山麓王国

全年全月10日の投稿29件]

2025年11月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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よかったです。

当初意図していたのとまったくちがう話になったのですが、ふつうの歴史の本にはない話ではあるとおもいます。

珍説をお楽しみください(笑)
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とりあえず、お知らせです。

無事、鍵が開きました(*^。^*)

じっくり読ませていただきますね。
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今回はわたしの地元の話題が混じっているので、鍵付きの投稿にさせていただきました。

鍵は、わたしの本名の、姓名のうち、名前の部分を漢字で入力してください。

たとえば、山田太郎だった場合は「太郎」と入力することになります。

もし名前を失念された場合は、ご一報ください。
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2025年3月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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ウイルス性胃腸炎、ほんとうに大変だったとおもいます。

ぼくもふだんから腸のトラブルを抱えているので、おなかが痛いときのつらさはわかるつもりですが、絶食4日間は病院の指示などでなく、ご自身の意志でなされたのでしょうか。

だとしたら、すごいことです。

ぼくの場合は、よほどでないと食い気が勝ってしまいますので(笑)

先日から海藻やきのこと、繊維質のつよい食べ物ばかり紹介しましたが、どちらも少量でじゅうぶん効果がある食材ですから、胃腸に負担がかからないように、すこしずつ長く続けてくださいね。



五島三菜、海藻と野菜で、しかも乾物なので日持ちも効いて、パーフェクトですね。

五島列島は椿油で練った乾うどんも有名ですが、決して大きいとはいえない散り散りになった島々の集合体の中で、これほど洗練された伝統食文化が生まれるのは、ちょっとめずらしいとおもいます。

五島三菜とキノコのお料理は、ほんとうにいうことなしの健康食です。



先日の情報で終わりだと言ったはずなのに、あれからさらに調べて、とうとう行きつくところまで行った最後の情報をひとつだけ追加させてください(笑)

血栓のもとになるのは血管プラークなんですが、このプラークが破裂しないように安定化させる、EPAという物質があります。

よくDHA・EPAというサプリメントで販売されているのでご存知だとはおもうんですが、青魚に特に多く含まれています。

EPAは医薬品にもなっていて、血栓症の治療などにもつかわれるそうです。



血管内のプラーク(脂肪の垢)が破裂すると、血液がこれを傷と勘違いして、血管内にかさぶたをつくってしまいます。

これが血栓なんですが、EPAには、このプラークが破裂しないように安定させてくれる作用があるそうな。

EPA自体は油なので、いわば「油をもって油を制す」みたいな感じでしょうか。

体内の脂質をEPAに置き換えることで、血管内のプラークを安定化。

しかも、血管内で盛り上がったプラークの壁を、なだらかにして血液を通りやすくしてくれるといいます。

納豆はできてしまった血栓を溶かしてくれる作用がありますが、EPAはそもそも血栓ができにくい状態をつくってくれる、という作用があるようです。



むかしはエスキモーと呼んでいましたが、北極圏の先住民であるイヌイットは、アザラシやセイウチなどの海獣を狩って食べていました。

農作物がとれる土地柄ではありませんから肉食でしたが、不思議なことにヨーロッパのデンマークと比較すると、心臓病など血液疾患による死亡率は非常に少なかったそうです。

そこで海獣の肉の組成を調べてみると、魚類を主食にしているため、肉に魚油(DHAやEPA)が豊富に含まれていました。

さらにイヌイットの血液を調べると、やはり非常にEPAが多かったらしいんです。

古くからイヌイットはケガをすると血が止まりにくかったともいいます。

つまり血がサラサラだったんですね。

EPAには血小板凝集を防ぐ作用(かさぶたをつくるのを防ぐ作用)もあるといいます。

しかしアザラシやセイウチは海獣ですから、いくら魚を食べているとはいえ、肉の組成には飽和脂肪酸もたっぷり含まれています。

この飽和脂肪酸による血栓症リスクを上書きしてくれるくらい、不飽和脂肪酸の血液疾患予防の効果が大きいということですね。

この研究は1970年ごろのもので、その後イヌイットも現代的な食生活をするようになったみたいですから、いまはふつうに心臓病のイヌイットもいることでしょう。



EPAはいわゆるオメガ3脂肪酸といわれる部類の油になるんですが、おなじオメガ3脂肪酸の仲間にはアマニ油やエゴマ油があります。

またくるみに含まれる脂肪分もオメガ3脂肪酸です。

これらも血液をサラサラにする作用があるといいますから、摂取する油を置き換えることで、コレステロールによる血液疾患のリスクを下げることができるようです。

ただ、オメガ3脂肪酸は酸化しやすく、酸化すると毒性を帯びるという特徴がありますから、新鮮なものを摂取するのがよいようですね。



ところで、血液疾患の予防食を促進するための「おさかなすきやね」という標語があるそうです(笑)

お……お茶
さ……さかな
か……海藻
な……納豆
す……酢
き……きのこ
や……やさい
ね……ねぎ類

このリストをみていると、日本の伝統食がいかに健康食だったかを考えさせられてしまいます。



と、ここまで書いたところで正直に言いますが、前回ぼくが返信してからなので一週間ほど前、心臓に違和感をおぼえました。

おそらく以前からの血栓症の波状攻撃が心臓にもやってきたようで、もはや進退窮まりました。

これからのぼくの食生活は、もう人生を通して「おさかなすきやね」になっていきそうです(笑)

この一週間、かなり制限した食事をしているんですが、体調はかなり戻ってきました。

これからは一年ほどかけて減量します。
痩せること自体が、血栓症予防と心臓への負担を減らすようですから。

かなり痩せにゃならんのですが、背水の陣ですから、なんとかなりそうな気がします。

なにせ、肉を食べるのが怖くなっています(笑)

しかしここしばらく、一連の血管の健康の話をギズモさんに向けてさせていただいていたおかげで、ぼく自身にも知識がついて、命が助かったとおもっています。

特にEPAの重要性、それからこれは極端なので言わなかったんですが、脂肪の摂りすぎはどんなに健康によいとわれるものでも血栓症になりうるという情報を得て、そこからいまはかなり徹底した脂肪制限をしています。

ギリギリのタイミングでこういった情報にたどりついたのも、ご縁あってのことだとおもいます。ありがとうございました。



というわけで、結局今回もカラダの話になってしまいました。

次回は先に予告しておきますが、以前のギズモさんの、

「当時の国学者の研究がなければ、いまだに徳川のような政治体制が続いており、仏教が主流となり、天皇制にはならなかったということもあるのかもしれません。」

というお話から、話を広げさせていただこうとおもっています。

2025年1月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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何事も早め早めに対処するのはいいことなので、せっかちなのも決して悪いことではないと思います。
農園主さんの性分というのは、ちゃんと理解できます。

私の場合、せっかちとのんびりが、適さないところで出現するので、どうにかならないかぁと思うことがしばしばです。
例えば、タイマーをセットしてブロッコリーなどを茹でる場合、お鍋の前でじっと待つことはできず、その間何か他の事をしているのですが、結局そちらに夢中になってタイマーが鳴ってもそのまま放置し、茹ですぎになることがしょっちゅうです(笑)←書き足し:タイマーが聞こえないのではなく、茹でているのを忘れているわけでもないです

農園主さんは、お仕事をしながらオーディブルをお聞きになったりと、時間を有効活用していらっしゃいますよね。
性分の話とは違うかもしれませんが、時間をうまく活かすことができるのは、本当に尊敬します。

何にしても、自分のペース、タイミングでできたら、気持ちがとても楽になると思いますが、私はペースもタイミングもいい加減ですね(笑)

宮城の方までいらしたのは伺っていましたが、大洗のお話はたぶん初めてのように思います。

大洗磯前神社と酒列磯前神社は、4年前も行ったのですが、今月7日に行った時、妙に海が気になりました。
岩礁が多く波濤がとても印象的なので、岩礁に打ちつける波を、じっと見入ってしまいました。
農園主さんがお感じになったように荒々しい風情なのですが、なんとなく目を離せない、惹き込まれるような不思議なものを感じました。

サザンの歌で有名な湘南や、熱海の海とはまったく違う風情です。

ところどころで、車を止めて見ている人もけっこういました。

農園主さんの記事で、本当に因幡の白兎の伝説にぴったりマッチする情景だと思い、農園主さんの感性に驚きました。
あれは、湘南の海ではだめです(笑)

「薬師菩薩明神」のこと、知りませんでした。
薬師如来と観音菩薩のダブルのご利益がありそうですね。

大洗磯前神社の、海に浮かぶ鳥居の写真と、大洗磯前神社の本殿の写真を添付しておきます。
一番上は4年前の2月、あとの2枚は今月7日のものです。

海岸には行けないのか、みんな上の歩道から写真を撮っていました。
3枚目の写真の手前に写っているのはブロック塀で、鳥居は下にあります。

くだらないことなので書こうかどうか迷いましたが、今回ここに行ったのには訳がありました。

時々ブログを読んでいる人が(桜井識子と言い、有名ではありませんが、神社関連の本を出版していて、アクの強さがないゆる系のスピリチュアルの人です。神仏と話ができるそうなのですが、そのあたりは「へ~」程度で、ほどほどに済ませています)、大洗磯前神社の龍が(眷属とは違うようです)去年交代したと書いていたので、気になって行ってみました。

もちろん行ったからわかるものでもないのですが(笑)

紫蘇シロップですが、今日は発酵レモン酢とミックスしていただきました。
そろそろスギ花粉が飛ぶので、今からできる対策として、紫蘇は本当にありがたいです。

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↓ これも4年前の写真ですが、酒列磯前神社にいる亀で、金運アップのご利益がすごいそうですので、お福分けです。

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2024年10月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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壮大なテーマであり、本来はかなり難解なお話であったはずなのに、3回に分けてわかりやすく書いてくださったので、都度理解しながら、またいろいろなことを考えさせられながら読むことができました。
ありがとうございました。
話の腰を折るなどということは全然ないので、気になさらないでくださいね。

ロゴセラピーのふたつの実践方法、わかりやすい説明をありがとうございます。
これは、シンプルで簡単にできるように思えますが、なかなか難しいとも言えますね。
結局はこころの持ち方なのでしょうか。ちょっと意識を変えてみることで生きる苦しみに対処できるというのは、信仰や宗教に対し不信感を持っている人や興味のない人にも実践でき、生きる希望につながると思います。

自分から距離を置くというのは、「何も考えない」という対処法より、変な表現ですが、積極的な方法に感じます。
何も考えないようにするのは、それもひとつの対処法ではあるけれど、なんとなくピンときません。
とは言え、座禅や阿字観のような、瞑想の時間を作ることも有益と思っていますが。

内省のように、自分の心を分析しながら折り合いをつけてうまく生きていくのではなく、ユーモアでものごとと対峙する。
ものの見方を変えること、気持ちの持ち方を変えることの大事さがわかるセラピーだと思います。

「今回話した思想は、じぶんが生きるステージによって変化していきます」というのは、とてもしっくりきました。
ずっと同じではなく、その時々変わっていいというのは、ひとつの信仰やひとつの思想、考えを持ち続け、貫き通すべきだという考え方より、柔軟で気が楽になるように思います。

座右の銘のひとつとして、パソコンのデスクトップに『起きていないことを不安にしない』と書いた付箋(紙ではなくアプリの付箋)を貼っていたのですが、パソコンを替えたため、すっかり忘れていました(笑)

このところ、その「起きていないこと」でずっと悩んでおり、どうも鬱々として心が晴れませんでした。
10月1日、お正月以来行っていなかった、埼玉県越谷の久伊豆神社(ご祭神=大国主命・言代主命)にお参りに行きました。
月末から主人が海外に行くので、お守りを受けるためでした。

参道を歩いていると、太鼓が鳴り始め、ご祈祷が始まりました。
そこそこ大きな神社で、混んでいる時はご祈祷を受ける人が多いのですが、本堂を見るとお宮参りの若いご夫婦一組だけでした。

ちょうどご祈祷が始まったところに行ったとか、チョウチョが飛んでいたとか、風がさ~~っと吹いたとかは、縁起のいいしるしと言います。
しばらくお賽銭箱の横でご祈祷を聞いていましたが(ただで(笑))、箱に入っているおみくじをひきました。書き足し・おみくじは100円を箱に入れ、勝手に箱から出す形式です。

ひく前に、住所・生年月日・名前、「今の私に必要なおみくじをお願いします」と言ってからひきました。

おみくじは、書いてあることがよくなくても大吉だったり、なかなかいいことが書いてあっても凶だったりと、バラバラのことが多いので、書かれている内容のほうが大事だと思っています。

そのおみくじは大吉だったので、まずそれはそれでうれしかったのですが、「願望」「待人」「旅行」「病気」などが書かれている裏面には「神の教」が書いてあります。

そこには、
「過ぎた繰り言とりこし苦労、神の授けし身を破る」
取り返しのつかぬ過去の事を、繰り返し思い悩んだり、定かでは無い将来の事を案じ煩うのは、唯心を痛め身を損なうだけの無益な事である。今日は唯今日の務めを、朗らかに一生懸命尽くし、明日は明日の務めに精を出す。日々神様の御心に寄り添い、明るく正しい心で暮らすことが肝要であり、禍も転じて幸いとなる唯一つの正道である。

と書かれていました。

これ、ロゴセラピーのふたつめ、ですよね。
おみくじをひいたのは10月1日で、農園主さんがロゴセラピーの記事をまとめていらっしゃる最中でしたでしょうか? これも不思議ですね(笑)

このおみくじを見た時、不覚にも涙が出てきました。
そうだ、起きていないことをくよくよしているなんてアホらしいじゃないか、自分が悩んでいて鬱々としているからと家族にも冷たくしていた、これは改めないといけない、とものすごい反省をし、このタイミングでこのおみくじをありがとう神様!!となったわけです(笑)

そこに、農園主さんの今回の記事を読ませていただき、このシンクロはなんだろう、と再度感激しました。

過去でもない未来でもない、今を明るくしっかりと生きる、これを肝に銘じます。

精神的に鬱々とすると免疫が落ちるそうですが、身体とこころがつながっている証拠ですね。

今回の記事は、生きる意味、そしてどうやってつらいことを乗り越えて、うまくこの世で生きていくかということについて、とても考えさせられましたし、その答えも納得することができました。
ありがとうございます。

最近、マイナスの感情、例えば怒りとか悲しみとか不安、取り越し苦労、悩み、そういったもので心が疲弊することくらいばかばかしいものはない、と思うようになりました。

人生、残った時間はさほど多いとはいえません←まだ高齢ではないけど(笑)

一日の3分の1は寝ていることだし、いずれ健康な高齢者になれればいいですが、介護が必要になれば思うように行動できなくなりますよね。

そう思うと、人生はいいことばかり、楽しいことばかりあるわけではないので、発想をうまく転換させて、書き足しと訂正 いやなこと、つらいこともユーモアをもってぶつかり、楽しく笑って過ごし、周りの人を不快にさせず楽しくさせて生きていくことが、とっても大事なことだと思うようになったのですいます。

そんなわけで、今回の農園主さんの記事シリーズは、今の私に最も必要な事ばかりだったのです(o_ _)o))

2024年9月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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すこし追記なんですが、さっきの投稿で、ぼくたちは電飾の電球のひとつだといいました。

ぼくが投稿の序盤で「われわれは結局のところ、大きな自然世界からたまたまじぶんという夢をみているだけなのではないか」といった、自然世界とじぶんの関係と、電球と電飾の関係はおなじです。

電球はすなわち電飾であり、電飾は電球を余すことなくつないでいます。

ぼくという存在は、大きな自然世界がみている夢のように感じる、というのは、電球がじぶんで灯っているのではなく、電飾のつないでいる電線が電球を灯している関係とおなじです。

ここからさらに、もし地球で最初の生命体が、どこか宇宙からきた命のかけらだったとしたらと考えると、やっぱりもしかしたら、生まれ変わりは地球に限らないぞと、いよいよ(ぼくだけが)楽しくなります。

ややこしい追記で失礼しました。
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答えの出ない不思議な話をもうすこし続けさせてください。

けっこう重要なことを話しているつもりなんですが、今回はぼくの話すことにいよいよ偏りがあるというか、トンデモに片足を突っ込んでいるところがありますので、前回以上にあくまで眉唾物の話としてお読みいただけると幸いです(笑)



中国の思想家、荘子は紀元前300~200年ほどを生きたといわれ、思想書である「荘子」を著し、道教の始祖などといわれます。

ただほんとうに荘子という人物がいたのかどうかイマイチはっきりしないようです。それこそ仙人というか、謎の多い伝説的存在です。

この荘子の思想の中に「胡蝶の夢」という有名な話があります。

ある男が、蝶になった夢をみました。そして目を覚ましたときに、考えるのです。

わたしは蝶になった夢をみたのか。
あるいはいまのじぶんは、蝶がみている夢ではないのか、と。

荘子はこのたとえ話から以下のような思想を伝えます。

じぶんが蝶であるか、蝶がじぶんであるかと考えるようなことは、人為的に考えたことである。

じぶんが蝶の夢をみたのか、蝶がじぶんの夢をみているのかと、どちらかに正解を求めるようなことには意味がない。

じぶんが蝶の夢をみたこと、いまじぶんを生きていることはそれぞれ真実なのだから、その真実だけ受け止めて、あとは自然に預けてしまえばいいのだ、と。

ここにぼくの解釈を付け加えると、じぶんの意識とじぶん以外の世界(この場合は蝶の意識)には、じつは分けへだてがないのかもしれません。

胡蝶の夢の話を借りれば、われわれは結局のところ、大きな自然世界からたまたまじぶんという夢をみているだけなのではないか、ともおもえます。



たとえばトマトを育てていると、主枝からたくさんの側枝が出てきます。

そしてこの側枝を折り取って、土に差して水をやっておくと、側枝から根が生えてきて、またトマトとして生長して、花を咲かせて実をつけるんです。

ではこのとき、トマトの意志というものがあるなら、最初に植え付けたトマトと、側枝から根を張ったトマトは、べつのものでしょうか。

それとも、まったく意志の分別のない、おなじトマトであると言い切れるものでしょうか。

人間にたとえると、腕をちぎって培養液につけておいたら成長して、ぼくそっくりの存在になったとします。

この場合、本体のぼくと、培養液で腕から育ったぼくは、べつのものでしょうか、それともおなじぼくでしょうか。

実際、現在のクローン技術では、元の本体そっくりの生命を生み出すことが可能だといいます。

もし人間のクローンをつくった場合、「意識の所有者」はべつなのに、じぶんとまったくおなじ存在がいるということになります。

そうすると、ぼくの意識、ぼくの魂とは、いったいなんなのか。

「意識の所有者」なんてものは、ほんとうに存在するのだろうか。

そんなにポンポンとじぶんの分身ができてしまうようでは、じぶんの意識や魂なんて、ずいぶん頼りないものにおもえてきます。



それでふと、このように考えます。

もしかしたら、ぼくの意識も、ぼくの魂も、地球の生命の歴史に紐づいていて、見えない根っこでつながっているのではないか。

前回の投稿で、じぶんに生まれ変わりがあるとしたら、べつの星で生まれることもありえるか考えると、永遠に宇宙の迷子になる可能性が高そうだ、といいました。

そうやって考えていくと、地球に生まれたわれわれは、やっぱり地球の所有物なんじゃないかな、とおもえてきました。

そしてぼくたちの意識や魂はあたかもじぶんが独占しているようにおもえますが、じつは地球の生命の歴史から借りているだけではないか。

たとえると、クリスマスの電飾で照明が点滅するものがありますよね。

じぶんという存在はその電飾の電球のひとつのようなものではないかと。

手前の電球と電線はつまり、地球の生命の歴史です。

手前からどんどん電球が点滅していき、いまじぶんという電球が一瞬光って、消える。

ぼくはぼく自身で光っているようにおもっているけど、じつは手前から光っている電飾のシステムがあって、じぶんはたまたまこの一瞬を光っているだけ、というわけです。

電飾の場合は電線があって、電球同士のエネルギーがつながっているからわかりやすいけど、人間の場合は電線でつながっているわけでもないし、独立した意識が肥大しているので、なんだかじぶんの肉体はじぶんだけのもの、とおもいこんでしまいがちなのではないか。

そして地球上にあるじぶんとじぶん以外のあらゆる存在は、肉体があるからへだたっているようにおもえるけど、ほんとうはへだたりがない、と考えたほうが自然なようにもおもえるのです。




人間には脳があって、自律とはまたちがった「意識」をもっています。

植物には意識はないけれど、自律して生きていますよね。

人間も呼吸をしたり、髪の毛・爪が伸びるということは、意識しなくても勝手に自律しておこなっています。

だから、植物がそうであるように、生きることそのものには、じつは意識は必要がありません。

しかし動物は植物とちがって、じぶんからなにかを捕食しなければ生きていません。

植物のように生きるために必要なモノ(土・水・太陽光)が自動的に手に入る場合は意識はなくてもいいんですが、動物の場合は工夫しないと生きていけないので、そのために意識が必要になったわけです。

もちろん人間以外も動物には脳がありますから、意識はあります。

けれど、人間以外の動物は脳が小さかったり、神経の数が少なかったりして、意識のレベルが低いんですね。

では意識の基本的な役割はなにかというと、「食べること」「子孫を残すこと」「じぶんより強い外敵からうまく逃げること」くらいのものです。

このみっつであれば、ハエでもやってのけることができます。

しかし人間の場合は脳の容量が大きく、神経もかなりたくさん張っているので、基本的な意識以外にも、意識を利用することができるんですね。

この人類の余剰意識の活用の仕方は複雑多岐にわたります。

ぼくがここでいま書いているようなことも、余剰意識によるものです。

じぶんが蝶になった夢をみたのか、蝶がじぶんになった夢をみたのか、ということも、人間ならではの余剰意識の活用です。

その点で荘子は、あんまり人間が余剰意識をこねくり回してああだこうだと考えることには意味がないといい、もっと自然に即して考えればいいんだと説いたんですね。



ギズモさんが葬儀場に向かうまで飛んでいた二匹のアゲハチョウは、「義理の息子さんのお父さんがみている夢」(あるいは未知の次元を介した干渉)だったかもしれないし、そうではない単なる偶然かもしれません。

いずれにせよ、ギズモさんがなにかのメッセージのように感じたのであれば、それは実際の正解かどうかはともかく、自然にそう感じたこととして受け止めてよいのだとおもいました。



さて、日食・月食の原理を知っている人、の話なんですが、ものすごくくだらないたとえを話します。

ぼくが子供のころ、コインゲームで「ジャンケンマン」というものがありました。

コインを入れて、じゃんけんをするだけのゲームなんですが、ふつうにやってるとなかなか勝てません。

しかし、このゲームはたまに次になにを出せばいいのか、ヒントが出ることがあるんです。

それを知っていれば、負けている子の横にいて、ヒントが出たときに「かわって」といって、勝ち目を利用していれば、メダルがたまります。

しかしそういう他愛ない裏技でも、知らない子からすると、いったいどうしてそんなことができるのか、不思議でたまらないんですね(笑)

こういった裏技をだれにも教えずに、秘密にしておいてじぶんの仕事の評価を高めるというようなやり方が、むかしの陰陽道であったり、密教(真言)に存在したのでしょう。

それ以外でもむかしは大工や植木屋、鍛冶屋など、じぶんの持ってるすぐれた技術は門外不出のものとして、一子相伝にして技術屋としての仕事をつないでいくのが当たり前でしたね。



最後にインターステラーが難解だという話なんですが、これだけおさえておけばとてもわかりやすくなるポイントがあります。

まず、いまの人類のテクノロジーでは、宇宙船が太陽系外に飛び出したり、人間をコールドスリープさせる技術はありませんが、映画の世界ではそういう技術が確立しています。

次に、五次元空間では重力だけが干渉できるという点です。

なので、主人公は未来の五次元空間から重力波を利用して、主人公の娘の身の回りでポルターガイスト現象を起こしたわけです。

最後に、なぜ生身の人間が五次元空間へ行くことができたのかというと、人間にとって愛は観測可能なエネルギーで、愛が不可能を可能にした、というのです。

最後の点はいろいろ飛躍しすぎてます。

ただ人類がここまでテクノロジーを発展させて繁栄していることも愛のエネルギーだと考えたら、この愛(観測可能なエネルギー)はこれまでじつに多くの不可能を可能に変えてきたわけで、いまや五次元の取っ掛かりさえつかもうとしています。

その点で、荒唐無稽ではあるのですが、一笑に付すわけにもいかず、いちおう納得させられてしまうんですよね。

もし作品をご覧になったら、もっと解説したいポイントはありますが、それはまたいつか(笑)

2024年3月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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ことし栽培するタネです。
毎年タネは楽天スーパーセールの間に買いだめします。

オクラはことしは複数の種類を育てるつもりです。

白オクラのヘルシエははじめてチャレンジします。
いわゆる機能性成分を多く含むおいしい品種ということなんですが、一般的に多肥を好むオクラの中で、こちらは肥料を抑え気味につくったほうがよいという、栽培方法のクセがあるようなので、そのあたりを見極めようとおもいます。

去年は大奥だけを育てました。

一般品種なら硬くなってしまう大きさでもやわらかく食べられるという品種で、初期からバテることなく、旺盛かつコンスタントに収穫できる強みがありましたが、終盤息切れする傾向を感じました。

10月ごろから収量が減り、11月にはもう仕舞い支度といった感じです。

そこでこれまで長く作ってきたピークファイブも一緒に育てることにしました。

この品種は栽培期間中の収量に波があるのですが、11月中旬くらいまで育ちます。

たぶん、この混合栽培が直売所にはよいのではないか、という実験です。



葉物は、この写真以外にもカブと春菊とベカナがありますが、ことしの春は新作をふたつ投入します。

沖縄で栽培されているカラシナの一品種である「シマナ」。

あと、台湾小白菜を育てます。これはクセになるほのかな苦みがあるということなんですが、見た目がベカナそっくりなのが気になるところです。



ズッキーニはブラックボー。これは草勢が強く、収量も多く、病気に強く、緑色が深いため市場性が高い、個人的に春作のズッキーニはこの品種がいちばんよいとおもっています。

秋作のズッキーニにはKZ-2という品種です。

カブでお世話になっている種苗会社ヴィルモランみかどのズッキーニで、つるありインゲンのビックリジャンボもそうなんですが、生産者側のかゆいところに手が届くつくりやすさと、食味が両立したよい種苗会社です。



シャオパオはミニチンゲンサイなんですが、小さいものをたくさん詰めて売ると、直売所ではよく売れるんですよね。

それに大きくなって、花芽がつきかかったものでも商品になるのが強みです。

市場のチンゲンサイとは見た目がちがっていて、密植に耐えて、作り手としてもメリットがあるので、うちはチンゲンサイはこの品種で決まりです。



赤ちりめんしそは、うちの利用しにくい農地にまいて雑草同然に育てます。

うまく収穫出来たら塩漬けにして、柴漬けや梅干しのシソとして利用したいとおもっています。

シソは日当たりのわるいところでもよく育つし、鹿の被害も比較的少ないようです。

そこで、山際の竹林そばの日当たりのわるい、水はけのわるいところにまいて、あとはこぼれ種から毎年自生させて収穫する魂胆でいます。

なにせシソは、一度育ててこぼれ種が落ちると、翌年からはなにもしなくてもほかの雑草を鎮圧して、優先的に育ってくれるので重宝します。



キュウリのなるなるZUTTOは、なるなるシリーズの最新作のようですが、うちは夏場の水やりがカンタンではなく、販売用はそこそこに、おそらく自家用としてキムチや漬物に回る予定です。

いちばん右に見切れてるのは「くりまさる南瓜」といって、去年ご近所さんに苗を差し上げたら、ものすごく甘くておいしいカボチャがとれたと喜んでもらいました。

ちなみにうちは去年の酷暑で全滅したんですけどね(笑)

#野菜

2024年2月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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腰の痛みは軽快しましたか?
冬場はよけい痛みがつらく感じるように思います。

YouTube「ハモニカ小僧」のレコードジャケットを見たら、「ハモニカ 宮田英夫」とあったので、もしかしてミヤタハーモニカの人?と思い、調べたら2代目のようです。
この頃は、ハーモニカでなくハモニカなんですね。

この映画もYouTubeで観られたので、ざっと観てきました。
「音楽喜劇」と謳っているように、コミカルミュージック、ナンセンスミュージックの類いでしょうが、おもしろすぎでした。

「菩提樹」のようなクラシックから、オクラホマミキサー、讃美歌、イタリア民謡、浪曲、ジャズ。
八代亜紀が歌っていた「素敵なあなた」も演奏されていましたが、大正時代のジャズっぽくて、何とも言えない趣きがありました。
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西川のりおはちょっと前までトンチンカンな政治発言ばっかりしてるなとおもってたら、最近になって急に的が入るようになってきた。

大阪のお膝元の維新はド左なのに世の中が右翼的になってきたというトンチンカンな世の中になったので、のりおさんのような方向性のない思想家は逆にピントが合うようになってきたんじゃないか、という暴論。

こののりおさんはむかしはじゃりン子チエでテツの声優をしていて、チエちゃんの声優は中山千夏さん。



ちなっちゃんはなんだかずいぶん左寄りなことをいうけど、ぼくは嫌いじゃない。

人間、思想の右や左はたいした意味を持たなくて、その人の心がもっているものが重要だとおもう。

その点で、この伸びやかな歌声をイデオロギーでけなせますか、と。

ちなっちゃんの歌声はよい。

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きょうは福知山で日帰り旅行。

軽トラで片道30分のラクラク旅でしたが、福知山城と佐藤太清記念美術館、福知山鉄道館のフクレルを、じぶんのペースでじっくりと見て回るよい一日でした。

朝の9時半に出発して、じっくりと福知山城の展示から、歴代城主や福知山歴史を知り、佐藤太清という日本画家の鮮烈な感性に触れ、鉄道館のジオラマで童心を揺さぶられ、久々の外食に舌鼓を打ち、ほぼ一年に一度の近場の旅が今年も無事に終わりました。

ちなみに久々の外食というのは、大黒ラーメンという、長居できるようなたたずまいではないですが、ラーメン大盛が680円で、豚骨醤油のネギともやしとチャーシューも入った財布も心も満たされるうまいラーメン屋でした。

味はちゃんとうまい。外食とおもったらじゅうぶん価値はあります。

ぼくのような独り身にはありがたい限りですが、さあだれかを連れて行くとしたらどうか。

ここは、本質がよければいいんだ、という感覚を共有できるかどうかでしょうね。

ぼくは大阪の土曜日の飲食店の待ち時間を知ってるので(このあたりでも回転ずしなどはすごい待ち時間です)、この店が土曜日にすんなり入れるのが信じられなかったんですが、待ち時間もなくおいしく頂けたのはほんとうにうれしかった。

ちなみにこの昼食、お土産とガソリン代含めて4000円以内のよい旅でした。

福知山城には、現代福知山の最重要人物とぼくが勝手におもっているこうの史代さん(『この世界の片隅に』の作者)が400字詰め原稿にこんなことを書いています。

福知山のスターは、明智光秀と酒呑童子。いずれも悪役です。体面よりもこうと決めたらやり抜く我慢強さ、また、物事にはいつも別の視点があり、周りではなく自分のものさしで判断することの尊さを、福知山の人は教えてくれます。


善悪は、第三者が判断しているだけで、当事者はみな善のつもりでやってるんですよね。

丹波のこのあたりは個々の善のチカラの強い場所で、もっといえば常識のチカラの強い場所で、同時にそういったものを(地政学的な要因もあるとはおもいますが)極力平和的になあなあに収めていったから、支配が分散しがちだったという印象があります。

ところで、佐藤太清記念美術館にあったパンフレットに「安野光雅 司馬遼太郎と思い出のまち」という特別展をやっているらしいので、これは今月中に行かねばなるまいと腹を決めています。

福知山は30分で行けましたが、この特別展を開催している京丹後は片道1時間半かかります。

しかも、道中に好きな酒蔵があるので、きっと立ち寄って、日本酒と酒粕を買うとおもうんですよね。

散財が過ぎます。

2024年1月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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キムチ、1日経って味がなじんで、だいたい方向性がわかったようにおもえます。

とりあえず現時点でのヤンニョムのレシピ。



白菜1kg目安

(キムチのり)
水     150ml(レシピを改変する場合、その材料の水分量に合わせて水の量を加減する)
もち粉   10g

(香辛料・香味野菜)
にんにく  50g
生姜    5g
干しエビ  ひとつかみ
大根千切り 150g
ニラざく切り 50g

(調味料)
ナンプラー 100ml
ダシダ   2g
味の素   2g
キムチ用の
粉唐辛子  80g
砂糖    20g





これがコストを抑える形での基本形になるとおもいます。

調味料は業務スーパーでそろいます。

ぜんぶそろえると最初に2000円くらいかかります。

つくり続けていく場合、唐辛子や香味野菜などは買い足しが必要ですが、調味料なんかはそうそうなくならないし日持ちするので、納得のいく味のヤンニョムができて継続的につくることができれば、よそでキムチを買うよりお得です。

ただし後述しますが、このレシピを基本形として、そこからぜいたくしようとおもえばどんどんコストが上がります(笑)


【ヤンニョムのつくり方】

1.大根を5cmほどの千切り。ニラも5cmほどにざく切りに
  ニンニクとショウガと干しエビは細かく刻むか、フードプロセッサーで砕く
2.1の材料を、調味料と混ぜておく
3.水ともち粉を鍋でしっかり混ぜ合わせて、とろ火にかけて、のり状にしたら火を止める
4.鍋に2の香辛料・香味野菜・調味料をぜんぶ投入して、しっかり混ぜる


これでヤンニョムはできあがり。

ナンプラーは香りが強いのですこし煮詰めてもいいかもしれないとおもいましたが、生のままでも半日ほどすると独特な香りがやわらいで、気にならなくなりました。

次は、白菜とダイコンの下ごしらえの要領です。


【白菜キムチの場合】
白菜を一口サイズに刻んで塩漬けにして、しっかり水分を出します。
水分が出たら、水を取り替えながら塩抜きをします。
塩抜きができたらしっかりと水気を絞って、ヤンニョムと合わせる。


【カクテキの場合】
ダイコンを気持ち大きめの角切りにして、白菜とおなじように塩漬けにしてから、塩抜き。
水気をしっかり出して、ヤンニョムと合わせる。
カクテキの場合はヤンニョムにたっぷり砂糖を足して、甘く仕上げるのもおいしい。


こんなところでしょうか。あとは漬物樽やタッパーに入れて保存しておけばいつでも食べられます。



ヤンニョムに関して、ぼくは今回、砂糖の部分をぼくはリンゴの缶詰で代用しました。

生のリンゴがいいんですが、シロップ漬けになっているリンゴだと砂糖の代わりにもなるし、コストも安いし一石二鳥でした。



今回はじめてつくってみて、感じた注意点や改善点をいくつか。

まず、白菜やダイコンなどの漬け材料の水分を出す作業は、時短をせずにしっかりやったほうがいいですね。

ヤンニョムが薄まらないほうがいいので、しっかり塩漬けにして水分を出し、水を何度も入れ替えてしっかり塩抜きをして、しっかり絞って水分を抜くのがいいとおもいます。

あんまり揉みこむようにすると腐敗するというんですが、どうなんだろう。

冬場で、ちゃんとビニール手袋して作業していれば、大丈夫な気がするんですけどね。



それから、ヤンニョムに関して。

うま味調味料でダシダと味の素をつかってるんですが、味の素の部分を貝出汁の素や野菜出汁の素などで複合的にして、さらに切昆布をほんの少量加えるというのはどうだろうとおもっています。

ただ、昆布のうまみは独特なので、ほんの隠し味くらいにしないと嫌味になるような気もします。

個人的にかつおだしの味は、なんだか嫌味を感じるので却下。
かつおの旨味を足すと、メーカーのキムチの素とおなじような和風の味になります。

おなじ理由で、煮干しをレシピにしているところもありますが、つかっていません。

干しエビがいい仕事をしてくれているので、ここから先のうまみの足し算は慎重にしたほうがいいようにおもえました。

あと、味の素は、たしかにすばらしいうま味調味料なんですが、どんな味のものでもムリヤリど真ん中に寄せてしまうくらいのチカラをもっているので、あえてつかわないか、レシピよりも少量にしてもいいかもしれません。

あえてぜいたくなことをいうなら、刻んだスルメとか干し貝柱とか、干しタラを入れるとおいしくなるだろうなあ。

まあ、あんまり工夫すると材料費が青天井なので、折り合いをつけることが大事かな、と。

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リンク先で、「支谷」という言葉を初めて知りました。

地理は(地理)苦手なのですが、農園主さんの説明で少しばかり興味を感じました。

東京に谷があったとは全然知らず、時代物でも谷の話が出てきたかな、と思い起こしています。

東京は、少し裏道に入ると、暗渠なのか、明らかに元は川だったらしく、細くてくねくねと曲がっている道がけっこうあるのがわかります。

電動自転車でも上れないという、かなり高低差のある坂も多いのですが、もしかすると坂ではなく、丘だったのかもしれないですね。

リンクを読んで思い出したのですが、70代以上の人が、すっかり国際化し、繁華街となった今の六本木を、
「あんなとこは、昔、金魚育ててたようなド田舎だ」と言っていました。
芋洗坂や狸穴のような地名もあることから、そうだったんだろうな、とは思います。

「~~天現寺橋付近で渋谷川の谷と合流する」ということが書かれていましたが、今は無くなってしまった渋谷川は、唱歌「春の小川」の舞台とされています。
作詞者が住んでいた渋谷に、宇田川・河骨川があり、メダカが泳いでいたようですが、いずれも渋谷川の支流なので、渋谷川とまとめられているようですね。
出身地の長野県の川と言う説もあります。

若者の街、渋谷にしても、昔は田んぼだったそうですし、どこでも昔から都会だったわけではないですよね。
渋谷と言えば、スクランブル交差点は、人が多すぎて渡れません(笑)

あ、渋谷も谷? と思ってちょっと調べてみました。

https://www.mapple.net/articles/bk/4503/...
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麻布にも谷町があったんですね。

大阪の谷町は、谷だったから谷町という、単純な名前なんです。

それで、六本木の谷町ジャンクションのあたりを標高地図で調べていたんですが、南側が標高20~30mほどで、谷町ジャンクションあたりで標高10mほどに下がるんです。

で、北の皇居に向かって標高が下がっているので、ちょうどジャンクションのあるあたりから皇居あたりまで、地形的に谷になっていたんじゃないかな、とおもいます。

と、もうすこし調べてたらこんなサイトがありました。

https://adeac.jp/minato-city/texthtml/d1...

六本木交差点から首都高速道路の谷町ジャンクションを通る六本木通り沿いの谷などが並ぶ

おそらく麻布谷町も、谷だったのでしょう。



町を碁盤の目にするのは経済を回したり、市民を管理するにはいいんですが、防衛という点では弱いんですよね。

といっても現代では地上戦による戦闘はほとんど考える必要がなくなりましたから(空から爆撃されてしまう)、現代では江戸時代に開発された町のありように沿って都市開発をおこなったことによる非合理性もあるのだろうとおもいます。

現代において、プロがみて地形的に自然な形で東京や大阪をあたらしくつくるとしたら、どういう都市開発を行うかという予想図をみてみたい気がします。
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自分がわかっているから相手もわかっている、という思い込みが強い傾向があるんですよね、私。
気をつけます(>_<)

大阪の雑談、ありがとうございます。

京都は、通りの名前を覚える歌があったり、丁稚奉公、女中奉公はまず通りの名前を覚えさせられたと言いますが、大阪にも筋と通りの習わしがあるんですね。

松屋町筋=東京では浅草に、人形店が並んでいます
道具屋筋=かっぱ橋が道具屋街。地名ではありませんが浅草の近くにあります。河童が出るという言い伝えがあったようです。
谷町筋=東京では、港区に「麻布谷町」というのがあったようですが、今はなく、タニマチとの関係はわかりません。首都高の「谷町ジャンクション」は、その名残で、今もあります。

大阪のお話から、東京はなぜ規則的な道がなく、無秩序なところなんだろうと思い、ざっと調べてみました。


📍徳川家康は外敵から江戸を守るために、直線的な道を作らなかった。

📍町割りも防衛を考えて作られていたが、埋立地ではけっこう直線的な道路が作られた。下町や銀座など。

📍江戸内部の主要な交通網は、道路ではなく無数の運河。運河も埋立地の多い城東(江戸城=皇居を中心として)では直線だが、河川に近づくとそれに合わせて曲がる。
 道も河川の影響で曲がっている。

📍大名屋敷や大きな寺社は自然の地形を利用していたので、外周に自然の小川の流れをそのまま使っている場合が多くあった。

📍東京は平野に見えて大変に起伏の多い土地なので、大規模な碁盤目状の道が作れず、そうした場所は城東に限られた。

📍城西でも一部の長屋街や町人街は直線的な道によって作られていて、新宿区百人町にその名残がある。

知らなかったことばかりでした。


「家康が直線的な道を作らなかった」、と打っていたら、『家康、江戸を建てる』(門井慶喜の歴史小説)が立派な積読になっていることを思い出しました。
読まないと(笑)
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ありがとうございます。
なるほど、宇宙語=大阪弁から、宇宙=大阪だったんですね。

もうちょっと考えればひらめきそうな、やっぱり教えてもらわないとわからなかったような(笑)
わかるとスッキリでした。



せっかく話があったので、大阪で雑談をします。

大阪市内は、京都市内のようにちゃんとした碁盤の目には作られてないんですが、南北をとおる縦の道を「筋(すじ)」、東西をとおる横の道を「通り」という習わしがあります。

で、横のラインである通りにはあんまり特徴はないんですが、縦のラインである筋は、商売の組合のような意味が含まれていることが多いんです。


難波周辺でいえば、たとえば松屋町筋(まっちゃまちすじ)は、縦の道路一帯に人形店が、小さな店から大店までズラッと並んでるんです。

その時期に合わせてひな人形や五月人形などを並べて、夏になると人形ではなくて花火が売られるようになる、古き良き風情のある場所です。


戎橋から南東にすこし行くと、なんばグランド花月という吉本の劇場があります。

そのすぐ近所に、道具屋筋という商店街があるんですが、ここは料理道具や荒物が並ぶ場所になっています。


相撲の「タニマチ」で有名な谷町筋は、特定の商売で団結しているわけではないんですが、興行をひいきにするお金持ちが多いというイメージがついています。


大阪のキタには天神橋筋があって、ここには日本一長い商店街である、天神橋筋商店街が通っています。


そうでないこともあるんですが、大阪の筋には、なんらかのブランドイメージがあるような感じがします。

2023年11月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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https://news.yahoo.co.jp/articles/12fc8a...

こんな体調の人間が、じぶんの地位に汲々として、国政の最重要の一角に居座っていたということが、腹立たしくて仕方ない。

きちんと進退を見極めて、しかるべき人材に立場を譲っていれば、日本はもうすこしバランスがとれていたのではないか。

細田氏の政治は徹頭徹尾ウソで塗り固められていて、そのウソが当人の信念になっていたのではないか、とおもわずにいられない。

セクハラ問題はさすがにどうでもいいけれど、自民党内右派タカ派のいびつなイデオロギーで、向かうべき最終的な到達点はどこだったのか。

かれが死ぬまで執着した政治信念は、将来の国民になにをもたらしたのだろう。

ウソの先になんらかの誠があったのか、そういうことの説明もビジョンもぼくには見えなかったけど、それを知ったらぼくの考え方が変わるようなことはあっただろうか。

死者に鞭を打つような真似はしたくないけど、晩年の二枚舌があまりにも目に余る。

#時事
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買い戻したくなったお気持ち、わかる気がします。
おとなになって読み直すと、さぞ感慨深いものがあったかと思います。
子どもの時は、挿絵を誰が描いているかなど、気にしたことはありませんでしたが、あの時の絵はこの人だったのかも、とあとから気づいたことはありました。


安野さんの展覧会、だいぶ前に巡回していた時があって、その時はあまり気になった方ではなかったので、行かなかったんです。

電車でちょっとのところに、「板橋中央図書館」があり、併設されている「いたばしボローニャ絵本館」で開催されていました。
 
📌北イタリアのボローニャから寄贈された絵本を中心に、世界約100か国、
 3万冊、70言語の絵本を所蔵している海外絵本の図書館。


ここ何年か、お手洗いにポストカードを、季節で適当に交換しながら飾っています。
風水で絵やカレンダーはよくないらしいのですが、真剣にこだわってはいないので、小さいポストカードはいいかなと。
「山田和明」さんという、60才くらいの方なんですが、さきほど調べたら、ボローニャ国際絵本原画展で数回入選している方でした。
動物と楽器の絵が多いので、見ていてあきないし、心が和む絵です。
中には、あまり心をひかれない絵もずいぶんありますが。

昨日、本の町・神保町に行ったついでに、この人のクリスマスのポストカードを3枚買ってきました。
さっき、安野さんの展覧会がいたばしボローニャ絵本館であったということを思い出し、ついでになんとなく山田和明さんの経歴を調べたら
ボローニャと関連があったというわけです。


牛乳より身体にいいということは聞いていますが、スキムミルクを買ったこと、飲んだことがありません。
これでヨーグルトを作るというのも、初めて知りました。
ペットボトルで作ると、固形のヨーグルトと飲むヨーグルトの中間くらいの固まり方になるんでしょうか。
おいしそうですね。

粉乳、シチューやグラタンに使えるなら、これからの季節、わざわざ牛乳を買い置きするより役に立ちそうです。
以前、間違って長期保存(確か1年)の牛乳を買ってしまったのですが、とてもまずかったです。

ところで、下書きを作成してその後投稿すると、最後に下書きした時間が反映されるんですね。
昨日気がつきました。
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子供のころに、全18巻ある世界名作童話集があって、お気に入りでした。
ボロボロになるほど読んで、あるときに親が処分してしまったんですが、これがずっと気になっていて、数年前に買い戻しました。

もう絶版になっていたので、中古で買ったのです。

そのうちの3つの作品で、安野光雅さんが挿絵を描いていました。

この絵本はなにせ挿絵の作家陣が見事で、大人になって読み返すと、物心ついたばかりの子供のときにずいぶんぜいたくな、いい絵をみていたんだな、とおもいます。

安野さんの絵は、非常に繊細で、情緒豊かなもので、3年前に訃報をたまたまニュースでみて、作品を一枚みただけで、あ、これはあの人ではないか、とおもったくらい、子供のころの記憶が心に残っていました。

ハルカスで展覧会をやってるんですね。

じつは安野さんの常設の記念館は全国にいくつかあって、そのうちのひとつがうちから60kmほどの……たぶん都市部だと遠いということになるとおもいますが、田舎だと車で一時間ちょっとの「行楽にちょうどよい」くらいの距離にあります。

興味はあったんですけど、まだ行ってなかったんですよね。

年末まで大阪には帰れそうになく、もうハルカスの展覧会はじきに終わりそうですから、ちかいうちに常設の記念館に行ってみようかとおもいました。
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最近買ったのが、よつ葉の脱脂粉乳1kg。
スキムミルクですね。

牛乳のように日持ちしないものは、スーパーが近くにない田舎だと、常備しにくいのですが、脱脂粉乳にはあんまりいいイメージがありませんでした。

それが意外にも、水に溶かすと、ふつうに低脂肪乳の味わいでした。

もしかして、ぼくが子供の頃より、粉乳の品質が上がってるのかな。



スキムミルク100gと水900ml。

これで1リットルの低脂肪乳になります。

1kgの脱脂粉乳をすべて溶かせば、10リットル分です。

今回は1500円くらいで買いましたが、よつ葉のウェブサイトから購入する場合は1257円で買えるらしいので、次回からは安く買えそうです。

https://www.yotsuba-shop.com/item?catego...



で、このスキムミルクでつくった低脂肪乳を、さらにヨーグルトにします。

まず、1リットルの、もともと炭酸水が入っていたペットボトルにスキムミルクと水を入れて、溶け残りがないようにしっかりシェイク。

できあがった低脂肪乳に、市販のヨーグルトを大匙一杯分入れます。



湯たんぽに熱湯を入れます。

ヨーグルトの種の入ったペットボトルを、タオルでくるみます。

湯たんぽの上にペットボトル。これを2枚の座布団ではさみます。

で、ひと晩置いておくと、翌朝には低脂肪ヨーグルトの出来上がり。

市販のヨーグルトを買うことを考えると、半額以下でできます。

湯たんぽの温度が熱すぎるようにもおもえたんですが、しっかり酸っぱいヨーグルトができました。

低脂肪なのですこし固まり方がゆるいんですが、そもそもペットボトルでつくってるので、固まらなくてもなんの問題もありません。


粉乳は、使いたいときに調製してシチューにもグラタンにもできるし、もちろんホットケーキなどにも利用できます。

よつ葉のホームページをみていると、牛乳を粉にした全粉乳も売られていました。
これも換算すると1リッター198円(税込)くらいになるので、ふつうに牛乳を買うより安いんですよね。

粉にする手間を考えると、なんで牛乳より安くなるのか不思議です。
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NHKのあり方が問題になっていますが、受信料はできたら払いたくないし、無理ならもっと大きな減額をしてくれないかなと思っています。
ただ、日曜美術館・100分de名著・古典芸能など、他局ではなかなか提供できないものも多く、「見ないなら無料」という制度ができたとしても、
やっぱり払ってでも見たくなると思います。

ゲルニカについて、ざっくりしたことは知っていましたが、絨毯爆撃、世界で最初の空軍による大規模な空襲というのは初めて知りました。
広島や長崎にいて、原爆の絵を描いた画家と、どこか共通するものがあるのでしょうか。

音楽にしても、作曲者についての掘り下げた知識は不可欠で、時代背景がわからないで弾いてもだめなんですよね。
ショパンが亡命した時に書いた曲だから、こう弾くべきとか。
ところが今の時代、様々な事実関係がわかってくると、案外、その解釈は間違っていたりします。
時代の進歩の弊害かもしれません。

おとなになってから絵本の真意がわかるということ、確かにそうですね。
「絵本の読み聞かせ」というのがありますが、あれは子どもを楽しませるだけでなく、読む側のおとなも楽しめると思います。
「読み聞かせ」などという、もっともらしい言葉がなくても、子どもは親に絵本を読んでもらって育つことが多いのでしょうが。

シニア対象の講座にも絵本や紙芝居の読み聞かせがあるのですが、利用者は多いです。
自分で読んだらいいのに、と思われがちですが、認知症予防などにいいのだそうです。

絵本の進化もすごいもので、立体式はもはや当たり前、触って楽しめるものなどもあり、シンプルな昔話や童話・民話の類が影をひそめています。
あべのハルカス美術館で、安野光雄の展覧会を開催していますね。12日までですが。
絵本「ふしぎなえ」など展示されているようで、近ければ見たかったです。

現代人がじっくり考える時間がないという話。
電車に乗ると、ちょっと前までは本や新聞を読む人が多かったのですが、最近は99%スマホです。
それも、ゲームをしている人が圧倒的に多く、他は漫画、映画、音楽。
たまにネットショッピングの人も見かけます。
あの時間で本を読んだら(もちろんスマホでも)随分読めるだろうに、と思うのですが、そもそも知識欲というものが薄くなっている傾向があるのかもしれませんね。
こんなことを言うと、小言幸兵衛になってしまうので、やめておきます(笑)

以前は、電車内で読書している人がいれば、何を読んでいるのか確認し、そこから読んだことがなかったものを読む。
そういうことができなくなってしまい、電車に乗ってもつまらないです。
昨日、本を取り出した人がいたので(60才くらいの女性)、なにかな?とワクワクしたら、数独でした。残念・・。
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一見してわけがわからない絵画の代表というとピカソだとおもいますが、かれの絵を読み解こうとおもうと、かれ自身を深掘りしていかねばならないんですよね。

作品を眺めていても、答えが出ません。

たとえば、1937年にスペインの内戦に干渉したドイツ軍団(訂正 ドイツ空軍のコンドル軍団でした)が、スペインのバスク地方にあるゲルニカという街で無差別爆撃を行いました。

ゲルニカはこの空襲によって灰と化しました。

スペイン出身のピカソはこの空襲を受けて、「ゲルニカ」を描きます。

現代のわれわれは空襲というと、特別あたらしい軍事力ではないようにおもえます。

が、じつは当時のゲルニカへの絨毯爆撃は、世界で最初の空軍による大規模な空襲でした。

ピカソは街ひとつを壊滅させてしまうほどのあたらしい戦争の形に衝撃を受けて、空襲から間もなく絵画を制作し始め、一か月ちょっとであの絵を描きあげます。



芸術作品を掘り下げていこうとすると、芸術作品から離れた知識まで必要で、それは個人的な思想やその時代の背景、あるいは数値化できない熱情といったあいまいなものにまで及びます。

でも、絵本は子供の当時に読むと、ただおもしろいというだけなのが、大人になって作品の真意がわかるということがあります。

世界に名だたる芸術作品も、まずは意味がわからないなりに感動や感銘を受けて、それから機会があれば、その作品が制作された背景を知っていくというようなスタンスでいいんだとおもいます。

が、現代は、まず最初に意味が分からないものに接しても、それについてじっくり考える時間がないんですよね。


文語文の作品の翻訳は、今後、それ専用のサイトをつくって書いていこうかとおもいます。

2023年10月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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カブと春菊を初収穫。
まだ小さいので、あと数日畑に寝かします。
カブはそこそこのがとれそうで、春菊はちょっと残念め。
このカブ一畝分で、葉物野菜失敗分は全部取り戻してプラスが出ます。
#野菜
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作家のなだいなださん(1929-2013)は、社会問題を「わかり急ぐな」といいました。

いま起こった出来事を、いまわかろうとしたがる。けれど、そんなことはできないんだ、と。

社会問題が起こって、結果がぼんやりわかるのが10年後、さらに10年したらもうすこしわかるかもしれない。

社会問題の全体像が見えてくるのはそれくらいのスパンであって、いま起こったものごとの顛末を、いま知ることは不可能なんだというのです。



けれど、いま起こっている社会問題にいろんな理由をこじつけて、未来に起こることさえ、あたかもわかったかのようにふるまうような人もいます。

こういうしぐさは、いまだったら陰謀論というんですが、なださんが「わかり急ぐな」といった1985年の当時には陰謀論という言葉がなかったのでしょう。

なださんは「黙示録的な解釈」といいました。

黙示録というのは新約聖書の一部です。

きたるべき世界の終末の際、キリスト教が勝利することを預言(神託)という形で表現しています。

だれも世界の終末なんてわかりやしないのに、わかったようなことをもっともらしく書いているわけですから、キリスト教にはわるいけど、「黙示録 ≒ 陰謀論」とつなぐことはできるでしょう。

黙示録は、キリスト教が迫害されている地域の人たちを応援する目的で書かれたようですが、現代のわれわれも、ショック状態の中でものごとをわかり急ぐと、黙示録的な解釈にすがりついてしまう。

つまり、じぶんたちに都合の良い解釈に頼って、安心を得ようとしてしまうのです。



ウクライナとロシアの戦争が起こってから、いまイスラエルとハマスが戦争状態にある。

こういうことを結び付けて、「ほれみろ、戦争は連鎖するんだ。もう世界大戦が起こるんだ」という人がいる。

「自陣営の勝利を疑わない」という人もいる。

日本だってもう戦前なんだという人もいる。

みんなものごとをわかり急いで、黙示録的に自陣の勝利によって事態が解決することを期待し、その勝利が一刻も早く確約されることを望んでいる。

ただじぶんたちが安心したいがために、みんな心の中で武器を取り始め、いつの間にかほんとうの武器になっている。

しかし多くの人々にとって、この異様な心理状況の、その異様さに気づくのは、戦争が終わった後なのではないか。

あるいは戦後、世界の均衡が曲がりなりにもとれていたのは、この異様さからの戦争を経験して、異様だったことに気づいた人たちが多く生きていたからではないかという気がします。
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3時間かな、4時間かな、それくらいは眠れたんだけど、そこから布団に入っててもなかなか眠れず、もうあきらめて、起きることにしました。

ふだん布団に入ってたら、ともかく途切れ途切れでも眠れるので、きょうみたいなのは、年に1回あるかないか。めずらしいです。

交感神経なのか副交感神経なのかわからないけど、バカになることがあって、ふだん3時間睡眠なんて耐えられない不快なのだけど、いまのところそうでもありません。

たぶん、あとでどんよりと効いてくるんだろうとおもいます。

こんな時間に、雨が降ってきました。

2023年9月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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きょうは朝から集落の草刈りでした。
なんだか年々人数も減っていて、高齢化も進んで、そのくせ刈る場所が増えていくので、負担ばかり増えているような気がします(笑)

#野菜

2023年8月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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ここ数日は、九州方面を抜けていく台風の影響か、風ばっかり強くてちっとも雨が降りません。

梅雨明け以来3週間、一滴も降っていない、というありさまで、サトイモの葉はもう茶色く萎れてしるし、トラクターで畑を耕すと土埃が舞って体中が汚れます(笑)

この風がまた厄介で、植物の水分と体力を奪うんですよね。

先日ご近所の長老と話したんですが、「こんな冴えん年は初めてですよ」とぼく。
この先輩はふだんめったに弱気なことを言わない人ですが、めずらしく「ホンマにそうやな」とうなずきました。

きょうは、葉野菜に見切りをつけて耕し直します。
水やりしやすい圃場なので、秋ズッキーニに転用するつもりです。

ことしの天気は、ほんとうにこのひと言に尽きます。
「冴えん」

#野菜

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