山麓王国

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このツイートは、日本に難民申請を行っているクルド系の男に、じつは金づるになる株主がいて、高級車を乗り回すような立場であったということに対して、ビートきよしが「何が難民だ帰れ帰れ今すぐ帰れ」と言った、というものです。

まあ著名人なんだし、わざわざこんな排斥的な意見を表明しなくてもよいともおもうけど、これに左翼インフルエンサーたちが組織的にものすごく執着をして、返信や引用リツイートでヘイトだと言い募り、あげく「ヘイトきよし」などと叫んでいるのをみて、なんだか理解がひとつ進んだ気がします。


先日、フランスで暴動が起きました。
アラブ系の少年が警官に射殺されたことをきっかけに広がったのですが、反差別を主張する極左が煽った暴動だったといいます。

もちろんこの問題の背景には、少数者の苦しみへの配慮の欠ける国の姿勢など、日本とよく似た構図があったわけで、そこを無視するわけにはいきませんけど、それはいったん置いといて、このフランスの事件を見て、ぼくが国家転覆を企図する左翼活動家だったらこうおもいますよ。

「あ、いまの世の中って、反差別を利用すれば、暴動を起こしたり、国家転覆のクーデターを起こすワンチャンあるのか」

難民とか、いかにも弱者っぽい立場の問題をうまく利用して、われわれはこういうのを守るのだ、とやって、じつはこっそり弱者難民を装って日本に侵入するテロリストともうまく手を組んで、大きなムーブメントを起こして国家転覆を狙うってのはどうだろう。

少なくとも、フランスでは、ちょっといいところまでいったじゃないか、と。


日本では埼玉県にクルド系住人が集中しているようで、かれらが川口市内の病院で乱暴狼藉のケンカ騒ぎを起こしたというニュースがありました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/5a35ac...

埼玉に居住するクルド人の中にはいわゆるヤンキーのような示威的な行動をとるのもいたそうで、記事中の言葉を借りれば、「コンビニでたむろし、メンチ切ってくる」「車で危険運転をする」「気味が悪い、怖い人たち」だったそうな。

少なくともぼくがTwitterで観察している限り、左翼系の人たちはこの機動隊まで出動した暴力事件のニュースには、だんまりを決め込んでいました。

まだ是々非々で、アカンものはアカンという立場を表明しているのならわかるんですが、だんまりだったんですよ。


このあたりを踏まえると、ビートきよしがよくわからない金回りのよいクルド系住民の難民申請ということに気味のわるさを感じて、帰れ帰れといったのは、まあ著名人の言葉としてうかつではあるとおもうけど、関東圏内に住む人としては当然の危機意識のあらわれだとおもいます。


ところが極左系の連中がこの、いち芸能人の自由な範囲でのつぶやきに過剰に反応し、組織的にヘイトだと大騒ぎして攻撃したあたり、もしかしたらかれらも、こういった「難民」を利用してなにかやろうとしてるのかもな、と邪推せずにいられません。

で、いちばん気の毒なのは、そういう政治運動に巻き込まれて、ほんとうに支援が必要な難民が、悪党扱いされて十把ひとからげに排斥されることになる、ということだとおもうんですけど、この点もビートきよしはすでにつぶやいてます。



日本でも、フランスのあの暴動事件は、対岸の家事じゃないんだとおもいますよ。

#時事
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きょうも朝夕2回の水やりで、すこしずつ葉野菜は発芽しています。
オクラも一部に最低限の水やり。ズッキーニもバケツに柄杓で往復しながら、株元に水やりをしています。

ズッキーニの柄杓水やりは、効率的かどうかはともかく、やってておもしろいです。
なんというか、株元が水をどんどん吸い込む感じがするので、やりがいがあるというか(笑)

夕方には段々畑の斜面の草刈りをしました。このあたりの昔ながらの段々畑の斜面は、みんなすこしでも畑の面積を広くしたいという思惑で、ほとんど直角に近いむちゃくちゃな傾斜なんですよね。

だから、高齢化が進んだいま、山の法面はどこも少しずつ崩れています。
多少土地の面積が狭くなるくらいどうでもいいし、斜面がゆるやかになるほうが好ましいので、ほったらかしです。
#野菜
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こちら、「フルベッキ群像写真」といいます。

オランダの宣教師グイド・フルベッキが佐賀藩の藩校で学生と教師をあつめて撮影した写真で、明治初年頃のものといわれています。

……フルベッキですか。(なにかを想像しながら)
#与太話

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軽トラでスーパー行く途中に、ラジオでこの曲を聞いて、最初、「あ、変わったブルースだな」とおもって、しばらく聞いてたら、なんか聞き覚えがあるぞ、と。
途中で、あ、これレニー・クラヴィッツのアメリカンウーマンやんか、と気づいたんですが、もともとこっちが原曲で、Guess Whoというバンドの曲だったようです。
個人的にはこの原曲のほうが好きだなあ。



#音楽
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ふだん何気なくつかってる言葉が、じつは省略語で、意味がわからないということがあります。

回をわけて2例あげますが、今回は「祇園」。

祇園精舎の鐘の声、と平家物語の冒頭にありますが、祇園とは「祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん)」の略。
ですから、省略せずにいうと「祇樹給孤独園精舎の鐘の声」になります。
漢字が多くてイヤになります。

祇樹というのは、ブッダがいたころのインドの、コーサラ国の祇陀太子(ジェータ太子)が所有していた樹林です。
祇陀太子の樹林だから、祇樹。

給孤独というのは、スダッタという金持ちのニックネーム。
漢字で書くと須達長者なんですが、孤独な貧民に施しを与えるような人だったそうで、そこで給孤独というニックネームがついたそうな。

精舎というのは修行する場所ということです。

この言葉が生まれた由来として、スダッタがブッダに入れ込んだあげく、ジェータ太子に頼み込んで巨額の私財を投じて樹林を買い取り、ブッダの修行の場所にしてくれと喜捨するんですね。

だから「祇樹給孤独園」は「祇陀太子の樹園を買った給孤独が、ブッダに捧げた修行の園」ということになります。
この言葉が省略されて祇園となったわけです。

ちなみにインドの祇園精舎は場所も特定されていて、グーグルマップにも載ってます。
https://www.google.com/maps/place/%E7%A5...

#与太話
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オクラ、獣害がおさまったおかげで、お盆あたりから多少収量が持ち直すかもしれないなという感じ。

例年とはまったく比べ物になりませんが、うまくいけば人件費以外は回収できるかな。
出費した分がそのまま戻ってきて終了、といった感じですが、戻ってこないよりはマシだろう、とため息まじり。

さて、梅雨まで大量の雨が降り続いたあと、いまはカンカラカンに乾く日々が続いていますが、このような無茶苦茶な天気がいい実験になっていると考えて、ことしはあえてズッキーニもオクラも葉を落とさずに育てています。

ズッキーニは葉を落とさないと、実に葉擦れを起こすものがありますし、収穫の見落としも発生するんですが、収量は例年より上々の印象。

オクラは実の2~3節ほど下からどんどん葉を切り落とすのが栽培の基本なんですが、これをすると干天続きで水をやれなかったときに、枝がすべて落ちて茎だけの棒になったことがあります。

葉っぱを残すことで、株元が日陰になって多少は変化があるか、あるいはやっぱりダメか、うちは水やりの届かない圃場が多いので、そのへん、観察してみようとおもいます。

#野菜
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原題「The Homesman」、邦題が「ミッションワイルド」。

トミー・リー・ジョーンズが監督と主演を務めた映画で、きょうアマプラで3回目をみました。

3回見て、3回気づきがある映画です。

ネットのレビューなどでは、ペラペラの感想や説明であふれてますし、どういう映画なのか、よくわからないという人がほとんどだとおもうんですが、ストーリーについてはネットを調べれば出てきますから、ぼくは説明されていない部分を書きます。

これはアメリカの西部開拓時代において、社会がイケイケの開拓精神や資本主義、男尊女卑の抑圧とそれを黙殺する風潮に堕している。その堕落はプロテスタント教会も例外ではなく、だれも本来の崇高な精神を顧みることはない、という骨格の話です。

ほんとうの善性をもった信仰の人が、ほかならぬ神に打ちのめされるような話で、この映画は西部開拓時代ではあっても、既存のアングロサクソン賛美の勇ましい西部劇とは真逆の、アングロサクソンの開拓史の暗部を暴くような構成になっています。


ぼくは先日、ビッグモーターの件で「経済」「経営」の経という字は、お経とおなじ語源で、道理を意味する、といいました。45

じぶんの生活を実践するには道理が必要で、お金を扱うにも道理が必要。

その道理は、わが国においては仏教の「経」が負担していて、近代資本主義の礎であるヨーロッパ、アメリカではキリスト教の敬虔さが、「金がすべてさヒャッハー!」みたいな実際主義的な暴走を止めていた。

……ところが、ほんとうは、止められなかったんですよね(笑)
止められているなら、現代にビッグモーターの問題などは起こりません。

資本主義はルール無用の奪い合いであり、主義を前にすると道理は踏みつけにされます。

西部時代のアメリカはみな開拓と資本主義に狂っていて、まっとうに信仰し、まっとうにお金を運用し、その地に根付いて生きようとする人を退屈だと言い、みななにか空虚な成功を夢見ている。

主人公のヒラリー・スワンクと、心を病んだ女性たち以外は、すべてがこの手の人間で、唯一小悪党のトミー・リー・ジョーンズが実際主義からすこし改心しかかるのですが、やっぱり最後は拳銃ぶっぱなしながら、資本主義と開拓精神の熱狂に戻っていくのです。

そのあたりがわかったうえであの作品をみると、みえてくるものがまるで違ってくるという、そういうタイプの映画です。

#与太話
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マダラジソで梅干し漬けてるんですが、けっこう赤くなってます。
#野菜
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すさまじい暑さですが、例年より少ない収穫をすませ、葉野菜に水やりをし、ニンニクの種取りをして、先日の草刈りした草を整理。
午後はどうしようかな、と考え中。
ズッキーニはコンスタントに15本ほど、直売所でちょうどはけるくらいが収穫できていますが、あと一週間ほどでぼちぼち終わりそうです。
第二弾とチンゲンサイとベカナ、わずかに発芽を確認。どうにも頼りないです。
#野菜
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ホームページの宿命で、ほっとくと返信のラリーはどんどん長くなっていきます。

もしホームページのコミュニティを広げたら、返信のリソースがたいへんなことになっちゃうぞ、というおかしな焦燥感とともに、じゃあコミュニケーションをはしょるかというと、それはどうもホームページの道義に反するという、これまたおかしなジレンマが起こってしまう。

まあ、ホームページの道義ってなんなんだ、という話なんですけども(笑)

それでも、どうしてもこの点が割り切れなくて苦しむ、ということを、20年前にもやっていたなあ、とほほえましく懐古するきょうこのごろ。


ホームページが衰退していった原因のひとつは、本筋から離れたリソースが増大していく、という点だったとおもいます。

ただ日常を語りたいだけなのに、最低限のプログラムの知識が必要だったり、いいねですませられないからコミュニケーションがどんどんふくらんでいく。
管理人の性質に合わせてホームページのルールなるものがどんどん増えて、立て看板だらけになっていく。
その点、システムの保守管理をしてくれているブログやSNSと比べて、ホームページ時代は非効率的でした。

でもいまぼくは、やっぱりこの非効率が大事だったんだ、と考え直しています。


生活が効率的であるということは一種の快楽ではあるので、頭ごなしに否定はできませんけど、じつは人間自体は非効率的な生き物です。

現代は効率を求める快楽に向かいすぎて、非効率を愛する視座が欠けているようにおもえるんですよね。

あんまりいまこの瞬間の効率性だけを求めすぎると、子供をもうけるのだって非効率的だ、子供にじぶんの生活の足を引っ張られる、みたいな極端な考えに行きつきそうだし、実際少子化という現象はそういうことだとおもいます。
ぼく自身、ここまで極端ではなくても、家庭がないことの背景に、非効率を愛せなかったじぶんがいるような気がしてなりません。

しかしぼくはもう、これから日を追うごとに非効率的で非生産的な、孤独なジイさんに向かっていくわけですから、せめてこれからは、この採算の取れない「お祭りの場所」(楽しいけど生産性のない場所)を愛することで、活路を見出そうじゃないかという、淡い期待を寄せているのです(笑)

#与太話
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『浮雲』というタイトルの小説を、二葉亭四迷は明治20年に、昭和24年には林芙美子が書いています。
で、ぼくはどちらも読んだことがありません。

だから、知らないのをいいことにこれからものすごくうるさいことを書き連ねますが、まずぼくはいままで、浮いていない雲を見たことがないんですよ。

「頭痛が痛い」みたいなもので、雲はそもそも浮いてるのに、わざわざ念を押すように浮雲という意味がどこにあるのか、と。

しかしふと気になって、浮くの対義語である「沈む」から、「沈雲」なんて言葉はあるのだろうか、と調べてみました。

これがあったんですよね。

「垂れこめる雲」という意味合いなんだそうで、沈雲(ちんうん)なんていわれると、不肖のおじさんは下品なことしかおもい浮かばないんですが、ともかく雲は常態として浮かびながら、さらに浮いたり沈んだりしてみえるようで、わざわざ雲の浮かび方に対してそういうまわりくどい言葉が用意されている。

たぶん、浮雲は「ふわふわと軽い雲」、沈雲は「どんよりと重い雲」というようなニュアンスなのだろうとはわかってるんですよ。

しかしそれだとまたぼくみたいなヒネクレモノは、
「浮いている雲の軽い重いなんて、どうやって計るのですか( ー`дー´)キリッ」
なんて考え始めるわけです。

しかしそんなことを言いはじめたら、「青雲のこころざし」なんていうけど、ぼかぁ青い空はみたことがあっても、青い雲は見たことがないのですよ。

そんな感じで雲に対してウザ絡みしているうちにメンドウになって、あーあ、二葉亭四迷もこの際小説のタイトルを『雲』にしといてくれりゃ、こんなことを気にしなくてすんだのにと無茶苦茶な八つ当たりをする始末。

ね、ものすごくうるさい話だったでしょう(笑)

#与太話
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独裁が唯一許されるシチュエーションがあって、それは「徳治主義」をおこなったときです。

一時期のブータンがそうでしたが、国際的な潮流である資本主義の土俵に乗らず、精神的な幸福を追求するというような、ある意味国民に忍従を強いるような政策をとっても、国民がついてきたのは、統治者に徳があったからです。

その点、為政者に必要なのは、合理性や能力よりも徳だといえます。

合理性や能力は、徳をカバーする重要な才能ではありますが、やっぱり天秤にかけたときには徳のほうに傾くものです。

歴史をみると、石田三成は事務者としての能力はバツグンでしたが、なにせ冷徹で人望がなく、秀吉の威光を借りても関ヶ原の戦いでは家康に勝てませんでした。

家康自身に特別すぐれた徳があったとはおもえませんが、少なくとも当時の諸大名の中では「清濁併せ呑む器量を持つ、話の分かる統治者」ではあったとおもいます。

有能なだけで徳がない独裁者は、必ずどこかでこけます。

ヒトラーにしても、超有能で、人民をコントロールすることに血道をあげ、民族主義を喚起してドイツ国内のナショナリストを熱狂させましたが、最後はあのザマです。

レーニンやスターリンも有能で、かれらは死線を生き延びましたが、国際協調路線を投げだして当時のソ連に戻りたいと望んだ、後継者のプーチンは現在ロクでもないことになってます。

A級戦犯で死刑にされた東条英機と、戦後を87歳まで生きた昭和天皇の差はなにかというと、国体護持うんぬん以前に、昭和天皇の徳を考えずにいられません。

昭和天皇がもし謀略をもって政治をおこなう、有能でイケイケの覇権主義者であったらば、いくら戦後の国体護持をとりつけたとしても、おそらく万世一系は途絶えていたでしょう。

なにが言いたいかって?

Twitterは、曲がりなりにもいまよりは、青い鳥が飛んでいたときのほうがよかったなあ、という話です(笑)

#時事
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きょうの作業は、葉野菜への三回目の防除と、水やり。
水やりはさすがに朝夕の2回に増やしています。

まあ、水代くらいはちゃんと生育してくれれば回収できるんですが、それにしても梅雨が明けたとたん、春からこれまでの曇天模様はなんだったんだというくらいの干天続き。

ぼくが死後お天道さんになったなら、これまでの雷さんの頭をハリセンでおもいきり叩きのめして、「寝ぼけとんか。変われ、アホンダラ!」と、もうちょっとマシな雨の降らし方をします。
いまの時代を担当してる雷さん、よほどのヘタクソですよ(笑)
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水やりを終えたときにはもう乾き始めています。
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この暑い中で、草刈りを一時間ちょっと頑張ったら、見事に脱水症状。
乾燥してるから、ちょっと頑張れちゃうんですよね。
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ふと。

Twitterからこちらの王国へのリンク、削除したのですね。
インターネットという大海原に公開されていながらも非常にクローズドな空間で、不思議な感じですw

しかしTwitterへの不満もわかります。
先日のAPIの事件もここ数日の不具合も、狙いと意図がわからず居心地が悪いです。
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乾燥させたドクダミをお茶にしているのだけど、これがなかなかのクセで困っていました。
市販のドクダミ茶はよほどうまく乾燥させて、匂いの元である成分を揮発させているのだとおもいますが、シロウトではなかなかうまくいきません。

が、ドクダミ茶はブレンドの配合の問題である、と気づいてから、ごく少量を煎じて麦茶に混ぜるようにすると、かなり嫌味が抑えられるようになりました。

夏の麦茶は常飲するものなので、ほんの少量を積み立てていくようなイメージで飲むのがよいのだろうな、とおもった次第。

おなじ要領で、シラカシの葉もブレンドして、カラダの石対策をしています。

きょうあたり桑の葉も乾燥させてお茶にしようと画策しているのですが、どうにもダラダラしちゃってます。
#野菜
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このホームページの投稿欄なんですが、パソコン(Windows)からだと「CTRL + ↓」で領域を広げることができます。
「CTRL + ↑」で、狭めることもできます。
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えだまめの翡翠をめでつ味わいつ


かわいい。
私はネット上での言葉遊びが好きです。
この俳句がかわいいと感じたポイントですが、「めでつ味わいつ」の「つ」です。
顔文字だと「つ」はしばしば手の表現として使われますが、「めでつ味わいつ」で「つ」が連続して使用されることから、枝豆が美味しくて手が止まらない様を想像しました。
スレ主はきっと意図していないでしょうから曲解と言われても仕方ありませんがw
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ビッグモーターや知床遊覧船で経営コンサルタントパートナーを務めていた男がいたそうで、この経営指導が黒幕なんじゃないのかと噂になっています。

まあ問題そのものはともかく、ぼくはというと、いつもどおり遠景を俯瞰するような話がしたいのですよ。

経営コンサルタントといいますが、経営という言葉の語源は仏教にさかのぼるようです。

経営の経と、お経の経はおなじ字で、おなじ意味なんですが、「ものごとの筋道、道理」を意味します。

では営とはなにかというと、いとなむ、おこなう、励む、というようなことですが、「実践する」ということなんです。
つまり経営とは、ものの道理の実践に励む、ということ。

そもそもの意味には、お金を稼ぐというようなニュアンスはありません。
資本主義という概念は、比較的あたらしいものなので、もともとは単に、じぶんにできる精一杯、奉仕するというような感じです。

源氏物語の夕顔のくだりに「大殿も、けいめいしたまひて、日々に渡り給ひつつ」とあるのですが、この「けいめい」が「経営」で、左大臣が光源氏のために忙しく立ち回った、というような意味合いです。

また平家物語では「多日のけいえいをむなしうして」とあり、これは多くの日数をかけた建築がムダになってしまった、というような意味合いです。

このことからみても、経営という概念からお金、つまり資本主義を取り除くと、そこには人のために心を砕くという意味が残ってきます。

もうすこし掘り下げて、経緯という言葉があります。
地図の縦の座標軸を経度、横の座標軸を緯度といいますが、経という言葉には、機織りにおける縦の糸という意味も含まれています。
緯は、横糸のことです。
この縦横の糸が、さっきの筋道・道理という意味とあいまって、ものごとのなりゆきをあらわす経緯という言葉になる。

さらにこの縦の糸(道理)を、生活をするための家の区画をつくる縄として考えて、「じぶんの規模を決めて縄張りをつくり、その範囲で力を尽くしてものごとに取り組む」というような意味合いが、経営という言葉に含まれてくるのです。

この言葉だけをみると、経営とはすばらしい理念なのだな、と感心します。

ところが経営という言葉に資本主義が絡むと、金を儲けるのが至上命題となって、道理が引っ込んでしまうんですね。
資本主義に限りませんが、道理はしばしば主義に服従して、「主義を実践するための道具」にすりかえられてしまうわけです。

たとえば「お金を儲けることに成功した経営者の言うことは絶対である」というゆがんだ価値観もまた、会社という世界の中では、やろうとおもえば道理になってしまいます。

社長を神様として、その宣旨はすなわち教義であり、道理なのだ、とまあ、そういう主義で道理がないがしろにされた結果、「経営がカルト化していく」ようなケースは後を絶ちません。

それで、社員はというと、実際には道理とはほど遠い非道徳的な仕事内容の中で酷使されながら、一方で便所の便器を手で洗うようなことで、上っ面の道理の実践を強要されて、あたかも道理的な仕事を実践しているように洗脳されてしまうというわけです。

#時事
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ちょうどブラタモリをみていて「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」という俳句が出てきたんですが、ドナルド・キーンという日本文学の屈指の評論家はこの句に対して、すごいことをいいました。

まず、この俳句には、母音が i になる言葉が7つもあるというんですね。

「し」ずかさや 「い」わ「に」「し」「み」「い」る せ「み」のこえ

で、セミの鳴き声はミーンミーンですが、「min min」ですから、母音は i なんです。

つまり、芭蕉はこの句を詠む際に、セミの鳴き声の i を意識して、母音が i になる言葉を多用したという分析をするんですね。

ぼくはこれを聞いたときに、ドナルド・キーンの分析力のすごさはもちろん、俳句という文芸はもう江戸時代に完成されていて、たった17文字の芸術がやれることは、早々に頭打ちになっていたのだとぼうぜんとしたものです。
#与太話
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きのうの夜、うまく眠れなくて、きょうの午前中、受粉作業と配達を終えて、二度寝。
起きてから、収穫作業と袋詰め。もう、あっという間に終わっちゃう(笑)
午後から買い物に行って、トラクターで5アールちょっと中耕除草。
そのあと小動物が入らないように防獣ネットの下の部分をヘアピン杭で固定していき、最後は葉物野菜に水やりして作業終了。
ひとつ追記で、きのう、第一弾のぶんに二度目の防除作業をすませています。
#野菜
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ナンプレ、難易度エビルをノーミスで解けたので記念に。
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夏の第二弾ベカナとチンゲンサイの種まき。
よく照っているので、今後は水やりが欠かせません。

ちなみに第一弾はベカナが7割、チンゲンサイが4割の出来といったところ。
雨で土のコンディションがわるい中での畝だったので、想定の範囲内。
チンゲンサイはすこし発芽のコントロールがむずかしいですが、ベカナが好成績なので、このままうまく育ってくれればほんとうに助かります。

もしこの時期のベカナがうまく育てば、ほんとうに種袋どおり真冬を除いた周年栽培ができそうです。

#野菜
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物価高杉ワロタ

チキラー5袋460円
生ラーメン2食150円

まさかチキラーが高級食になる時代が来るとは…
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【種袋に記載されている気候区分の考え方】
https://www.ohtashp.com/garden/01_classi...

https://note.com/nohen_saito/n/nb7297456...

上記ふたつの情報からみるに、種袋に書かれてある温暖地や暖地、寒冷地といった区分けは、日本地図を色分けした、あのざっくりした表記ではなく、平均気温から考える必要がありそうです。

たとえば当地では体感では冬にどっさり雪が積もる地域なので、寒冷地基準になるのではないかとおもっていたのですが、ちゃんと調べてみたらとんでもない。ほとんど暖地に近い温暖地でした。

うちのあたりは標高100mになるので、0.6度差し引いて、かろうじて温暖地基準での栽培が適しているようです。


意外だったのは、いまや温暖化の影響で本州の多くで「暖地」基準の栽培が適しているようになっていることです。
たとえば北陸の、福井県の敦賀や、石川県の金沢が温暖地ですらなく、暖地の気候分布になっていることは、種袋からはちょっと読み取れない事実だろうとおもいますし、種袋のあの日本地図の色分けはすでに時代が遅れてしまっている、ということになります。

#野菜
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オクラが壊滅状態(最近獣害対策をしたおかげで、すこしだけ持ち直しつつある)で、ぼちぼちヒマになりそうで戦慄しているわけですが、いまのところベカナは苗がそこそこうまくできています。チンゲンサイは春に比べると発芽率が30%ほど劣る感じ。

あんまり日射がきついとあっという間にダメになるし、水やりが欠かせないし、強い雨にあたるとこれまた病気が多発するでしょうし、どう考えても夏の葉物栽培は難儀なんですが、ことしに限ってはともかく収入源になるものをすこしでも、というのと、来年以降の作付けの勉強に、転んでもタダでは起きぬ精神でおります。
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https://www.asahi.com/articles/ASR7N6220...

Twitter社が、自治体のアカウントを凍結する例が相次いでいるそうです。
そのため災害の際の情報の発信が行えず、支障が出ているそうな。

「プラットフォームの悪用とスパムを禁止するルールに違反している」というのがその理由だというのですが、具体的な理由が伝えられることはなかったといいます。
自治体アカウントの凍結に限らず、このところのTwitter社の恣意的な運用にはあきれるほかありません。

この状況の意味するところは、もはやTwitter社はネット言論のインフラを請け負うつもりがないということであり、公器にもなりえないということです。
あるいは、そのように使いたいのであれば、しっかり金を払え、ということでもあるのでしょう。
そしてこの問題の論点はイーロンマスクがどうこうではなく、ビジネスなんだからお金を払うべきだというようなことでもありません。
企業によって運営されるSNSはすべて「じぶんたちの都合でいつでもはしごを外してくる」ということです。

もちろんこれまで自治体などが無防備に、Twitterのような責任の主体のないプラットフォームを情報インフラ代わりに利用してきたことがおかしいのですが、われわれ末端のユーザーもこういった問題の当事者です。

ぼくなどはべつに重要な情報を扱っているわけではないんですが、それでも7月頭にTwitter社がおこなった閲覧件数の一時制限以来、Twitterにじぶんの発言をあずけることが怖くなりました。
じぶんの発信したいことを安心して発信できる場を設けなければならないのではないかという焦燥感に駆られ、このような場所をつくるに至っています。

ここはSNSのような大勢の集いの場にはなりえないかもしれませんが、すくなくともじぶんの発信の自由は守られています。
なにをいおうが、恣意的に凍結されることはない、という自由を実感して、どうもやっぱり、近頃のSNSはおかしかったのだな、とおもう次第です。

#時事
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若いころ、親父の年相応のたるんだ手の甲をみて、じぶんもこうなるという道筋はわかっていても、それが頭で上手に処理できずにいたのだけど、45のぼくの手の甲はしっかり当時の親父のごとく、たるんできているのです。
そしてそれは、じぶんの手の甲を目にしたとたん、なんだそんなもんか、という、ほとんど無関心に近い心境で受け止めていて、同時にそれは、当時の親父もきっとそうだったのだと気づくのです。
#与太話

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