山麓王国

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コンプレックスの件ですが、先週宮講でお酒を飲んでたときのことです。

うちの長老は80でまだ外に飲みに出て五合飲んで帰ってくるという、化け物のような現役の大工なんですが、軽口をたたくのが好きで、冗談めかしながらこんなことをいいました。

「男は金がなかったら女に相手にされんで」

そこで同席していたおなじく80近い女性が「イケメンならどないかなる」と言って、場は盛り上がっていました。

まあ、実際そうなんでしょうけど、どうもぼくにとっては直接的な話でした。

そう考えると、金もなくイケメンでもないぼくは、その点きちんとわきまえておかないと、とんだ勘違い人間になってしまいそうです。

この話があったので、きのうの話をしたというわけです。



「愛のために死す」は、おそらく自由恋愛が社会的抑圧を受けていた時代に、愛に殉死する物語なのだろうとおもいます。

小津安二郎の「お茶漬けの味」という作品も、自由恋愛がテーマになっていました。

そういった物語が裾野を開いたからなのか、現代ではみんな自由に恋愛をするようになりました。



ところでぼくが子供のころくらいに、「最近の子供はみんな背が高くなって、男は男前やし、女はべっぴんが多くなった」といわれるようになりました。

当時はそうなのかな、とおもってましたが、いまになって、その傾向はだんだん強まっているようです。

で、最近気づいたのが、それは自由恋愛の結果だろう、ということでした。

むかしは結婚は、家の専権事項でしたから、親が勝手に相手を連れてくる、当人に相手を選ぶ権利などない、というようなことが当たり前でした。

親としても、家が続いていくことが大事なのであって、相手の見目はほとんど気にせず、男だったらよく働くか、女だったら気立てがよいか、というくらいのことが重視されていたとおもいます。

しかし自由に恋愛をしていい、ということになると、当人にも欲があるから、知らず知らず見目のよい相手を選ぶようになる。

見目の良いふたりから生まれる子供は、やはり見目がよい確率が上がるわけです。

そのようにしてほんの数世代で見目のよい子供がたくさん生まれるようになり、いまの社会の自由恋愛においては、そういう無意識(ほんとうは無意識ではないんでしょうけど)における選別が行われているのでしょう。

で、見目の問題なしにこのゲームに参加するには、お金が必要だということになる。

ぼくはというと、そういう土俵からはさっさと下りてしまうのです(笑)




ガラスに写っていた方は、マスクをしていて、服装からみておそらく女性だろうということ以外は、判断できませんでした。

もしギズモさんだとしても、仮に実際にお会いして、あの写真でみたとおりだ、という判断はできないとおもいます。

しかしもうこの件に関しては、ぼくとしては「見た目は関係がないのです」としか言いようがありません(笑)
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「ちっちゃな時から」は知らなかったので聴かせていただいたら、確かに和田アキ子のイメージが強く、調べたら「どしゃぶりの雨の中で」の作曲者と同じでした。
名前は使い分けているようですね。
「ちっちゃな時から」のイントロは、「必殺仕事人」のテーマにも使えそうな雰囲気で、かっこいいです。

春夏秋冬のインタビュー、知りませんでした。
ありがとうございます。
このエピソードたちは、すごいですね~。
なぎら健壱が言った、「同じ春夏秋冬でも、その時代で歌い方が変わっている。それは歌に込める感情も変わっているから」というのは、とても考えさせられます。

タクシー・ドライバーで、戦争を経験した人が社会に溶け込めないというのは、なんとなくわかります。
日本でも学生運動が起きていた頃、フランスでも五月革命がありましたよね。
ちょっと話が飛びますが、五月革命の時の、高校教師と教え子の男子生徒との激しく純粋な恋愛を描いた「愛のために死す」という、実話をもとにした映画があります。
その主題歌を、シャルル・アズナヴールが作ったのですが、日本ではちあきなおみが歌っています。
ただ、歌詞は訳詞ではなく、違う話になっていますが。
「世の中がよくならない閉塞感」のようなものを、この映画からも感じます。

あ~~、ベラのことで、よけいな気を遣わせてしまいましたね。
ごめんなさい。
「うかつ」だとは、ぜんぜん思いません。

私が言うところのベラは、ヘアスタイルがあんな感じで、麗子像にも共通点があり、美人・不美人ということでなく、おどろおどろしいというか、
ちょっと不気味な感じのイメージなんです。

「男として評価されるであろうことはことごとくダメ」だと、人を評価する立場にないんですか?
そんなことはないと思います。
「男として評価されるであろうことはことごとくダメ」というのも、自己評価ですよね。
それに、殆どの人は自分というものを知ることなく、他人を評価しているように思いますし、私もそうです。
自分の歌唱や演奏や、曲作り、そういったものを棚上げして、人をけなすことはよくあります。
と言っても、人前でけなすのではなく、あくまで心の中で評価しているのですが。

ビジュアルのコンプレックスは、多かれ少なかれ、誰にでもありますよね。
けっこうな美人でも整形している人も多いし、ちょうどいい体型でもダイエットに夢中とか、人の美意識はそれぞれです。

コンプレックスのない人よりある人の方が人間的に好感が持てますし、美人なのに話題が芸能界の事ばかりとか、イケメンなのに自分の意見というものがない人たちとは、
1分も一緒にいたくないです(笑)

・・・・ガラスに? 写ってました??

~~ただいま確認中~~

念のためお伺いしますが、その写ってる人、美人でした?(笑)
それは冗談として、これ、ぼんやりしていてはっきり限定できません。
私より年配の人にも見えます。
これを撮った時、七五三の人が多く、けっこう賑わっていたので、他の人の可能性も高いです←言い訳ではないです(笑)でも私かも、というのは否定できません。

雲海の写真、本当に素晴らしいですね。
月並みな表現ですが、幻想的で美しいです。

椿山荘というホテル&結婚式場が目白にあるのですが、国内最大級の霧の庭園の演出「東京雲海」、という人工的な雲海を見せる時間があります。
とてもきれいでしたが、農園主さんの写真を見たら、雲泥の差ではなく雲海の差です。
人工のものと本物を比べる意味もありませんが。
素敵な写真、ありがとうございましたヾ(@⌒ー⌒@)ノ
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朝日楼が持ち歌というのは、すごいです。

春夏秋冬はいかにも男くさいようなフォークソングですが、YouTubeにはなかったものの、森山良子もカバーして歌っておられるようですね。

いつか機会に恵まれればギズモさんが歌われるのを聞いてみたいものです。



春夏秋冬についてすこし調べて考えてたんですが、こんなインタビューがありました。

https://gendai.media/articles/-/97726

この中で、春夏秋冬が売れた理由について、こんな会話があります。

田家 当時は学生運動に挫折した人たちに代表される、世間に迎合したくない、あるいは出来ない若者も多くいた。そうした若者がシンパシーを持って受け入れたんでしょうねって、他人事みたいだけど(笑)。

泉谷 世の中を変えようとしたが、うまくいかずに挫折する。その気持ちがこの曲と合致したらしい。ただし、個人的に戦争には反対だが、その考えを歌にしようと思ったことは一度もない。




この会話で、ふとおもったのが、映画『タクシードライバー』のロバート・デ・ニーロでした。

この作品の主人公は、ベトナム戦争あがりでPTSDのような症状が出ていた男なんですが、そのあと社会にうまく迎合できません。

そして、うまくいかないのは、じぶんがおかしいからではなく、社会のほうがおかしいからではないかとおもうようになります。

実際、街は退廃しており、政治も腐敗。

そこで男は、社会を変えようと決意する……という作品です。

タクシードライバーは春夏秋冬の4年後に発表されているのですが、アメリカと日本と事情はちがえど、社会のありように不満を持ちながら、じぶんなりの理想を求めて行動しても、世の中がよくならない閉塞感が、1970年代を覆っていた空気なのではないか、という気がします。




ひとつ言い訳というか、ベラのイメージについて、おもしろおかしく話してしまいましたが、個人的にはわるいイメージがありません。

突っ張って、強く生きていながら、弱さも優しさもちゃんと備わっている、というイメージです。

すこし話がそれますが、ぼくはたとえば女性の見た目は、……ぼくはいちおう相対的に美人かどうか判断はつきますし、それがその人のアピールポイントであるのならもちろん合わせますが、人間として付き合うにあたって、ビジュアルは関係がありません。

こんなことは言ったが最後、底なし沼にはまるような話ですが、ぼくなんかはビジュアルも経済力も、一般的に男として評価されるであろうところはことごとくダメで、人を評価する立場にないわけです。

なので、人のビジュアルのコンプレックスを刺激するような土俵からは、できるだけ下りるようにとおもっていました。

特に女性相手に限ったことではなく、お互いにコンプレックスも包括して居場所になるような人間付き合いが望ましいんですが、だからといってじぶんからコンプレックスを捨て去るのはむずかしいですし、きのうのベラの話のようなことをポロっと言ってしまうあたり、まだまだぼくはうかつです(笑)



六所神社、クシナダヒメとスサノオが祭神なんですね。

源頼朝、北条時政などのつながりのある由緒をみて、これは去年の大河ドラマの『鎌倉殿の十三人』のときには観光でにぎわっただろうなとおもいました。

ほんとうに、出雲大社をおもわせる立派なしめ縄です。

しかしこれを稲でつくるというのは、あらためて考えると相当不思議なことですね。

写真をみてたんですが、ガラスに写り込んでるのはギズモさんでしょうか?


ところでうちのあたりは今朝、非常に霧が深かったので、配達のついでに雲海を見に行きました。

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朝7時前、ことしは周囲一面みごとな雲海がみられました。
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岡林信康の曲で、山谷の労働者の暮らしぶりを歌った「山谷ブルース」がありますが、フォークは、反戦や政治批判、労働歌などメッセージ性の高いものであったものが、
時代とともに穏やかなものに形を変えていったように思います。

私もかぐや姫あたりから聞くようになり、岡林信康や泉谷しげるなどは、ずいぶん後から仕事の一環として何曲か聞いた程度です。

泉谷しげるの「春夏秋冬」は、10年ほど前、仕事で歌いました。
病院の職員の新年会に呼んでいただいたのですが、そこは共産党の病院でした←私はその病院にも共産党にも関係はないのですが、ご紹介で。
全部で10曲ほど歌いましたが、なぜこれを選曲したのかまったく思い出せません。
思想的に問題がなかったのか今になって気になります(笑)

アメリカあたりのフォークは、もともと「叫ぶ」の意味合いがあったようですが、日本でもそのような歌い方のイメージが大きく、
ストレートな歌詞もあれば、よく読めば何かを示唆しているものもあったかと思います。
かぐや姫は全体的にのんびりした感じが多いけれど、たまにシャウトしているのがありましたね。

「朝日楼」、持ち歌なんです。
ご存じだと思いますが、「朝日のあたる家」は、アメリカの古い民謡ですが、それをアニマルズがブルース的にカバーして大ヒットしました。
「朝日のあたる家」が刑務所を示唆しているので、女性版として遊郭と表現したのが浅川マキですね。
「朝日のあたる家」だと、なんとなく単調になるものが、浅川マキの詞によって、農園主さんの仰る、情念や怨の要素満載の歌になり、
この歌詞だとああいった歌い方しかなくなるわけですね。
これが持ち歌と聞くと、私のイメージもベラになってしまいそうですが(笑)

歌詞だけを変えてもこれほど違う曲になるので、やはりこれも農園主さんが書いていらっしゃるように、コピーではなく、「じぶんの色を出して遊ぶ」ことが、
音楽の楽しさのように思います。

「変装用メガネ」は、度が入っていない素通しレンズのメガネです。
そんなものをわざわざかけるくらいならば、かけなくていいではないかという自問自答をしながら敢えてかけているのですが、ただの「度なしメガネ」というのがつまらないので、そのような愛称になりました(笑)

今日は、お隣の神奈川県。大磯にある「六所神社」に行ってきました。

御創建は2100年ほど前、崇神天皇甲申の歳(紀元前97)、出雲地方より移住した氏族がこの地域を「柳田郷」と名付け、彼らの祖神である櫛稲田姫命、素盞嗚尊、大己貴尊(大国主命)を守護神とした。


一年ほど前にお参りしたことがあったのですが、昨日の夜なんとなくHPを見ていたら、今日が5年に一度の大しめ縄の掛け替えの日でした。

出雲大社の大しめ縄を製作している島根県「大しめ縄創作館」に奉製を依頼しております。


行った時は掛け替えは済んでいましたが、ピッカピカのしめ縄に心がす~~っとしました。



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車は怖いですね。
巻きこまれなくて本当によかったです。

(追記)
去年10月の六所神社です。しめ縄の色、違いますね。

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そういえばきのう、朝6時半くらいのこと。

配達を終えた帰りに、国道を走っていたら、前の車が寝ぼけてたのかなんなのか、カーブ道で時速60kmくらい出しながらガードレールにぶつかりました。

「がしゃん」という音がして、車の軌道が変わるほどでしたから、けっこうな衝撃だったとおもいます。

エアバッグが出てもおかしくなさそうですが、あれくらいでは出ないのかもしれません。

そのまま走り続けていたので、ぼくも後ろをついていたんですが、10分ほど走って前の車が右折するとき、追い越しざまに車をみたら、左のボディがボコボコになっていました

後ろからみていたらわからなかったんですが、カーブでガードレールに気づいてあわててハンドルを切って、結局横から当たった格好だったのでしょう。



黒いセダンで、たぶんミドルクラスの乗用車だとおもうんですが、あれを修理するとなると、10万ではすまないだろうなとおもいます。

もちろん、命にかかわるようなことじゃなかったのならよかったというのが傍観者の感覚ですが、当人はきっといろいろおもうこともあるでしょう。

ほんの数秒の不注意でタイヘンなことになってしまうんですよね。

他山の石として、ぼくもいよいよ気を付けようとおもった次第です。

#与太話
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岡林信康は、むかしうちの隣町に住んでいたようです。

しかしぼくのフォークの知識は、かろうじて吉田拓郎に届くかどうかといったところで止まっていて、岡林信康までは届いてないんですよね。

ぼくの場合は、かぐや姫とかチューリップ、長渕剛あたりから入っていて、それはぼくらの世代では多くがそうなんじゃないかとおもいます。

それよりひとつ世代をさかのぼると、ぼくが生まれる前の、50年代60年代の時代の特徴が理解できていないと、曲のよさを知る取っ掛かりがつかめないような気がします。

友川カズキや吉田拓郎もそうなんですが、フォーク黎明期あたりの音楽はちょっと手が届きにくいというか、かれらの曲は網羅して聞くよりも、つまみ食い的に好きな音楽をたまたま見つける、という感じになりがちです。



ちあきなおみに妖怪人間のベラを感じたというのは、ただしいとおもいました。

というのも、たぶんあの系統のミュージシャンのラインがあるんですよね。

ぼくの知る限り、その系統のパイオニアにあたるのが浅川マキです。

浅川マキは、演歌にもあるような「怨」だとか「情念」といった要素を抽出して、歌謡の世界に持ち込んだというか……アンダーグラウンドとしか言いようのない世界観で、一種熱狂的なファンを獲得していました。

その路線の延長線に、ちあきなおみや藤圭子があって、彼女たちも「怨」や「情念」を抽出してるんですが、浅川マキよりは商業的に洗練されています。

で、さらに彼女らの亜種、発展形のようなラインに、中島みゆきや和田アキ子がいます。

変わったところだと、森田童子もそうだとおもいます。

以下は浅川マキの「朝日楼」(もとはアメリカのフォークソング)で、次がおなじ曲を歌うちあきなおみです。

ちあきなおみの動画の最初に、「訳詞 浅川マキ」とあります。





あと浅川マキの「ちっちゃな時から」という曲があるんですが、このファンクな曲を聴くと、和田アキ子がこの系譜にあるのもお分かりいただけるとおもいます。



浅川マキを画像検索したものを貼り付けておきますが、妖怪人間ベラ系統の総元締めのような圧倒的存在感があります。

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ギズモさんは近眼なんですね。

ぼくはもう、一般的な人よりもはるかに早い老眼で、もう50~60代の方のレベルの老眼鏡をつかっています。

変装用のメガネ……ギズモさんは有名人なのでしょうか?



歌は本人が歌ったものがいちばん伝わるというのは、ぼくもそうおもいます。

そのうえで、個人的にはカバーをする人がどのように元歌の解釈の幅を広げるのか、ということは楽しみで、たとえばビートルズのカバーなんかだと、たまに特大ホームランを打つようなミュージシャンがいたりするんですよね。

そもそもハードルが高いところを越えてくるような作品が、ごくたまにあるのを探すのが楽しいというか……ぼくはヘンな楽しみ方をしています(笑)

日本のミュージシャンの場合はよく、「カバーじゃなくてコピー」と揶揄されることがありますが、もうすこしじぶんの色を出して遊んでもいいような気がします。
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以前、おひとりが亡くなったというお話は伺ったことがありますが、その後も。そうでしたか。
60代ではまだまだというお年ですよね。

歯だけでなく、目の問題もありましたね。
その頃、「目病み女に風邪ひき男」という言葉があるくらい、眼病の人は多かったらしいですね。
特に江戸は風が強く埃っぽくて、失明する人もいたとか。

現代の字のポイントの小ささは、本当になんとかしてほしいと思います。
目のいい人も悪くなりそうです。
近視なので老眼鏡は作ったことがないのですが、「(遠くを見る)外出用」「度なし(変装用・笑)」「楽譜がよく見える、度の低いもの」の3つを使い分けていて、ややこしいです。
遠近両用は間違いなくめまいがするので、原始的な方法で乗り切っています(笑)

「夜へ急ぐ人」、フォークの方が作って提供したとは知りませんでした。
友川カズキさんも知りませんでした。
ご本人の歌は、さすがに迫力がありますね。
ウィキペディアをざっと見ましたが、岡林信康に憧れてフォークの世界に入ったとか、やはり雰囲気に影響を感じます。

最初にちあきなおみの「夜へ急ぐ人」を聞いた時、妖怪人間ベムのベラのイメージが強くて(笑)
歌詞の中の、「燃える恋ほどもろい恋」という部分、なんともいい歌詞だし言い得て妙だなと思っていましたが、男性の作詞とは驚きです。

歌は、いろいろな人がカバーしたりすることが多いですが、やっぱり作った本人が歌ったものが、いちばん伝わってくるように思います。

「伝わりますか」、初めて聞きました。
これもいい曲ですね。

ところで、何を言っても打てば響くので、本当に脱帽です。
何個、帽子を脱がされたかわかりません(笑)
帽子の数え方を念のために調べたら「個」なんですね。
何となく「帽子1個」はピンときませんが、「個」でいいんだ・・・・と、感心した次第です。
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じつは、自治会内でコロナ以降、ぼくを除いて5人いた現役の60代の自治会役員が2人亡くなり、先月から50代のひとりが入院しています。

もう自治会員の減少どころではない話で、さすがに牛頭天王にも頼りたいくらいの気分だったんですよね(笑)



じゃりン子チエの作者のはるき悦巳さん、どんな方なのかわからないんですが、どうも80年代に徹子の部屋に出てたらしいんですよね。

ネットにはその動画も見られず、もちろんはるきさんがそれを望んでいないなら、今後情報が出てくることはないのでしょうけど、あんな情緒のある作品の描ける方がどんな方なのか、気になるところです。

じゃりン子チエのお好み焼きは、ほんとうにおいしそうなんですよね。



歯が抜けたままの人という話から派生するんですが、むかしの本は文字が大きくて、あれはもちろん墨字であることもあるとおもうんですが、ひとつは老眼をはじめ、視力が低い人への配慮だとおもうんです。

40を越えればみんな多かれ少なかれ老眼が始まって、いまみたいに老眼鏡はありませんから、みんな文字が大きくないと読めなかったんだとおもうんですよね。

江戸時代には印刷技術も発達しますが、いまの雑誌のようにポイントの小さい字をつかうと読めない人が多かったんだろうな、と推測しています。



ちあきなおみは、いいですよね。

暗いはしけ、聞きました。こういう、突っぱねるような歌い方がバツグンにうまい人だとおもいます。

いまこの年になって聞くと、当人は等身大の、お話ししやすい人のような気がするんですけど、やっぱり才能が突出してますね。

ぼくはフォークの奇才、友川カズキの作曲した「夜へ急ぐ人」が好きなんです。



友川カズキのバージョンはこちらです。



動画4分ごろから曲が始まります。

あと、ちあきなおみの中では、ASKAの「伝わりますか」も好きです。

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ゆっくりできたようでよかったです(*^^)v
牛頭天王のパワーをたくさんいただけたのではないでしょうか。

歯!!!
あ~~、完全に見落としていました。
よく気がつきましたね、さすがです!!

歯が抜ければ隙間ができて、当然息の漏れも起こるわけなので、特にオペラの歌手は歯を大事にしているようです。
昔は金歯が流行だったのか、笑うと口がキラっとするおじいさん、おばあさんがいました。

室町時代あたりから入れ歯はあったようですが、江戸時代では家康も使っていたとか。
一般庶民には手が出るはずもなく、歯が抜けたままの人は相当多かったのもしれませんね。

漫画に出てくる人物って、けっこう歯が特徴的なキャラクターがいますね。
「じゃりン子チエ」は知ってはいましたが、ちゃんと見たことがないので、さっきネットでチラッと見てみました。
作者は、大阪生まれで、多摩美大出身なんですね。
確かに歯の描き方がとても印象的です。
お好み焼きが食べたくなりました(笑)

なにかしらの事件が起きると、現代でも小説や漫画などになることが多いですよね。
そこに真実がどのくらい書かれているのかわかりませんが、読んだ人は、事件のことを誤って認識する可能性は高いですね。
お七さんにしても、様々なジャンルで様々な物語になり、「え~~、あたしそんなことで火をつけたんじゃないのにぃ~~~」と憤慨しているかもしれません(笑)

「籠の鳥」、聞いてくださったんですね。
東海林太郎は正統派ですが、ちあきなおみもお聞きになったとは。
ちあきなおみの「籠の鳥」は聞いたことがなかったので、聞いてみました。
引退したのが本当に惜しまれる、みごとなまでの歌唱力のある歌姫で、私の大好きな歌手であり、お手本です。
「喝采」のような歌謡曲ではわかりにくいですが、ポルトガルのファド「暗いはしけ」や、ジャズ、スタンダードの歌唱は素晴らしく、
カムバックしないかなぁと思っているのですが、残念ながら実現することはないようです。
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葉物野菜はまだよく売れています。

ことしは暖冬を見込んで、ふだんなら雪でダメになる時期のぶんも葉野菜をつくりました。

それがよい感じに作用しています。

先日計算してみると、去年より年収が増えそうなのでおどろきました。

夏野菜が壊滅的にわるかったので、ことしはもうダメだとおもっていたのですが、去年つくったサトイモが上出来で、ことしの1月いっぱい売れたことと、秋野菜が順調で高く売れたこともあって、取り返したかっこうです。

でも、ことしの物価上昇分で相殺されますけども。

夏野菜がもし安定していたらもっと収入が上がっていたのですが、百姓は3歩進んで2歩下がるようなものでなければならないともおもいます。

足るを知るというか……がんばってもがんばってもいろんなことに足を引っ張られる、非効率的で、うまくいかないことを嘆いて、それでもなんとかかろうじて食っていくことくらいはできる、くらいがよいです。

#野菜
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なぜ「ひ・し」が関西・関東で逆転するのか、最終的にわからない、という見解は、プロだからこその深みを感じました。

個人的に推測するに、むかしの人にその傾向が多かった要因のひとつには、歯の問題があったのではないかとおもいます。

先日「じゃりン子チエ」をみたんですが、お好み焼き屋の親父はまだ50代だとおもいますが、もう歯が抜けていました。

30代のテツはまだ歯があって、60~70代とおぼしきおじい・おばあはもちろん歯が抜けています。

特徴的なのは、部分的に抜けた歯をそのままにしていることでした。

あれは漫画ですが、けっこうその時代の特徴をあらわしているような気がします。

そういえばうちの田舎の老爺にもそういう人がいますが、どことなしに声がふがふがして、不明瞭です。

現代では、歯を抜けたまま放置することがめずらしくなり、言語は明瞭になったとおもいますが、それでもなぜ関西と関東で「ひ・し」の逆転現象が起こるのか、という理由にはなりませんね。



お七の行動原理は、ギズモさんのおっしゃる通りだとおもいます。

女心には多かれ少なかれお七のようなところがある、ということですね。

惚れた相手に会いたい一心で自宅に火をつけた事件自体はあったのかもしれませんが、あとは野次馬による伝言ゲームで、場所もなにもかも曖昧になり、話に尾ひれはひれがどんどんついて、おおげさでぼんやりした物語になっていった、というところではないかとおもいます。

実際にその現場にいて、ほんとうはこういう顛末であった、ということを知っていたのは、ほんの一握りだったでしょうし、かれらが真実を語っても、おもしろおかしく騒ぎ立てる野次馬の声にかき消される状況だったとおもいます。

「籠の鳥」、ちあきなおみと東海林太郎の歌ったものを聞いてみました。
大正14年に発表とありましたが、このころからすでにいまに通じる直球スタイルの演歌があったんですね。



お札は年が明けてからしばらくして、神社の総代さんが自治会に配ります。

きのうは和やかに会は終了し、そのあともぼくは牛頭天王といっしょにお酒を飲んで、一日ゆっくりしました。
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「ひ」と「し」が正しく発音できないのは、他の地域にもあるようで、例えば北海道では「旭川」を「あさしかわ」と発音する所もあるようなんです。

仕事でボイストレーニングもやっているのですが(歌だけでなく発音も)「ひ」「し」の発音は誰でも曖昧になりやすい傾向があるようです。
「ひがし」も、「しがし」に聴こえてしまう人はけっこういます。
「ひし形」となると、「シシガタ」に聴こえてしまい、案外多くの人が曖昧な発音で、聞き取りにくくになります。

三代東京に住んでいる人がそうだとか、遺伝とか諸説ありますが、私が考えるところでは、江戸っ子特有の巻き舌的なべらんめぇ口調と、
威勢のいい早口の癖が、発音不明瞭の言葉を作っていったようにも思います。
そういう話し方をする家庭に生まれたから、それを聞いて育ったからといって、そうそう上手に「ひ」「し」が混同したり入れ替わったりしないと思うんですが(笑)
現代でこういう話し方をする人は、ご高齢の一部の人のようですね。

実際は、舌の横方向の形状に関係があるらしいのですが、詳しい理由はわかりません←これだけ書いて結局わからない(笑)


東京の場合、代々住んでいる人はそんなにいるわけではなく、戦後の集団就職あたりから東京に出て来て、そのまま住み着いたというほうが多いかもしれません。
これは、農園主さんが1133で書いていらっしゃる、「それぞれちがった習俗や文化を持ち込む」というお話のように、東京もそういうところだと感じます。
(追記1)
お正月のお雑煮の作り方が家庭によってずいぶん違うのは、その一例かと思います。

お七の話、事実はほとんど不明で、大げさに脚色されたものばかりですね。
昨年あたりでしたか、お七のことを少し詳しく調べてました。
気性が激しいから火をつけた、という話も読んだことがありましたが、農園主さんが書いていらっしゃるように、論理の飛躍だと思います。

女心というものを私なりに考えると、一途に思いつめた末のことで、当時火付けが死罪とわかっていての行動。
自宅が火事になれば、愛する人のいるお寺に避難でき会えるという、短絡的思考ではありますが、会いたい一心だったとわかります。
会いたさ見たさに怖さも忘れ、という歌もありますが(大正13年 籠の鳥)、本当に必死だったんでしょうね。

お七が処刑されたあと、お七の棺に両親がお七が執着した着物をかけてやるのですが、寺男たちが小遣い稼ぎに振袖を質屋に(ひちや・しちやが出てきました)売ってしまいます。
それを親に買ってもらったある娘が、原因不明の病で寝込み死んでしまうのですが、その日は、お七の処刑された日。
そして一年後、やはりお七の命日に原因不明の病で死んだ娘は、その因縁の着物を着てから寝込んだのだとか。

棺にかけてやって、供養されたはずの振袖がまだあったということを知ったお七の親が、今度こそお七の振袖を供養しようとお寺に持って行くのですが、
不思議なことに追記2 振袖に火がついて、その火があっという間に燃え上がり、江戸の大火(明和の大火)となったというお話は、実にもっともらしくできています。

ただしこれは、本郷の質屋の娘、お梅の話と実に紛らわしく、お梅の場合もとても似た話でありながら、振袖火事=明暦の大火とされていて、よくわかりません。
脚色されやすい題材なんでしょうね。

(追記3)
明暦のほうが明和より前なんですね。だとすると、お梅の話のほうがお七より先ということになります。あ~よくわからない(笑)


今日は、お札3体をいただく日でしたか?
ずっと続いてきた慣習をやめるというのも一苦労かと思いますが、それこそ心が伴わない単なる儀礼、習慣ならば、負担のないように行事を減らすのはいいことですね。

寒山拾得が軍服を着せられ~~、というのは、なんだかとても考えさせられますね。

お七の事から「籠の鳥」という歌を思い出し、何気なく検索していたところ、桂吉朝が「狐芝居」という上方落語の中で、実際にこの歌の冒頭を歌ったと書いてあり、
さらに検索しましたが、動画は残っていないようでした。
どんな話かな、とYouTubeを探したら、「ふじいでら素人噺の会」の「可笑家五目」という人のものがありました。
歌は歌っていませんでしたが、この人本当に素人? うまいな~~と思いました。
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出かける前に、ちょっとおもったことをメモ代わりに。

世の中は均衡をとろうとするので、引っ張るチカラを強めると、向こうから引っ張り返すチカラも強くなります。

じぶんが一方的に引っ張り続ける、ということが……たとえじぶんの一生の間はそれでいけたとしても、不均衡はいつかかならず是正されます。

あるいはそれは子孫が根絶やしになるほどの革命かもしれませんし、もっとべつのカタチかもしれません。

当然じぶんが生きている間に是正されてダメになるかもしれない。

人間が、そのような引っ張り合いの土俵からおりるのはもっとも望ましいようにおもえるのですが、国家はそれを許すでしょうか。

第二次世界大戦のような戦場で、寒山と拾得が軍服を着せられ、銃剣を担がされているような風刺を、ふと想像していたのです。

#与太話
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きょうは自治会の宮講といわれる行事があるんですが、まあお酒と一緒に食事会をするだけです。

きょうは野菜の配達のみにして、ひさしぶりに午前中を休みにしました。

午後は、様子を見て収穫するかどうか決めます。

牛頭天王の掛け軸を飾るんですが、これはおそらく江戸時代以前のもので、地域の八坂神社が以前祇園社だったころの名残で、末端の氏子はスサノオではなく、いまだに牛頭天王をまつっているようです。

しかしいまでもよその田舎では宮講というと、ぼくのような人間には堅苦しくてイヤになってしまうような儀礼や型が多いようですが、うちのあたりではもう、お酒をふるまう食事会と化していて、儀礼というと掛け軸に向かって拝礼する程度のことです。

その儀礼も、二礼二拍手一礼をするんですが、祇園社を神道とみるとか、仏教とみるとか、祝詞をとなえるとか、そんな堅苦しいことも考えないあたりが、じつによろしい。

そんな宮講でさえ、もう人が集まらなくなって、もう来年からは開催しないというのでもいいのではないか、という声が聞かれます。

よその自治会ではもうやめているところもあるらしいです。

まあ、移住者が増えてきた昨今、地域でおなじ神仏を信心するという時代ではありませんし、実際わずらわしい行事を減らしていかないと、自治会の役員も少なくなって負担がタイヘンです。

やっぱり神様というのは、イザナギが言ったとおり、人が千人死ぬのであれば、千五百人生まれるようにしてやる、というような社会であってこそ信仰されるものです。

いまの中山間部のように、人が死にゆくままになって、外から人を呼んでなんとかつじつま合わせをしているような地域では、それぞれがちがった習俗や文化を持ち込むわけですから、なかなか信仰をまとめることもできないことでしょう。

#与太話
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八百屋お七のことはほとんど知らず、恋する男に会いたいために家に火をつけるという話を知っていただけなんですが、ほんの軽く調べた状態でふたつほど、横道にそれるような雑談を。

Wikipediaを読み飛ばすように読んでいたところ、お七は丙午生まれなのではないか、という俗説がある、ということを知りました。

丙午に生まれた女性は気性が激しい、という迷信に基づいています。

気性が激しいので、恋する男の家に火をつけるようなことをするんだという、論理の飛躍です。

が、それでふと合点がいったのが、元東京都知事で意地悪ばあさん役をしていた青島幸男が書いた『人間万事塞翁が丙午』でした。

この作品は直木賞を受賞してるんですが、それなりに分厚い本で、東京日本橋で戦前戦後を生きるハナという女性の半生を描いています。

高校生のころに読んだというのもありますが、作品中に、丙午生まれの女性の気性が激しいという説明が出てきたかどうか記憶になくて、ずっと「どうして塞翁が丙午」なんだろうとおもっていたんです。

「人間万事塞翁が馬」という故事は、幸不幸は予想がつかないという意味ですが、これに丙午という言葉をくっつけて、「丙午生まれのハナが、予測のつかない時代をたくましく生きる」という意味だったのか、といまさら気づいたという次第でした。



あと、お七という名前なんですが、大阪の人は……まあむかしの大阪の人ですが、これを「おひち」と読みます。

「し」という言葉が「ひ」になってしまうようです。

なので、大阪では質屋の看板の横にわざわざ「ひち」とルビを振ってあるのを見たことがあります。

しかし「シシ鍋」が「ヒヒ鍋」になるようだと、サルを鍋にしているようでギョッとします。

逆に江戸っ子は……これもむかしの江戸っ子なのだろうとおもいますが、「ひ」の発音が「し」になってしまうといいます。

「昼間」が「しるま」になるような感じでしょうか。

これも「マントヒヒ」が「マントシシ」になるようだと、マントを着たイノシシを想像するわけですが、大阪と東京では「し・ひ」の発声が逆になるということを、ふとおもい出した次第です。



あと、東京と大阪の人……あるいは地域による人々の性格的特徴の違いは、仏教の宗派によるところが大きいのではないかとおもったんですが、これはまたべつの機会に。
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禅問答を仕掛けたということは、答えがあって答えがない、というものになるのでしょうね。
でも、人によって解釈が違っていいのか、答えはひとつなのか気になるところではあります。

山椒大夫は、丹後が舞台だとしか知りませんが、その民宿のあたりなんですね。
民宿に寒山拾得などという名前をつけるとは、何か理由があるように思います。

森鴎外の娘、森茉莉の書いた「父の帽子」は、中学の時の国語の教科書に載っていました。
今、森鴎外記念館になっているところが森茉莉が育った家なのですが、当時、「駒込千駄木」といわれた場所で、私が生まれたのは豊島区駒込ですが、
そこよりずっと東大のある本郷に近い文京区千駄木になります。
八百屋お七で有名な吉祥寺も、本郷に近い、現在の文京区本駒込ですが、当時「駒込吉祥寺」と呼ばれていました。

それはどうでもいいのですが(笑)、鴎外も茉莉も、墓所が禅林寺といい、東京都下の三鷹市にあります。
「禅」がつくので調べてみたら、やはり黄檗宗のお寺でした。
鴎外と禅宗、どういう関連があるのか、気になりだしてしまいました(笑)
太宰治は、本人の希望で、鴎外の近くに埋葬してあるようです。
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鴎外はたぶん、わかる人だけわかってくれればいい、という形で、読者に対して禅問答を仕掛けたのだとおもいます。

ぜんぶ解けるようになっているはずなんですが、まだ仕掛けがあるような気がしてなりません。


寒山寺、日本にもあったんですね。

特に青梅市の三無の寒山寺は、なかなか風狂なお寺です(笑)

舞鶴の寒山拾得も気になりますね。

しかしこの民泊のある場所は、偶然なのかなにか縁があるのか、森鴎外の『山椒大夫』で、山椒大夫が支配していた場所にかなり近いです。

ちなみに舞鶴のあたりは海に面しているからか、民宿がたくさんあります。

子供のころはこのあたりに親戚がいて、会いに行った後、母方の一族みんなで海の民宿に泊まって、海水浴や釣りをしたものです。

大阪の寒山寺、ぼくもホームページを拝見しました。

もともと琵琶湖のほとりにあって、蘇州の寒山寺に似ていたそうですが、1634年に創建された当時の寒山寺がどこにあったのか、どういう眺めだったのか、気になるところです。
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くどいほどの説明をするタイプの作家だと、私が意味がまったくわからないと挙げた、
「僧らが、ぞろぞろと来てたかった」「道翹は真蒼な顔をして立ちすくんでいた」のところなど、きちんと説明をしないと読み手が理解できないことに気がついていたのに、
敢えてそうした、と考えていいことなのかもしれませんね。

寒山拾得縁起は、その補足というか言いたかったことを、寒山拾得とは打って変わったユーモラスなものにして書いたのかもしれないと思います。
それでも、充分に書いたとは言えないのかもしれませんが。

鴎外が緻密な仏教のパズルを作ったというお話ですが、鴎外は仏教にどのような思い入れがあったのか、知りたくなってきました。

今回、寒山寺や、寒山拾得を調べていたら、東京都下・青梅市にも寒山寺がありました。
蘇州の寒山寺に因んでいるという小さなもので、無宗派・無住(住職不在)・宗教法人格無しの三無の寺であるということですが、これではもう「寺」ではないですね(笑)


大阪にも寒山寺があったんですね。
箕面の寒山寺は臨済宗で、HPで見るとかなり古い、立派なお寺のようです。


もうひとつ、これも偶然見つけたのですが、寒山拾得という農家民宿が、舞鶴の西方寺という集落にありました。


https://www.uminokyoto.jp/gourmet/detail...

蘇州料理かと思いましたが、ジビエ中心みたいですね。
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鴎外がもっと書きたかったのをおさえて書いたのではないか、というのは、ほんとうにそうだとおもいます。

ぼくもおなじことを考えていました。

ふつう物語は肉付けしていくものなんですが、もともと寒山寺に伝わっていた伝承を物語にするにあたって、極限まで徹底して引き算してますよね。

そのうえで、仏教の摂理に対して、つじつまが合うように仕上げています。

なにも参考にせずに書いた、といいますが、ギズモさんもおっしゃっていたように、かなり調べてから書いているようにおもえます。

鴎外はほかの小説では、ちょっとくどいくらい説明をするタイプの作家だったりします。

念押しのように説明を加えてくるので、読み手が想像する自由を失うと批評されているほどなんですが、寒山拾得に関しては、前知識なしではなにがなにやらさっぱりわからないくらい絞って書かれています。

すさまじいのは、『寒山拾得縁起』の最後のひと言でした。

「実はパパアも文殊なのだが、まだ誰も拝みに来ないのだよ」

鴎外は、じぶんの中にも仏性が宿っている、ということをユーモアを交えて、きちんと伝えているんです。

おとといから読解していくうちに、現代のぼくが理解している仏教理解に対して、ぜんぶつじつまが合う形でパズルがどんどんはまっていくものだから、これはどういうことなんだ、と不思議でした。

それだけ鴎外が緻密な、仏教のパズルをつくったということなのだろうとおもいます。
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疑問に対し、わかりやすい解説をありがとうございます。
ずいぶん、勘違いや読み間違いをしていたようですが、わからなかったことが一度にスッキリしました。

目上の人に対し、ていねいな態度で接するのが礼儀という認識でいると、目下の人に対してゾンザイに扱うことになる、これは気づいていなかったことです。

道翹が真っ青になった理由、人となりもよくわかりました。

寒山拾得のようにはなれないとわかりながらも、あきらめることはせず、仏性を求めて修行し、生き続ける。
禅宗というものの一端が、少しですがわかったように思います。
自分は俗人だという事を、しっかりと認めることから始まるようにも思えました。

ネットで関係するものをいくらでも検索できるというのは、便利ではなく、ちょっとした弊害のような気がします。
様々な参考資料を読むと、知識が深まるというより、よけい訳がわからなくなることもあります。
森鴎外が、当時どのような文献をどのくらい取りよせて参考にしたのかどうかはわかりませんが、膨大な資料の中から、
自分が書きたい部分を切り取ってから、削って削って短編に仕上げたのでは、となんとなく想像しました。
もっと書きたいというのを、抑えたようにも感じます。
これはもちろん私の想像でしかないので、真実はわかりませんが。

先ほど、旧字旧仮名の方でも読んでみましたが、やはりこちらのほうが、しっくりきますね。
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ギズモさんの疑問に対して、もうすこしぼくの見解を述べてみようとおもいます。

今回も長めの投稿になります。



閭丘胤が寒山拾得に向けてていねいな挨拶をしたのは盲目の尊敬だからだろうというギズモさんの考察は、その通りだとおもいます。

ただ、閭丘胤は宗教のことがさっぱりわからないので、宗教の道に通じていそうな人であれば、盲目的に尊敬してしまうんですね。

えらい人だという前知識があったから慇懃に接したというのではなくて、その道のことがなにもわからないので、とりあえずていねいに扱っておこうというわけです。

ところが作品中にも書かれている通り、「盲目の尊敬では、たまたまそれをさし向ける対象が正鵠を得ていても、なんにもならぬ」のです。

閭丘胤は僧侶や道士となればあてずっぽうに尊敬します。

尊敬しているんだからいいじゃないか、ともおもいます。

しかし鴎外は、それでもしたまたま相手がほんとうに尊崇に値する人物であったとしても、そんなあてずっぽうな尊敬ではなんの意味もない、と言い切ってしまうのです。

閭丘胤は、相手が僧侶であるというだけで、その格好や身分を問わず、尊敬はしています。

けれど結局は俗人ですから、お輿に乗って国清寺に向かう途中では、庶民が道をあけてひざまずくのをみて、いい気分になっています。

僧なら僧で、どれくらい徳のある人間なのかということが、気になってしまう。

人を物差しで測らねば気がすまない俗人であることが、作品中で描かれています。



豊干と寒山拾得の関係性ですが、寒山拾得は「わかったうえで対等にふるまっている」のだとおもいます。

目上の人にていねいに接すると、それは同時に目下の人をゾンザイに扱うということにもなります。これはふたつでひとつのセットになっています。

接待するときに上座をつくれば、下座ができるようなものです。

人間社会に生きる以上、上下意識は切っても切り離せないのですが、寒山拾得はものの道理をわかったうえで、だれにも媚びず、だれをも蔑まず、みずからも風狂に生きています。

なので仏陀といわれる豊干にさえ媚びることなく「豊干がしゃべったな」と言ったのでしょう。



寺を訪れた閭丘胤が拾得について聞いたとき、道翹がこんなエピソードを話しましたね。

「拾得は賓頭盧尊者のありがたい像に食事を供える役目をあずかっていたにもかかわらず、お供えをした後、あろうことか尊者と向き合って食事をしたのです。尊者の像がどれだけ尊いものかわかっていなかったのでしょう。だからいまは厨房で僧どもの食器を洗わせているのです」

道翹からすれば「拾得ごときが、賓頭盧尊者の像と向き合って食事をするような真似をした」というわけです。

そして厨房のかまどの前に寒山と拾得がいるのをみて、道翹は「おい、拾得」とつっけんどんに声をかけます。

かれもじつは閭丘胤とおなじ、身分の差を意識する俗人です。

社会のありように合わせて、おもい込みで人間を上に見たり、下に見たりする。

寒山拾得はそんな道翹のことも、上にも下にも見ていないので、どう呼ばれても歯牙にもかけぬ様子です。



閭丘胤は寒山拾得にくどくどとじぶんの身分を伝えました。

「朝儀大夫、使持節、台州の主簿、上柱国、賜緋魚袋、閭丘胤と申すものでございます」

このとき、閭丘胤はそれが礼儀だとおもっているのでしょうが、じぶんの社会的地位の高さを伝えてるんですよね。

寒山と拾得は当然その卑俗さを見抜いて、笑います。

それだけでなく、閭丘胤が宗教に通じてもいないのに、盲目の尊敬をじぶんに向けているだけであることも見抜きました。

実際閭丘胤は、寺に行く道中、こんなふうに考えています。

牧民の職にいて賢者を礼するというのが、手柄のように思われて、閭に満足を与えるのである。

僧侶にていねいに接すれば、じぶんの格が上がるような気がする、という閭丘胤の心根にも寒山拾得は笑ったのです。

さらにいうと寒山拾得は、豊干がそんな閭丘胤の "驕慢を折伏" させるために、寒山拾得を紹介したのだということまで、見抜いたのでしょう。

「豊干がしゃべったな」というのは、「豊干め、よけいなことを押し付けてくれたな」くらいの意味合いがあるかもしれません。



道翹が真っ青になって立ちすくんだ理由ですが、かれは閭丘胤が主簿という、日本でいうところの都道府県知事のような立場であることを知っていました。

寺でも主簿のご参詣だというので、おろそかにはしない。

とあります。

閭丘胤が社会通念上の礼儀をもって寒山拾得に当たったこともわかっています。

道翹には、閭丘胤が「盲目の尊敬」であてずっぽうに礼を尽くしているだけである、というようなことは見抜けません。

道翹も閭丘胤とおなじく、社会的立場で人の上下をはかる俗人でした。

だから身分の低い(とみなしている)寒山拾得が、身分の高い閭丘胤に対して無礼を働いたことに恐れをなして、真っ青になって立ちすくんでいるのです。

ちなみに「僧らが、ぞろぞろと来てたかった。」のは、単に飯どきだったから厨房に集まってきたというだけでしょう。



しかし、そのように読み解いていくと、われわれがいくら寒山拾得のようになりたいと願っても……そう願えば願うほど、じぶんが俗人であることを痛感せざるを得ないのではないでしょうか。

アキレスと亀のたとえのようですが、寒山拾得のような境地を求めても、われわれは人間を生きている以上、どうしても越えられない壁があって、いくら近づいても、その境地に至ることはできず、その壁をみるたびに、じぶんは結局こちら側(俗人の側)であるとおもわざるを得ません。

しかし、だからといって閭丘胤のような俗人になるのではなく、じぶんの仏性を求めて修行をしながら、同時にじぶんは寒山拾得にはなれぬと知る、というようなところが、禅宗のやっていることなのかなあ、という気がします。
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悟り~般若心経のわかりやすい解説、ありがとうございます。

仏教の悟り。
「わかろうと努力しながらも、わけもわからずじぶんを生きていることこそが悟りである」
これは、子規の病牀六尺の悟りにもつながっているように感じました。

寒山拾得、これでまだとっかかりなんですか?

少しまた調べていたら、土田 耕平さん(知りませんでしたが、明治時代の童話作家)が、「寒山拾得」を、子ども向きなのかわかりやすいように書いていました。

http://hohrei.web.fc2.com/tk_117.html

ここでは、閭丘胤が自己紹介のあと、さらに「あなた方お二人は、普賢菩薩、文殊菩薩であられると承りました」と言っています。
読み手にとっては、ここが明確だと「豊干がしゃべったな」という言葉の持つ意味が理解しやすいように感じました。
敢えて書かなかったのが、夏目漱石のすごいところだとも思います。

『寒山拾得』を読んで、疑問に思ったことなどちょっと書いてみます。
私の見解と言うことではなく、よくわからない点です。

農園主さんの
「閭丘胤の世俗的で虚飾にまみれた礼がおかしくなって笑った」という解説で、ああ、そういうことだったのか、と思いました。

閭丘胤が豊干から、ふたりが普賢菩薩・文殊菩薩の化身だと聞かず、「会いに往ってためになるような、えらい人」というだけの認識で行ったとします。
(このような仮定は、鴎外の『寒山拾得』の論点とならないかもしれませんが、このあたりがとても引っ掛かりました。)
ところが実際会ってみて、「ためになるような、えらい人」とはとても言えない、みすぼらしい様子のふたりだった。
それでも、あのようなていねいな自己紹介をしたのだろうかという疑問。

普賢菩薩と文殊菩薩の化身と知って、ていねいな自己紹介をしたのは、文中にある「盲目の尊敬」なのでは、とも思いました。

仏教では仏陀(釈迦)にとって文殊菩薩と普賢菩薩は脇侍ですが、仏陀はふたりを従えてはいても、ふたりに助けてもらい守ってもらう立場でもありますよね。
豊干が拾得を拾ってきた、寒山は残飯を貰いに来る、となると、3人の関係性が見えるように思うのですが、
「豊干がしゃべったな」と皮肉ったということは、対等、或いは仏陀が下という関係にも思われます。

また、実は3人とも化身でも何でもない普通の僧で、閭丘胤が計略にはまり、恥をかかされたということはないのか。

そして最後の「僧らが、ぞろぞろと来てたかった」「道翹は真蒼な顔をして立ちすくんでいた」のくだりは、どうも意味不明です。
ふたりが菩薩の化身だとわかってしまったことによって、何か恐ろしいことが起きるとか?
僧たちは、実は怪しげな妖怪のようにも感じます。

追記
「寒山子詩集」について書かれたものを少し読んでみましたが、道翹が立ちすくんだのは、ふたりが仏の化身だとわかったことによる驚愕のようにも思いますが、定かではありません。

2023年11月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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とんでもないです、農園主さんが謝る必要はぜんぜんありません。
返信はいつでも、無理のないようにお願いしますm(_ _"m)
ご自分の記事も、ちゃんと書いてくださいね。

1115、これからゆっくり読ませていただきます(*^^*)

追記
1115、今読み始めてびっくりしました。
さきほど、森鴎外の「寒山拾得」「寒山拾得縁起」、そして芥川龍之介の「寒山拾得」を読みましたが、最低の基礎知識はあるはずなのに、どうも理解が追いつきませんでした。
解説してくださっていたとは。
これから先を読ませていただきます。
ありがとうございます!!
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ごめんなさい。今回は話が長くなるので、返信の話題をひとつに絞らせていただきます。



最近ひとつ気づいたことがあって、仏教というのは、メーテルリンクの『青い鳥』によく似てるんですよね。

青い鳥では、チルチルとミチルのきょうだいが幸せをよぶ青い鳥を探して遠い旅に出るのですが、結局みつからず、家に帰って鳥かごをみたら、そこに青い鳥がいたという話です。

いくら遠いところに幸せを探しても、結局幸せはいつもどおりの生活そのものの中にある、という教訓が込められています。

仏教もさんざん修行して、「悟り」なるものを探し求めるんですが、結局じぶんそのものに悟りがあって、ただ生きることこそが悟りなんだ、というところに行きつくようです。



般若心経は無を知ることで悟りが得られると説きますが、この無というのは、じつは無限とおなじことなんですね。

般若心経の「無」は、「人間には知り得ぬ概念」という言葉に置き換えると、わかりやすいかもしれません。

この世のすべてはわれわれには知り得ないことであり、目で見ていることも感じていることも、当たり前にわかっている(有る)とおもえるようなことは、じつはなにもかも知り得ないこと(無・無限)なんだというのです。

無や無限はわれわれに知り得ぬ概念ですが、じつはわれわれはこの無と無限の中にある。

すべてをわかるために修行をしているのに、結局、なんにもわからないということを腹の底から認めなければならないということを説いているわけです。

つまり、わかろうと努力しながらも、わけもわからずじぶんを生きていることこそが悟りである、ということになります。



寒山拾得にしても、かれらは風狂ですが、仏教というものを深く理解していながら、わざと社会通念とは無縁に生きています。

以前、禅は仏教の中ではめずらしく個人主義だといいましたが、文殊菩薩と普賢菩薩であるとさえいわれる寒山と拾得は、社会の中で生産をするわけでもなく、仏道を広めるわけでもなく、ただ生きるままに生きていて、禅僧たちはそういう個人主義の究極的なところにあこがれているといいます。



ここまでを前提として、森鴎外の『寒山拾得』をぼくなりに解説します。

現在の上海から南に200kmほど離れた台州にあたらしく着任した閭丘胤という官吏が、豊干という乞食僧と出会い、頭痛を治してもらうんですね。

そこで閭丘胤が豊干に礼をしたいと言いました。

「寸志のお礼がいたしたいのですが」
「いや。わたくしは群生を福利し、驕慢を折伏するために、乞食はいたしますが、療治代はいただきませぬ」


上の会話が意外と重要です。

豊干は仏陀にたとえられる人物です。



閭丘胤は豊干がどこの寺にいたかをたずね、国清寺であることを知ると、そこにはためになるような人はいるか、とさらにたずねます。

すると豊干は、国清寺には寒山と拾得という僧がいるが、かれらはじつは普賢菩薩と文殊菩薩であるというのです。

閭丘胤は国清寺に訪れ、寒山と拾得に出会い、じぶんの社会的な身分を伝えて、ていねいに自己紹介をします。

「朝儀大夫、使持節、台州の主簿、上柱国、賜緋魚袋、閭丘胤と申すものでございます」

すると寒山拾得は大笑いして、「豊干がしゃべったな」といって走り去った、というのがあらすじです。



まず、仏陀にたとえられる豊干はさっき言ったとおり、「群生を福利し、驕慢を折伏するために、乞食」をしています。

つまりその仏道には人々を救い、みずからのおごりをくじくという明確な目的があります。

閭丘胤の頭痛を治すことで、社会の役にも立っている。

つまり、仏陀は個人主義ではなく、衆生(群生)を救うために行動しているんだ、ということをここで述べています。



で、閭丘胤が寒山拾得に会い、じぶんの身分を告げ、できるかぎりていねいな礼をすると、寒山拾得は大笑いしました。

あれはどういうことかというと、寒山拾得は禅的な個人主義を極めていて、その生活から虚飾を捨て去っています。

なので閭丘胤の世俗的で虚飾にまみれた礼がおかしくなって笑うんですね。

同時に、群生(閭丘胤)を助けようと寒山拾得を紹介した仏陀(豊干)のことも皮肉って、「豊干がしゃべったな」と言いました。

寒山拾得(禅宗)にとっては、仏陀のやってる「群生を福利」することや、「驕慢を折伏」するようなことは興味がない、というわけです。

これがぼくの現段階での理解ですが、まだこれでようやく寒山拾得のとっかかりを得た、という感じです。



かなり長くなってしまったんですが、最後にもうひとつだけ。

ギズモさんはガラホを持ってらっしゃるんですね。

最近はなんでもかんでもアプリで登録して、便利な機能をという流れですが、そのたびにメールアドレスやパスワードをあたらしく登録するのがあまりにも面倒で、結局アナログに立ち返ってしまいますね。
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寒山寺の話から、ずいぶん広くお調べになったことに驚きました。
こちらこそ学ばせていただき、ありがとうございます。

蘇州夜歌をご存じだったとはびっくり。
お聴きになってらっしゃるのは、渡辺はま子さんのでしょうか。
中国語のものは日本語の歌詞に忠実に作られていて、テレサ・テンのカラオケにもあったように思います。
渡辺はま子のカラオケだと、バックに蘇州の映像が流れるのですが、とても美しいです。
作詞は西條八十ですが、確かに楓橋夜泊のオマージュですね。
まったく気づきませんでした。

今朝、記事を読ませていただいた後に、「東京国立博物館の寒山拾得図―伝説の風狂僧への憧れ」という特別展があったことを知りました。
11月初めで終わってしまい(非常に残念・・なんで気づかなかったのか・・)、今は、横尾忠則の「寒山百得」というのが開催されています。

終了したほうには、
「寒山と拾得は中国、唐時代に生きた伝説的な詩僧で、世俗を超越した奇行ぶりは「風狂」ととらえられました。
中国禅宗では、悟りの境地として「風狂」が重要視されましたが、寒山拾得の脱俗の境地は、仏教に通じるものとして、中国や日本で伝統的な画題として数多く描かれてきました」と、書かれています。
禅宗の悟り、つい先日教えてくださった話ですね。

『寒山拾得』は読んだことがないのですが、芥川龍之介なども書いていて、森鴎外夏目漱石も出てきているようなので、早速読んでみます。

スマホのことですが、ガラホ(訂正)4Gの「ガラパゴススマホ」、通称ガラホを持っています←通称はどうでもいいですね(笑)
折り畳み式で、ガラホ(訂正その2)ガラケーと違って今後も販売していくようですし、Wi-Fiも使え、ネット検索もできるので、特に不便はありません。
美術館などや飛行機搭乗のチケット、一部のクーポンは使えますが、アプリをダウンロードできないので、困ることは増えています。
必要な時はタブレットを持参しますが、面倒ですね。
スマホを持たないのは、スクロールでめまいが起きるからなんです(笑)
タブレットは、画面が大きく字も大きいので、なんとかセーフです。

昨日、上海のあたりをグーグルアースで見てみたら、やっぱり平面でも目がグルグル(グーグルだから?)してしまいました(^_^;)
こればかりは、慣れませんね。
もし大丈夫なら、ドラクエも、お城の裏が見えるようになったあたりで中断しないですみました(笑)
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蘇州についてのいろんな情報、ありがとうございます。多くの学びがありました。

漢詩については、学生時代に苦手意識がついてしまって、あまり知らないんです。

きょう、楓橋夜泊の詩を教えていただいてから、ふと蘇州夜曲を聴きました。

君がみ胸に 抱かれて聞くは
夢の船唄 鳥の歌
水の蘇州の 花散る春を
惜しむか柳が すすり泣く

花を浮かべて流れる水の
明日のゆくえは 知らねども
こよい映した ふたりの姿
消えてくれるな いつまでも

髪に飾ろか 接吻しよか
君が手折りし 桃の花
涙ぐむよな おぼろの月に
鐘が鳴ります 寒山寺

メロディが好きで、あまり歌詞を深く読み込むことはしていなかったんですが、夜の歌であること、船宿に眠るような描写もあり、夜烏の部分を鳥の歌として、寒山寺の鐘が鳴るというあたり、楓橋夜泊のオマージュなんですね。



寒山寺と楓橋夜泊のことをうかがってから調べていくうちに、寒山寺が寒山拾得とつながっていることを知りました。

学生時代に森鴎外の『寒山拾得』を読んだとき、なんてつかみどころのない、わけのわからない小説なのだろうとおもったのですが、ようやく取っ掛かりを得た気がします。

といっても、寒山と拾得の物語は、仏教的な教訓もなく、寒山にも拾得にも特殊な仏性を感じるわけでもなく、いかにも禅宗の好みそうな話だとおもいます。



上海の建物について、もしやとはおもっていましたが、やっぱり過去の共産主義と、その後の市場開放と経済成長の影響が混じり合っている感じなんですね。

2LDK5000万ですか。

ぼくにはとても縁遠い世界ですが、いまの上海はそういう経済圏になっているのですね。

ところでギズモさんは、スマホは持たずとも、いわゆるフィーチャーフォンは持っておられるのでしょうか。

ぼくは楽天でスマホを契約して、安価につかっています。

ペイペイは便利だったのですが、来年からはYahoo!のクレジットカード以外では紐付けてくれないようで、ぼくはYahoo!のクレジットカードは持っていないので、結局今後スーパーなどの買い物はクレジットカードが中心になりそうです。
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今度は私がいろいろと教えていただきました。
地理にはまったく疎くて、蘇州までの距離も知りませんでした。

お墓参りは車で行くことが多いようですが、最近はやたらと地下鉄やリニアが充実してきているので、電車やバスでも行きやすくなっているかもしれないです。
会社や学校は休みとなるのですが、渋滞もあるし、本当に一日仕事ですね。

蘇州はシルクや刺繍が有名で、ハンカチや枕カバーでさえとても高価だったのですが、今はそういったお土産をを喜ぶ人はいなくなりました。

水の都として有名ですが、蘇州のピサの斜塔「虎丘」や、張継の「楓橋夜泊」の石碑がある「寒山寺」も観光スポットです。
有名な七言絶句、月落ち烏鳴いて~~ですね。
その頃には「寒山寺」というお寺はなかったとか、夜に鐘は鳴らないとか、中国でも批判的評論をする人がいたようですが、
詩を事実と結びつける必要性はないと思うんですけどね。

一度蘇州は行ったのですが、寒山寺は閉門時間を過ぎていて、残念ながら入れませんでした。
陽澄湖の上海ガニは有名ですが、淡水パールも有名で、色付けしたものも多く、デザイン性に優れています。

建物まで、ご覧になったのですね。
仰る通り、いくらか街はずれのような、中心部から遠いところは、平屋の建売住宅か低層のマンションが多いかもしれません。
日本人のための社宅が集まった所もあると聞いたことがありますが、中国人の住宅はセレブ向きで、
なん十戸か集まっている入り口には厳重な門があって、中に入るには警備員のチェックがありました。
上海万博の前あたりから建設を始めたところが殆どかと思いますが、市内のマンションの屋根も、万博前に景観のため塗りかえたところが多かったようです。

上海市内のマンションの価格は、東京とあまり変わらず、2LDKで5,000万(日本円)くらいが多いのですが、郊外の建て売りはもっとするとか。

約30年前くらいまでは、家は個人で購入するものではなく、国からほぼ平等に与えられるものだったのが、ずいぶん変わったものです。
その頃は、企業なども国営で、個人商店はあってもほんの少し。
個人営業でなければ、収入はほぼ一律で、貧富の差がありませんでした。
その頃の上海は、市内でも本当にのんびりして、何とも言えない風情のあるいいところだったのですが、最近は日本を抜く勢いで発展し近代化していて、
ついていけないところもあります。
例えばペイペイのような支払い方法は日本よりずっと前からで、タクシーに乗るにも買い物をするにも、現金で払う人は絶対と言っていいくらいいません。
銀行やホテルでの外貨の両替もしなくて済み、簡単でいいかもしれませんが、私、スマホを持っていないので(笑)、困るんですよね。
タブレットは重いし、なんだか嫌な時代になったものです(笑)


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お墓の件、いろいろ教えていただいてありがとうございます。

上海のあたりを調べていました。

上海から蘇州まで、50~100kmといったところでしょうか。

車で行くとして、あれだけ都市化が進んでいると、お墓参りで一日仕事になりそうですね。



東京と埼玉を合わせたくらいの面積に、東京と埼玉とさらに横浜を合わせたほどの人口が密集してて、すさまじい交通網になっているものだからおどろきました。

蘇州に行くにしても、日本の山間地にあたる田舎っぽいところがなくて、広域農地はありますが、そこも交通網はしっかりしている感じです。

蘇州市には琵琶湖の3倍以上の面積の太湖があって、そこから上海市の手前あたりまでは湿地になっていますね。

地図を見る限り、上海には山がないようです。

太湖の東の、あちこちに湖が点在する湿地のあたりも、田園地帯ではありますが、住宅は密集ししていて郊外といった印象です。

もし墓地をつくるとしたら、このあたり(太湖の東)でしょうか。

あと、太湖の東にある陽澄湖を中心とした湿地が、いわゆる上海ガニの特産地なんですね。

名前しか知らず、てっきり海のカニだとおもってたんですが、淡水のカニだったとは。

あと、上海市の中心部は日本の都市部のように、建物がひとつひとつ自由に建築されているようですが、すこしでも郊外になると、日本でいうところの建売住宅を広大にしたような、画一的な屋根が並んでいるのが印象的でした。
Icon of gizumo
あ~、気づいていなかったのなら、こっそり消せばよかったです(笑)

歴史はそこそこ好きなのですが、幕末あたりの歴史については、読んでも読んでも頭から抜け落ちます。
またひとつ、頭の悪いのが露呈してしまいました・・。

学びたいなんてとんでもない、私が知っていることは、実際に経験したほんのわずかです。
お墓は共同墓地で、何ヶ所もあるのですが、空きがある墓地の土地(墓石を建てるスペースは日本より狭いです)を買ってからお墓を作るので、
亡くなった後ずいぶん日にちがかかるようです。
空きがないと、家族がバラバラということもあるそうです。
でも、最近は代理墓参り、インターネット墓参りというのも登場しているのと、さすがに埋葬する土地が不足してきているようですので、
形はどんどん変わっていくように思います。

共同墓地は、上海市の中でもはずれの方だったり、蘇州とかで、近郊または郊外という位置でしょうか。
そんな遠くまで行って火葬・葬儀をし、そのあとレストランなどで精進落としをしますが、おもしろいのは、お店の前に小さなたき火のようなものがしつらえてり、
そこを渡ってから、お店に入ります。
塩でなく、火がお清め(お浄め?)になるということかもしれません。

西郷隆盛勝海舟のお父さんのお話、おもしろいですね。
よく、男の子は母親に、女の子は父親に性質が似ると聞きますが、勝海舟は父親の性質を受け継いだのですね。
なんとなくですが、変わった人の方が、世に出て抜きんだ活躍をするのではないのかな、と思うことがあります。

サトイモのことは、自分で試してもいないのに偉そうに失礼しました。
野菜に限らず、肉でも魚でも、ネットで冷凍の情報を探しても、書いてあることがまちまちだったりするんですよね。
最近本で知ったことですが、生鮭・塩鮭は茹でて冷凍するといいと書いてあったので早速やってみましたが、これは本当に時短で楽でした。
解凍してから焼いてもいいので、便利です。

コメントは間をあけて、と書いておきながらごめんなさい。
お返事のお気遣いはないようにお願いしますm(_ _"m)
Icon of nouennushi
1104
まったく問題ありません。
西郷隆盛と勘違いされていたことに、ぼくが気づいていなかったのですから(笑)

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