No.1133
きょうは自治会の宮講といわれる行事があるんですが、まあお酒と一緒に食事会をするだけです。
きょうは野菜の配達のみにして、ひさしぶりに午前中を休みにしました。
午後は、様子を見て収穫するかどうか決めます。
牛頭天王の掛け軸を飾るんですが、これはおそらく江戸時代以前のもので、地域の八坂神社が以前祇園社だったころの名残で、末端の氏子はスサノオではなく、いまだに牛頭天王をまつっているようです。
しかしいまでもよその田舎では宮講というと、ぼくのような人間には堅苦しくてイヤになってしまうような儀礼や型が多いようですが、うちのあたりではもう、お酒をふるまう食事会と化していて、儀礼というと掛け軸に向かって拝礼する程度のことです。
その儀礼も、二礼二拍手一礼をするんですが、祇園社を神道とみるとか、仏教とみるとか、祝詞をとなえるとか、そんな堅苦しいことも考えないあたりが、じつによろしい。
そんな宮講でさえ、もう人が集まらなくなって、もう来年からは開催しないというのでもいいのではないか、という声が聞かれます。
よその自治会ではもうやめているところもあるらしいです。
まあ、移住者が増えてきた昨今、地域でおなじ神仏を信心するという時代ではありませんし、実際わずらわしい行事を減らしていかないと、自治会の役員も少なくなって負担がタイヘンです。
やっぱり神様というのは、イザナギが言ったとおり、人が千人死ぬのであれば、千五百人生まれるようにしてやる、というような社会であってこそ信仰されるものです。
いまの中山間部のように、人が死にゆくままになって、外から人を呼んでなんとかつじつま合わせをしているような地域では、それぞれがちがった習俗や文化を持ち込むわけですから、なかなか信仰をまとめることもできないことでしょう。
#与太話
きょうは野菜の配達のみにして、ひさしぶりに午前中を休みにしました。
午後は、様子を見て収穫するかどうか決めます。
牛頭天王の掛け軸を飾るんですが、これはおそらく江戸時代以前のもので、地域の八坂神社が以前祇園社だったころの名残で、末端の氏子はスサノオではなく、いまだに牛頭天王をまつっているようです。
しかしいまでもよその田舎では宮講というと、ぼくのような人間には堅苦しくてイヤになってしまうような儀礼や型が多いようですが、うちのあたりではもう、お酒をふるまう食事会と化していて、儀礼というと掛け軸に向かって拝礼する程度のことです。
その儀礼も、二礼二拍手一礼をするんですが、祇園社を神道とみるとか、仏教とみるとか、祝詞をとなえるとか、そんな堅苦しいことも考えないあたりが、じつによろしい。
そんな宮講でさえ、もう人が集まらなくなって、もう来年からは開催しないというのでもいいのではないか、という声が聞かれます。
よその自治会ではもうやめているところもあるらしいです。
まあ、移住者が増えてきた昨今、地域でおなじ神仏を信心するという時代ではありませんし、実際わずらわしい行事を減らしていかないと、自治会の役員も少なくなって負担がタイヘンです。
やっぱり神様というのは、イザナギが言ったとおり、人が千人死ぬのであれば、千五百人生まれるようにしてやる、というような社会であってこそ信仰されるものです。
いまの中山間部のように、人が死にゆくままになって、外から人を呼んでなんとかつじつま合わせをしているような地域では、それぞれがちがった習俗や文化を持ち込むわけですから、なかなか信仰をまとめることもできないことでしょう。
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