山麓王国

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2026年3月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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こんばんは。

今回はまとまった考察はせずに、雑談をしようとおもっていたんですが、結局いろいろ書いてしまいました(笑)



前々回、ギズモさんが花粉症のお話をされていましたが、当地よりずいぶん早い印象で、わたしは2月にはまだ症状らしい症状がありませんでした。

それで花粉症の地域差について調べてみたのですが、太平洋側と日本海側だと、太平洋側のほうが春は早く訪れるようですね。

また都市部のほうがヒートアイランド現象や、排気ガスと結合するなどで、花粉症は強く出るようです。

もちろん田舎は杉山や檜山が近くにあるので、結局症状が強く出るのはおなじだとおもいますが(笑)



ところで、熊野について番外編の話があります。

以前にも話したことがあるような気がするのですが、きみょうな偶然というか、不思議な体験です。



わたしはギズモさんと歴史のお話しをするようになってから、どうも司馬遼太郎さんがちょくちょく様子をうかがっているような気がしてなりません。

もちろん司馬さんの肉体は消滅しているわけですが、どこかから「いまのあんたはこれを読まんとアカン」といって、作品を差し出してくれているような気がするのです。

『この国のかたち』というエッセイ集をトイレ読書している間、ギズモさんと歴史の話をしていると、作品の中でその話題が出てくることは一度や二度ではなく、ほとんど毎回なにかしら接点が出てくるのでした。

こちらが話題にしたことが、あとから司馬さんの作品の中に出てくるのです。



もちろん、わたしが司馬さんの作品を読むときに、わざわざ接点を探して関連付けている可能性はあります。

しかしそれにしたって、頻度が多い。

わたしは読書家でもなく、一日に数ページ~数十ページほど、トイレや風呂といったついでになんらかの本を読んでいる程度です。

ここ数年は司馬さんの作品が多いのですが、いまは平岩弓枝さんの西遊記全4巻を数か月かけて読んでいます。

平岩さんの作品からはこちらの話題にシンクロするようなことはありません。



で、つい数日前、何年かぶりにAmazonのfireタブレットを充電して立ち上げました。

もはやパスワードも忘れていて難儀したのですが、なんとかおもいだして中に入ると、以前購入して読まずじまいになっていた、司馬さんの『木曜島の夜会』の電子書籍があったのです。



なんとなく、風呂読書をしてみようとおもいました。

わたしは老眼鏡がないと本が読めないのですが、電子書籍であればフォントを大きくできるので、入浴中でも読書ができます。

読み進めていくと、なんとこれが熊野の話でした。

ちょうど紀州や熊野について調べて、前回ギズモさんに返信したあとです。

『木曜島の夜会』というタイトルからまさか熊野が出てくるとはおもいもしませんでした。



司馬さんで熊野が出てくる作品を検索すると、『街道をゆく』が出てくるばかりです。

司馬さんの作品にどれだけ熊野が出てくるかわからないんですが、木曜島の夜会にあたったのは相当な偶然でした。



すこし、わたしなりの解説も加えながら木曜島の話をします。

木曜島はオーストラリア領の小さな島で、明治時代から戦後まで、熊野の人々を中心に貝を収穫していました。

真珠貝(南洋真珠)なんですが、当時は真珠も貝肉もおまけみたいなもので、衣服のボタンをつくるのに貝殻が高級品として重宝されたのです。

海に潜ることをいとわない適性が求められ、死の危険がつきまとう過酷な仕事なんですが、高給が得られることもあり、当時は熊野(串本町)の人々が多く木曜島に渡ってダイバーになりました。



なぜ熊野なのか、そのルーツをたどると、紀州の海人族に行き着くといいます。

司馬さんによると、海人族としての紀州人の性質が、明治に入って、木曜島のダイバーの適性としてあらわれた、というわけです。



しかし海人族は全国に分布していました。

日本の海岸沿いであればどこでもよさそうなものですが、熊野の海人族は神武水軍以来の筋金入りです。

また明治に入ったばかりの熊野では、ともかくお金が必要でした。

明治政府が、これまで認められていた米納を、すべて金納にするように統制したからです。



それまでお金の必要がなかった農民は困り果てて、その地域で現金商売をしていた人に田んぼを管理してもらい、みずから小作人になりました。

小作人は地主の奴隷のようなものですが、それでも望んで小作になったのは、これまでどおり百姓をして地主に年貢を出していれば、地主がその米で金を得て、税を立て替えてくれるからです。

ちなみに紀州と年貢の関係については、「八公二民」というすさまじい税率が有名です。



紀州藩は徳川吉宗の時代に、藩が百姓のつくった米を8割持っていき、百姓に2割残しました。

すなわち八公二民。

これはいくらなんでもムチャな税率です。

江戸幕府の天領では飢饉の折でも四公六民を堅持していました。



宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」では、一日に玄米四合を食べるという記述があります。

玄米四合でおよそ2000kcalですから、米だけ食べていた時代であれば、それくらい食べてようやく人心地がつくくらいの量でしょう。

四合は600g。

これを一年毎日食べたとしたら、約220kg必要です。



むかしは3反の田んぼで米を作って、おおむね1トンの収穫でした。

人力で3反の田んぼを維持しようとすれば、家族が総出で必死にやらねばなりません。

このうち800kgを藩が持っていってしまえば、残りは200kg。

子供と親を含めて家族が10人いたら、ひとり一年に20㎏しか米を食べることができません。



20㎏なんて、年を越すこともできないような量ですね。

おそらく当時の紀州の農民は、ほんの少量の米に雑穀やイモ、菜っ葉や雑草を混ぜた雑炊を常食して、命をつないでいたのでしょう。



明治維新の際にも、危急存亡であるとのことで八公二民が復活します。

このときはさすがに百姓の不満が爆発して一揆が起こり、藩はこれをなんとか鎮圧したものの、増税の撤回と税率の引き下げの要求を飲まざるを得ませんでした。

そして明治維新以降、税が米納から金納に切り替わります。

税率は「地価の3%」でした。



これがどれくらいの税率かというと、天領の四公六民を参考にしたもので、平均収穫量の半分ほどが税に持っていかれるくらいだったといいます。

半分なら、八公二民よりマシだとおもわれるかもしれません。

しかし地価の3%は固定なので、不作でお米がほとんど穫れない年でも、税は「地価の3%ぶんをきっちり払え」ということになってしまったのです。



熊野のような山深い地域で、現金を得るのはたいへんなこと……というより、ほとんど無理なことでした。

なにせ資本主義をするにも産業がなく、地理的に孤立しています。

水産業にしたって、魚を売るにも交通網が発達していません。

そこへ西洋から、木曜島で貝殻を集める、お金のもうかるきみょうで危険な職業がやってきたそうな。

西洋の人々も、木曜島の貝に目をつけたはいいものの、ダイバーになれる人を探すのに苦労していました。



なにせまだ世界中で資本主義が行き届いていない時代ですから、お金のために命を懸ける人が少なかったのです。

オーストラリアの現地人(アボリジニ)はお金に興味がありませんでした。

中国人はこの仕事を嫌がり、西洋人はこの仕事に向いておらず、といった具合で、お金に飢えていて海に潜るのが得意だった熊野の人々は、この仕事にうってつけだったのです。



最盛期、木曜島のダイバーの8割が、熊野人だったといいます。

しかしこの仕事は極めて危険で死と隣り合わせだったうえ、貝ボタンの需要は戦後プラスチックが流通すると急速にすたれました。

ちなみに現在、和歌山の串本から三重県の鳥羽は真珠の養殖の先進地ですが、これは木曜島のダイバーたちの知見が生かされてできた産業です。



なぜ司馬さんがわたしたちの会話にさりげなく入ってこられるのか、理由はわからないんですが、ほとんどの場合、こちらの知りたいことを掘り下げてくるような刺激を与えてくれます。

今回にしても、海人族というキーワードから思考のとっかかりをいただきました。

これを、たんなる偶然と考えるべきか、あるいは以前お話したような「五次元の介入」と考えるべきか。

なんだか結局バカバカしい話なんですが、わたし自身は司馬さんに「あんたもええかげん、なにか世に問うたらどないや」とお尻を叩かれているような気もしているのです(笑)



海人族について、お話しします。

海人族は当時の日本各地の川や海を支配した者たちで、それぞれ独立した存在でした。

いまでも日本の各海や川で、独立した漁業権がありますが、いにしえの海人族も各地の海を自治していたんですね。

かれらのルーツをたどると、インドシナ系の人々が船で日本に渡来してきたところからくるといわれます。

船をつくる技術を持った者が日本にきて、その沿岸を支配して自治した、というわけですね。



神武と対立したナガスネヒコも海人族とのつながりが指摘されています。

すねの長い人という、きわめて特徴的な名前ですが、それはかれの体型が当時としては日本人離れした、インドシナ系の系譜だったことをあらわすのかもしれません。



さて、重要な余談なんですが、古代の名前に「ヒコ(彦・毘古など)」がつくケースがあるでしょう。

このルーツをたどっていくと、どうも海人族につながっていくようなのです。



日本の地名に「我孫子(あびこ)」があります。

これは古くは「阿毘古」とも書かれました。

この毘古は、たとえば「少名毘古那」「猿田毘古」とあるように、人名にもつかわれる言葉なんですね。



我孫子の語源のひとつは、網曳(あびき)が転じたものだといいます。

網を曳く者、つまり漁師。



大阪の天王寺の南側にも我孫子がありますが、いまでこそ都市部で周囲一帯アスファルトと建物に覆われているものの、ここは海運をつかさどる住吉大社の近くで……ようするに大昔はここから西は一面の海でした。

また千葉県の我孫子市は、海には面していませんが、南の手賀沼、北の利根川にはさまれる形で、おそらくその地の産業として漁業があったことでしょう。

つまり古代におけるヒコという名前には、海や川に関わる者というニュアンスがあるようなのです。



すべてがパターンに当てはまるわけではないものの、そのように考えるととてもおもしろいことがわかります。

猿田彦、少彦名、クエビコ、ナガスネヒコ……。

神武天皇も諱(いみな)は「神日本磐余彦天皇」で、彦が入りますね。



ちなみに天皇の諱は、14代仲哀天皇まで、ずっとヒコの名が入ります。

饒速日やニニギノミコト、山幸彦やウガヤフキアエズにも諱にヒコが入ります。



しかし欠史八代以降は彦がついても、あまり海人族のニュアンスが感じられません。

現代では名前に彦がついても、べつに水を連想することはないですね。

おそらく古代の間に、徐々にヒコという名前が、男性をあらわすだけの記号に変わっていったのではないかとおもいます。



少彦名が天乃羅摩船でやってきたというのは、インドシナの医学や農学の知識をもった者が船で日本にやってきて、出雲やヤマトで重宝されたのかもしれません。

猿田彦は海人族のネットワークから外れた海賊のような存在で、日本の海のことをよく知っており、ニニギを高千穂に連れてきたのかもしれません。

と、想像がどんどん広がりますが、このあたりにして話を戻しましょう。



神武天皇ははじめて近畿へ向かったにもかかわらず、浪速で敗戦したあと、紀州をぐるっと回り込んで新宮に上陸しました。

神武軍がなぜそんな戦略をおもいついたのか不思議だったのですが、おそらくその地の水運を理解していた海人族が、神武軍を先導していたのでしょう。



神話では、神武には3人の兄がいました。

彦五瀬命(ヒコイツセノミコト)、稲飯命(イナイノミコト)、三毛入野命(ミケイリノノミコト)です。



彦五瀬命は東遷のさなかにナガスネヒコの矢を受けて薨去しました。

彦五瀬命という名前にも、瀬が含まれるあたりに海との関係を感じますが、穀物と食料の神とも解釈されているそうです。



稲飯命は熊野で嵐にあった際、「じぶんの母は海の神であるのに、なぜこんな目にあうのか」と嘆いたあと、海に入って鋤持神(サイモチノカミ)になったといわれます。

母が海の神というのは、父のウガヤフキアエズの妻が玉依姫で、ワタツミの娘だったからです。

稲飯命も、海との関係が強いですが、名前はやはり稲と飯で、穀物と食料ですね。

入水して神になったのは、やはり死を意味するのかもしれません。



さらに三毛入野命も同様に、熊野へ向かう嵐の中で嘆いたあと、荒波を渡って常世の国へ渡ります。

ちなみに古代、ケという言葉は穀物や食料をあらわしました。

気比神宮(けひじんぐう)のケも穀物と食料をあらわし、外宮の祭神である豊受大神(トヨウケ)のケも、食料と穀物をさしますね。

神武天皇も「若御毛沼命」と呼ばれたりしますから、やはり食物と穀物をつかさどっています。



ようするに神武の兄弟はみな熊野の海と強い関係性があり、熊野の海で亡くなり、かつ穀物と食料に関係のある神でした。

しかしこの三柱の神を実際の神武の兄と考えるべきかは、むずかしいところです。



神武以外、兄弟全員熊野へ行く船で薨去していることを、どう考えるべきでしょうか。

なぜ兄弟の中で神武だけが嵐の中で生き延びることができたのでしょう。



さらに、浪速でナガスネヒコに敗戦したとき、なぜ神武が陣頭指揮をとっていたのでしょう。

「日の御子であるわたしが、太陽ののぼる東にむけて矢を放ったのが敗因だった。天神地祇(天神族と国つ神)をまつり、西へ回り込もう」

と言ったとき、長兄の彦五瀬命は矢を受けて重傷ではありましたが、まだ生きていました。

ほかのふたりの兄も健在です。

なぜ末弟の神武が、もう王になったつもりで話をしているのでしょうか。



この点疑問は残るのですが、いずれにせよ、東遷に海人族が大勢かかわっており、陣頭指揮をとれる人間も神武を含め、複数いたのでしょう。



そのように考えると、神武軍は相当な大船団でした。

そして浪速で敗戦したあと、熊野上陸までの間にかなり数を減らし、陣頭指揮がとれる人間も減ってしまいました。

あるいは紀ノ川沿いにいた名草戸畔(ナグサトベ)、熊野にいた丹敷戸畔(ニシキノトベ)といった女首長を退治したというのは、神武軍の略奪行為だったのかもしれません。



さて、油断するとどんどん長くなりそうなので、今回はこのへんで切り上げましょう(笑)



ギズモさんから熊野権現についてのご質問をいただきましたが、おっしゃるように熊野の縁起は熊野権現でいよいよややこしくなりました。

そしてギズモさんが冒頭で書かれていたように、多くの人はこのややこしい縁起に、ふつうの寺社には感じない妖しい雰囲気を感じ、威容に打たれたのでしょう。



たとえば熊野三社の神はそれぞれ、

家津美御子大神(ケツミミコオオカミ)(阿弥陀如来)

速玉大神(ハヤタマオオカミ)(薬師如来)

牟須美大神・夫須美大神(ムスビオオカミ・フスミオオカミ)(千手観音)

です。



これらの神々は、記紀にはありません。

つまり、熊野で独自に信仰されていた大神でした。

その名前はそれぞれ、その後の縁起のややこしさを考えると、あまりにもシンプルなものです。



ケツミミコというのは、ケが入るので、食べ物の神ですね。

ちなみにケは、毛です。

ようするに「生えてくるもの」で、植物や木々という意味でした。

野菜や果樹が生えているということと、それらが食べ物になるということが、「ケ」のひと言に集約されているんですね。

熊野の大地に生える豊かで美しい食べ物を司る御子として、ケツミミコです。



速玉というのは、イザナギの吐いた唾から生まれた速玉男命からきています。

唾液というので、直感的に汚いとおもうかもしれません。

が、この場合は真逆で、勢いよく放たれた神聖な水がけがれを祓うということで、水神、海神としての性質をもちます。

速玉大神は熊野の海や川の水神でした。



牟須美大神は、「むすび」とありますが、これはものごとの始まりを意味します。

夫須美大神も言葉は違いますが、おなじ「むすぶ」という意味です。

牟須美大神は、あらゆる魂を生み出す熊野の大地をつかさどる神ということになるのでしょう。



これら非常にシンプルな由来をもつ自然崇拝の神々が、後世に熊野権現として、阿弥陀如来や薬師如来、千手観音と合一しました。

ちなみに本地垂迹とは、仏教の仏(本地)が、日本神話の神の姿を借りてあらわれる(垂迹)ことです。

そして、この仏が姿をあらわして、権現になります。

徳川家康も権現扱いされましたが、あれは家康が人の姿を借りて垂迹していたけれど、その本地は東照大権現であった、という物語ですね。



明治新政府が目の敵にしたのが、権現と牛頭天王でした。

なぜかというと、朝廷をないがしろにして、圧政を敷いてきた徳川が権現を名乗っていたのも気に入らないし、神道を原理主義的にとらえたら、神仏習合はもってのほかだったからです。

このため牛頭天王はスサノオに姿を変え、祇園社は八坂神社になりましたし、各地の権現は日本の神々の神号があらためて与えられたのです。



しかし皮肉なことに、東照大権現に関しては、東照社が東照宮に改められはしたものの、祭神が徳川家康という実際上の人物であるために、あらためて神の名を与えるわけにもいかず、東照大権現もそのままになってしまいました。

いわばこの家康を排除するのが目的だったはずなのですが、明治政府はこの本丸を生き延びさせてしまうんですね(笑)



それはともかく、熊野三社についても、

家津美御子大神(ケツミミコオオカミ)(阿弥陀如来)→スサノオノミコト

速玉大神(ハヤタマオオカミ)(薬師如来)→イザナギノミコト

牟須美大神(ムスビオオカミ)(千手観音)→イザナミノミコト

となりました。



千手観音がイザナミというのは百歩譲ってわからなくもありませんが、なぜ阿弥陀如来がスサノオ、薬師如来がイザナギになるのでしょうね(笑)

わたしは、明治以降ややこしい縁起がシンプルになればよかったけれど、よけいややこしくなってしまった、といいました。

その原因は、ケツミミコやハヤタマへの信仰に戻せばよかったのに、わざわざスサノオやイザナミを付け加えてしまったところにあるとおもっています。



ギズモさんのおっしゃった船禅頂は、日光を補陀洛山に見立てて、勝道上人をおまつりしてるんですね。

日光という名前は栃木の二荒山(男体山)を音読みして「にこう」から「にっこう(日光)」に転じたといいます。

さらに二荒山を訓読みして、ふたあら → ふたら → 補陀洛 に転じました。

言葉遊びのように信仰が発展していく場合、「神嘗月」から「神無月」に変化したときもそうでしたが、何でもありの信仰の匂いがしますね(笑)



しかし日光での補陀洛信仰は、勝道上人より後に、熊野那智の修験者が全国に遊行する中で根付いたのではないかという気もします。

ギズモさんのおっしゃった高野聖もそうですが、熊野信仰が全国区の知名度になったのは、かれら遊行者が全国で紀伊の霊験を布教したからでした。

日光の山々は修験にはもってこいですし、修験者が好んで集まり、徐々に熊野信仰と結びついていったのかもしれません。

その中で同時並行的に、言葉遊びで二荒山と日光、補陀洛が結びついたのではないでしょうか。

中禅寺湖からはるか補陀洛を礼拝するのは、たしかにきみょうではあるのですが、湖に花を手向けるあたり、趣があっていいですね。



モロヘイヤうどんの活用レシピについて、ありがとうございました。

わたしはそのまま茹でて釜揚げみたいにして食べるばかりだったのですが、パスタにしていただくのはよいですね。

うちはいま植物油の類がないのですが、唯一もらい物のアマニ油の小さなボトルだけが冷蔵庫にありました。

これでペペロンチーノをつくろうとおもいます。



わたしも話しそびれていたのですが、2月にようやくかつおの刺身を買い、満を持してギズモさんからいただいたてこねずしの素を利用しました。

情けない話なのですが、このところの値上げラッシュで、わたしの節約志向が強まってしまい、刺身を買う機会がほとんどなくなったのです(笑)

それがたまたま月初めのセールで特売になっていたので、喜んで買ってきました。



結論からいうと、わたしが学生時代に伊勢市内のスーパーで買っていたてこねずしとは比べ物にならない美味しさでした。

合わせ酢の風味も、市販の寿司酢ではなく寿司屋の酢飯みたいです。

漬け醤油も深いコクがあって、かつおにテリが出てもっちりとした風味になりました。



伊勢の料理というのは、伊勢うどんもてこねずしもそうですが、ファーストフード的なんです。

伊勢うどんはお伊勢参りにきたたくさんの客に対応できるように、わざと伸びきったうどんにして、甘辛いしょうゆだれをかけてすぐ出せるようにしていました。

てこねずしも、漁師が船上ですぐにご飯を食べるためにつくられた料理で、凝ったところがありません。

そのぶん、素材のしょうゆにはこだわりがあるのでしょうね。

三重県は色の濃くて深みのあるたまり醤油が有名なのですが、これは醤油発祥と言われる和歌山の湯浅からきている文化なのでしょう。



ふとおもいついて、手こねずしのかつおに漬けこむ醤油(醤油にみりんと砂糖が原材料でした)の余りに、少量のだしの素を加えて、チルドうどんとネギでなんちゃって伊勢うどんをつくったのですが、あまりにも三重県で食べた伊勢うどんの味でおどろきました。

醤油がおいしいと、てこねずしも伊勢うどんもおいしいという発見をさせていただいて、感謝しております。

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お返事はいらないとのことでしたが、いろいろ書くことがありましたので、ふつうに返事をさせていただきます(笑)



氷川神社のお守りの鈴、届きました。

ほんとうにありがとうございます。

清浄できれいな音色ですね。

うちは本棚のいちばん上を神棚がわりにして、神符やお守りを保管しています。

人様からありがたい心をいただいたときには、その方への直接の感謝だけでなく、家で棚にも手を合わせるのですが、この棚から吊り下げて、神社の鈴のようにさせていただきました。

きっとよく鳴らすことになることでしょう。



八雲紋についてのお話、ありがとうございます。

八雲が吉兆をあらわす紋様であるとのこと、なんだかヤマタノオロチの問題を解決したスサノオが、横にクシナダヒメを連れて、おだやかな宍道湖や斐伊川の向こうの山々にたなびく幾筋もの煙を眺めながら、呵呵大笑している姿をおもいうかべました。

紋様の真ん中にジュンサイがあるということは、氷川神社総本社のシンボルが、蛇の池の清浄な湧き水ということなんですね。

やはり氷川神社に感じるのは全体的に、強さよりも穏やかさです。

暴れ川の荒川とスサノオという荒ぶる取り合わせと、実際の氷川神社がかもす穏やかな印象のギャップは、じつに不思議で魅力的です。



すこしだけ前回の返事になりますが、昨年末のコンサートのお話を、ありがとうございました。

セットリストの名曲の数々と、替え歌で緩急が効いていますね。

参加された方々はさぞ楽しまれたことでしょう。

舞台から人を楽しませるのは、きっとその適性がある方には大きな喜びなのだとおもいますが、一発勝負に対する重圧も伴いますよね。

わたしはいわゆるあがり症なので、人前に立つこと自体が大の苦手です。

ことしはたかだか自治会の中で話すだけで、血圧が上がって困りました(笑)

それだけに、人を楽しませるために人前に出られる方には、無条件の尊敬があります。

以前ギズモさんが、音楽についてのいろんなトリビアや、クイズなどの記事を書かれていたとき、こういうアプローチで人を楽しませようという遊び心がじぶんには欠けているとつくづくおもったものです。



ところで今回の返事とはべつに、次は欠史八代と、出雲の謎を解き明かそうとおもいます。

前回ほどではありませんが、やはり長い話になります。

かんたんに目次を書くと、こんな感じです。

・欠史八代は磯城県主とウマシマジの血筋による覇権争いだった
・大国主とは何者だったのか
・少彦名は大国主よりもかなり年上だった
・大物主はもともと出雲の事代主だった
・武内宿禰とそのころの天皇の寿命の関係について

この目次をみても、いまはなんのことかよくわからないとおもいますが、次回読んでいただければ、きっとスッキリご理解いただけるとおもいます。



当地は22日から一気に大雪に見舞われるようです。

この時期はちょうど暦のうえでの大寒で、毎年大雪に見舞われるタイミングです。

しかしむかしは12月ごろから2~3月まで雪がとけないまま、ということもよくあったらしいので、近年はまだ暖かくてありがたいです。

とはいえ、地域の除雪で忙しくなりそうですし、じつは今月末に地元の選挙があって、来月に衆議院選挙があるでしょう。

地元の選挙は別の自治会がやってくれるんですが、衆院選ではまたうちの自治会が当たり、わたしが選挙管理委員(しかもまた責任者)になりました。

確定申告も控えていますし、なんだかにわかに気ぜわしいです(笑)



それでは、記事を書きまとめるまで一週間ほどお時間をいただきたいのですが、また次回にお会いしましょう。

2024年9月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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今回はいよいよ突っ込んだ内容になって、すこし読むのがたいへんかとおもうんですが、理解していただければきっと気づきがあるとおもうので、ぜひ気合を入れてお読みいただけるとうれしいです(笑)



あの世とこの世のへだたりということなんですが、以前、般若心経の話をしました。

玄奘三蔵によって書かれた般若心経(あとで唯識のお話もします)は無について説いているんですが、無の解釈の仕方が現代のわれわれとはちょっとちがう、という話でした。

般若心経では「われわれがあるとおもっている肉体、意識はじつは存在しない。一切は無である。そして、存在しないというカタチで存在しているのだ」と、非常にややこしいことをいいます。

この場合、般若心経における無はゼロという意味だけではなくて、「なにもかもすべて」という意味も含んでいます。

一本のヒモがあって、片方の端っこはなにもないゼロの無。
もう片方の端っこはなにもかもすべてを包括する、無限の無。

このヒモの両端をくっつけて輪っかをつくったとします。

この輪っかはつまり、われわれがあるとおもっている世界です。

しかし般若心経はこの両端の、無と無限がくっついた部分をフォーカスしてるんですね。

つまり、宇宙という広大無辺の無限の世界にただようじぶんと、それもじきになくなるという死の世界(ゼロの世界)を、輪っかにしてつなぐ。

われわれの世界は無と無限によってつながっていて、その間にいるじぶんが存在しているようにおもえても、じつはそのように意識がとらわれているだけなのだ、というわけです。

これは、蝶がじぶんの夢をみているのか、じぶんが蝶の夢をみているのか、という荘子の思想や、余剰意識の問題と通じているところだとおもいます。



しかしみんなそうだとおもうんですが、われわれはじぶんの肉体や感覚が「ない」と断言するところまで、じぶんの肉体や意識を否定することはできません。

では、結局じぶんとはなんなのか。

われわれはなぜ、じぶんが存在しているというおもいこみにとらわれてしまうのか。

クローンのぼくができたときに、それぞれの自我をへだてるものはなんなのか。

これを解き明かすキーワードは、医学的な言葉でいう「免疫」なのではないかとおもっています。



人間の体には免疫がそなわっていますから、たとえば皮膚を移植する場合、他人の皮膚をじぶんの体に移しても、拒絶反応が出てうまくくっつかないんですね。

免疫というと、いま言ったように他人の組織を拒絶したり、ウイルスと戦ったり、細菌の感染に抗うという機能面だけが強調されます。

医学的には肉体が外敵に抗うシステム面だけが大事なので、免疫という言葉でかまわないんですが、もうすこし哲学的に意味を広げてみると、これは「じぶんとじぶん以外を区別するシステム」ということになるかとおもいます。

クローンの場合、皮膚や組織は取り換えがききますが、じぶんとクローンにはそれぞれ独立した免疫があるから、それぞれちがった意識をもつことになる、といえます。

互いの免疫が独立しているから、クローンを傷つけても、ぼくが「痛い」とはならないわけです。

前回の話のトマトの場合、植物には人間のような免疫細胞はないのですが、異物を排除するための自然免疫が備わっているといいます。

やはり外側から侵略されないシステムは備わっているんですね。

だからトマトの枝を折って土に挿して繁殖した場合、それぞれの免疫が独立するから、べつのトマトとして生きることになる、というわけです。



植物の場合、人間とくらべて免疫のありようが単純なんです。

たとえば、カボチャの種が発芽して、芽が出ます。

同時に、キュウリの種もまいておいて、これも芽が出ます。

このカボチャとキュウリの幼苗をそれぞれ半分に切って、カボチャの根っこのある茎にキュウリの頭の部分をつないで、専用のクリップで留めておくんです。

そうすると、カボチャの根っことキュウリの頭がつながります。

カボチャの根はキュウリの自根と比べると頑強なので、病気や乾燥に強いキュウリを育てることができるメリットがあるんですね。

こうした接ぎ木苗はホームセンターなどでよく出回っています。



しかしこれは人間では絶対にありえない話です。

このカボチャとキュウリの接ぎ木の話は、人間でいえばぼくとマイケル・ジャクソンをそれぞれ胴体から半分に切って、マイケルジャクソンの足をぼくにつないだらダンスがうまくなった、というくらい荒唐無稽です。

人間には免疫細胞があるので、たとえおなじ人間でも、よほどの近親、それも相性がピッタリ合わない限り、直接他人の細胞を受け付けることはできません。

しかし植物の場合は免疫のありようが単純なので、ある程度可能なんですね。

もちろんキュウリとナスみたいに、科のまったくちがう植物同士がつながることはないんですが、キュウリとカボチャのようにおなじウリ科であれば、われわれシロウトがけっこういい加減にやってもくっついてしまう。

この有名な例が、甘柿です。

甘柿は、種をそのまま植えると、すべて渋柿になります。

そこで、渋柿の幹に甘柿の枝を接ぎ木するんです。

そうすると接ぎ木した枝は甘柿に育ってくれるんですね。

われわれが現在食べている甘柿はすべて接ぎ木です。

最初の甘柿は、突然変異によってたまたまできたようで、われわれの祖先が渋柿の苗に甘柿の枝を接ぎ木しながら広めていったというわけです。



この接ぎ木の話でなにが言いたいのかというと、免疫のありようが単純な生物では、じぶんと他の存在の境界があいまいだということです。

つまり、単純な生き物ほど、より宇宙に近いといえるかもしれません。

だから仕組みが単純な生き物だと、わたしがあなたになったり、あなたがわたしになったり、わたしの一部から分裂したりということが比較的容易に起こりえる。

複雑な免疫を持ち、脳と神経が発達した人間は、余剰意識もあって、じぶんというものをオンリーワンの特別な存在だと信じて疑いません。

しかしその免疫を取っ払っていくと、だんだんじぶんと他人の境界があいまいになり、そしてとうとう最後には境界そのものがなくなってしまう、というわけです。



免疫による肉体の独立性は、死ぬと失われます。

死ねば免疫細胞も活動を止めますから、じぶんがじぶんである必要性がなくなります。

もうすこし突っ込んだことをいうと、たとえば腕を失ったとき、脳や心臓という肉体の免疫と自律をつかさどるほうは、独立性を維持しますが、そうでないほうは死にますよね。

この死んだほうの腕になにか「生きていた意味」があるかというと、われわれはなかなか意味を見いだせないとおもうんです。

それはかつてじぶんの一部でしたが、もはや腐りゆく肉の塊でしかありません。

その延長線でいえば、肉体ぜんぶが死んで、じぶんの独立性・精神・魂がすべて失われた場合も、やはり意味らしい意味はないのではないか。

たとえばぼくはいまこの腕でタイピングをしていますから、この腕にはちゃんと生きている意味があるはずなんです。

なのに腕が切り離されたとたん、それは意味を失い、ただの腐りゆく肉塊となる。

しかしこの、肉体が意味を失った向こう側について、人類はずっと考えてきたんですよね。

腕はともかく、最後の最後、じぶんの魂まで失われたら、そのあとはどうなるのか。

それでいまぼくは、死んだ肉体や精神は、この世界(宇宙)のあらゆる要素に溶け込んで、一体化すると考えています。

精霊信仰……たとえば日本の古神道の言い方でいえば、肉塊になった腕は「腕の神様」になるわけです。

有機物、無機物、霊魂など、目に見えるもの・見えないものの概念にへだたりのない、ありとあらゆるものが精霊(神)であるという考え方ですね。

これは、ギズモさんのおっしゃる「この世とあの世に分けへだてがない」ということにつながるのではないでしょうか。



ギズモさんの記事の

”余剰意識とは、「こころ」と同義、またはこころの一部でしょうか?”

ということですが、ぼくもそうだとおもいます。

最初に「あとで唯識のお話もします」と述べましたが、玄奘三蔵は「すべてはこころが作り出す仮の世界」という唯識の思想を確立しました。

しかし般若心経ではその唯識すら虚構なんだといって、人間の意識を無と無限の中に放り込んでしまうんです。

そのように、本来死なねば得られない意識の融合を、生きながらにしてムリヤリ得ようとする試みを、仏教では「解脱」といいました。

つまり仏教では、死にアプローチしていく行為自体を、仏教徒の生きる意味にしてしまったんですね。

なぜそんなことをしたのかというと、われわれのこころは、いざ分解してみると、生き物の本能と、本能に肉付けする余剰意識くらいしかありません。

じつは意識を徹底的に分解して、唯識の中をいくら探しても、「生きる意味」は見いだせないことに玄奘三蔵は気づいていたのだとおもいます。
(あるいは仏陀の時代からそれはわかっていたのかもしれません)

しかし人間は、じぶんが死ぬとわかったとたん、生きることそのものに意味を見いだして……つまり、必死で生きるようになりますよね。

だから、わざと疑似的に死に片足を突っ込んだような状況をつくる(解脱に向かう)ことで、生きる意味を見いだそうとした、ということなんでしょう。

それがある時代では極端に解釈されて、補陀落渡海や即身仏という無茶苦茶なカタチで実践されたこともあります。

しかし唯識にしても般若心経にしても、意識を分解するとか、生きながら死ぬというようなこねくり回した考えは、やっぱり余剰意識によってやっていることで、荘子の言い方を借りれば、人為的で自然に即してはいません。(←すこし表現を変えました)

ほかの動物はこんなふうに生き死にについて思い悩んだりしませんし、動物には明確なこころを感じにくい。

その点でいえば、やはり余剰意識がこころ、あるいはこころの一部というのはただしいとおもいます。

というわけで、これだけ長く話しても、ではなぜぼくやギズモさんが、それぞれのオリジナルの魂をもって生きているのか、ということについては謎のまま……おそらくそこは現代では答えの出せることではないようにもおもうんですが、今回もワガママ勝手におもうところを述べさせていただきました(笑)

2024年7月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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肩こり、運動で治ったのならなによりです。

ぼくは数か月前に、温泉でマッサージ機をつかったのをきっかけに、ひどい肩こり(四十肩)にみまわれて、肩の運動もしたのですがよけいに悪化の一途をたどりました。

なにせ夜も眠るのに苦労するくらいの痛みだったので途方に暮れて、鎮痛消炎効果のある湿布を貼ったところ楽にはなったのですが、どうもじわじわした痛みが残って、具合がわるいんです。

そこで、わらにもすがるおもいで、エレキバンがそのままネックレスになったマグネループというアイテムを買いました。

これが、ぼくにはよく効きました。

いまもつけてるんですが、肩の不調はウソのように治まっています。

そんなこともありましたから、もししつこい肩こりで、運動でも治らないようことがありましたら、磁気アイテムもご検討ください(笑)



鬼のお話、興味深かったので、そちらで広げようかともおもったのですが、今回は卑弥呼で広げてみようとおもいます。

帚木蓬生さんの作品にはいままで読んだことがないのですが、また機会のあるときに触れてみようとおもいます。

今回も長い話になるんですが、こういう視点で卑弥呼の話をした人を見かけたことがないので、ちょっと興味深いのではないかとおもっています。



卑弥呼については、詳細な記述は魏志の倭人伝に頼るほかないんですよね。

倭人伝は西暦でいうと200年代末に中国で書かれたもので、これは古事記や日本書紀より400年以上も前ということになります。

ですから、古事記を編纂する当時、日本にはすでに倭人伝の情報が渡来していた可能性があります。

あるいは渡来人が倭人伝のことを知っていた可能性もあります。

そう考えると、日本神話におけるアマテラスの物語は、倭人伝の卑弥呼の一節を参考にしている可能性があるのではないか。

きょうは倭人伝が日本に渡来していたと仮定して、古事記と卑弥呼の「フィクション」をお話したいとおもいます。



古事記編纂の当時、朝廷に卑弥呼が統治してきた時代のヤマトのことをはっきり知る者はいませんでした。

なにせ文字のない時代でしたから、じぶんの祖父母より向こうのご先祖がなにをしていたかなんて、よほどしっかりと口伝で残していないと、だれもそんなことを知らない時代です。

江戸時代ですら、中期にもなると人々は「天地開闢以来ずっと徳川が世をおさめていたのだ」と漠然とおもっていたといいます。

古代の人々が数世代以前の統治者をおぼえていなかったり、あいまいなのは当然といえるでしょう。

しかし大陸から渡ってきた書物の「倭人伝」には、卑弥呼なる巫女が、いかにもヤマトのごとき「邪馬台国」という国を統治していたという記述があります。

もうすでに数百年も前の出来事であり、朝廷にそのことが口伝されていない以上、そういったことが実際にあったかどうか、確かめるすべはありません。

もちろん日本より文明のすぐれた大陸から渡ってきた書物ですから、正確性はあるとおもいます。

でも国内に卑弥呼を知る者がおらず、過去のことを口伝でまとめるにあたっては、もう神武からは天皇で進めていこうと筋立てが決まってしまっていました。

そこで苦肉の策として、この出来事は天皇の御代よりも前、高天原の神代に起こったエピソードにしようではないか、ということになったのです。



そのように想像すると、日本神話におけるある矛盾に、一定の理由付けができるようにもおもえます。

それはなにかというと、アマテラスは高天原に存在したわけですよね。

そのあとで、ニニギノミコトが九州に降臨し、初代神武天皇が奈良に東征する。

なのに、奈良に墳墓があるといわれる卑弥呼がアマテラスと似てるなんて、時系列がおかしいじゃないかという問題です。

もしアマテラスと卑弥呼が同一人物なら、せめて卑弥呼は天孫降臨の地である九州にいたということでないと、つじつまが合いません。

それで、長い間歴史家は、卑弥呼の畿内説と九州説でもめていたわけです。

しかしいま説明したとおり、太安万侶らが古事記・日本書紀を編纂するにあたって、朝廷の中ではすでに卑弥呼のことは無視して、天皇が統治していたことにしようという筋立てがあったのではないでしょうか。

しかし倭人伝の卑弥呼のエピソードを無視するわけにはいかないから、あくまで神話時代の挿話として、アマテラスの天岩戸の物語として差し込んだ。

そうすれば、倭人伝もいちおうそれとなく日本の歴史に差し挟んだかっこうにはなるし、この歴史書の時系列の狂いに一定の理由付けができます。



ところで、奈良の箸墓古墳は卑弥呼の墓ではないかという説があります。

箸墓古墳には倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)がまつられているといいます。

第7代孝霊天皇の娘といわれるのですが、初期の時代の天皇は、実際に存在していたかどうかあいまいなんです。

あいまいなので、西暦何年にだれが日本を統治していたかもわかりません。

しかしある学者によると倭迹迹日百襲姫命こそが卑弥呼なのではないかというのです。

卑弥呼が西暦200年代末に存在したことを考えると、おおむね孝霊天皇の御代に卑弥呼が存在したというのも、納得できるところではあります。

ただ、そうすると倭人伝における卑弥呼が「女王」であり、男王を立てると世が乱れたという記述とは、食い違いが出てしまう。

なぜなら、古事記・日本書紀ではこの時代の天皇は男で固まっているからです。

この時代に女王統治されていたという記述は、古事記・日本書紀にはありません。



ぼくはどう考えるかというと、倭迹迹日百襲姫命に近い存在が卑弥呼として当時の日本を統治していたとはおもうのです。

しかし先ほども述べたように、古事記や日本書紀といった歴史書を編纂する時代には、初代からの天皇については、各豪族の口伝などで、おおむね筋立てが決まっていたとします。

もう、天皇が統治していたというストーリーで決まりでしょ、ということになってしまっているわけです。

なのに倭人伝には卑弥呼の記述がありますし、実際女王統治の時代はあったのでしょう。

なにせ倭人伝は、いつ卑弥呼が日本を統治していたかもはっきり書いているので、古事記・日本書紀を編纂する側としてはどうにも具合がわるいのです。



というのも、古事記や日本書紀の目的は、天皇家、そして日本という国家の正当性と、その権力のあらましを、文章という形で残すことでした。

ですから、歴史書としての正確性は二の次でした。

正確な記録を残すのが目的ではなくて、「日本は天皇が統治する国である」ということを示すことが目的だったのです。

なので極端なことをいえば、古事記や日本書紀が書かれるより以前の日本のありように関しては、べつにあいまいでも問題なかった。

もう少し突っ込んだことをいえば、朝廷の有力な豪族たちが、その歴史で文句を言わず、納得してくれるのであれば、ほんとうの歴史じゃなくてもなんの問題もなかったのです。

占いで統治していた女王の時代があって、男の王をたてると国が乱れたなんて話よりも、初代から男の天皇が代々統治していたとするほうが、朝廷の重臣たちからすると納得がいく。

なのに、時代まではっきりしている倭人伝に、卑弥呼という女王がいたと書かれてしまっているわけでしょう。

日本という国の歴史は、日本人が決めるべきもののはず。

たとえ大陸で書かれた正確性の高い歴史書であるにせよ、朝廷の重臣たちの顔を立てないわけにはいきません。

けれど倭人伝を完全に無視するというわけにもいかないしなあ……と思案した結果、あのあたりの時代のことはうやむやにして、倭人伝の卑弥呼の件はアマテラスの挿話にしてしまおう、ということになった、という物語です(笑)



じつは古事記・日本書紀研究においても、二代目から九代目までの天皇の時代は、「欠史八代」などといわれる、存在があいまいな時代なんですよね。

言い換えれば「この時代の天皇はほんとうに実在したのか」という議論があるのです。

古代史はあいまいなところが多い分、こういった想像を差し込むゆとりがあるのは、たのしいですね。

というわけで、この話はあくまでフィクションとして聞いていただきたいのですが、実際古代の朝廷の、記紀編纂の現場はこんな感じだったんじゃないかとおもっています。

2024年4月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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うちの祖母の話、とりとめのないエピソードでしたが、受け止めていただいてありがとうございました。

感無量、実際その言葉どおりだとおもいます。

血縁の運命にあった人がこの世からいなくなるのは、どのようなお別れのかたちであれ感無量の心境をおぼえるとおもうのですが、やっぱり生前にかわした愛情であったり、そのお別れが円満であるほど、説明のしようのない感慨は深いものになるとおもいます。

ギズモさんの御尊父のお話をうかがって、そのように感じた次第です。



八尾の若ごぼうなんですが、よく知っています。

八尾の特産というと、むかしは枝豆がダントツで、レンコンも有名でした。

やせ地でもよく育つ枝豆はともかく、レンコンと大阪がむすびつかないかもしれません。

じつは大阪の平野部はむかしは水はけがわるくて、どこもかしこも沼地だったんです。

レンコンは八尾に限らず、門真というところで特に有名でした。

いまは大阪平野は全体的に治水工事が行き届くようになったため、レンコンが特産品というのは過去の話になっているようです。

で、レンコン栽培が衰退していくかわりに若ごぼうが台頭してきたような気がするんですよね。

というのも、ぼくが記憶してる限り、子供のころは若ごぼうは細々と栽培が続いているといった感じだったんです。

それがどこかで特産品としてPRされるようになって、急に全国区の知名度になった印象があります。

大阪のスーパーではよく並んでいますが、かなり長尺の大柄で、値段も10年前くらいで一把300円~400円くらいしていたとおもいます。

高いからか、よく割引になっていた記憶もあります(笑)

ゴボウの葉の部分を食べるんですが、一般的なゴボウの葉は苦くてとても食べることができません。

葉ゴボウ専用の品種がいくつかあって、そのまま「葉ゴボウ」という種で売られているのですが、じつは日本海側の福井県でも、越前白茎ごぼうという伝統の葉ゴボウの品種があったりします。



ウドは日よけをして軟白に育てなければいけないので、栽培技術が必要で、作れる環境も限られるんですよね。

きっと白いウドだとおもうんですが、あれはもやしやホワイトアスパラとおなじで、光に当てるとすぐに緑色になってしまいます。

山を削ってつくった洞窟(室)の中でつくっているという方もおられるそうで、ウドの値段が高いのは、大量栽培できなくて手間がかかるといった事情があるようです。

ウドのきんぴら、特別な風味があっておいしいですよね。



最後に、下の画像はうちの畑の際で自生している大浦ゴボウです。
こぼれ種から勝手に育ってくれています。

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2024年3月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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きょうもひどい忙しさで、朝からジャガイモの植え付けと春菊の種まきをすませて、午後はしいたけの原木の運搬に追われました。

原木500kmキログラム(←疲れていたのでしょう)を一輪車に乗せて、1万歩。いい運動でした。

伊勢佐木町ブルースのあのフレーズは、集団でやるものではないとおもいます(笑)

集団で本気でやればオットセイの鳴き声のようになるでしょうし、照れるとそれこそターザンのようになってしまうことでしょう。

清志郎の500マイル、いいですよね。

kmに直すと、500マイルはおよそ800kmになります。

大阪から下道で宮城県まで行ったとき、だいたい片道でそれくらいの距離でした。

でも日本のように蜘蛛の巣な交通網のあるところだとあの原曲はイメージしづらいとおもいます。

あれはむかしのアメリカあるいはイギリスのような土地における、延々と田舎道を走り続ける鉄道の800kmであり、「歩いて戻ってこられる距離ではない」「まして文無しは帰ることができない」というようなニュアンスが含まれているのでしょう。

それを清志郎は、日本的な郷愁を感じさせる歌詞に変えて、元歌のニュアンスは崩さないように、ものすごくうまいアレンジをしているんですよね。

ゴンドラの唄もいいですね。映画『生きる』をみてしまうと、聞くと涙腺がゆるむかもしれません(笑)

2023年12月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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1206を読ませていただいた直前、まさにその「鶏の冷凍肉団子」(解凍されて売っているもの)と、がんもどき、三角厚揚げ。
野菜は白菜、ニンジン、大根、シメジを入れ、塩味。
「練り物がないのでおでんではない、ポトフともちょっと違う、かと言って鍋料理とも言えない」何かを、作っていました(笑)
普段は肉団子も作るのですが、軟骨入りの肉団子がおいしいので、時々使います。
でも、練り物がちょっとでも入ると、風味やコクが違いますね。

鶏手羽とダイコンの組み合わせはいいですね。
おでん風でなく、ブリ大根の味付けで明日でも作ってみます。

女性作家の江戸時代もの、うっすらと化粧という表現は素敵ですね。
そう言われると、確かに男性が書くものとは違います。
言葉も現代の言葉を使っていたり、難しい政治的な話はあまりなかったりと、とにかく読みやすくなっていますよね。
短編も多いので、ちょっとした時間に読めるのがいいです。
いちいち登場人物の確認にページを戻したり、時代背景がわからず調べたりということが、女性作家の作品にはあまりないように思います。

信長のシェフのドラマは観ていないのですが、原作が完結していないので、途中から脚本家が作ったのでしょうか。
原作漫画では、信長が本能寺で生き残った以上、信長をはじめ、明智光秀や秀吉など、ずいぶん歴史が変わるので、そのあたりをどう始末をつけるのか、ですね。
本能寺の変は1582年ですが、3年後の1585年に、大阪・京都・伊勢・三河でM7の地震が起きているので、その衝撃で突然平成に戻る、というのが私の推理ですが、どうなることやら。
信長を平成に連れて来たらおもしろいのですが、それをやったらギャグになってしまうので、ないでしょうね(笑)
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1205
共依存はどこにでも起こるんですよね。

いま政治の世界でいわれてるキックバックの問題にしたって、だれもがダメだとわかっていてもその依存を断ち切れない、どこか組織的になあなあな、共依存状態になっていたのだとおもいます。

結局こういう場合、おもだった責任者を断罪することになるんですけど、実際には責任者だけを叩いてもガス抜きにしかなりません。

やはり構造そのものを病理として手を打っていかないと解決しないんですが、これがまあむずかしいんですよね(笑)



おでんのウインナー、おいしいです。

冬場のおでんは翌日、あるいは翌々日くらいまで食べますが、ウインナーはそのときに食べきれるだけ入れるようにしないと翌日にはダシガラで、そのかわりスープはほんとうにポトフのようになりますね。

おでんにキャベツという発想はなかったんですが、冷凍の肉団子をおでんに入れるとおいしかったので、それならロールキャベツとおなじだと納得しました。

手羽元もいいですね……お話をうかがってると、練り物なしでウインナーと鶏手羽とダイコンたっぷりの煮物でじゅうぶんな気がしてきました。



杉浦太陽さんと辻希美さんのおうちは豪邸なんですか。

最近はあんまり民放のテレビをみないので、おふたりを見かけることもないんですが、やっぱり有名な芸能人には相応の収入があるのでしょうね。



木挽町のあだ討ち、ぼくはオーディブルで聞きましたが、朗読だと10時間ほどで、たいへんよい作品だったとおもいます。

現代の女性作家の江戸の描き方には共通点があるような気がしてて、ヘンな言い方ですが、作品にうっすら化粧をしているような感じなんですよね。

江戸というゴツゴツした時代に、化粧を施してるような感じで……なんというか、やさしい世界観なんですよ。

信長のシェフ、以前ギズモさんから聞いてはじめて知りましたが、ドラマ化もされてるんですね。

2023年11月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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おはぎは、主食とデザート、両方が一度に食べられるので、なんとも言えないお得感がありますね。

昨日、電車の中のポスターで「中村仲蔵」と大きく書かれたものがありました。
電車内の広告は、劇団四季とか、ミュージカルが多いので、落語の宣伝は珍しいなと思っていましたが、
今日調べたら、

Sky presents 舞台『中村仲蔵 ~歌舞伎王国 下剋上異聞~』
という舞台の広告でした。
主演は藤原竜也です。
あまり好きな俳優さんでもないし、歌舞伎とは違うので、観たいとは思いませんが、内容にちょっと興味はあります。
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おぼろ昆布、やっぱりとろろ昆布に比べて高価ですね。
ぼくは業務スーパーのとろろ昆布ばかりですが、それでもたいへんおいしいとおもっているので、おぼろ昆布だともっと味わいが繊細なことでしょう。



江戸は日本の中で突出した消費社会でしたから、おそらく商売は限られた範囲ですべてが成立するくらいだったとおもいます。

そういうところでは、販売者と客の二方よしの関係でもおおむねうまくいきます。

が、全国へと販路を持って渡り歩くタイプの地方の商人は、社会全体に対して信用を売っているというような意識があったのではないかとおもいます。

おそらく、地方の商人の商圏が広かったことが「世間よし」という考えにつながっていて、江戸の商人もきっと商魂はたくましかったことでしょう(笑)



おはぎ、ぼくもスーパーのもたまに買いますが、あれが標準の味ですよね。

今回買ったおはぎは、特別な材料をつかってるわけじゃないですが、おいしさのピンポイントをうまくとらえてる感じでした。

きなこと粒あんのおはぎをギズモさんとおなじようなタイミングで買っていたのは、めずらしい偶然ですね。
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ホンモロコ、小さいのに鯉の一種なんですね。
ザラメに黒砂糖、とても手の込んだ炊き方です。

偶然ですが、昨日の晩ご飯がおはぎでした。
しかも、あんこときなこが一個ずつのセット。
スーパーのもので、お世辞にもおいしいとは言えるものではありませんでした。

美山でおいしい空気を味わい、おいしいおはぎにホンモロコの佃煮、淡麗辛口の土佐鶴。
充実した午後が過ごせたようでなによりです(*^^*)

素晴らしい景色の写真、楽しませていただきました。

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まずはお詫びから。
ありました!! 見つけました!!←見たことないって言ったのに、ごめんなさい。

今日は、あまり食料品を買わないスーパーに行ったのですが、乾物の棚をのぞいてみたら、とろろ昆布のそばに、おぼろ昆布がありました。
20gで298円です。

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袋の外からの見た目はさほど違いがないように思いますが、明日にでも食べてみます。

「三方よし」は、近江商人の経営哲学なんですね。
女性向きの作家なので、お読みになったことがあるかどうかわかりませんが、高田郁の「あきない世傳 金と銀」は、
主人公の女性が「買うての幸い、売っての幸せ」をモットーに、大阪から江戸に出てきて、呉服の商いをするお話で、ドラマになるようです。
これは二方よしになりますが、三方よしから出た言葉なのかもしれないことに、農園主さんの記事を読み、気づきました。

江戸時代中期、名古屋にあった「いとう呉服店」の女当主がモデルのようで、この人は江戸に出てきて、数々の苦難の末、上野の呉服屋「松坂屋」を買い上げます。
松坂屋百貨店の前身です。
江戸の商人は、近江の商人のような心意気が欠けていたように思います。


梅干しですが、かなりのお買い得品でした。
つぶれているので、かつお節やしらす干し、青菜などと和えたりするのにも便利です。
梅干し、焼酎に入れたりもしますよね。
考えてみたら不思議な取り合わせですが、酔いにくいという効果もありそうですね。

病気の時は、おかゆのお供にもなります♪
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去年、京都の美山の大野ダムで紅葉祭りをしていて、たまたま前を通りかかって、そのときにふらっと立ち寄ってプリンや大福を買って、これがずいぶんおいしかったんです。

で、そのときにホンモロコの佃煮というのがあって、そのときは買わずに帰ったんですが、あとで調べると琵琶湖の固有種がダムに移植されたもののようです。

けっこうめずらしい魚らしく、ことしぜひ買いたいとおもっていたのですが、たまたま午後天気がよく、時間もあったので、行ってきました。

ことしはおはぎとプリンとホンモロコの佃煮を買いました。

なんとホンモロコの佃煮は最後のひとつでした。

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周囲はとてものどかな場所で、周囲はいわゆる丹波らしいおむすび山に囲まれています。

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松ぼっくりなんて、もう何年みていないだろう。

松が生えている場所自体が少なくなりましたね。

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紅葉はそれなりに色づいていましたが、まだあとひと息というところでした。

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家に帰る途中でスーパーに寄って、ちょっと気取って日本酒の土佐鶴を買いました。

ここ一年以上『竜馬がゆく』を読んでいるので、土佐の辛口のお酒が飲みたかったんです。

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小さな淡水魚なんですが、鯉の一種ということです。

淡水魚らしいコケ臭さというのか、ほろ苦さがあって、シンプルな調味料なんですが、味付けのバランスが絶妙でした。

大人の味というやつで、とってもおいしい。

これがまた、土佐鶴の淡麗辛口に合うことといったら。


あと、家に帰ったときにおはぎをひとつ食べたんですが、これも甘さの控え方、もち米とご飯の殺し方、あずきの炊き方、バランスが最高でした。

ちょっと贅沢をした一日でしたが、午後からのたった数時間にもかかわらず、よい行楽ができて、帰ってからまるで小料理屋でお酒を飲むような気分も味わえた、とおもったら、文句なしです。

午前中はかならず収穫作業をしている手前、まるまる一日観光ということができないんですよね。

おとといに地元の温泉へ行ったこととセットで、ひとつの旅行をしたという感覚です(笑)
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三方一両得、落語から転じたような感じでいいですね。

似たような言葉に八方よし、という言葉がありますが、三人の関係であるなら三方一両得のほうがピンときます。
商人言葉にも「三方よし」というのがありますが、これは「売り手によし、買い手によし、世間によし」という商売の理念をあらわす言葉なので、やっぱり三方一両得のほうがいいですね。



廃仏毀釈を専門書でお読みになるのはすごいですね。

きっと現在のあたらしい知見に基づいた知識が得られることでしょう。



慶喜の記録は、たしか渋沢栄一が残したがった、ということを覚えていますが、慶喜としては、おもうところがあったとしても、もう核心的なところはなにも言えなかったのではないかとおもいます。

じぶんの手に負えないほどの問題が起こった事後に、人間はなかなかホンネを言えない気がします。

そのホンネが、ものごとをよくするよりは、はるかに藪蛇をつつく可能性のほうが高いからです。



梅干し、ちゃんとしたものを買われたのは正解だとおもいます。

世間では梅干し離れが進んでいるらしいですね。

むかしはそうでもなかったんですが、ご飯に梅干しというのはつくづく相性がいいものだな、と最近おもうようになりました。

お酒のアテにもなりますし(笑)
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オーディブルは、プロのナレーターが朗読しているんですね。
今、サンプルをちょっと聞いてみました。
「読む」となると、他のことが何もできなくなりますが(できる人もいるかも)、「聴く」だとマルチタスクが可能なので、いいですね。
「西の魔女が死んだ」を書いた梨木香歩さんの小説のどこかで(梨木香歩でないかもしれません、うろ覚えです)、
子どもたちに、絹さやのスジを取るお手伝いか、本を読んでくれるか、どちらかを選ばせる場面がありました。
これはいい考えだなと感心したのですが、母親は時間を無駄にすることなく本が読めて(or聴けて)、子どもたちはお手伝いを経験したり、朗読することで、
勉強にもなるわけですから、三方一両(たぶん子どもはふたり)のようなものです。

畠中恵はいいですね。
美容院に行く時は、積読を解消するいい機会なのですが、長編ではなく短い話のものだと読みやすいので、畠中恵や宮部みゆきの本を持って行くことが多いです。
畠中と言えば、字は違いますが、畑中章宏という人の「廃仏毀釈」(ちくま新書)を最近買いました。
まだパラパラめくる程度ですが、思ったよりおもしろいです←字が小さくて目の疲れがすごく、なかなか進まない、という言い訳。

徳川慶喜の人物像は、書いている人によってずいぶん違いますね。
主役として書いてあるものでなく、脇役で出てくるもののほうが、案外人柄をよく捉えていることもありました。
当事者の忸怩たるおもい、あったのかもしれませんね。
慶喜は、あれほど多趣味で多才であったのに、なぜか本は書いていないようですね。
「徳川慶喜公伝の完成に熱意をそそぎ」、とウィキペディアにはありますが、自分では書かなかった。
回顧録も、体験を語って書かせているので、これは書くことが苦手だったのか、或いは「当事者だから客観的に書けなかった」のでは?というのも、
昨日の農園主さんの、司馬さんについての記事を読んで、何となくですが、感じました。

あ~~、残念。。。
梅干しの話、もう少し早ければ、図々しくお言葉に甘えていたのですが、お徳用つぶれ梅で塩分20%、昔ながらの製法で塩だけで漬けたというのを見つけ、
注文してしまいました。
口コミがよかったので、かなりの量を・・・。
お気持ち、本当にありがとうございます(o_ _)o))
運の悪さ(タイミングの悪さ)が、またひとつ増えました(笑)
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いま、朗読サイトのオーディブルが2か月98円のキャンペーンをやってたので登録しました。

畠中恵のまんまことのシリーズがすべて聴けるようで、年末の暇つぶしになりそうです。

以前にもオーディブルにはキャンペーンのときに登録をしているんですが、いまみていたら、かなり本の数が増えていました。

また積読が増えるようなことをしています。



慶喜の話は以前にしましたね。

慶喜は無血開城をしましたが、ぼくとしてはあのときに尊皇派の連中と戦って武士にきちんと引導を渡すことをしなかったために、西郷隆盛がかわりに西南戦争を起こすことになったとおもっています。

そういう意味で、慶喜はとても賢かったのは間違いないんですが、「将軍」というよりは官僚寄りというか、現代だったら、年金をもらって悠々自適に暮らすようなことを夢見る小市民のような性質だったのではないかとおもっています。

その点の解釈は以前と変わらないんですが、最後の将軍にまつりあげられて、30歳で15代200年以上続いた徳川幕府を没落させたんですよね。

避けられぬ運命だったとわかっていても、その当事者として忸怩たるおもいがないわけがないはずで。

それでも長く時代の行く末を見続けなければならなかった人生に、いまのぼくは同情の気持ちもあります。



梅干し、ことしは梅が豊作だったのでたくさん漬けました。

豊作だったぶん、もともと小梅なのがさらに小さく実ったので、こんなのでまともな梅干しになるんだろうかと不安でしたが、案外まともな梅干しになりました。

塩と、あとうちで自生しているマダラジソ(シソ同士が交雑して、青じそなのにすこし赤みも入ったシソです)だけでつくっています。

人の家でつくったものには抵抗もあるでしょうから、お送りしますとは言いませんが、なかなか食べきれる量でもないくらいはあります(笑)

2023年10月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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午前中に収穫作業。自家用にネギを収穫。

異様なほど暑い。秋になっても暑いなんて、ニャルラトホテプじゃあるまいし(笑)

午後、すこし昼寝して、葉野菜の種まきと、いくつかの野菜の防除をしました。

サトイモの収穫。サトイモは農薬をつかわずに栽培できる点だけはラクでよいです。

カブの余りを自家用にして、圧力なべで湯がいて、厚揚げと炊き合わせ。

もちろんきょうも晩酌。

#野菜
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画像です。ひとつはあけび。

ひとつはモロヘイヤが種をつけてから、すごい育ち方をしている様子。
種取りします。

ひとつは柿。ことしは十個あるかないかという裏年になりました。

#野菜
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きのうはそこまで深酒をしたわけではないのに、えらく酔いが回りました。
薬物っぽい言い方をすると、「キマッた」というやつです。

二日酔いにはなりませんでしたが、あの酔いの回り方は異常です。

原因を考えてみると、きのうは夕方にかなり熱いお湯のお風呂に入って、しかもスマホでゲームしてたから、のぼせたんですよね。
そこから晩酌を始めたのが原因かな、と。

血がいつも以上に巡っているところにアルコールを飲んで、アルコールも一緒に全身を駆け巡ったのだ……というと、なんだかひどく短絡的な考えのようですが、たぶんそういうことだろうとおもいます。

#与太話

2023年9月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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【やたらマウントを取りたがる釈迦とやたら草刈り機をほしがる農園主の対談】

お釈迦様「これ、農園主や。聞こえておるか」

ぼく  「あ、お釈迦様」

お釈迦様「農園主や。お前はいま、草刈り機がほしいとおもっておるな」

ぼく  「はい、すごくほしいです(もしかしてもらえるのかしら)」

お釈迦様「農園主や。おまえの生活の度合いからみて、そんなに何本も草刈り機をそろえる理由がどこにある?」

ぼく  「あ、いや、でもその、電動草刈り機にはメリットがたくさんあって……」

お釈迦様「そんな話は聞いておらん」

ぼく  「はい」

お釈迦様「その草刈り機はいくらするのだね」

ぼく  「あ、安くそろえたら、4万円を切るくらいでしょうか(やっぱりもらえるのかしら)」

お釈迦様「農園主や。そんなお金があるのなら、いま壊れている草刈り機を直すほうが先だとおもわないかね」

ぼく  「……はい。おもいます」

お釈迦様「4万円。お前ごときがポンポンはたけるようなお金じゃなかろうに、もういますぐにでもネットショッピングで気軽にポチしようとするものだから、わたしはお前の性根を叩き直してやらねばならないとおもって、わざわざ顕現したのだよ」

ぼく  「(性根……? お前ごとき……?)」

お釈迦様「農園主や。わるいことは言わないから、その買い物はいったんあきらめなさい。それで、ネットショッピングにかまけている時間があるのなら、草刈り機を買ったつもりで、いま手元にある草刈り機で一生懸命畑の草を刈りなさい」

ぼく  「……はぁ」

お釈迦様「お前が時間のムダを費やすのを、わたしは見ておられないのだよ。ましてそれがお金のムダになるのだから、小言のひとつも言いたくなるではないか」

ぼく  「でもお釈迦様。お言葉ですが、あの草刈り機があれば、カラダもラクになるし、エンジンの音も静かだし、きっといいことがたくさんあるはずで……」

お釈迦様「釈迦に説法!!」

ぼく  「わあ!! ごめんなさい!!」

お釈迦様「釈迦に説法を垂れるとはなにごとか。極楽の蓮池のふちを毎年5回も草刈りしておるわたしに生意気な口をききおるわ」

ぼく  「知りませんでした。すみません」

お釈迦様「もう草刈りシーズンも終わるうえに、ネットのセール時期でもないときにそんな買い物を急いでする理由がどこにある!? 農園主よ、ふだん清貧に努めているのに、4万円の買い物の重みがわからないのか。それにもうしばらくしたら、車検が控えているのではないか」

ぼく  「あ、はい。来年の2月に車検です」

お釈迦様「車検にいくらかかるか、ことしの秋野菜がちゃんとお前の貯蓄になるのか、そういうことを見極めてから、草刈り機は来年の春のセールのときに検討するのでも遅くはないのではないか?」

ぼく  「お……お釈迦様!! ぼくのことをそんなに気にかけてくださってたんですね」

お釈迦様「わかったかね。農園主よ」

ぼく  「はい、お釈迦様。草刈り機を買うのは、もっと先にしようとおもいます。ご助言、どうもありがとうございました」

お釈迦様「わかればよいのだよ。それではまた会おう。(ピロリロリーン)」

ぼく  「(……草刈り機、もらえなかったな)」


というわけで、すこし頭を冷やして、草刈り機を買うのはもう少し待とうとおもいます。

#与太話
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買い物ついでに、マキタの電動草刈り機の重さを実際に確認してやろうと、ホームセンターへ。

2.8kgの現物を持ち上げると、たしかに重量は軽い。

となりにエンジン式の草刈り機、こちらは4.6kg。あきらかに重い。いや、重いといってもエンジン式の中では激軽に入る部類なんですが、それでも重い。

ただ、エンジン式はいざ構えてみると、重さのほとんどは後ろにあるので、振り回しやすいです。

電動は、先が重いので、やっぱり振り回しにくい。

ただ持つのと、振り回すのは意味がちがいますね。


で、ホームセンターでは安売りしてたてんぷら鍋と、作業着につかえる洗濯洗剤を買いました。
草刈り機は、ウインドウショッピング。

いや、でも、やっぱりほしいです。

もう、ほしいが止まらないところまできています(笑)

2023年8月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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ベイクオフ、ぼくはようやくシーズン2を見終わりました。
1にはなかった、最後にふたりが作り方のお手本を示すコーナーがおもしろかったです。

もし家にオーブンなどの設備があれば、ちょっとやってみようかとおもうほどでしたが、よくよく考えると、お菓子作りは家族がいてこそ趣味にもなりましょうが、おじさんはこの土地に根の生えたものをうまく活用して、おやきあたりをつくるのがよかろう、という結論に至りました。

きょうは集落の地蔵盆で、ぼくは役員をしているので夕方から夜中にかけて仕事です。
仕事といっても、飲みながら遊ぶようなものですが(笑)

2023年7月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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ファイナルファンタジー13-2。
13で出てきたキャラクターのほとんどが出てこず、話は突拍子もない展開で、時空を行き来するような内容に。
敵との戦い方も前回と似ているようで、またあたらしいことを覚えねばならず、もうおじさんついていけない。

かなり飽きてしまってる、というのが正直なところなのだけど、べつのRPGを遊んでからまた腹を据えて取り掛かるか、ともかくクリアするまでは頑張るか。

ゲームするのに、頑張るとかいってる時点で、もうダメだなあ。
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数独RPG、いちおうクリア。終盤になるとかなり難易度が高く、ぼくの実力では道具をつかわないとクリアできませんでした。
しかしゲームのカタチになると、けっこう数独を解くレベルが上がったような気がします。
ナンプレの本一冊買うよりはるかに安い値段で、楽しませてもらえました(笑)
#ゲーム
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https://news.yahoo.co.jp/articles/2d553e...
このニュースの内容。
ようするに、この44歳の男、じぶんの車のバンパーに上向きに取り付けたカメラで、狭い住宅街を徐行して走行し、女性のスカートの中を盗撮していたそうで、自宅には5TBのハードディスクが30個あったのだそうな。

いやあ、「浜の真砂は尽きるとも 世に変態の種は尽きまじ」とはよく言ったものです。←言わない

#与太話
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さあ、海老芋の葉かきをするぞ、と外へ出て、一列片付けたあたりでにわか雨にあたりましたが、そのままずぶぬれになりながら作業を敢行。

きのう、本気出せなかったぶん、きょうは本気出したぞ。
#野菜
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しかし、ネットの天気予報サービスの、一時間予報というのは、たまにドンピシャで当たるから文句も言いにくいのだけど、きょうのように、とっくに雨になっているはずが、蜃気楼でもみていたかのように、更新するたびに1時間ずつ雨の時間がずれて、結局ほとんど降らないなんてこともあります。
今回はそれで助かってるんですが、干天続きのときにこれをやられると、空を見上げて歯噛みし、スマホをみつめて歯噛みせねばなりません。
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午前中は収穫作業と、草刈り。
午前中から草刈りするのは久しぶりで、つい気合が入っていつもの1.5倍ほどの広さを草刈りしました。
あちこちにオオアレチノギクだかセイタカアワダチソウだか、背が高く茎の太い植物が繁茂していて、ナイロンコードの減りがいつもより早くて困りました。
雨が降る予報でしたが、バラバラと断続的に降る程度ですんだのは幸いです。

午後は、大雨にならないようならサトイモの葉かきをします。
#野菜
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ズッキーニをのぞくウリ科は、マルチを張るよりも、雑草と一緒に育てるのがよいのかもしれません。
というのも、夏の日射でカボチャが日焼けしたり、バイオマルチの場合、実がマルチに当たるとマルチが分解反応を起こして、実が腐敗するんですよね。

マルチの場合、株元が日よけになるものも、雨よけになるものもないので、干天続きにも雨続きにも弱く、なるほどこれが弱点だったのか、とことしの湿害によって気づかせてもらいました。

株元に稲わらを敷く、というのはぼくはコメを作らないので現実的ではありません。

となると、問題は雑草をどうコントロールするかということです。

イネ科の雑草を抑えるトレファノサイド粒剤はキュウリ・カボチャ・スイカに適用があり、おなじくトレファノサイド乳剤ではキュウリ・スイカ・マクワウリに適用があります。
粒剤をカボチャに。乳剤をキュウリ・スイカ・マクワウリにと使い分ければ、背の高い雑草の発生を抑えながら、適切に管理することができるかもしれません。
畝間は早いうちにバスタで除草して、通路は確保しておきます。

肥料は元肥なしで、穴施肥の追肥で育てるようにして、極力雑草にエサを与えないように工夫します。

このやり方だと高価なバイオマルチをつかわずにすむし、マルチを張る手間も減ります。
ものは試しで、来年ちょっとやってみようとおもいます。
#野菜
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配達と受粉をすませました。
ズッキーニ、ことしは疫病なのか、溶けるように枯れる個体が出ていますが、8月にはシーズンが終わります。
キュウリはもうことしは完全にダメでした。種代におまけがついたくらいの収益で、あとは自家用に回せたというあたりで納得するしかありません(笑)
ただキュウリの場合、きゅーちゃんにしたり、梅酢と塩昆布に漬けたりと、おいしい暮らしにつながるので、これはありがたかったです。
#野菜

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