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駒込の地名の由来、ヤマトタケルに由来してるんですね。
余談ですが、駒という地名がつく場合、ひとつは「馬」が語源なんですが、朝鮮半島が由来になることもあるようです。
大昔の人々は、朝鮮のことを「高麗」(こうらい)(こま)と呼んでいました。
コマ遊びの独楽も、奈良時代に唐から朝鮮半島を経由して伝わったことから、「高麗=コマ」なんだそうな。
東京にある狛江という地名は、高麗人(朝鮮人)が住んでいたからなんだそうで、おなじく大阪の大和川沿いにある駒川という地名も、高麗人の居住地だったことが由来らしいです。
スサノオを「いるさ」と読むのははじめて聞いたようにおもえます。
ヤマトタケルの伝承といい、おそらく駒込という地域では古くから、日本神話に対する信仰があつかったのではないでしょうか。
Wikipediaで千駄木を調べたところ、牛舎の写真や歌川広重の絵がありましたが、江戸城からたった5km離れた東京の中心部といわれてもピンとこないような、のどかな様子でした。
こういった歴史の延長線上に、ギズモさんのおっしゃっていた、六本木で金魚を飼っていたというような景色があったのだろうかとおもいました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%...
駒込の地名の由来、ヤマトタケルに由来してるんですね。
余談ですが、駒という地名がつく場合、ひとつは「馬」が語源なんですが、朝鮮半島が由来になることもあるようです。
大昔の人々は、朝鮮のことを「高麗」(こうらい)(こま)と呼んでいました。
コマ遊びの独楽も、奈良時代に唐から朝鮮半島を経由して伝わったことから、「高麗=コマ」なんだそうな。
東京にある狛江という地名は、高麗人(朝鮮人)が住んでいたからなんだそうで、おなじく大阪の大和川沿いにある駒川という地名も、高麗人の居住地だったことが由来らしいです。
スサノオを「いるさ」と読むのははじめて聞いたようにおもえます。
ヤマトタケルの伝承といい、おそらく駒込という地域では古くから、日本神話に対する信仰があつかったのではないでしょうか。
Wikipediaで千駄木を調べたところ、牛舎の写真や歌川広重の絵がありましたが、江戸城からたった5km離れた東京の中心部といわれてもピンとこないような、のどかな様子でした。
こういった歴史の延長線上に、ギズモさんのおっしゃっていた、六本木で金魚を飼っていたというような景色があったのだろうかとおもいました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%...
おじいさまのそういうお話は貴重ですね。
何気ない会話だったとは思いますが、昔のことを、実際に経験したりご存じだった方から聞く機会は、ありそうでなかなかないものです。
東京では、自然がどんどん失われていく一方で、商業施設の屋上などに、ビオトープが作られていたりします。
小さな自然保護なのでしょうが、金魚鉢の延長のように思ってしまいます。
と言いながら、けっこう見て楽しんでいたりするのですが(笑)
私が小さい頃、家に、古くて細長い木の札があって、墨で「東京府北豊島群駒込村~~」と書かれていました。
駒込村からあとの住所表示も書かれていたはずですが、覚えていません。
たぶん、昔、家の玄関に掛けてあったんでしょうが、あれを取っておいたら鑑定団で1,000円くらいの値がついたのではないかと思います(笑)
真偽はわかりませんが、日本武尊が訪れた時、林にいた、たくさんの馬を見て、「駒、込みたり」と言ったので、駒込という地名がついたそうです。
この林は、その頃「素盞烏山(いるさやま)」と呼んでいたらしいのですが、その後「駒込林」となったようです。
素盞烏山の素盞烏、これスサノオですよね?
でも読み方が違う??
おもしろい発見をしました。
「転間(こま)」(川に囲まれた谷や低湿地)とする説もあるそうです。
森鴎外・夏目漱石が住んでいた、文京区千駄木も、昔は駒込村千駄木でした。
ごめんなさい、生まれたところをちょっと熱く語ってしまいました(笑)
何気ない会話だったとは思いますが、昔のことを、実際に経験したりご存じだった方から聞く機会は、ありそうでなかなかないものです。
東京では、自然がどんどん失われていく一方で、商業施設の屋上などに、ビオトープが作られていたりします。
小さな自然保護なのでしょうが、金魚鉢の延長のように思ってしまいます。
と言いながら、けっこう見て楽しんでいたりするのですが(笑)
私が小さい頃、家に、古くて細長い木の札があって、墨で「東京府北豊島群駒込村~~」と書かれていました。
駒込村からあとの住所表示も書かれていたはずですが、覚えていません。
たぶん、昔、家の玄関に掛けてあったんでしょうが、あれを取っておいたら鑑定団で1,000円くらいの値がついたのではないかと思います(笑)
真偽はわかりませんが、日本武尊が訪れた時、林にいた、たくさんの馬を見て、「駒、込みたり」と言ったので、駒込という地名がついたそうです。
この林は、その頃「素盞烏山(いるさやま)」と呼んでいたらしいのですが、その後「駒込林」となったようです。
素盞烏山の素盞烏、これスサノオですよね?
でも読み方が違う??
おもしろい発見をしました。
「転間(こま)」(川に囲まれた谷や低湿地)とする説もあるそうです。
森鴎外・夏目漱石が住んでいた、文京区千駄木も、昔は駒込村千駄木でした。
ごめんなさい、生まれたところをちょっと熱く語ってしまいました(笑)
1170
うちの祖父も、戦前戦後の大阪平野は見渡す限り田んぼか沼しかなかったといってました。
ぼくが子供のころ、40年前でも、都市部の中に田んぼや畑があるのはめずらしい光景ではなかったのですが、いまはほとんど見かけなくなりました。
むかしの都市部はいまみたいに高い建物がありませんから土地の高低がわかりやすかったでしょうし、水が高いところから低いところへ通り、高台に木々が生えているというようなこともわかりやすかったことでしょう。
アスファルトに覆われて、人工的に治水工事がなされてしまうと、むかしどのようになっていたのかは想像がつかなくなりますが、そういうことが土地の名前に残されてたりするんですよね。
大都市をみていると、ほんとうにこれが人間の手でやれることなのかと不思議におもうほどですが、同時にそこに生まれて暮らしていると、ぼく自身もそうであったように、自然の地理がじぶんの生活にどう影響するのか、わからなくなってしまう問題もあろうかとおもいます。
江戸城からわずか2km離れた六本木が田舎だったころというのは、どんなものだったのか、みてみたいものです。
スクランブル交差点も一度渡って、おのぼりさん気分を味わってみたいです(笑)
うちの祖父も、戦前戦後の大阪平野は見渡す限り田んぼか沼しかなかったといってました。
ぼくが子供のころ、40年前でも、都市部の中に田んぼや畑があるのはめずらしい光景ではなかったのですが、いまはほとんど見かけなくなりました。
むかしの都市部はいまみたいに高い建物がありませんから土地の高低がわかりやすかったでしょうし、水が高いところから低いところへ通り、高台に木々が生えているというようなこともわかりやすかったことでしょう。
アスファルトに覆われて、人工的に治水工事がなされてしまうと、むかしどのようになっていたのかは想像がつかなくなりますが、そういうことが土地の名前に残されてたりするんですよね。
大都市をみていると、ほんとうにこれが人間の手でやれることなのかと不思議におもうほどですが、同時にそこに生まれて暮らしていると、ぼく自身もそうであったように、自然の地理がじぶんの生活にどう影響するのか、わからなくなってしまう問題もあろうかとおもいます。
江戸城からわずか2km離れた六本木が田舎だったころというのは、どんなものだったのか、みてみたいものです。
スクランブル交差点も一度渡って、おのぼりさん気分を味わってみたいです(笑)
リンク先で、「支谷」という言葉を初めて知りました。
地理は(地理も)苦手なのですが、農園主さんの説明で少しばかり興味を感じました。
東京に谷があったとは全然知らず、時代物でも谷の話が出てきたかな、と思い起こしています。
東京は、少し裏道に入ると、暗渠なのか、明らかに元は川だったらしく、細くてくねくねと曲がっている道がけっこうあるのがわかります。
電動自転車でも上れないという、かなり高低差のある坂も多いのですが、もしかすると坂ではなく、丘だったのかもしれないですね。
リンクを読んで思い出したのですが、70代以上の人が、すっかり国際化し、繁華街となった今の六本木を、
「あんなとこは、昔、金魚育ててたようなド田舎だ」と言っていました。
芋洗坂や狸穴のような地名もあることから、そうだったんだろうな、とは思います。
「~~天現寺橋付近で渋谷川の谷と合流する」ということが書かれていましたが、今は無くなってしまった渋谷川は、唱歌「春の小川」の舞台とされています。
作詞者が住んでいた渋谷に、宇田川・河骨川があり、メダカが泳いでいたようですが、いずれも渋谷川の支流なので、渋谷川とまとめられているようですね。
出身地の長野県の川と言う説もあります。
若者の街、渋谷にしても、昔は田んぼだったそうですし、どこでも昔から都会だったわけではないですよね。
渋谷と言えば、スクランブル交差点は、人が多すぎて渡れません(笑)
あ、渋谷も谷? と思ってちょっと調べてみました。
https://www.mapple.net/articles/bk/4503/...
地理は(地理も)苦手なのですが、農園主さんの説明で少しばかり興味を感じました。
東京に谷があったとは全然知らず、時代物でも谷の話が出てきたかな、と思い起こしています。
東京は、少し裏道に入ると、暗渠なのか、明らかに元は川だったらしく、細くてくねくねと曲がっている道がけっこうあるのがわかります。
電動自転車でも上れないという、かなり高低差のある坂も多いのですが、もしかすると坂ではなく、丘だったのかもしれないですね。
リンクを読んで思い出したのですが、70代以上の人が、すっかり国際化し、繁華街となった今の六本木を、
「あんなとこは、昔、金魚育ててたようなド田舎だ」と言っていました。
芋洗坂や狸穴のような地名もあることから、そうだったんだろうな、とは思います。
「~~天現寺橋付近で渋谷川の谷と合流する」ということが書かれていましたが、今は無くなってしまった渋谷川は、唱歌「春の小川」の舞台とされています。
作詞者が住んでいた渋谷に、宇田川・河骨川があり、メダカが泳いでいたようですが、いずれも渋谷川の支流なので、渋谷川とまとめられているようですね。
出身地の長野県の川と言う説もあります。
若者の街、渋谷にしても、昔は田んぼだったそうですし、どこでも昔から都会だったわけではないですよね。
渋谷と言えば、スクランブル交差点は、人が多すぎて渡れません(笑)
あ、渋谷も谷? と思ってちょっと調べてみました。
https://www.mapple.net/articles/bk/4503/...
1167
麻布にも谷町があったんですね。
大阪の谷町は、谷だったから谷町という、単純な名前なんです。
それで、六本木の谷町ジャンクションのあたりを標高地図で調べていたんですが、南側が標高20~30mほどで、谷町ジャンクションあたりで標高10mほどに下がるんです。
で、北の皇居に向かって標高が下がっているので、ちょうどジャンクションのあるあたりから皇居あたりまで、地形的に谷になっていたんじゃないかな、とおもいます。
と、もうすこし調べてたらこんなサイトがありました。
https://adeac.jp/minato-city/texthtml/d1...
おそらく麻布谷町も、谷だったのでしょう。
町を碁盤の目にするのは経済を回したり、市民を管理するにはいいんですが、防衛という点では弱いんですよね。
といっても現代では地上戦による戦闘はほとんど考える必要がなくなりましたから(空から爆撃されてしまう)、現代では江戸時代に開発された町のありように沿って都市開発をおこなったことによる非合理性もあるのだろうとおもいます。
現代において、プロがみて地形的に自然な形で東京や大阪をあたらしくつくるとしたら、どういう都市開発を行うかという予想図をみてみたい気がします。
麻布にも谷町があったんですね。
大阪の谷町は、谷だったから谷町という、単純な名前なんです。
それで、六本木の谷町ジャンクションのあたりを標高地図で調べていたんですが、南側が標高20~30mほどで、谷町ジャンクションあたりで標高10mほどに下がるんです。
で、北の皇居に向かって標高が下がっているので、ちょうどジャンクションのあるあたりから皇居あたりまで、地形的に谷になっていたんじゃないかな、とおもいます。
と、もうすこし調べてたらこんなサイトがありました。
https://adeac.jp/minato-city/texthtml/d1...
六本木交差点から首都高速道路の谷町ジャンクションを通る六本木通り沿いの谷などが並ぶ
おそらく麻布谷町も、谷だったのでしょう。
町を碁盤の目にするのは経済を回したり、市民を管理するにはいいんですが、防衛という点では弱いんですよね。
といっても現代では地上戦による戦闘はほとんど考える必要がなくなりましたから(空から爆撃されてしまう)、現代では江戸時代に開発された町のありように沿って都市開発をおこなったことによる非合理性もあるのだろうとおもいます。
現代において、プロがみて地形的に自然な形で東京や大阪をあたらしくつくるとしたら、どういう都市開発を行うかという予想図をみてみたい気がします。
自分がわかっているから相手もわかっている、という思い込みが強い傾向があるんですよね、私。
気をつけます(>_<)
大阪の雑談、ありがとうございます。
京都は、通りの名前を覚える歌があったり、丁稚奉公、女中奉公はまず通りの名前を覚えさせられたと言いますが、大阪にも筋と通りの習わしがあるんですね。
松屋町筋=東京では浅草に、人形店が並んでいます
道具屋筋=かっぱ橋が道具屋街。地名ではありませんが浅草の近くにあります。河童が出るという言い伝えがあったようです。
谷町筋=東京では、港区に「麻布谷町」というのがあったようですが、今はなく、タニマチとの関係はわかりません。首都高の「谷町ジャンクション」は、その名残で、今もあります。
大阪のお話から、東京はなぜ規則的な道がなく、無秩序なところなんだろうと思い、ざっと調べてみました。
📍徳川家康は外敵から江戸を守るために、直線的な道を作らなかった。
📍町割りも防衛を考えて作られていたが、埋立地ではけっこう直線的な道路が作られた。下町や銀座など。
📍江戸内部の主要な交通網は、道路ではなく無数の運河。運河も埋立地の多い城東(江戸城=皇居を中心として)では直線だが、河川に近づくとそれに合わせて曲がる。
道も河川の影響で曲がっている。
📍大名屋敷や大きな寺社は自然の地形を利用していたので、外周に自然の小川の流れをそのまま使っている場合が多くあった。
📍東京は平野に見えて大変に起伏の多い土地なので、大規模な碁盤目状の道が作れず、そうした場所は城東に限られた。
📍城西でも一部の長屋街や町人街は直線的な道によって作られていて、新宿区百人町にその名残がある。
知らなかったことばかりでした。
「家康が直線的な道を作らなかった」、と打っていたら、『家康、江戸を建てる』(門井慶喜の歴史小説)が立派な積読になっていることを思い出しました。
読まないと(笑)
気をつけます(>_<)
大阪の雑談、ありがとうございます。
京都は、通りの名前を覚える歌があったり、丁稚奉公、女中奉公はまず通りの名前を覚えさせられたと言いますが、大阪にも筋と通りの習わしがあるんですね。
松屋町筋=東京では浅草に、人形店が並んでいます
道具屋筋=かっぱ橋が道具屋街。地名ではありませんが浅草の近くにあります。河童が出るという言い伝えがあったようです。
谷町筋=東京では、港区に「麻布谷町」というのがあったようですが、今はなく、タニマチとの関係はわかりません。首都高の「谷町ジャンクション」は、その名残で、今もあります。
大阪のお話から、東京はなぜ規則的な道がなく、無秩序なところなんだろうと思い、ざっと調べてみました。
📍徳川家康は外敵から江戸を守るために、直線的な道を作らなかった。
📍町割りも防衛を考えて作られていたが、埋立地ではけっこう直線的な道路が作られた。下町や銀座など。
📍江戸内部の主要な交通網は、道路ではなく無数の運河。運河も埋立地の多い城東(江戸城=皇居を中心として)では直線だが、河川に近づくとそれに合わせて曲がる。
道も河川の影響で曲がっている。
📍大名屋敷や大きな寺社は自然の地形を利用していたので、外周に自然の小川の流れをそのまま使っている場合が多くあった。
📍東京は平野に見えて大変に起伏の多い土地なので、大規模な碁盤目状の道が作れず、そうした場所は城東に限られた。
📍城西でも一部の長屋街や町人街は直線的な道によって作られていて、新宿区百人町にその名残がある。
知らなかったことばかりでした。
「家康が直線的な道を作らなかった」、と打っていたら、『家康、江戸を建てる』(門井慶喜の歴史小説)が立派な積読になっていることを思い出しました。
読まないと(笑)
1164
ありがとうございます。
なるほど、宇宙語=大阪弁から、宇宙=大阪だったんですね。
もうちょっと考えればひらめきそうな、やっぱり教えてもらわないとわからなかったような(笑)
わかるとスッキリでした。
せっかく話があったので、大阪で雑談をします。
大阪市内は、京都市内のようにちゃんとした碁盤の目には作られてないんですが、南北をとおる縦の道を「筋(すじ)」、東西をとおる横の道を「通り」という習わしがあります。
で、横のラインである通りにはあんまり特徴はないんですが、縦のラインである筋は、商売の組合のような意味が含まれていることが多いんです。
難波周辺でいえば、たとえば松屋町筋(まっちゃまちすじ)は、縦の道路一帯に人形店が、小さな店から大店までズラッと並んでるんです。
その時期に合わせてひな人形や五月人形などを並べて、夏になると人形ではなくて花火が売られるようになる、古き良き風情のある場所です。
戎橋から南東にすこし行くと、なんばグランド花月という吉本の劇場があります。
そのすぐ近所に、道具屋筋という商店街があるんですが、ここは料理道具や荒物が並ぶ場所になっています。
相撲の「タニマチ」で有名な谷町筋は、特定の商売で団結しているわけではないんですが、興行をひいきにするお金持ちが多いというイメージがついています。
大阪のキタには天神橋筋があって、ここには日本一長い商店街である、天神橋筋商店街が通っています。
そうでないこともあるんですが、大阪の筋には、なんらかのブランドイメージがあるような感じがします。
ありがとうございます。
なるほど、宇宙語=大阪弁から、宇宙=大阪だったんですね。
もうちょっと考えればひらめきそうな、やっぱり教えてもらわないとわからなかったような(笑)
わかるとスッキリでした。
せっかく話があったので、大阪で雑談をします。
大阪市内は、京都市内のようにちゃんとした碁盤の目には作られてないんですが、南北をとおる縦の道を「筋(すじ)」、東西をとおる横の道を「通り」という習わしがあります。
で、横のラインである通りにはあんまり特徴はないんですが、縦のラインである筋は、商売の組合のような意味が含まれていることが多いんです。
難波周辺でいえば、たとえば松屋町筋(まっちゃまちすじ)は、縦の道路一帯に人形店が、小さな店から大店までズラッと並んでるんです。
その時期に合わせてひな人形や五月人形などを並べて、夏になると人形ではなくて花火が売られるようになる、古き良き風情のある場所です。
戎橋から南東にすこし行くと、なんばグランド花月という吉本の劇場があります。
そのすぐ近所に、道具屋筋という商店街があるんですが、ここは料理道具や荒物が並ぶ場所になっています。
相撲の「タニマチ」で有名な谷町筋は、特定の商売で団結しているわけではないんですが、興行をひいきにするお金持ちが多いというイメージがついています。
大阪のキタには天神橋筋があって、ここには日本一長い商店街である、天神橋筋商店街が通っています。
そうでないこともあるんですが、大阪の筋には、なんらかのブランドイメージがあるような感じがします。
深読みさせてしまいましたね、ごめんなさい。
「大、、」は「1155」の「宇宙語=大阪弁」からきていることで、宇宙を指す「大阪」のことでした。
だいたいにおいて、私は何かそういう学術的だったり、暗喩だったりすることは書けません(笑)
あ、あそこが戎橋だったのですね。
写真、たくさん撮ってきました。
あの橋のあたりは、とにかくすごい人でびっくりしました。
日本橋は同じ字でも、こちらでは「にほんばし」ですが、大阪では「にっぽんばし」でしたね。
同じエビスでも字が違うと、受けるイメージが違うものです。
秋葉原みたいなオタロード、ネーミングがいいですね。
わかりやすいです(≧▽≦)
「大、、」は「1155」の「宇宙語=大阪弁」からきていることで、宇宙を指す「大阪」のことでした。
だいたいにおいて、私は何かそういう学術的だったり、暗喩だったりすることは書けません(笑)
あ、あそこが戎橋だったのですね。
写真、たくさん撮ってきました。
あの橋のあたりは、とにかくすごい人でびっくりしました。
日本橋は同じ字でも、こちらでは「にほんばし」ですが、大阪では「にっぽんばし」でしたね。
同じエビスでも字が違うと、受けるイメージが違うものです。
秋葉原みたいなオタロード、ネーミングがいいですね。
わかりやすいです(≧▽≦)
1162
ぼくが解釈を間違えているのかもしれないのですが、1159の投稿の中で、「大、、でなくて宇宙は、2018年10月に行きました。」とあり、歌舞伎と宇宙がどうつながるのだろうとおもったんです。
松竹座はグリコの看板のすぐ向こうですよね。
タイムリーなことにあのグリコの看板がある橋は「戎橋(えびすばし)」といいます。
むかしはナンパする若いのが多かったことから「ひっかけ橋」とも言われていました。
大丸のあたりから南に2kmほど行くと、恵美須町という町があるんですが、こちらは戎でも恵比寿でもなく、恵比須なんですよね。
松竹座から1kmほど歩くと、日本橋という……むかしは「でんでんタウン」といったんですが、いまでは秋葉原に次ぐオタク街になっていて、本通りからすこし裏道に入ったところは「オタロード」と呼ばれているようです。
むかしはよくここでパソコン関係のものを物色したもので、電気関係ならいかがわしいものもよく売っていました。
ぼくが解釈を間違えているのかもしれないのですが、1159の投稿の中で、「大、、でなくて宇宙は、2018年10月に行きました。」とあり、歌舞伎と宇宙がどうつながるのだろうとおもったんです。
松竹座はグリコの看板のすぐ向こうですよね。
タイムリーなことにあのグリコの看板がある橋は「戎橋(えびすばし)」といいます。
むかしはナンパする若いのが多かったことから「ひっかけ橋」とも言われていました。
大丸のあたりから南に2kmほど行くと、恵美須町という町があるんですが、こちらは戎でも恵比寿でもなく、恵比須なんですよね。
松竹座から1kmほど歩くと、日本橋という……むかしは「でんでんタウン」といったんですが、いまでは秋葉原に次ぐオタク街になっていて、本通りからすこし裏道に入ったところは「オタロード」と呼ばれているようです。
むかしはよくここでパソコン関係のものを物色したもので、電気関係ならいかがわしいものもよく売っていました。
もとは外来の神様だから蔑称で戎と言っていたのに、今は日本の福の神の代表になっているのはおもしろいですね。
うわ~~、懐かしい!!
それです!!!
改めて配役を凝視してしまいました(笑)
すっかり忘れていた、海老蔵の團十郎花火も思い出しました←花火はプロジェクションマッピングの投影で、ぜんぜんおもしろくありませんでした。
歌舞伎は、筋書きをしっかり頭に入れてから観ないと、何が何だかわからず失敗することも多いです。
役者の見分けもつきにくく、今舞台にいるのは誰だっけ?ということもよくあります←あくまで私の場合です。
歌舞伎は、農園主さんが書いていらっしゃるように、何度か同じものを観てわかってくると、深みがでておもしろくなってくるものかもしれません。
宇宙とのつながりですか?
能や歌舞伎など、古典芸能の解説、歌舞伎の見方を書いたりしている、渡辺保さんの「歌舞伎という宇宙」の本の事でしょうか?
これでしたら読んでいませんが、歌舞伎を知るにはわかりやすい参考書のようなものと聞いています。
このことでなければ、正直なところ、わかりません。
何か気がついたことがありましたか?
うわ~~、懐かしい!!
それです!!!
改めて配役を凝視してしまいました(笑)
すっかり忘れていた、海老蔵の團十郎花火も思い出しました←花火はプロジェクションマッピングの投影で、ぜんぜんおもしろくありませんでした。
歌舞伎は、筋書きをしっかり頭に入れてから観ないと、何が何だかわからず失敗することも多いです。
役者の見分けもつきにくく、今舞台にいるのは誰だっけ?ということもよくあります←あくまで私の場合です。
歌舞伎は、農園主さんが書いていらっしゃるように、何度か同じものを観てわかってくると、深みがでておもしろくなってくるものかもしれません。
宇宙とのつながりですか?
能や歌舞伎など、古典芸能の解説、歌舞伎の見方を書いたりしている、渡辺保さんの「歌舞伎という宇宙」の本の事でしょうか?
これでしたら読んでいませんが、歌舞伎を知るにはわかりやすい参考書のようなものと聞いています。
このことでなければ、正直なところ、わかりません。
何か気がついたことがありましたか?
1159
外来の神様としてのエビスさんは、もともとは外国人の蔑称としてつかわれている言葉ですよね。
あれは、むかしの日本人の性格を考えるとわかりやすいとおもうんですが、よそものはみんな蔑称で呼んでいたんですよね。
みんなじぶんの領地・領土を守る意識が強かったので、よそものは敵です。
戦国時代に貿易のために訪れた外国人は、肌の色にかかわらず「南蛮人」という蔑称で呼んでいました。
明治あたりでも「毛唐人」でした。
江戸時代の書物では「西洋人」という蔑称でない言葉もつかわれていたんですが、これは現金なもので、じぶんたちに文明であるとか、なにか利益を与えてくれるとわかって、はじめて言葉遣いが変わるわけです(笑)
「エビスさん(えべっさん)」というのも、蔑称がそのまま尊称になったという例だろうとおもいます。
ところで、ぼくは歌舞伎のことはほとんどわからないんですが、歌舞伎と宇宙にはつながりがあるのでしょうか。
おそらく2018年10月の大阪の歌舞伎というと、この公演ですよね。
https://www.kabuki-bito.jp/uploads/image...
以前にも言ったとおもうんですが、歌舞伎観劇が趣味というのはうらやましいです。
古典芸能はたぶん、わかるとどんどん深みが出てきておもしろいのだろうなとおもいます。
キャンディーズの歓声ですが、ビートルズのときも、歓声でだれでも音楽を聴いていないことに、当のビートルズもイヤになってしまったといいますよね。
いわゆる「失神コンサート」というのは、むかしほどは聞かなくなりましたが、あれは一種の集団ヒステリーなんだとおもいます。
ライブが、集団で狂乱状態になるための道具になっているんですね。
アメリカの1960年代のウッドストックという、ロックフェスティバルのときの映像をみていると、あきらかにドラッグでトランス状態になった人たちが、恍惚としながら爆音のライブを眺めてる様子がみられます。
主人公は演奏者である、というのがふつうのわきまえなんですが、狂乱状態になると、主人公がオーディエンスになるという逆転現象が起こるのでしょう。
外来の神様としてのエビスさんは、もともとは外国人の蔑称としてつかわれている言葉ですよね。
あれは、むかしの日本人の性格を考えるとわかりやすいとおもうんですが、よそものはみんな蔑称で呼んでいたんですよね。
みんなじぶんの領地・領土を守る意識が強かったので、よそものは敵です。
戦国時代に貿易のために訪れた外国人は、肌の色にかかわらず「南蛮人」という蔑称で呼んでいました。
明治あたりでも「毛唐人」でした。
江戸時代の書物では「西洋人」という蔑称でない言葉もつかわれていたんですが、これは現金なもので、じぶんたちに文明であるとか、なにか利益を与えてくれるとわかって、はじめて言葉遣いが変わるわけです(笑)
「エビスさん(えべっさん)」というのも、蔑称がそのまま尊称になったという例だろうとおもいます。
ところで、ぼくは歌舞伎のことはほとんどわからないんですが、歌舞伎と宇宙にはつながりがあるのでしょうか。
おそらく2018年10月の大阪の歌舞伎というと、この公演ですよね。
https://www.kabuki-bito.jp/uploads/image...
以前にも言ったとおもうんですが、歌舞伎観劇が趣味というのはうらやましいです。
古典芸能はたぶん、わかるとどんどん深みが出てきておもしろいのだろうなとおもいます。
キャンディーズの歓声ですが、ビートルズのときも、歓声でだれでも音楽を聴いていないことに、当のビートルズもイヤになってしまったといいますよね。
いわゆる「失神コンサート」というのは、むかしほどは聞かなくなりましたが、あれは一種の集団ヒステリーなんだとおもいます。
ライブが、集団で狂乱状態になるための道具になっているんですね。
アメリカの1960年代のウッドストックという、ロックフェスティバルのときの映像をみていると、あきらかにドラッグでトランス状態になった人たちが、恍惚としながら爆音のライブを眺めてる様子がみられます。
主人公は演奏者である、というのがふつうのわきまえなんですが、狂乱状態になると、主人公がオーディエンスになるという逆転現象が起こるのでしょう。
大阪では「戎」の字を使うんでしたね。
今、戎と恵比寿の違い、由来をちょっとだけ調べてきましたが、エビスと言ったら、やっぱりビールのイメージです(笑)
大、、でなくて宇宙は、2018年10月に行きました。
10年に一度くらいしか上演されない歌舞伎の演目が松竹座であったんです。
目的の夜の部を観たのですが、昼の部も観たくなり、翌日の切符を取ろうとしましたが、いい席が無く断念。
一度帰り、数日後にまた松竹座に行った、という次第です。
それぞれ1泊ずつして、水掛不動さん、グリコのあたり、大丸デパートとか、ちょっとだけうろうろしてきました。
演目は、先日亡くなった市川猿翁演出の『雙生隅田川(ふたごすみだがわ)』。
ご両親の自殺ほう助で逮捕された市川猿之助が引継ぎ、この時も出演していました。
敵討ちの話ですが、舞台で水を豪勢に使ったり、天狗になった主人公の宙乗りと、見どころ満載のものです。
歌舞伎というとお年寄りが観るものというイメージがありますが、4歳くらいの頃から観に行って(行かされて)いたので、私の歌舞伎好きはその影響です。
蘇民祭、そういうことなんですね。
古くからの伝統行事の残し方は、難しいですね。
簡略化するといずれ0になってしまうのではないかという気持ちもわかりますが、100として残していけないなら、農園主さんのお考えのように、30でも10でも残していった方がいいはずですよね。
スーザンボイルは、あの有名なイギリスのオーディション番組『ブリテンズ・ゴット・タレント』でグランプリをとったのがきっかけで、ブレイクしました。
ただ、あの番組は、審査員があまりにも大げさで、やらせの部分が多いように感じます。
最初に番組に出た時、「そのへんにいるボサボサ頭のふつうのおばさん」のイメージを観客に植え付けておいて、歌唱力とのギャップを際立たせようとした狙いがあったんだと思います。
本当に、優しそうで素朴で、好感の持てる人だと思います。
そういう人を、おかしな売り出し方でブレイクさせると、性格も変えてしまい健康を損ねたりと、結局は長続きしない使い捨てタレントになってしまう可能性が高いです。
話がとびますが、先日、YouTubeでいろいろな人の「朝日のあたる家」を観ていたら、キャンディーズの CANDIES FINAL CARNIVALで、伊藤蘭が歌っているのを見つけました。
1976年、蘭ちゃん、かわいくて若いです(笑)
それを途中まで観て、なんだかかわいそうになり、やめました。
一生懸命歌っているのに、ファンの歓声がすごいんですよね。
ヤジではなく応援の叫びだとは思うのですが、前奏・間奏の部分はしかたないとしても(生で演奏しているミュージシャンがいるので、本当はここでも静かに聴くべきですが)、
歌っている時はちゃんと聴いてあげてよ、と思ったわけです。
ファンあってのアイドルなので、こういう現象はあたりまえなのかもしれませんが、ファンならなぜちゃんと聴かない!!と思うわけです。
自分が小さいながらもステージに立つものであるので、よけい悲しくなったのだと思います。
まぁ、アイドルではないので(笑)、演奏や歌唱の時は、みなさん、シーンとして聴いてくださるのはありがたいです。
中村仲蔵なら、終わった後の拍手ひとつない静寂に包まれ落ち込むのでしょうが、適度な拍手もいただけるので、アイドルにならないでよかった、と(笑)
今、戎と恵比寿の違い、由来をちょっとだけ調べてきましたが、エビスと言ったら、やっぱりビールのイメージです(笑)
大、、でなくて宇宙は、2018年10月に行きました。
10年に一度くらいしか上演されない歌舞伎の演目が松竹座であったんです。
目的の夜の部を観たのですが、昼の部も観たくなり、翌日の切符を取ろうとしましたが、いい席が無く断念。
一度帰り、数日後にまた松竹座に行った、という次第です。
それぞれ1泊ずつして、水掛不動さん、グリコのあたり、大丸デパートとか、ちょっとだけうろうろしてきました。
演目は、先日亡くなった市川猿翁演出の『雙生隅田川(ふたごすみだがわ)』。
ご両親の自殺ほう助で逮捕された市川猿之助が引継ぎ、この時も出演していました。
敵討ちの話ですが、舞台で水を豪勢に使ったり、天狗になった主人公の宙乗りと、見どころ満載のものです。
歌舞伎というとお年寄りが観るものというイメージがありますが、4歳くらいの頃から観に行って(行かされて)いたので、私の歌舞伎好きはその影響です。
蘇民祭、そういうことなんですね。
古くからの伝統行事の残し方は、難しいですね。
簡略化するといずれ0になってしまうのではないかという気持ちもわかりますが、100として残していけないなら、農園主さんのお考えのように、30でも10でも残していった方がいいはずですよね。
スーザンボイルは、あの有名なイギリスのオーディション番組『ブリテンズ・ゴット・タレント』でグランプリをとったのがきっかけで、ブレイクしました。
ただ、あの番組は、審査員があまりにも大げさで、やらせの部分が多いように感じます。
最初に番組に出た時、「そのへんにいるボサボサ頭のふつうのおばさん」のイメージを観客に植え付けておいて、歌唱力とのギャップを際立たせようとした狙いがあったんだと思います。
本当に、優しそうで素朴で、好感の持てる人だと思います。
そういう人を、おかしな売り出し方でブレイクさせると、性格も変えてしまい健康を損ねたりと、結局は長続きしない使い捨てタレントになってしまう可能性が高いです。
話がとびますが、先日、YouTubeでいろいろな人の「朝日のあたる家」を観ていたら、キャンディーズの CANDIES FINAL CARNIVALで、伊藤蘭が歌っているのを見つけました。
1976年、蘭ちゃん、かわいくて若いです(笑)
それを途中まで観て、なんだかかわいそうになり、やめました。
一生懸命歌っているのに、ファンの歓声がすごいんですよね。
ヤジではなく応援の叫びだとは思うのですが、前奏・間奏の部分はしかたないとしても(生で演奏しているミュージシャンがいるので、本当はここでも静かに聴くべきですが)、
歌っている時はちゃんと聴いてあげてよ、と思ったわけです。
ファンあってのアイドルなので、こういう現象はあたりまえなのかもしれませんが、ファンならなぜちゃんと聴かない!!と思うわけです。
自分が小さいながらもステージに立つものであるので、よけい悲しくなったのだと思います。
まぁ、アイドルではないので(笑)、演奏や歌唱の時は、みなさん、シーンとして聴いてくださるのはありがたいです。
中村仲蔵なら、終わった後の拍手ひとつない静寂に包まれ落ち込むのでしょうが、適度な拍手もいただけるので、アイドルにならないでよかった、と(笑)
1155
ギズモさんの宇宙に行った2度の経験談をぜひうかがいたいです(笑)
蘇民祭ですが、あれはやっぱり備後風土記に出てくる蘇民将来とスサノオ(牛頭天王)の伝説に基づいてるんでしょう。
ただ、あのお祭り自体はまったく現代にそぐわないというか……あの裸祭りは現代人はやりたくないとおもいます。
1月~3月の真冬の岩手での裸祭りが、神事だから強要されてよいとはちょっと言えません。
最近つくづくおもうんですが、ほんとうに古くからやってきた神事(あるいは田舎の行事)をつないでいきたいのであれば、その形式の部分をどんどん現代に合わせていく必要があるとおもっています。
なのにどうもうちの田舎をみていても、100か0かという話になってしまいがちなんです。
ぼくは昔ながらの100では続けられないなら、現代風に30にでも10にでも簡略化して、ともかく息を細くしてでも続けて行けばいい、とおもっています。
でも多くの人は、簡略化をすると宗教行事として意味がないとか、簡略化をするとそのままいずれ断絶して0になってしまうとおもってしまうようです。
「続けていくために簡略化をするんだ」という目的意識を明確にすれば、また将来、田舎で人口が増えるような機会があれば、むかしながらの神事を復活させることもできるかもしれません。
なのに、みんなもう、いまのことしか考えないクセがついてしまったのか、100年後に細々とでもつないでいくことに意義があるという意見はなかなか聞かれません。
古代の神道が仏教と習合していったようなことも、その時代に合わせて神道を弱体化させてでも生き残ろうということだったはずです。
蘇民祭にしても、裸祭をやめて、まったくちがう形になってでも、現代社会によりそう様式にして、次の時代につないでいく、という考えはなかったのか、とおもいます。
スーザンボイル、画像検索をするとどれも笑顔の写真で好感がもてました。
ただ実際にお会いしたわけでも、性格もフィーリングもわかりませんから、それ以上はなにもわかりません(笑)
六所神社の縁起物の写真、じつに福々しくていいですね。ありがとうございます。
この戎さんもニコニコしておられて、好感がもてましたし、鯛がかわいいです。
ギズモさんの宇宙に行った2度の経験談をぜひうかがいたいです(笑)
蘇民祭ですが、あれはやっぱり備後風土記に出てくる蘇民将来とスサノオ(牛頭天王)の伝説に基づいてるんでしょう。
ただ、あのお祭り自体はまったく現代にそぐわないというか……あの裸祭りは現代人はやりたくないとおもいます。
1月~3月の真冬の岩手での裸祭りが、神事だから強要されてよいとはちょっと言えません。
最近つくづくおもうんですが、ほんとうに古くからやってきた神事(あるいは田舎の行事)をつないでいきたいのであれば、その形式の部分をどんどん現代に合わせていく必要があるとおもっています。
なのにどうもうちの田舎をみていても、100か0かという話になってしまいがちなんです。
ぼくは昔ながらの100では続けられないなら、現代風に30にでも10にでも簡略化して、ともかく息を細くしてでも続けて行けばいい、とおもっています。
でも多くの人は、簡略化をすると宗教行事として意味がないとか、簡略化をするとそのままいずれ断絶して0になってしまうとおもってしまうようです。
「続けていくために簡略化をするんだ」という目的意識を明確にすれば、また将来、田舎で人口が増えるような機会があれば、むかしながらの神事を復活させることもできるかもしれません。
なのに、みんなもう、いまのことしか考えないクセがついてしまったのか、100年後に細々とでもつないでいくことに意義があるという意見はなかなか聞かれません。
古代の神道が仏教と習合していったようなことも、その時代に合わせて神道を弱体化させてでも生き残ろうということだったはずです。
蘇民祭にしても、裸祭をやめて、まったくちがう形になってでも、現代社会によりそう様式にして、次の時代につないでいく、という考えはなかったのか、とおもいます。
スーザンボイル、画像検索をするとどれも笑顔の写真で好感がもてました。
ただ実際にお会いしたわけでも、性格もフィーリングもわかりませんから、それ以上はなにもわかりません(笑)
六所神社の縁起物の写真、じつに福々しくていいですね。ありがとうございます。
この戎さんもニコニコしておられて、好感がもてましたし、鯛がかわいいです。
私、宇宙は2回しか行ったことがないのですが、頭に来た時や呆れた時、なぜか宇宙語でヒトリゴトを言う傾向がありまして(笑)
アケスケにポンポン言う人はお腹の中はキレイ、ということもありますね。
逆に言うと、たいして本気で思っていないことも、なにかしらのきっかけでついポロッと言ってしまうということもあるでしょうし。
お見合いと自由恋愛を比べて、どちらもわるいことではないというまとめは、押しつけがなくていいですね。
どんどん時代が変わっていっても、古いものをすっぱりと新しいものに入れ替えてしまうのではなく、いいものは残していきながら新しいものを取り入れて行くことがいいように思うのですが、古いものがどんどんなくなっていくのは寂しいですね。
現代は親と同居が珍しくなっているし、「家族という共同体への奉仕の感覚」というのは、なくなってきているように思います。
昔、当たり前だったことがいつのまにかなくなっていく、或いは薄れていく。
時代だから仕方がないと言ってしまえばそれまでですが。
朝、岩手県の神社のお祭りが、高齢化と担ぎ手不足のため、来年で開催終了というニュースを見ました。
またひとつ、古いものが消えて行くわけです。
黒石寺も、蘇民祭も知らなかったのですが、こういうことは、たぶん他でも起こっていることだと思います。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/2023120...
やはり大衆が、見目のよい役者さんを求めているということなんですね。
私は歌舞伎が大好きなんですが、では、歌舞伎役者では誰が惚れ惚れするようないい男か?と聞かれたら、誰も思いつかないです(笑)
そう言えば、スーザン・ボイルがなぜあれほど一気に周知され、のし上がったかと言えば、見た目と歌唱力のギャップでしたよね。
美人が上手に歌っても当たりまえ、と判断されてしまうのか、このあたりもなんだか納得のいかない世界ですが、これは不美人であったための圧倒的な勝利でしょう。
結局は先細りになったようですが、一時的にでもあれだけ世界中に知られたら、もう本望かと思います。
先日お参りした六所神社の境内には、おみくじやお守りの他、クシナダヒメの関係か櫛も売っていましたが、一目で気に入った縁起物があったので、買ってきました。
お福分けです(^^♪
アケスケにポンポン言う人はお腹の中はキレイ、ということもありますね。
逆に言うと、たいして本気で思っていないことも、なにかしらのきっかけでついポロッと言ってしまうということもあるでしょうし。
お見合いと自由恋愛を比べて、どちらもわるいことではないというまとめは、押しつけがなくていいですね。
どんどん時代が変わっていっても、古いものをすっぱりと新しいものに入れ替えてしまうのではなく、いいものは残していきながら新しいものを取り入れて行くことがいいように思うのですが、古いものがどんどんなくなっていくのは寂しいですね。
現代は親と同居が珍しくなっているし、「家族という共同体への奉仕の感覚」というのは、なくなってきているように思います。
昔、当たり前だったことがいつのまにかなくなっていく、或いは薄れていく。
時代だから仕方がないと言ってしまえばそれまでですが。
朝、岩手県の神社のお祭りが、高齢化と担ぎ手不足のため、来年で開催終了というニュースを見ました。
またひとつ、古いものが消えて行くわけです。
黒石寺も、蘇民祭も知らなかったのですが、こういうことは、たぶん他でも起こっていることだと思います。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/2023120...
やはり大衆が、見目のよい役者さんを求めているということなんですね。
私は歌舞伎が大好きなんですが、では、歌舞伎役者では誰が惚れ惚れするようないい男か?と聞かれたら、誰も思いつかないです(笑)
そう言えば、スーザン・ボイルがなぜあれほど一気に周知され、のし上がったかと言えば、見た目と歌唱力のギャップでしたよね。
美人が上手に歌っても当たりまえ、と判断されてしまうのか、このあたりもなんだか納得のいかない世界ですが、これは不美人であったための圧倒的な勝利でしょう。
結局は先細りになったようですが、一時的にでもあれだけ世界中に知られたら、もう本望かと思います。
先日お参りした六所神社の境内には、おみくじやお守りの他、クシナダヒメの関係か櫛も売っていましたが、一目で気に入った縁起物があったので、買ってきました。
お福分けです(^^♪
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なぜかその宇宙語、意味がわかります(笑)
お気遣い、ありがとうございます。
ほんとうに、悪気がなく時代にそぐわないことをするんですよね。
ただ、わずらわしくもあるんですが、こういうホンネ丸出しでアケスケなことを言う人がいるから、田舎の自治がうまく機能している一面もあります。
なので、個人的にはわずらわしいところもあるんですが、田舎で自治をするという点では、必要なコストなんだとおもってたりもします。
でもギズモさんのおっしゃるように、やっぱりこんな田舎でも、「頭が古い人」はすこしずつ淘汰されているようにおもえます。
小津安二郎は、時代の変化に対して非常に鼻のきく人でした。
かれの作品には、古い時代とあたらしい時代、という対比があります。
「お茶漬けの味」では、むかしながらのお見合い結婚と、当節流行りの自由恋愛が対比されていて、最終的には、どちらもわるいことじゃない、というような形でまとめられていました。
「東京物語」の場合は、仕事社会で資本主義になったことで、身内の付き合いにもかまっていられないあたらしい世代の人たちと、そういった社会の変化に最大限気遣いながらも、あたらしい世代の人であるじぶんの子供たちに頼ってくる親(古い世代)が対比されています。
東京物語の場合は、古い価値観をいつくしんで、家族という(お金にならない)共同体への奉仕の感覚が薄れていくことを哀しんでいます。
梨園の見目の話なんですが、あれはやっぱり、見目のよさを求める大衆があるからこそ、そうなっているのだとおもいます。
たとえば実際にあった出来事のドラマ化というときに、実際の人の容姿に役者を寄せるなんてことはまずありません。
そのほとんどすべてが、実際の人よりも容姿端麗な役者を用意します。
そうしないと大衆に受けないからで、そうなると大衆に受ける必要のある梨園もやはり、見目を重視するようになるでしょう。
そんなことを考えてると、どうも人間にとって器量のよしあしというのは、果てしない戦いのようにおもえてきました(笑)
ほんとうに、人との付き合いはご縁とフィーリングが大事だとおもいます。
ビジュアルやお金ははっきりした物差しになりますから、そういったことが重視されるのかもしれませんが、仮にそうであってもフィーリングを育んだほうがいいですね。
なぜかその宇宙語、意味がわかります(笑)
お気遣い、ありがとうございます。
ほんとうに、悪気がなく時代にそぐわないことをするんですよね。
ただ、わずらわしくもあるんですが、こういうホンネ丸出しでアケスケなことを言う人がいるから、田舎の自治がうまく機能している一面もあります。
なので、個人的にはわずらわしいところもあるんですが、田舎で自治をするという点では、必要なコストなんだとおもってたりもします。
でもギズモさんのおっしゃるように、やっぱりこんな田舎でも、「頭が古い人」はすこしずつ淘汰されているようにおもえます。
小津安二郎は、時代の変化に対して非常に鼻のきく人でした。
かれの作品には、古い時代とあたらしい時代、という対比があります。
「お茶漬けの味」では、むかしながらのお見合い結婚と、当節流行りの自由恋愛が対比されていて、最終的には、どちらもわるいことじゃない、というような形でまとめられていました。
「東京物語」の場合は、仕事社会で資本主義になったことで、身内の付き合いにもかまっていられないあたらしい世代の人たちと、そういった社会の変化に最大限気遣いながらも、あたらしい世代の人であるじぶんの子供たちに頼ってくる親(古い世代)が対比されています。
東京物語の場合は、古い価値観をいつくしんで、家族という(お金にならない)共同体への奉仕の感覚が薄れていくことを哀しんでいます。
梨園の見目の話なんですが、あれはやっぱり、見目のよさを求める大衆があるからこそ、そうなっているのだとおもいます。
たとえば実際にあった出来事のドラマ化というときに、実際の人の容姿に役者を寄せるなんてことはまずありません。
そのほとんどすべてが、実際の人よりも容姿端麗な役者を用意します。
そうしないと大衆に受けないからで、そうなると大衆に受ける必要のある梨園もやはり、見目を重視するようになるでしょう。
そんなことを考えてると、どうも人間にとって器量のよしあしというのは、果てしない戦いのようにおもえてきました(笑)
ほんとうに、人との付き合いはご縁とフィーリングが大事だとおもいます。
ビジュアルやお金ははっきりした物差しになりますから、そういったことが重視されるのかもしれませんが、仮にそうであってもフィーリングを育んだほうがいいですね。
ソナイイケズデ アホナ ジーサンバーサンノコト キニセントキヤ ナンダッタラ イッパツ ナグッ・・・・
↑ 宇宙語です(≧▽≦)
長老さんたち、悪気はないんでしょうが、頭が古いですね。
お金があって見た目のいい男性と結婚したら絶対幸せになれる、それは思い込みですね。
その人たちは、ご自分の娘さんやお孫さんが(娘・女の子の孫がいると仮定して)結婚する時、お金がある人、もしくはイケメンと結婚するよう、
親として祖父母として勧められるのでしょうか。
私が親ならそれは二の次で、堅実で誠実、間違っても女に手を上げず、大切にしてくれる人を選びなさいと言うんですけどね。
かっこよくてお金持ちの人と結婚しても、浮気はされる、お金を自由に使わせてくれないどころか生活費もくれない、暴力を振るわれる、束縛される、おかしな性癖がある、など、
だいたいお金持ちはどこかおかしいと思った方が無難です←小説の読み過ぎかも。
お金を持っていなくても「イケメンならどないかなる」、という筆頭はホストかもしれませんね。
でもそれは職業なので、生活を共にするとなると、ぜんぜんどないにもならんゎ、と思います(笑)
まぁ、いずれにしても、お二方の発言は、全女性・全男性への蔑視につながりかねないものと言えるかもしれません。
・・・・・農園主さんのところの長老さんたちに対し、失礼な発言をお許しください(o_ _)o)
小津安二郎のような、昭和の匂いがする映画はいいですね。
自由恋愛になったのは、女性が仕事を持つようになったりで、活動的になったという一因もありそうです。
簡単に言うと、強くなったんでしょうね。
三歩下がるどころか、追い越していく女性が増えてきて、男性がおとなしくなってきた感じもします。
今は、○○家の嫁、という考え方も薄れてきて、親も結婚を強制しない傾向になり、結婚の形もずいぶん変わってきましたね。
見目、ということでいつも思うのですが。
梨園の結婚は、自由になったとはいえ、やはり女性の見た目を重視しているように思います。
いくら好きだからと言ってあまり美人とは言えない女性は、現代においても反対される重要なポイントだと思うんですよね。
だいたいにおいて、歌舞伎役者の子どもは見目麗しいです。
きれいな奥さんをもらうからですね。
いわゆる、恋愛と結婚は別、という考え方もあるのかと思います。
だから、やたらと不倫だの浮気だの、芸は身の肥やし的なことをやる役者が後を絶たない(笑)
確かに誰でもルックスの好みはあるかもしれませんが、やっぱり縁というか、感じるフィーリングだと思います。
男女に限らず、相手から伝わってくるもの、心や考え方、それを大切にすることが、見目やお金より大事なことのように思うのですが、
見目・お金重視は、案外若い世代の人に多いかもしれませんね。
とは言え、好きになったらそんなことは関係なくなってしまうのが、恋愛の醍醐味かもしれません(*^^)v
↑ 宇宙語です(≧▽≦)
長老さんたち、悪気はないんでしょうが、頭が古いですね。
お金があって見た目のいい男性と結婚したら絶対幸せになれる、それは思い込みですね。
その人たちは、ご自分の娘さんやお孫さんが(娘・女の子の孫がいると仮定して)結婚する時、お金がある人、もしくはイケメンと結婚するよう、
親として祖父母として勧められるのでしょうか。
私が親ならそれは二の次で、堅実で誠実、間違っても女に手を上げず、大切にしてくれる人を選びなさいと言うんですけどね。
かっこよくてお金持ちの人と結婚しても、浮気はされる、お金を自由に使わせてくれないどころか生活費もくれない、暴力を振るわれる、束縛される、おかしな性癖がある、など、
だいたいお金持ちはどこかおかしいと思った方が無難です←小説の読み過ぎかも。
お金を持っていなくても「イケメンならどないかなる」、という筆頭はホストかもしれませんね。
でもそれは職業なので、生活を共にするとなると、ぜんぜんどないにもならんゎ、と思います(笑)
まぁ、いずれにしても、お二方の発言は、全女性・全男性への蔑視につながりかねないものと言えるかもしれません。
・・・・・農園主さんのところの長老さんたちに対し、失礼な発言をお許しください(o_ _)o)
小津安二郎のような、昭和の匂いがする映画はいいですね。
自由恋愛になったのは、女性が仕事を持つようになったりで、活動的になったという一因もありそうです。
簡単に言うと、強くなったんでしょうね。
三歩下がるどころか、追い越していく女性が増えてきて、男性がおとなしくなってきた感じもします。
今は、○○家の嫁、という考え方も薄れてきて、親も結婚を強制しない傾向になり、結婚の形もずいぶん変わってきましたね。
見目、ということでいつも思うのですが。
梨園の結婚は、自由になったとはいえ、やはり女性の見た目を重視しているように思います。
いくら好きだからと言ってあまり美人とは言えない女性は、現代においても反対される重要なポイントだと思うんですよね。
だいたいにおいて、歌舞伎役者の子どもは見目麗しいです。
きれいな奥さんをもらうからですね。
いわゆる、恋愛と結婚は別、という考え方もあるのかと思います。
だから、やたらと不倫だの浮気だの、芸は身の肥やし的なことをやる役者が後を絶たない(笑)
確かに誰でもルックスの好みはあるかもしれませんが、やっぱり縁というか、感じるフィーリングだと思います。
男女に限らず、相手から伝わってくるもの、心や考え方、それを大切にすることが、見目やお金より大事なことのように思うのですが、
見目・お金重視は、案外若い世代の人に多いかもしれませんね。
とは言え、好きになったらそんなことは関係なくなってしまうのが、恋愛の醍醐味かもしれません(*^^)v
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コンプレックスの件ですが、先週宮講でお酒を飲んでたときのことです。
うちの長老は80でまだ外に飲みに出て五合飲んで帰ってくるという、化け物のような現役の大工なんですが、軽口をたたくのが好きで、冗談めかしながらこんなことをいいました。
「男は金がなかったら女に相手にされんで」
そこで同席していたおなじく80近い女性が「イケメンならどないかなる」と言って、場は盛り上がっていました。
まあ、実際そうなんでしょうけど、どうもぼくにとっては直接的な話でした。
そう考えると、金もなくイケメンでもないぼくは、その点きちんとわきまえておかないと、とんだ勘違い人間になってしまいそうです。
この話があったので、きのうの話をしたというわけです。
「愛のために死す」は、おそらく自由恋愛が社会的抑圧を受けていた時代に、愛に殉死する物語なのだろうとおもいます。
小津安二郎の「お茶漬けの味」という作品も、自由恋愛がテーマになっていました。
そういった物語が裾野を開いたからなのか、現代ではみんな自由に恋愛をするようになりました。
ところでぼくが子供のころくらいに、「最近の子供はみんな背が高くなって、男は男前やし、女はべっぴんが多くなった」といわれるようになりました。
当時はそうなのかな、とおもってましたが、いまになって、その傾向はだんだん強まっているようです。
で、最近気づいたのが、それは自由恋愛の結果だろう、ということでした。
むかしは結婚は、家の専権事項でしたから、親が勝手に相手を連れてくる、当人に相手を選ぶ権利などない、というようなことが当たり前でした。
親としても、家が続いていくことが大事なのであって、相手の見目はほとんど気にせず、男だったらよく働くか、女だったら気立てがよいか、というくらいのことが重視されていたとおもいます。
しかし自由に恋愛をしていい、ということになると、当人にも欲があるから、知らず知らず見目のよい相手を選ぶようになる。
見目の良いふたりから生まれる子供は、やはり見目がよい確率が上がるわけです。
そのようにしてほんの数世代で見目のよい子供がたくさん生まれるようになり、いまの社会の自由恋愛においては、そういう無意識(ほんとうは無意識ではないんでしょうけど)における選別が行われているのでしょう。
で、見目の問題なしにこのゲームに参加するには、お金が必要だということになる。
ぼくはというと、そういう土俵からはさっさと下りてしまうのです(笑)
ガラスに写っていた方は、マスクをしていて、服装からみておそらく女性だろうということ以外は、判断できませんでした。
もしギズモさんだとしても、仮に実際にお会いして、あの写真でみたとおりだ、という判断はできないとおもいます。
しかしもうこの件に関しては、ぼくとしては「見た目は関係がないのです」としか言いようがありません(笑)
コンプレックスの件ですが、先週宮講でお酒を飲んでたときのことです。
うちの長老は80でまだ外に飲みに出て五合飲んで帰ってくるという、化け物のような現役の大工なんですが、軽口をたたくのが好きで、冗談めかしながらこんなことをいいました。
「男は金がなかったら女に相手にされんで」
そこで同席していたおなじく80近い女性が「イケメンならどないかなる」と言って、場は盛り上がっていました。
まあ、実際そうなんでしょうけど、どうもぼくにとっては直接的な話でした。
そう考えると、金もなくイケメンでもないぼくは、その点きちんとわきまえておかないと、とんだ勘違い人間になってしまいそうです。
この話があったので、きのうの話をしたというわけです。
「愛のために死す」は、おそらく自由恋愛が社会的抑圧を受けていた時代に、愛に殉死する物語なのだろうとおもいます。
小津安二郎の「お茶漬けの味」という作品も、自由恋愛がテーマになっていました。
そういった物語が裾野を開いたからなのか、現代ではみんな自由に恋愛をするようになりました。
ところでぼくが子供のころくらいに、「最近の子供はみんな背が高くなって、男は男前やし、女はべっぴんが多くなった」といわれるようになりました。
当時はそうなのかな、とおもってましたが、いまになって、その傾向はだんだん強まっているようです。
で、最近気づいたのが、それは自由恋愛の結果だろう、ということでした。
むかしは結婚は、家の専権事項でしたから、親が勝手に相手を連れてくる、当人に相手を選ぶ権利などない、というようなことが当たり前でした。
親としても、家が続いていくことが大事なのであって、相手の見目はほとんど気にせず、男だったらよく働くか、女だったら気立てがよいか、というくらいのことが重視されていたとおもいます。
しかし自由に恋愛をしていい、ということになると、当人にも欲があるから、知らず知らず見目のよい相手を選ぶようになる。
見目の良いふたりから生まれる子供は、やはり見目がよい確率が上がるわけです。
そのようにしてほんの数世代で見目のよい子供がたくさん生まれるようになり、いまの社会の自由恋愛においては、そういう無意識(ほんとうは無意識ではないんでしょうけど)における選別が行われているのでしょう。
で、見目の問題なしにこのゲームに参加するには、お金が必要だということになる。
ぼくはというと、そういう土俵からはさっさと下りてしまうのです(笑)
ガラスに写っていた方は、マスクをしていて、服装からみておそらく女性だろうということ以外は、判断できませんでした。
もしギズモさんだとしても、仮に実際にお会いして、あの写真でみたとおりだ、という判断はできないとおもいます。
しかしもうこの件に関しては、ぼくとしては「見た目は関係がないのです」としか言いようがありません(笑)
「ちっちゃな時から」は知らなかったので聴かせていただいたら、確かに和田アキ子のイメージが強く、調べたら「どしゃぶりの雨の中で」の作曲者と同じでした。
名前は使い分けているようですね。
「ちっちゃな時から」のイントロは、「必殺仕事人」のテーマにも使えそうな雰囲気で、かっこいいです。
春夏秋冬のインタビュー、知りませんでした。
ありがとうございます。
このエピソードたちは、すごいですね~。
なぎら健壱が言った、「同じ春夏秋冬でも、その時代で歌い方が変わっている。それは歌に込める感情も変わっているから」というのは、とても考えさせられます。
タクシー・ドライバーで、戦争を経験した人が社会に溶け込めないというのは、なんとなくわかります。
日本でも学生運動が起きていた頃、フランスでも五月革命がありましたよね。
ちょっと話が飛びますが、五月革命の時の、高校教師と教え子の男子生徒との激しく純粋な恋愛を描いた「愛のために死す」という、実話をもとにした映画があります。
その主題歌を、シャルル・アズナヴールが作ったのですが、日本ではちあきなおみが歌っています。
ただ、歌詞は訳詞ではなく、違う話になっていますが。
「世の中がよくならない閉塞感」のようなものを、この映画からも感じます。
あ~~、ベラのことで、よけいな気を遣わせてしまいましたね。
ごめんなさい。
「うかつ」だとは、ぜんぜん思いません。
私が言うところのベラは、ヘアスタイルがあんな感じで、麗子像にも共通点があり、美人・不美人ということでなく、おどろおどろしいというか、
ちょっと不気味な感じのイメージなんです。
「男として評価されるであろうことはことごとくダメ」だと、人を評価する立場にないんですか?
そんなことはないと思います。
「男として評価されるであろうことはことごとくダメ」というのも、自己評価ですよね。
それに、殆どの人は自分というものを知ることなく、他人を評価しているように思いますし、私もそうです。
自分の歌唱や演奏や、曲作り、そういったものを棚上げして、人をけなすことはよくあります。
と言っても、人前でけなすのではなく、あくまで心の中で評価しているのですが。
ビジュアルのコンプレックスは、多かれ少なかれ、誰にでもありますよね。
けっこうな美人でも整形している人も多いし、ちょうどいい体型でもダイエットに夢中とか、人の美意識はそれぞれです。
コンプレックスのない人よりある人の方が人間的に好感が持てますし、美人なのに話題が芸能界の事ばかりとか、イケメンなのに自分の意見というものがない人たちとは、
1分も一緒にいたくないです(笑)
・・・・ガラスに? 写ってました??
~~ただいま確認中~~
念のためお伺いしますが、その写ってる人、美人でした?(笑)
それは冗談として、これ、ぼんやりしていてはっきり限定できません。
私より年配の人にも見えます。
これを撮った時、七五三の人が多く、けっこう賑わっていたので、他の人の可能性も高いです←言い訳ではないです(笑)でも私かも、というのは否定できません。
雲海の写真、本当に素晴らしいですね。
月並みな表現ですが、幻想的で美しいです。
椿山荘というホテル&結婚式場が目白にあるのですが、国内最大級の霧の庭園の演出「東京雲海」、という人工的な雲海を見せる時間があります。
とてもきれいでしたが、農園主さんの写真を見たら、雲泥の差ではなく雲海の差です。
人工のものと本物を比べる意味もありませんが。
素敵な写真、ありがとうございましたヾ(@⌒ー⌒@)ノ
名前は使い分けているようですね。
「ちっちゃな時から」のイントロは、「必殺仕事人」のテーマにも使えそうな雰囲気で、かっこいいです。
春夏秋冬のインタビュー、知りませんでした。
ありがとうございます。
このエピソードたちは、すごいですね~。
なぎら健壱が言った、「同じ春夏秋冬でも、その時代で歌い方が変わっている。それは歌に込める感情も変わっているから」というのは、とても考えさせられます。
タクシー・ドライバーで、戦争を経験した人が社会に溶け込めないというのは、なんとなくわかります。
日本でも学生運動が起きていた頃、フランスでも五月革命がありましたよね。
ちょっと話が飛びますが、五月革命の時の、高校教師と教え子の男子生徒との激しく純粋な恋愛を描いた「愛のために死す」という、実話をもとにした映画があります。
その主題歌を、シャルル・アズナヴールが作ったのですが、日本ではちあきなおみが歌っています。
ただ、歌詞は訳詞ではなく、違う話になっていますが。
「世の中がよくならない閉塞感」のようなものを、この映画からも感じます。
あ~~、ベラのことで、よけいな気を遣わせてしまいましたね。
ごめんなさい。
「うかつ」だとは、ぜんぜん思いません。
私が言うところのベラは、ヘアスタイルがあんな感じで、麗子像にも共通点があり、美人・不美人ということでなく、おどろおどろしいというか、
ちょっと不気味な感じのイメージなんです。
「男として評価されるであろうことはことごとくダメ」だと、人を評価する立場にないんですか?
そんなことはないと思います。
「男として評価されるであろうことはことごとくダメ」というのも、自己評価ですよね。
それに、殆どの人は自分というものを知ることなく、他人を評価しているように思いますし、私もそうです。
自分の歌唱や演奏や、曲作り、そういったものを棚上げして、人をけなすことはよくあります。
と言っても、人前でけなすのではなく、あくまで心の中で評価しているのですが。
ビジュアルのコンプレックスは、多かれ少なかれ、誰にでもありますよね。
けっこうな美人でも整形している人も多いし、ちょうどいい体型でもダイエットに夢中とか、人の美意識はそれぞれです。
コンプレックスのない人よりある人の方が人間的に好感が持てますし、美人なのに話題が芸能界の事ばかりとか、イケメンなのに自分の意見というものがない人たちとは、
1分も一緒にいたくないです(笑)
・・・・ガラスに? 写ってました??
~~ただいま確認中~~
念のためお伺いしますが、その写ってる人、美人でした?(笑)
それは冗談として、これ、ぼんやりしていてはっきり限定できません。
私より年配の人にも見えます。
これを撮った時、七五三の人が多く、けっこう賑わっていたので、他の人の可能性も高いです←言い訳ではないです(笑)でも私かも、というのは否定できません。
雲海の写真、本当に素晴らしいですね。
月並みな表現ですが、幻想的で美しいです。
椿山荘というホテル&結婚式場が目白にあるのですが、国内最大級の霧の庭園の演出「東京雲海」、という人工的な雲海を見せる時間があります。
とてもきれいでしたが、農園主さんの写真を見たら、雲泥の差ではなく雲海の差です。
人工のものと本物を比べる意味もありませんが。
素敵な写真、ありがとうございましたヾ(@⌒ー⌒@)ノ
1146
朝日楼が持ち歌というのは、すごいです。
春夏秋冬はいかにも男くさいようなフォークソングですが、YouTubeにはなかったものの、森山良子もカバーして歌っておられるようですね。
いつか機会に恵まれればギズモさんが歌われるのを聞いてみたいものです。
春夏秋冬についてすこし調べて考えてたんですが、こんなインタビューがありました。
https://gendai.media/articles/-/97726
この中で、春夏秋冬が売れた理由について、こんな会話があります。
この会話で、ふとおもったのが、映画『タクシードライバー』のロバート・デ・ニーロでした。
この作品の主人公は、ベトナム戦争あがりでPTSDのような症状が出ていた男なんですが、そのあと社会にうまく迎合できません。
そして、うまくいかないのは、じぶんがおかしいからではなく、社会のほうがおかしいからではないかとおもうようになります。
実際、街は退廃しており、政治も腐敗。
そこで男は、社会を変えようと決意する……という作品です。
タクシードライバーは春夏秋冬の4年後に発表されているのですが、アメリカと日本と事情はちがえど、社会のありように不満を持ちながら、じぶんなりの理想を求めて行動しても、世の中がよくならない閉塞感が、1970年代を覆っていた空気なのではないか、という気がします。
ひとつ言い訳というか、ベラのイメージについて、おもしろおかしく話してしまいましたが、個人的にはわるいイメージがありません。
突っ張って、強く生きていながら、弱さも優しさもちゃんと備わっている、というイメージです。
すこし話がそれますが、ぼくはたとえば女性の見た目は、……ぼくはいちおう相対的に美人かどうか判断はつきますし、それがその人のアピールポイントであるのならもちろん合わせますが、人間として付き合うにあたって、ビジュアルは関係がありません。
こんなことは言ったが最後、底なし沼にはまるような話ですが、ぼくなんかはビジュアルも経済力も、一般的に男として評価されるであろうところはことごとくダメで、人を評価する立場にないわけです。
なので、人のビジュアルのコンプレックスを刺激するような土俵からは、できるだけ下りるようにとおもっていました。
特に女性相手に限ったことではなく、お互いにコンプレックスも包括して居場所になるような人間付き合いが望ましいんですが、だからといってじぶんからコンプレックスを捨て去るのはむずかしいですし、きのうのベラの話のようなことをポロっと言ってしまうあたり、まだまだぼくはうかつです(笑)
六所神社、クシナダヒメとスサノオが祭神なんですね。
源頼朝、北条時政などのつながりのある由緒をみて、これは去年の大河ドラマの『鎌倉殿の十三人』のときには観光でにぎわっただろうなとおもいました。
ほんとうに、出雲大社をおもわせる立派なしめ縄です。
しかしこれを稲でつくるというのは、あらためて考えると相当不思議なことですね。
写真をみてたんですが、ガラスに写り込んでるのはギズモさんでしょうか?
ところでうちのあたりは今朝、非常に霧が深かったので、配達のついでに雲海を見に行きました。


朝7時前、ことしは周囲一面みごとな雲海がみられました。
朝日楼が持ち歌というのは、すごいです。
春夏秋冬はいかにも男くさいようなフォークソングですが、YouTubeにはなかったものの、森山良子もカバーして歌っておられるようですね。
いつか機会に恵まれればギズモさんが歌われるのを聞いてみたいものです。
春夏秋冬についてすこし調べて考えてたんですが、こんなインタビューがありました。
https://gendai.media/articles/-/97726
この中で、春夏秋冬が売れた理由について、こんな会話があります。
田家 当時は学生運動に挫折した人たちに代表される、世間に迎合したくない、あるいは出来ない若者も多くいた。そうした若者がシンパシーを持って受け入れたんでしょうねって、他人事みたいだけど(笑)。
泉谷 世の中を変えようとしたが、うまくいかずに挫折する。その気持ちがこの曲と合致したらしい。ただし、個人的に戦争には反対だが、その考えを歌にしようと思ったことは一度もない。
この会話で、ふとおもったのが、映画『タクシードライバー』のロバート・デ・ニーロでした。
この作品の主人公は、ベトナム戦争あがりでPTSDのような症状が出ていた男なんですが、そのあと社会にうまく迎合できません。
そして、うまくいかないのは、じぶんがおかしいからではなく、社会のほうがおかしいからではないかとおもうようになります。
実際、街は退廃しており、政治も腐敗。
そこで男は、社会を変えようと決意する……という作品です。
タクシードライバーは春夏秋冬の4年後に発表されているのですが、アメリカと日本と事情はちがえど、社会のありように不満を持ちながら、じぶんなりの理想を求めて行動しても、世の中がよくならない閉塞感が、1970年代を覆っていた空気なのではないか、という気がします。
ひとつ言い訳というか、ベラのイメージについて、おもしろおかしく話してしまいましたが、個人的にはわるいイメージがありません。
突っ張って、強く生きていながら、弱さも優しさもちゃんと備わっている、というイメージです。
すこし話がそれますが、ぼくはたとえば女性の見た目は、……ぼくはいちおう相対的に美人かどうか判断はつきますし、それがその人のアピールポイントであるのならもちろん合わせますが、人間として付き合うにあたって、ビジュアルは関係がありません。
こんなことは言ったが最後、底なし沼にはまるような話ですが、ぼくなんかはビジュアルも経済力も、一般的に男として評価されるであろうところはことごとくダメで、人を評価する立場にないわけです。
なので、人のビジュアルのコンプレックスを刺激するような土俵からは、できるだけ下りるようにとおもっていました。
特に女性相手に限ったことではなく、お互いにコンプレックスも包括して居場所になるような人間付き合いが望ましいんですが、だからといってじぶんからコンプレックスを捨て去るのはむずかしいですし、きのうのベラの話のようなことをポロっと言ってしまうあたり、まだまだぼくはうかつです(笑)
六所神社、クシナダヒメとスサノオが祭神なんですね。
源頼朝、北条時政などのつながりのある由緒をみて、これは去年の大河ドラマの『鎌倉殿の十三人』のときには観光でにぎわっただろうなとおもいました。
ほんとうに、出雲大社をおもわせる立派なしめ縄です。
しかしこれを稲でつくるというのは、あらためて考えると相当不思議なことですね。
写真をみてたんですが、ガラスに写り込んでるのはギズモさんでしょうか?
ところでうちのあたりは今朝、非常に霧が深かったので、配達のついでに雲海を見に行きました。


朝7時前、ことしは周囲一面みごとな雲海がみられました。
岡林信康の曲で、山谷の労働者の暮らしぶりを歌った「山谷ブルース」がありますが、フォークは、反戦や政治批判、労働歌などメッセージ性の高いものであったものが、
時代とともに穏やかなものに形を変えていったように思います。
私もかぐや姫あたりから聞くようになり、岡林信康や泉谷しげるなどは、ずいぶん後から仕事の一環として何曲か聞いた程度です。
泉谷しげるの「春夏秋冬」は、10年ほど前、仕事で歌いました。
病院の職員の新年会に呼んでいただいたのですが、そこは共産党の病院でした←私はその病院にも共産党にも関係はないのですが、ご紹介で。
全部で10曲ほど歌いましたが、なぜこれを選曲したのかまったく思い出せません。
思想的に問題がなかったのか今になって気になります(笑)
アメリカあたりのフォークは、もともと「叫ぶ」の意味合いがあったようですが、日本でもそのような歌い方のイメージが大きく、
ストレートな歌詞もあれば、よく読めば何かを示唆しているものもあったかと思います。
かぐや姫は全体的にのんびりした感じが多いけれど、たまにシャウトしているのがありましたね。
「朝日楼」、持ち歌なんです。
ご存じだと思いますが、「朝日のあたる家」は、アメリカの古い民謡ですが、それをアニマルズがブルース的にカバーして大ヒットしました。
「朝日のあたる家」が刑務所を示唆しているので、女性版として遊郭と表現したのが浅川マキですね。
「朝日のあたる家」だと、なんとなく単調になるものが、浅川マキの詞によって、農園主さんの仰る、情念や怨の要素満載の歌になり、
この歌詞だとああいった歌い方しかなくなるわけですね。
これが持ち歌と聞くと、私のイメージもベラになってしまいそうですが(笑)
歌詞だけを変えてもこれほど違う曲になるので、やはりこれも農園主さんが書いていらっしゃるように、コピーではなく、「じぶんの色を出して遊ぶ」ことが、
音楽の楽しさのように思います。
「変装用メガネ」は、度が入っていない素通しレンズのメガネです。
そんなものをわざわざかけるくらいならば、かけなくていいではないかという自問自答をしながら敢えてかけているのですが、ただの「度なしメガネ」というのがつまらないので、そのような愛称になりました(笑)
今日は、お隣の神奈川県。大磯にある「六所神社」に行ってきました。
一年ほど前にお参りしたことがあったのですが、昨日の夜なんとなくHPを見ていたら、今日が5年に一度の大しめ縄の掛け替えの日でした。
行った時は掛け替えは済んでいましたが、ピッカピカのしめ縄に心がす~~っとしました。


車は怖いですね。
巻きこまれなくて本当によかったです。
(追記)
去年10月の六所神社です。しめ縄の色、違いますね。
時代とともに穏やかなものに形を変えていったように思います。
私もかぐや姫あたりから聞くようになり、岡林信康や泉谷しげるなどは、ずいぶん後から仕事の一環として何曲か聞いた程度です。
泉谷しげるの「春夏秋冬」は、10年ほど前、仕事で歌いました。
病院の職員の新年会に呼んでいただいたのですが、そこは共産党の病院でした←私はその病院にも共産党にも関係はないのですが、ご紹介で。
全部で10曲ほど歌いましたが、なぜこれを選曲したのかまったく思い出せません。
思想的に問題がなかったのか今になって気になります(笑)
アメリカあたりのフォークは、もともと「叫ぶ」の意味合いがあったようですが、日本でもそのような歌い方のイメージが大きく、
ストレートな歌詞もあれば、よく読めば何かを示唆しているものもあったかと思います。
かぐや姫は全体的にのんびりした感じが多いけれど、たまにシャウトしているのがありましたね。
「朝日楼」、持ち歌なんです。
ご存じだと思いますが、「朝日のあたる家」は、アメリカの古い民謡ですが、それをアニマルズがブルース的にカバーして大ヒットしました。
「朝日のあたる家」が刑務所を示唆しているので、女性版として遊郭と表現したのが浅川マキですね。
「朝日のあたる家」だと、なんとなく単調になるものが、浅川マキの詞によって、農園主さんの仰る、情念や怨の要素満載の歌になり、
この歌詞だとああいった歌い方しかなくなるわけですね。
これが持ち歌と聞くと、私のイメージもベラになってしまいそうですが(笑)
歌詞だけを変えてもこれほど違う曲になるので、やはりこれも農園主さんが書いていらっしゃるように、コピーではなく、「じぶんの色を出して遊ぶ」ことが、
音楽の楽しさのように思います。
「変装用メガネ」は、度が入っていない素通しレンズのメガネです。
そんなものをわざわざかけるくらいならば、かけなくていいではないかという自問自答をしながら敢えてかけているのですが、ただの「度なしメガネ」というのがつまらないので、そのような愛称になりました(笑)
今日は、お隣の神奈川県。大磯にある「六所神社」に行ってきました。
御創建は2100年ほど前、崇神天皇甲申の歳(紀元前97)、出雲地方より移住した氏族がこの地域を「柳田郷」と名付け、彼らの祖神である櫛稲田姫命、素盞嗚尊、大己貴尊(大国主命)を守護神とした。
一年ほど前にお参りしたことがあったのですが、昨日の夜なんとなくHPを見ていたら、今日が5年に一度の大しめ縄の掛け替えの日でした。
出雲大社の大しめ縄を製作している島根県「大しめ縄創作館」に奉製を依頼しております。
行った時は掛け替えは済んでいましたが、ピッカピカのしめ縄に心がす~~っとしました。


車は怖いですね。
巻きこまれなくて本当によかったです。
(追記)
去年10月の六所神社です。しめ縄の色、違いますね。
1142
岡林信康は、むかしうちの隣町に住んでいたようです。
しかしぼくのフォークの知識は、かろうじて吉田拓郎に届くかどうかといったところで止まっていて、岡林信康までは届いてないんですよね。
ぼくの場合は、かぐや姫とかチューリップ、長渕剛あたりから入っていて、それはぼくらの世代では多くがそうなんじゃないかとおもいます。
それよりひとつ世代をさかのぼると、ぼくが生まれる前の、50年代60年代の時代の特徴が理解できていないと、曲のよさを知る取っ掛かりがつかめないような気がします。
友川カズキや吉田拓郎もそうなんですが、フォーク黎明期あたりの音楽はちょっと手が届きにくいというか、かれらの曲は網羅して聞くよりも、つまみ食い的に好きな音楽をたまたま見つける、という感じになりがちです。
ちあきなおみに妖怪人間のベラを感じたというのは、ただしいとおもいました。
というのも、たぶんあの系統のミュージシャンのラインがあるんですよね。
ぼくの知る限り、その系統のパイオニアにあたるのが浅川マキです。
浅川マキは、演歌にもあるような「怨」だとか「情念」といった要素を抽出して、歌謡の世界に持ち込んだというか……アンダーグラウンドとしか言いようのない世界観で、一種熱狂的なファンを獲得していました。
その路線の延長線に、ちあきなおみや藤圭子があって、彼女たちも「怨」や「情念」を抽出してるんですが、浅川マキよりは商業的に洗練されています。
で、さらに彼女らの亜種、発展形のようなラインに、中島みゆきや和田アキ子がいます。
変わったところだと、森田童子もそうだとおもいます。
以下は浅川マキの「朝日楼」(もとはアメリカのフォークソング)で、次がおなじ曲を歌うちあきなおみです。
ちあきなおみの動画の最初に、「訳詞 浅川マキ」とあります。
あと浅川マキの「ちっちゃな時から」という曲があるんですが、このファンクな曲を聴くと、和田アキ子がこの系譜にあるのもお分かりいただけるとおもいます。
浅川マキを画像検索したものを貼り付けておきますが、妖怪人間ベラ系統の総元締めのような圧倒的存在感があります。

ギズモさんは近眼なんですね。
ぼくはもう、一般的な人よりもはるかに早い老眼で、もう50~60代の方のレベルの老眼鏡をつかっています。
変装用のメガネ……ギズモさんは有名人なのでしょうか?
歌は本人が歌ったものがいちばん伝わるというのは、ぼくもそうおもいます。
そのうえで、個人的にはカバーをする人がどのように元歌の解釈の幅を広げるのか、ということは楽しみで、たとえばビートルズのカバーなんかだと、たまに特大ホームランを打つようなミュージシャンがいたりするんですよね。
そもそもハードルが高いところを越えてくるような作品が、ごくたまにあるのを探すのが楽しいというか……ぼくはヘンな楽しみ方をしています(笑)
日本のミュージシャンの場合はよく、「カバーじゃなくてコピー」と揶揄されることがありますが、もうすこしじぶんの色を出して遊んでもいいような気がします。
岡林信康は、むかしうちの隣町に住んでいたようです。
しかしぼくのフォークの知識は、かろうじて吉田拓郎に届くかどうかといったところで止まっていて、岡林信康までは届いてないんですよね。
ぼくの場合は、かぐや姫とかチューリップ、長渕剛あたりから入っていて、それはぼくらの世代では多くがそうなんじゃないかとおもいます。
それよりひとつ世代をさかのぼると、ぼくが生まれる前の、50年代60年代の時代の特徴が理解できていないと、曲のよさを知る取っ掛かりがつかめないような気がします。
友川カズキや吉田拓郎もそうなんですが、フォーク黎明期あたりの音楽はちょっと手が届きにくいというか、かれらの曲は網羅して聞くよりも、つまみ食い的に好きな音楽をたまたま見つける、という感じになりがちです。
ちあきなおみに妖怪人間のベラを感じたというのは、ただしいとおもいました。
というのも、たぶんあの系統のミュージシャンのラインがあるんですよね。
ぼくの知る限り、その系統のパイオニアにあたるのが浅川マキです。
浅川マキは、演歌にもあるような「怨」だとか「情念」といった要素を抽出して、歌謡の世界に持ち込んだというか……アンダーグラウンドとしか言いようのない世界観で、一種熱狂的なファンを獲得していました。
その路線の延長線に、ちあきなおみや藤圭子があって、彼女たちも「怨」や「情念」を抽出してるんですが、浅川マキよりは商業的に洗練されています。
で、さらに彼女らの亜種、発展形のようなラインに、中島みゆきや和田アキ子がいます。
変わったところだと、森田童子もそうだとおもいます。
以下は浅川マキの「朝日楼」(もとはアメリカのフォークソング)で、次がおなじ曲を歌うちあきなおみです。
ちあきなおみの動画の最初に、「訳詞 浅川マキ」とあります。
あと浅川マキの「ちっちゃな時から」という曲があるんですが、このファンクな曲を聴くと、和田アキ子がこの系譜にあるのもお分かりいただけるとおもいます。
浅川マキを画像検索したものを貼り付けておきますが、妖怪人間ベラ系統の総元締めのような圧倒的存在感があります。

ギズモさんは近眼なんですね。
ぼくはもう、一般的な人よりもはるかに早い老眼で、もう50~60代の方のレベルの老眼鏡をつかっています。
変装用のメガネ……ギズモさんは有名人なのでしょうか?
歌は本人が歌ったものがいちばん伝わるというのは、ぼくもそうおもいます。
そのうえで、個人的にはカバーをする人がどのように元歌の解釈の幅を広げるのか、ということは楽しみで、たとえばビートルズのカバーなんかだと、たまに特大ホームランを打つようなミュージシャンがいたりするんですよね。
そもそもハードルが高いところを越えてくるような作品が、ごくたまにあるのを探すのが楽しいというか……ぼくはヘンな楽しみ方をしています(笑)
日本のミュージシャンの場合はよく、「カバーじゃなくてコピー」と揶揄されることがありますが、もうすこしじぶんの色を出して遊んでもいいような気がします。
以前、おひとりが亡くなったというお話は伺ったことがありますが、その後も。そうでしたか。
60代ではまだまだというお年ですよね。
歯だけでなく、目の問題もありましたね。
その頃、「目病み女に風邪ひき男」という言葉があるくらい、眼病の人は多かったらしいですね。
特に江戸は風が強く埃っぽくて、失明する人もいたとか。
現代の字のポイントの小ささは、本当になんとかしてほしいと思います。
目のいい人も悪くなりそうです。
近視なので老眼鏡は作ったことがないのですが、「(遠くを見る)外出用」「度なし(変装用・笑)」「楽譜がよく見える、度の低いもの」の3つを使い分けていて、ややこしいです。
遠近両用は間違いなくめまいがするので、原始的な方法で乗り切っています(笑)
「夜へ急ぐ人」、フォークの方が作って提供したとは知りませんでした。
友川カズキさんも知りませんでした。
ご本人の歌は、さすがに迫力がありますね。
ウィキペディアをざっと見ましたが、岡林信康に憧れてフォークの世界に入ったとか、やはり雰囲気に影響を感じます。
最初にちあきなおみの「夜へ急ぐ人」を聞いた時、妖怪人間ベムのベラのイメージが強くて(笑)
歌詞の中の、「燃える恋ほどもろい恋」という部分、なんともいい歌詞だし言い得て妙だなと思っていましたが、男性の作詞とは驚きです。
歌は、いろいろな人がカバーしたりすることが多いですが、やっぱり作った本人が歌ったものが、いちばん伝わってくるように思います。
「伝わりますか」、初めて聞きました。
これもいい曲ですね。
ところで、何を言っても打てば響くので、本当に脱帽です。
何個、帽子を脱がされたかわかりません(笑)
帽子の数え方を念のために調べたら「個」なんですね。
何となく「帽子1個」はピンときませんが、「個」でいいんだ・・・・と、感心した次第です。
60代ではまだまだというお年ですよね。
歯だけでなく、目の問題もありましたね。
その頃、「目病み女に風邪ひき男」という言葉があるくらい、眼病の人は多かったらしいですね。
特に江戸は風が強く埃っぽくて、失明する人もいたとか。
現代の字のポイントの小ささは、本当になんとかしてほしいと思います。
目のいい人も悪くなりそうです。
近視なので老眼鏡は作ったことがないのですが、「(遠くを見る)外出用」「度なし(変装用・笑)」「楽譜がよく見える、度の低いもの」の3つを使い分けていて、ややこしいです。
遠近両用は間違いなくめまいがするので、原始的な方法で乗り切っています(笑)
「夜へ急ぐ人」、フォークの方が作って提供したとは知りませんでした。
友川カズキさんも知りませんでした。
ご本人の歌は、さすがに迫力がありますね。
ウィキペディアをざっと見ましたが、岡林信康に憧れてフォークの世界に入ったとか、やはり雰囲気に影響を感じます。
最初にちあきなおみの「夜へ急ぐ人」を聞いた時、妖怪人間ベムのベラのイメージが強くて(笑)
歌詞の中の、「燃える恋ほどもろい恋」という部分、なんともいい歌詞だし言い得て妙だなと思っていましたが、男性の作詞とは驚きです。
歌は、いろいろな人がカバーしたりすることが多いですが、やっぱり作った本人が歌ったものが、いちばん伝わってくるように思います。
「伝わりますか」、初めて聞きました。
これもいい曲ですね。
ところで、何を言っても打てば響くので、本当に脱帽です。
何個、帽子を脱がされたかわかりません(笑)
帽子の数え方を念のために調べたら「個」なんですね。
何となく「帽子1個」はピンときませんが、「個」でいいんだ・・・・と、感心した次第です。
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じつは、自治会内でコロナ以降、ぼくを除いて5人いた現役の60代の自治会役員が2人亡くなり、先月から50代のひとりが入院しています。
もう自治会員の減少どころではない話で、さすがに牛頭天王にも頼りたいくらいの気分だったんですよね(笑)
じゃりン子チエの作者のはるき悦巳さん、どんな方なのかわからないんですが、どうも80年代に徹子の部屋に出てたらしいんですよね。
ネットにはその動画も見られず、もちろんはるきさんがそれを望んでいないなら、今後情報が出てくることはないのでしょうけど、あんな情緒のある作品の描ける方がどんな方なのか、気になるところです。
じゃりン子チエのお好み焼きは、ほんとうにおいしそうなんですよね。
歯が抜けたままの人という話から派生するんですが、むかしの本は文字が大きくて、あれはもちろん墨字であることもあるとおもうんですが、ひとつは老眼をはじめ、視力が低い人への配慮だとおもうんです。
40を越えればみんな多かれ少なかれ老眼が始まって、いまみたいに老眼鏡はありませんから、みんな文字が大きくないと読めなかったんだとおもうんですよね。
江戸時代には印刷技術も発達しますが、いまの雑誌のようにポイントの小さい字をつかうと読めない人が多かったんだろうな、と推測しています。
ちあきなおみは、いいですよね。
暗いはしけ、聞きました。こういう、突っぱねるような歌い方がバツグンにうまい人だとおもいます。
いまこの年になって聞くと、当人は等身大の、お話ししやすい人のような気がするんですけど、やっぱり才能が突出してますね。
ぼくはフォークの奇才、友川カズキの作曲した「夜へ急ぐ人」が好きなんです。
友川カズキのバージョンはこちらです。
動画4分ごろから曲が始まります。
あと、ちあきなおみの中では、ASKAの「伝わりますか」も好きです。
じつは、自治会内でコロナ以降、ぼくを除いて5人いた現役の60代の自治会役員が2人亡くなり、先月から50代のひとりが入院しています。
もう自治会員の減少どころではない話で、さすがに牛頭天王にも頼りたいくらいの気分だったんですよね(笑)
じゃりン子チエの作者のはるき悦巳さん、どんな方なのかわからないんですが、どうも80年代に徹子の部屋に出てたらしいんですよね。
ネットにはその動画も見られず、もちろんはるきさんがそれを望んでいないなら、今後情報が出てくることはないのでしょうけど、あんな情緒のある作品の描ける方がどんな方なのか、気になるところです。
じゃりン子チエのお好み焼きは、ほんとうにおいしそうなんですよね。
歯が抜けたままの人という話から派生するんですが、むかしの本は文字が大きくて、あれはもちろん墨字であることもあるとおもうんですが、ひとつは老眼をはじめ、視力が低い人への配慮だとおもうんです。
40を越えればみんな多かれ少なかれ老眼が始まって、いまみたいに老眼鏡はありませんから、みんな文字が大きくないと読めなかったんだとおもうんですよね。
江戸時代には印刷技術も発達しますが、いまの雑誌のようにポイントの小さい字をつかうと読めない人が多かったんだろうな、と推測しています。
ちあきなおみは、いいですよね。
暗いはしけ、聞きました。こういう、突っぱねるような歌い方がバツグンにうまい人だとおもいます。
いまこの年になって聞くと、当人は等身大の、お話ししやすい人のような気がするんですけど、やっぱり才能が突出してますね。
ぼくはフォークの奇才、友川カズキの作曲した「夜へ急ぐ人」が好きなんです。
友川カズキのバージョンはこちらです。
動画4分ごろから曲が始まります。
あと、ちあきなおみの中では、ASKAの「伝わりますか」も好きです。
ゆっくりできたようでよかったです(*^^)v
牛頭天王のパワーをたくさんいただけたのではないでしょうか。
歯!!!
あ~~、完全に見落としていました。
よく気がつきましたね、さすがです!!
歯が抜ければ隙間ができて、当然息の漏れも起こるわけなので、特にオペラの歌手は歯を大事にしているようです。
昔は金歯が流行だったのか、笑うと口がキラっとするおじいさん、おばあさんがいました。
室町時代あたりから入れ歯はあったようですが、江戸時代では家康も使っていたとか。
一般庶民には手が出るはずもなく、歯が抜けたままの人は相当多かったのもしれませんね。
漫画に出てくる人物って、けっこう歯が特徴的なキャラクターがいますね。
「じゃりン子チエ」は知ってはいましたが、ちゃんと見たことがないので、さっきネットでチラッと見てみました。
作者は、大阪生まれで、多摩美大出身なんですね。
確かに歯の描き方がとても印象的です。
お好み焼きが食べたくなりました(笑)
なにかしらの事件が起きると、現代でも小説や漫画などになることが多いですよね。
そこに真実がどのくらい書かれているのかわかりませんが、読んだ人は、事件のことを誤って認識する可能性は高いですね。
お七さんにしても、様々なジャンルで様々な物語になり、「え~~、あたしそんなことで火をつけたんじゃないのにぃ~~~」と憤慨しているかもしれません(笑)
「籠の鳥」、聞いてくださったんですね。
東海林太郎は正統派ですが、ちあきなおみもお聞きになったとは。
ちあきなおみの「籠の鳥」は聞いたことがなかったので、聞いてみました。
引退したのが本当に惜しまれる、みごとなまでの歌唱力のある歌姫で、私の大好きな歌手であり、お手本です。
「喝采」のような歌謡曲ではわかりにくいですが、ポルトガルのファド「暗いはしけ」や、ジャズ、スタンダードの歌唱は素晴らしく、
カムバックしないかなぁと思っているのですが、残念ながら実現することはないようです。
牛頭天王のパワーをたくさんいただけたのではないでしょうか。
歯!!!
あ~~、完全に見落としていました。
よく気がつきましたね、さすがです!!
歯が抜ければ隙間ができて、当然息の漏れも起こるわけなので、特にオペラの歌手は歯を大事にしているようです。
昔は金歯が流行だったのか、笑うと口がキラっとするおじいさん、おばあさんがいました。
室町時代あたりから入れ歯はあったようですが、江戸時代では家康も使っていたとか。
一般庶民には手が出るはずもなく、歯が抜けたままの人は相当多かったのもしれませんね。
漫画に出てくる人物って、けっこう歯が特徴的なキャラクターがいますね。
「じゃりン子チエ」は知ってはいましたが、ちゃんと見たことがないので、さっきネットでチラッと見てみました。
作者は、大阪生まれで、多摩美大出身なんですね。
確かに歯の描き方がとても印象的です。
お好み焼きが食べたくなりました(笑)
なにかしらの事件が起きると、現代でも小説や漫画などになることが多いですよね。
そこに真実がどのくらい書かれているのかわかりませんが、読んだ人は、事件のことを誤って認識する可能性は高いですね。
お七さんにしても、様々なジャンルで様々な物語になり、「え~~、あたしそんなことで火をつけたんじゃないのにぃ~~~」と憤慨しているかもしれません(笑)
「籠の鳥」、聞いてくださったんですね。
東海林太郎は正統派ですが、ちあきなおみもお聞きになったとは。
ちあきなおみの「籠の鳥」は聞いたことがなかったので、聞いてみました。
引退したのが本当に惜しまれる、みごとなまでの歌唱力のある歌姫で、私の大好きな歌手であり、お手本です。
「喝采」のような歌謡曲ではわかりにくいですが、ポルトガルのファド「暗いはしけ」や、ジャズ、スタンダードの歌唱は素晴らしく、
カムバックしないかなぁと思っているのですが、残念ながら実現することはないようです。
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なぜ「ひ・し」が関西・関東で逆転するのか、最終的にわからない、という見解は、プロだからこその深みを感じました。
個人的に推測するに、むかしの人にその傾向が多かった要因のひとつには、歯の問題があったのではないかとおもいます。
先日「じゃりン子チエ」をみたんですが、お好み焼き屋の親父はまだ50代だとおもいますが、もう歯が抜けていました。
30代のテツはまだ歯があって、60~70代とおぼしきおじい・おばあはもちろん歯が抜けています。
特徴的なのは、部分的に抜けた歯をそのままにしていることでした。
あれは漫画ですが、けっこうその時代の特徴をあらわしているような気がします。
そういえばうちの田舎の老爺にもそういう人がいますが、どことなしに声がふがふがして、不明瞭です。
現代では、歯を抜けたまま放置することがめずらしくなり、言語は明瞭になったとおもいますが、それでもなぜ関西と関東で「ひ・し」の逆転現象が起こるのか、という理由にはなりませんね。
お七の行動原理は、ギズモさんのおっしゃる通りだとおもいます。
女心には多かれ少なかれお七のようなところがある、ということですね。
惚れた相手に会いたい一心で自宅に火をつけた事件自体はあったのかもしれませんが、あとは野次馬による伝言ゲームで、場所もなにもかも曖昧になり、話に尾ひれはひれがどんどんついて、おおげさでぼんやりした物語になっていった、というところではないかとおもいます。
実際にその現場にいて、ほんとうはこういう顛末であった、ということを知っていたのは、ほんの一握りだったでしょうし、かれらが真実を語っても、おもしろおかしく騒ぎ立てる野次馬の声にかき消される状況だったとおもいます。
「籠の鳥」、ちあきなおみと東海林太郎の歌ったものを聞いてみました。
大正14年に発表とありましたが、このころからすでにいまに通じる直球スタイルの演歌があったんですね。
お札は年が明けてからしばらくして、神社の総代さんが自治会に配ります。
きのうは和やかに会は終了し、そのあともぼくは牛頭天王といっしょにお酒を飲んで、一日ゆっくりしました。
なぜ「ひ・し」が関西・関東で逆転するのか、最終的にわからない、という見解は、プロだからこその深みを感じました。
個人的に推測するに、むかしの人にその傾向が多かった要因のひとつには、歯の問題があったのではないかとおもいます。
先日「じゃりン子チエ」をみたんですが、お好み焼き屋の親父はまだ50代だとおもいますが、もう歯が抜けていました。
30代のテツはまだ歯があって、60~70代とおぼしきおじい・おばあはもちろん歯が抜けています。
特徴的なのは、部分的に抜けた歯をそのままにしていることでした。
あれは漫画ですが、けっこうその時代の特徴をあらわしているような気がします。
そういえばうちの田舎の老爺にもそういう人がいますが、どことなしに声がふがふがして、不明瞭です。
現代では、歯を抜けたまま放置することがめずらしくなり、言語は明瞭になったとおもいますが、それでもなぜ関西と関東で「ひ・し」の逆転現象が起こるのか、という理由にはなりませんね。
お七の行動原理は、ギズモさんのおっしゃる通りだとおもいます。
女心には多かれ少なかれお七のようなところがある、ということですね。
惚れた相手に会いたい一心で自宅に火をつけた事件自体はあったのかもしれませんが、あとは野次馬による伝言ゲームで、場所もなにもかも曖昧になり、話に尾ひれはひれがどんどんついて、おおげさでぼんやりした物語になっていった、というところではないかとおもいます。
実際にその現場にいて、ほんとうはこういう顛末であった、ということを知っていたのは、ほんの一握りだったでしょうし、かれらが真実を語っても、おもしろおかしく騒ぎ立てる野次馬の声にかき消される状況だったとおもいます。
「籠の鳥」、ちあきなおみと東海林太郎の歌ったものを聞いてみました。
大正14年に発表とありましたが、このころからすでにいまに通じる直球スタイルの演歌があったんですね。
お札は年が明けてからしばらくして、神社の総代さんが自治会に配ります。
きのうは和やかに会は終了し、そのあともぼくは牛頭天王といっしょにお酒を飲んで、一日ゆっくりしました。
「ひ」と「し」が正しく発音できないのは、他の地域にもあるようで、例えば北海道では「旭川」を「あさしかわ」と発音する所もあるようなんです。
仕事でボイストレーニングもやっているのですが(歌だけでなく発音も)「ひ」「し」の発音は誰でも曖昧になりやすい傾向があるようです。
「ひがし」も、「しがし」に聴こえてしまう人はけっこういます。
「ひし形」となると、「シシガタ」に聴こえてしまい、案外多くの人が曖昧な発音で、聞き取りにくくになります。
三代東京に住んでいる人がそうだとか、遺伝とか諸説ありますが、私が考えるところでは、江戸っ子特有の巻き舌的なべらんめぇ口調と、
威勢のいい早口の癖が、発音不明瞭の言葉を作っていったようにも思います。
そういう話し方をする家庭に生まれたから、それを聞いて育ったからといって、そうそう上手に「ひ」「し」が混同したり入れ替わったりしないと思うんですが(笑)
現代でこういう話し方をする人は、ご高齢の一部の人のようですね。
実際は、舌の横方向の形状に関係があるらしいのですが、詳しい理由はわかりません←これだけ書いて結局わからない(笑)
東京の場合、代々住んでいる人はそんなにいるわけではなく、戦後の集団就職あたりから東京に出て来て、そのまま住み着いたというほうが多いかもしれません。
これは、農園主さんが1133で書いていらっしゃる、「それぞれちがった習俗や文化を持ち込む」というお話のように、東京もそういうところだと感じます。
(追記1)
お正月のお雑煮の作り方が家庭によってずいぶん違うのは、その一例かと思います。
お七の話、事実はほとんど不明で、大げさに脚色されたものばかりですね。
昨年あたりでしたか、お七のことを少し詳しく調べてました。
気性が激しいから火をつけた、という話も読んだことがありましたが、農園主さんが書いていらっしゃるように、論理の飛躍だと思います。
女心というものを私なりに考えると、一途に思いつめた末のことで、当時火付けが死罪とわかっていての行動。
自宅が火事になれば、愛する人のいるお寺に避難でき会えるという、短絡的思考ではありますが、会いたい一心だったとわかります。
会いたさ見たさに怖さも忘れ、という歌もありますが(大正13年 籠の鳥)、本当に必死だったんでしょうね。
お七が処刑されたあと、お七の棺に両親がお七が執着した着物をかけてやるのですが、寺男たちが小遣い稼ぎに振袖を質屋に(ひちや・しちやが出てきました)売ってしまいます。
それを親に買ってもらったある娘が、原因不明の病で寝込み死んでしまうのですが、その日は、お七の処刑された日。
そして一年後、やはりお七の命日に原因不明の病で死んだ娘は、その因縁の着物を着てから寝込んだのだとか。
棺にかけてやって、供養されたはずの振袖がまだあったということを知ったお七の親が、今度こそお七の振袖を供養しようとお寺に持って行くのですが、
不思議なことに追記2 振袖に火がついて、その火があっという間に燃え上がり、江戸の大火(明和の大火)となったというお話は、実にもっともらしくできています。
ただしこれは、本郷の質屋の娘、お梅の話と実に紛らわしく、お梅の場合もとても似た話でありながら、振袖火事=明暦の大火とされていて、よくわかりません。
脚色されやすい題材なんでしょうね。
(追記3)
明暦のほうが明和より前なんですね。だとすると、お梅の話のほうがお七より先ということになります。あ~よくわからない(笑)
今日は、お札3体をいただく日でしたか?
ずっと続いてきた慣習をやめるというのも一苦労かと思いますが、それこそ心が伴わない単なる儀礼、習慣ならば、負担のないように行事を減らすのはいいことですね。
寒山拾得が軍服を着せられ~~、というのは、なんだかとても考えさせられますね。
お七の事から「籠の鳥」という歌を思い出し、何気なく検索していたところ、桂吉朝が「狐芝居」という上方落語の中で、実際にこの歌の冒頭を歌ったと書いてあり、
さらに検索しましたが、動画は残っていないようでした。
どんな話かな、とYouTubeを探したら、「ふじいでら素人噺の会」の「可笑家五目」という人のものがありました。
歌は歌っていませんでしたが、この人本当に素人? うまいな~~と思いました。
仕事でボイストレーニングもやっているのですが(歌だけでなく発音も)「ひ」「し」の発音は誰でも曖昧になりやすい傾向があるようです。
「ひがし」も、「しがし」に聴こえてしまう人はけっこういます。
「ひし形」となると、「シシガタ」に聴こえてしまい、案外多くの人が曖昧な発音で、聞き取りにくくになります。
三代東京に住んでいる人がそうだとか、遺伝とか諸説ありますが、私が考えるところでは、江戸っ子特有の巻き舌的なべらんめぇ口調と、
威勢のいい早口の癖が、発音不明瞭の言葉を作っていったようにも思います。
そういう話し方をする家庭に生まれたから、それを聞いて育ったからといって、そうそう上手に「ひ」「し」が混同したり入れ替わったりしないと思うんですが(笑)
現代でこういう話し方をする人は、ご高齢の一部の人のようですね。
実際は、舌の横方向の形状に関係があるらしいのですが、詳しい理由はわかりません←これだけ書いて結局わからない(笑)
東京の場合、代々住んでいる人はそんなにいるわけではなく、戦後の集団就職あたりから東京に出て来て、そのまま住み着いたというほうが多いかもしれません。
これは、農園主さんが1133で書いていらっしゃる、「それぞれちがった習俗や文化を持ち込む」というお話のように、東京もそういうところだと感じます。
(追記1)
お正月のお雑煮の作り方が家庭によってずいぶん違うのは、その一例かと思います。
お七の話、事実はほとんど不明で、大げさに脚色されたものばかりですね。
昨年あたりでしたか、お七のことを少し詳しく調べてました。
気性が激しいから火をつけた、という話も読んだことがありましたが、農園主さんが書いていらっしゃるように、論理の飛躍だと思います。
女心というものを私なりに考えると、一途に思いつめた末のことで、当時火付けが死罪とわかっていての行動。
自宅が火事になれば、愛する人のいるお寺に避難でき会えるという、短絡的思考ではありますが、会いたい一心だったとわかります。
会いたさ見たさに怖さも忘れ、という歌もありますが(大正13年 籠の鳥)、本当に必死だったんでしょうね。
お七が処刑されたあと、お七の棺に両親がお七が執着した着物をかけてやるのですが、寺男たちが小遣い稼ぎに振袖を質屋に(ひちや・しちやが出てきました)売ってしまいます。
それを親に買ってもらったある娘が、原因不明の病で寝込み死んでしまうのですが、その日は、お七の処刑された日。
そして一年後、やはりお七の命日に原因不明の病で死んだ娘は、その因縁の着物を着てから寝込んだのだとか。
棺にかけてやって、供養されたはずの振袖がまだあったということを知ったお七の親が、今度こそお七の振袖を供養しようとお寺に持って行くのですが、
不思議なことに追記2 振袖に火がついて、その火があっという間に燃え上がり、江戸の大火(明和の大火)となったというお話は、実にもっともらしくできています。
ただしこれは、本郷の質屋の娘、お梅の話と実に紛らわしく、お梅の場合もとても似た話でありながら、振袖火事=明暦の大火とされていて、よくわかりません。
脚色されやすい題材なんでしょうね。
(追記3)
明暦のほうが明和より前なんですね。だとすると、お梅の話のほうがお七より先ということになります。あ~よくわからない(笑)
今日は、お札3体をいただく日でしたか?
ずっと続いてきた慣習をやめるというのも一苦労かと思いますが、それこそ心が伴わない単なる儀礼、習慣ならば、負担のないように行事を減らすのはいいことですね。
寒山拾得が軍服を着せられ~~、というのは、なんだかとても考えさせられますね。
お七の事から「籠の鳥」という歌を思い出し、何気なく検索していたところ、桂吉朝が「狐芝居」という上方落語の中で、実際にこの歌の冒頭を歌ったと書いてあり、
さらに検索しましたが、動画は残っていないようでした。
どんな話かな、とYouTubeを探したら、「ふじいでら素人噺の会」の「可笑家五目」という人のものがありました。
歌は歌っていませんでしたが、この人本当に素人? うまいな~~と思いました。
1130
八百屋お七のことはほとんど知らず、恋する男に会いたいために家に火をつけるという話を知っていただけなんですが、ほんの軽く調べた状態でふたつほど、横道にそれるような雑談を。
Wikipediaを読み飛ばすように読んでいたところ、お七は丙午生まれなのではないか、という俗説がある、ということを知りました。
丙午に生まれた女性は気性が激しい、という迷信に基づいています。
気性が激しいので、恋する男の家に火をつけるようなことをするんだという、論理の飛躍です。
が、それでふと合点がいったのが、元東京都知事で意地悪ばあさん役をしていた青島幸男が書いた『人間万事塞翁が丙午』でした。
この作品は直木賞を受賞してるんですが、それなりに分厚い本で、東京日本橋で戦前戦後を生きるハナという女性の半生を描いています。
高校生のころに読んだというのもありますが、作品中に、丙午生まれの女性の気性が激しいという説明が出てきたかどうか記憶になくて、ずっと「どうして塞翁が丙午」なんだろうとおもっていたんです。
「人間万事塞翁が馬」という故事は、幸不幸は予想がつかないという意味ですが、これに丙午という言葉をくっつけて、「丙午生まれのハナが、予測のつかない時代をたくましく生きる」という意味だったのか、といまさら気づいたという次第でした。
あと、お七という名前なんですが、大阪の人は……まあむかしの大阪の人ですが、これを「おひち」と読みます。
「し」という言葉が「ひ」になってしまうようです。
なので、大阪では質屋の看板の横にわざわざ「ひち」とルビを振ってあるのを見たことがあります。
しかし「シシ鍋」が「ヒヒ鍋」になるようだと、サルを鍋にしているようでギョッとします。
逆に江戸っ子は……これもむかしの江戸っ子なのだろうとおもいますが、「ひ」の発音が「し」になってしまうといいます。
「昼間」が「しるま」になるような感じでしょうか。
これも「マントヒヒ」が「マントシシ」になるようだと、マントを着たイノシシを想像するわけですが、大阪と東京では「し・ひ」の発声が逆になるということを、ふとおもい出した次第です。
あと、東京と大阪の人……あるいは地域による人々の性格的特徴の違いは、仏教の宗派によるところが大きいのではないかとおもったんですが、これはまたべつの機会に。
八百屋お七のことはほとんど知らず、恋する男に会いたいために家に火をつけるという話を知っていただけなんですが、ほんの軽く調べた状態でふたつほど、横道にそれるような雑談を。
Wikipediaを読み飛ばすように読んでいたところ、お七は丙午生まれなのではないか、という俗説がある、ということを知りました。
丙午に生まれた女性は気性が激しい、という迷信に基づいています。
気性が激しいので、恋する男の家に火をつけるようなことをするんだという、論理の飛躍です。
が、それでふと合点がいったのが、元東京都知事で意地悪ばあさん役をしていた青島幸男が書いた『人間万事塞翁が丙午』でした。
この作品は直木賞を受賞してるんですが、それなりに分厚い本で、東京日本橋で戦前戦後を生きるハナという女性の半生を描いています。
高校生のころに読んだというのもありますが、作品中に、丙午生まれの女性の気性が激しいという説明が出てきたかどうか記憶になくて、ずっと「どうして塞翁が丙午」なんだろうとおもっていたんです。
「人間万事塞翁が馬」という故事は、幸不幸は予想がつかないという意味ですが、これに丙午という言葉をくっつけて、「丙午生まれのハナが、予測のつかない時代をたくましく生きる」という意味だったのか、といまさら気づいたという次第でした。
あと、お七という名前なんですが、大阪の人は……まあむかしの大阪の人ですが、これを「おひち」と読みます。
「し」という言葉が「ひ」になってしまうようです。
なので、大阪では質屋の看板の横にわざわざ「ひち」とルビを振ってあるのを見たことがあります。
しかし「シシ鍋」が「ヒヒ鍋」になるようだと、サルを鍋にしているようでギョッとします。
逆に江戸っ子は……これもむかしの江戸っ子なのだろうとおもいますが、「ひ」の発音が「し」になってしまうといいます。
「昼間」が「しるま」になるような感じでしょうか。
これも「マントヒヒ」が「マントシシ」になるようだと、マントを着たイノシシを想像するわけですが、大阪と東京では「し・ひ」の発声が逆になるということを、ふとおもい出した次第です。
あと、東京と大阪の人……あるいは地域による人々の性格的特徴の違いは、仏教の宗派によるところが大きいのではないかとおもったんですが、これはまたべつの機会に。
禅問答を仕掛けたということは、答えがあって答えがない、というものになるのでしょうね。
でも、人によって解釈が違っていいのか、答えはひとつなのか気になるところではあります。
山椒大夫は、丹後が舞台だとしか知りませんが、その民宿のあたりなんですね。
民宿に寒山拾得などという名前をつけるとは、何か理由があるように思います。
森鴎外の娘、森茉莉の書いた「父の帽子」は、中学の時の国語の教科書に載っていました。
今、森鴎外記念館になっているところが森茉莉が育った家なのですが、当時、「駒込千駄木」といわれた場所で、私が生まれたのは豊島区駒込ですが、
そこよりずっと東大のある本郷に近い文京区千駄木になります。
八百屋お七で有名な吉祥寺も、本郷に近い、現在の文京区本駒込ですが、当時「駒込吉祥寺」と呼ばれていました。
それはどうでもいいのですが(笑)、鴎外も茉莉も、墓所が禅林寺といい、東京都下の三鷹市にあります。
「禅」がつくので調べてみたら、やはり黄檗宗のお寺でした。
鴎外と禅宗、どういう関連があるのか、気になりだしてしまいました(笑)
太宰治は、本人の希望で、鴎外の近くに埋葬してあるようです。
でも、人によって解釈が違っていいのか、答えはひとつなのか気になるところではあります。
山椒大夫は、丹後が舞台だとしか知りませんが、その民宿のあたりなんですね。
民宿に寒山拾得などという名前をつけるとは、何か理由があるように思います。
森鴎外の娘、森茉莉の書いた「父の帽子」は、中学の時の国語の教科書に載っていました。
今、森鴎外記念館になっているところが森茉莉が育った家なのですが、当時、「駒込千駄木」といわれた場所で、私が生まれたのは豊島区駒込ですが、
そこよりずっと東大のある本郷に近い文京区千駄木になります。
八百屋お七で有名な吉祥寺も、本郷に近い、現在の文京区本駒込ですが、当時「駒込吉祥寺」と呼ばれていました。
それはどうでもいいのですが(笑)、鴎外も茉莉も、墓所が禅林寺といい、東京都下の三鷹市にあります。
「禅」がつくので調べてみたら、やはり黄檗宗のお寺でした。
鴎外と禅宗、どういう関連があるのか、気になりだしてしまいました(笑)
太宰治は、本人の希望で、鴎外の近くに埋葬してあるようです。
1127
鴎外はたぶん、わかる人だけわかってくれればいい、という形で、読者に対して禅問答を仕掛けたのだとおもいます。
ぜんぶ解けるようになっているはずなんですが、まだ仕掛けがあるような気がしてなりません。
寒山寺、日本にもあったんですね。
特に青梅市の三無の寒山寺は、なかなか風狂なお寺です(笑)
舞鶴の寒山拾得も気になりますね。
しかしこの民泊のある場所は、偶然なのかなにか縁があるのか、森鴎外の『山椒大夫』で、山椒大夫が支配していた場所にかなり近いです。
ちなみに舞鶴のあたりは海に面しているからか、民宿がたくさんあります。
子供のころはこのあたりに親戚がいて、会いに行った後、母方の一族みんなで海の民宿に泊まって、海水浴や釣りをしたものです。
大阪の寒山寺、ぼくもホームページを拝見しました。
もともと琵琶湖のほとりにあって、蘇州の寒山寺に似ていたそうですが、1634年に創建された当時の寒山寺がどこにあったのか、どういう眺めだったのか、気になるところです。
鴎外はたぶん、わかる人だけわかってくれればいい、という形で、読者に対して禅問答を仕掛けたのだとおもいます。
ぜんぶ解けるようになっているはずなんですが、まだ仕掛けがあるような気がしてなりません。
寒山寺、日本にもあったんですね。
特に青梅市の三無の寒山寺は、なかなか風狂なお寺です(笑)
舞鶴の寒山拾得も気になりますね。
しかしこの民泊のある場所は、偶然なのかなにか縁があるのか、森鴎外の『山椒大夫』で、山椒大夫が支配していた場所にかなり近いです。
ちなみに舞鶴のあたりは海に面しているからか、民宿がたくさんあります。
子供のころはこのあたりに親戚がいて、会いに行った後、母方の一族みんなで海の民宿に泊まって、海水浴や釣りをしたものです。
大阪の寒山寺、ぼくもホームページを拝見しました。
もともと琵琶湖のほとりにあって、蘇州の寒山寺に似ていたそうですが、1634年に創建された当時の寒山寺がどこにあったのか、どういう眺めだったのか、気になるところです。
くどいほどの説明をするタイプの作家だと、私が意味がまったくわからないと挙げた、
「僧らが、ぞろぞろと来てたかった」「道翹は真蒼な顔をして立ちすくんでいた」のところなど、きちんと説明をしないと読み手が理解できないことに気がついていたのに、
敢えてそうした、と考えていいことなのかもしれませんね。
寒山拾得縁起は、その補足というか言いたかったことを、寒山拾得とは打って変わったユーモラスなものにして書いたのかもしれないと思います。
それでも、充分に書いたとは言えないのかもしれませんが。
鴎外が緻密な仏教のパズルを作ったというお話ですが、鴎外は仏教にどのような思い入れがあったのか、知りたくなってきました。
今回、寒山寺や、寒山拾得を調べていたら、東京都下・青梅市にも寒山寺がありました。
蘇州の寒山寺に因んでいるという小さなもので、無宗派・無住(住職不在)・宗教法人格無しの三無の寺であるということですが、これではもう「寺」ではないですね(笑)
大阪にも寒山寺があったんですね。
箕面の寒山寺は臨済宗で、HPで見るとかなり古い、立派なお寺のようです。
もうひとつ、これも偶然見つけたのですが、寒山拾得という農家民宿が、舞鶴の西方寺という集落にありました。
https://www.uminokyoto.jp/gourmet/detail...
蘇州料理かと思いましたが、ジビエ中心みたいですね。
「僧らが、ぞろぞろと来てたかった」「道翹は真蒼な顔をして立ちすくんでいた」のところなど、きちんと説明をしないと読み手が理解できないことに気がついていたのに、
敢えてそうした、と考えていいことなのかもしれませんね。
寒山拾得縁起は、その補足というか言いたかったことを、寒山拾得とは打って変わったユーモラスなものにして書いたのかもしれないと思います。
それでも、充分に書いたとは言えないのかもしれませんが。
鴎外が緻密な仏教のパズルを作ったというお話ですが、鴎外は仏教にどのような思い入れがあったのか、知りたくなってきました。
今回、寒山寺や、寒山拾得を調べていたら、東京都下・青梅市にも寒山寺がありました。
蘇州の寒山寺に因んでいるという小さなもので、無宗派・無住(住職不在)・宗教法人格無しの三無の寺であるということですが、これではもう「寺」ではないですね(笑)
大阪にも寒山寺があったんですね。
箕面の寒山寺は臨済宗で、HPで見るとかなり古い、立派なお寺のようです。
もうひとつ、これも偶然見つけたのですが、寒山拾得という農家民宿が、舞鶴の西方寺という集落にありました。
https://www.uminokyoto.jp/gourmet/detail...
蘇州料理かと思いましたが、ジビエ中心みたいですね。