山麓王国

2023年8月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

Icon of nouennushi
炭鉱のカナリヤは、Twitter(Twitterと、言いたい)を去る。
きょうかあしたに、ぼくのアカウントは消えます。
Icon of nouennushi
配達を終えて、朝、入院中の親父から電話があったんですよ。
まだ7時だったから、ふつうこんな時間にかかってくることはありません。

電話をとって、「もしもし」
返事がない。

可能性としてはふたつで、なにかとてもわるいことが起こっているか、単に電話のかけ間違い。

「聞こえてる? 電波わるいかな。ちょっとかけ直すから切るで」

と伝えて、電話を切ってかけ直すと、「もしもし」と父の声。

しゃがれてはいたけど、親父の声で、ひと安心。
結局スマホの操作を間違えてぼくにかかったらしい。

「体調はどない?」と聞くと
「体調か……最悪や」とひと言。

その言葉になんともいえぬユーモアを感じてちょっと笑ってしまい、とりつくろうように「そうか、あとひと息の辛抱やで、がんばってよ」と声をかけ「もしなんかあったら電話してや」というと、「ありがとう」と。

お盆を過ぎたあたりで、放射線治療と抗がん剤治療が終了し、そこから経過をみることになります。

ほんとうに、あともうちょっとの辛抱だし、なんとかこの治療が奏功してほしい。
Icon of nouennushi
きょうの農作業は、出荷をすませて、わずかばかりの収穫と袋詰め。朝夕の水やり。
きのうやり残した除草剤散布。
奥の圃場の草がだいぶ伸びてたので、トラクターで中耕除草。

トラクターをかけていると、土が乾燥しきっているので、細かい砂が舞うんですね。
この畑でこれなら、砂漠でトラクターをかけたらどうなるんだろうな、としょうもないことを考えながら、アレルギー体質なので、砂を吸うとあんまりよくありません。

いろいろしゃあないんですが、長靴が日射を受けることで足指の先が低温やけどみたいになったり、職業病みたいなものはどうしても起こりますね。

仕事中、来客がおふたり。巨峰とデラウェアをひと房ずつと、ビールを6本いただいて、感謝しきり。

#野菜
Icon of nouennushi
『竜馬がゆく』を読み続けています。トイレ読書なので、なかなか終わらない。ずいぶん前から読んでるんですが、まだ3巻の途中です。

ぼくは勝手にそうおもってるんですが、ぼくがそのとき思案しているようなことに、司馬さんの本がこたえてくれるようなことがよく起こるんですよ。

もちろんおもい込みにすぎないんですが、その起こる頻度がほかの本と比べてあまりに多いので、これは「司馬さんとの対話」だとおもうようにしたわけです。


1960年代に書かれたこの小説の中に、ある一節があって、それがいまのぼくの中で痛烈に響きました。

引用します。

竜馬は、議論しない。議論などは、よほど重大なときでない限り、してはならぬ、と自分にいいきかせている。
もし議論に勝ったとせよ。
相手の名誉をうばうだけのことである。通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、負けたあと、持つのは、負けた恨みだけである。


最近、ついカッとなって、旧Twitterで、芸人を開店休業しながら政治活動をしてる人のツイートに反応したんですよね。

あんまり褒められたことじゃねえな、とおもいつつも、どうしてもこちらのおもうことを述べたくなったのです。

その人の発言は大炎上したようで運営側に削除されていますが、相手は大量の石つぶてを受けているので、ぼく個人の意見など届くはずがありません。

その後のかれの考え方をみる限り、あの発言に対して真意が読めずに反論をしているわれわれがわるい、ということになっているらしい。

それでまたカッとなって、もう一度メッセージを送って、それでもう、つくづく徒労感で、こんなことはするもんじゃないな、とこっちが反省する始末。

それで、もう旧Twitterに参加する気にもなれず、じぶんの王国に引きこもってる格好になってるわけですが、そこへ、けさの司馬さんからのメッセージ。

「人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、負けたあと、持つのは、負けた恨みだけである。」

相手の考える正しさとじぶんの考える正しさがちがっていても、それはそれで受け止めておく、くらいの器量は、ぼちぼち持ちたいものです。

#与太話
Icon of nouennushi
スマホから旧Twitterをみると、背景が真っ黒け。パソコンにはまだ仕様変更は適用されていないようです。

そうなるという話はニュースで聞いていたから、驚きはなかったものの、背景が黒いというだけで、フォロワーさんの善良でイノセンスな菜園ツイートも陰謀論めいてみえてきます(笑)


むかしテキストサイトの一群の中にいたころ、よくアクセス数を稼いでいた「斬鉄剣」というサイトがあって、これはなんだかあちこちにケンカをふっかけているおかしなサイトだったんですが、背景が真っ黒で、いかにも「後ろ暗い」演出でした。

いまからおもうとあれは炎上商法のはしりのようなもので、野次馬をあつめるような形でアクセスを稼いでいたんですが、しかしウェブサイトがマネタイズしにくい時代にあんなことをしていた理由は、いまだによくわかりません。

ああいう過激な言論にあこがれたといってたのが「侍魂」というテキストサイトでした。しかしこちらはべつに炎上を狙っているわけではなく、文字を積極的に装飾しておもしろさをアピールするものでしたが、やはり背景は真っ黒でした。
こちらは、言論の後ろ暗さというよりは、単純に黒い背景だったことで文字の装飾のインパクトが強くなる、という効果があったようにおもえますが、読み手としては背景の暗さによって、ブラックユーモアを楽しむ心構えができていたような気はします。

どちらも個人的には「有名サイトである」以上の興味はなかったのだけど、侍魂はとりわけ多くの閲覧者をあつめて、それらの一介の個人サイトが「ネット利用者を集約する」力強さには、ネット黎明期の勢いを感じました。

当時は違法な割れサイトなども、たいがい背景が真っ黒で、いちいちご丁寧に閲覧者にそのサイトの持つ印象をアピールしていたものです。


なにが言いたいのかというと、ウェブサイトのロゴであるとか、背景といったものが、利用者の心理になんらかの作用を及ぼすということは、やっぱりあるとおもうんですよね。

古い時代をおもい返しながら、旧Twitterがいまやっている演出は、後ろ暗いものを好む閲覧者をあつめる効果はあるだろうな、などと考えるきょうこの頃。

#与太話
Icon of nouennushi
「クリニカアドバンテージ +ホワイトニング」という歯磨き粉をつかうようになってから、シャリシャリとした歯石になりかかったような歯垢が剥がれるのがおもしろくて、歯磨き→歯間ブラシ→フロス→歯磨き という、念入りな歯磨きを楽しんでいます。

2回目の歯磨きでもすこしシャリシャリしますから、一回ではどうしても磨きのこしが出ちゃうんでしょうね。

ちなみにぼくは先日歯医者の定期検診をすっかり忘れてしまい、また無事(?)歯医者難民となりましたので、もう虫歯になるわけにはいかんのです。←自業自得

#与太話
Icon of nouennushi
日本の宗教について、身近なところで起こっていることでいうと、アニメやゲームで、世界中の神話や伝説からキャラクターがとられることって、日本特有の現象のようです。

転生ものにしてもそうなんですが、海外だと国をあげてひとつの宗教の価値観が根付いていたりするから、日本のように無節操な死生観や、世界中の神話からのパクリみたいなことは、かなり抵抗があるのではないかとおもいます。

日本だと、転生もののアニメや、神話のキャラクターが無尽蔵にあらわれるゲームが無節操であるという意識も薄いとおもうんですが、おそらく海外ではこれは、じぶんの信じる宗教への冒涜ということにさえなりそうです。


日本は江戸時代までは仏教推しでしたが、明治からは神道推しになりました。
推しどころか、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)といって、仏教はもう日本から追い出そう、というところまで極端な運動に発展します。

ところが仏教とちがって神道には教義も教祖もないので、政府が天皇を神格化し、教育勅語という教義を作りました。

日本人はおおむねこの信仰のありようの変化を受け入れて熱狂したわけですが、太平洋戦争の敗戦によって教育勅語は廃止。
天皇は神ではなく人間であり、日本の象徴である、ということになって、日本人は「それじゃあわれわれはなにを信じたらいいの?」というところが宙ぶらりんになったんですね。

宙ぶらりんになったまま、80年近く過ぎようとしているわけです。


新興宗教もなんとなく怖いし、かといって葬式仏教も嫌気がさしてるし、なんだかなあ、といいながら、朝テレビで星座占いをみるようなのだってスピリチュアルで、プレ宗教みたいなものです。

みんながなにかひとつの信仰を持つ、ということがなくて、まとまらない。
お寺でお葬式をあげて、神社でお参りして、クリスマスパーティをする、なんて節操のなさにも、特に抵抗を感じることもありません。

なので、宗教的価値観に基づかないなんにでも転生しちゃう物語がジャンル化したり、ゲームのキャラクターには世界中の神様がやたらと出てくる、なんてことが起こってしまう。

それがわるいといってるんじゃないですよ。むしろよいことで、世界に例のない価値観だとおもっています。

人間はなにかを信仰せずにはいられない生き物だとおもっていますが、ぼくの場合も日本人であることをいいことに、特定の信仰に入信することもせず、つまみ食い的にいろいろとかじっては、なるほどなあ、なんてことをやりながら、だましだましその日を暮らしています。

そういう信仰の態度が許されている戦後日本の風土は、よいものだともおもっているのです。

#与太話
Icon of nouennushi
きょうの午前中は、収穫作業と、葉野菜の防除。敷地の除草剤散布。

除草剤散布はまだ1/3すませただけなので、夕方に残りをやります。
炎天に20kgの噴霧器を担いでの1万歩コースです(笑)
#野菜
Icon of nouennushi
もう10年以上、むかしの話です。
ディズニーで売ってるチュロスは、USJではなぜかチュリトスという名前で売られていて、売店でそれを「チュリトリス」と注文した女の子がいました。

それを聞いたぼくは目を伏せて心を殺すしかありませんでしたが、なぜかふとあのときのことをおもいだしたのと同時に、もしかしたら売店の人にとっては、その言い間違いはよくあることなのではないか、という気がしてきました。

https://www.google.com/search?client=fir...

検索してみたら、やっぱりそれなりにある間違いのようなので、あれは間違えた人がわるいんじゃなくて、チュリトスを売るほうがわるいんだ、とおもうようにしました。
マンゴーも名前がわるいとおもう。←延焼

#与太話
Icon of nouennushi
それにしても暑くて暑くて。

あんまり暑いとセミすら元気がなくなるようで、梅雨が明けたころの蝉時雨はたいしたものでしたが、いまは山の木陰でシャワシャワ鳴いとるな、くらいなものです。

そない長生きもできんのに、こないムチャクチャな暑さやとアンタらもずいぶん気の毒やな、と同情してる場合じゃありません。
この時間帯は、ぼくもヘタすりゃ家の中で倒れ込みそうです(笑)
#与太話

2023年7月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

Icon of nouennushi
ふと、當麻という言葉をみかけて、「あ」とおもいました。

去年ぼくは、奈良国立博物館で「中将姫と當麻曼荼羅 ―祈りが紡ぐ物語―」という特別展をやっているのを、その開催期間が終わった冬の農閑期に知って、歯噛みしたのです。

ものすごく興味があったんですが、なぜ興味があったのかということを説明するために避けて通れないのが、中将姫の物語です。

以下、仏教説話として知られる中将姫物語を要約しました。


奈良時代の貴族、藤原豊成の妻に女の子が生まれます。
紫陽花寺で有名な長谷寺に願をかけて生まれたことから、長谷姫と名付けられました。

その後豊成の妻が亡くなります。

長谷姫が6歳のときに豊成は後妻をめとるのですが、この後妻が非常に嫉妬深い性格でした。
長谷姫は聡明な美女だったために、この継母から虐待を受けます。

長谷姫は13歳の折に、朝廷でその才が認められ、中将の位を授かって内侍となり、中将姫と呼ばれるようになりました。

いよいよ嫉妬心を燃やした後妻は、家臣に命じて中将姫を殺害しようとします。
しかし中将姫の心根を知っている家臣には、殺すなどできようはずがありません。

中将姫は家臣に助けられ、宇陀の山中にかくまわれて暮らすことになりました。

豊成はその後姫を探し続けたのですが、翌年ようやく再開を果たします。
豊成は娘を都に連れて帰ろうとしたのですが、姫はそれを断り、仏門に入りたいと願い出ました。

豊成はその願いを受け入れて、當麻寺に姫を届けます。
中将姫は16歳になっていました。

それからというもの、姫は毎日仏道に励み、亡くなった母をおもい、じぶんも極楽浄土へとのおもいを募らせるようになります。

あるとき姫は仏の化身に出会い、蓮をたくさん集めなさいという啓示を受けます。
中将姫は方々に頼んでたくさんの蓮をあつめて、それを糸にしました。
するとまた仏の化身があらわれて、この糸を織り上げなさいという。

姫は一心に蓮糸をつむぎ、一夜のうちにすばらしい曼荼羅を作り上げました。

曼荼羅を完成させた中将姫は、29歳で極楽に往生したといいます。


藤原豊成は実在の朝廷高官でしたが、中将姫は実在した人物かどうか、さだかではありません。
当時、奈良から大阪の四天王寺にかけて、この手の仏教説話が多数つくられたようです。

継母にいじめられて家を追い出され、仏の功徳を受けるというパターンはほかにも「俊徳丸伝説」があって、どちらも物語の骨格の部分がとても似ています。

それはともかく、ぼくは子供のころ、東大阪市にある「大蓮」という地域に住んでいました。
近くの公園の土を30cmも掘ると水がわいてくるようなところでした。

いまは治水工事がなされていますが、むかしの大阪はどこもかしこも沼地で、田んぼとレンコン畑だらけだったという、その名残があったんですね。

最近になって知ったんですが、この大蓮という地名は、中将姫が蓮の糸を探したときに、とてもよい蓮がとれたことからその地名になったとのことでした。

知らず知らず中将姫の伝説に縁のあるところで暮らしていたのだな、と勝手に親近感をおぼえていたのです。

#与太話
Icon of nouennushi
午前中、草刈り機のあれこれをし、午後はオクラの圃場の草取りをしました。

葉っぱが獣に食べられて、ほとんど茎だけになったとき、もうこれは終わったな、とおもっていたのが、オクラはよほど頑丈な植物のようで、そこから脇芽が育つ格好で、低いところから花を咲かせ始めています。

花が充実するまでにまだ2週間ほどかかりそうですから、やっぱりお盆くらいにすこしだけ盛り返してくるかな、と。
いまは2袋とれるかどうか、といったところですが、1日10袋ぶんもとれれば、当初の絶望をおおもえば上々ですよ(笑)

毎日水やりしたことで、葉野菜もそれなりに発芽してきました。
残念ながら発芽時期はそろっていませんが、発芽率はまあまあです。

あとひと息、なんとか全体的に発芽してもらいたいとおもいつつ、このまま育ってくれれば、売り物にはなりそうです。
ぼくもがんばるから、野菜もなんとかがんばってほしい(笑)

20230731165320-nouennushi.jpg

#野菜
Icon of nouennushi
自走式の草刈り機がまた故障。
といっても、これは完全にぼくの側の問題で、木の根っこにブレードが当たってしまったことで、刃が回転しなくなり、途方にくれました。

おそらくどこかがゆがんでしまって、回転する際に負荷がかかって、回らなくなっているのでしょう。

板金で直すか、ハウジングボディとブレードガイドを買って(それぞれ17800円と7884円)交換するか。

もうこれ以上の出費はかなわんし、さすがにこの手の板金はシロウトがやれるものじゃなさそうだし……。

で、仕方ないのでとりあえずブレードを外して、具合を確認。

まずブレードを固定しているボルトの頭が完全になめていて、16サイズのレンチで合わせても、クルクル回ってしまいます。

そりゃそうですよ。
ブレードと一緒に回ってて、草や木の根っこに当たり続けてたんだから、ボルトの角は削れてしまいます。

で、仕方ないのでモンキーレンチでボルトを挟み込んで……外れない。

結局、かなづちで叩きながらゆっくりとボルトを外しました。

ボルトもヘンな方向に負荷がかかっているようで、なかなか外れなくなってるんです。

これを無理やり外して、様子を見たんですが、やっぱりシロウトが手出しできる感じじゃなさそう。

気休めにKURE3-36(防錆と潤滑)のスプレーを念入りにふきかけて、ブレードをもとに戻したんですが、意外とこのスプレーによってブレードがスイスイ回るようになりました。

もしやとおもってエンジンをかけて回転数を上げると、しぶしぶ回ってくれます(笑)

作業後にスプレーで潤滑させながら様子をみて、やっぱり調子が悪いようなら、部品を交換しようとおもいます。
あーあ、ことしはこんなんばっかりだぁ。

ちなみにボルトを外すときに指のあちこちをすりむいて、血が出てヒリヒリ痛いのも悲しい(笑)
#野菜
Icon of nouennushi
おじさんは、ここ最近、ずーっとこの曲聞いてる。



#音楽
Icon of nouennushi


中央線、東京に行ったときに一度だけ乗ったのだけど、こんな情緒のある感じじゃなかったな。
でも、たぶん、そこに暮らしていると、情緒が生まれるんだとおもうのです。


#音楽
Icon of nouennushi
長生ちゃん、すごい人だったんですよね。



#音楽

Icon of nouennushi
ことしはたぶんどこもお祭りさかんだとおもいますが、ぼくは大阪の八尾に住んでいたことがありました。

八尾というのは河内音頭の本拠地で、ちょっとヤンチャなのはやぐらの内側で「飛び河内」というカロリー消費の激しい踊りをして、やぐらの外側ではおっとりした老若男女踊れるのをやってる。

石田長生はギタリストで、charという日本を代表するギタリストの相棒を務めるような技巧者で、八尾出身でした。

ぼくは当時八尾のショットバーに通う阿呆な道楽者で、そのバーでブルースバンドをしてたんですが、あるとき店に行くと、先輩が「おい、この人知ってるか」という。

「んー?」というと、「石田長生さんやがな!」と興奮気味にいわれて、ああ、すごい人やんかと。
八尾出身の人だから、たまたま帰ってきてて、適当なバーに立ち寄った、ということなんでしょう。

ちょうどそのときは妹も後で合流して飲む予定だったんですが、ともかくぼくは酒飲みなので、長生さんとわあわあしゃべってるうちにべろんべろんに酔っ払い、妹も合流してこれもまた酒飲みで、次第に明るい酒ではあるけども乱れてくる。

「長生ちゃん! 帽子かして!」
「長生ちゃん! 一緒に写真撮りましょっ!」

悪魔のような酒乱の兄妹が、文句のいえぬ著名人を相手取り、妹が帽子をぶんどってぼくに長生きちゃんの帽子をかぶせ、ぼくと妹と長生ちゃんで写真を撮るという、いまからおもえば信じられぬような狼藉をはたらき、それでも長生ちゃんはなぜかうれしそうで、ご機嫌でしてね。
そのときはものすごくよい酒宴だったのです。

あれから15年ほどして、長生ちゃんがガンで亡くなったと知り、ぼくはそりゃあもう、いまでも落ち込んでます。

さて、AZUMIという、これも日本を代表するブルースギタリストがいて、この人の弾き語りは、完全なる憑依型。
予定調和的なものではなくて、その瞬間の空気から作品を生み出していくような、天才です。

大学時代に、伊勢の内宮のカップジュビーというカフェでライブをしていて、それを聞いて以来、いまもYouTubeで親しませていただいてるのだけど、そのAZUMIさんの、石田長生さんを憑依させた自家製河内音頭の一曲。



Icon of nouennushi
きょうもきょうとて水やりに追われる一日でした。第二弾の葉野菜の発芽はそれなりに課題はあるものの上々。
来年の夏は、状況をみながらヒットアンドアウェーで栽培できるんじゃないかな、という気がします。

雨が多いようなときには畑づくり自体を我慢しつつ、タイミングの合うときに栽培して水やりと防除をしながら出荷。
夏のひと仕事が増えてくれれば、より生活が安定します(笑)

ことしは少し足止めをくらいましたが、こういう栽培スタイルが確立すれば来年にはかなり飛躍できそうにもおもえます。
問題はオッサンひとりのマンパワーが足りるかどうかですが。

#野菜
Icon of nouennushi
画像の投稿サイズを無制限にしてたんですが、これちょっと圧縮しないとサーバーに負担がかかるなあと、レンタルサーバーの容量をみたら200GB。

画像1枚5MBまでにしたとして、きっちり5MBの画像で200GBを割ると、およそ4万枚の画像が貼れます。

毎日1枚投稿するとしても、100年以上つかえるようです。

2枚だったら50年。

まあ、ぼくの寿命を考えて、そんなに気にせんでよかろう、とおもうんですが、いちおう1枚の画像のサイズは5MBまでに制限します。
Icon of nouennushi
先週の土曜日に母に電話したとき、闘病中の親父が入院している同室でコロナ患者が出た、という話は聞いていたんですよ。

で、その日に検査をしたら陰性だったけど、電話をした翌日の先週日曜日に陽性が出ていたことを、きょう電話で聞きました。

5月以降、楽観的な見通しの後で、絶望に突き落とされるようなひどいことになって、それがなんとか最悪の事態にならずにすんで、ホッとしたとおもったら、またわるいことが起こって、それが最悪の事態にまではならずにすんで、というループを3回ほど繰り返しています。

今回もコロナにかかった、というのは、正直命にかかわるくらいの一大事でしたが、病院内で起こったということと、ともかく一週間過ぎて回復基調にあるということで、これもまた最悪の事態にはならずホッとしています。

母からすると、個室に入れられて外に出られず、カラダを動かすことができないので、機能低下が起こるのではないかという心配があるようです。

まあ親父はまだそこまでやる気がない状態にはならないとおもうので、多少筋肉が落ちても、またリハビリしてもらえるだろうとおもってるんですが、どうなることやら。

ことしは親父がこんな調子だから、ぼくが墓参りに行こうとおもってたんですが、いま電話したら、母が「わたしひとりでも行くで」というので、それならいったんお任せするけど、もしなにか事情ができたらいつでも言うてや、と伝えておきました。

なんだかぼく自身もことしは百姓仕事でいろいろあるので、心の逃がしどころみたいなのがあればとおもってたんですが、そういうことなら、神社にでもお参りして、親父のぶんとぼくのぶん、お守りでも授かろうかなとおもう次第。
Icon of nouennushi
夏ならではの怖い話、といっても、ぼくはなにか、守られているとか、直感はあるのだけど、霊感はまったくないんで、その手の話はできません。

ただ最近、個人的に怖いとおもったことはあって、それはなにかというと。

寝ている間に怖い夢をみて、金縛りにあったりして、「助けてくれ」と言おうとしてもうまく声が出せず、ようやくなんとか声が出て、「助けてくれえ!!」と叫ぶ。

そんな経験、ありませんか?

一生懸命叫んだので、これでだれか助けてくれるんじゃないかと期待しながら、なんとか金縛りを解いて、フッと目が覚める。

しかしどうやらこのとき、「助けてくれ」の言葉は、実際には言葉になっていないらしいんですよ。

ぼく自身は、あれは現実の言葉になっているとおもい込んでいたのですが、実際はまったく言葉になっていないようです。

だから、すごい怖い夢をみても、一生懸命叫んでも、現実にはだれも助けにきてくれないんですよね。



ばあちゃんが亡くなる二日前のこと。

97歳のばあちゃんは、もう意識もほとんどなく、衰弱していたんですが、もう最後かもしれないと、親戚がみんなで集まってあれこれしゃべってたときに、ベッドに寝ているばあちゃんの指がとことこと動くのをみたんです。

なにか懐かしい声がするので、意識の反応があったのだろう、というくらいのことでした。


いまになって、もしかしたらばあちゃんは、夢の中で、なにかわれわれに向かって、言葉を叫んでいたのかもしれないなと、そんなことをおもったんですよね。

あの指の動きからばあちゃんの言葉を汲み取ってやることはできなかったものか、とおもうと同時に、じぶんが死ぬときも、もしかしたら、一生懸命叫んでるのにだれにも言葉が届いてないのかもしれないなとおもうと、背筋がキュッとなったんですよね。
#与太話
Icon of nouennushi
いままで散水ノズルって、ホームセンターの500円くらいの安いのをつかってたんですが、ネットで散水ノズルをいろいろみていると、大水量が出るノズルがありました。

ネットでは買わなかったんですが、その後ホームセンターに行くとおなじようなものが売ってて、1500円くらいするから高価ではあるんですが、作業が省力化するなら一度試してみようかな、と購入。

で、買ったことをすっかり忘れてて、3日くらい前にふとおもい出して使ってみたんですが、ほんとうに作業時間が短縮されました。

ぼくはふだん「シャワー(外)」というパターンで水やりをするんですが、これまでのものはジョウロの水やりに圧をかけたくらいの、ジャアジャアといった感じで水が出ていました。

これが大水量のモデルだと、おなじ「シャワー(外)」で水を出した瞬間、ちょっと手首に負荷がかかるくらいの水圧がかかり、ジャーッって感じで出ます。

そのまま直に畝に向けると土がえぐれるくらい水圧が強いので、ヘッドを上向きにしてやわらかく水をかけるようにしていますが、これまで2アールほどの畑に一回の水やりで30分ほどかかってたのが、20分足らずでいままでよりたっぷり水やりができるようになりました。

水やりの時間短縮を、人件費として考えたら、高価なノズルでも、安い買い物だったとおもいます。
やっぱり、道具選びは大事だなとつくづく。
#野菜
Icon of nouennushi
この時期の雨は蜃気楼のようなもので、降りそうでも、降らないことが多いのです。

夕方にかけて遠雷がドカドカ鳴っていて、向こうに雨雲が流れていても、こちらの空は晴れている。
そんな日が続いています。

雨の予報が出ていても、空の調子をみていれば「これは五分五分やなあ」と感覚でわかります。

なので、雨がもらえるかもしれない、という期待はせず、水やりします。

けさもよく晴れています。さあ、ぼちぼち収穫をして、水やりをしましょう(笑)
Icon of nouennushi
それにしても、8月に入るあたりから、葉物が充実するまで、微妙にヒマになりそうなのです。

そこで、なにかじぶんの気分を納得させる材料みたいなのが欲しいなあ、とおもってるんですが、ことしは闘病中の親父にかわって、ぼくがお盆に実家の墓参りをするのがいいかな、とおもって。

ヒマだからとじぶんだけのためにどこぞへ旅行したいというようなこともないので、不運を逆利用するにはちょうどよい機会ととらえて、軽く日帰り墓参りと洒落込もうではありませんか。

Icon of nouennushi


このツイートは、日本に難民申請を行っているクルド系の男に、じつは金づるになる株主がいて、高級車を乗り回すような立場であったということに対して、ビートきよしが「何が難民だ帰れ帰れ今すぐ帰れ」と言った、というものです。

まあ著名人なんだし、わざわざこんな排斥的な意見を表明しなくてもよいともおもうけど、これに左翼インフルエンサーたちが組織的にものすごく執着をして、返信や引用リツイートでヘイトだと言い募り、あげく「ヘイトきよし」などと叫んでいるのをみて、なんだか理解がひとつ進んだ気がします。


先日、フランスで暴動が起きました。
アラブ系の少年が警官に射殺されたことをきっかけに広がったのですが、反差別を主張する極左が煽った暴動だったといいます。

もちろんこの問題の背景には、少数者の苦しみへの配慮の欠ける国の姿勢など、日本とよく似た構図があったわけで、そこを無視するわけにはいきませんけど、それはいったん置いといて、このフランスの事件を見て、ぼくが国家転覆を企図する左翼活動家だったらこうおもいますよ。

「あ、いまの世の中って、反差別を利用すれば、暴動を起こしたり、国家転覆のクーデターを起こすワンチャンあるのか」

難民とか、いかにも弱者っぽい立場の問題をうまく利用して、われわれはこういうのを守るのだ、とやって、じつはこっそり弱者難民を装って日本に侵入するテロリストともうまく手を組んで、大きなムーブメントを起こして国家転覆を狙うってのはどうだろう。

少なくとも、フランスでは、ちょっといいところまでいったじゃないか、と。


日本では埼玉県にクルド系住人が集中しているようで、かれらが川口市内の病院で乱暴狼藉のケンカ騒ぎを起こしたというニュースがありました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/5a35ac...

埼玉に居住するクルド人の中にはいわゆるヤンキーのような示威的な行動をとるのもいたそうで、記事中の言葉を借りれば、「コンビニでたむろし、メンチ切ってくる」「車で危険運転をする」「気味が悪い、怖い人たち」だったそうな。

少なくともぼくがTwitterで観察している限り、左翼系の人たちはこの機動隊まで出動した暴力事件のニュースには、だんまりを決め込んでいました。

まだ是々非々で、アカンものはアカンという立場を表明しているのならわかるんですが、だんまりだったんですよ。


このあたりを踏まえると、ビートきよしがよくわからない金回りのよいクルド系住民の難民申請ということに気味のわるさを感じて、帰れ帰れといったのは、まあ著名人の言葉としてうかつではあるとおもうけど、関東圏内に住む人としては当然の危機意識のあらわれだとおもいます。


ところが極左系の連中がこの、いち芸能人の自由な範囲でのつぶやきに過剰に反応し、組織的にヘイトだと大騒ぎして攻撃したあたり、もしかしたらかれらも、こういった「難民」を利用してなにかやろうとしてるのかもな、と邪推せずにいられません。

で、いちばん気の毒なのは、そういう政治運動に巻き込まれて、ほんとうに支援が必要な難民が、悪党扱いされて十把ひとからげに排斥されることになる、ということだとおもうんですけど、この点もビートきよしはすでにつぶやいてます。



日本でも、フランスのあの暴動事件は、対岸の家事じゃないんだとおもいますよ。

#時事
Icon of nouennushi
きょうも朝夕2回の水やりで、すこしずつ葉野菜は発芽しています。
オクラも一部に最低限の水やり。ズッキーニもバケツに柄杓で往復しながら、株元に水やりをしています。

ズッキーニの柄杓水やりは、効率的かどうかはともかく、やってておもしろいです。
なんというか、株元が水をどんどん吸い込む感じがするので、やりがいがあるというか(笑)

夕方には段々畑の斜面の草刈りをしました。このあたりの昔ながらの段々畑の斜面は、みんなすこしでも畑の面積を広くしたいという思惑で、ほとんど直角に近いむちゃくちゃな傾斜なんですよね。

だから、高齢化が進んだいま、山の法面はどこも少しずつ崩れています。
多少土地の面積が狭くなるくらいどうでもいいし、斜面がゆるやかになるほうが好ましいので、ほったらかしです。
#野菜
Icon of nouennushi
こちら、「フルベッキ群像写真」といいます。

オランダの宣教師グイド・フルベッキが佐賀藩の藩校で学生と教師をあつめて撮影した写真で、明治初年頃のものといわれています。

……フルベッキですか。(なにかを想像しながら)
#与太話

20230728080111-nouennushi.jpg
Icon of nouennushi
軽トラでスーパー行く途中に、ラジオでこの曲を聞いて、最初、「あ、変わったブルースだな」とおもって、しばらく聞いてたら、なんか聞き覚えがあるぞ、と。
途中で、あ、これレニー・クラヴィッツのアメリカンウーマンやんか、と気づいたんですが、もともとこっちが原曲で、Guess Whoというバンドの曲だったようです。
個人的にはこの原曲のほうが好きだなあ。



#音楽
Icon of nouennushi
ふだん何気なくつかってる言葉が、じつは省略語で、意味がわからないということがあります。

回をわけて2例あげますが、今回は「祇園」。

祇園精舎の鐘の声、と平家物語の冒頭にありますが、祇園とは「祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん)」の略。
ですから、省略せずにいうと「祇樹給孤独園精舎の鐘の声」になります。
漢字が多くてイヤになります。

祇樹というのは、ブッダがいたころのインドの、コーサラ国の祇陀太子(ジェータ太子)が所有していた樹林です。
祇陀太子の樹林だから、祇樹。

給孤独というのは、スダッタという金持ちのニックネーム。
漢字で書くと須達長者なんですが、孤独な貧民に施しを与えるような人だったそうで、そこで給孤独というニックネームがついたそうな。

精舎というのは修行する場所ということです。

この言葉が生まれた由来として、スダッタがブッダに入れ込んだあげく、ジェータ太子に頼み込んで巨額の私財を投じて樹林を買い取り、ブッダの修行の場所にしてくれと喜捨するんですね。

だから「祇樹給孤独園」は「祇陀太子の樹園を買った給孤独が、ブッダに捧げた修行の園」ということになります。
この言葉が省略されて祇園となったわけです。

ちなみにインドの祇園精舎は場所も特定されていて、グーグルマップにも載ってます。
https://www.google.com/maps/place/%E7%A5...

#与太話
Icon of nouennushi
オクラ、獣害がおさまったおかげで、お盆あたりから多少収量が持ち直すかもしれないなという感じ。

例年とはまったく比べ物になりませんが、うまくいけば人件費以外は回収できるかな。
出費した分がそのまま戻ってきて終了、といった感じですが、戻ってこないよりはマシだろう、とため息まじり。

さて、梅雨まで大量の雨が降り続いたあと、いまはカンカラカンに乾く日々が続いていますが、このような無茶苦茶な天気がいい実験になっていると考えて、ことしはあえてズッキーニもオクラも葉を落とさずに育てています。

ズッキーニは葉を落とさないと、実に葉擦れを起こすものがありますし、収穫の見落としも発生するんですが、収量は例年より上々の印象。

オクラは実の2~3節ほど下からどんどん葉を切り落とすのが栽培の基本なんですが、これをすると干天続きで水をやれなかったときに、枝がすべて落ちて茎だけの棒になったことがあります。

葉っぱを残すことで、株元が日陰になって多少は変化があるか、あるいはやっぱりダメか、うちは水やりの届かない圃場が多いので、そのへん、観察してみようとおもいます。

#野菜

編集

■複合検索:

  • 投稿者名:
  • 投稿年月:
  • #タグ:
  • カテゴリ:
  • 出力順序:

■新着画像リスト:

新着画像リストは出力しない設定になっています。

全230個 (総容量 183.18MB)

■日付検索:

■カレンダー:

2023年8月
12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031

■カテゴリ:

■最近の投稿:

最終更新日時:
2026年4月5日(日) 11時48分53秒〔6時間前〕