山麓王国

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そちらの方は、台風の影響で、明日は大変なお天気かと思います。

気温も下がるようですので、充分にお気をつけくださいね。
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お住まいの大修繕工事ですが、建物全体ではなく、上の部屋だけの工事だったのでしょうか。

もしそうだったとしたら、ギズモさんのお部屋もなかなかたいへんだったのではないでしょうか。

しかしいつまでも心身ともに元気で、部屋をきれいに維持できていればいいのですが、なかなかそうはいかない事情に見舞われる可能性もありますし、そういうときに、部屋の原状回復(「現状」じゃないんですね)は身内や親族の負担になるケースもあるようですね。

あと、東京から富士山まで、おそらく直線距離で100kmほどあるとおもうんですが、それでも見えるのでしょうか?

100kmというと、うちからだと、ちょうど大阪の実家あたりになります。

3000m級の山だと、それだけの距離があっても見晴らせるのかと感心しています。



『幽霊繁盛記』、おもしろそうなんですが、またいつか見る機会に恵まれるときを楽しみにします。

落語の死神は、もともとグリム童話で、ぼくは小さいときに絵本でこの話を読んでいたので、落語のほうが後から入ってきたんです。

この落語は1800年代に三遊亭圓朝がグリム童話を下地に創作したというんですが、この話を選ぶところと、落語の構成の仕方はすごいセンスだとおもいます。

特にあの童話はもともとユーモアらしいところもありませんし、まともな医療がなかった時代に、死神をあざむいて人の生き死にをほしいままにして、その報いを受けるという、ただの怖い話です。

ところがあの落語は、「あじゃらかもくれん てけれっつのぱー」もそうですが、死神にも妙なユーモアがあって、キャラを立てる妙味というか、おそらくこのあたりは三遊亭圓朝の才能なんだろうな、と。

下の画像は、むかしうちにあった童話集をぼくが数年前に中古で買い戻したもので、いま探したらたしかにありました。

この童話集では『マルチンのろうそく』というタイトルでした。

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福井県の地震のときの件、まさにその方の話です(笑)

その方の思い出話にはおもしろいものが多く、生き字引とはこういうことをいうのだろうとおもいます。

むかしの人ですから、いまの価値観でいうとズレたところもあるんですが、ひょうひょうとしていて腹になにもない、気の良い方です。

去年はこの方も含めてご近所さんで餅つきをして、そのときに盛大に酒を飲みましたが、その方は5合以上飲んでいました(笑)
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落語家のどんちゃん騒ぎのお話、何とも言えないしみじみとしたものを感じます。
悲しまずに明るく楽しく送ってあげ、お葬式が終わってから泣く。
これは、生きている人を中心に考えて行う現代のお葬式ではなく、亡くなった人を想って行うお葬式の形だと思えます。

落語家、座棺のことで思い出しましたが、幼稚園くらいの頃、テレビで日本の映画を見ました。
火のついたろうそくの長さがその人の寿命で、自分の短くなったろうそくを長いろうそくとすり替えたり、死神が出てきてどうのこうの、という喜劇映画です。
そこで、木でできた桶に座った形で死体を入れるというのを見て、とても印象に残っていました。

調べたら『幽霊繁盛記』という1960年の映画でしたが、フランキー堺など有名な俳優さんが出演しています。
落語家の柳家金語楼も出ていました。
私が見たのはそれよりずいぶんあとですが、何回か再放送していたようです。
ろうそくで自分の寿命で決められている、という設定が怖かったので(笑)、一度しか見ていません。

農園主さんはご存じと思いますが、落語『死神』がベースになっているそうです。
どこかで見られるかなと思い探しましたが、DVDにもなっておらず、配信もないようで残念です。

シキミが仏花になったのは、そういうことなんですね。
以前、創価学会のお葬式に出た時、お花は一切なく、シキミだらけで驚いたことがあります。
なぜなのかは調べていませんが、何らかの理由があるのでしょうね。


80代の大工さんの貴重なお話をありがとうございます。
その時の様子が見えてくるようでした。

以前メールの方で書いていらっしゃいましたが、「80近いお隣さんは1948年の福井県地震のことを覚えていて~~~~屋根に石を乗せていてそれが地震で落ちた~~」というようなお話です。
その方と大工さんが同じ方かどうかはわかりませんが、坐棺の埋葬や地震のことなど、ご自分の経験したことを若い世代に語り継ぐということの大切さが本当に身に沁みます。

農園主さんの記事からそんな方々のお話を伺うことができるのは、とてもありがたく思います。
体験したお話、生活の知恵、遊び、歌など、昔の様々なことは書物やテレビからも知ることはできるでしょうが、実際にお話を聞くということは、まったく違うものと感じます。
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土葬のお話、とても感銘を受けたのですが、お返事は後日にすることにして、先にひとことだけ。

無神経なこととはぜんぜん思っていないので、お気になさらないでくださいね(*^^*)

ここに引越してから6年ほど経ちますが、富士山は見えるし(階と部屋によって)、なかなか快適です。
以前お話したと思いますが、真上の階からあやしい黄色い水が相当量洩ってきてパニックになったこと以外は(笑)

その男性もかなりの高齢で認知症だったということですが、ここができた時に入居した方たちで、亡くなったのか奥さまと施設に入ったのかわかりませんが、最近部屋が空いて、大修繕工事がありました。

エレベーター、乗ると「お待たせしました」と女性の声で話すのですが、あれはいらない機能だと思います。
せっかく話してくれるので、ひとりの時は「いいえ、ありがとうございます」と答えてしまいますが(笑)

「ひとこと」→ずいぶん字数が増えてしまいました(◎_◎;)
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いわゆる寝ずの番のときは、落語家の場合はどんちゃん騒ぎをして、遺体を抱き起して一緒に踊るなど無茶苦茶をして、葬式が終わってからみんなで泣きじゃくるという話を聞いたことがあります。

やっぱり、お通夜麻雀くらいが限度ですね(笑)



死のありようについて、都市部では戦前から火葬でしたが、田舎では半世紀前まで土葬が行われていました。

土葬というのは、遺体の入った木の棺、それもいわゆる座棺がそのまま土に埋められるわけで、ほんとうの意味で人間が自然に還ります。

かなり深く埋めるのですが、生き物の死体ですから、獣がきて掘り起こす可能性がありました。

このあたりは以前お話した気もするんですが、獣が嫌がる植物に、シキミがあります。

いまは仏花としてつかわれますが、あれはじつは鹿ですら食べない毒性の植物で、葉っぱをちぎると特徴的な匂いがします。

このシキミの葉をたくさんもってきて、土葬を終えた場所で盛大に焼くんです。

これをしておくと、動物が土を掘り起こさないそうな。



いま80代の、ここでたびたび登場する現役大工の大先輩ですが、この葬儀を実際に体験されています。

土葬の場合、遺体は死後硬直が始まる前に座棺に収まるようにしておかねばなりません。

しかしその家では遺体を寝かせたままひと晩放置したため、集落の人が総出で遺体の骨をゴキゴキ折って、無理やり座棺に詰めたのだといいます(笑)

それで、うちの近くにあるお寺のお墓に埋めるのですが、ここは地下水がきていて、穴を掘ると水がわいてくるのでした。

それでもなんとか掘って、棺を入れると、水で棺が浮いてくる。

仕方がないので集落の人が棺の上に乗って、無理やり棺を沈めた状態で、土をかぶせていったというのです。

葬儀というより、土方仕事であり、冠婚葬祭といいますが、それこそお祭りなんですよね。

いまの葬儀は儀式を抽出したようなものになっています。

死の段取りを効率化して、地域や親類縁者との結びつきも極力簡略化し、身近であるはずの死をビジネスとくっつけて、どこかよそよそしい「速やかな儀礼」にしていった結果、その行きつくところが直葬となり、墓じまいにつながっていくというのは、当然の結果のようにおもえます。

かといって、日本でまた葬儀が土葬のころのような生々しさを取り戻すかというと、もうそれは無理だともおもいますが(笑)



ギズモさんが養老さんの話によく似た場所にお住まいだとは考えず、無神経なことを言ってしまいました。

エレベーターの奥が開く構造になっていると、棺であれば立てることもできますが、それこそ担架で運ぶときにはそういうわけにもいきませんし、一般的なエレベーターの狭さは、元気な人向けにできてますね。

高齢者施設でエレベーターが狭いと、それこそ担架で運ぶときは、2階くらいなら階段で運べるかもしれませんが、すこし高層階になるとたいへんだとおもいます。

サスティンペダルをおかしくしたオペラの講師さんにしても、ぼくにしても、エレベーターでギズモさんを振り回してしまい、申し訳ないです(笑)
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お忙しい中、わざわざ聞き直していただき、申し訳ありません。
1960年代でしたか。

葬儀の場に出会うというのは人生においてそうそう多くはないですし、自分が見聞きした範囲でものをいうのはよくなかったと思います。
気をつけます((+_+))

私の子どもの頃は、家でお通夜をする場合、農園主さんのおばあちゃまの時のように、お線香を絶やさず起きているという慣習でした。
「お通夜麻雀」という言葉があるくらいで、麻雀をしていれば寝ないだろうということなのかもしれません(笑)

「死を想定しない団地のエピソード」ですが、その一段階前の、「高齢になった時」すら想定していなかったように思えます。
団地に限らず、マンションでも一戸建てでもそうですが、少し前まではどこでも段差だらけの構造でしたよね。
それが最近になってようやくバリアフリー化されてきて、ずいぶん住みやすくなったと思います。


ところで、ネットで見ると、どうもその団地は高島平のようなのですが、明記されてはいないのでしょうね。
1972年に入居が始まったそうですが、賃貸棟と分譲棟があり、当時はものすごい人気で、倍率もかなりの高さだったようです。

養老さんがご遺体を引き取りに行った団地かどうかはわからないので、そうだと仮定して話をします。
確かに当時新婚さんが多く入居したようですが、そのまま住み続けているご夫婦が多く、現在は高齢者団地と化しています。
その頃生まれた子ども世代が、独立して団地を出て行くという形ですね。

空き部屋が多くなっているので、無印良品と提携した家具付きの部屋や初期費用ゼロといった設定にし、若い人も取り込む作戦ですが、近辺の民間マンションと同等の家賃、もしくは分譲価格設定なので、団地と民間、どちらがいいかは好みでしょう。

という話はどうでもいいのですが、うち、12階なんですよ(笑)
12階がある棟は限られているので(追記)12階以下の棟もあります、もしかしてそのお部屋だった可能性もあります。
あ、ドアは外開きです。。。

去年から今年にかけて大がかりなリフォームはありましたが、エレベーターは当時の構造のままかもしれません。

昨年、ひどいめまいの時救急車を呼びましたが、恥ずかしいので担架には乗らず、歩いてエレベーターで1階まで下りました。
あの時担架に乗っていれば、奥が開いたかどうかが確認できたのですが、つまらない見栄をはったために(笑)


エレベーター関連の余談です。

私が行っている高齢者施設のひとつ(坂の上の)は、1階ロビーでコンサートや発表会を行う時、2階から電子ピアノを降ろします。

私は2階の部屋でまったくかまわないのですが、オペラの講師(女性で、ピアノはヘタ苦手な人)が、ロビーでしかやらない主義の方なんです。

2階からエレベーターに乗せるのですが、そういう施設にしては狭くて、電子ピアノがそのまま乗らないんです。
そこで、仕方がないのでピアノを縦にして、台車に乗せて(追記)エレベーターで運びます←どこかで聞いたお話・・・。

平行移動でも影響があると言われているのに、年に3回も、です。
おかげさまで(笑)、サスティンペダルが完璧におかしくなってしまいました。
他の施設ではこんな荒技は絶対にしないんですけどね。
困ったものです。
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死の壁なんですが、仕事をしながら朗読を聞いているので、なにか間違いがあったかもと聞き直してみたのですが、ごめんなさい、やっぱりかん違いしてました。

これは『死の壁』の第一章の中の「死なない団地」というエピソードなんですが、養老さんが解剖医の医学生だったころの話とのことです。

てっきり本を書いた時期の出来事だとおもっていましたが、養老さんが解剖医学生のころですから、おそらく1960年代のことですね(笑)

検体の申し込みのあった方が亡くなったんですが、そこは団地の12階。
医学生だった養老さんがご遺体を引き取りに行きます。

しかしその団地は玄関ドアが外開きなので、住人が玄関ドアを開けていると棺は向こうに行けない。

エレベーターにも乗らないので棺を縦にして乗せたんだそうです。

そのときに養老さんは「ここは人が死ぬことを考慮していない建物だ」とおもったといいます。

その後、たまたまその団地を設計した人とお話しする機会があり、この話をしたところ、その方がいうには、そこは若い夫婦が郊外に一戸建てを買うまでに住むところという想定でつくった、というのでした。

とはいえ何千人も住む団地だから人が死なないはずがありません。
にもかかわらず、死を想定していない。

死は自然の摂理ですが、都市は自然を排除することで成り立っています。

都市は、人間が「こうあればいい」と考えてできたものであり、その都市が人間の死という自然現象をも排除している。

そういう意味で、死を想定しない団地のエピソードを養老さんは「都市化の象徴」と言いました。



けれどギズモさんのお話をうかがって、現代の東京では当たり前に人が死ぬことの対策がなされているのだろうとおもいました。

お通夜の件なんですが、うちは父方の祖母はコロナの1~2年前に病院で亡くなり、それから1日、実家に遺体が帰ってきて、渦巻の線香を絶やさないということをしました。

こちらの田舎でも、ご遺体はやはり家にいったん帰ってきて、それから斎場へ向かうのが一般的なんです。

それで前回、なにげなく棺が家から出る、という前提で話を進めていたんですが、よく考えると、母方の祖母は亡くなるとそのまま斎場に安置しました。

おそらく団地の12階の場合も、もし病院で亡くなった場合には、さすがにご遺体を団地の12階まで運んで、そこからまた出棺というわけにはいかないでしょうから、そのまま斎場へ向かうことでしょう。



3種の根付きサラダというのが売られているのですか。

おそらく工場か、それに近い管理化されたハウスなどで水耕栽培されたものだとおもうんですが、パッケージの根をみせる演出も含めて、消費者の購買意欲を誘ういい売り方ですね。

ぼくはいま葉物は128円プラス消費税で売ってるので、198円で売れるのなら生産者はやりがいがあるとおもいます。
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長くなってしまいました、ごめんなさいm(_ _"m)

手のケガは、ちょっと擦りむいた程度であっても、仕事だけでなく殆どの日常生活(炊事・洗濯・お風呂など)に相当のダメージがありますよね。
疲れている時は思わぬケガもあるので、お気をつけください。
転んで頭を打ったりしたら大変です←頭でなくても大変です。

いつからか、「町中華」という言葉が流行り出しましたが、これもブームなのでしょうね。
チェーン店の場合、町中華というのかどうかはわかりませんが、「ちょい飲み」と言って、小皿料理も安いので、昼間から居酒屋感覚で利用している女性客も多く、ちょっとばかり不思議な光景です(笑)


『死の壁』、一見したエレベーターの狭さから、そのようなことを感じたのでしょうか。

※ここからしばらくは、養老氏の本の内容についての感想ではなく、単純にエレベーターの話です。

両親がいた池袋のマンションは、団地と同程度に狭いエレベーターでした。
と言っても、けっこう大きいマンションでも、だいたい8人乗り程度のエレベーターが設置してあるところが多いと思います。

10数年前ですが、父が腰の痛みで動けなくなり、救急車を呼びました。
担架に乗せられてエレベーターまで来たのですが、どう見てもそのまま入る奥行ではありません。
後ろの壁面が、担架や遺体の搬出用に、抜ける(開く??)ようになっていたことを、この時初めて聞きました。

殆どのエレベーターはそういう構造になっているとのことでしたが、例外ももちろんあって、知人のご主人が担架に乗せられた時は、そのマンションのエレベーターは後ろが抜けて広くなる構造ではなかったので、階段を下りたそうです。

『死の壁』が書かれた頃は、まだお通夜・告別式を家で行うことがあった時代かもしれませんが、一軒家でも集合住宅でも、葬場で行う方が圧倒的に多いかと思います。
そのため、葬儀屋さんがご遺体を斎場もしくは遺体安置所(冷蔵設備のある)に移動させてから、お通夜の際にそこで納棺するという流れになるので、家から棺桶を出すということは、当時も今も、ほぼ無いように思います。
東京ではそういう傾向、ということになるのかもしれませんが。


「生きている人、元気な人のためだけに都市設計されているのはおかしい」という話、これはとても考えさせられることですね。
車椅子の人にとって移動が不便な所が多いと感じますし、ベビーカーの対応にも乗り物は親切とは思えませんが、それでも昔よりは改善されてきてはいます。

『死の壁』、近いうちに読んでみたいと思います。


少し話が逸れますが、私が子どもの頃は、まだ一軒家が多かったからか、家でお葬式をするところが多かったです。
亡くなった人の家の玄関には提灯が吊るされ、喪中忌中の札(間違えていました)、白黒の鯨幕が張られ、学校帰りにその家の前を通らないといけない時は、黙って下を向いてそ~~っと通ったものでした。

今の子どもはそういう場面を知らないし、霊柩車を見たこともなく、人の死というものと自然な関わりが無くなっているような気がします。
昔は、霊柩車が通ったら、自分の親が死なないように親指を内側に隠す、ということを、みんなが普通にやっていましたが(全国的なものかどうかは不明です)、あの仰々しい霊柩車が姿を消し、そういう迷信のようなものもなくなりました。

人の死に関することも、ずいぶんと進化というか、変わってきましたね。


話はまったく変わりますが、スーパーで、3種類のサラダ野菜がひとつの根についているものを見つけました。
根付きなので使う分だけ取って使えます。
フリルレタス??と、赤っぽい葉(名前不明)、サラダ菜みたいな感じの葉の3種です。
198円、普通のレタス1玉分の値段で、ちょっと便利に使えます。
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この時期、よく手をケガするんですけど、たぶん作業が立て込んでるからだとおもいます。

この時期は夏の種まきや畑の準備、草刈りが始まり、葉物野菜とニンニクやズッキーニの収穫が重なるなど、ヘロヘロになりがちです。

気を付けないと、先日も不織布を片付けるときに足がひっかかって畑で転んでしまいました(笑)

にんにくは、うちはどうしても販売に適さないような小さいものがたくさんとれるんですが、これは3つむいてようやく市販のにんにくひと粒くらいにしかならないので、皮むきするにしても手間ばっかりかかって得られるものが少ないんですよね。

これが機械化できたらこんなありがたいことはありません。



デスクトップとノートパソコンはそれぞれ一長一短あって、パソコンとしての使い勝手としてはデスクトップ一択だとおもいます。

ノートパソコンは画面も小さい、部品の取り換えもきかないんですが、持ち運びできるという一点が最強すぎて、デスクトップの利点をかなり犠牲にしてもやっぱり便利なんですよね。



全力坂、初めて知りました。

この前、東京の中華料理屋でお酒を飲むというコンセプトの番組をみたんですが、いまのテレビ番組の、特に東京の番組はずいぶんニッチなところを攻めるんだな、と感心しました。

もちろんこれは嫌味じゃなくて、東京をきちんと味わい尽くすというか、ていねいに利用している感じがして、坂道を走るのにしても、なんだか好感がもてます。

田舎でもいろいろとおもしろいコンセプトはあるはずなんですが、東京のようにはうまく紹介しつくせないですね(笑)

しかし東京で長崎のような坂があると、都市部という性質上ややこしいです。

というのも、都市部ではみんな効率性を最優先して生活しているでしょう。

田舎は資本主義的な効率性を犠牲にしていることをコミュニティ全体で理解しているわけですが、都市部ではそうはいきません。

ギズモさんのおっしゃったスロープがないとか、荷物の配送の問題は、ほんの半世紀も前なら不便であるというところですんでいたのが、現代では資本主義的な競争が激化して、生活の効率が下がる = 収入面で差が出てしまうところまできているとおもいます。

ところで、ついこの前、朗読で養老孟司の『死の壁』を聞きました。

もう20年も前の作品ではあるのですが、その冒頭に、都市部の団地などはその構造上、死ぬことを想定していないというんです。

つまり、人が死んで、その遺体が運ばれるということを想定していない。
だから、棺桶を団地から出すのに苦労する。

生きている人、元気な人のためだけに都市設計されているのはおかしい、というわけです。

これらのことを考えると、仕事の第一線から退いた高齢者が、効率性の面で不利な坂の土地に住まい、そのかわりに死を想定して設計された住宅で暮らすというのは、いまの東京なりの合理性なのかもしれないとおもいました。
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確かにんにくの皮むきで、以前手をケガされたことがありましたよね。
にんにくの皮むきができるアタッチメント付きのフードプロセッサー、初めて知りましたが、時間も節約できるし便利ですね。

8,1は、とても速く快適で、サポートが終了しても問題なく使えていたのですが、ここ2~3ヶ月でノロノロ運転になってきました。
officeが立ち上がるのも遅くなり、いつまでもつか不安なところでした。
新しいnoteはサクサク動きますが、デスクトップに比べると使い勝手が悪いです。
慣れればなんということもないのでしょうが。


そうか、東京は坂の町だったんだ、と気づくお話をありがとうございます。

あるテレビ番組を思い出したので、そのお話を。

昔、数回しか見たことはなかったのですが、女性タレントが東京の坂を全力で駆け上がる、という、わけがわからない番組です。
今もやっているのかと調べたら、今でも週に4回、テレビ朝日で放送していました。
夜中の1:20~なのですが、ちょうど調べたのが1時過ぎだったので、見ることができました←何時まで起きてるんだという(笑)

その名も「全力坂」というタイトルで、6分枠のうち、なんと4分はCM。
女性タレントが(男性の時もあります)、全力で坂を駆け上がるだけ、という謎の番組です(笑)

けっこう有名なタレントも出ていたりするようですが、息が切れて苦しそうな風情を楽しむのか、多少なりとも揺れる胸を観賞するのか、東京の坂を知るための教養番組なのか(笑)

昔、偶然見た時、家の近くの坂が映っていて、「へ~、こんな辺鄙なところもくるんだ~」と思ったことがありました。


私が去年から行っている高齢者施設のひとつは、それはもうみごとに「どこから行っても坂」という難所にあります(笑)
地名は「中台」といい、その一番低いところでも地盤がいいそうで、昔は近くにある陸軍火薬製造所で製造した弾薬を保管する弾薬庫があったということです。

おもしろいのは坂の途中の横道に、さらに上に上る階段があるところも多く、その階段脇の斜面に家が建てられています。
階段の脇に、自転車が通るスロープもない所も多いです。

こういう家に住んでいる人の引越しはどうするんだろう、宅配は? と考えてしまいます。
上りきった平らな道に車を置いて荷物を担いで階段を下りるのか、階段の一番下に車を置いて担いで上るのか・・・・・。

おまけに、その階段の段の高さが、すご~く高いです。
間違いなく、筋肉痛になります(笑)

坂を上らなくてもいいように、バスもありますが、1時間に1本・・・・。
そんな難所なのに、高齢者向き賃貸マンションが続々建っているという不思議。
ただし、「元気な高齢者のためのマンション」と書いてありますが(笑)

今、高齢者の入居を嫌がる家主が増えているので、こういった高齢者向きの賃貸マンションが増えるといいと思います。
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お気遣いありがとうございます。おなかの調子はかなりよくなりました。
もともとおなかは弱いので、低空飛行か着水か、という繰り返しなんですけどね(笑)

東京は坂の町ですよね。

横溝正史の金田一耕助シリーズの中に『病院坂の首縊りの家』という作品がありますが、この坂は港区の高輪が下地になっているのだといいます。

いま庶民の住む町は全国的に「下町」といいますが、あれは東京(江戸)の高台(山の手)に武士が住み、町人が低地に住んだことが語源なんですよね。



シャコは海老に比べても皮をむくのがタイヘンですし、海老のようなプリプリした食感ではないですが、味は深いうまみがあっておいしいです。

大阪の回転寿司ではむかしよくシャコが出回ってました。

100円2貫の有名回転寿司チェーンで出回ってたんですが、20年前くらいはまだ地場に流通していたのでしょう。

いまはどうかわかりませんが、一時期前はイワシやサンマは缶詰を買ったほうが安上がりにおもえたくらいでした。

イワシに関してはシーズンを外れたらいまでも缶詰のほうがオトクかもしれませんね(笑)



以前、タブレットを買い替えたという話をうかがいましたが、パソコンも買い替えられたんですね。

おなじ時期に買い替えた場合、時期をおぼえておくと、次の買い替えのときに比較できるから、逆にいいかもしれません(笑)

Windows8.1からだと、新調して立ち上げや処理速度の速さも上がったのではないでしょうか。

ワードからパワーポイントに変換できるソフトがあるんですね。

かなりたいへんな道のりを経て、それでもちゃんと完成するところまでこぎつけているのはさすがです。



ぼくも……というわけではないんですが、きのうフードプロセッサーをつかおうとおもったら、モーター音はするものの刃が回らず。
軸になにか引っかかっているのか、まったく回らなくなっていました。

この部分はあんまりいじるのは怖いし、フードプロセッサーはもう必需品と化しているので、あたらしいのを買いました。

説明書の日本語があきらかにおかしい、中国製のものです(笑)
きょう届いたのでさっそく試運転しました。

これが意外とよくできていて、以前のものより使い勝手がよさそうです。

2リッターの大容量で、にんにくの皮むきができるアタッチメントがあるのが決め手でした。

なにせぼくはにんにくを栽培しているのに、皮むきが面倒くさすぎてわざわざスーパーの刻みにんにくを買うような状況でしたから。

もうすこししたらにんにくの収穫がはじまりますが、そのときに感動体験ができるか、楽しみです。
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その後、お腹は大丈夫ですか?
気温の変動が大きく、体調を崩している人も多いようです。

地形のお話はおもしろいですね。
コリアンタウンで有名な新宿区の新大久保ですが、やはり窪地になっていたようです。
東京23区内は、全部が平地という感覚がありますが(私の地理的な知識が乏しいので)、地名を見て行くとそうでないことがよくわかります。

時代とともにいろいろなことが進歩して変わっていくなかで、地理も変化していっていることには気を留めていませんでした。
時代物を読むと、時々地図があって、それを見ると今の東京とずいぶん変わっているのがわかります。
特に川は昔とずいぶん違うようですね。


シャコ。まったく見なくなりましたね。
昔の古いサザエさんの4コマ漫画で、外国人がお寿司屋さんで「レインコート、ガレージ」と注文しているのを覚えています(笑)

小魚、とても高いです。
シラスも高いので、家で佃煮を作りたくてもなかなか。。。
お魚はお店によって扱っているものも違えば値段もまちまち。
スーパーで売っている焼き魚を買った方がお得ということはよくあります。


ところで、このところ、とっても頭を忙しくしています(笑)

仕事で、歌詞(童謡・唱歌などの短いもの)をプロジェクターに映すためには、ファイル形式がwordではだめで、パワーポイントにしないといけないんです。
今まで、A4の紙6枚をポスター印刷し、貼り合わせていたのですが、貼った部分がどんどんヨレヨレになってきて、その度作り変えるのはひじょう~~~にめんどうで、プロジェクターを使わせてもらう方が便利かなと思いました。

そこで困ったのは、私のデスクトップはwindow8,1で、オフィスofficeは2013です。
パワポは入っていません。
ノートパソコンは娘に貸し出したままで、返って来る見込みがないので(5年経つので動作が相当遅くなっているようで、戻ってきたとしても無理そう)、仕方なく、NECのノートパソコンを買いました( ノД`)シクシク…

高性能なものは必要ないので、スペックは低く、安価で軽いものにしました(色が変な青で気にいらないけど・・・)


ただ、パワポを一から作るのはなかなか厄介なので、wordのファイルをパワポに変換できるソフトを使用しています。
word→PDF→パワーポイントと変換するので、ちょっと時間はかかりますが。

ところが、パワポにした段階で見ると、字がずれてしまっていることが多いんですよね。
これはパワポで直して、やっと完成です・・・という長い道のり(笑)
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ありがとうございます。

寝る時間によって回復する臓器がちがうとは、いままで考えたことがありませんでした。

ただ、ぼくは若いころは夜勤をしていましたが、同僚のうつ病になる率が高く、ぼくもなりました。

どうも、夜型の生活は、日光を浴びる時間が少なくなることで、セロトニン(気力をつかさどる脳内物質)の生成が少なくなるらしいのです。

ご紹介いただいた記事もそうでしたが、夜にきちんと寝て、朝に起きるという、古来人間が行ってきた当たり前のことが、人間の健康にとって欠かすべからざるリズムになっているのではないかという気がします。
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お返事ありがとうございます。
よかったですね~!!

サプリや消化剤などご自分でいろいろと試してみて、その結果、よりよい方法で対処できるようになると安心ですね。

昔、卵巣嚢腫でひどい痛みが取れず、入院したことがあるのですが、痛みがない時にベッドに座って本を読んでいたら、看護師さんが「臓器は横になって休ませると回復するので、なるべく横になっていて、座ったりもしないように」と言われたことがあります。

長時間横になったことも回復につながったかもしれませんね。


以下は、東洋医学的な養生法の記事ですが、引用しておきます。
私の場合、午前3~5時くらいに目が覚めてしまい寝られない時は、気管支がいくらか息苦しいことが多いので、当たらずとも遠からず的な内容ではありますが、参考までに。

https://hitomi-chiryouin.jp/sound-sleep/... 
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きのうは夜の7時から11時間寝たんですけど、それで半分ほど体調が回復して、おかげさまできょうはふつうに仕事ができています。

むかしはこの腹痛を3か月に一回は繰り返していて、そのたびに1週間ほどグダグダになっていましたが、最近は消化剤やじぶんにはよく効くサプリメントで対応できるようになりました。

回復基調になればそこからは無理さえなければそのままもとに戻るので、大丈夫だとおもいます。

お気遣いいたみいります。ありがとうございます。
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取り急ぎひとことだけ。

おなかの痛み、今日は治まりましたか?

自治会のお仕事のように、いつもと違うことが始まると、気づかない気の張りやストレスもあると思います。
ゆっくり休むのはむずかしいでしょうが、様子をみながら動くようにしてくださいね。
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泉州地域はなんというか、大阪でもヘンなところなんです。

堺には仁徳天皇陵があって、岸和田のだんじり祭りがあって、関西国際空港があって、もちろんタオルも有名ですが、じつは海があるので漁業も行なわれています。

土地柄は大阪屈指に荒いです。

泉州弁という、大阪弁の中でも泉州独自のなまりがあるのも特徴で、和歌山に近づくほど一般的な大阪弁から離れていきます。

むかしはシャコがよくとれていて、あとはいかなごも有名でしたが、最近ではとんと聞かなくなりました。

都市部の沿岸ですから、むかしは生活排水が川をつたってそのまま海に流れ込んでいたんですよね。

そうすると近海が富栄養化に偏って、赤潮の発生などの悪影響もあったんですが、じつはプランクトンをエサにする小魚がよく獲れていたんです。

それがいまは生活排水の浄化技術が発達して、瀬戸内海の栄養がなくなり、いかなごなど小魚の漁獲量が激減しているのだそうな。



霞ケ浦、ぼくも牛久大仏を見に行ったことがあるので、おそらく近くまでは行ってるんですが、見ておけばよかったです。

災害地名は、たしかにそこに住まう人にとっては重要な情報なんですが、基本的に水害に偏ってますよね。

というのも、むかしはどこも農業が生活基盤で、科学的知見もほとんどなかったので、大雨で土砂崩れが起こりやすいということばかりが地名にあらわれていたのでしょう。

なので、現代だと治水工事がなされてて、地名は危なっかしくても、水害リスクが下がっている場所もあることでしょう。

特に東京・大阪などの都市部はそうだとおもいます。

現代では大雨以外にも地震や台風といった問題がありますから、地名にかかわらず、南海トラフと台風の心配が重なる紀州あたりは、かなり怖いといえるかもしれません(笑)



ところで災害地名つながりですが、大昔は「谷のあるところなら生きていける」といわれていたそうです。

深掘りの井戸の技術ができたのは江戸時代ごろなのだそうで、それ以前は生活における水の確保はどこの集落でも大きな問題でした。

山と谷の合言葉じゃありませんが、谷があるということは、山があるということでもあります。

山からは木材などの焚き木の資源、豊富な食材、谷には水資源があって、うまくいけば魚も手に入ります。

そういうところは、井戸の技術がなかった時代には、非常に暮らしやすいよい場所だったようです。

じつはうちのあたりも谷の多い地形で、すぐ隣が「久保」という災害地名で、これは水害で土地がくぼむ、からきているそうな。

うちの土地も「垣」という言葉が入るのですが、これは水害で土が欠ける、という意味を含むようです。

実際数年前に大きな水害が発生しましたし、畑の法面が崩れて、まさに「欠け」ました(笑)

が、農業をしているからそうおもうのかもしれませんが、同時に山の豊かな資源や水源に恵まれたよい土地柄でもあります。



東京だと、バブルの時期の土地高騰は大阪以上にすさまじいもので、それなりの農地を持っていた人は地価高騰の恩恵にあずかれたことでしょう。

実際、変動相場制から半世紀の間、円高で農産物の価格が発展途上国の輸入価格に合わせなければならなくなり、都市部ではまともな農業はできなかったでしょうし、当時の都市部の農家が農地を手放すのは運命のようなものだったとおもいます。

ただ司馬さんはバブル崩壊ごろに晩年を過ごしており、いまのように当時を俯瞰できませんでした。

だから、バブル経済で浮かれきって、人間が古来続けていた当たり前の暮らしをないがしろにする人々に、せめてひと言警句を発したかったのでしょう。



ハブ酒やマムシ酒ですが、たとえば消化剤などでも、植物性のものよりも、動物性の消化剤のほうが効果が強いんだそうです。

ぼくも最近は動物性の消化剤のサプリを飲むようにしたんですが、体調がずいぶんよくなりました。

そう考えると、薬用酒も養命酒のような植物性のものより、ヘビ酒のような動物性のもののほうが、薬理的な作用は強いのかもしれません。

飲みたいとはおもいませんが(笑)



で、そんな消化剤を飲んでいるにもかかわらず、きのうは久しぶりにおなかが痛くてひっくり返っていました。

ようやくすこしずつ自治会の仕事にも慣れてきたような気がしていたんですが、もしかしたら気が張っていたのかもしれません(笑)
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泉州なす、ありましたね~。
お漬物を買ったことがありますが、あっさりしていておいしかったです。

泉州はタオルもとても有名ですね。
品質がいいので、何枚か持っています。

霞ヶ浦は行ったことがありますが、本当に大きな湖ですね。
「浦」のように、地形の呼び方はわからないことが多く、調べても明確には理解できないことがあります。

大阪平野の詳しいご説明をありがとうございます。

都内でも、「昔は沼だった」などという地域はけっこうあります。
以前テレビだったか、地名に池、沼、深、谷が付いたところに住んではいけない、という話がありました。

池袋も、昔は「袋のような盆地状の窪地に多くの池があった」というのが地名の由来らしいのですが、気にするほど地盤がよくないわけでもなさそうです。
池袋の家は、そこで寝起きするわけではなく時々行く程度なのでいいのですが、現在住まいにしているところは、70代の方が「昔は沼で、レンコンが採れたし、椰子の木が生えていた」と言っていたので、埋めたてたのでしょうね。
地盤が悪そうなところに海抜が3mというので、近くの川が氾濫したらちょっと怖いです。


司馬遼太郎さんの記事、興味深く読ませていただきました。

わりと近くに「浮間舟渡」というところがあります。
きちんと調べたわけではないのであやふやな話ではありますが、ここは昔、畑(田んぼがあったかどうかは不明)があり、近くには荒川があって、海抜はまさかの1mです。
とても地盤が悪い地域なのですが、工場ばかりで、住宅もどんどんできているようです。
農地が工場・住宅に、という、いい例なのかもしれませんね。

昔から洪水の被害が大きい地域でしたが、国の治水対策で昭和5年に荒川放水路が完成。それから徐々に市街化が進んだとのことです。

身近にも、代々継いできた土地(野菜などを育てていた)を売却し、ちょっとした資産家になった人もいます。
農業を続けても生活が苦しい、という理由だと聞いた覚えがあります。


ハーブ、たくさん種類があって、見るだけでも楽しそうですね。
私が大好きなモヒートはミントで作りますが、何種類かのハーブを入れた焼酎は、きっとおいしいと思います( ^^) _U~~
ローズマリーは覚醒のハーブなので寝る前は適さないと言いますが、それほど気にしなくてよさそうです。

つまらない話ですが、ハーブ酒から、ハブ酒を思い出しました(笑)
ずいぶん前に、沖縄のハブ酒を味見させてもらったことがありますが、何とも言えないすごい匂いで、とても飲めませんでした。
滋養強壮にいいというのは有名な話で、免疫も上がり冷えにも効果があるようですね。
養命酒より効くとは思いますが、再チャレンジは難しそうです(笑)
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レンコンを育てていた農家さん、おられましたね。

いまレンコンの主産地は茨城県です。

茨城には霞ケ浦という大きな湖があるんですが、あの周囲は一帯が低湿地で、むかしは海の水も混じるラグーン(汽水域)だったので、湖ではなく浦なのだそうな。

そのあたりの関係は大阪平野もよく似ています。

ゼロ海抜地帯である大阪平野は大昔の縄文海進という地球規模の現象で、海面がいまより2~3m高かったようで、霞ケ浦とおなじく、平野一帯に海水が流れ込む汽水域だったといいます。

その後、海面が下がり、霞ケ浦も大阪平野も海水の影響のない低湿地となります。

大阪は仁徳天皇の時代から、治水が大きな課題でした。

豊臣秀吉の時代にも大阪では大掛かりな川の整備が行われましたが、それでも平野全体が沼と田んぼだらけの土地柄でした。

そういった景色は戦前まで当たり前のものだったようで、亡くなった祖父も「むかしはこのへんはずっと沼と田んぼしかなかった」と言っていました。

現代では都市開発が進んで、地下に巨大な排水路(地下放水路)をもうけられたことで、ほぼ治水の問題は解消しています。

その結果、大阪は都市として発達するかわりに、湿地を生かした農業は廃れました。

かわりに茨城では地形を生かしたレンコン栽培がいまも続いているんですね。




植物公園などの池の蓮は、花の時期にはそれはもうみごとなんですが、シーズン自体はほんの2週間ほどで、それ以外の管理がたいへんなんですね。

うちのご近所さんも一時期花蓮をつくっておられたんですが、数年はほっといても自生していたのが、あるときいっぺんにダメになりました。

管理が行き届かなかったのもあるのでしょうが、たまたま水が切れる時期があったようで、このときにダメになったといいます。

蓮はなかなか放任で栽培というわけにはいかなそうですね。



現代はなんでも味のよい、栽培しやすいF1品種(一代交配)が主流で、伝統野菜が日常の食卓にのぼることはほとんどなくなりました。

大阪の野菜だと、いまでも有名なのは泉州水なすだとおもいます。

水なすのお漬物というと、泉州の名産です。

あと、「うすいえんどう」というえんどうの品種があるんですが、これは大阪の羽曳野市碓井地区が名前の由来です。

司馬遼太郎は大阪に住んでいたんですが、大阪の野菜だというとなぜか味が格別なようにおもえてしまう、というくらい、大阪をひいきに感じていたようです。

ちなみに今回ぼくは大阪が都市開発されたという話をしたんですが、司馬さんに絡んで、こんな記事をみつけました。

https://www.sharebatake.com/blogs/read/2...

農地の値上がりを待ちながら、退屈しのぎに野菜作りをしている農家の話が出てくるのですが、バブルのころの農地持ちは、みんなこんな心境だったようです。

ぼくも、大阪の八尾に住んでいましたから、農地がどんどん売られて宅地に変貌していくのを目の当たりにしています。

子供だった当時はそこに問題意識を感じませんでしたが、いまとなっては後の祭りですね。

地に足のついた暮らしがいかに大事か、ということは、目先のお金(資本主義)を前にすればかすんでしまうのでしょう。



ことしはぼくもいくつかのハーブのタネを買って、発芽させています。
レモングラス、フェンネル、ディル、ジャーマンカモミール、レモンバーム、ローズマリー、タイムです。

栽培しても、活用法もわからないんですが、勝手に自生してくれるのであれば畑の一角に置いといてやろう、くらいの算段です。
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昨年末からまったく記事を更新しておらず、復活するつもりもないあちらの世界ですが、農園主さんもフォローしていらした女性の農家さん、いらっしゃいましたよね。
お住いの地域は知らないのですが、レンコンの記事もよく読ませていただいていました。
レンコンのおでんの紹介もあり、試してみたらおいしかったです。

大阪も以前はレンコンの産地、沼地だったのですね。

東京だと、上野の不忍池が蓮で有名です。
広い池ですが、池の水が見えないくらいに葉で覆われ、花の季節が終わると、ちょっと不気味です。

そう言えばあのハスはどうなるんだろう、と今調べてみました。

江戸時代には、不忍池のレンコンの初ものを将軍に献上していたと言われていますが、現在では、ハスの掘り起こしや再植付け等の管理作業が行われていないので、地下茎が過密となり細いものが多く食用には適さないものとなっています。11.12月頃には、不忍池の景観を配慮するためハス刈りを行い来年の見ごろに向けた準備を行っています。


野菜の産地は見るようにしているのですが、大阪の野菜というのを見かけた覚えがありません。
気づかないだけなのかもしれませんね。

葉ゴボウのように珍しいものだと、売っていてもどのように調理するかわからず、結局買わないということもあるように思います。
西武百貨店の野菜売り場は、品揃えがよく、値段もスーパーより安かったりします。
加賀野菜などの取り扱いがあるので、加賀太キュウリの季節になると買いに行きますが、加賀野菜のコーナーはあまり売れていません。


大浦ゴボウの写真、ありがとうございます。
勝手に育ってくれる野菜、ウドのように手間がかかる野菜、知らないことばかりです。

ウド、こちらで売っているのは、白いものです。
炒めないで、酢味噌和えにしたほうが香りが引き立つかもしれませんが、きんぴらのほうがおかずになります。


今日は、母の謄本を届けに妹の家に行ってきました。
同じ区内なので、近いです。

ベランダで、ミカンの木やハーブなど、いろいろ育てているのですが、ローズマリーやイタリアンパセリなどを貰ってきました。
帰りに寄ったスーパーでは、ローズマリーはほんの1本(1枝?)で、200円。

私も以前、ミントやイタリアンパセリなどを育てていました。
簡単だと思い、ネットで見たとおりにしていたのですが、すぐに虫がついてしまい、断念しました。

ローズマリーに挑戦しようかな、と思った次第です(笑)

お茶に入れてくれたのがとってもおいしかったし、お料理に大活躍しそうなので。
ティーバッグではない生のハーブティーは、やっぱり気持ちがリラックスするし、格別においしいです(*^^)v
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うちの祖母の話、とりとめのないエピソードでしたが、受け止めていただいてありがとうございました。

感無量、実際その言葉どおりだとおもいます。

血縁の運命にあった人がこの世からいなくなるのは、どのようなお別れのかたちであれ感無量の心境をおぼえるとおもうのですが、やっぱり生前にかわした愛情であったり、そのお別れが円満であるほど、説明のしようのない感慨は深いものになるとおもいます。

ギズモさんの御尊父のお話をうかがって、そのように感じた次第です。



八尾の若ごぼうなんですが、よく知っています。

八尾の特産というと、むかしは枝豆がダントツで、レンコンも有名でした。

やせ地でもよく育つ枝豆はともかく、レンコンと大阪がむすびつかないかもしれません。

じつは大阪の平野部はむかしは水はけがわるくて、どこもかしこも沼地だったんです。

レンコンは八尾に限らず、門真というところで特に有名でした。

いまは大阪平野は全体的に治水工事が行き届くようになったため、レンコンが特産品というのは過去の話になっているようです。

で、レンコン栽培が衰退していくかわりに若ごぼうが台頭してきたような気がするんですよね。

というのも、ぼくが記憶してる限り、子供のころは若ごぼうは細々と栽培が続いているといった感じだったんです。

それがどこかで特産品としてPRされるようになって、急に全国区の知名度になった印象があります。

大阪のスーパーではよく並んでいますが、かなり長尺の大柄で、値段も10年前くらいで一把300円~400円くらいしていたとおもいます。

高いからか、よく割引になっていた記憶もあります(笑)

ゴボウの葉の部分を食べるんですが、一般的なゴボウの葉は苦くてとても食べることができません。

葉ゴボウ専用の品種がいくつかあって、そのまま「葉ゴボウ」という種で売られているのですが、じつは日本海側の福井県でも、越前白茎ごぼうという伝統の葉ゴボウの品種があったりします。



ウドは日よけをして軟白に育てなければいけないので、栽培技術が必要で、作れる環境も限られるんですよね。

きっと白いウドだとおもうんですが、あれはもやしやホワイトアスパラとおなじで、光に当てるとすぐに緑色になってしまいます。

山を削ってつくった洞窟(室)の中でつくっているという方もおられるそうで、ウドの値段が高いのは、大量栽培できなくて手間がかかるといった事情があるようです。

ウドのきんぴら、特別な風味があっておいしいですよね。



最後に、下の画像はうちの畑の際で自生している大浦ゴボウです。
こぼれ種から勝手に育ってくれています。

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予算会、お疲れ様でした。
やりやすいように変えていくのはいいことですね。
より効率的で負担が少ないよう、改善できることと思います。


おばあさまたちの心温まるお話、ありがとうございます。
家族と施設との関係性、本当に重要なことだと思います。

双方のコミュニケーションがうまくとれていれば、入居者・家族・施設で働いてる人、みんなが気持ちよく過ごすことができますよね。
入居している方が快適に心地よく過ごせるというのは、施設の方の接し方だけではなく、ご家族の愛情や努力のたまものと思います。
そしてその結果、穏やかなお別れができるんだと思います。

農園主さんのご家族のように、みなさんが精一杯のことをして差し上げ、悔いのないお見送りをできるというのは、数少ないと思います。

「おおきに。さいなら」
読んだだけでも涙が出ます。

その時は、お互いに「じゃ、またね」のお気持ちだったでしょうが、それが最後のことばだったことは、さぞかし感無量だったと思います。
※読み直して、「感無量」の使い方が間違っていると感じましたが、他に言葉を探してみても、しっくりするものが思い当たりません←語彙不足・・・


私のひいおばあちゃん(母の祖母)は、私が3才になる少し前に亡くなりましたが、同居していたのでおぼろげな記憶があります。
今でいう認知症でしょうが、トイレで排便後、壁になすりつけていたそうです。
母が後始末をしていたそうですが、母にとっては大好きなおばあちゃんだったので、ずいぶんショックだったと聞いたことがあります。


私の場合、金銭的な負担もなく介護をすることもなく、両親を見送りました。
10年ほど前、父は悪性リンパ腫で数か月入院していたのですが、まだ亡くなるとは思っていなかったので、父に頼まれた鰻などを買って、頻繁に病院に行っていました。
危篤になってからはまる一日病室にいたのですが、最後の息を引き取るのを見届けることができました。

呼吸ですが、だんだん間延びしていって、息を吸うのと吐く時間の間隔がどんどんあき、はた目にはもう亡くなったかのようにみえても、1分後くらいにまた息をするのが不思議でした。

今は、本当に気軽に簡単に、動画も音声も残せる時代になりました。
両親の動画を撮っておけばよかったな、と、今ふと思いました。


大浦ゴボウ、初めて知りました。
2~3日前テレビで、「あなたのご飯みせてください(昼めし旅)」という番組をやっていました。
その日の取材場所は大阪の八尾だったのですが、青いフキのような野菜を使って調理しているところで、「八尾若ゴボウ」と書いてありました。
ゴボウなのに青いんですね~。
びっくりでした。

最近は生ワカメ、ニンジン、ウドのキンピラに凝っていますが、ウド、高いです(-_-;)
直径3㎝、長さ40㎝くらいのもので、600円以上です。
あまり買う人がいないのか、スーパーに並ぶ数も少ないです。
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介護の話の延長線上で、ぼくの場合はあくまで雑談として、うちで経験した介護と施設の話もしようとおもいます。

もう15年以上前になるでしょうか、母方の祖母が老人ホーム難民のようになっていたところ、たまたま実家の近くにできた新築の特養に滑り込むように入所できたんです。

それで、母は当時フルタイムの仕事をしていましたが、マメに施設や職員さんと関係性を築いたことで、公費のサービスとしては手厚いケアを受けることができました。

じつは施設の職員は、利用者当人とおなじくらい、あるいはそれ以上に利用者の家族について観察していて、その記録もつけてるんですよね。

ここで関係性を築いていないと、要介護の等級の認定なども、実際の状態より軽く認定されることが多いのだそうです。

もし利用者への聴き取りだけだと、当人はまだまだちゃんとやれている、といって外面をよくみせようとするので、等級が軽くなりがちなんです。

そのとき、家族が施設側とうまく関係性を築いていれば、ケアマネージャーに、利用者の「ほんとうの状態」を伝えることができます。

なにせ特養は介護保険で運営される公費の施設ですから、費用は安いのですが、要介護3以上でないとホームに入所できず、われわれとしてはこの認定をもらうのに必死でした(笑)

というのも、祖母は会話は達者でしたが、もう認知症が進んでいて、腰の骨も足の骨も折っているし、トイレでじぶんの大便を触って壁になすりつけるといったこともあり、家族で面倒をみるのは限界だったのです。

結果、祖母は「要介護4」の認定をしてもらい、施設に入所できました。

そのご縁で、数年後にうちの父方の祖母も認知症が進んだ際、おなじ施設が運営しているデイサービスを利用させてもらいました。

さらにその後自宅で骨折したり、軽い脳梗塞を発症したりと問題が起こり、自宅での生活はもう危険だという状況になったのですが、たまたま施設の職員さんから空き部屋が出たという連絡をいただいて、母方の祖母とおなじホームに入所することができたのです。

フロアはちがいましたが、おなじ施設でふたりの祖母をみてもらうことができたのは、家族の負担面でも大いにありがたかったです。

母方の祖母は7年ほど前、施設で最期の看取りをすることができました。97歳でした。

父方の祖母は5年ほど前、熱を出して入院し、深夜、ひっそりと亡くなりました。94歳でした。

ふたりとも老衰ということになります。

父方の祖母はふだんからじぶんのことで人をわずらわすことを嫌う人でしたから、祖母らしい最期だったとおもいます。

孤独な最期ではありましたが、亡くなる2週間ほど前、施設に家族みんなで会いに行ったんです。

すると祖母はもう老衰で弱っており、会話はできるものの「目が見えない」といい、じぶんの最期を理解していたのか、「ほな、帰るわ」と告げると、みんなに向かって「おおきに。さいなら」と言いました。

虚をつかれて家族みんなグッときてしまい、その場を取り繕うように「また会いにくるで」といいましたが、結果的にあれが最後でした。

もちろん施設に入所してからも家族の負担はそれなりにきつかったのですが、施設という受け皿がなければ、両祖母ともに穏やかなお別れができなかっただろう、とおもいます。




千葉県は富士山の火山灰による地層で、水はけのよい農地が多いようですね。

日本海側のように晩秋以降雨に悩まされることもありませんから、晩秋に収穫期を迎える落花生は、よいものが収穫できることでしょう。

そのほか、場所によってはごぼうなどの、根が長い根菜もつくりやすいとおもいますが、大浦ゴボウの産地なんですね。

あれはうちのような粘土土でもつくりやすい短い根の品種で、煮物にするとやわらかくて風味がよくて、バツグンにおいしいです。

しかし軟弱地盤が多く、また太平洋側に突き出た半島ですから、地震や台風では大きな被害が出ることがあるようですね。

特産品を調べてみたのですが、たしかにウェブでは落花生の一本調子でした。

ただ、どうも海産物では伊勢エビの漁獲量は日本一なんだそうです。

また農業に関してはかなりさかんで、ぼくがつくるようなすこしニッチな野菜の生産に力を入れているように感じます(笑)



高齢者施設の会計担当となると、うちのような戸数が20件を切った田舎の自治会の会計とは比べ物にならない煩雑さだろうとおもいますし、断れるものなら断りたいですよね(笑)

うちの場合はもう後がないというか、腹を決めてやらざるをえないというところまできているので、逆に気分的にはラクかもしれません。

自治会内の雰囲気もよいですし、むかしに比べるとやりやすくなりました。

きょうはいまから予算会です。いろいろやりやすいように変えていこうとおもいます。

ギズモさんもあわただしい日々が続いて気苦労がおありとおもいますが、どうかお疲れの出ませんように。
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会計というのは、さぞかしお骨折りのこととお察しします。
私が講座を行っている高齢者施設では、副館長は2名で、それぞれ講座担当と会計担当に分かれます(各館一律ではありません)。
会計担当になったら辞退する、という人がいるくらいですから、その煩雑さはすごいと思われます。


最近、入居者を粗雑に扱ったり暴力をふるったりといった事件が多いですね。
施設側はいいことしか言わないので、実際に手あつい世話をしてもらっていたかどうかはわかりません。

お母さまは、本当にきめ細やかにお世話をなさっていたんですね。
日常的にできることばかりではないと思いますが、ご家庭と両立させて、心身共に尽くしていらしたことに頭が下がります。

親を介護するとなると、子どもには、金銭的にも身体的にも精神面にも負担をかけることになりますが、子どもの生活が破たんしないよう、ピンピンコロリが理想だと思うようになりました。


外周は200kmですか!!
昨日、80代の知人とたまたま修学旅行の話をしていたのですが、その人の時は、中学で京都・奈良、高校は房総半島1周だったそうです。
よく覚えていないけれど、文化・歴史を勉強する旅だったような気がする、と言っていました。

最近は、中学でも私立なら海外への修学旅行が一般的になり、親の負担は大変なものです。


今日は、母の除籍謄本、改原戸籍などを区役所に取りに行きましたが、生まれた時まで遡って取るため、2時間も待ちました。


しばらくは相続関係での事務的なことも多々あり、新年度のために仕事もまだ日程が定まらないので、何かと慌ただしく落ちつかない日が続きます。
無理をしないよう、適度に手を抜いて休み休みやることにします。


農園主さんも、あまり根を詰めないように。
お仕事も自治会も、ここも、くれぐれもご無理のないようになさってください( ^^) _U~~
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有料老人ホームだからでしょうか、入所者の身の回りのお世話を施設で管理してもらえたのは、ありがたいことですね。

いまの社会が求める人間らしい暮らしの水準は高すぎて、家庭で細やかな介護をするのはほとんど不可能に近いです。

うちの祖母はふたりとも特養に入所しましたが、それでも家族はかなり細かくサポートが求められて、預けっぱなしとはとてもいかない日々でした。

むしろ老人ホームに預けたことによってケアが手厚くなるものだから、家庭だと「これくらいはもう堪忍してもらおう」というところがそういうわけにもいかず、むしろ気が抜けない日々になったようにおもえたものです。

母が甲斐甲斐しく世話をしてくれたからよかったものの、日常生活が圧迫されるという点で、なかなかどこのご家庭でもできることではないだろう、というのがぼくの正直な感想です。

またうちの場合、祖母にとっても家族にとっても、突っ込んだ介助に関しては、身内ではなく他人にしてもらいたいという感情もあったようにおもえます。




冷凍の野菜は、そのまま一気に加熱するのがセオリーだというのは、恥ずかしながら今回のサトイモで知りました(笑)

市販の冷凍野菜もそうなんですね。

となると、ジャガイモなんかもうちで収穫したのをあらかじめ細切りにしたり、薄切りにしておいてフリーザーバッグで冷凍保存しておけば、冷食のフライドポテトみたいに調理したり、好きなときにポテトチップスがつくれるかもな、などと考えています。



東野圭吾の作品は読んだことがありませんが、最近は現代小説を聞くターンになっているので、『さまよう刃』もいつか触れてみようとおもいます。

積読になる可能性も大ですが(笑)



千葉県、10年ほど前に一度、下道で東北まで行った帰りに、千葉市を「通った」ことがあります。
ひと晩道の駅で車中泊し、スーパー銭湯で汗を流したのですが、完全に都市部でした。

房総半島の西側は東京湾の江戸前の海の幸、東側は太平洋の海の幸に恵まれているようにおもえるのですが、そういえばあまり海産物のイメージがないですね。

でも千葉市中心部から半島の南端まで、直線でおよそ80km、外周をぐるりと回れば200km近くもあるのをみて、これは深掘りすればいろいろ文化や歴史面で楽しい発見がありそうだな、とおもいました。



はしかのワクチンは打ってないんですが、子供のころにかかったかどうか、はっきり覚えてないんですよね。

東京のように人口密集地だと、感染症に対する不安はより大きいものとおもいます。

もちろんぼくが田舎だから安全というわけではないですし、大阪に帰省するときはいつも風邪をもらいそうになったり、実際もらったりしますから、気を付けるようにします。

ありがとうございます。



わたくしごとですが、以前、自治会の副会長をすることになったと言いました。

副会長といっても実質的に会計なんです。
自治会のお金の動きを1年間みて、年度末には決算書をつくって承認してもらいます。
ここしばらくは自治会の通帳と帳簿を照らし合わせて、一年の仕事の流れを調べることに追われています。

小さな自治会ではありますが、手続き部分がかなり煩雑で、生活と両立するのがタイヘンです。

そんなこんなで、言い訳がましいのですが、いままで以上に返信が遅れがちになることをお詫びしたうえで、ご理解いただきますようお願いします。
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ありがとうございます(o_ _)o))

3年ほど前に転倒したことから要介護の認定となり、それからは家に区のヘルパーさんが来てくれていたのですが、ホームに入居したほうが安心だと思ったらしく、行政にも相談し、適当な有料老人ホームを探してもらったようです。

比較的安い所も一時金が怖ろしく高い所(マンションを買える値段)もまったく空きがない状態で、かなり待たされてやっと、都心からは少し離れた、交通が不便な所に空きがでて、入居した次第です。

空きが出るという事は、どなたかが亡くなったということなのでしょうね。

少しばかり歩行がつらい時はあったようですが、寝たきりにも痴呆にもならず、元気でいてくれたことにはホッとしました。

責任の所在、確かにいろいろつきつめると、本当にややこしいことになりますね。

今回は、行政とホームの責任もありますが、おおもとの問題は私です。
そのホームに入居したことは聞いていたので、たとえ行かなくてもホームと連絡を密にしていれば、今回のようなことにはならなかったと思います。


そう言えば、市販の冷凍野菜は、解凍しないで調理するように書かれているかもしれません。
先日、ブロッコリーとカリフラワーなどが入った西洋野菜ミックスの冷凍品を、解凍してから炒めたら、ぐちゃぐちゃになってしまいました。


テスカトリポカ、ネットでネタバレ感想を見ると、かなり精神的にまいってしまう作品のようですね。
以前、東野圭吾の「さまよう刃」で、ずいぶんと神経をやられました。
あれとは内容が違うでしょうが、小説で受ける影響というのは、けっこう大きいものですね。


昨日、所用があり、義弟の車で妹と千葉方面に行きました。
首都高から降りても、コンビニもスーパーはもちろん、道の駅や直売所というものがまったくなく、妹が「埼玉と全然違うね~、野菜を買うのを楽しみにしてたのに」と。

野菜があまりとれない県なのか他に理由があるのかはわかりませんが、有名なのは落花生と鉄砲漬けくらいなのかもしれません。

若葉というから東京23区のようなイメージだったのですが、山の中で、近くの公園の桜は5~6分咲き、蛙とウグイスが大きな声で鳴いていて、伸び伸びとした春を味わうことができました。



ところで、農園主さんは麻疹はかかっていますか?
最近はやっているようですので、もしまだのようでしたらお気をつけください。
私は小学校の頃かかりましたが、稀にですが2回感染することもあるらしいので、ちょっと怖いです(;´Д`)
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1423
ギズモさんのご事情、今回のニュース記事の件とリンクしていたんですね。

ニュースの件も含めて、もちろん事なかれ主義や責任のたらいまわしは大問題なんですが、だれを責めるわけにもいかない、明確な責任がどこにもないのは、モヤモヤするところであると同時に、だれにとっても救いなのかもしれないとおもいます。

というのも、この問題、行政などがあまり強引に突っ込むと、他人のプライバシーを行政が監視するとか、家族のつながりのない人は施設で受け入れられないなど、かなりややこしいところまで発展しそうなので、あまり責任の所在を決めないほうがいい側面もあるような気がするんです。

いずれにせよ、お母さんが施設で和やかな晩年をお過ごしになられていたのは、よかったですね。

そして、たいへんな経験をなさっていたこと、あらためておつかれさまでした。



テスカトリポカは、社会の暗部を描く、神経に響く作品でした。
ぼく個人としてはこの作品は非常に高く評価しているんですが、なにせ精神が削られます(笑)

残酷な描写に耐性がおありでしたら、異色の大作だとおもいますので、ぜひおススメします。

塞王の盾はその点、ちょっとエンタメ性が強く、聞いていて楽しいんですが、土木工事の話なので、地形関係の話は文章では理解しづらくて、特に朗読だと聞き流してるところが多いです。

口訳古事記は、読まなくていいとおもいます(笑)
でも、神武天皇あたりで古事記を読むのは息切れしがちなんですが、この作品は一本調子なのでそのまま惰性で聞くことができました。



早春賦、いい曲ですね。
こちらは3月あたりからぼちぼちウグイスの鳴き声が聞こえ始めたのですが、そこからグッと寒くなるという不思議な天気でした。

3月頭には水仙の葉が顔を出していたのに、咲き始めたのはいまごろで、桜も例年になく入学式に間に合う感じです。

寒暖差のお気遣い、ありがとうございます。
これからゆっくりと体を慣らして、本格シーズンに向けていきたいところです。

あとすこし寒の戻りがあるかもしれませんが、お互いうまく適応していきましょうね。
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農園主さんが引用してくださった記事、読ませていただきました。
この記事のことから、申し訳ないのですが、もう少し母の話を続けさせてください。

父の時は、社葬にするという話でしたが、父の生き方考え方は、↓ のとおりだったので、母と妹と相談して、家族だけの直葬としました。

先生がいわれた
礼だ礼だといっても玉や絹布の事であろうか
楽だ楽だといっても鐘や太鼓のことであろうか
(儀礼や形式よりも その精神こそが大切だ )
論語 阳货第十七 11



今回、母も直葬にしました。
これから書くことは、経緯がよくわからないかもしれませんが、詳しい事情は伏せたいので、失礼をお許しください。

25日、妹の家の家電に、豊島区役所から留守電が入っていたそうで、すぐ妹からその旨メールがありました。
私から区役所に電話をしましたが、開口一番、担当の職員さんが「お母さまのことで、何か連絡がありましたか?」と。
「いえ、どこからも」と答えると、「実はお母さまが亡くなりまして。。。」というお話でした。

事務的な話をしたあと(火葬の件など)、すぐに母が入所していた有料老人ホーム(入所は3年前です)に連絡をし、「長女ですが、区役所から連絡をいただいて、、」と話すと、「23日に病院で亡くなりましたが、その時連絡がありませんでしたか?」という話をされました。

これ、責任のなすり合いみたいなものですよね。
どこから連絡があって然るべきだったのかとなると、私は、ホームと行政、双方にその責任があると思います。
ただ、うちも放りっぱなしでいたわけなので、そのあたりを追及するつもりはありません。

でも、もし連絡がこなかったとすると、引用してくださった記事に書かれているケースと同じことになっていたかもしれません。


役所もホームも言い訳のように(言い訳そのものですが)、「長女の方の連絡先に電話したら、この電話は現在使われていないということでしたので」と。
一回引っ越しているので家電は確かに変わりましたが、区役所は妹の携帯番号も把握しているので、入居の際も連絡先として、私と妹の双方の電話番号が記録されているはずです。


1月に肺炎で入院した時はともかく、亡くなる2日前に容態が変わり、ホームに病院から連絡があったとのことですので、その時点でなぜ連絡をくれなかったのか。
いくら鬼のような娘でも、そのような連絡が来れば行きました。


人の家の事情を聞かされてもお困りですよね、ごめんなさい。

所詮、お役所仕事というのはこういうことなんだな、と思える出来事でした。


今日ホームから、母がホームに隣接しているデイサービスに連れて行ってもらい、楽しそうに過ごしている写真が送られてきました。
電話でも、明るく社交的でみんなと仲良く過ごしていた、という様子をお聞きすることができたので、ちょっと安心もしています。
(追記)「安心」と書きましたが、「心が休まりました」という表現の方が合うと思い、書き足します。同じ意味ではあるでしょうが、少し違うように思ったので。


高校生の頃、頭はわるいくせに、古文・漢文が10段階の10だったのも、最近シャンソンを歌うようになったのも、母のおかげです。
母の悪い面は、自分はそうならないようにと気をつけてきたし、いいところもそうでなかったところも、やはり影響は大きいです。


今聞いていらっしゃるの、とってもおもしろそうですね。
特に「テスカトリポカ」は、興味がありますので、近いうちに読みたいと思います←また積読が増えそうですが(笑)


今日は暖房をつけたくらい、冷えました。
「春は名のみの風の寒さよ」という歌詞そのものの陽気でした。

農園主さんも、寒暖差にお気をつけください。
Icon of nouennushi
1420
火葬の予約の件、教えていただいてありがとうございました。

やはり待ち時間が長くなっているのですね。
いざというときの心積もりをさせていただきました。

最近は直葬が増えているようで、ぼくもそうしてもらうつもりなんですが、きょうちょっと気になる記事をみかけました。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/2024040...

人同士が常時つながりあうということをしなくなった社会では、じぶんの死がだれにも知られないまま、行政に「処分される」ことも、可能性のひとつとして覚悟しておかねばならないのかもしれません。



うちのあたりは、最近でこそ少なくなりましたが、集落のだれかが亡くなると自治会でお葬式に参加することがよくありました。

その際、お焼香のスタイルや、どのタイミングでご遺族に挨拶するのかといったことは、ぼくはわざと無頓着でいるようにしています。

故人を悼む気持ちを持ち、礼服と数珠と袱紗だけは欠かさず失礼にだけならぬよう気を付ける、というだけで、段取りや決め事に関しては、もう笑って許してもらおう、と(笑)

ぼくに社会的な立場がないからこそ許されるのだとおもいますが、いまの葬儀社が執り行う段取りは、むかし各家庭でお葬儀をしていたころにはなかった(地域の独自ルールだった)もので、この半世紀の間に醸成されてきたものなんですよね。

だから、できなくて当たり前くらいの感覚でいます。



ぼくはいま、アマゾンのオーディブルがまた2か月200円で聞けるというので、再登録しました。
年末に200円で2か月さんざん楽しんだのに、また間を開けずにキャンペーンで不思議だったんですが、今回は「口訳 古事記」と「テスカトリポカ」を聞き、いまは「塞王の盾」を聞いています。

現代小説には疎いんですが、ちょっと流行りものに手をだした感じです。

山本周五郎、青空文庫にあるのですね。

よい情報をありがとうございます。

「三十二刻」、また時間のあるときに読ませていただきます。

これから戦後の読みやすい作家の作品が多数青空文庫に充実しそうですね。
Icon of gizumo
ありがとうございます。
今日はずいぶん楽になりましたが、まだかゆいし、頭痛もします(笑)
アレルギーの薬を飲んでいても、さほど効き目がありません。
相変わらず家の中にユリの香りがするせいかもしれません。

かゆみは痛みよりつらいことも多いですよね。


親子って、やっぱりそうそう簡単な関係ではないですね。
血がつながっているからこそ厄介な面もあり、そこをうまく折り合いをつけて生きて行くのは、なかなか難しいこともあります。

私の場合、母はこういう人なんだと受け入れることで、いびつな鏡のイヤな跳ね返りを、なんとなく回避してきたのかもしれません。



23日に亡くなったのですが、どの葬儀場もとても混んでいて、最短で昨日ということでした。

親戚などには、家族だけで済ませるというお知らせをし、葬儀は昨日一日だけで、ごく簡単なものにしました。

2月は亡くなる人が多いのでずいぶん待つようですが、この時期にこれほど混んでいるとは思いませんでした。

一般的には亡くなった翌日がお通夜、翌々日が告別式で火葬という流れですが(友引ははずして)、ずいぶん日にちがかかってしまいました。


最近は、テレビでもよくやっていますが家族葬も多く、簡易型の葬儀が増えつつあるようですね。
亡くなった人の地位や職業から、どうしても盛大にやらないといけないケースもあるでしょうし、生きている人の体裁のために盛大に行う場合もあるでしょうし、葬儀もそれぞれですね。

昨日は、ひとりで火葬に立ち会っている方もいらっしゃいました。

お墓と同じで、葬儀の形も変わってきているし、これからも変わっていくのかもしれません。


ところで、長女なので、一番最初にお焼香をしたのですが。
10年以上お葬式に出たことがなかったので(それは言い訳になりませんが)、うっかり、抹香ではなく香炉の灰の方をつまみそうになり、葬儀やさんに「そっちじゃありません」と言われてしまいました(笑)

お焼香は宗派によってやり方が違うので、お葬式に出る時は前の人のやり方を盗み見て真似をするのですが、今回トップバッターということで、しくじりました・・・。


数日前、青空文庫で、新しく追加された作品の中から、山本周五郎の「三十二刻」を読みましたが、なかなかおもしろかったです。
you tubeで朗読もありましたが、時代物は特に、漢字が見えないと理解しにくいことがあるように思いました。

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