山麓王国

No.994

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993
病牀六尺での正岡子規の言葉は、禅宗における悟りについていってるんですよね。

禅宗というのは仏教の中でも非常に不思議な宗派で、個人主義的です。

大乗仏教は大衆のため、小乗仏教は国家(「選ばれた修行者」に訂正します)のための仏教ということなんですが、禅宗は方向がちがっていて、個人のための仏教といえるとおもいます。

座禅、マインドフルネスが西洋でウケたのは、禅宗の個人主義的な雰囲気が西洋の気風に合ってたのでしょう。

禅宗では「只管打坐」でひたすら座禅をするんですが、禅宗の僧侶いわく、いくら座禅をしても悟りは開けないのだそうです。

仏教とは悟りを開くための宗教なので、いくらやっても悟りが開けないというようなことをどうしてやるのか、ということになります。

言葉で説明できるようなことでもないのかもしれませんが、禅宗では、じぶん自身の中に仏性(悟りの素)があるという概念があって、座禅をすることでじぶんの内面にある仏性に肉薄しようとするわけです。

ところが、いくら肉薄しても、悟りが開けることはない。

むしろ、座禅して外側の情報をシャットアウトしていると、どんどんじぶんの内側に意識が向くわけで、生きているという感覚が強くなります。

結局、悟るとはつまり、じぶんがただ生きるままに生きているということである、ということにつながっていく。

そういうところを子規は理解して、「悟りといふ事は如何なる場合でも平気で生きて居ること」と述べたのではないかとおもいます。

子規が悟りについて書いたのは死の3か月前ですが、まだ34歳の男が結核による耐えがたい肉体の苦しみにあえぎながら、精神がこの苦しみを克服して「平気で生きて」いられないものかと右往左往し、死の直前まで日記を書き続ける様子は胸に迫るものがあります。

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