山麓王国

全年全月24日の投稿28件]

2025年7月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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投票所の立会人のお役目、お疲れ様でした。

さぞお疲れになったことと思います。

自治会の会長のお仕事は、伺っている以外にも多くの煩雑なことがあるでしょうが、大きな問題がなく、平穏無事なことが一番ですね。



お返事のお気遣いのないよう、簡単な感想と、雑談です。


司馬さんのいうところの、「場当たり的な、禅的な」、というのは、志士たちの意識がなんとなくですが理解できる気がします。

『葉隠』のわかりやすい翻訳をありがとうございます。

生きる意味より、死ぬ意味のほうに重きをおいたのは、根底に、「恥」というものの捉え方が大きく存在していたのかとも思えます。

また、常に死を思って生きることで、生きることを充実させていたようにも感じました。

命を惜しむという生き方、惜しまずに~という生き方、どちらもそれなりに深い意味がありますね。

農園主さんがお書きになった、「じぶんの生き様が恥にならないように生きて、死ぬ」、このことば、今の政治家に聞かせたいです。

政治に対する思いとは離れたところで、わざわざ恥をさらすような発言や行動をする人が多いのはなぜなんだろうと思います。


生き方、死に方は、時代によって変化するものかもしれませんが、よくも悪くも自分の納得のいく人生を送ることが大切ですね。

後悔のない人生はないと言いますが、時が経って激しい後悔の念がぼんやりとぼやけてきて、あ~~もう、あの時はしょうがなかったしぃ、みたいになんとなく納得し、「まずまずいい人生だったなぁ」と思いながら死んでいけたらなぁ、としょうもないことを考えています(笑)


前にお話したかもしれませんが、私の部屋は西日が素晴らしくよく当たります(笑)

この時期は、夜7時になっても、遮光カーテンを通してさえ明るい日差しを感じます。

そんなわけで、どう頑張っても暑さ&まぶしさで、とてもパソコンの前にいられないのですが、そうも言っていられないので、けっこうな時間を西日の前で過ごします。

クーラーはつけていますが、この時間帯は効き目があまりないため、熱が体内に蓄積されてしまうようで、それが長時間放散されず、いつも軽めの熱中症になっているみたいです。

神経をかなり遣う仕事が終わった翌日から4日ほど頭痛が続き、薬を飲んでも治らなかったのですが、ひどい肩こりもあるので少しつらかったです。

もともと頭痛持ちですが、軽度の熱中症もありそうですね。



一昨日、埼玉県行田市の「古代蓮の里」というところに、蓮の花を見に行きました。

東京の上野の不忍池の蓮とはぜんぜん違い、高さもあり葉も大きいのに驚きました。

HPには、
「行田蓮(古代蓮)」は原始的な形態を持つ1400年から3000年前の蓮であると言われています。古代蓮の里にほど近い公共施設建設の工事の際に、偶然出土した種子が自然発芽し甦り、池に開花しているのが発見されました(昭和48年)。地中深く眠っていた多くの蓮の実が出土し、自然発芽して一斉に開花した事は極めて珍しいと言われています。
と書かれています。


着いたとたん、雷が鳴っていましたが、稲妻が地面まで届いた(落ちた?)のを初めて見ました。

空やビルの合間に光るのはよく見ますが、視界を遮るものがないので、空の高いところから地面に吸い込まれるところまで見えました。

知らないことがまだまだたくさんあってあたりまえなのですが、衝撃的な体験でした(笑)

もうひとつびっくりしたことが。

蓮が咲いている小さな池が点在しているのですが、そこに、それはそれは大きなオタマジャクシが!!

まだ足が出ていないのに(たぶん)、長さが17~18センチくらいありました。

数もものすごいので、これが一斉に蛙になったらどんなことにと思ったら、ゾゾっとしました(笑)


先日ネットで、神奈川県の大船フラワーセンターで「双頭蓮」が咲いた、というニュースを見ました。

50~100年に一度、1本の茎に2つ花が咲くそうで、見ると幸せがくると書かれていました。

調べてみたら、新潟県の高田城址公園や茨城県坂東市でも今年開花したそうですし、毎年どこかで咲いているようなことも書かれていたので、さほどラッキーでもないですね(笑)


古代蓮の里の蓮の葉があまりにも大きく、コロボックルが隠れているように思いました(笑)

よく見れば違いますが、フキの葉っぱとちょっと似ていますよね。




数日前に娘と娘ムコが家に来たのですが、娘ムコに「東京ではお盆はやらないんですか?」と聞かれました。

東京では7月なのですが、お盆飾り(きゅうりやナスなど)や果物をお供えしていなかったので、???と思ったのでしょう(家にお仏壇はありませんが、両親と主人の父親の写真を飾り、お線香をあげ、金剛鈴を鳴らしています)

私が子どもの頃から、家でも近所でもお盆になにかやっているのを見たことがなく、具体的に何をするか、ほとんどわかっていませんでした。

10年ほど前に父が亡くなってからは、スーパーで売っているおがらを買い、ベランダで燃やしてお迎えし、お供え物もしていたのですが、昨年母が亡くなってからやめました。

墓じまいなど、供養の形が変わってきている今、お盆の慣習はだいじなことなので、手を抜かないようにしたいとは思うのですが、あえて迎え火で呼ばなくても勝手に来るはずだし、送り火を焚いても帰ってくれないかも、と思った次第です(笑)


本当にものすごい暑さですが、体調はいかがでしょうか。

体力的にも精神的にもご無理のないよう、充分に気をつけてくださいね。

少し日にちをあけて投稿しましたが、遅くなってごめんなさい(o_ _)o))

2025年5月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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【この記事には返信不要です】
ありがとうございます。

菅弘之さんの計算の部分、まさにそうです。
もしかしたら、ぼくが読んだのがこの記事だったかもしれません。

ブログがなかったころで、いわゆるテキストサイトの一記事であったという記憶と、こんなに軽妙な文章ではなく、もっと重苦しくロマンティックな書き方であったような記憶があるのですが、長い時間の中で記憶が大きく置き換わっていた可能性があります。



先日、親と電話をしたときに、大阪万博の話になりました。

ぼくは、そういえばむかし大阪で開かれた花博に連れて行ってもらったよな、と話をしました。

すると母は「花博には行ってない」と言います。

そんなわけがありません。

花博で売られていたヤシの実ジュースを飲んで、それが美味しくなくてガッカリしました。

親はそんなぼくの様子をみて、高いお金を出したのに美味しくないとはどういうことだ、となぜかぼくに怒りだしたのです。

ぼくの記憶にはその部分がしっかり残っていました。

だからたしかに花博に行ったはずだ、と主張したのですが、親はそんなはずはない、と平行線。



後日、また電話をしたときに、母が言いました。

「あんたは花博が終わった後で鶴見緑地に行ったんや。花博が終わった後の鶴見緑地に行ったことなら覚えてる。ヤシの実ジュースは花博が終わってからもしばらく売ってたんやとおもうで」

それで、アッと気付いたのです。

ヤシの実ジュースがまずかった記憶はしっかり残ってるのだけど、花博の入り口で並んだとか、パビリオンに訪れた記憶がまったくない。

そのくせ公園内の植物園の中の大温室で、奇妙な大きな花をみたという記憶は残っているのです。

母の記憶が正しくて、ぼくの記憶が間違えていたのか、と不思議な気分になりました。



特にここ数年ですが、じぶんの古い記憶に自信がありません。

記憶が断片的にちがったものに置き換わって、置き換わったことを含めて事実だったとおもいこむ、ということがほんとうによくあるのです。

なので、あの火葬の水蒸気の話も、時期的にも記憶とちがうし、じぶんの中ではもう少しロマンティックで陶酔感のある話だったようにおもえるのですが、まったく自信がありません。

それどころか、どんどんこの記事がぼくのあのとき読んだ記事だったという気がしてきています(笑)



と、言い訳がましい話をしましたが、長い間ぼんやりしていた記憶をはっきりさせていただいて、感謝しています。
あらためて、ありがとうございました。
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お返事の前に。

たまたま検索で出てきたものです。

農園主さんがご覧になったものとは違うようですが、とりあえず。

ご存じでしたらごめんなさい。

https://ikeoka.net/blogs/000/?cat=14&pag...

2025年2月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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コレステロール値を下げるお話を、一番最初に書いてくださったんですね。
ありがとうございます。

キノコと海藻なら、他の食べ物よりも継続して食べやすいですね。
シイタケは高いですが、干しシイタケを活用してもよさそうです。

鶏むね肉とキノコ、とってもおいしそうです。

いつも頭が下がるのは、身体にいい食材をなんでもいいから食べるという姿勢ではなく、組み合わせや味付けを工夫してレシピを考えていらっしゃることです。

以前は、マイタケがインフルエンザ予防になるとか言われていたので、マイタケやキノコと海藻、ちくわを炒めたものをよく食べていましたが、最近そんなメニューは忘却の彼方でした(笑)
また復活させます!

海藻の効果は本当にびっくりするほどすごいんですね。
昔はどこの家庭でも、お味噌汁の具として、ワカメは毎日のようによく食べていたはずですよね。

最近は、大きなスーパーでも、生ワカメ(塩わかめはたまにあります)や生昆布(切り昆布)を見つけるのが難しいんです。
普段は乾燥ワカメを使いますが、おいしさが生のものとは全然違いますね。

アカモクも、乳酸菌入りの小袋パックになっているのは見たことがありますが、一般に売られていません。

お味噌汁と言えば、土井善晴という大阪の料理家をご存じですか?
「一汁一菜でいいという提案」という文庫本を読みましたが、いわゆるレシピ本や、食に関する解説本ではありません。

おかずの数が少ないと手抜きしたように思うことが多いけれど、一汁一菜とは、ご飯と具だくさんのお味噌汁、それで立派なご馳走であって手抜きとは違い、健康にもいいというようなことでした。

キノコと海藻も、忙しい時、おかずを作れない時があれば、お味噌汁に入れれば継続しやすいと思いました。

以前、花粉の時期に塩昆布を毎日食べていたらその年は花粉(訂正:花粉症)が軽かったというお話をしたように思うのですが、農園主さんの記事を読ませていただき、納得しました。
私は、お塩の効果かなと思っていましたが、海藻の効果だったんですね。

寒天は、なんといってもあんみつです(笑)
黒蜜をかけて食べたくなりました。

生クリームや油の多い洋菓子より、水羊羹など、寒天のデザートがよさそうですね。

知らないこと、すぐに役立つことばかりでした。
ありがとうございました。

次回も楽しみにしています(*^。^*)

2024年12月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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ご心配をありがとうございます。
「きちんと」ケガ、というところで、申し訳ありませんが笑ってしまいました。ごめんなさい。
スッと触れただけで触れたぶん切れてしまう、その通りでした。

ひとつコンサートが無事終わりましたが、その晩傷口が開きました(笑)
油断してバンドエイドにしたのがいけなかったようです。 

私の些細な疑問から、「短編歴史小説」というより、壮大でドラマティックな物語をありがとうございます。
とても興味深く読ませていただきました。

ことに宮中の言葉で語り合うユーモラスなくだりは、場面が目の前に浮かび、一気にその時代にとばされたような気さえしました。

阿波内侍も、様々な出来事や人に振り回され、つらく悲しい思いを強いられたのですね。
気性が激しかったということですが、徳子と対照的な性格だったのでしょうか。

ふたりの女性の、自分ではどうともすることができないそれぞれの人生が、寂光院でともに生きることで、浄化されたように思いました。

崇徳院の歌は、百人一首の中で一番好きなのですが、もう一つの意味もあったのですね。


そして阿波内侍が寂光院に入寺して3年ほど経ったとき、彼女は京都の願勝寺を、母の生国である阿波(徳島県)の維摩寺に移し、名前をそのまま「願勝寺」に改めるように請願したそうです。いまも四国八十八箇所霊場のひとつとして徳島県美馬市に願勝寺が残っています。

この願勝寺を調べたら、最寄り駅が貞光駅となっていました。

プライベートな話で恐縮ですが、昔、ワンマンな母の言いつけに従って結婚した元夫が、貞光町の出身でした(5年ほどで別れました。今の主人とは再婚です)。

一度だけ、元夫の父親と兄夫婦が住む家に行ったことがあるのですが、貞光駅から、ガードレールのない、それこそ10センチずれたら谷底へ、という、あまりに狭い1車線の山道を上って行きました。
タクシーの運転手さんは慣れてはいるでしょうが、恐怖で冷汗がでました(笑)

最近、町がいくつか合併し、貞光町は「つるぎ町」となりましたが、20キロほど離れたところに剣山(昔は「けんざん」とも呼んでいたそうですが、今はつるぎさんに統一されたそうです)があります。
ご存じと思いますが、安徳天皇の遺言により、剣を山頂に隠し、ご神体とした山です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%A3%...

阿波内侍が願勝寺を阿波に移した20年ほど後に安徳天皇が亡くなっていますが、剣を山頂に隠したのはいつなのか、また剣山と呼ばれるようになったのがいつなのか、調べましたが、はっきりした年が不明です。

なぜ安徳天皇の剣を、阿波内侍に関係のある土地に埋めたのでしょう。
阿波内侍が徳子に勧めたのでしょうか?
または、徳子、阿波内侍とは関係のない人物の意図ということもありますね。

もうひとつ、興味深いことがあります。
元夫の姓は「金岡」と言いますが、苗字由来netの日本の名字ランキングを見ると、比率が多い場所(訂正=市区町村)の1位が「美馬郡(訂正・美馬市)つるぎ町」です。

これは単にこの一帯に親戚が多いからかもしれませんが、それにしても、つるぎ町に住む金岡姓の人全部に血のつながりがあるとは思えません。

名字の由来として「桓武天皇の子孫で平の姓を賜った家系である平氏(桓武平氏)に記述されている」と書いてあります。
このあたりも、平氏が落ち延びてきた土地なのかもしれません。

つるぎ町から60キロほどのところに、徳島県の民謡に歌われている、祖谷(いや)のかずら橋がありますが、このあたりは平家の落人が移り住んだといわれる地域です。
それを考えると、つるぎ町をもっと広範囲に広げた一帯に落ち延びた平氏が多く住んでいて、剣を隠すのには剣山が適当な場所だと考えた、という単純な話なのかもしれませんね。

寂光院は最初聖徳太子が建立したそうですが、聖徳太子は、美馬郡のあたりに多くいたという、渡来人の秦氏に影響を受けたと言います。

『母の生国である阿波(徳島県)の維摩寺に移し、名前をそのまま「願勝寺」に改めるように請願した』という維摩寺ですが、阿波内侍の母親、或いは阿波内侍とゆかりのあるお寺だったのでしょうか。

聖徳太子は鳩摩羅什訳の『維摩詰諸説経』に注釈した『維摩経義疏』を書いていますよね。
その「維摩」の寺だとすると、維摩寺も寂光院も聖徳太子に関係してくるわけです。

阿波内侍、徳子。聖徳太子、維摩寺、寂光院、阿波(徳島)、安徳天皇の剣、剣山、平氏、秦氏。
どういう関連性があるのかわかりませんが、どうも無関係とは言えないような気がします。

寂光院の山から剣山が見える・・・とか??

剣山から秦氏に関係するものが数多く発掘されたそうですが、これは平氏や安徳天皇の剣とは無関係なのでしょうか?

また、安徳天皇が入水せず、平氏の生き残りと剣山に隠れ住んだという説もあり、なんだかわけがわからなくなりました(笑)

秦氏と、イスラエルの失われた十二氏族(書き足し・十氏族ともいうようです)の関係の話もいろいろありますが、もうそこまで広げると混乱の境地です(笑)

農園主さんの壮大なロマンとも言えるお話を読ませていただき、感銘を受けて、よけいな妄想をしてしまい、失礼しましたm(_ _"m)

獣害は本当に難儀なことですね。
迅速な対策により、おさまってなによりです。

山田和明 さんのクリスマスカードですが、場所は横浜です。
メリークリスマス!


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2024年9月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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般若心経のヒモのお話、何度もイメージしてみました。
わかりやすい例えではありますが、正しく理解できたのかどうかは、ちょっと不安です。

無と無限によってつながっているということですが、「無」「無限」も、無いのではなく『ある』んですよね。
そこにじぶんが存在しているかどうかをうまく考えられず、考えているうちに、「無」「無限」の外にいるような気がしてきました(笑)

免疫にまで広がった今回のお話で、また様々なことを知ることができ、考えることもたくさんありました。
野菜を例に挙げてくださったのは、とてもイメージしやすく、理解できました。

柿のことは初めて聞きました。
一番初めに試した人は、瓢箪から駒が出る的な偶然の産物だったのか、考えて試行してみたのかわかりませんが、すごいことですね。

そもそも1500年も前に、無や無限というものの概念があったというのもすごいですね。
そして、1500年以上の仏典や思想が受け継がれて、そこからいろいろなものが派生し、どんなに研究しても答えがひとつではない、ということは、まさに無であり無限であるように思います。

般若心経に限らず、いろいろな仏典や経典、聖書、他の宗教の書物や口伝からそれぞれの教派が分かれていったのは、研究という言い方もできますが、これも多くの人の余剰意識が生みだしたものと言えるかもしれないですね。


人類最初の差別は、人間が住んでいる狭い範囲の地域を区切ることから始まり、だんだん範囲が広がって国になっていった、という話を読んだことがあります。
利便性による「区別」でなく、人を「差別」することから始まったんだそうです。
その区別は置いておくとして。

そのようにして人間が作った国もそうですが、もっと範囲をどんどん大きくし、地球の他の星にも名前をつけていくわけです。

これはあくまで「地球に住む人間」がしたことであって、他の惑星などにいる宇宙人(のような何か)がいたら、地球人が金星と名付けた星は、たぶん金星ではないわけで。

このように考えると、やはり人間は自分と、自分が住む地球を「存在する主たるもの」として認識していることになるかと思います。
しかし、広い宇宙にいる(はずの)宇宙人などのなにものかにしてみれば、そうではない。
そうなると、自分も地球も、『確かなものではない』、無の一部、無限の一部、または無そのもの、無限そのものだと思えてきます。

中学の卒業アルバムに「ひとり一言」を書くページがあり、そこにトルストイの言葉を書きました。
『この自分とは何か、無限なものの一部である』←当時母が持っていた、岩波文庫のトルストイ名言集?という本から選びました。

その時は、「トルストイは、人にはみな無限の可能性がある、ということを言っている」と思い選んだのですが、農園主さんの記事を読ませていただき、もしかしたら私の中学生の時の解釈は間違っていたのかも、と思ったのです。

出典は覚えていなかったので、ネットで調べてみましたが、おそらく『懺悔』の中から引用したものかと思います。
宗教に対する思いを書いたものですが、ソクラテスやアリストテレスなど哲学者の言葉、仏陀のことも書かれており、トルストイも「無」「無限」などにいたく興味を持っていたように思えます。

もちろんこういうことは、多くの作家や哲学者、宗教家たちが書いているでしょうし、今回の農園主さんの言わんとしているところとは違っていると思いますが、ふとトルストイの言葉を思い出したので、余談として書きました。

人間にはこの世は見えても、あの世は見えません。少なくとも生きている間は。
しかし、なんらかの「免疫異常」が起こるケースもないとは言えず、そういう人間(境界があいまいな人)も少しはいて、神仏など、一応は見えないものとされているなにものかとコンタクトを取れたりすることもあるのかもしれません。
そうなると、この世とあの世どころか、地球と宇宙、ありとあらゆるもの、「すべて」と地続きであるし、つながりがあるもののように思います。

あるけれどない、ないけれどある、そんなあいまいな場所に、肉体とこころを持つオリジナルの魂が存在していることは、本当に不思議ですね。

農園主さんの記事からいろいろと考えてしまい、なんだか訳のわからないことを書いてしまった気がします(笑)

(追記)
お天気には、本当に悩まされますね。
こちらも、8月に凄まじいほどのゲリラ雷雨が多かったので、レインコートと雨靴を買ったのに、9月はほとんど降っていません。
作物がよく育ち、たくさん収穫できる秋になりますように。

2024年3月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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満鉄社歌について、詳しいお話をありがとうございます。

そういう経緯があったのですね。
大正時代は、大正浪漫と言う、ハイカラでモダンで、一見自由な文化の反面、思想は自由に表現することができなかったのですね。

社歌は、曲調も独特ですが、メロディーにムリムリ歌詞をはめ込んでいる部分がとても気になります(笑)
イデオロギッシュでギラギラした、という表現は、その通りだと思いました。

板東英二は満州で生まれたんですね。
徳島弁で話すタレントさんというイメージが強く、野球選手ということは忘れがちでした。

他にも芸能人や著名人でけっこういたように思うので、ウィキペディアで「引揚者一覧」という項目を見たら、満洲以外からの引揚者も大勢いるのですが、こういう項目があることも初めて知り、なんだか不思議でした。

舞鶴の引き揚げも「岸壁の母」で歌われていますが、戦争についての歌詞が削除されたり、書き換えられる中で(唱歌や童謡が殆どだとは思いますが)、いまだに歌われているのも貴重なことだと思います。

二葉百合子のファンというわけではないのですが、去年末、テレビに出演して歌ったようで、92才というのに、あの声量と声の艶に唖然としました。
やはりもとが浪曲師というのは、一般的な歌手とは違い、まさに脅威の歌唱力です。もちろん若いころに比べたら、衰えは見られますが。


池袋西武百貨店に「狗不理」という、点心と中国料理のお店がありました。

「狗不理」の本店は、中国天津の静園のあたりなのですが、愛新覚羅溥儀ゆかりの地ということでなのか、西武百貨店の店内に「溥儀」(溥傑のほうだったかも?)の名前の入った書額がありました。
4~6文字くらいの漢字が書いてあったのですが、なんて書いてあったのか記憶にありません。
契約終了で閉店してしまったので、確かめることもできませんが、はたしてあれは直筆だったのか、コピーなのか、それはちょっと気になります(笑)





2024年2月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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農園主さんのお仕事は、単純に考えてもとても大変な仕事だと思います。
お天気に左右されることが多く、頑張った分すべてが報酬として反映されるわけではなく、記事にしていらっしゃるだけではわからないご苦労も多いことと思います。
それでも、「楽しんでやっている、食べてもらう人に喜んでもらいたくてやっている」という、その心意気があるからできることなんですよね。

仕事に対する報酬は当然不可欠ですが、金額は二の次三の次(相手側の言い値)、まずはやりたい内容かどうか、そして人に喜んでもらえるものであるかが大切なことだと思い、仕事をしています。
服装も大事なので、安くてもそれなりのものを購入すると、年間にすれば経費の方が収入を簡単に超えてしまいますが、まぁ、そんなものだと納得しています(笑)


昔の小説に出てくるような島部や過疎地の医者は、医師免許がないのに、病気やケガの治療、手術からお産まで、なんでもやってのけたわけですが、結局は書物から得る知識のみでなく、臨床数、経験の多さに他ならないと思います。

また私事で申し訳ないですが、昨年、床も天井もぐるぐる回るひどいめまいと嘔吐で、救急車を呼びました。
昼間なので、外来の耳鼻科に回してくれれば、すぐに数年に一度起こる「良性発作性頭位めまい症」だとわかったのに、救急外来にずっと座らされたままで、吐き気止めの点滴を3時間受けました。
研修医の若い女性に、「血液検査の結果、白血球と血糖値が高い、24時間空腹なのにこの数値は異常。糖尿病の疑いと脳の異常が考えられるので後日検査を受けるように」と、かなり強い断定的な口調で言われました。
帰る際、救急外来の主任のような女性医師がその研修医と一緒に来て、「もし心配ならば後日検査してください」という、さほど心配はないというニュアンスで言われましたが、結局は研修医の練習台だったわけです。

白血球と血糖値は、何らかの炎症があればそれだけで上がると知ってはいたのですが、それを研修医に言っても埒があかないと思い黙っていましたが、最初から最後まで、つらいなかで、納得のいかない措置でした。

翌日、近くの耳鼻科に行き、耳石が三半規管に入り込んで起こった「良性発作性頭位めまい症」だと診断されました。
また、内科で血液検査を改めてしてもらいましたが、白血球も血糖値も、数値は正常に戻っていました。

研修医の、医学書に書かれているマニュアル通りの診断を丸のみしていたら、糖尿病かも?、脳がおかしいのかも?と、大きな不安に陥るところでした。

研修医を育てるには仕方がないこととは理解できますが、まずは医師が同席し、その上で診断の補足を行ってほしいと思うんですよね。


他にも身内でこれに類似したことがあり、医師の言うことを丸のみにしてはいけないし、結局は医師としての腕より人柄だと、深く感じています。

「医療や医師に任せっぱなしではなく、じぶんなりに納得のいく哲学が必要だとおもいます」というのは、本当に同じ気持ちです。

水木しげるの腕のことは知っていましたが、そのエピソードは知りませんでした。
赤ん坊のにおい、それは新生を感じるものだったのでしょうか。
生きる上での本能かもしれませんね。

2023年12月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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奇妙な偶然・・・。
今朝、いつも読んでいるスピリチュアル系の女性のブログがアップされていました(スピ系にしては押しつけがましいことを言わないのでよく読んでいます)。

「(クリスマスのご馳走やケーキを食べる前に)キリストに対して、「お誕生日、おめでとうございます!」という、〝お祝いする気持ちを持つ〟ことをおすすめします」
と書いてありました。
それは、キリスト教を信仰しているからとか、していないからということではなく、単純に「お誕生日におめでとうを言う」ことの大切さだとしています。

農園主さんの、「キリストの生誕を祝う気持ちはほとんどだれも持っていないようだ」という文章を読んで、これも奇妙な偶然だなと思いました。
私も、一時クリスチャンだったのに、そういう気持ちを忘れ去っていました(笑)


確かに「メリークリスマス!!」と言ったり書いたり(打ったり)しても、生誕を祝う気持ちとはちょっと違いますよね。

フロイス、キチジローヤジローは信長のシェフにも登場しますが、フロイスはキリスト教を日本人のために布教するということではなく、日本の権力者に取り入り、日本で信者を増やして、自国での権威を得ようとする人物として描かれていて、日本人をなめてかかっています。

(追記)
 沈黙はロドリゴとヤジローでしたね、勘違いしていました。

沈黙から、なぜ日本にキリスト教が根付かないのかという問題、農園主さんのお考えはとてもわかりやすいです。
「沈黙」についてはいろいろ思うこともありますが、それはまた機会があればということで(*^^)v

今晩はクリスマスイブですね。
キリストのお誕生日を祝いながら、スーパーで買った日本版ローストチキン(焼き鳥)を食べる予定です(笑)
ケーキを買いに行きたいのですが、寒くて悩み中・・・・(◎_◎;)

イブ&クリスマス、楽しくお過ごしください♪←まだお掃除でお忙しいでしょうが、一休み一休み(*^^*)


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朗読で『沈黙』を聞きました。

映画をみたときにはっきりしなかったのが、なぜ日本にはキリスト教は根付かないのか、ということでした。

小説を聞いてはっきりわかったわけではないんですが、おもったところをちょっと話してみようとおもいます。



クリスマス前日のきょう、この作品を聞き終えたのは、奇妙な偶然です。

日本ではだれもが鶏肉を中心とした洋食やワインを楽しんだり、プレゼントを与えるなどして雰囲気は演出するのだけど、キリストの生誕を祝う気持ちはほとんどだれも持っていないようです。

バレンタインデーや、ハロウィンも、宗教儀式ではない「なにか」です。



クリスマスの風習は、戦後西側から突如やってきた……日本人の感覚でいうと、七福神の一種のようなものでしょう。

日本人からすれば、じぶんに利益をもたらしてくれるのであればなんのゆかりもない外来神でも歓迎する、といったところです。

しかし、どんな神がやってきたとしても、日本人はその神を深く掘り下げて信心しません。

みんな横並びに尊い、多神のうちのひとつにすぎず、現代ではその尊さはいよいよ目減りしています。

特に日本という土壌には「絶対神」という考え方が根付きにくいのではないか、という気がします。



明治以来、ほんの70年ほど、天皇崇拝・教育勅語という一神教めいた時代もありました。

子供があたらしいおもちゃを与えられたように、日本人は一神教に熱狂しました。

しかし促成でつくられたこの思想は国民を青天井に熱狂させたあと、戦後西側によって排斥されると、一気に沈静化します。

まるでおもちゃに飽きるような軽薄さで、信仰の薄い社会を受け入れるようになるのです。

天皇が人間宣言をしたあと、日本人は拍子抜けしたものの、だからといって国家神道を巡る聖戦が起こるわけでもなく、せいぜい右翼が「教育勅語にもいいところがあった」と消極的にボヤくくらいしかできませんでした。



日本を占領した西側は、多くの日本人に自由と文化を与えましたが、その延長線上に、現在のクリスマスがあります。

日本人は深く考えず、この楽しげなイベントを受け止めました。

しかしほとんどだれも、クリスマスとキリスト教を結び付けて、深く考えることはしません。



結局のところ、日本人の多くは親鸞や日蓮が広めたように、ただ単純なお題目を教わったとおりに唱えることで救われようとする次元から、どうしても抜け出せないのではないか。

あるいは、集団としての日本人は、宗教にお題目以上の意義を見出せないのではないか。

だから、明治になって教育勅語が広まったときも、それはお題目と化します。

戦争を経験した世代は、教育勅語をそらんじることができました。

しかし、かれらの「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト……」は、まるで円周率を暗誦するかのように無機質な暗唱にすぎません。

クリスマスにしても、多くの人にとって、儀式そのものがお題目なのです。

ただみんながやっているように、見よう見まねで作法を覚えて、それをこなすことで仲間外れにならずにすんだといって、ホッと胸をなでおろす。

仏教にせよ神道にせよ、大昔から日本人はそのようにして、お題目でなにかをやったようなつもりになる性質なのでしょう。



ところで、『沈黙』には、裏切り者のユダをおもわせるキチジローという男が出てくるのですが、この男は、日本にやってきたポルトガル人宣教師が日本人を見下していることを見抜きます。

キリスト教は結局、白人の持ち物なんですよね。

神道が日本人の持ち物であるように、キリスト教は白人の持ち物です。

キリスト教が白人の持ち物だということは、世界のキリスト教分布をみればわかります。

宣教師たちはキリスト教は白色人種の持ち物であるという優位性を無意識のうちに抱えていて、布教をおこないながら、同時に日本人を見下している。

作者は作品中で、このことを(直接的ではないにせよ)語っています。



それはともかく、結局キリスト教は日本には根付きません。

鎖国によって外国から司祭がやってこなくなると、長崎の日本人教徒たちの拝むキリストやマリアは、およそ西洋のそれとは似ても似つかないものに変貌していき、むしろ日本的な宗教のスタイルに和合(習合)していくのです。

作品中で信者たちがこんな歌を歌います。

参ろうや 参ろうや パライソの寺に参ろうや パライソの寺とは申すれど 遠い寺とは申すれど

「パライソ(天国)の寺」というのです。

当時の日本ではカテドラル(聖堂)やチャーチ(教会)という概念を伝えにくいために、妥協の産物として寺になってしまったのかもしれませんが、それでも「パライソの寺」となってしまうと、もはやキリスト教なのか仏教なのか、天国なのか極楽浄土なのかも判断できません。

信者は弾圧をかいくぐるために仏教の檀家をしながら、こっそりとキリシタンを続けている状況であり、結果的に神仏習合(この場合の神はキリスト教)になってしまっているわけです。



そして、弾圧によって棄教した宣教師たちも、それを望む望まざるにかかわらず、闇鍋のような多神の社会に組み込まれて一生を終えました。

この作品はキリスト教というフィルタを通じて、現代に続く日本人の奇妙な宗教性を解き明かしているのでしょう。

キリシタンを苛烈に弾圧した井上筑後守(かれも元はキリシタンだった)が、宣教師を棄教させたあと、最後についたあきらめのため息は、クリスチャンであった作者、遠藤周作のため息のようにおもえたものです。

2023年11月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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今までこちらで書いたことを総合すると、力強い神様が好きということになりますね(笑)
横浜の伊勢山皇大神宮、天祖神社系、東京のお伊勢さまである東京大神宮、どれもシーンとした感じがして、あまりピンとこないことが多くて。
冷たいのではなく、他の神社とは決定的に違う、厳格で凛とした雰囲気を感じます。
でも、天照大神と相性が悪いのかなとも思っていますが。

行者の修行や火を使う護摩など、密教系は好きです。
甚だあやしい話ですが、以前勝手に私をみた人が、「前世チベットでまじめに修行していた僧だった」と言ったのですが、
まじめに、は別として、案外前世のひとつはそうだったかも、と思ったりしています。

伊勢に住んでいらして、アマテラスさまとはご縁があるんでしょうね。
何と言っても日本の神様の総元締めですし、強い面と温和な面を併せ持つ天照大神は、神様として別格だと思います。

お菓子はぜんぜん念頭にありませんでした。
自宅用と、新年のご挨拶用に、ちょっと探してみます。
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もしかして、ギズモさんは力強い神様がお好みでしょうか?

スサノオもそうですが、天狗もいわば荒ぶる神ですよね。

なんだかぼくも最近は、土地を力強く守ってくれる祭神に心が惹かれているような気もしますが、やっぱり伊勢に住んでいたこともあって、アマテラス推しです。



ブラックフライデー、安いようでそう安くないものもありますから、ふだんの買い物の基準価格が頭にないと、危なっかしいところもありますよね。

ぼくは年末に実家に送るお菓子もこの際に買ってしまおうかとおもっているんですが、けっこうな種類があって迷っています。
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そう言えば、私が火渡りを体験したお寺の境内には、富士塚のように作られた高尾山(東京都八王子市)があり、天狗の像が一対ありました。
歌舞伎には、人間が生きたまま自分のお腹を割いて、臓物を天に投げて天狗になり、かたき討ちをするいう話もあります。
天狗は、なかなかおもしろい存在だと思います。
日本の神々の中でも、山の神様は一番パワーのある存在だということですが、山伏の修行は壮絶なものだとも聞きます。

高野聖。
物語を読むには、いくばくかでも知識がないと、ただ読んだだけ、ということになってしまいますね。
農園主さんの読みやすい現代文と解説があったから、しっかり読めた小説でした。

縁起がいいと言っていただき、ありがとうございます。
山伏のような修行はできるはずもありませんが、人生すべて修行だからダラダラしていたらいけないよ、という意味と受け止め、向上するようにしないといけませんね。

ところで、amazonブラックフライデー、昨日からちゃんとまじめに見て、先ほど注文を完了しました←任務じゃないけど。。。
災害時の食料とか、常用している薬やサプリメント、ボディソープなどで、けっこう値段が下がっているものにしましたが、
買い置きしても置く場所がないので、ほどほどにしておきました。
ベランダに置くボックスを先日amazonで買ったばかりなのですが、これは、ブラックフライデーになったらなぜか高くなっていました。
こういうこともあるんですね。
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権現信仰、山岳信仰、山伏はそれぞれがつながっています。

権現は人が不思議な霊力をもって神格化されたもので、山岳信仰をする山伏は、山がもつ特殊な霊力を授かるために修行をします。

ようするに、人が霊力を授かって神に近づく、その媒体として山が存在しているようなかっこうです。

なので修験者(山伏)たちは山で修業し、その生活は僧侶のようで僧侶でない、俗人のようで俗人でない、半僧半俗といわれます。

これはいわゆる天狗にもつながっていきます。



ところで、『高野聖』に出てきた、上人をたぶらかそうとした魔性を帯びた女も、山の霊気によって不思議な力を持つようになったというオチでした。

あれは日本における山岳信仰や権現、天狗といった知識がわれわれに備わっていないと、理解が追い付きにくいところだろうとおもいます。



ギズモさんが山伏の夢をみた件について、夢自体は記憶の整理だとおもうんですが、夢を覚えていて、心に引っかかりがあることには意味があるのでしょう。

新年に山の夢をみるというのは、縁起のいいことだとおもいます。

2023年10月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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いただきものの梅酒を飲みました。

梅酒が甘めに仕立てられていたのは、とてもよかったです。

おもいでも甘めに甘酸っぱいほうがいい。

おいしかったです。いただいたお酒も、これでおしまい。

ありがとう。
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きょうはよく頑張りました。

といっても、仕事はいつもの収穫作業に、サトイモの収穫くらい。

ちょっと草刈りしたい場所はあるけど、なんだか気乗りせず。

きょうはそれよりも、芽が出始めてるジャガイモをサラダ風にしたり、売り物にならないサトイモを鶏肉と味噌煮にしたり、カブをソーセージと炊き合わせたり。

この料理に時間がかかったんですよ。

イモ系は湯がいてから皮をむきますが、それでも売り物にならない小さいイモをちまちまとむくのだから時間がかかります。

で、こんなことをしょっちゅうやるのは面倒だから、無計画に大量につくって、とりあえず4~5日はこれを食べることになりそうです(笑)

野菜はタダなので、ほかの材料費とガス代と含めて、たぶん300円はいかないです。

あ、あと安納芋も一緒にゆがきました。

ぼちぼち甘みが乗ってきたようですが、あとひと息寝かせたらもっと甘くなることでしょう。

#野菜
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茶色いカメムシがぶんぶん飛び回ってる。

ことし大発生してるのは緑色のカメムシだとおもってたけど、これは茶色いカメムシもたくさん家に潜り込んできそうです。

2023年9月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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なんか心境をあらわすような感じにもおもえますが、暗喩的な意味はまったくありません。

SUM41の最初のアルバムがとても好きだったんですよね。
この曲は、親友の女の子がエイズにかかったことが、テーマになっているようですが、そういう事態を悲観するというよりは、そういう事態にそのままアクセル全開で突っ込んでいくというか、タイトルのThe Hell Songというのも含めて、妙な歌なんですよ。

もう20年以上前の曲ですか。

大阪で、ある求人広告の会社で仕事をしていたころ、FM802からかかっていた曲でした。

あんまり曲を紹介できなかったけど、きょうはこのへんで寝ます\(^o^)/
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尾崎豊の「I love you」です。

ただ、歌ってるのは森進一さんです。

なんか、たぶん絶対当人にそういうつもりはないはずなんですが、聴いてるうちに笑いがこみあげてくるんですよね。
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きょうはここは、好きな音楽を勝手に張り付けていく時間になります。

たぶんこれまで張り付けた曲も重なるとおもいますし、ジャンルにはこだわりません。



ドリフの曲はたいがい好きですが、その中でも好きなのは、楽曲のメンバーに志村けんがいるからだろうとおもいます。

志村けんは、サーカスでたとえたら、ぼくの人生をにぎやかしてくれたクラウンのような存在でした。

#音楽
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まずきょうの一連の投稿には、くれぐれも返信をつけずにいてもらいたいとおもっています。
哀れとおもえばこそ、放っておいていただければありがたいのです。
こういうときは、ぼくとおなじ方向をみても、なにもよいことはありません(笑)

よくよく考えれば、たかだか実質2週間分の葉野菜の失敗と、ズッキーニの被害くらいで、心臓がバクバクして、もう首をくくらにゃならんのではないかと覚悟するほどの圧迫を感じたのだから、ぼくという人間はよくよく小心者だとおもいます。

見苦しい姿をお見せしましたが、しかし春から続いていた畑の問題から重なっての落ち込みなので、どうかお許しいただきたいところです。

来年は残念ながら非課税世帯になってしまいそうです(笑)

ふて寝で昼寝でもすればすこしは気分がラクになるのではないかとおもいましたが、うまく眠れず、あげく腹が痛くてトイレにこもっていたら、呼び鈴が鳴りました。

どうやら無作為に抽出される政府の土地統計調査に当たってしまったそうな。

じつは何年か前から、国勢調査や農林業センサスのような、全員を対象にした調査から、農業構造動態調査という抽出型の調査まで、大当たりといっていいくらい当たっていて、もうこの手の調査は慣れたもので、封筒を受け取って30分でネットに提出し終えました。

おかしなことに、なんとなくそれですこし心の中に風が通ったような感じがしました。
もちろん、まだモヤモヤはしてるんですが、倒れ込むほどしんどいという状況は脱したようです。

このへんの心理的なところは、あとですこし書いてみようとおもってますが、書くのがしんどかったらやめます(笑)

きょうか、あるいは明日あたりに第三弾の葉野菜の種まきをします。

ことし、夏以降でまともに育てられた野菜が、ほとんどない気がするなあ……。
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ことしの、野菜作りのさまざまな試練は、笑って乗り越えようとおもっていたけど、ぼちぼち重くなってきました(笑)
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きょう、第二弾の葉野菜と第一弾の葉野菜を確認していたのですが、なんと白い不織布が地面に張り付いていて、発芽していた野菜がほとんど枯死していました。

こんなことはいままでなかったのですが、あまりの出来事に脱力。

さらにきのう非常に風が強かったのですが、雌花のついていたズッキーニが軒並み折れてしまいました。

ぼくの心も折れました。

いつになるかわかりませんが、ちょっと心が回復するまで、発信は控えようとおもいます。申し訳ないです。

2023年8月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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きょうは雨の予報。

収穫を終えて、急いでトラクターで5アールちょっと畑の中耕除草。
途中でおもいがけずひと雨あって、ずぶぬれになったのだけど、作業を終えてこれまた急いで洗濯機を回しました。
除湿器で乾燥させます。

売り物にならないオクラ、ナス、パプリカと、タマネギを細かく刻んで、てんぷら粉と一緒に揚げ焼きにして、大量のかき揚げっぽいものをつくります。

ちゃんとしたかき揚げにならなくてけっこう。
このかき揚げっぽいものは、鍋に入れて、出汁といっしょに炊いて、これまた天丼のようなものにしてしまいます。
どんぶり以外にも、うどんやそばの上に乗せれば、上々です。

オクラを入れるとすこしねばっぽくなりますが、そのへんもじぶんが納得してさえいえればよい、という気楽さで、気にしません。

この時期、てんぷらをつくるのに材料費がかからないのはたいへんよいことです。
#野菜

2023年7月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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独裁が唯一許されるシチュエーションがあって、それは「徳治主義」をおこなったときです。

一時期のブータンがそうでしたが、国際的な潮流である資本主義の土俵に乗らず、精神的な幸福を追求するというような、ある意味国民に忍従を強いるような政策をとっても、国民がついてきたのは、統治者に徳があったからです。

その点、為政者に必要なのは、合理性や能力よりも徳だといえます。

合理性や能力は、徳をカバーする重要な才能ではありますが、やっぱり天秤にかけたときには徳のほうに傾くものです。

歴史をみると、石田三成は事務者としての能力はバツグンでしたが、なにせ冷徹で人望がなく、秀吉の威光を借りても関ヶ原の戦いでは家康に勝てませんでした。

家康自身に特別すぐれた徳があったとはおもえませんが、少なくとも当時の諸大名の中では「清濁併せ呑む器量を持つ、話の分かる統治者」ではあったとおもいます。

有能なだけで徳がない独裁者は、必ずどこかでこけます。

ヒトラーにしても、超有能で、人民をコントロールすることに血道をあげ、民族主義を喚起してドイツ国内のナショナリストを熱狂させましたが、最後はあのザマです。

レーニンやスターリンも有能で、かれらは死線を生き延びましたが、国際協調路線を投げだして当時のソ連に戻りたいと望んだ、後継者のプーチンは現在ロクでもないことになってます。

A級戦犯で死刑にされた東条英機と、戦後を87歳まで生きた昭和天皇の差はなにかというと、国体護持うんぬん以前に、昭和天皇の徳を考えずにいられません。

昭和天皇がもし謀略をもって政治をおこなう、有能でイケイケの覇権主義者であったらば、いくら戦後の国体護持をとりつけたとしても、おそらく万世一系は途絶えていたでしょう。

なにが言いたいかって?

Twitterは、曲がりなりにもいまよりは、青い鳥が飛んでいたときのほうがよかったなあ、という話です(笑)

#時事
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きょうの作業は、葉野菜への三回目の防除と、水やり。
水やりはさすがに朝夕の2回に増やしています。

まあ、水代くらいはちゃんと生育してくれれば回収できるんですが、それにしても梅雨が明けたとたん、春からこれまでの曇天模様はなんだったんだというくらいの干天続き。

ぼくが死後お天道さんになったなら、これまでの雷さんの頭をハリセンでおもいきり叩きのめして、「寝ぼけとんか。変われ、アホンダラ!」と、もうちょっとマシな雨の降らし方をします。
いまの時代を担当してる雷さん、よほどのヘタクソですよ(笑)
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水やりを終えたときにはもう乾き始めています。
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この暑い中で、草刈りを一時間ちょっと頑張ったら、見事に脱水症状。
乾燥してるから、ちょっと頑張れちゃうんですよね。

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