2024年2月の投稿[59件]
2024年2月29日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
私も早く片付けたいタイプで、一気にやってしまうことが多いのですが、思い出してみると、がむしゃらにやるより、途中で何か違うことをしたりちょっとおやつを食べたりするほうが、その後の捗りが効率的だったりしています。
疲れていない状態をキープする、これはどんなことにでも応用できますね。
心に留めておきます。
美味しんぼ、そのシーンが思い出せませんが、いかにも山岡さんが言いそうなことですね(笑)
だいぶ前から、お米は「研ぐ」ということがなくなりましたし、家庭科の教科書でも「お米を洗う」になっていますよね。
それに、お湯で研ぐ(洗う)ほうが、訂正
話がちょっと違いますが、昔は雑巾がけをお湯でやるなんてとんでもない、水でやれ、というお年寄りが多かったと思います。
つまり、過程の苦労をすべきだ、という精神なのでしょう。
最近は、雑巾を使った雑巾がけなんて、やる人はいるのでしょうか。
100均で雑巾は売っているので需要はあるのかもしれませんが、クイックルみたいな立って掃除する簡易モップ?を使う人が圧倒的に多いでしょうし、水拭きのできるタイプのルンバかもしれません(笑)
以前は毎日していた雑巾がけを週1~2日にし、あとはクイックルを使うようになりましたが、やっぱり手で雑巾がけした方がきれいになるのは間違いありませんし、なんとなく気持ちもスキッとします。
でも最近は、水拭きできるルンバを誰か買ってくれないかな、と思うようになりました(笑)
文明の利器を使って、過程で苦労せず無駄な努力をしない。
それによって得られる時間や、体力と心の余裕、これは必要ですね。
余談ですが、先日たまたま「読み上げ」機能を使ってみました。
AI独特の感じではなく、「どこの地方の人?」というような、ちょっと素朴な訛りがあるような話し方で、なんだか好感が持てて、失礼ですがちょっと笑ってしまいました(笑)。
田舎暮らしをしてるとお金にならない仕事ばかりなんですが、それでもいいとおもえるのは、多くの人がひとりひとりの保全の苦労があってこそだということを知っていて、ねぎらい合う空気ができているからだとおもっています。
だから、介護だと特に、感謝の言葉、ねぎらいの言葉は折に触れて捧げたほうがいいと、ぼくもおもいます。
もう何度か言ってるかもしれませんが、うちの近所に、80になって現場仕事の大工をしているという超人的長老がいます。
この方といっしょに草刈りや原木しいたけづくりをしたとき、休み方がうまいことに気が付きました。
たとえば、「1~10までを片付けるタスク」があったとします。
で、「8」まで片付いたとしますよね。
肉体的にはちょっと疲れた程度で、これも10段階でいえば6くらいの疲れです。
残った作業があと2くらいなら、すこし無理押ししても片付けてしまいたいとおもいます。
このとき、ぼくの頭の中には、「タスクを早く片付けること」が最優先事項になっています。
ところが長老は、「休むで」といって、みんなを半ば強制的に休ませるんですね。
体力的に5~6割の疲れで、一回しっかり休憩をとって、みんなでわいわい談笑して、それであとひと仕事を一気に片付けよう、となる。
つまり、疲れるまでやるんじゃなくて、ひと仕事を終えるまでできるだけ、疲れてない状態をキープするようにしてるんですね。
そのときに大事なのは、全体で「あともうちょっとで片付くのに」といわずに、休憩を受け入れる心構えだろうとおもいます。
介護の場合、それでは一日のタスクが終わらないということもあるかもしれませんが、そこはもうじぶんのできる範囲を越えているということで、行政や家族など頼めるところにヘルプを求めたり、あるいはタスクの一部を無理やり削ってでもじぶんの休息にあてたほうがよい、ということが、きのうの話でした。
食事に関しても、「おいしい」「健康に問題ない」という結果が出ていれば、過程はなんだっていいんだとおもいます。
日本……というより東洋的なクセだとおもうんですが、結果よりもその過程で苦労しているかどうかということが大きく評価されるところがあります。
おなじ結果でもその過程で苦労してナンボみたいな気風があって、たとえばお米をお湯で研ぐなんてダメだ、なぜ冷たい水で研がないんだということを、「美味しんぼ」で山岡士郎が言ってたのをむかし読みました。
ぼくからすれば、出来上がるご飯が特別まずくなるというのでもなければ、ラクなほうがいいとおもいます。
文明が未発達だったむかしなら、なにごともマンパワーに頼るほかありませんでしたから、ともかく万事なまけさせない衆人環視的な圧迫教育が必要だったのも理解できなくもありません。
でも、現代は機械社会と資本主義によって、必要最低限にして最大限の利益を得る努力をするようになりました。
その中で「むしろ必要のない努力はしてはいけない」という風潮が生まれてきたのは、ものすごくよいことだとおもっています。
2024年2月28日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
10年ほど前でしょうか、時期は はっきり覚えていませんが、練り物が身体によくないと言われていたことがありました。
それ以来あまり買わないようにしていたのですが、最近そういう噂が聞えてこないので、時々買うようになりました。
少し甘めのものが、特においしいと思います。
このところの練り天のお話でおいしさを再認識したので、これからは一生懸命買うことにします(笑)
介護される側もする側も、それを取り巻く側も、7割を目標というお話、なんだかとても気持ちが楽になりました。
道徳と義務感。確かにそのとおりです。
自分が10割以上頑張ったとしても、相手はそれを当たり前と思うかもしれません。
7割で自分も相手もこんなものだと納得させ、余力をキープするのが大事ですね。
例えは違いますが、介護や看病に関係のない一般的な家族の食事作りにしても、三食手を抜かない、出来合いのお惣菜は買わない主義の主婦が、たまたま忙しくてスーパーのお惣菜を買ってきて、ものすごく後ろめたい気持ちでテーブルに出したら、誰からも何も文句も言われず、今まで頑張ってきたのはなんだったんだ、という話はけっこうあるようです。
↑ 私もそうでした(笑)
看病、介護も同じですね。
自分ができることは、精一杯以上にやらないといけない、という思い込み。
これは取り払わないといけませんね。
あとは、看病・介護をしてくれる人に、ありがとうの言葉を、時々でもいいのでかけてあげられるかどうか、これも大事なことと思います。
具合が悪い時は難しいかもしれませんが、そのひとことで、けっこう救われるものです。
たまにデパートなどで、揚げたての練り天を売ってるところがありますね。
あれはたしかに絶品で、やっぱり作り立てにかなうものはないとおもいます。
練り物の場合、値段はかなり確かな指標だとぼくもおもいます。
ただおもしろいのは、安い練り物もあのやわらかい食感がそれなりにうまいということで(笑)
練りキムチ、いいですね。ヤンニョムにそのまま練り物を漬けたら、いちおう魚介ですし、よい珍味になりそうな気が……。
ちょっと本筋からズレた内容になるかもしれないんですが、介護の話は、うちの場合は去年の父のがんもそうでしたが、家族の中で将来に向けてのいろんな話が出てきていて、むずかしい問題になりつつあります。
ぼくとしては、介護される側もする側も、それを取り巻く側も含めて、チカラの入れようとしては7割くらいを目標にキープするくらいがいいのではないかとおもっています。
毎日100%の掃除ができる人がいないのに似ています。
だいたいだれでもそうだとおもいますが、7割を越えたら続きません。
7割がんばっても介護される側へのケアが足りないということになると、申し訳ないけどずさんなケアに甘んじないと、こちらの生活まで崩れてしまいます。
せめてテレビみて、おせんべいかじって、ダラダラする時間が一日に数割ないと、人間疲れてしまうものですから。
あとは、生活の不具合の度合いに応じて、地域包括支援センターなどでアドバイスをうかがうなど、行政からの支援のとっかかりをつかんでおくのは大事ですよね。
介護される側のQOLが大きく取り沙汰されることが多いんですが、ぼくとしては介護する側のQOLはそれ以上に大事だとおもっています。
なにせ家庭での介護というのは、金銭的報酬もない、いやおうなしに道徳と義務感が搾取される分野ですからね(笑)
介護する側の人生の豊かさに目を向けて、共倒れにならないように……うちの場合は父か母、どちらが介護者に回るかはわかりませんが、ぼくとしてはそのへんに気を配っていこうというのが、いまの時点の考えです。
2024年2月27日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
コロナが流行る前あたり、デパ地下の催事場で、さつま揚げ(呼び方は違ったと思います)の詰め合わせを買ったのですが、今まで食べたことがないくらい、絶品でした。
北海道の、名前は知らない商店でしたが、「北海道にもさつま揚げがあるんだ」と思い、ちょっとびっくりしました。
先日熱海に行った時、駅ビルにある「まる天」というお店に、ものすごく行列ができていました。
お店の名前の由来を調べたら、農園主さんも書いていらっしゃる「丸天」からきているようです。
ここはいつ行っても並んでいるのですが、うちの近くの巣鴨にも店舗があるので、時々買っています。
棒にさしてあるものがメインですが、わりと大きめで300円くらい、いろいろな種類があって、本当においしいので、そのまま食べます。
おいしいものとあまりおいしくないものの差はなんだろう、と時々考えることがありますが、単純に考えれば値段かもしれません。
農園主さんのお住いのあたりの練り物は、こちらでは売られていないのかもしれませんね。
野菜と一緒に豆板醤で炒めてもおいしいし、豚肉の代わりに、豚キムチならぬ、練りキムチもなかなかです。
大石静さんの記事、読ませていただきました。
年代はだいぶ違いますが、他人事ではないと切実に思います。
自分が調子の悪い時に寝込まれると、それはもう悲惨な状況になります。
昨年、気管支炎を長引かせてしまったのは、自分がつらい時に、
恩にきせるわけではありませんが、相手は子どもではないのだから「自分の調子が悪い時は適度に手を抜いて世話をする」ことが大事だと思ったのです←後の祭りですが。
これからどんどん若返っていくわけではないので、自分の健康状態がよくない時に看病なり介護なりをすることになると思うと、共倒れかも、と考えてしまいます。
今まで、熱を出して寝込まれることがほとんどなかったので、あまり深く考えていませんでしたが、ほんの一週間でも、本当に疲れました。
大石さんは、本当に頭が下がります。
老々介護がいつまで続くのか、先が見えないというのは、気が遠くなる話です。
やるだけやったと思い、涙も出ませんでした。夫が恐れず、苦しまずに人生を終えられるように――それをプロデュースすることが妻としての最後のミッションだと思って、こちらの命も削れるほどやりましたので。
これほどのことが、私にできるとはとても思えません。
それは、愛情や気持ちがないから、ということでなく、一週間で音を上げそうになった自分を省みての、率直な思いです。
たいした病気はせずに元気でいてくれて、自分も健康でいないといけない、ということですね。
うちのあたりは日本海側で、本格的な練り物で有名なところです。
練り物はどこも似たようなものといえば似たようなものなんですが、食べ比べてみるとちがうものです。
ただ消費期限の短い食品ですし、地元だと飽和状態になりがちで、4本入り300円の丸天やごぼ天が、たまに半額になっていることがあって、そんなときはよろこんで買います。
で、食べきれない場合は冷凍保存して、煮物に利用します。
薄揚げも冷凍保存がきくので、うちでとれた野菜を煮物にするハードルがずいぶん下がりました。
カブと炊き合わせたり、切り干し大根の煮物、夏には甘唐辛子やオクラと炊き合わせたりなど、冷凍庫様様の暮らしをしています。
ただうちのあたりは停電などがたまにあるので、そのあたりがリスクではあるんですが。
2024年2月26日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
今回の大河の脚本を書かれた、大石静さんの記事なんですが、興味深かったです。
伴侶との離別について語っておられるんですが、大河ドラマの苦労話などとは切り離して、たんたんと語るべきテーマに沿った話をしているあたりが、ちょっとすさまじいくらいで。
子供のころは練り物がどちらかというとあまり好きではなかったんですが、大人になってから好物になりました。
練り天はそのまま食べてもおいしいんですが、煮物にトッピングするのがいちばんの利用法だとおもっています。
アテにする場合、チーズと一緒だとこれ以上ないご馳走になるんですよね。
2024年2月25日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
特にごぼてん、いい出汁がでそうです。
ありがとうございます。
リニューアルオープンしたスーパーに昨日行ったのですが、オープン記念のセール品が多く、ちょうど練り物の盛り合せを、3割引きで買ってきていました。
今見たらごぼう天もあったし、初めて見ましたがベーコンで巻いた野菜天もありました。
竹輪を買いに行かないですみました。
切り干し大根にいれる竹輪は煮込み竹輪が望ましいんですが、安いちくわでもかまいませんし、丸天やごぼてんなど、いろんな野菜などが入った練り物のてんぷらを一口サイズに切って入れてもおいしかったです。
練り物の甘みやうまみがいい出汁になるようで、これがあると箸が進み方がちがいますね。
大変な治療に耐えて乗り越えたこと、感服します。
「うまく関係を築く」こと、これは医師にとっても患者にとっても、大事なことだと思います。
堀ちえみの場合、舌や口腔内に異常があった時、歯科医院かどこか忘れましたが、ずっと通院治療していたのに「心配のないただの口内炎」という診断をされ、安心していたそうです。
ところがだんだんひどくなり、何も食べられないほどの激痛が続き、ずいぶんたってから他の病院で診てもらったらすでにステージ4(5かもしれません)の舌がんだったそうです。
もっと早くちゃんと診てくれていたら、という思いは、本人も家族も当時は相当あったようです。
私も、痛みや熱に弱く、うまく死ねる自信もないので、健康でいることの大事さが本当に本当に、身にしみます。
農園主さんのお考えは決して極端な言い方ではなく、ああ、医師とはそういうものなんだな、と、とても納得しました。
ありがとうございます。
話は変わりますが。
以前、切り干し大根にちくわを入れるというお話を書いていらっしゃいましたね。
あの「ちくわ」は、短くて細い「ちくわ」ではなく、おでんに入れる、ちょっと柔らかい「ちくわ」の方ですよね?
私はひじきを煮る時、おでん仕様の方のちくわを入れるのが大好きなんですが、切り干し大根でもやってみたいと思いました。
数日前はかなり暖かかったので冷やし中華気分でしたが、寒さが戻ってしまい、シチュー&おでん日和です(*^_^*)
ちょっと極端な言い方をしますが、医師はかならずしも患者を救うためにあるのではなく、医療の世界を発展させるためにあるのだとおもっています。
ただ、結局医療の世界を発展させるためには患者を治さなければならないし、そのための技術を究めなければならない。
じつは、患者の痛みや不満をとりのぞくのは、医師の仕事ではありません。
医師は医学がこれまで名付けてきた病名を患者の症状に当てはめて、その病気を治すための方法を提示して実行することが仕事です。
患者にとってはどちらも似たようなものだとおもうんですが、おそらく医師の多くはそこをつかいわけてるとおもうんです。
介護の勉強をしたときに、キュア(治療)とケア(介護)のちがいを学びましたが、医師はキュアをする存在だと学びました。
だから、治療の過程にものすごい苦しみがあるとか、最悪死ぬリスクがあるとしても、医師は患者を治して医療の世界を発展させるためなら、それを実行します。
それに、最初から優秀な医師がいるわけではないので、シロウトに毛が生えたような研修医も存在すれば、特定の手術だけが得意なスーパードクターもいれば、なぜかケアまでしてくれる特異な医師もたまにはいることでしょう。
そうすると、患者としては、医師の治療に過度な期待をもつよりは、最近の言い方でいえば、「じぶんの機嫌はじぶんでとる」ほうがよいのだとおもいます。
それがつまり「じぶんなりに納得のいく哲学」を持つということで、病気に対して納得する、痛みに対して納得する、死に対して納得するというような、受け入れにくいものを受け入れるための準備が必要なんですよね。
それでもぼくは医師ではないし、痛みにも弱くうまく死ねる自信もないので、ギズモさんが経験なさった理不尽なおもいには同情します。
うちの父は地元の病院をかかりつけにしたことで、たまたまうまくがんをみつけてもらって、手遅れになる前に治療してもらうことができたといってました。
もちろん治療の過程ではたいへんなおもいをしてるんですけどね。
75歳の父は病院の常連になっていますが、だからこそうまく関係を築けた医師は大事にして、メンテナンスしてもらいたいとおもっているようです(笑)
2024年2月24日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
お天気に左右されることが多く、頑張った分すべてが報酬として反映されるわけではなく、記事にしていらっしゃるだけではわからないご苦労も多いことと思います。
それでも、「楽しんでやっている、食べてもらう人に喜んでもらいたくてやっている」という、その心意気があるからできることなんですよね。
仕事に対する報酬は当然不可欠ですが、金額は二の次三の次(相手側の言い値)、まずはやりたい内容かどうか、そして人に喜んでもらえるものであるかが大切なことだと思い、仕事をしています。
服装も大事なので、安くてもそれなりのものを購入すると、年間にすれば経費の方が収入を簡単に超えてしまいますが、まぁ、そんなものだと納得しています(笑)
昔の小説に出てくるような島部や過疎地の医者は、医師免許がないのに、病気やケガの治療、手術からお産まで、なんでもやってのけたわけですが、結局は書物から得る知識のみでなく、臨床数、経験の多さに他ならないと思います。
また私事で申し訳ないですが、昨年、床も天井もぐるぐる回るひどいめまいと嘔吐で、救急車を呼びました。
昼間なので、外来の耳鼻科に回してくれれば、すぐに数年に一度起こる「良性発作性頭位めまい症」だとわかったのに、救急外来にずっと座らされたままで、吐き気止めの点滴を3時間受けました。
研修医の若い女性に、「血液検査の結果、白血球と血糖値が高い、24時間空腹なのにこの数値は異常。糖尿病の疑いと脳の異常が考えられるので後日検査を受けるように」と、かなり強い断定的な口調で言われました。
帰る際、救急外来の主任のような女性医師がその研修医と一緒に来て、「もし心配ならば後日検査してください」という、さほど心配はないというニュアンスで言われましたが、結局は研修医の練習台だったわけです。
白血球と血糖値は、何らかの炎症があればそれだけで上がると知ってはいたのですが、それを研修医に言っても埒があかないと思い黙っていましたが、最初から最後まで、つらいなかで、納得のいかない措置でした。
翌日、近くの耳鼻科に行き、耳石が三半規管に入り込んで起こった「良性発作性頭位めまい症」だと診断されました。
また、内科で血液検査を改めてしてもらいましたが、白血球も血糖値も、数値は正常に戻っていました。
研修医の、医学書に書かれているマニュアル通りの診断を丸のみしていたら、糖尿病かも?、脳がおかしいのかも?と、大きな不安に陥るところでした。
研修医を育てるには仕方がないこととは理解できますが、まずは医師が同席し、その上で診断の補足を行ってほしいと思うんですよね。
他にも身内でこれに類似したことがあり、医師の言うことを丸のみにしてはいけないし、結局は医師としての腕より人柄だと、深く感じています。
「医療や医師に任せっぱなしではなく、じぶんなりに納得のいく哲学が必要だとおもいます」というのは、本当に同じ気持ちです。
水木しげるの腕のことは知っていましたが、そのエピソードは知りませんでした。
赤ん坊のにおい、それは新生を感じるものだったのでしょうか。
生きる上での本能かもしれませんね。
2024年2月23日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
時給で割ると不毛という点では、ぼくもそうです。
山間部の百姓仕事は、野菜をつくる以外のところでやることが多く、また経費もたくさんかかります。
この前確定申告をすませましたが、懐に入ったお金から経費と医療控除を引いて、時給を割り出す……というような計算はろくなことにならないのでやりません(笑)
けど、ぼくも野菜作りはじぶんなりに楽しんでやっているし、食べてもらう人に喜んでもらいたくてやっています。
この仕事だからそうおもえるのかもしれませんが、いただくお金が仕事の副産物であっても納得ができるんですよね。
もしかしたらギズモさんにとってもいまのお仕事は、いただくお金に増してやりがいがまさる一面があるのではないでしょうか。
現代では特にそうなのかもしれませんが、医師はエラーの多い存在だとおもいます。
医療はいまやナノレベルの進化を遂げていますが、医師はただの人間にすぎないうえに、いまは専門医療で細分化されていて、膨大な症例の引出しから病態を導かねばならず、個人の手に負えないところまできているようにおもえます。
つまり、患者がおもう医療テクノロジーへの期待度に対して、医師という人間がついていけてない面があるんですよね。
そのうえで、われわれもじぶんの病気や死について、医療や医師に任せっぱなしではなく、じぶんなりに納得のいく哲学が必要だとおもいます。
そういえば、ゲゲゲの鬼太郎で有名な水木しげるは、南方のパプアニューギニアの戦線で左腕を負傷し、粗末な医療で腕を切断しました。
それでひどい熱で苦しんで、もうダメかというところまでいったらしいんですが、あるときじぶんの腕の傷が治りかかったところから、赤ん坊のようなにおいがしたというんです。
その匂いをかいだときに「おれは助かる」とおもったというんですが、そういう感覚はちょっと医師にはわからないとおもいます。
おそらくギズモさんの日にち薬とおっしゃる感覚も医師にはつかみあぐねるところだとおもいますし、きっとご自身の感覚の中で回復基調を実感しておられるのがなによりの薬になっているようにおもえました。
動の中に静があり、緊張の中に緩和がある、このバランスが大事なんですね。
心に留めて、企画していこうと思います。
仕事は、決して忙しいと言えるほどないのですが、事前準備をきちんとしていくと、どうしても時間ばかりかかってしまいます。
時給としては悪くなくても、毎日あるわけではないのと、準備にかなりの時間をかけることを考えると、時給500円以下とか、数十円ということになったりもします。
これは、仕事に対する向き合い方の問題で、適度に準備の手を抜けばいいことなのですが、なかなかそれができません。
特にステージの場合、1番○○、2番○○、というように単調に演奏や歌を進めて行くのが嫌いで、ちょっと他にはないような演出に拘ってしまうので、それを延々と考えているという、いいような悪いようなところがあります。
ご心配いただき、ありがとうございます。
音声外科でも耳鼻科でも、結局異常が見られず、不調の原因がまったくわからないので、やりようがないというのが現状です。
だいぶ前ですが、農園主さんが農園主さんではない時分、「医師から考えないようにと言われたけれど、それではだめだと思い、自分で考えて乗り越えた」というようなお話をなさっていましたよね。
医師の診立てはそれぞれで、それが患者に合うこともあれば、合わないこともありますよね。
今回、どの医師にも、6月の咳~気管支炎(コロナとかの感染症ではない)とはまったく関係ないと断言され(声帯にも異常がないので)、薬も意味がなく、外科的にも何もできることはないと言われました。
でも、自分なりに考えてみると、気管支炎の後遺症しか考えられなかったんです。
その証拠に、日にち薬みたいに、1日1ミリみたいに徐々にですが、歌えるようになってきています。
医師を信用するしないの問題ではなく、やっぱり自分の心や身体のことは、自分に聞くのが正解なんだろうな、と思うのです。
喉はデリケートですから、ぜひいたわってあげてください。
静と動のバランスの話なんですが、たとえば日本民間放送連盟では、CMの総量が規制されていて、18%以内に決まってるんだそうです。
緊張の中に、緩和が2割弱というのは、黄金比のようにおもえます。
サーカスの緊張の中にピエロが出てくる割合や、ライブでミュージシャンが曲の合間に話をする割合、緊張感のある演劇で肩の力が抜けるやり取りの場面の割合、漫才のボケに対するツッコミの割合など、やはり2割程度の緩和が調和的な気がしました。
でもこれは、あくまで全体を演出する場合の方法論のような話であって、ぼく個人が勝手におもったことを話したにすぎませんから、ギズモさんはともかく喉を酷使しないよう、静の表現をなさってくださいね。
カナタイピングはちょうど2週間ほどになるんですが、キーの位置もおぼえて、たどたどしくも打てるようにはなってきたんですが、ここにきてだんだん壁が高くなってきました。
ぼちぼちダレてきそうなところでもありますから、一日に少しずつでも取り組んで、あともうしばらく練習したところで、ふだんの入力をカナに切り替えていこうとおもっています。
ギズモさんはもうコロナ前の忙しさを取り戻しておられるのでしょうか。
やりがいのあることに追われるのは楽しいことですが、どうぞご無理が出ませんように。
この分だと、そろそろ入力をローマ字からカナに切り替えても大丈夫そうですね。
マイケル・ジャクソンのダンス、「あれだけ激しい動きにも関わらず「静」を感じるのが不思議で」と書いていらっしゃいますが、まったく同感です。
マイケルと比べるのもおかしいかもしれませんが、ジャニーズ系の人は(今はジャニーズといわないんでしたっけ?)ダンスが激しいので、口パクが普通なんだそうです。
いくら若くても、相当息切れするはずなので、まともに歌える方がおかしいです。
激しいのに「静」を感じる、ということから、ふと、音楽もそうだな、と思い当たりました。
例えば何か歌ったり演奏したりする時、サビのあたり、盛り上がるところ(ギターなら超絶テクを駆使したり、歌ならシャウトするところ)で、いっぱいいっぱいで演奏したり歌うと、どうしても「静」を感じさせないんですよね。
それが、盛り上がりを見せても、心と演奏に余裕があれば、「静」を感じさせるのことが多いように思います。
もちろん、熱くパワフルに演奏し、「動」をみせるのも重要でしょうが、私は「静」をみせることの難しさ、大切さのほうに重きをおきます。
完全に個人的見解なのですが、記事を読ませていただき、改めて「静」の重要さを感じたわけです。
私的なことですが、4月の新年度からの仕事の事ですこしばかりもめていて、このところ忙しくしています。
仕事先の施設の指定管理の問題で、仕事先が増えるのと(減るよりはいいですが)、担当が変わるのと、内容の見直しなど、詰めないといけない案件が多々あり、さっさと解決してほしいのですが、なかなか落ち着かない状況です。
そこにもってきて、3月、4月とコンサートが入ったので、曲目の選定やステージ進行の企画を、楽しみながらやっているという毎日です。
ただ、喉の調子はいまだ完全と言えず、不安がつきまといますが、「必死で歌っている感」は絶対に出せないので、ひたすら「静」でいけたらと思います。
それには、喉の状態が良好で、余裕が必要です。
農園主さんのタイピングのように地道な努力を忘れず、ベストな状態に戻れるようにしないといけませんね。
雪予報でしたが、降りそうにありません。
2024年2月22日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
最高点は106点。ぼちぼち90点あたりも出てるんですが、一日10点ペースで上達していたのが、うまくいきません。
文字の位置はもう覚えました。
しかしここからは手が慣れていく時期で、これがうまくいかない。
頭の中でローマ字入力と干渉しまうので、感覚で打っていくと間違えるんですね。
でももうここからは頭で考えるよりも先に手が出てこないと点数が伸びないので、このあたりが難所になっているようです。
2024年2月17日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
https://www.e-typing.ne.jp/
70点くらいまで出るようになりました。
毎日10点ずつ上がってる感じ。
それなりに打てるようになってきましたが、2週間でどのあたりまで伸びるのか。
2024年2月16日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
D-のレベルで50点を中心にたまに60点が出る程度。
このあたりで、これまで「ポチ・ポチ」と独立していたタイピングが、すこしずつ「ポチポチ」とつながった部分も出てくる感じ。
ふだんの入力はまだローマ字で行っていますが、考えている言葉とタイピングの言葉のスピードがリンクしてくるようになれば、ふだんの入力をカナに切り替えようとおもってます。
カナ入力の問題はいくつかありますが、カナだけで入力している人は、英語入力はどうしているのでしょう。
あと記号入力もおぼつかないし、結局このあたりは「ALT+カナ」のキーでローマ字に切り替えてやることになりそうです。
なんか、すごいぞ。
このメタリカのジャンガジャンガのリズム。
どっかで聞いたことある、お祭りのリズムです。
こちらの、「ジャンジャジャジャジャン」のリズム。
こちらは、水戸黄門。
「メタル・アメリカ」で「メタリカ」なんですけど、ファンクのような横ノリが似合うあの国で、なんでああいう日本風のノッペリした縦ノリのニュアンスがウケたのか。
ぼくは民謡もメタルも、なんかノッペリしてて苦手だったんですけどね。
このへん、研究したらおもしろそうです。
2024年2月15日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
ガンズのファーストアルバムにして、ロックアルバム最高峰のひとつ「アペタイト・フォー・ディストラクション」ですが、この最初の曲は有名な「ウエルカム・トゥ・ジャングル」です。
ぼくは、この、アルバム最後の「ロケットクイーン」が好き。
曲調が途中で変わるんですが、変わる前も変わった後も好き。
いい年した田舎のおじさんが好き・好きと、われながらうるせえなとおもいますが、好きなんだからしゃあないです。
この液体がしたたり落ちるような奇妙な映像エフェクトがなければとおもうのですが、それはともかく、マイケルのダンスはいまでいう「キレッキレ」とはまったく違うんですよね。
あれだけ激しい動きにも関わらず「静」を感じるのが不思議で、いまどきの筋肉にモノをいわすようなダンスとはちょっとちがう。
この動画はマイケルの昔のもののようで、口パクでもない、貴重なものだとおもうんですが、返す返す映像エフェクトが……。
なんでもかんでも「ムダを省け」といって、効率化を騒ぎ立てた結果、日本そのものがダウンサイジングしたのが原因です。
ダウンサイジングすることが命題化して、だれも大きな志でモノを言うことがなくなった。
特に新自由主義の人たちにその傾向が顕著ですが、バブル崩壊以降、ムダがじつはとても大事なんだという価値観を許さなかったのが痛い。
なんでもかんでも縛り付けて、ムダなくシステム化していく世の中ではなく、国民に大胆と言えるほどの自由を与えて、そこから志を生み出していく努力が必要なんですが、果たしていまの日本に「自由を与える」心の余裕があるかどうか。
3本もあれば干しかごが埋まるだろうとおもっていたんですが、いざやってみると、1本でカゴ一杯に。
晴れてる日は外干しで、曇りや雨のときは除湿器で、だいたい一週間ほど乾燥させます。
切り干し大根は保存食のようにおもえますが、乾燥させたものをそのまま常温で保存すると空気中の湿気を吸ってわるくなりますから、冷蔵庫か冷凍庫で保存します。
水で戻して薄揚げとお出汁で炊くだけでもじゅうぶんおいしい煮物になるし、そこに竹輪でも加えれば文句なしです。
2024年2月14日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
スコア51で、レベルはE+
「どこだったかなー、えーと、あ、ここだ」
と時間をかけて記憶の引き出しをたぐっていたのが、だんだんと感覚的にタイピングできるようになってきました。
入力時間は4分だったのが2分まで短縮。
きょう一日で50回くらい練習してるので、150分くらいはタイピングしてた模様。
よい農閑期です。
2024年2月13日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
いざカナ入力をやってみてわかりましたが、キーボードの配列はユニバーサルデザインで、本来は英語で打ちやすいように配列されてます。
カナは文字数が多く、キーボードの端から端まですべて使う上に、それでも足りない。
本来指が届きにくい1列目や、右端までフルに使います。
さらにシフトキーで「っ」や「を」を打ち、濁音や半濁音はいちいち右上の小指で加えなければならないなど、ひと言でいえば、難易度が高いです。
ようするに、カナはキーボード向きの言語ではないんですよね。
それでもローマ字入力のようにひとつの文字を母音と子音で2回押す手間がなく、その文字を一回押せばいいだけですから、熟練すればローマ字より早く入力できるというのはほんとうでしょう。
えらそうなことはいえませんが、一度身についた早打ちは、練習をやめても「昔取った杵柄」みたいな状態が長く残ってくれるので、練習がムダにならないとおもいます。
ぼくの場合は、もう15~20年近く前に勤めていた職場が求人広告の制作だったんですが、そこで鍛えられました。
仕事がヒマな時期とか、職場の仲間たちで集まって、ネットのタイピングゲームで記録を競い合って、そこの記録を職場で独占していたことがあります。
みんなタイピングの猛者で、ぼくはせいぜい中の上くらいの記録でした。
タイピング練習は、筋トレみたいに数日サボるとすぐダメになる、みたいなことはありません。
40を越えると打鍵速度も老化するんじゃないかとおもっていましたが、意外と大丈夫だし、練習すればちゃんと速度も上がるようです。
ぼくもカナ入力と並行してローマ字ももうちょっと訓練して、高みを目指そうとおもいます。
2024年2月12日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
大正時代には、既にカナタイプライターがあったんですね。
ローマ字入力をやってみました。
まず、問題文を全部読まないうちに打つから、打ち間違いより読み間違いがしばしば。
5~6回で頭が痛くなってきて挫折しましたが、慣れてきたところでGood!でした。
一瞬、Godと読み違えましたがそんなわけはありません。
professorなんて、すでに神業でしょう。
その後、歌詞をwordで作るものが何曲かあったので、何気なく打っていたのですが、途中で「あれ?今までこんなに早く打てたっけ?」と。
訓練??のおかげだと思います。
おかげさまで、歌詞作りが早く終わったので具だくさんスープを作り、さらにアメーバピグのパズルで遊べました。
いいサイトをありがとうございました。
ちょっとずつ練習したら、もしかしたらfastにはいけるかもしれませんが、イバラが相当痛そうな気がします。

