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2026年2月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
選挙の立会でのねぎらいのお言葉、ありがとうございます。
パイプ椅子に14時間座ると、お尻が3日痛みました(笑)
当日は大雪でしたが、無事に役を終えられてよかったです。
「お札を1年で買い替えるというのは、寺社のお金儲けの一環」というのは、ギズモさんのおっしゃる通りで、寺社もお金を得なければならないんですよね。
江戸時代以前の神社は、地域が管理している山や川に勝手によそ者が入らないように縄張りをしたというものがほとんどでした。
山や川、あるいは土地でさえ明確な所有権がなかったので、その地に住まう人々は神の名を借りて、所有権を主張したのです。
なので多くの神社では、大岩や巨木にしめ縄を施して、かんたんな鳥居をたてて、頻繁に地元民がお祭りをすることで、ここは神(管理者)がいるのだぞ、ということをアピールしました。
ごく簡素なお社をつくったところもありましたが、多くが無社殿社です。
こういう仕組みであれば神社の管理は、手間はかかってもお金がかかるようなものではありません。
大事なのは社殿でもお金でもなく、じぶんたちで地域を維持しようという心意気と、みんなで集まれる場所があることでした。
これが明治以降、各地で立派な社殿を建ててしまったがために、社殿の維持管理のため、神道も儲け主義の土俵に乗らざるをえなくなりました。
これはわたしの住む田舎の話ですが、お賽銭や地域の会費だけでは社殿の維持には到底追い付かず、かといって地元の有志が大きなお金を出すような時代でもありません。
ちいさな規模の神社ですから、お祭りといってもほとんど自治会の役員だけですませますし、境内にお守りを授与するようなところもありません。
けれど、社殿に関しては明治以降によほどがんばったのでしょう、授与所があってもおかしくないくらい立派なのです。
地域の自治会が共同で神社の予算を管理しているのですが、人口減少で会費も年々減少する中、爪に火をともすような努力で健全な予算運用を心掛けています。
しかし社殿の傷んできたところ、たとえば木部の腐った鳥居をどうしようかというような、足元の懸案事項のお金すら用意できず、苦慮しているのが実際です。
先日選挙の立会をしているときに、当地の神社の会計をもう何年もやっておられる方とご一緒したので、お話をうかがいました。
ほんとうは神社の会計は毎年交代するのですが、その方は神社の敷地の問題や、これまで先送りにされてきた会計上の問題を解決するために、もう何年も篤志で役を引き受けていただいています。
じつは先年、地域の宮司さんが90歳で亡くなったのですが、この方は生前、神社の敷地であったり、お金の問題などのややこしい部分を、地域の理解が得にくいという理由で、ややこしいままにしていました。
これは宮司さんを責められる話ではなくて、むしろ宮司さんは「神社の暗部を引き受けてくれていた」一面があります。
しかし宮司さんが亡くなったことで、今後は地域の自治会で神社を運営していくことになり、そこでこれまでの問題を一気に解決しようという流れになったそうです。
それで今年度にようやく神社としての体裁を整えるめどがたって、各団体に補助金の申請などをおこなえるとのことでした。
これまでは補助金申請も、土地の問題や会計面での未解決な部分が問題視されて、門前払いされていたらしいのです。
補助金申請がとおり、会計手続きをルーティンで進められるように段取りがつけば、会計のお役も次に引き渡せるといってその方は笑っていましたが、目に見えないところでたいへんな苦労があったのだと感じ入った次第です。
そういう事情を考えると、授与所があるような大きな神社が儲け主義になるのは仕方ないのでしょう。
個人的には、そもそも絢爛な社殿を建てようなどと見栄を張らず、小さなお社と、先人がつないできた土地を守ろうとする土着の精神性を大事にしていれば、こんなことにならなかったのではないかとおもいます。
ですが、問題解決にご苦労なさっている方を目の当たりにしては、なかなかそんなホンネはいえませんね(笑)
さて、神様の「同一」の問題なんですが、これは推理力が試されるパズルのようになっています。
書かれてある言葉をそのまま受け止めても、話が通じるようにはなっているのですが、その中にウソとほんとうが混じっているんですね。
今回はこの同一の問題を調べていくうちにわかった、かなり特殊な話をしたいとおもいます。
ちょうどいまわたしがこの記事を書いているのは建国記念日なんですが、だれがどのように同一の神であるかを調べるうちに、「天皇は神武天皇で血筋が途絶えていた」という、きわめて不敬な気付きを得てしまいました(笑)
前言をひるがえすようなかたちになるのですが、綏靖天皇が神武天皇の子であるというのは、わたしの調べ方の甘いところで、間違いだったようです。
ところで、わたしは以前、神武天皇の九州での妻のアヒラツヒメを卑弥呼と書きました。
あれもかなり飛躍していますが、「同一人物」の推測です。
しかし、わたしはいまもアヒラツヒメは卑弥呼(アマテラス)だと考えています。
神話では、神武天皇(カンヤマトイワレヒコ)とアヒラツヒメは、九州で子に恵まれていたといいます。
多芸志美美命(タギシミミノミコト)という名でした。
古事記では、さらに岐須美美命(キスミミノミコト)にも恵まれたとありますが、この子については記述が一切ありません。
卑弥呼には子がいないはずなのに、子がいるのはおかしいとおもわれるでしょう。
が、「神武天皇に子供がいる」ということ自体がウソなんです。
その理由は、神武天皇の子の名前にありました。
タギシミミは神武東遷に付いていったといいます。
実際には饒速日が亡くなって、ナガスネヒコがヤマトを乗っ取るかもしれないという緊急事態で、20代、あるいは10代でヤマトへ向かったとおもわれる神武天皇が、乳幼児を連れて戦に出るとは考えられません。
しかし、ここではそういうことにしておきましょう(笑)
神武天皇はヤマトでタタラヒメと結ばれて、さらにふたりの子をもうけました。
長男が神八井耳命(カンヤイミミノミコト)、次男が神渟名川耳尊(カンヌナカワミミノミコト)です。
正当な皇位継承者はヤマトで得た子なので、神武天皇が崩御すると、タギシミミはこの兄弟を殺そうと計画しました。
しかしカンヤイミミとカンヌナカワミミは事前にこの計画を知ります。
そこで逆にタギシミミを討とうということになったのですが、カンヤイミミは手が震えてタギシミミを矢で射ることができませんでした。
かわりにカンヌナカワミミがタギシミミを射殺します。
このことを恥じたカンヤイミミは皇位継承の座からおりて、次男のカンヌナカワミミが二代目綏靖天皇となりました。
神話におけるこのエピソードは、「タギシミミの反逆」といわれています。
日本書紀での綏靖天皇のエピソードは、タギシミミの反逆しかありません。
わたしはそれで前回、神武天皇の子の綏靖天皇はかなり早くに亡くなり、それがきっかけで欠史八代の時代になったと考えました。
しかしどうやら、タギシミミもカンヤイミミもカンヌナカワミミも、みんな神武天皇の子ではなさそうなのです。
順を追って説明します。
まずタギシミミの妻は、なんと神武天皇の妻のタタラヒメなのです。
つまり、子供が父親の、それも天皇の腹違いの母をめとる。
ふつうに考えて、そんなことがあるでしょうか。
しかしこれはタギシミミの名前から考えると、ある推測が成り立ちました。
まずタギシミミの「たぎし=多芸志」は出雲の地名です。
しかもあの稲佐浜のすぐ近くでした。
名前の「耳(ミミ)」は、地域を束ねる首長をあらわすといわれます。
「出雲の地名」
「名前に含まれる耳」
「妻が事代主(大物主)の娘のタタラヒメ」
この3点をつなげて考えると、タギシミミは出雲の多芸志のあたりを束ねていた若き首長で、国譲りの戦争に参加していた。
そして事代主(大物主)とともにヤマトへやってきたのではないでしょうか。
名前の「耳」で考えていくと、神武天皇のヤマトでの子、
神八井耳命(カンヤイミミノミコト)
神渟名川耳尊(カンヌナカワミミノミコト)
にも耳が入っていますよね。
耳という名がどこかの首長をあらわすのだとすれば、じつは神武天皇の子はすべて、実子ではなかったということになってしまうのです。
つまり、アヒラツヒメもタタラヒメも、子には恵まれていませんでした。
綏靖天皇の諱(いみな)に含まれる「渟名川(ぬなかわ)」というのは、高志国・越国(こしのくに)にあった、いまの新潟県糸魚川のあたりの地名です。
ここには奴奈川姫(ヌナカワヒメ)の伝説があって、大国主から求愛を受けたヌナカワヒメがタケミナカタを産んだという伝説があります。
カンヌナカワミミ(綏靖天皇)は、越の国のヌナカワ地方にいた首長だったのかもしれません。
ちなみにタケミナカタは国譲りの戦争の際に、タケミカヅチに敗れて信濃の諏訪に封じられます。
つまり高志国は出雲に味方して、国譲りの戦争に参加していたわけです。
わたしはカンヌナカワミミも出雲の戦争に参加していて、事代主とともにヤマトへやってきたのではないかと推測しています。
なぜなら綏靖天皇の妻は一説には葉江の妹の河俣姫ですが、一説では五十鈴依媛命といわれます。
五十鈴依媛命はタタラヒメの妹……つまり大物主(事代主)の娘なのです。
カンヤイミミの八井は、地名なのかどうかはっきりません。
しかし九州やヤマトに系譜をもつ多氏の祖であることから、九州と奈良のヤマト王権にネットワークをもつ、実力者だったのではないかとおもわれます。
そういう意味で、カンヤイミミの皇位継承順位はトップだったのでしょう。
タギシミミは、神武東遷の際に熊野に同行するなど、神武天皇の戦勝に大きく貢献しましたが、ヤマト王権と出雲の関係性からいっても、皇位からは外れていたのかもしれません。
これら3者が神武天皇亡きあとの皇位をめぐって争い、結果カンヌナカワミミが皇位を得ました。
が、綏靖天皇もなんらかの理由ですぐに崩御するのです。
そしてタギシミミの反逆には、やはり大物主が絡んでいるようにおもえます。
大物主は、タギシミミにタタラヒメをあてがい、皇位の簒奪(さんだつ)をそそのかしたのではないでしょうか。
神武天皇の妻がタギシミミの妻になった
しかしタギシミミは皇位争奪に負けて死んでしまいました。
大物主は綏靖天皇にも妻を送っていますが、カンヌナカワミミは越の国の者です。
出雲の大物主からすると綏靖天皇はセカンドベストだったうえに、綏靖天皇も皇子を残さなかったのでしょう。
その後、磯城県主や各地の首長、ウマシマジの血縁などがそれぞれ天皇を擁立する大乱戦となり、しばらく大物主は政治の舞台から姿を消しました。
しかしウマシマジの血縁である10代崇神天皇の御代になると、大物主はまた倭迹迹日姫命を通じて再登場するのです。
ところで欠史八代には、最大の謎が残っています。
欠史八代が神武天皇の血筋ではなかったとすると、これらの天皇は、いったい何者なのでしょう。
妻はそれぞれ葉江であったり、大物主だったり、ウマシマジの血筋だったりするわけですが、天皇が何者で、どこからきたのかがわかりません。
綏靖天皇は諱にヒントがありましたが、3代目からは推測のとっかかりもなくなって、袋小路に入ってしまうのです
だからこそ「欠史八代」なのかもしれませんね。
ところで、大物主はなぜここまで天皇家に執着したのでしょうか。
大物主は皇位の簒奪に失敗し、後年、若い倭迹迹日姫命と結婚してまで天皇の血筋につながろうとしました。
この執念と熱量は、単なる権力欲で片付けられるものではありません。
その点で崇神天皇は、大物主を相当警戒していたのではないかとおもいます。
わたしが崇神天皇だったら、こう考えます。
いまだ内憂外患の状況なのだから、ヤマト王権としては大物主の権力は利用できるだけすればよいが、どうやらあの爺さんは出雲の者らしい。
下手にわたしの血筋と結びつけたら、出雲を平らげる計画が危うくなり、天下の平定がいよいよ遠ざかってしまう。
巫女のおば(倭迹迹日姫命)と結婚しようとしているが、あの老人にはすこし夢をみてもらったあと、丁重に三輪山にまつっておくのがよかろう。
しかしそもそもあのおばが、大物主に吹き込まれたことをそのまま神託として告げたせいで、王権が巻き込まれてしまったのが問題なのだ。
巫女の神託というかたちで、大物主のような輩が介入する隙を与えている。
あのような巫女政治はそもそも、神武以前の伝統の政治手法なのだから、わたしの代で巫女の政治介入も終わらせてやろう。
ここにきてわたしは、ようやく大物主と倭迹迹日姫命の神話のエピソードが理解できたようにおもえます。
つまり倭迹迹日姫命が「お顔が見たい」と望み、櫛箱をのぞくと子蛇(大物主)がいた。
そしておどろいた倭迹迹日姫命の陰部に箸が刺さって死んだ、というくだりです。
わたしはこれを最初、単に老いた大物主に倭迹迹日姫命がおどろいて拒否した、と解釈したのですが、もっと深い意味があったようです。
櫛は巫女と結びつく神具なのですが、この箱の中に蛇が入っていたということは、出雲の者(ヘビ)がヤマトの巫女にとりついていた、ということでしょう。
崇神天皇は、大物主を出雲のスパイのような存在であるとみなしました。
このとき大物主の子種をはらんでいた倭迹迹日姫命も、大物主と出雲の関係におどろきます。
そして倭迹迹日姫命が自死……あるいは最悪、ヤマト王権によって殺されたのではないか。
けっきょく大物主は三輪山にまつられる存在となり、倭迹迹日姫命も箸墓古墳にまつられ、イザナギの時代から続いていた巫女政治も、いったん終わりました。
ところで倭迹迹日姫命で巫女政治が断絶したあと、アマテラス(巫女)をヤマトではないどこかにまつるための長い旅が始まります。
崇神天皇は、巫女を政治中枢から遠ざけたかったのでしょう。
まず崇神天皇の娘の豊鍬入姫命が、アマテラスの鎮座する場所を求めて全国を旅します。
しかし豊鍬入姫命は病に倒れ、次に11代垂仁天皇の娘の倭姫命(ヤマトヒメノミコト)が後を継ぎました。
そして長い旅の末、ようやく天照大神は伊勢の地に鎮座することになります。
この旅の中でアマテラスの鎮座する候補地になった場所が、全国各地の元伊勢として残りました。
さて、ギズモさんのご質問の件なのですが、大物主と事代主は、おっしゃるとおり同一であるとわたしは考えています。
つまり出雲で事代主と呼ばれていた神が、ヤマトでは大物主と呼ばれたのです。
そして事代主が、国譲りの際に大国主の運命を決定づける働きをしたことから、大国主の奇魂・幸魂ということになったのでしょう。
では、事代主がなぜヤマトへ向かうことになり、大国主の奇魂・幸魂となったのか。
ここからは話をわかりやすくするための、わたしの創作の物語をお聞きください。
国譲り(くにゆずり)とは、関東の領有権をめぐる、ヤマト王権と出雲王国の戦争でした。
ヤマト王権は九州と奈良から軍勢を送り、出雲もまた地方と連合して戦いましたが、稲佐浜で進退きわまります。
ギズモさんが問われた通り、このときタケミカヅチの軍勢は「さあ、国譲りをするのかしないのか、否・然を決めよ」と迫っていました。
しかしこの戦争では各地の王国が出雲に味方しており、天孫族の軍団に屈するべきではないという声も多くあったのです。
海岸近くに即席の陣屋を築き、出雲軍は最後の決断を急ぎます。
事代主は、もはや戦争を続けることは得策ではないと主張しました。
「ヤマトで少彦名が倒れた後、この国(関東)はわたしたちが必死になって開拓した。
関東の領有権が出雲にあるのは明らかである。
しかし出雲が国づくりに注力して疲弊したいまになって、ヤマトは国づくりの功を奪おうと、出雲に戦争を仕掛けた。
大義はわれらにあろう。
それでもこの戦をやめよというのか」
事代主が申し上げました。
「国づくりの功が出雲にあることはだれもが知っております。
しかしこのまま戦えば、出雲は滅びるでしょう。それではもはや出雲にはなにも残りませぬ。
これよりわたしがタケミカヅチと交渉を行いましょう。
大国主様がこの戦の引き際をつくっていただけるなら、わたしは大国主様の名のもとに出雲の国体を護持することを要求しまする」
ほとんどの人々が意地とプライドでものごとを考える中、事代主は戦争さえ取引としてとらえていました。
さらに事代主は続けました。
「たとえヤマトに国をゆずったとしても、国づくりの功は大国主様のものです。
わたしはなんとしてもヤマトの王権に挑み、わが身を賭してヤマトに出雲の爪痕を残しましょう」
大国主はしばらくうつむきながらじっと考えていましたが、顔を上げて、いいました。
「よくわかった。おぬしに頼みたいことがひとつある。
ヤマトに命じて、出雲に社をつくるように。それこそが出雲の国体である。
また、おぬしにヤマトの青垣(山)を与えてもらえるように交渉せよ。
そこで製鉄をおこない、少彦名の縁をたどって産業を盛り立てれば、ヤマトはぬしを頼るであろう。
ヤマトへはこの戦に参加した同盟国のめぼしい者も連れていき、ヤマト王権に士官させよ。
出雲の命運はおぬしに託した」
わたしはこのときに事代主が、若きタギシミミやカンヌナカワミミたちを連れて行ったのではないかと推測しています。
大国主は国譲りのあと出雲大社にまつられたとありますが、それはあるいは戦死を意味するのかもしれません。
しかし事代主がおらず、出雲が徹底抗戦の果てに敗れていれば、神話での出雲および大国主の評価はまったくちがったものになっていたはずです。
その点で、やはり事代主は大国主の運命を決定づける、奇魂・幸魂だったのでしょう。
そして事代主はヤマトで大物主となって、出雲とヤマトをつなぐ経済界のドンとなり、天皇の外戚の座を執拗に狙い続けました。
しかしわたしは、もちろん出雲に対して同情的ではあるのですが、だからヤマト王権がわるい、ともおもえないのです。
神武天皇はヤマトの主権がナガスネヒコに奪われぬよう、命をかけて奮闘しました。
天孫族からすれば、
大国主が関東の領有権を主張したとき、もしヤマトがそのまま受け入れていれば、それはヤマト王権が出雲の連合に平らげられることを意味します。
ヤマト王権は強大な国家が弱小国家を虐げるようにして国譲りを迫ったのではなくて、出雲の脅威に対してとことん必死だったのではないでしょうか。
欠史八代の争いも、それだけヤマトにいた多くの者が
まだ明確な国家がなかった時代に、神武天皇は見事に最高権力者としてあるべきビジョンをみせつけました。
個人的に神武天皇は、ある種の清潔さを感じる稀有な神であり、やはり偉大だったとおもいます。
【注】
ここでわたしは国譲りの話題で神武天皇を引き合いに出しましたが、国譲りの戦争はヤマトに饒速日がいたときに行われたものかもしれません。
神武東遷にタギシミミが参加していたのであれば、国譲りの戦争はそれ以前に行われていたことになるからです。
出雲に神が集まる神迎神事についてのお話をありがとうございます。
出雲の神迎えは神話にはなさそうなエピソードなので調べてみました。
これは平安時代あたりから形作られていった民間伝承なんですね。
和風月名の神無月というのは、もともと奈良時代から伊勢神宮で10月に行われていた神嘗祭(かんなめさい)から、神嘗月(かんなめづき)と呼ばれていたようです。
この嘗というのは、神々が新米を召し上がるという意味ですね。
神嘗祭では天照大神に新米を献上し、11月の新嘗祭では全国の神々、そして天皇に新米を献上します。
この神嘗月が平安時代に、八百万の神が大国主に会いに行く「神無月」へと解釈が変わっていき、出雲ではさらに「神在月」ということになりました。
民間伝承ですから、言葉遊びのようにして意味が変化してるんです。
八百万の神々が大国主、そして出雲に会いに来てくれるという物語は、大国主や出雲に同情した日本神話の読者をホッとさせる後日譚として、市民権を得たのかもしれませんね。
熱海の来宮神社では「大己貴命・五十猛命・日本武尊」の3柱をまつっているのですね。
こちらも来歴を拝見しました。
おそらく古くは明神信仰と権現信仰が混じる形で、標高700mほどの日金山を霊峰として、地元特有の神仏を崇敬していたのでしょう。
それで、「木の宮」から「来宮神社」になったようですね。
ご祭神の一柱である五十猛命は木の神です。
五十猛命はスサノオとともにソシモリへ行き、そこで日本にはない木の種を持ち帰って、大八洲をすべて山にし、紀伊の大神になったそうな。
紀伊の語源は「木」です。
来宮神社ではきっとむかしから、東国の民としての猛々しい誇りと、山の霊気にあやかり、ご神木をあがめるような、素朴な崇敬があったところなのでしょうね。
ところで、親から4月に、紀伊の熊野三山にお参りしないかと誘われました。
それで熊野についても調べていたのですが、つい最近、ある出来事が起こりました。
来年度、自治会の副会長をしていただく予定だった方に病気がみつかり、治療に入るということで、わたしが来年度、また副会長をすることになったのです。
自治会長・副会長は新年度にはあれこれと忙しいので、実家の母に電話し、旅行の話はキャンセルしました。
わりかし本気で残念なのですが、公共の役割ですから仕方ありませんね(笑)
あるいは今回熊野に行けないことも、なにかの暗示なのかもしれません。
きっとまた、呼ばれれば行けることもあるのでしょうし、焦らず待つことにします。
熊野について調べたことは、また機会があればお話ししますね。
さて、もう慣れてしまわれたかもしれませんが、今回もたいへん長い話になってしまいました(笑)
できるだけわかりやすくを心掛けてはいるのですが、なにせ今回も入り組んだ話でしたから、ややこしいとおもいます。
一万字を越えると、どこを拾って返信すべきかで悩まれるでしょうし、毎回心苦しくおもっています。
なにとぞご返信はご無理のないようにお願いします。
2026年1月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
先日は、お心のこもった数々、ありがとうございました。
温かい紅茶に高槻のはちみつを入れて飲ませていただこうと、小さいスプーンに1杯のせてみたら、スッキリした透明な色でキラキラし、とろ~~りとしているので、あ、これは紅茶に入れたらもったいないと、はちみつだけいただきました。
あまりのおいしさにびっくりしました!
これは、社交辞令でもなんでもなく、これほどおいしいはちみつは生まれて初めてです。
香りにくせがなく、とろみ具合もいいですし、まろやかで、ふっくらと甘い、という言い方は変かもしれませんが、とにかく幸せの味だと感じました。
百花蜜だからでしょうか。
口に入れた瞬間に広がる、ふくふくとした香りと甘さ、食べたあとに残る甘さの余韻は素晴らしいものでした。
スライスしたレモンをはちみつ漬けにしてみましたが、このはちみつは、そういったものやジャムに使ったりせず、そのままいただくのがベストだと感じました。
毎日少しずつ、大事にいただきますね。
たまごかけごはん用のお醤油はよく見ますが、だし巻き卵用というのは、とても珍しいと思います。
近々作ってみて、またお知らせします。
石上神宮のお守りなんですが、最初、枝のように見え、サボテンの柄?と思ってしまい、ごめんなさい。
発想があまりにおかしいですね(笑)
七支刀(六叉の鉾)というものを知りませんでしたが、それにしても石上神宮ならば、剣を連想して然るべきでした。
このデザインを選んでくださったこと、とてもうれしく思います。
今思い出しましたが、昨年の奈良国立博物館での特別展を機に、 七支刀の科学調査をしたとかで、NHKでチラっとですが観た記憶がありました。
ご神符とお守りは、バッグのお守り入れに
↑書き足し:お守りやお札は、寺社にお返しするときは「納める」ですが、バッグに「納めた」は間違いですね。収めるでいいのかもしれませんが、「おさめる」にしておきます(笑)
改めて、心よりお礼を申し上げます。
さて、長らくお待たせしましたが、No.1683のお返事です。
例によって話が順序だっておらず、支離滅裂で読みづらいことを、最初にお詫びします(笑)
「記紀神話で、紀元前から歴史がつながっているかのように、神代から初期の天皇の系譜までを長く引き延ばすレトリック」が多用されたということに、まず驚きました。
次に、「神話と実際の歴史の時系列を整えた」ということに、驚きを通り越し、感嘆と言っていいのか、驚異を感じたと言っていいのか、言葉に困りました。
神話と歴史は、話の内容に大きな差、違いがあるものだと思っていましたし、ましてや時系列のあいまいさ、ちぐはくさは、あって当然という認識でした。
中でも、神武天皇のありえない寿命は、アマテラスのひ孫のひ孫ということで、神の血を引いているからさもありなん、と、素直に信じていました(笑)
※書き足し ご存じでしょうが、武内宿禰は300才まで生きたと言われていますよね(文献により差がある)。天皇などと関わった記録もあるようですが、実際に長生きしたとは思えません。仙人だとか、何度も生まれ変わったとかいう話も聞きます。謎の人ですね(笑)
欠史八代ですが、2代から
欠史八代がほとんど存在しない、いたとしても神武天皇と崇神天皇の間にほとんど空白期間がない、と考えると、歴史の隙間が埋まります。
逆にいえば、神武天皇と崇神天皇の間に微妙な空白期間があったために、欠史八代が入り込んだとも考えられます。
この考え方には、圧倒されました。
空白期間をなくせば、おっしゃるとおり歴史の隙間がなくなるわけで、そうなると、2代から
だからこそ、資料などが残されていない。
そこまでして、2代~
三輪山のお話ですが、製鉄集団の長であり、神でもあり、ヘビ、そしてタタラ・・・。
妻の話に違いはあっても、出雲のスサノオの話が場所を変えて出現したような不思議さをすごく感じます。
倭迹迹日百襲姫命といい、イザナミといい、女性の陰部に箸が刺さったり、火傷をして死んだという逸話は興味深いです。
その逸話が事実かどうかはさておき、イザナミは一応神話では神様ですよね。
「なりなりて~~」にあるように、人間と同じ仕組みで妊娠し子を産むわけですから、確かに重要な場所ですが、単純なケガではすまず死に至ったということは、人間も神も等しく陰部から子を産むことや、女性にとっての重要な部分だと、強調したかったように思えました。
だいたい、
訂正:イザナミやアマテラスなどを、神と捉えず、巫女と考えれば普通のことなのですが。
アマテラスから崇神天皇までの「↓」で書かれた皇統、これが100年で一気に進んだというのも、とても興味深く感じました。
アマテラスの巫女即位から神武天皇即位までが20~30年というのは、神話の時代から天孫降臨までの期間がすごく長いと思い込んでいたので、実は短かったというのに驚きました。
時系列を整えることは考えられないくらい大変な作業だと思うのですが、山幸彦(書き足し):,ウガヤフキアエズノミコト,神武天皇の年の話でも、それが伝わってきます。
コノハナサクヤヒメとイワナガヒメのお話は有名ですが、そこから出雲のスパイの話、スサノオ、アマテラスにつながるのも、興味深く思います。
スサノウの「8」についてのお考えも、すっと腑に落ちます。
アヒラツヒメを知りませんでしたが、卑弥呼だったんですね。
卑弥呼ではなく、壱与と大物主の話も、なるほどなぁ、と、うなりました。
四道将軍のうち、3人は知りませんでしたが、吉備津彦命は、桃太郎のモデルになった人ですね。
昨年の12月、調布の布田天神社で、娘たちがご祈祷を受けたので同席しました。
七五三の子どもが多かったので、ご祈祷は短め(ちょっと損した気分 笑)で、女性の神職さんが(いつもは男性だそうです)、ご祭神である少彦名の紙芝居をしてくださいました←神社でそんなイベント的ご祈祷があることに驚きました。
少彦名は一寸法師のモデルになったと話していましたが、以前「一寸法師」の歌について調べていた時、そのことを知りました。
おとぎ話と神様は、なにかと関連がありますね。
出雲は、ヤマト政権によって平定されたんですね。
そして、出雲族は関東に強制連行され、大変な時代を乗り越え、実は1000年かけて葦原中つ国を平定した覇者となった。
これには、なんだか感動しました。
出雲系の歴史を語る人々のお話、おもしろいですね~。
そういう人たちが集まって陰謀を企てているのか、スピリチュアルなのか、ちょっと気になるところです。
出雲族だった人たちが成仏していなくて、現代の人に憑依して、再建を図ろうとしているとか。
なきにしもあらずです(笑)
「氷川神社の周辺をみても、鉄鉱山になりうる山がない」と書いていらっしゃいましたが、そういえば秩父の武甲山は石灰石の山だったと思い出しました。鉄鉱山と関連はありませんが。
以前それを書いた時、農園主さんが、
「人類の文明は道具をつかうところから始まりますが、鉄鉱石鉱山から鉄鉱石を採掘するようになったのが、「山を切り崩してじぶんたちの道具を得る」暮らしのはじまりでしょう。古墳時代には、島根県(出雲)のあたりで鉄穴流し(かんなながし)といって、山を削ってこの土砂を水に流し、土に含まれる砂鉄を採取するやり方で鉄を採集していました。
農具、武具、民具にと、当時の鉄の需要はすでに全国規模のものでしたが、出雲のたたら製鉄は鉄製品の需要を支える一大産業だったのです」と書いてくださっていました。
「山を削って土砂を水に流し、土に含まれる砂鉄を採取する」という行為や、そこから鉄を採集するという技術は、いったい誰が考え出したのかと、気が遠くなります。
未来からやってきた人間が教えたとしか思えません(笑)
製鉄に限ったことではないですが、人間というのは本当に怖ろしいくらい利口な生き物なんだな(だったんだな)、と実感します。
現代の人間より、格別に素晴らしいと思います。
農園主さんが書いていらっしゃいますが、大物主は酒造の神様でもありますね。
近くにちょっと本格的な感じの酒屋さんがあるのですが、数年前一度だけ、珍しいお酒を購入したいと思い、行きました。
大きな杉玉が中に吊ってあり、三輪山という札がついていました。
「大神神社」と書かれていたかは覚えていませんが、「三輪山」というのを見て、大物主のことを思い出し、すごいところの杉玉だなと驚きました。
今調べたら、大神神社の三輪明神へ新酒を奉納すると、木札を下げた杉玉を戴くのだそうですね。
そこは酒蔵ではなく、酒屋さんですが、なぜあったのか不思議です。
鹿島神宮と香取神宮のことですが、「東国三社参り」と言って、三ヶ所(書き足し:鹿島神社、香取神社、息栖神社)の神社を全部巡る習わしのようなものがあります。
一ヶ所欠けてもいけない、みたいなことで、セットで回ります。
出雲の国護り神話によると、鹿島神宮と香取神宮の御祭神が日本を平定し、案内した息栖神社の御祭神とともに東国に鎮座したといわれるそうです。
私は何年か前に、偶然三社ともお参りしましたが、神社という見方ではなく、物部氏と中臣氏と考えると、非常におもしろいですね。
また、案内したという息栖神社の御祭神は「久那斗神」ですが、天孫降臨で案内をした猿田彦と同一視される他、八衢比古(やちまたひこ)、八衢比売(やちまたひめ)と同神とも言われるそうです。
たくさんに分かれた道の道祖神という意味合いらしいですが、なんとなく、スサノウのヤマタノオロチを連想してしまうのは、妄想でしょうか(笑)
壮大なお話、何度も何度も読ませていただきました。
「物語」と言えば物語かもしれませんが、日本の起源を解説した、歴史的・学術的なご考察だと思います。
ありがとうございました。
ところで、石上神宮のそばには、布留川という川があるんですね。
近所に、布留川(ふるかわ)さんという方がいらっしゃるのですが、一般的には古川、古河と書くのに、珍しいなと思いましたが、日本の苗字ランキングを調べると、千葉県に非常に多い苗字だそうです。
石上神宮の布留川の他に、千葉の平将門伝説もあるようですが、その布留川さんの出身がどこかは知りません。
年末の仕事(コンサート)が無事済み、緊張の糸がプッツンと切れたので、今年の三が日は、徹底的にダラダラしてみました(笑)
家事はいつもと変わらずしましたが、家での仕事をしなかったので、誕生日あたりからツケが回ってきて、四六時中追いまくられました。
やっといくらか落ち着き、高槻のはちみつで、ほっこりまったりさせていただいております(それにしてもおいしい♪)
コンサートについては、たいして書くこともないのですが、ちょっとだけ。
クリスマスコンサートは、
♪もみの木・荒野の果てに・神の御子はこよいしも(パイプオルガンの音色で)の演奏
♪雪は降る(弾き語り)
♪伊藤市長と前橋市長の時事ネタで替え歌(卒業写真・ホテル)
♪映画音楽の主題歌で好きな曲をあげてもらい、その場で弾きました。シャレード、愛情物語、慕情、ひまわり。
♪ベサメムーチョ 弾き語り
♪アンコール曲・映画「エデンの東」の主題歌弾き語り
年末コンサートは、
♪↑の中から 替え歌と 雪は降る。
♪サマータイム
♪圭子の夢は夜ひらく
♪テネシーワルツ(江利チエミバージョン)
♪アンコール=「愛の讃歌」越路吹雪のではなく、元詞を訳した歌詞で歌いました
両方とも、二部は、参加者さん全員で歌う歌謡曲・唱歌の伴奏をしたので、一部の持ち時間は35分くらいでした。
替え歌は、ウケましたが、時事問題なので、今年はもう歌えません(笑)
まじめな歌では何度もブラボーをいただき、準備が足りなく不安な要素もありましたが(「雪は降る」は前日に決めました(笑))、まずまずの出来でした←自画自賛(笑)
1月も真ん中となりました。
近所にお住いの80才をこえた女性が、この寒さにまだほとんど暖房をつけていないそうです。
毎日ジムに通っていて、ウオーキングも欠かさないお元気な方ですが、私も見習わないと(笑)
寒いというより、冷えがつらいですし、加湿器を常時つけていないと喉が乾燥するので困ります。
時々はちみつを摂って、喉のダメージがないよう、気をつけます。
今年の雪の具合はいかがでしょうか。
冷えないよう、気をつけてお過ごしください。
2025年3月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
食べるものは薬ではないので、即効性はあまり期待できないかもしれませんが、徐々に改善されてくるのではないでしょうか。
身体の違和感や痛み、つらさがなくなってきたという実感の他、献血時の検査により数値でわかるというのは励みになりますね。
一週間の制限された食事で体調が戻ってきているということは、継続する意欲につながると思いますが、減量も食事制限もあまりストイックにならず、負担にならない程度で長く続けることが大事なのかもしれません。
絶食の事ですが。
今まで感染性の胃腸炎になったことが数回ありますが、ぜんぶ、上海から帰った時に限定されていました。
渡航していないのになったのは、今回が初めてです。
帰国直後、または帰国する最後の日から発症し、その都度病院へ行きましたが、一応検査はしても、結果が出るのはほぼ一週間後。
ビオフェルミンのような整腸剤しか処方されないので、治るまで神妙に待つしかありません(笑)
検査の結果は特に心配のあるものではなく、大腸菌によるもので、「渡航者感染症」と言われます。
どの医師も、「菌やウイルスを体外に出さないといけないので、下痢を止めてはだめ。水分は充分に摂り、絶食。食べたら治りが遅くなるし、症状がひどい時はお腹はすかない」と言います。
何度かそんなことを繰り返しているので、早く治したいなら絶食ということを、忠実に守りました(笑)
と言っても絶食のつらさはまったくなくて、医師の言うとおり、かなり良くなってこないとお腹はすきません。
今回、つらい真っ最中に、食べないとだめだよという人がいて、本当にイライラしました(笑)
説明するのもつらかったので、イライラマックスでした(笑)
その主人は、私から二日遅れて感染し、頭痛と嘔吐で、さすがに仕事は四日間行けませんでした。
半日ほどでいくらか落ち着いた時、何か食べると言い出しました。
食べないと仕事に行く体力がつかないという気持ちだったようです。
絶食しないと治らないと言ってるのに、どうしても食べるというので、しかたなく、おかゆにする?と聞いたところ、おかゆは食べたくないと、こともあろうにワンタンのカップ麺を作りだしました←年に一回くらい無性に食べたくなるので、一個だけストックしてある貴重品です(-_-;)
その結果、食べた直後、もののみごとにひどくなりました。
「だから、言ったとおりでしょ?」と鬼の首でもとったように言いましたが、懲りたのか、その後二日間絶食してました(笑)
上海に行った時は、当然水道の水は飲みませんし、生ものも食べず、気をつけているのですが、かなりの確率でお腹にきます。
一家全滅だった時もありました。
病院で言われたのは、その土地の常在菌みたいなもので、そこに住んでいる人は大丈夫なのに、外部の人にだけかかるという類いのものらしいです。
茨城県の鹿島神宮に行った時のことですが、池みたいなところでご神水を汲めます。
カラのペットボトルを売っている売店で、「私たちは子どものころから飲んでるからなんでもないけど、飲む時は煮沸してくださいね」と言われました。
ホームページにも、書かれています。
鹿島神宮では御手洗池の取水口より清水をくむことができますが、山水ですので必ず煮沸をしてから口にしてください。
ご神水で胃腸炎になったら、神様に文句を言いたくなりますね(笑)
海外でのことも、この神水も、いわゆる水が合わない、水あたりということなのでしょうね。(追記:ご神水は、お風呂に入れました)
先日娘も胃腸炎になり、39度以上の発熱、娘婿も感染しました。
どこからの感染かは不明ですが(時期的に私ではありません)、感染性胃腸炎は本当に猛威を振るっています。
沖縄の人やイヌイットなど、どこでも昔からの伝統食から現代的な食生活に移行してしまう傾向があるんですね。
最初にコロナが流行った時、日本人は外国人に比べあまり重症化しない(死亡率が低い)のは、日本人の食生活のおかげだという説がありました。
日本のどこの家庭でも食べている、和食中心の生活がいいということですね。
マクドナルドやミスドの長蛇の列を見ると、現代人の食生活を心配してしまいます。
私も年に数回は食べますが(笑)
EPAなどのお話、ありがとうございます。
血管内のプラークの説明もとてもわかりやすく、EPAの重要性を認識できました。
以前、魚肉ソーセージが非常によいということを聞いたことがあります。
それを思い出し、さっそく買ってきました。
「おさかなすきやね」、私も実行開始です(笑)
今日は、昼に納豆を食べたので、夜はワカメ・ちくわ(一応さかな)・シイタケ・エノキ・マイタケ・長ネギを炒め、バターをちょっぴり入れて、ポン酢で味付けしたものを作ります。
魚肉ソーセージはおやつにしました(笑)
陳皮の粉ですが、ずっとヨーグルトに入れ、混ぜて食べていました。
週一くらいなので、これからは毎日摂ろうと思ったのですが、乳製品の摂りすぎはよくないといいますので、スープやお味噌汁にでも入れようかなと考えました。
ここで、農園主さんが、「みかんの甘い風味と同時に粉山椒のような風味があって~~~」と書いていらしたのを思い出しました。
お料理にかけると、粉っぽく、均等に混ざらないと思い避けていたのですが、たまたま牛肉の佃煮を作ったので、振りかけて食べてみました。
もう3年以上食べていますが、初めて陳皮の粉の「味」がわかりました。
あ、こんな味だったのか~~と(笑)
ということで、ヨーグルトや汁物でなく、おかずにかけたりして、継続していくことにします。
「ギリギリのタイミングでこういった情報にたどりついたのも、ご縁があってのことだとおもいます」と書いてくださっていますが、それは私も同じで、プラスチックの薬を一生飲まなくてすみそうな情報、貴重なお話をこのタイミングで書いてくださり、ご縁を心より感謝しています。
こちらこそ、ありがとうございます。
そろそろ農閑期も終わりでしょうか。
忙しくなることと思いますので、ペースはくれぐれもご無理のないようにお願いします(*^。^*)
2024年10月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
あとの半分はというと、「そうせざるを得ない」んだとおもいます。
この「そうせざるを得ない」状態は、多重人格の人をたとえにするとわかりやすいのではないかとおもいます。
心の中に複数の別人格をつくる、不思議な精神病理なんですが、たいていの多重人格患者は、子供のころにひどい虐待を受けているというのです。
苛烈な虐待でこころがもたなくなって、べつの人格をつくって、逃げ場にする。
これはロゴセラピーでいえば自己距離化ですね。
でも、多重人格の子供は、そうせざるを得ないから、そうしたわけです。
子供ですから、ユーモアで自己距離化をはかることはできません。
虐待で精神が追い込まれていくうちに、だれからなにを教わるわけでもないのに、じぶんの人格を複数にわけてしまうんですね。
いま親から殴られているのは、じぶんではなくてもうひとりの〇〇だ、という具合に。
それで、虐待を受けるときの苦しみをべつの人格に負担させるために、別人格のリアリティが形成されていきます。
つまり、いま殴られている〇〇の性格や気質を、本来のじぶんとはまったくべつのものにして、できるだけ細かいディテールまで構築しておけば、より上手に苦しみを逃がすことができる。
別人格のリアリティが増せば増すほど、じぶん本体の苦しみを、別人格に負担させたつもりになれる、というわけです。
しかし多重人格は、自己距離化ではあるけど、もはや精神が崩壊した状態ですよね。
じぶんで人格の統一をコントロールできない状態になっているからです。
ほんとうは、そうなる前に対処しなければならないんです。
おそらくヴィクトール・フランクルも、ホロコーストの極限状況で、そして戦後じぶんの家族がみな収容所で亡くなっていたという事実を知ったとき、精神が崩壊するほどの苦しみを味わったはずです。
そのときに紡いだユーモアは、半分はロゴセラピーを実践するために、こころの持ち方をコントロールしたのだとおもうのですが、あとの半分はそうしなければ精神が維持できなくて、そうせざるを得なかったのだとおもいます。
人間はだれしも、じぶんの精神が破綻するくらいの苦しみに見舞われる可能性がありますよね。
他人を頼るわけにもいかず、じぶんひとりで苦しみ抜かねばならないこともあります。
そういうときにじぶんを他人事のように扱うユーモアを醸成しておくというか、じぶんのこころを救う手段のひとつとして引き出しをつくっておく、という感覚でしょうか。
ユーモアの引き出しをもっておくことで、精神が破綻する手前の状況をギリギリで維持するようなイメージです。
そういう意味では、ロゴセラピーの自己距離化は、禅や解脱と似てはいるんですが、より現実的に差し迫った危機に対処する心理療法なのだとおもいます。
自己距離化にフォーカスを当ててもうすこし続けますが、宗教だと神様の存在も自己距離化なんだとおもいます。
じぶんに起こる不幸や苦しみを、「神様が思し召しなのだから」といって前向きに受け止めるのは、じぶんに起こった出来事を神様というクッションで緩和してるんですよね。
人生がいくら苦しくても、最後は阿弥陀如来が救ってくれる、というような考えも、そうです。
つまり、神様視点でじぶんをとらえるという、自己距離化をおこなっているわけです。
だから、ロゴセラピーはこれまで人類がやってきたことの、理論化なんですよね。
なにかあたらしいことを言ってるのではなくて、「これまで人類がやってきた苦しみから逃れる方法を、カンタンにまとめてみました」という感じです。
わざわざ教わらなくても、人間は極限の状態になれば人格を分裂させてでも自己距離化をおこなってしまいます。
そういう意味では、解脱の修行や只管打坐のように、精神状態が平常のときにわざわざ無理して自己距離化をはかるのは、「スパルタすぎる避難訓練」みたいなもので、あんまり意味がないのかもしれません(笑)
ギズモさんがおみくじをひいて、「神の教」に書かれていたことで救われるおもいになったのは、キリスト教でいうところの「同伴者イエス」を得たような感覚だったのではないでしょうか。
おみくじというかたちで、目にはみえないけれどじぶんのそばに、必要なときに大事なことを伝えてくれる存在がある、という感覚が、ギズモさんの支えになったのではないかとおもいます。
人間は肉体もこころも、ひとりで生きていけるものではなくて、なにか支えが必要なんですよね。
取り越し苦労をしない、過去のことや未来のことを心配しないというのも、すこし深く解釈していかないと、実践がむずかしいようにおもえます。
ほんとうにまったく過去のことも未来のことも考えないということになると、人間として落第してしまいますよね(笑)
5年ほど前にベストセラーになった『ファクトフルネス』という本がありました。
あれは、国連の出しているデータをもとに、世界の事実(ファクト)を知ることで、ウソ(フェイク)に惑わされないようにすれば、いまやるべきことに集中できるし、安心して日々を暮らすことができるという内容でした。
タイトルの「ファクトフルネス」は、マインドフルネス(禅)とファクト(事実)を掛け合わせた言葉なんですね。
事実を知ることで、禅の境地のように、客観的・俯瞰的にものごとをとらえて、生きることに安心することができる、というような意味合いです。
その本によると、世界には問題点もあるし、不安になることもあるけれど、ただしい事実を知れば、安心できることもたくさんあるし、じつは世界がよくなっていることもわかる、といいます。
たとえば、世界にはいまだに飢餓や貧困がはびこっている、といいますが、国連のデータをきちんと読んでいくと、戦後、世界の飢餓や貧困の割合は改善されてきているといいます。
もちろん問題は残っているのだけど、決して絶望なんかしなくてよいし、希望がもてる状態なんだ、安心していいんだ、と。
なにが言いたいのかというと、われわれはどんな状況であっても、過去からなにかただしいものを学び取って、未来をいいものにしていく覚悟が必要だということです。
そうすれば、過去を悔やんだり、未来を恐れたりせず、いまやるべきことに集中できるようになる、という理屈ですね。
過去のことや未来のことを心配しない、という考え方はもちろんただしいんですが、そのためには過去や未来に対する前向きな学びの姿勢が必要で、ここが欠けていると、なかなかいまを生きる不安は取り払うことができないんじゃないかとおもうのです。
2024年7月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
アプリの数が多いとずいぶんと厄介な作業だと思います。
お疲れ様でした(o_ _)o))
ネッククーラー、お役に立っているようでよかったです!
去年、リング型の物を買ったのですが、すぐに冷たさを感じなくなってしまうのと、着け心地がゴリゴリ感満載で、引き出しにしまい込んでしまいました。
外で使用すると、すぐぬるくなってしまいますよね。
年々夏の暑さがひどくなっているので、もうちょっといいものが改良されてくるといいのですが。
かぐや姫、神話のお話など、さらに詳しいご説明をありがとうございます。
アマテラス・卑弥呼・壱与の関係性のお話は、ちょっとした衝撃で、興味を覚えました。
このあたりを少しだけ調べていて、私の好きな作家、帚木蓬生が『日御子』を書いていたのを思い出しました。
(書き足し)帚木蓬生の作品は殆ど読んではいるのですが、日御子はこの作家にしては珍しいのと、卑弥呼にさほど興味がなかったので敬遠していました。
近いうち、読んでみようと思います。
卑弥呼は小学校の教科書にも登場する人物ですし、邪馬台国がどこにあったかも書き換えられてきています。
やはり、日本の歴史を語る上では、欠かすことができない、重要なものなのでしょうね。
私の捉え方としては、歴史というより、神話に近いもののような気がします。
鬼の伝説の話を読ませていただき、大江山の酒呑童子のことは知っていますが、他になにかあったかと調べてみました。
そこで、こんなサイトを見つけましたが、農園主さんは、ご存じのことばかりと思います。
https://www.uminokyoto.jp/feature/detail...
ここで「土蜘蛛」という言葉があり、それが記憶に引っかかっていたのですが、京都の六波羅蜜寺(空也上人で有名な)の節分だったと思いあたりました。
節分に合わせて2回お参りに行ったのですが、ただ豆を撒くだけでなく、鬼ではなく土蜘蛛を退治する儀式がありました。
土蜘蛛は鬼だということを、さきほどのサイトで知りました←2回観ても理解できていなかったという(笑)
さらに、「鬼は土蜘蛛と呼ばれ、天皇に従わなかった地方の豪族といわれています」と書いてありました。
農園主さんのご見解のとおりですね。
また新しく興味のあるお話ばかり、ありがとうございました。
余談です。
お声がけをいただいたので、4月からさらに一ヶ所仕事を増やしました。
どこも月に2~3回なのですが、2日続くとけっこうな疲労があり、疲れが取れない状態が続いています。
特に、首肩の凝りがひどく、それに伴い頭痛もありました。
マッサージに行きたいと思いながら、仕事のイベントも控えていて、準備に追われ時間もなく、しまいには歯まで浮いてきました。
そこで、騙されたと思って(自分に使うことばではないですね(笑))、本当に簡単な、肩周りをほぐす(らしい)運動を3分ほどやってみたところ、不調が明らかに改善されてきました。
まだ1週間もたちませんが、こんな些細なことでほぐれるなら、もっと早くやっておけばよかったと(^_^;)
2024年6月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
教えてくださったハト・カラス対策にしても、痛い思いをすれば、それなりの学習をして来なくなる可能性は高そうですね。
ありがとうございます。
山がスポンジの例え、視点が独特で、理解しやすくおもしろく読ませていただきました。
このお話を読んだ時、渥美清の歌を思い出しました。
渥美清さんは、ご存知かもしれませんが、歌謡曲・唱歌なども、くせのない味わい深い声で歌っています。
ドラマ「泣いてたまるか」の主題歌も歌っているのですが、渥美清本人も出演していたようですね。
天(そら)が泣いたら雨になる 山が泣くときゃ水が出る 俺が泣いてもなんにも出ない
意地が涙を 泣いて泣いて泣いてたまるかヨ 通せんぼ
この歌詞を見た時、「山が泣いて水になって、人間の飲み水になったりするんだ、ユニークな歌詞だな」と思ったのです。
つまり、単純に川になって流れてくる、くらいにしか認識していなかったわけです←小学校でなにを習っていたのか・・・。
キャンディーズの、「雪が溶けて川になって流れて行きます」くらいの理解ですね(^_^;)
ところが農園主さんの記事を読み、「土のスキマ、スポンジ」という例えから、いろいろなことがわかってきました。
また、谷のお話も再確認しました。
そして、山の管理→信仰のお話も、とても興味深いです。
確か、昔は山のふもとに鳥居だけある、という所もあったように思います。
その後、お社を作ったりすることもあったのでしょうね。
本の写真も、ありがとうございます!!
「赤んぼ大将」の挿絵の時計は、ディズニーの「美女と野獣」のコグスワースみたいでかわいらしいですね。
主人公はじめ、和風ファンタジーの味わいがある、印象深い絵だと思います。
こういうものは、おとなになるとなかなか読んだり見たりする機会が少なくなると思いますが、農園主さんのように身近で触れて、ロマンのある素敵な時を過ごしていらっしゃることに感銘を受けます。
直売所の説明、ありがとうございます。
そういうシステムなんですね。
その地域は八百屋、肉屋、お豆腐やなど、今時珍しく小売店が連なっています。
そこで生き残るのは大変そうですが、いつもそのお店は賑わっています。
ところで先日、最近できた「ふかや花園プレミアムアウトレット」に行ってきました。
その帰り、「道の駅はなぞの」に寄るのも楽しみにしていました。
群馬寄りの埼玉で、渋沢栄一の生家、記念館などが点在しているところです。
ふかやネギのふっかちゃんも有名で、「道の駅はなぞの」の2階には、ふっかちゃんミュージアムも設けられています←すごく狭いですが。
この道の駅も野菜が豊富でした。
殆どが深谷産なのですが、特にキュウリのコーナーは圧巻で、20軒ほどの農家さんのキュウリが、100袋以上置いてありました。
深谷産ではありませんでしたが「おかワカメ」というおもしろい野菜を初めて見ました(買ってはいません)
15秒ゆがくと、ヌメリがでてワカメのようになるとか。
ところでパート2(笑)
このところ、ちょっと慌ただしくしていました。
仕事&母の亡くなった後の事務処理の合間、かなり久し振りに血液検査をしました。
アレルギーだけの予定が、医師に、血を採ったついでに一般血液検査もしますか?と言われ、します、と言ってしまいました(笑)
その結果、アレルギーは、スギ・ヒノキがものすごく、その他、まさかのエビが(◎_◎;)
カニは大丈夫でした。
食べてアレルギー反応が出るものが陽性になるとは限らないので、心配の必要はないそうです←エビ、大好物(´艸`*)
そしてコレステロール値が高く、引っかかりました。
お酒飲まない、タバコ吸わない、太っていない、油ものなどは食べない、それなのに・・・←ケーキ食べてるんでは??(^_^;)
そこで、頸動脈エコーを受けた方が安心と言われ、これも
その結果、ほんの少しだけプラークが見られるので、これがどこかの血管で詰まったら、という話になりました。
ただ、それを改善する薬は、けっこうな副作用があり、しかも一度飲んだら飲み続ける、というしろもの。
とりあえず薬は使わず、頑張ってコレステロールを下げます!!と宣言し、健全な食生活(なつもりなんだけどなぁ・・)と、運動を心がけるという事で、一生懸命歩きましょうということになりました。
両親ともコレステロールは高かったから遺伝性も考えられますが、ふたりとも薬は飲んでいないのに長生き、だから大丈夫・・・という前向きな(どこが?)考えで行きます。
コンビニジムも考えましたが、歩くことが一番のように思います。
頑張ります!! ← と公言しないと、頑張れない人(笑)
いよいよ暑くなってきて、作業も大変な時期になりますが、充分にお気をつけくださいね。
2024年4月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
介護の話の延長線上で、ぼくの場合はあくまで雑談として、うちで経験した介護と施設の話もしようとおもいます。
もう15年以上前になるでしょうか、母方の祖母が老人ホーム難民のようになっていたところ、たまたま実家の近くにできた新築の特養に滑り込むように入所できたんです。
それで、母は当時フルタイムの仕事をしていましたが、マメに施設や職員さんと関係性を築いたことで、公費のサービスとしては手厚いケアを受けることができました。
じつは施設の職員は、利用者当人とおなじくらい、あるいはそれ以上に利用者の家族について観察していて、その記録もつけてるんですよね。
ここで関係性を築いていないと、要介護の等級の認定なども、実際の状態より軽く認定されることが多いのだそうです。
もし利用者への聴き取りだけだと、当人はまだまだちゃんとやれている、といって外面をよくみせようとするので、等級が軽くなりがちなんです。
そのとき、家族が施設側とうまく関係性を築いていれば、ケアマネージャーに、利用者の「ほんとうの状態」を伝えることができます。
なにせ特養は介護保険で運営される公費の施設ですから、費用は安いのですが、要介護3以上でないとホームに入所できず、われわれとしてはこの認定をもらうのに必死でした(笑)
というのも、祖母は会話は達者でしたが、もう認知症が進んでいて、腰の骨も足の骨も折っているし、トイレでじぶんの大便を触って壁になすりつけるといったこともあり、家族で面倒をみるのは限界だったのです。
結果、祖母は「要介護4」の認定をしてもらい、施設に入所できました。
そのご縁で、数年後にうちの父方の祖母も認知症が進んだ際、おなじ施設が運営しているデイサービスを利用させてもらいました。
さらにその後自宅で骨折したり、軽い脳梗塞を発症したりと問題が起こり、自宅での生活はもう危険だという状況になったのですが、たまたま施設の職員さんから空き部屋が出たという連絡をいただいて、母方の祖母とおなじホームに入所することができたのです。
フロアはちがいましたが、おなじ施設でふたりの祖母をみてもらうことができたのは、家族の負担面でも大いにありがたかったです。
母方の祖母は7年ほど前、施設で最期の看取りをすることができました。97歳でした。
父方の祖母は5年ほど前、熱を出して入院し、深夜、ひっそりと亡くなりました。94歳でした。
ふたりとも老衰ということになります。
父方の祖母はふだんからじぶんのことで人をわずらわすことを嫌う人でしたから、祖母らしい最期だったとおもいます。
孤独な最期ではありましたが、亡くなる2週間ほど前、施設に家族みんなで会いに行ったんです。
すると祖母はもう老衰で弱っており、会話はできるものの「目が見えない」といい、じぶんの最期を理解していたのか、「ほな、帰るわ」と告げると、みんなに向かって「おおきに。さいなら」と言いました。
虚をつかれて家族みんなグッときてしまい、その場を取り繕うように「また会いにくるで」といいましたが、結果的にあれが最後でした。
もちろん施設に入所してからも家族の負担はそれなりにきつかったのですが、施設という受け皿がなければ、両祖母ともに穏やかなお別れができなかっただろう、とおもいます。
千葉県は富士山の火山灰による地層で、水はけのよい農地が多いようですね。
日本海側のように晩秋以降雨に悩まされることもありませんから、晩秋に収穫期を迎える落花生は、よいものが収穫できることでしょう。
そのほか、場所によってはごぼうなどの、根が長い根菜もつくりやすいとおもいますが、大浦ゴボウの産地なんですね。
あれはうちのような粘土土でもつくりやすい短い根の品種で、煮物にするとやわらかくて風味がよくて、バツグンにおいしいです。
しかし軟弱地盤が多く、また太平洋側に突き出た半島ですから、地震や台風では大きな被害が出ることがあるようですね。
特産品を調べてみたのですが、たしかにウェブでは落花生の一本調子でした。
ただ、どうも海産物では伊勢エビの漁獲量は日本一なんだそうです。
また農業に関してはかなりさかんで、ぼくがつくるようなすこしニッチな野菜の生産に力を入れているように感じます(笑)
高齢者施設の会計担当となると、うちのような戸数が20件を切った田舎の自治会の会計とは比べ物にならない煩雑さだろうとおもいますし、断れるものなら断りたいですよね(笑)
うちの場合はもう後がないというか、腹を決めてやらざるをえないというところまできているので、逆に気分的にはラクかもしれません。
自治会内の雰囲気もよいですし、むかしに比べるとやりやすくなりました。
きょうはいまから予算会です。いろいろやりやすいように変えていこうとおもいます。
ギズモさんもあわただしい日々が続いて気苦労がおありとおもいますが、どうかお疲れの出ませんように。
2024年3月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
大々的に並ぶので、それなりに売れているようですね。
他に暦を出版しているところが少なく、ほとんど目につかないので、よけい売れるのかもしれません。
年始に寺社でご祈祷をしていただくと、神饌の他に、ぺらっぺらのうす~い暦をいただけます(販売もしていたように思います)。
編纂しているところが寺社で違うせいか、暦の解釈も多少違ったりします。
九星は生まれた年で9種類、十二支も生まれた年ですが12種類、西洋占星術だと年は関係なく12種類(最近13種類とする説もありますが)。
それぞれ興味はとてもありますが、同じ年生まれの人、または同じ星座の人が、同じような性格であったり、同じような人生を歩むとか、それはちょっとないのではないか、と思います。
例えば、2024年の山羊座生まれの赤ちゃん全てが、似たような性格で似たような生き方をする確率はどのくらいなんでしょうね。
確かに統計学として似通った傾向はあるのでしょうが、「信じる信じないはあなた次第」の世界かもしれません。
昔、高校の同級生の男子が、偶然にも同じ誕生日でした。
まじめなのはいいのですが、どうも好きになれないタイプでした←たぶん向こうもそう思っていたはずです(;一_一)
四柱推命や奇門遁甲は、生まれた場所や時間も必要とするので、より詳しくなるのは当然ですよね。
占いの話になってしまいましたが、こういうものは、心のよりどころ程度に思っておくのがいいんでしょうね。
お天気は本当に悩まされますね。
4月以降に急に忙しくなると、どうしても無理をしがちだと思いますが、今のうちにしっかりと体力を温存し、備えてください。
♪つくしの子が恥ずかしげに顔をだ~します♪という歌を思い出しました(笑)
ふきのとうはスーパーでも並びますが、つくしが売っているのは見たことがないような気がします。
2024年2月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
スコア51で、レベルはE+
「どこだったかなー、えーと、あ、ここだ」
と時間をかけて記憶の引き出しをたぐっていたのが、だんだんと感覚的にタイピングできるようになってきました。
入力時間は4分だったのが2分まで短縮。
きょう一日で50回くらい練習してるので、150分くらいはタイピングしてた模様。
よい農閑期です。
2024年1月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
昨夜帰宅してすぐテレビをつけたら、「妙義神社」という言葉が聞こえました。
出川哲郎の、電動バイクで充電しながら旅をする番組だったのですが、昨日は群馬を横断する企画で、以前詳しく教えていただいた群馬の妙義神社に立ち寄るということでした。
番組の最初の方だけでしたが、妙義神社に行っても神職さんに話を聞くわけでもなく、ちょっとがっかりです。
でも、地元の人が妙義山の上の「大」の字の説明で、「妙義大権現」と言っていました。
土地の人は大権現という呼び名で長年親しまれてきたのでしょうね。
https://tver.jp/episodes/epnv0y7veg
パクチーの説明、ありがとうございます。
日本のスーパーで売っているのは、切りミツバのように、まっすぐきれいに揃ったものです。
中国だと、普通のミツバのように、根もついて、袋にたくさん、無造作に詰められています。
そう言えば、日本の中国料理でパクチーを見たことがないように思います。
タイ料理やベトナム料理のお店でパクチー増量ができるところもありますが、100円でお寿司屋さんのお醤油の小皿にパラッとくらいなので、本当に高いです。
誤解というか、私が勝手に思い込んだわけです。
思慮が足りず浅はかなところが多い反面、深読みするタイプなのです(笑)
ネットでの人づきあい(農園主さんをのぞいて)は、リアルより厄介なことが多いです。
何かを発信するということより、フォロワー数を増やしたり、ネット上のつきあい(コメントのやり取りなど)を重視している人が多いように思えます。
フォロワー数やコメント数をまったく気にせず、日々黙々と投稿している人は、ジャンルに関わらず、フォロワーを増やそうと躍起になっている人たちよりいいこと書いてるなと思うことがしばしばです。
農園主さんが別にブログを作った場合、コメントに返信しないというのはいいことだと思います。
コメントは、読むことでも返信することでも、時間や精神的に負担がかかります。
コメントを重視すると、思うことが書けないこともあるので、次のブログはそういったことを気にせず、自由に書いてほしいな、と思っています(*^^)v
↑ このブログでさんざんコメント攻撃しているおまえが言うな、という自問自答(笑)
余談ですが、あちらで、昨年数人の方が亡くなりました。
私はそのうち、女性おふたりとしかやり取りはなかったのですが、フォロワーさんも、その時は大騒ぎして記事にしたりコメントしていても、一週間も過ぎたら話題にものぼりません。
それがいいとか悪いとかではなく、SNSでのおつきあいというのはそういうものなのだ、と私は思っています。
自然を畏れて生きる、これはまさに人間だからこそできることですね。
自然を敬い、自然を畏れ、自然に祈ることから始まった古代の信仰を、忘れてはいけないと思います。
サッポロ一番は、ぼくも塩ばかり食べていました。
カップ焼きそばにバター醤油、いいですね。
ぼくはインスタント麺に茹でおきの野菜を加えるんですが、そうでもしないと常食するとカラダを壊すかもしれません(笑)
中国でもパクチーがよくつかわれているとのこと、日本の中国料理ではほぼつかわれていないので、上海でつかわれているといわれて一瞬不思議な気がしましたが、もしかしたらアジア圏でパクチーに抵抗がある人が多いのは日本だけかもしれません。
蒸し鶏、五香牛肉にパクチー、どれもあたらしい世界が開けそうですし、おいしそうです。
教えていただいてありがとうございます。
ことし、パクチーをそだてるスペースがあったら栽培してみようとおもいます。
パクチーは軟弱野菜ですが、おそらくやわらかく食べられる適期が短く、それなりに大きく育つので、すこしでも適期を外すと繊維が強くなってくるのだろうとおもいます。
日本では需要が少ないので値段も高くなるし、需要が少ないために供給量も少なくなり、やわらかいうちに出荷するサイクルがなかなか確保できないのかもしれませんね。
有料記事の件は、誤読を招く書き方でした(笑)
正直にいうと、いま、ネット上の人付き合いはギズモさん以外にはありません。
ぼくは人付き合いが広がらないタイプなんです。
つぎにあたらしいブログをつくっても、コメント欄に返信をすることはないことでしょう。
ここもべつに検索エンジンを拒否しているわけではないのですが、どうやら、ほとんど人が訪れることはないようです。
2023年12月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
先日行った神奈川県の六所神社が総本社だと思っていましたが、HPにはそのような記載もなく、気になるところでした。
「火の鳥」は何回か読みましたが、だいぶ前なので殆ど忘れています。
今度、しっかりと読み直してみますが、手塚治虫は本当にすごい人だったんだな、と改めて思います。
猿田彦の多様性。
巣鴨の駅近くにある、薬師如来の真性寺→とげ抜き地蔵の高岩寺、そしてそこから10分ほど歩くと、「猿田彦大神庚申堂」という、普段は無人の小さな小さな神社があり、
ご祭神は、天津祖庚申猿田彦大神・地津主甲子大己貴神・人津霊己巳小彦名神となっています。
このすぐそばの都電(現在、都内ではこの路線だけです)の停留所名が「庚申塚」です。
ここは、奉賛会が管理しており、社務所もなければ神職も常在していません。
https://www.sugamokoushin.com/index.html
↑に何件も動画はあるのですが、 ↓ が一番様子がわかりやすいと思います。
狛犬ではなく、狛猿です。
https://www.sugamokoushin.com/newpage3-2...
農園主さんのご見解のように、庚申信仰との結びつきだったんですね。
なぜ、庚申塚に祀られているのか、わかっていませんでした。
だいぶ前にお話したかもしれませんが、曾祖母が猿田彦を(も)信心していました。
四国をお遍路した人でしたので、空海は信心していたようですが、他にも薬師如来、猿田彦などを信心していたみたいなのです。
母が、私の曾祖母が唱えるのを聞いていて、弘法大師のご宝号と薬師如来の真言を知っており、
私も小さい時から「南無大師遍照金剛」「オンコロコロセンダリマトウギソワカ」という、呪文みたいなものを何度か聞いたことがありました。
曾祖母がある時夢を見て(夢ではないと言っていたそうな)、天井を突き抜くような毛むくじゃらの大男が出てきて「なぜお前はわたしを信じなくなったのだ」と聞いたそうです。
曾祖母が何と答えたか、その後信心はどうなったのか、聞いたはずですが覚えていないのが残念です。
コロナが流行り始めた頃、伊勢の猿田彦神社の火打ち石に、「行く道を祓い清める」というご利益があると聞き、電話で問い合わせをし、送っていただきました。
それ以来、家を出る前、帰宅後はカチカチやっています。
お参りに行きたいと思いながらも伊勢までは行けないので、他の猿田彦神社を探したところ、農園主さんがお書きになっている鼻節神社を見つけました。
結局行かなかったのですが、子どもの頃から時々行っている巣鴨の猿田彦神社が、小さいながらも境内社でも末社でもないので、近くていいかなと(笑)
境内社・末社としてはところどころで見かけます。
↓ の画像は、埼玉県岩槻市の「岩槻久伊豆神社」の境内に祀ってある猿田彦です。
やはり天狗、庚申の文字がありました。
猿田彦大神も、私にはご縁があると思えます。
「六」の意味、とてもよく理解できます。
神仏習合と神仏分離は、様々なことにおいて、やはり大事なポイントなんですね。
今回も、いろいろなことが農園主さんのおかげでスッキリしました。
ありがとうございます<(_ _)>
全国の六所神社はそれぞれ、その土地周辺の六つの神社を合祀したもの、あるいは六柱の神々をまつった神社、という程度の意味のようです。
祭神もバラバラで、全国の六所神社を束ねる総本社があるわけでもありません。
なぜ全国の六所神社が、「六」という数字を選んだのか、「六所」という名前を選んだのかという点について、今回も最終的に謎解きのようになるカタチで、話します。
今回はちょっと話にまとまりがない、というか、複雑多岐にわたるので、覚悟してお読みください(笑)
ギズモさんは、六所神社からシオツチノオジを発見されましたので、まずそこから話をします。
宮城県の塩竈神社の別宮である塩釜六所明神には、六柱の神(猿田彦、事勝國勝、塩土老翁、岐神、興玉命、太田命)がまつられていますが、それぞれ名前がちがうだけでおなじ神なんだそうです。
それでふと気づいたのが、手塚治虫の『火の鳥』です。
火の鳥は、人間の輪廻転生を描く大作なんですが、この作品によく出てくるのが、猿田彦です。
どの作品にも、名前と人格を変えながら、猿田彦とおもわれる人物が出てくるのです。
まるで塩竈六所神社の祭神のように、みんなちがう名前なのに、おなじ猿田彦なんですよね。
手塚治虫の描く猿田彦は、鼻の長い男です。あるいは作中で突如鼻がふくれあがってしまう、という場合もあります。
これは、猿田彦が天狗信仰と結びついているという伝説からそういう描写にしたのでしょう。
ところで、猿田彦と天狗が同一であれば、シオツチノオジと天狗は同一なのでしょうか。
……しかしどうもこの三段論法は通じないようです。
シオツチノオジと猿田彦は同一です。
猿田彦と天狗は同一です。
しかし、シオツチノオジと天狗は同一ではありません。
仙台にある塩竈神社から東へ6kmほど離れた、太平洋の海岸沿いに、「鼻節神社」という神社があります。
ここの祭神は猿田彦の一柱です。
式内社ですから、由緒は古いです。
猿田彦と鼻節神社、ここから天狗信仰と猿田彦が結びついていった、と考えられそうです。
鼻節神社にはシオツチノオジはまつられていませんから、シオツチノオジは天狗とは結びつかないという理屈にもなります。
話があちこちにいって申し訳ないんですが、手塚治虫は、猿田彦という神のつかみどころのない多様性に注目していたのだとおもいます。
火の鳥に出てくる猿田彦は、おなじような風体でありながら、ちがう時代に、ちがう人格で登場します。
かれは物語の水先案内人であり、同時に主人公でもあります。
こういう描き方をした手塚治虫は、日本神話の重要人物でありながら、形を変えてあちこちに登場して水先案内をする猿田彦という神のことをよく調べていたのでしょう。
ところで、この猿田彦の多様性を説明するキーワードは、「岐の神」だろうとおもいます。
「岐」には、クナド・クナト・フナドなどいろんな読み方がありますが、もともとはイザナギが黄泉の国でイザナミと対決し、戻るときに「これ以上来るな」といって投げた杖が、来名戸祖神(クナト祖神)に変化し、これが岐の神であるというのです。
岐の神は、道祖神の意味もあり、道祖神と猿田彦もおなじであり、シオツチノオジともおなじ神であるともいいます。
道祖神ですから、つまり水先案内の意味を持つんですよね。
さらに興味深いのは、岐の神は仏教と習合していて、庚申信仰と結びついていたらしいのです。
そして仏教における地獄の六道(六趣)から衆生を救う「六地蔵」と、道祖神である岐の神がむすびつきます。
ここで話がもとに戻るんですが、六所神社。
なぜ六なのか、ということなんですが、ここからは毎度おなじみぼくの憶測の論理展開です。
これはやはり、神仏習合と神仏分離が絡んでるんじゃないでしょうか。
まず、地獄の六道の考えが神道と習合します。
そして六道から衆生を救うために、六柱の神様をまつる、あるいは六つの神社を合祀する。
六地蔵だとそのまま仏教になってしまうので、地蔵の部分を神様や神社にしたというわけです。
しかし神仏分離によって、仏教の六道、六地蔵の部分が由緒から抜けて、全国に六所神社という名前だけが残ったことで、ややこしくなった。
以前とおなじく、これも憶測ですから、ほんとうはちがう可能性もありますが、なぜ「六」なのかというひとつの推測にはなるようにおもえます。
きょうもそこそこの字数になったので、ぼくの相性の良い神仏の話については、次回以降ということで(笑)
2023年11月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
正岡子規はあまり読んだことがなかったのですが、さすがによくご存じでしたね。
何かのきっかけがあって、得るものが増えていくというのは楽しいものです。
農園主さんの説明は、とてもわかりやすいです。
禅宗はあまり関心がなかったので、特に調べたことはありませんが、禅問答は、わかるようなわからないような、でもおもしろいです。
ひたすら座禅を組んでいる、というイメージがあります。
自分の中に仏性がある、というのは、それだけでなんだか救いがあるように思います。
内側に意識を向けるというと、内観みたいなものでしょうか。
密教で行う阿字観とも違うようですね。
宗教と異なる瞑想もいろいろあって、範囲が広いです。
意識を、地面から空、空から宇宙に向けて行くというような瞑想を以前やったことがありますが、数日で挫折しました。
何も考えず、心を無にしている時間というのは大事だと思いますが、ついつい余計なことが思い浮かんでしまいます。
小乗仏教は、「選ばれた修行者」のためなんですね。
以前教えていただいた、熊野権現、本地垂迹のことは、とても興味があって、浅くですが調べてみたりしました。
仏教も神道も、知れば知るほど(そんなに知っているわけではありませんが)、よけいわからなくなったり疑問がでてきたりします。
とげ抜き地蔵の近くに、仏教学部がある「大正大学」があるのですが、社会人講座を受講したいと思いつつ、一度も行けていません。
クマの話、考えさせられました。
こういうことにちゃんと目を向け、実践していく政治家などがいないものでしょうか。
最近の政治家は、みんなピントがずれているようで、日本は先進国からどんどん取りこぼされていくのではないか、と常々思っています。
病牀六尺での正岡子規の言葉は、禅宗における悟りについていってるんですよね。
禅宗というのは仏教の中でも非常に不思議な宗派で、個人主義的です。
大乗仏教は大衆のため、小乗仏教は
座禅、マインドフルネスが西洋でウケたのは、禅宗の個人主義的な雰囲気が西洋の気風に合ってたのでしょう。
禅宗では「只管打坐」でひたすら座禅をするんですが、禅宗の僧侶いわく、いくら座禅をしても悟りは開けないのだそうです。
仏教とは悟りを開くための宗教なので、いくらやっても悟りが開けないというようなことをどうしてやるのか、ということになります。
言葉で説明できるようなことでもないのかもしれませんが、禅宗では、じぶん自身の中に仏性(悟りの素)があるという概念があって、座禅をすることでじぶんの内面にある仏性に肉薄しようとするわけです。
ところが、いくら肉薄しても、悟りが開けることはない。
むしろ、座禅して外側の情報をシャットアウトしていると、どんどんじぶんの内側に意識が向くわけで、生きているという感覚が強くなります。
結局、悟るとはつまり、じぶんがただ生きるままに生きているということである、ということにつながっていく。
そういうところを子規は理解して、「悟りといふ事は如何なる場合でも平気で生きて居ること」と述べたのではないかとおもいます。
子規が悟りについて書いたのは死の3か月前ですが、まだ34歳の男が結核による耐えがたい肉体の苦しみにあえぎながら、精神がこの苦しみを克服して「平気で生きて」いられないものかと右往左往し、死の直前まで日記を書き続ける様子は胸に迫るものがあります。
ありがとうございます。
記紀の書き方、事情聴取で会話を書きとめる人みたいですね。
ただ淡々と記録していくイメージ。
玉虫色だからこそ、多くの学者たちが、ああでもない、こうでもないと研究し、様々な説が生まれるのでしょうね。
お墓の問題は切実ですね。
毎年お寺に納める護持会費はけっこうな負担になりますし、その他にもお盆だの年忌だので、延々とお金はかかります。
今の若い世代の人がお墓を維持していくというのは、難しい時代なのかもしれません。
うちは有名なお寺にお墓があるとか、法事に何人来たとか、そういう施主の見栄のようなものが薄くなってきているのと、
お金をかけられない(かけたくない)人が増えているんだと思います。
だから、墓じまいが一種の流行みたいになるほど、多くの人に受け入れられている。
坊主丸儲けの時代ではなくなり、神社やお寺が収入を確保していくには、今まではなかった工夫が必要になってきていると思います。
初詣のような大きな行事は別としても、お参りする人は減ってきているようです。
寺社仏閣が、お参りというより、観光スポットになってきていると感じます。
よくお参りする巣鴨のとげぬき地蔵では、コロナが流行し始めた年から、正五九、この年3回の大祭をとりやめました。
昨年あたりからは復活したのですが、以前は本堂(畳)がぎっしりと人で埋め尽くされ、立って見ている人が満員電車のようだったのに、
今は、本堂に置かれた椅子が40脚くらいなので、40人ほどと、立っている人がチラホラです←畳に置く椅子を購入したようです。
縁日のある4がつく日さえ、参道はさほど混んでいません。
お団子屋さんはそこそこ並んではいますが、混んでいるのは、殆どの客が高齢者という珍しいマクドナルド、比較的若い世代が来るコメダ珈琲、星乃珈琲です。
成田山新勝寺でも、授与所にいる方が「コロナで休止していたご祈祷が再開されても、前から来ていた常連さんたちが全然来なくなりました」と言っていました。
とげぬき地蔵でも新勝寺でも、他の寺社仏閣でも、お参りを習慣的にしてきた世代の方が、亡くなったり年老いたりで来なくなったということが、ずいぶん影響しているんだなと思いました。
とげぬき地蔵では最近、毎日、「復興成就、疫病退散」の特別祈祷を行うようになりました。
20分間のご祈祷と、終わった後10分足らずの法話があります。
たまにしか行きませんが、内容は毎回違います。
ボードに絵や単語をはり、とてもわかりやすくお話してくださいます。
先日は、正岡子規「
子規は病床で、悟りというものを
「如何なる場合にも平気で死ぬることかと思って居たのは間違ひで、悟りという事は如何なる場合でも平気で生きて居ることであった」
と、書いたそうです。
「騒がず驚かず、落ち着いて穏やかな気持ちで生き続けること」が大切、との法話でした。
えあ草紙で読んでみましたが、この箇所を探すのが大変でした。
「平気」という言葉も調べ直してみました。
撮影は禁止だし、誰も法話をメモしたりしていないので、必死で覚えてくるしかないです(笑)
https://news.yahoo.co.jp/articles/43acd6...
とりあえずそんな議論より、国内で食肉の流通を……そうですね、まず5年間ストップしてみましょう。
生産も輸入もしないわけです。
スーパーに行っても、豚肉も牛肉もない。
鶏卵を取ったあとの親鶏の肉、牛乳を搾った後の乳牛の肉くらいは置いてもいいかもしれません。
そしたら、自然と日本中の山からイノシシもシカもクマも姿を消しますから。
サルもいなくなるかもしれません。
どこにも肉がないとなれば、山から調達するしかないでしょう。
狩猟肉がネットなどでグラム1000円以上で売られるようになり、それらが飛ぶように売れる。
肉を取引したい人たちがわざわざ中山間部まで訪れて、お金を出して引き取るようになる。
いま、補助金をもらってただ殺すための狩猟をしている猟師が、食べるための狩猟をすることができて、しかもそれで生計まで成り立ちます。
そしたら人間と動物の棲み分けみたいな問題、すぐに解決します。
林業もおなじで、海外から木材の輸入を制限してしまえば、日本中の放置された針葉樹が伐採されて、次の苗木が植えられる。
花粉症なんてあっという間になくなります。
食肉、木材、そしてもちろん野菜やコメなどの農産物について、いかにいまの日本が、資本主義の名のもとにおかしなことをしているか。
たかがクマが暴れている、という話のようでも、じつはこれは日本の構造そのものにかかわる話であって、動物愛護団体の言い分や殺処分する側の言い分というような問題に矮小化してしまうのは、それこそ「獣を逐(お)う者は目に太山を見ず」(木を見て森を見ず)というような話なのだろうとおもいます。
#与太話
ありがとうございます。
そう言っていただければ、栽培した甲斐があります。
寿司の容器について、スプーンのほうがやりやすいと言ったのですが、10貫用のあたらしい寿司容器は、ふつうにしゃもじで酢飯を入れてふたで押すだけでよいように、工夫がされていました。
おなじ貝印でも、すこしいいものを買うと、細かい部分がずいぶん使いやすくなっているのだな、と感心しました。
もしおなじものを購入しておられるのであれば、スプーンではなく、しゃもじに対応していましたので、すみませんが訂正ということでよろしくお願いいたします。
シュッとして、生き生きとしています✨✨✨
心を込めて育てたことが、伝わってきます。
ベカナ、確かに買った覚えありますが、似たようなものがあった気もします。
10巻用、届いたんですね。
何をのせようか、考えるだけでも楽しいです♪
チンゲンサイです。

ベカナです。

春菊です。
お寿司の容器が届きました。
#野菜
古事記も日本書紀も、おそらく多くの人の意見を聞きながらつくられたのだろうとおもいます。
たとえば多くの人が集まって「あのとき、どうなっていた」という議論があったとします。
そこにいた人々が、「あのときは、こうだった」「いや、微妙にちがう、あのときはこうだった」という話をする。
しかしそれを書き留める人が、それを「ほんとうはどうだったんだ」と問い詰めたり、「どれかひとつにまとめてくれ」とは言わずに、すべて書き並べてしまうんですね。
これが記紀の書き方のようです。
いわば、非常に玉虫色で……読み手は解釈がわかれるような書き方に翻弄されますし、現代人は特に、こういうはっきりしない書き方を嫌うのではないかとおもいます。
東京はビルの中に出雲大社があったり、タワーの中に大神宮があったり、神道もずいぶんコンパクトになってるんですね。
都市部ではお墓参りもデジタル化されているといいますが、うちのあたりの田舎では、コロナ以降にようやく自治会総出の葬式がすたれてきて、各々が家族葬ですませるという、都市型の葬儀に追い付いてきたところがあります。
大阪に住んでいた感覚でいえば、10年から20年ほど遅れています。
都市型の祭礼のありようにならうとすれば、あと20年もすると田舎でも神社の境内の管理などが行き届かなくなって、土地が整理されて社務所の中に小さな社をまつって、そこで細々と行事を行うということになるのかもしれません。
土地余りの田舎でも、信仰はどんどんコンパクトになっていくのだろうか……とさすがにいまの時点では想像もつかないことですが、遠い未来ということになると、あり得るかもしれないとおもいました。
2023年10月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
個人的には受信することがやめられないのではないかとおもっていたのだけど、こちらはそう苦でもなかった。
言い訳のようにおもわれる時期も過ぎたのでいうけれど、ぼくは旧Twitterの政治活動家のアカウントを複数みていて、極右から極左まで、もちろんその間に属するいろんな政治アカウントの意見を吸収していました。
中には宗教学者もいたし、実際の各宗教の宗教者の意見もみていました。
そういう人たちは強い思想を持っていますから、ぼくがかれらの意見に感化されることも多いし、社会問題のほんとうのところや、社会が抱えている欺瞞にも気が付くようになります。
ところが、そういう欺瞞やほんとうのところがわかっても、家族であったり、あるいは近所の人とたまに政治の話題になると、ぼくが持ってる知識なんて、なんの意味もないんですよね。
だって、みんなじぶんの向きたい方角をみていて、じぶんの見えたものしか信じていない。
ぼく自身もじゃあ、いろんな立場の意見を聞いたからといって、その理解が「正しいのかどうか」、まったく自信がありません。
で、最近ふとこうおもった。
「政治活動家たちは、じぶんの思想によってああだこうだTwitterで発言しているけれど、実際の政治家ではないし、ほんとうの政治的思惑や、社会で実際に起こっていることは、結局当事者以外がそうカンタンに読み解けるものではないんじゃないか」
そういう意味合いのことを、ぼくは844の記事で書きましたが、つまり、いったんネットの情報を遮断して、世の中の速度を気にせず、本や地域の情報から理解すべきことがあるんじゃないか。
ある約束があったので、Twitterのアカウントを削除することには抵抗もありましたが、もう何か月もだれからの連絡も反応もない状態でしたし、農業系の情報さえ、ことしのじぶんの農業の成績を考えると気分が荒れるので見る気がしませんでしたから、もういいやとアカウントを削除して、ニュースも社説を読む程度にとどめ、生活に集中することにしました。
その試みは、うまくいったとおもいます。
むかしのTwitterはログインしなくてもアカウントの情報がみられたので、つい中毒的に閲覧していましたが、いまのTwitterは要塞と化していて、ログインしなければ情報がみられません。
いざ見られないとなれば、それはそれで納得してしまうものです。
現実に感覚を向けると、秋の虫の音がすこし落ち着いてきたことや、キンモクセイのいい匂いがするようになったことなど、季節の変化に気持ちが行き届くようにもなりました。
去年はひと株が大きかったけど歩留まりはわるくて、ことしはひと株は小さいけど歩留まりはよいです。
イモのひとつひとつは大きいものも多く、感覚的には上出来です。
これだけ雨が少なく、近代以来の最高気温といわれる中で、よく育ってくれました。
#野菜
2023年9月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
端から端までたった25kmほどの島なんですが、拡大していったときに、小さい島がびっしり都市化されていましてね。

なんでこんな小さい島がこんな発展してるんだとおもって、調べてみたら、どうやらタックスヘイブン(租税回避地)でお金を集まる場所のようです。
人口は7万人ほど。GDPから平均した国民の所得は7万~8万ドルほどで、だいたい1千万円くらいですね。
ようするに金持ち島で、ストリートビューをみていても、なんだか郊外の高級住宅地が島一面に広がっているような感じです。
おなじような規模の島は太平洋にも点々とあるわけですが、これらののどかさとは一線を画した感じに衝撃を受けました。
なんか、コロナが明けたというようなことを官製でいくら言われてもシラケてたし、ずっと自粛ムードが続いてる感覚だったんですが、このニュースにはどうも気分が持ち上がるというか、急ににぎやかになってきた感じがしました。
ぼくはプロ野球含めてスポーツにほとんど関心ないんですけど、なんか、野次馬の感覚として、気分の盛り上がりはあるんですよね。
おそらくこの感情の発端は、ぼくが大阪で暮らしていた子供のころ、バースがいた阪神が優勝したとき、周囲がもうひっくり返るくらい喜んでるのをみて、なにか染みついちゃったんでしょう。
当時から、野球中継をおもしろいとはおもわなかったし、みていると退屈になるのだけど、なぜか新聞の野球の勝敗表は毎日確認していました。
星野さんが監督だったときに優勝したのも、なんだか気分が盛り上がったのを覚えてるし、今回もそう。
野球、見てないのに、不思議なものです。
#時事
2023年8月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
台風に関してはもうなるようにしかならないし、あとは家でじっとしています。
ウェザーニューズの1時間ごとの雨の予報は、直前になって蜃気楼のように遠ざかることが多く、きょうも例によって3時から降る予報が、少しずつずれており、こちらではお湿りにもならないような雨がちょろっと降っただけ。
とはいえ、おそらくあしたには、雨を降らすのをずっと忘れていた雷さんがあわてて仕事を始めるような、大雨になることでしょう。
お天道さんは自然の摂理のまま雨を降らすわけですし、天気予測の精度がわるいのも、ぼくとしてはタダで情報を参考にしているだけなのだから、どちらも怒る筋合いがありません。
あしたは朝いちばんに出荷して、急いで収穫を、とはおもってますが、そこは状況に応じて柔軟に。
#野菜