山麓王国

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ぼくは24時間テレビは見ないし、むしろ嫌いなのだけど、この曲だけは好き。

ほんとうに好き。

#音楽
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タバコ吸いたいなとおもって、コンビニに行って、ラッキーストライクがないかとおもったら、なんかもうぼくが吸ってたころのラッキーがなくて、しかも老眼で、レジあたりでしかめつらでタバコを眺めてたら、店員が話しかけてくれたんですよ。

「お探しですか」

「ラッキーストライク探してるんですけども」

「どんなのがいいですか」

「もう老眼でよく見えないんですよね。むかし吸ってたのもないしなあ」

「何mmとかあります?」

「ああ、これ8mmですか」

「ふつうの8mmでいいですか」

「はい。メンソールじゃないほうがいいです」

「じゃあ、これで」

じつに迷惑な客です。

なんだかおもってたより安かった(450円)し、むかしのような感動はなかったけど、ふつうにうまかった。


きのうときょうで2本吸ったんだけど、ここから吸い続けるともう中毒になるのでね。

できることなら、このタバコをどこかに隠して、また3か月後くらいに取り出せればいいのだけど。



3か月、開かない箱みたいなのがあればいちばんいいのだな。
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https://gigazine.net/news/20231018-peppe...

からい唐辛子を追及して、ひとりもだえ苦しんでる農家という、たぶん、農家の中でいちばんおもろいオッサンだとおもいます。
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きょうはいつもどおりの収穫をして、午後から畑を耕して肥料まき。
サトイモの収穫でフィニッシュ。

金曜日に雨が降ってくれるようなので、あした種まきをします。



ところで、以前にも話したかもしれませんが、秋の葉野菜の圃場にも、ベタベタと足跡が残っていて、また小動物が来たのかとおもっていました。

ハクビシンか、テンか。いずれにせよ食害があるとタイヘンだとおもいながら、足跡をみていたんですが、どうもちがう。

猫みたいやな、とおもってたんですが、最近それがほんとうに猫であったことがわかりました。

こんな山際の畑に、猫がゆうゆうと歩いているのです。

2年ほど前にも猫はみかけていましたが、あのときの猫とはちがうようです。

いわゆる山猫ということでしょう。

人慣れしているわけではなさそうで、ぼくが近づくとそのぶん逃げていき、たまにチラチラぼくをうかがいながらも、結局興味なさそうに山へと消えていきます。

防獣ネットは背をかがめてスルスル通り抜け。

ぼくが一生懸命張った防獣ネットですが、造作もないって感じ。

きょうはぼくがトラクターをかけていたら、作業小屋のほうからあらわれました。
まるで猫のほうが我が家の主人のようです。

野菜に食害はないのですが、畝にペタペタと大量の足跡をつけるので、わずかに発芽が安定しないという、まあごく軽微な問題が発生しています。

それよりも、肉食の動物がいることは畑にとってはほかの小動物を追い払う良い効果をもたらしそうです。

そういえばこの前、山際で頭だけかじられたヘビの死骸を発見しましたが、あれもあいつの仕業か。

#野菜
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朝6時、道路の気温計は7度でした。

ぼちぼち虫害も落ち着いてきそうなものですが、日中があたたかいため、まだ油断ができません。

野菜のまわりをひらひらモンシロチョウが飛んでいるのをみると、野菜が虫にやられないかと心配になります。

子供のころはモンシロチョウはかわいい、くらいにしかおもっていなかったのに、いまでは敵です。



ところで、晩夏に不織布をかけて育てた葉野菜は、ダイアジノン粒剤を散布していたんですが、どうやら不織布内の土中に卵でもあるのか、コナガが発生して虫害が出ました。

これは春には起こらない現象です。

オルトラン粒剤のような、コナガに適用があってそのまま薬剤を散布できる農薬を利用してから不織布をかける、というのであれば防除できる可能性はあるのですが、秋栽培の葉野菜の場合は、適期に露地で防除しながら栽培するのが間違いなさそうです。

#野菜
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明け方4時ごろ、まだ外は真っ暗なんですが、比較的近いところで獣のけたたましい鳴き声が聞こえました。

野菜がやられてないかなと表に出たら、鳴き声は畑ではなく山から聞こえてきたので、ひと安心。

だったのですが、ぼくが外に出た瞬間、獣の鳴き声が、「ギャア、ギャア」から、「キャッキャッ」と、まるで馬鹿笑いしてるように変化したんですよね。

なんだか化かされてるみたいだな、とおもいながら、アホらしくなって布団に戻った次第。

#与太話
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午前中に収穫作業。

午後は買い物にあてました。

あしたはすこし忙しくて、カブとチンゲンサイだけ種まきしようとおもっています。
年内に雪が降られたらパアなんですが、ことしはよほど暖かいという予報に期待して、最低限だけ播種しようかな、と。

圃場の準備をしたら、サトイモの収穫もしなければ、です。

いまは夏野菜がぼちぼち終わりかけなんですが、ちょうど夏野菜と秋野菜の汽水域みたいな状態で、収穫も忙しくて、ここを乗り切れば、年内はすこし落ち着いてきます。

そうなれば、またゲーム三昧をたのしもうとおもいます(笑)

#野菜
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次元大介という、Amazonでつくってるドラマ映画をみました。

個人的には、想像していたよりはおもしろかったです。

どう考えたって、映像化するにはハードルが高いので、駄作だったときの心の準備をしていたんですが、B級映画的な割り切りがあったことに好感がもてたし、演者が作品を支える形でうまく作用していました。

燃えよドラゴンのオマージュのような一幕があったり、永瀬正敏の役柄に、ルパン三世に出てきた敵の白乾児(パイカル)をおもいだしたり、全体的に荒唐無稽な世界観ですが、モンキーパンチっぽいダークな雰囲気はあったとおもいます。

久しぶりに型通りのパターンにはまったアクションがみられたのもよかった。

ただ、ぼくはたまたまハマりましたが、人を選ぶ作品ではあるとおもいます。
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SNSをしてたとき、ぼくはほとんどの発信に、いいねがついたりはしても、返信はなかったんですよね。

いいねは、うるさいだけで、あんまりいいものじゃなかったです。
いいねを押す側は回覧板に印鑑押すような感覚なんですが、受け取る側はそうじゃないですよね。

ああいうことでじぶんの承認欲求を満たすというのは……たぶん満たせないんですよ。

むしろ心に競争が生まれて、苦しみのもとになる。

たとえば1万のいいねが毎回つくような人は、それが5000になると苦しむわけで。

でもふだん100ほどのいいねをもらってる人の中には、5000もいいねがつくなんて! といってうらやましがる人もいるかもしれない。

そこにあるのは結局数字であって、だれもそこに、いいねとおもってくれたひとりひとりをおもいうかべることはしません。
(というか、できない)

戦争で「〇万人の死者が出ました」というとき、亡くなったひとりひとりの尊い人生を追いかける人はほとんどいません。

〇万人という数字が、相対的に多いか少ないか。その数字で悲劇の総量を決めてしまう。

そういう状況下では、10の死者が出たときに「10人ですんだのか」とすらおもってしまうようになる。

かといって、われわれは死者の、ひとりひとりの人生をすべて受け止めることはできないし、結局は数であらわすほかないんですけどね。



だから、あんまりこういうサイトでも、アクセス解析なんてのはないほうがいいんだとおもってます。

だれが「何人来たのか」なんてことをやったところで、べつに商業的な効果を狙うサイトでもなし、分析する意味がありません。

それどころか、やっぱり満たされぬ承認欲求に苦しめられるだけですから、ひとりで書きたいことを書いてるのがいいとおもう。



この考え方は、たぶん少数派だとおもいます。

いや、「おもいます」じゃないな。

少数派である、と自信をもって言えます。

なぜなら、ネットでなにかを発信してるほとんどの人は、ぼくのようにひとりで書きものを楽しむなんてことはせず、SNSをやってるのだから(笑)

#与太話
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きょうも蚊に3か所ほど刺されました。
携帯式の蚊取り線香をしてるんだけど、線香が切れたとたん刺されたり、線香の行き届かない足元を刺されたり、まあなかなか防ぎきれません。

しかし、ハチには何度も刺されるとアナフィラキシーショックが起こるなどといわれますが、蚊の場合は刺され慣れてくる感じがあります。

もちろんかゆいし不快なんですけどね(笑)
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チンゲンサイとカブです。生育は順調です。
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あまりにも変化のない一日なので、なにを書くということもないのだけど。

とりあえず気まぐれな天気予報に翻弄されています。

それからきょうはいつにもまして季節外れに暖かいですね。

ことしの秋は暖かくて虫がいつまでも活発なせいで、葉野菜の農薬消費がすこし多めです。

あと、世の中の値上がりに合わせて、ぼくも野菜の値段を上げているのだけど、ありがたいことにお客さんは買ってくれています。

それでも、直売所の場合は、市場の野菜の値上がりのペースをそのまま反映させるわけにはいかず、割安感は維持しなければなりません。

まあ、去年に比べて2割ほど底値を上げた、くらいのイメージかなあ、と。

そのまま値上がりした野菜価格が安定すれば、それを見極める形で直売所の野菜ももう少し値上がりするとおもいます。

#野菜
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朝、急いでオクラとズッキーニとつるむらさきの収穫と袋詰めだけすませて、親睦会へ。

お子さんたちも含めて20人以上集まっていただいて、トランプやビンゴをして遊びました。

ぼくは事前にお昼のお弁当を予約して、自治会長に教えてもらいながら景品とお菓子と飲み物の買い出し。

だいたい要領をつかんだ感じはありますが、なにせ人前でしゃべるのが苦手で、それだけがネックです。

親睦会が昼過ぎに終わって、それからカブの収穫。

日差しはあったとおもうんですが、なにせ蚊が山ほどわいていて、蚊取り線香をしていても刺される始末。

ことしは100か所以上刺されたんじゃないかな(笑)

#野菜
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ぼくはうつ病を患っていた期間があって、ちょうど30になるあたりでしたが、もうともかく毎日、死ぬことばかり考えていました。

仕事上で裏切りにあったり、じぶんという人間の頼りなさへの絶望であったり、いろんな要素が混じり合ってのことです。

一日中寝ていたり、まともに歩けなくなるほどで、心療内科の薬も気休めのようなものでした。

死にたかったというよりは、もう死なざるを得ない、という感覚なんですが、これが「死ねばラクになる」という考えと混じり合って、結果、死にたいという考えになる。

生きているとずっと苦しい、つらい、いたたまれないような気分になって、逃げ場がないんですね。

そこでぼくは、生まれてはじめて、仏教について調べ出した。

あのときのぼくの心境は、わらにもすがるおもいだったはずですが、信じるものは「救われる」というのなら、それがどういうものか調べてみよう、くらいの意識です。



調べてみて、まず最初に、なんだこれはとおもいました。

仏教の開祖である仏陀は、この世に生きることは四苦八苦であると説いたんですね。

生まれる苦しみ
老いる苦しみ
病気になる苦しみ
死ぬ苦しみ

この4つの苦しみが、基本です。

この四苦に、さらに派生的に4つの苦しみが加わって、四苦八苦といいます。

愛別離苦(愛するものと別れる苦しみ)
怨憎会苦(憎むものと出会う苦しみ)
求不得苦(求めても得られない苦しみ)
五陰盛苦(肉体と精神が存在することで生まれる苦痛)

なんと仏陀は、この四苦八苦をもって、この世は苦しみがすべてだ、と説いたんです。

たのしいとおもうことも、それは苦しみに薄くてすぐはがれるメッキを塗っているだけで、結局は苦しみになる、という。
幸せだとおもうことも、この幸せがいつまでも続くわけではないという苦しみになる。

この世にある唯一の真実は苦しみである、というんですから、それを知ったぼくはもう、ガッカリですよ。

この苦しみをどうにかしてほしい、とおもって仏教をひもといたら、いやこの世はぜんぶ苦しみですよ、というのだから、バカにするにもほどがあります(笑)

でも、その後じっくりと仏教について広範囲に調べていくと、どうやら仏教の経典というのは、この手の最初に落としてあとで持ち上げるタイプのロジックが非常に多いことがわかりました。




たとえば、般若心経では、じつはわれわれは無である、というんです。

みえているものも、感じていることも、聞こえていることも、じつは「ない」。

え?

いま、現にわれわれはここに存在してるじゃないかとおもいますが、般若心経は、ひたすら無を説きます。

この世が無であるということがわかって、はじめて仏の道が開かれるんだ、とまでいう。

最初は、まあ死ねばみんな無になるのだから、そういうことなのかな、くらいの理解でした。



でも、これはどうやら、無と、無限を越えた有がつながっている、ということがわかると、意味が通るようになってるようです。

般若心経がいう「無」は、0(ゼロ)ではありません。

数字の概念であらわすことができない、なにもないという世界です。

同時に、無量大数という概念があって、これは無限大ということでもあります。

これも数という概念ではあらわせない領域ではあるんですが、さらにその向こう側。

数の概念を越えたすべてという、イメージとしては、宇宙の果てをさらに超えた場所、というような感じです。

こうなると、人間の理解を超えている世界という点では、無と変わらないんですよね。

だから、なにもない、というのは、なにもかもである、ということとつながっている。

死んだらわれわれは、無になると同時に、なにもかもになる。

われわれが生きているのも、なにもない無の世界であると同時に、無限大を超えた有の世界です。

一本のヒモの、左右の端っこがそれぞれ、無と無限大であるとして、それを輪っかにつないだら、無と無限大がくっつくでしょう。

般若心経はちょうどこの、一本のヒモの、無と無限大がくっついたところにフォーカスをあてているわけです。




さらにもうひとつ、日本の仏教では、浄土真宗の開祖である親鸞がこんなことをいったそうな。

「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや」

訳すと、こうなります。

「善人でも極楽往生できるのだ。悪人が往生できないわけがない」

え?

ふつうは逆でしょう。

悪人でも救われるのだから、善人が救われないわけがない、であれば意味が通ります。



しかし親鸞が言いたかったのは、阿弥陀仏は悪人を救いたがる仏さんだということでした。

じぶんが悪人であるということを自覚していない自称善人でさえ、阿弥陀さんは救っていかれる。

じぶんが悪人であると自覚して苦しむ者を、阿弥陀さんが救わないわけがない。

こういう理屈です。

仏教の世界では(あるいは宗教の世界全般そうかもしれませんが)、こういうロジックをつかうことが多いんですよね。




仏陀のいう四苦八苦の理屈の場合も、おなじようなものです。

この世を生きることのすべては苦しみである。

この苦しみをよく理解し、受け入れて、逃れ得ぬ苦しみと共存して生きていく。

それだけがこの世を生きる救いなのだ、と。

まず最初に、われわれの本質は苦しみである、という負の側面を伝えておいて、この苦しみと一緒に生きると覚悟を決めたところに救いがあるんだ、という論理です。

ぼく自身は仏教徒といえるほどの信者じゃないし、これといった宗教に帰依もしていませんが、それでも、こういう教義を理解することで、なんとなく腑に落ちるものがあるのは事実です。



で、結局なにが言いたかったのかというと、ぼくはいま、すごく苦しいのだけど、この苦しみと一緒に生きていくしかなくて、また苦しいのはぼくだけではないことでしょう。

それで、まあ、だからなんなのだといわれればそれまでなんですけど、ぼくだけが苦しいわけではないのなら、いちおう書いてみようかな、くらいのことだったのです(笑)

ずいぶん長い記事になっちゃったな。

きょうは集落の親睦会で、ぼくが幹事のような役割です。

とりあえず急いで収穫だけすませようっと。

#与太話
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ネットの情報は遮断したのだけど、どうも発信するということについては、やめられそうにありません。

個人的には受信することがやめられないのではないかとおもっていたのだけど、こちらはそう苦でもなかった。



言い訳のようにおもわれる時期も過ぎたのでいうけれど、ぼくは旧Twitterの政治活動家のアカウントを複数みていて、極右から極左まで、もちろんその間に属するいろんな政治アカウントの意見を吸収していました。

中には宗教学者もいたし、実際の各宗教の宗教者の意見もみていました。

そういう人たちは強い思想を持っていますから、ぼくがかれらの意見に感化されることも多いし、社会問題のほんとうのところや、社会が抱えている欺瞞にも気が付くようになります。

ところが、そういう欺瞞やほんとうのところがわかっても、家族であったり、あるいは近所の人とたまに政治の話題になると、ぼくが持ってる知識なんて、なんの意味もないんですよね。

だって、みんなじぶんの向きたい方角をみていて、じぶんの見えたものしか信じていない。

ぼく自身もじゃあ、いろんな立場の意見を聞いたからといって、その理解が「正しいのかどうか」、まったく自信がありません。



で、最近ふとこうおもった。

「政治活動家たちは、じぶんの思想によってああだこうだTwitterで発言しているけれど、実際の政治家ではないし、ほんとうの政治的思惑や、社会で実際に起こっていることは、結局当事者以外がそうカンタンに読み解けるものではないんじゃないか」

そういう意味合いのことを、ぼくは844の記事で書きましたが、つまり、いったんネットの情報を遮断して、世の中の速度を気にせず、本や地域の情報から理解すべきことがあるんじゃないか。



ある約束があったので、Twitterのアカウントを削除することには抵抗もありましたが、もう何か月もだれからの連絡も反応もない状態でしたし、農業系の情報さえ、ことしのじぶんの農業の成績を考えると気分が荒れるので見る気がしませんでしたから、もういいやとアカウントを削除して、ニュースも社説を読む程度にとどめ、生活に集中することにしました。

その試みは、うまくいったとおもいます。

むかしのTwitterはログインしなくてもアカウントの情報がみられたので、つい中毒的に閲覧していましたが、いまのTwitterは要塞と化していて、ログインしなければ情報がみられません。

いざ見られないとなれば、それはそれで納得してしまうものです。

現実に感覚を向けると、秋の虫の音がすこし落ち着いてきたことや、キンモクセイのいい匂いがするようになったことなど、季節の変化に気持ちが行き届くようにもなりました。
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サトイモをほぐすのだけど、1時間でおよそ10株ほど。

去年はひと株が大きかったけど歩留まりはわるくて、ことしはひと株は小さいけど歩留まりはよいです。

イモのひとつひとつは大きいものも多く、感覚的には上出来です。

これだけ雨が少なく、近代以来の最高気温といわれる中で、よく育ってくれました。

#野菜
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今朝、国道の気温計が9度をさしていました。

10度を切ると野菜の虫害は一気に減ります。
が、いちおう防除は必要。

朝の気温が5度になると、虫がいなくなります。

虫が生きるのに厳しい温度になると、人間もこたつが恋しくなります。

#野菜
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イスラエルとハマスの件、報道がイデオロギー面で、「どっちにつくか」みたいなことを主題にするから、ものすごく不誠実でわかりにくいことになってる。

正義みたいなものはどっちも抱えているのだし、世界中でつめたーい視線を送りながら「どうせまた東西陣営の代理戦争なんですよね」「戦争したい人だけが儲かる時代ですよね」といって、バンバン冷や水をぶっかけていくくらいがちょうどいいのだろうとおもう。

どっちが正しいかを深掘りするの、意味ないなあ。
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ボーカルの子は、いまはチリヌルヲワカとしてやってます。
ぼくはYouTubeで聴くばかりですが、長く見ています。

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GOGO7188という3ピースバンドが、妖怪人間ベムをカバーしています。

20年以上前に流行ったバンドですから、たぶん多くの人はこの曲を知らない。

ジェットにんぢん、好きだったな。

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きょう軽トラでひさしぶりにラジオを聞いてたら、「1000ccの曲を……」といって、ずいぶん昔気質なダンスっぽい曲がかかってて、こういうベースラインのしっかりした曲は好みだったので、家に帰っていろいろ調べてたんですが、1000ccなんてバンドはなくて、これはいったいどうしたことか、と。

で、ようやく見つけたんですが、バンドの名前が「Say She She」でした。

セイシーシーで、ぼくは1000ccと聞き間違えた、と。
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「葬送のフリーレン」と変換しようとすると、「曹操のフリー練」と変換されたのだけど、これではパリピ孔明の隣町で曹操が部活に励む転生モノではないか、とそんなことを言いたいのではありません。


この漫画のことは名前だけ知っていて、アニメを1話だけみたんですが、日本ではもうエルフやドワーフといった概念はほとんど説明不要の存在になっているようです。

これは北欧神話、ヨーロッパ中部から北部にかけての、民俗信仰における神話です。

日本で言えばアマテラスオオミカミが、とか、因幡の白兎とか、竜宮城のワタツミの神が、といったああいう伝説の類で、この北欧神話が日本ではゲームに利用されて、それでなじんだという格好です。

ゲームで神話がなじむようになったという点では、クトゥルフ神話もそうでしょうが、とりわけこの北欧神話が日本でこうもなじんだのはなぜなのか。

ただ、おそらくこの場合のなじむというのは、信仰としてなじむというよりは、広告戦略でアイドルが売れるように、なんらかの広告的効果があったからだとはおもいます。

でもそれを差し引いても、たとえばエルフが長命であるとか、ドワーフは力自慢で鍛冶に向いてるとか、どうしてこういう、北欧神話のごく部分的な理解が、われわれの世代で当たり前のように共有できてるのか、よくわからずにいます。
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蚊に足5か所も刺されて、もうどこがかゆいのかもわからない(笑)
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畑の見回り。

ことしは、春に春菊を栽培して、ある花が咲ききるまで放置してから、畑にすき込んだのだけど、その跡地でジャガイモ栽培してました。

イモ苗が出ているかどうか確認していたら、畝にぽつぽつと春菊が苗になっていました。

これ、こぼれ種から発芽したのかな。



……。



とすると、もしかしたら、こんな栽培法もあるのでしょうか。

春に春菊を栽培して、花から種をつけて、樹が枯れるまで育てたところで、刈り取り。

その樹を手で持って、周囲に種をまくように振って、古株は畝間の通路によけて、ほったらかして腐らせてしまう。
畝はそのまま不耕起で放置。

春菊の種は2か月ほど休眠期間があるので、9月くらいまでは発芽しません。

なので、9月くらいまでナイロンコードで草刈りだけして、9月に化成肥料を畝にまく。

そうすると、また秋にその場所で春菊が再収穫できるのではあるまいか。



まあ、もちろんこれは机上の空論ですし、不耕起の畑で質の良い春菊を歩留まりよく収穫するのはむずかしいとはおもいますけど、でも春菊は在来種だし、こぼれ種を利用して再収穫できるならおもしろいなとおもったんですよね。

#野菜
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カブと春菊を初収穫。
まだ小さいので、あと数日畑に寝かします。
カブはそこそこのがとれそうで、春菊はちょっと残念め。
このカブ一畝分で、葉物野菜失敗分は全部取り戻してプラスが出ます。
#野菜
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作家のなだいなださん(1929-2013)は、社会問題を「わかり急ぐな」といいました。

いま起こった出来事を、いまわかろうとしたがる。けれど、そんなことはできないんだ、と。

社会問題が起こって、結果がぼんやりわかるのが10年後、さらに10年したらもうすこしわかるかもしれない。

社会問題の全体像が見えてくるのはそれくらいのスパンであって、いま起こったものごとの顛末を、いま知ることは不可能なんだというのです。



けれど、いま起こっている社会問題にいろんな理由をこじつけて、未来に起こることさえ、あたかもわかったかのようにふるまうような人もいます。

こういうしぐさは、いまだったら陰謀論というんですが、なださんが「わかり急ぐな」といった1985年の当時には陰謀論という言葉がなかったのでしょう。

なださんは「黙示録的な解釈」といいました。

黙示録というのは新約聖書の一部です。

きたるべき世界の終末の際、キリスト教が勝利することを預言(神託)という形で表現しています。

だれも世界の終末なんてわかりやしないのに、わかったようなことをもっともらしく書いているわけですから、キリスト教にはわるいけど、「黙示録 ≒ 陰謀論」とつなぐことはできるでしょう。

黙示録は、キリスト教が迫害されている地域の人たちを応援する目的で書かれたようですが、現代のわれわれも、ショック状態の中でものごとをわかり急ぐと、黙示録的な解釈にすがりついてしまう。

つまり、じぶんたちに都合の良い解釈に頼って、安心を得ようとしてしまうのです。



ウクライナとロシアの戦争が起こってから、いまイスラエルとハマスが戦争状態にある。

こういうことを結び付けて、「ほれみろ、戦争は連鎖するんだ。もう世界大戦が起こるんだ」という人がいる。

「自陣営の勝利を疑わない」という人もいる。

日本だってもう戦前なんだという人もいる。

みんなものごとをわかり急いで、黙示録的に自陣の勝利によって事態が解決することを期待し、その勝利が一刻も早く確約されることを望んでいる。

ただじぶんたちが安心したいがために、みんな心の中で武器を取り始め、いつの間にかほんとうの武器になっている。

しかし多くの人々にとって、この異様な心理状況の、その異様さに気づくのは、戦争が終わった後なのではないか。

あるいは戦後、世界の均衡が曲がりなりにもとれていたのは、この異様さからの戦争を経験して、異様だったことに気づいた人たちが多く生きていたからではないかという気がします。
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3時間かな、4時間かな、それくらいは眠れたんだけど、そこから布団に入っててもなかなか眠れず、もうあきらめて、起きることにしました。

ふだん布団に入ってたら、ともかく途切れ途切れでも眠れるので、きょうみたいなのは、年に1回あるかないか。めずらしいです。

交感神経なのか副交感神経なのかわからないけど、バカになることがあって、ふだん3時間睡眠なんて耐えられない不快なのだけど、いまのところそうでもありません。

たぶん、あとでどんよりと効いてくるんだろうとおもいます。

こんな時間に、雨が降ってきました。
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地中海の舞踏、のアル・ディ・メオラですよ。

世界一速いギタリストで有名なんですが、本質的にはそういうくくりではおさまらない根っこのあるギタリストです。

スペイン音楽を探究する音楽家という一面がわかると、こういうビートルズカバーの、中近東とヨーロッパの混じり合う感じと、アメリカ的な近代的手法とが……とまあそんなことはよいのですよ。

せっかくだから、地中海の舞踏も聞いてくださいよ。



このすさまじい速弾きの音楽のパートナーは、パコ・デ・ルシアというギタリストでした。

このパコの最晩年の競演が、これです。



パコの顔色が悪いのもわかるし、微妙なところでついていけなくなってしまう。そこを技術的な部分でアル・ディ・メオラがうまく支えているんです。

でも、パコ・デ・ルシアの運指はやっぱりすさまじいんですよ。突如火を噴くように、ありえない速さになる。

でも、やっぱり崩れる。崩れるたびにアル・ディ・メオラが支える。

お互いがお互いを目で確かめ合う。

お互いに本気の本気でぶつかりあう。

ぼくは、この動画をみると、泣いちゃうんだな。

#音楽
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ジュディ・アンド・マリーのそばかすという曲を聞いたときに、なんてヤンチャなギターなんだろうとおもったんですよ。

ちゃんとペンタトニックのルールにしたがって、ちゃんと決めるべきポイントは決めて、なのに、もう曲中はほとんどアドリブで崩してしまうソロパートなんですよね。
#音楽

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