かれらはこの局面においても合理性を最優先しているようで、ロジがどうの、個人のボランティアは迷惑だなど、サイコパスなエコノミストのような冷徹さを発揮しています。
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アミの塩辛はなかなか手に入らないので、ナンプラーと干しエビで代用して、キムチをつくりました。

ナンプラーのフタをあけて衝撃だったのが、むかし飼ってた犬のエサの匂いとそっくりだったことです。

おもわずラベルを見返して、まさかナンプラーではなくペディ〇リーと書いてないだろうなと確認したほどです。

しかしまあ、まずはレシピ通りにヤンニョムをつくり、そして白菜を漬ける。

うーん、まだやっぱりペディグ〇ーがおる。

ヤンニョム自体は、かなり本格的にできたんですよ。

白菜1kgぶんとして、納得のいく出来でした。

しかしなにせナンプラーの匂いが……。

こりゃあ失敗だな、じぶんひとりで黙って片付けよう、と覚悟を決めました。



で、作り上げてから5時間ほど経って、漬物樽のフタを開けてみたら、不思議と匂いが消えていて、いわゆるキムチの匂いになってました。

犬のエサの匂いがなくなってる。

こういう変化が起きるのか、と不思議な気分でした。

しかも、だいぶうまい。




このヤンニョムがじぶんでできるとなると、もうこれからうちのカブも白菜も大根も、なんならオクラでもズッキーニでも、年がら年中キムチにできそうです。

あと数日寝かせて、反省点も踏まえて仮レシピを書き残します。

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日付間違うのが流行ってるのか。
あるいは言い方を変えると、校正しないのが流行ってるのか。

ぼくがここで書いてるような与太話はともかく、いちおうは責任あるメディアなら、ナンボ急いでてもこれで発表するのはいかんとおもうけどなあ。

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この稀代の名曲は、本来は男の歌声が似合う曲だとおもうし、女性が当たり前に歌いこなせる歌でもないとおもいます。(男も歌いこなせないでしょうが)

歌詞も、頑固なオッサンが酒場でブツブツぼやくようなものですが、八代亜紀がその度量において、ややもするとうっとうしいオッサン的なものを包み込むようにして歌いきるのが圧巻です。

世代も離れた遠景からではありますが、むかしのトラック野郎たちが八代亜紀にハマった気持ちがわかるような気がします。

かれらはきっと、舟唄を歌う八代亜紀に、母性を感じたことでしょう(笑)

ぼくの年齢からみても、色気のある女性だったとおもいます。

きょうは、しみじみぬる燗を。
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デイリー、ことしの西暦を間違ってる。
日付を間違えるのは出版物だったら大事故なんですが、ネットだと……あるいはデイリーくらいになると、どうってことないのかもしれないし、実際ぼくも「デイリーだからな……」とおもってるところがあります(笑)
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実家からもらった大阪王将の冷凍チャーハンがとてもおいしかった、というなんでもない日常の幸福を報告して、きょうは自家製のキムチづくりに挑みます。

というのも、ことしコリアンタウンで4か所から白菜キムチを買って、家族で食べ比べをしたんですよ。

そうすると、4店舗それぞれ、まったく味がちがう。

不評なものもあれば、好評なものもあり、こうも味がちがうものかと感心したものです。

ちなみに、6人ほどで食べ比べたんですが、味の評価はだいたい似たようなものでしたから、おいしいとおもうキムチはみんなおいしいとおもうようです。

おそらく、白菜のコンディションや水分量、ヤンニョムも材料のコンディションがあるでしょうから、店の味が常に均一というわけにはいかないとおもうんですが、これだけ多様な味になっているのなら、ぼくも工夫次第でおいしいキムチを作ることができるんじゃないか、と欲をかいたというわけです。

おいしいレシピができたらここに書いてみようとおもいます。

#与太話

2023年12月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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深読みさせてしまいましたね、ごめんなさい。
「大、、」は「1155」の「宇宙語=大阪弁」からきていることで、宇宙を指す「大阪」のことでした。
だいたいにおいて、私は何かそういう学術的だったり、暗喩だったりすることは書けません(笑)

あ、あそこが戎橋だったのですね。
写真、たくさん撮ってきました。
あの橋のあたりは、とにかくすごい人でびっくりしました。

日本橋は同じ字でも、こちらでは「にほんばし」ですが、大阪では「にっぽんばし」でしたね。

同じエビスでも字が違うと、受けるイメージが違うものです。

秋葉原みたいなオタロード、ネーミングがいいですね。
わかりやすいです(≧▽≦)
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ぼくが解釈を間違えているのかもしれないのですが、1159の投稿の中で、「大、、でなくて宇宙は、2018年10月に行きました。」とあり、歌舞伎と宇宙がどうつながるのだろうとおもったんです。


松竹座はグリコの看板のすぐ向こうですよね。

タイムリーなことにあのグリコの看板がある橋は「戎橋(えびすばし)」といいます。

むかしはナンパする若いのが多かったことから「ひっかけ橋」とも言われていました。

大丸のあたりから南に2kmほど行くと、恵美須町という町があるんですが、こちらは戎でも恵比寿でもなく、恵比須なんですよね。

松竹座から1kmほど歩くと、日本橋という……むかしは「でんでんタウン」といったんですが、いまでは秋葉原に次ぐオタク街になっていて、本通りからすこし裏道に入ったところは「オタロード」と呼ばれているようです。

むかしはよくここでパソコン関係のものを物色したもので、電気関係ならいかがわしいものもよく売っていました。
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もとは外来の神様だから蔑称で戎と言っていたのに、今は日本の福の神の代表になっているのはおもしろいですね。

うわ~~、懐かしい!!
それです!!!
改めて配役を凝視してしまいました(笑)

すっかり忘れていた、海老蔵の團十郎花火も思い出しました←花火はプロジェクションマッピングの投影で、ぜんぜんおもしろくありませんでした。
 
歌舞伎は、筋書きをしっかり頭に入れてから観ないと、何が何だかわからず失敗することも多いです。
役者の見分けもつきにくく、今舞台にいるのは誰だっけ?ということもよくあります←あくまで私の場合です。

歌舞伎は、農園主さんが書いていらっしゃるように、何度か同じものを観てわかってくると、深みがでておもしろくなってくるものかもしれません。

宇宙とのつながりですか?
能や歌舞伎など、古典芸能の解説、歌舞伎の見方を書いたりしている、渡辺保さんの「歌舞伎という宇宙」の本の事でしょうか?
これでしたら読んでいませんが、歌舞伎を知るにはわかりやすい参考書のようなものと聞いています。
このことでなければ、正直なところ、わかりません。
何か気がついたことがありましたか?
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1159
外来の神様としてのエビスさんは、もともとは外国人の蔑称としてつかわれている言葉ですよね。

あれは、むかしの日本人の性格を考えるとわかりやすいとおもうんですが、よそものはみんな蔑称で呼んでいたんですよね。

みんなじぶんの領地・領土を守る意識が強かったので、よそものは敵です。

戦国時代に貿易のために訪れた外国人は、肌の色にかかわらず「南蛮人」という蔑称で呼んでいました。

明治あたりでも「毛唐人」でした。

江戸時代の書物では「西洋人」という蔑称でない言葉もつかわれていたんですが、これは現金なもので、じぶんたちに文明であるとか、なにか利益を与えてくれるとわかって、はじめて言葉遣いが変わるわけです(笑)

「エビスさん(えべっさん)」というのも、蔑称がそのまま尊称になったという例だろうとおもいます。




ところで、ぼくは歌舞伎のことはほとんどわからないんですが、歌舞伎と宇宙にはつながりがあるのでしょうか。

おそらく2018年10月の大阪の歌舞伎というと、この公演ですよね。

https://www.kabuki-bito.jp/uploads/image...

以前にも言ったとおもうんですが、歌舞伎観劇が趣味というのはうらやましいです。

古典芸能はたぶん、わかるとどんどん深みが出てきておもしろいのだろうなとおもいます。



キャンディーズの歓声ですが、ビートルズのときも、歓声でだれでも音楽を聴いていないことに、当のビートルズもイヤになってしまったといいますよね。

いわゆる「失神コンサート」というのは、むかしほどは聞かなくなりましたが、あれは一種の集団ヒステリーなんだとおもいます。

ライブが、集団で狂乱状態になるための道具になっているんですね。

アメリカの1960年代のウッドストックという、ロックフェスティバルのときの映像をみていると、あきらかにドラッグでトランス状態になった人たちが、恍惚としながら爆音のライブを眺めてる様子がみられます。

主人公は演奏者である、というのがふつうのわきまえなんですが、狂乱状態になると、主人公がオーディエンスになるという逆転現象が起こるのでしょう。
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大阪では「戎」の字を使うんでしたね。
今、戎と恵比寿の違い、由来をちょっとだけ調べてきましたが、エビスと言ったら、やっぱりビールのイメージです(笑)

大、、でなくて宇宙は、2018年10月に行きました。
10年に一度くらいしか上演されない歌舞伎の演目が松竹座であったんです。
目的の夜の部を観たのですが、昼の部も観たくなり、翌日の切符を取ろうとしましたが、いい席が無く断念。
一度帰り、数日後にまた松竹座に行った、という次第です。

それぞれ1泊ずつして、水掛不動さん、グリコのあたり、大丸デパートとか、ちょっとだけうろうろしてきました。

演目は、先日亡くなった市川猿翁演出の『雙生隅田川(ふたごすみだがわ)』。
ご両親の自殺ほう助で逮捕された市川猿之助が引継ぎ、この時も出演していました。
敵討ちの話ですが、舞台で水を豪勢に使ったり、天狗になった主人公の宙乗りと、見どころ満載のものです。

歌舞伎というとお年寄りが観るものというイメージがありますが、4歳くらいの頃から観に行って(行かされて)いたので、私の歌舞伎好きはその影響です。

蘇民祭、そういうことなんですね。
古くからの伝統行事の残し方は、難しいですね。
簡略化するといずれ0になってしまうのではないかという気持ちもわかりますが、100として残していけないなら、農園主さんのお考えのように、30でも10でも残していった方がいいはずですよね。


スーザンボイルは、あの有名なイギリスのオーディション番組『ブリテンズ・ゴット・タレント』でグランプリをとったのがきっかけで、ブレイクしました。
ただ、あの番組は、審査員があまりにも大げさで、やらせの部分が多いように感じます。
最初に番組に出た時、「そのへんにいるボサボサ頭のふつうのおばさん」のイメージを観客に植え付けておいて、歌唱力とのギャップを際立たせようとした狙いがあったんだと思います。
本当に、優しそうで素朴で、好感の持てる人だと思います。
そういう人を、おかしな売り出し方でブレイクさせると、性格も変えてしまい健康を損ねたりと、結局は長続きしない使い捨てタレントになってしまう可能性が高いです。

話がとびますが、先日、YouTubeでいろいろな人の「朝日のあたる家」を観ていたら、キャンディーズの CANDIES FINAL CARNIVALで、伊藤蘭が歌っているのを見つけました。
1976年、蘭ちゃん、かわいくて若いです(笑)
それを途中まで観て、なんだかかわいそうになり、やめました。
一生懸命歌っているのに、ファンの歓声がすごいんですよね。
ヤジではなく応援の叫びだとは思うのですが、前奏・間奏の部分はしかたないとしても(生で演奏しているミュージシャンがいるので、本当はここでも静かに聴くべきですが)、
歌っている時はちゃんと聴いてあげてよ、と思ったわけです。

ファンあってのアイドルなので、こういう現象はあたりまえなのかもしれませんが、ファンならなぜちゃんと聴かない!!と思うわけです。

自分が小さいながらもステージに立つものであるので、よけい悲しくなったのだと思います。
まぁ、アイドルではないので(笑)、演奏や歌唱の時は、みなさん、シーンとして聴いてくださるのはありがたいです。
中村仲蔵なら、終わった後の拍手ひとつない静寂に包まれ落ち込むのでしょうが、適度な拍手もいただけるので、アイドルにならないでよかった、と(笑)
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ギズモさんの宇宙に行った2度の経験談をぜひうかがいたいです(笑)



蘇民祭ですが、あれはやっぱり備後風土記に出てくる蘇民将来とスサノオ(牛頭天王)の伝説に基づいてるんでしょう。

ただ、あのお祭り自体はまったく現代にそぐわないというか……あの裸祭りは現代人はやりたくないとおもいます。

1月~3月の真冬の岩手での裸祭りが、神事だから強要されてよいとはちょっと言えません。



最近つくづくおもうんですが、ほんとうに古くからやってきた神事(あるいは田舎の行事)をつないでいきたいのであれば、その形式の部分をどんどん現代に合わせていく必要があるとおもっています。

なのにどうもうちの田舎をみていても、100か0かという話になってしまいがちなんです。

ぼくは昔ながらの100では続けられないなら、現代風に30にでも10にでも簡略化して、ともかく息を細くしてでも続けて行けばいい、とおもっています。

でも多くの人は、簡略化をすると宗教行事として意味がないとか、簡略化をするとそのままいずれ断絶して0になってしまうとおもってしまうようです。

「続けていくために簡略化をするんだ」という目的意識を明確にすれば、また将来、田舎で人口が増えるような機会があれば、むかしながらの神事を復活させることもできるかもしれません。

なのに、みんなもう、いまのことしか考えないクセがついてしまったのか、100年後に細々とでもつないでいくことに意義があるという意見はなかなか聞かれません。

古代の神道が仏教と習合していったようなことも、その時代に合わせて神道を弱体化させてでも生き残ろうということだったはずです。

蘇民祭にしても、裸祭をやめて、まったくちがう形になってでも、現代社会によりそう様式にして、次の時代につないでいく、という考えはなかったのか、とおもいます。



スーザンボイル、画像検索をするとどれも笑顔の写真で好感がもてました。

ただ実際にお会いしたわけでも、性格もフィーリングもわかりませんから、それ以上はなにもわかりません(笑)

六所神社の縁起物の写真、じつに福々しくていいですね。ありがとうございます。

この戎さんもニコニコしておられて、好感がもてましたし、鯛がかわいいです。

2023年11月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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クラシック音楽にしても、前衛音楽というジャンルが出てきたあたりから、訳がわからなくなります。
私もそれらしきものを作ったことがありますが、前衛なのか、でたらめなのか、自分でも全く理解ができませんでした。

美術館で、赤・青、もう一色は忘れましたが、三色旗のようにきっちり塗っただけの絵を見た時は、
これが絵として理解できない自分は、はたしておかしいのか、正常なのか、考えたことがあります。
理解というより、感動できるかできないかが大切なのかもしれませんが、それでも理解しようと考えていくことには、
意味があるのだろうと思います。

文学にしても、ただ読んで、おもしろかった、つまらなかった、理解しにくい話だったで終わらせるのではなく、
時間をかけて考えていくことは、無駄ではない、ぜいたくなことなんですよね。
陰翳礼讃、高野聖など、以前わかりやすく書いてらしたものは、おとなにとってもありがたいものですが、
中学生・高校生・大学生など、学生や、教師を対象とした読本として、最適なのではないかと思います。
世に出ているあらすじ的なものは、どうもピンときません。

淡路島のタマネギ、一般的なスーパーなどでは見かけませんが、日本各地の特産品を扱っているお店で、たまに入荷します。
大きいけど高いです・・・。
普通のタマネギですが、たまに、切ると茶色くなっていたり、黒くなっているものがあります。
見た目で見破れないのが残念です。

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現在、収穫が順調でありがたいことですが、あしたは一日雨になるようです。

しとしと霧のような雨ならいいんですが、どうやら大雨になりそうで、しかも気温が高い。

これでおそらく葉野菜には病害が出るでしょう。

当地では11月には優しい雨がダラダラ降る印象なんですが、ことしは激しい雨が多くてどうもリズムがとりにくいです。



ことし、タマネギは種まきまではしたんですが、植え付けは半分あきらめました。

たぶん、日本海側はタマネギ栽培に向かないんだとおもいます。

11月になると霧が出て土が乾かないし、むかしからタマネギは作りづらいとおもってました。

地形的に向いていないんだとおもいます。

つくっても、病気が出やすいし、腐りやすい。

タマネギの主生産地をみていても、日本海側はありません。

唯一兵庫県は日本海を含むのですが、兵庫県のタマネギ生産はほとんどが淡路島です。


野菜は、その土地に合ったものを無理なくつくるのがいちばんだとおもいます。

#野菜
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1990年代くらいまでは、難解なものが喜ばれるところがあって、一般的にはついていけないような芸術作品があちこちにありましたね。

ぼくの子供時代もこういうものにずいぶん惑わされていたような気がします。

90年代になって、徐々に、情報はわかりやすくしていこう、という風潮が出てきました。

インターネットの時代になって、社会に出回る情報量がどんどん多くなっていくにつれて、人々がひとつのことを長く考える時間がとれなくなった、ということでもあるとおもいます。

答えが出ないむずかしい芸術に時間をとられるより、カンタンな作品をたくさん消費したい、という風潮になっていったのでしょう。



もちろん、アバンギャルド(前衛的)なものがあんまり社会で幅を利かせると、ワケがわからなくなってしまいます。

理解しやすいカンタンなものが社会の中心であるほうがいいんです。

けど、なかなか答えが出ないことを時間をかけてダラダラと考えるのは、とてもぜいたくなことで、情報の洪水の中でその時間がとれない……どころか、難解であるというだけで拒絶されるような社会になったのは、ちょっともったいないようにもおもえますね。
Icon of gizumo
アイコン設定、お手数をおかけしました。
ありがとうございました。

これ、ずっと他のSNSで使っていたもので、ト音記号の形のブローチです。
ギズモのぬいぐるみの写真もあるのですが、IDがギズモでアイコンもギズモだと、相当のギズモ好きに見られると思いやめました。

アクの強い、というと、岡本太郎を真っ先に思い出します。
テレビで、ショパンの確か「軍隊ポロネーズ」を弾いていたのを見ましたが、もうめちゃくちゃで。
音を間違えたという範疇でなく、楽譜を無視し過ぎ、支離滅裂の演奏で驚いたことがあります。
この人はピアニストではないし、間違えても問題ないのですが、それにしても・・。
芸術は爆発だという生き方、考え方の象徴のような演奏で、自分がよければ他人がどう思おうとそれでよし、という信念を感じ、
めちゃくちゃもかっこいい、と思えました。


何の分野でも、よかったもの、引き継ぐべきものが消えていくのは、本当に残念です。
新しいものがどんどん増えていく中で、古いものは積み重ねていかず切り捨てる。
いつからそんな世の中になったんでしょうね。
寂しいのと同時に、腹立たしくもあります。
Icon of nouennushi
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アイコン、寝る前に勝手に設定させていただきましたが、問題なかったでしょうか?


むかしに戻りたいとはおもわないんですが、むかしよかったものが、いまに引き継がれず、寂しくおもえるときがあります。

建物や製品、インフラが画一的に全国に広まっていくと同時に、情報も画一的になり、人間まで画一的になってきたようにおもえます。

個性が強い人は煙たがられて、どんどん人間が常識的になっていって……まあ、非常識な人が好きなわけではないんですが、むかしのアクの強い人たちがいた時代が、ふと懐かしくなることがあります。

2023年10月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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地中海の舞踏、のアル・ディ・メオラですよ。

世界一速いギタリストで有名なんですが、本質的にはそういうくくりではおさまらない根っこのあるギタリストです。

スペイン音楽を探究する音楽家という一面がわかると、こういうビートルズカバーの、中近東とヨーロッパの混じり合う感じと、アメリカ的な近代的手法とが……とまあそんなことはよいのですよ。

せっかくだから、地中海の舞踏も聞いてくださいよ。



このすさまじい速弾きの音楽のパートナーは、パコ・デ・ルシアというギタリストでした。

このパコの最晩年の競演が、これです。



パコの顔色が悪いのもわかるし、微妙なところでついていけなくなってしまう。そこを技術的な部分でアル・ディ・メオラがうまく支えているんです。

でも、パコ・デ・ルシアの運指はやっぱりすさまじいんですよ。突如火を噴くように、ありえない速さになる。

でも、やっぱり崩れる。崩れるたびにアル・ディ・メオラが支える。

お互いがお互いを目で確かめ合う。

お互いに本気の本気でぶつかりあう。

ぼくは、この動画をみると、泣いちゃうんだな。

#音楽
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ジュディ・アンド・マリーのそばかすという曲を聞いたときに、なんてヤンチャなギターなんだろうとおもったんですよ。

ちゃんとペンタトニックのルールにしたがって、ちゃんと決めるべきポイントは決めて、なのに、もう曲中はほとんどアドリブで崩してしまうソロパートなんですよね。
#音楽
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そういえば、むかしのRPGは、だいたいレベル30くらいになると、ほとんど終盤だったんです。

レベルが50まであったドラクエ2から、ファイナルファンタジーもレベル制のものはそうでしたが、レベル100になっても、だいたいレベル30になると終盤。

とりあえずレベル40もあればRPGはまずクリアできる、というのが常識でした。

ところがここ15年くらいで、そういう風潮が打破されたようにおもえます。

いま二ノ国やってますが、レベル40になってもまだ作品の終わりが見えてきません。



ぼくなんか、もうマンネリでもなんでもいいから、パターンの中で生きていたいんです。

平和というのは、ルーティンとパターンで人生が固まることですよ。

人間というのは、ルーティンとパターンで、人生が安心できることが、平和なんです。

でもいまの経済のシステムはパターンとルーティンを打破することで新価値を創造するものだから、若いうちはそれでよかったのだけど、オッサンになるともうついていけない。

で、年を取るにつれて、この新価値が恐怖になりつつある。

いまのじいさんばあさんが、スマホ操作やキャッシュレスに恐怖を感じるように、ぼくがジジイ(もう半分以上ジジイなのだけど)になるころには、まったく別のシステム的な恐怖が待ち構えているはずです。

そのとき、せめて同世代で「ついていけねえや」と言い合える仲間がいればいいのだけど、なんだかいまの時代だと、そういう仲間すらできないかもしれないな、と、それが目下の最大の恐怖です。
#与太話

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2026年3月28日(土) 10時30分40秒〔7日前〕