2023年11月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
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お気遣いありがとうございます。
お言葉に甘えて、すこし返信をゆっくりめにさせていただこうとおもいます。
中国の葬儀、なんとなく日本と似ているような気もしますね。
ふとイメージしたのは霊幻道士でしたが、あれは道教ですよね。
日本では葬儀の9割近くが仏教式なんだそうですが、中国では地方によって葬儀のスタイルが変わることはあるのかとか、葬儀の多様性はどうなっているのかなど、気になるところです。
外国人の葬儀にあたっての心のケア、むずかしい問題ですが、ケースによっては必要かもしれませんね。
短期的に就労のために来ている外国人の場合は、日本の高額な葬儀費用が捻出できないなどの問題もあろうかとおもいますし、そうなるとメンタルケアにお金をつかう余裕もない、ということにもなりそうです。
ぼくが外国でそのような経験をするとしたら、その国の法律にしたがって葬送だけして、日本でしかるべき葬儀をしてもらうように手配するだろうとおもいます。
お気遣いありがとうございます。
お言葉に甘えて、すこし返信をゆっくりめにさせていただこうとおもいます。
中国の葬儀、なんとなく日本と似ているような気もしますね。
ふとイメージしたのは霊幻道士でしたが、あれは道教ですよね。
日本では葬儀の9割近くが仏教式なんだそうですが、中国では地方によって葬儀のスタイルが変わることはあるのかとか、葬儀の多様性はどうなっているのかなど、気になるところです。
外国人の葬儀にあたっての心のケア、むずかしい問題ですが、ケースによっては必要かもしれませんね。
短期的に就労のために来ている外国人の場合は、日本の高額な葬儀費用が捻出できないなどの問題もあろうかとおもいますし、そうなるとメンタルケアにお金をつかう余裕もない、ということにもなりそうです。
ぼくが外国でそのような経験をするとしたら、その国の法律にしたがって葬送だけして、日本でしかるべき葬儀をしてもらうように手配するだろうとおもいます。
真言宗へのこだわりは私の個人的な好みなのですが、一般的には菩提寺の僧侶が来るのが自然な形ですよね。
死んでしまえば宗派も何も関係ないのかもしれないと考えていたのですが、その東南アジア系の方の葬儀の話を伺い、とても心が痛みました。
亡くなった人の意思表示は大切ですが、やはり今生きていて葬儀を行う人の気持ちの問題を考えるべきということを、なんだか切実に思いました。
異国の地でそのような形で荼毘に付されたことを、遺族や友人は悔やんでいるかもしれないし、郷に入っては郷に従えで納得していたのかもしれない。
それは傍から見ればわからないことですが、自国で行う葬儀とは形式も気持ちも違うのは間違いなく、外国人の日本でのお葬式には、心のケアも必要な問題なのかと思います。
一度、上海で中国人の葬儀に出たことがありますが、身内も参列者も黒っぽい私服(訂正しました)普段着でした。
お通夜からの様々な流れは、日本とはかなり異なりドラマのようでしたが、一連の儀式の荘厳さはあっても、湿っぽさや古臭さを感じないものでした。
いつも自分の場のように図々しく書かせていただいていますが、返信はあってもなくても大丈夫ですので、お気遣いのないようにしてくださいね。
以前からですが、記事やメールを読ませていただく度に、教えていただくことや、いろいろ気づくことが多すぎて、本当にありがたく思います(*^^*)
死んでしまえば宗派も何も関係ないのかもしれないと考えていたのですが、その東南アジア系の方の葬儀の話を伺い、とても心が痛みました。
亡くなった人の意思表示は大切ですが、やはり今生きていて葬儀を行う人の気持ちの問題を考えるべきということを、なんだか切実に思いました。
異国の地でそのような形で荼毘に付されたことを、遺族や友人は悔やんでいるかもしれないし、郷に入っては郷に従えで納得していたのかもしれない。
それは傍から見ればわからないことですが、自国で行う葬儀とは形式も気持ちも違うのは間違いなく、外国人の日本でのお葬式には、心のケアも必要な問題なのかと思います。
一度、上海で中国人の葬儀に出たことがありますが、身内も参列者も黒っぽい
お通夜からの様々な流れは、日本とはかなり異なりドラマのようでしたが、一連の儀式の荘厳さはあっても、湿っぽさや古臭さを感じないものでした。
いつも自分の場のように図々しく書かせていただいていますが、返信はあってもなくても大丈夫ですので、お気遣いのないようにしてくださいね。
以前からですが、記事やメールを読ませていただく度に、教えていただくことや、いろいろ気づくことが多すぎて、本当にありがたく思います(*^^*)
1093
僧侶がいて、読経をしてもらうほうが、信仰の形が明確になってよいのかもしれませんね。
ギズモさんのご家族が真言宗智山派に菩提をあずけておられるのであれば、その形で弔うのがふさわしいようにおもえます。
きのう、寝る前にふとおもい出したことがありました。
以前、身内の葬式のときに火葬場で……そこはエレベーターのように複数の火葬炉が並んでたんですが、ある火葬炉に、東南アジア系の外国人たちがいました。
かれらは4人ほどでしたが、みんな若く、みんな普段着で、僧侶もおらず、たださびしそうに火葬炉をみつめていました。
かれらの事情はなにもわかりませんが、異国の地で、共通の信仰や形式のコミュニティを持たないまま見送るというのは、どこか寄る辺なくおもえたものです。
弔いの形がどうあるべきかということは、これからもじぶんの中で二転三転しそうなんですが、もうちょっと考えてみようとおもいます。
僧侶がいて、読経をしてもらうほうが、信仰の形が明確になってよいのかもしれませんね。
ギズモさんのご家族が真言宗智山派に菩提をあずけておられるのであれば、その形で弔うのがふさわしいようにおもえます。
きのう、寝る前にふとおもい出したことがありました。
以前、身内の葬式のときに火葬場で……そこはエレベーターのように複数の火葬炉が並んでたんですが、ある火葬炉に、東南アジア系の外国人たちがいました。
かれらは4人ほどでしたが、みんな若く、みんな普段着で、僧侶もおらず、たださびしそうに火葬炉をみつめていました。
かれらの事情はなにもわかりませんが、異国の地で、共通の信仰や形式のコミュニティを持たないまま見送るというのは、どこか寄る辺なくおもえたものです。
弔いの形がどうあるべきかということは、これからもじぶんの中で二転三転しそうなんですが、もうちょっと考えてみようとおもいます。
とてもやさしい素敵なお母さまですね。
お母さまにそういった見方ができるというところに、農園主さんの温かみを感じます。
もち米から、~~というのを読んで、ちょっと笑ってしまいましたが、その次の行で、失礼しました!となりました。
でもそのお気持ちはとても大切なことだと思います。
とは言え、できるか、と言われたら無理ですが(笑)
簡略化させても、気持ちがあれば・・。
その通りだと思います。
うちの方でも、少し前までは12月25日あたりになると、注連縄・注連飾りなどのお正月飾りを売りに来る人が何軒かありました。
臨時のテントを張り、頼まれれば玄関に飾っていってくれます。
その姿も見なくなり、注連飾りは、ハロウィンが終わるとスーパーで大々的に売られ、あの独特の風情も消えてしまいました。
それでも、お米屋さんでついたお餅しか買わず、お鏡餅もそこで買うという高齢の方は、まだ見かけます。
・・・切るのが大変だろうと思うんですけどね。
特に鏡餅を割るのはひと苦労かと。
賛同していただき、ありがとうございます。
わざと極端なこと、と書いていらっしゃいますが、農園主さんが仰っているご自分のお葬式の在り方は、私は大賛成です。
私もほぼ同じことを娘に伝えています。
もし、娘の仕事関係などで体裁が必要なら、仕方ないから盛大なお葬式をしても許すけど(本当は困るというニュアンスをしっかり入れて)、
そうでなければ、葬儀は不要、散骨にして、その後の回忌供養も省略するようにと。
ファミレスや居酒屋でわいわい、いいですね。
それ、追加で伝えておきます(笑)
ひとつだけ考え直そうかなと思うところがあって。
実は父が亡くなった時、お通夜や告別式の時も、斎場で火葬の際も、お坊さんを呼ばなかったんです。
それは、ケチということではなく、これについて家族の意見がほぼ一致したし、特に問題はないと思っていました。
一般的には、火葬する時はお経で送りますよね。
これをしなかったことは、今になって心残りです。
キリスト教でも牧師か神父がきますし、無宗教でもお経は必要だと思うようになりました。
できることなら真言宗智山派の僧侶に来てもらい、一番安い(安い=短い)コースでいいので、お経をあげてくれたらうれしいと思っています。
CDでもいいんですけどね(笑)
笑ってはいますが、私がお葬式をしてもらう頃は、スマホあたりからお経を流すような形式の葬儀が一般的になるのではないか、とも思います。
と、どこまで長生きするんだ、というお話でしたヾ(@⌒ー⌒@)ノ
お母さまにそういった見方ができるというところに、農園主さんの温かみを感じます。
もち米から、~~というのを読んで、ちょっと笑ってしまいましたが、その次の行で、失礼しました!となりました。
でもそのお気持ちはとても大切なことだと思います。
とは言え、できるか、と言われたら無理ですが(笑)
簡略化させても、気持ちがあれば・・。
その通りだと思います。
うちの方でも、少し前までは12月25日あたりになると、注連縄・注連飾りなどのお正月飾りを売りに来る人が何軒かありました。
臨時のテントを張り、頼まれれば玄関に飾っていってくれます。
その姿も見なくなり、注連飾りは、ハロウィンが終わるとスーパーで大々的に売られ、あの独特の風情も消えてしまいました。
それでも、お米屋さんでついたお餅しか買わず、お鏡餅もそこで買うという高齢の方は、まだ見かけます。
・・・切るのが大変だろうと思うんですけどね。
特に鏡餅を割るのはひと苦労かと。
賛同していただき、ありがとうございます。
わざと極端なこと、と書いていらっしゃいますが、農園主さんが仰っているご自分のお葬式の在り方は、私は大賛成です。
私もほぼ同じことを娘に伝えています。
もし、娘の仕事関係などで体裁が必要なら、仕方ないから盛大なお葬式をしても許すけど(本当は困るというニュアンスをしっかり入れて)、
そうでなければ、葬儀は不要、散骨にして、その後の回忌供養も省略するようにと。
ファミレスや居酒屋でわいわい、いいですね。
それ、追加で伝えておきます(笑)
ひとつだけ考え直そうかなと思うところがあって。
実は父が亡くなった時、お通夜や告別式の時も、斎場で火葬の際も、お坊さんを呼ばなかったんです。
それは、ケチということではなく、これについて家族の意見がほぼ一致したし、特に問題はないと思っていました。
一般的には、火葬する時はお経で送りますよね。
これをしなかったことは、今になって心残りです。
キリスト教でも牧師か神父がきますし、無宗教でもお経は必要だと思うようになりました。
できることなら真言宗智山派の僧侶に来てもらい、一番安い(安い=短い)コースでいいので、お経をあげてくれたらうれしいと思っています。
CDでもいいんですけどね(笑)
笑ってはいますが、私がお葬式をしてもらう頃は、スマホあたりからお経を流すような形式の葬儀が一般的になるのではないか、とも思います。
と、どこまで長生きするんだ、というお話でしたヾ(@⌒ー⌒@)ノ
1089
切り餅の入った鏡餅も、カジュアルな信仰という点ではいいとおもうんです。
もしほんとうに信心からやる場合は、もち米を育てて、山にウラジロを探して、庭に橙を植えるなど、「買わずに手配する」ところまでいきますよね。
じつはうちのあたりではほんとうにそういうことがまだ行われていて、80歳になる長老はいまでも最低限のもち米を育てて、年始になると「山のあのあたりにウラジロが生えてて、取りに行ってた」というようなことを言います。
しかしそんなことは、もうわれわれの世代は付き合っていられません(笑)
儀礼を簡略化させても、つないでいきたいという気持ちが残っていれば、大事なものはちゃんと伝わっていくとおもっています。
ギズモさんのお父さんのお葬儀のお話なんですが、簡略的にやろうと提案したギズモさんの考えにぼくも賛同します。
同時に、体裁的なものからわれわれはなかなか抜け出せないというのも理解できます。
ぼくも儀礼的なものが苦手で、ぼくはじぶんから先に「親になにかあれば、ぼくは菩提寺に連絡して家族葬をあげるけども、ぼくが死んだときは葬儀はいらない。どうしてもやりたいのであれば普段着で、僧侶なしで、極力安上がりにして、家族だけで集まってわいわいやってほしい」と伝えています。
家族からすればかえって迷惑かもしれないんですが、ぼくが望んでもいないのに大金をかけて葬儀をする必要はありません。
ぼくのイメージだと、弟あたりが代表でぼくを荼毘にふして、そのあとで家族に連絡してどこかファミレスなり居酒屋なりにでも行って、わいわい飲みながら思い出話でもしてくれれば、じゅうぶんなんです。
あとは骨を……まあ墓に入れてくれてもいいし、入れなくてもいいです(笑)
ぼくの死によって、家族の縁を再確認する場にして、仲良くにぎやかに、という気持ちだけが大事で、儀礼的なセレモニーは必要ないんです。
もちろんぼくはわざと極端なことを言ってるんですが、むかしのように体裁であれこれしなくていい時代ですから、カジュアルな形で、心だけはつないでほしいとおもうんですよね。
切り餅の入った鏡餅も、カジュアルな信仰という点ではいいとおもうんです。
もしほんとうに信心からやる場合は、もち米を育てて、山にウラジロを探して、庭に橙を植えるなど、「買わずに手配する」ところまでいきますよね。
じつはうちのあたりではほんとうにそういうことがまだ行われていて、80歳になる長老はいまでも最低限のもち米を育てて、年始になると「山のあのあたりにウラジロが生えてて、取りに行ってた」というようなことを言います。
しかしそんなことは、もうわれわれの世代は付き合っていられません(笑)
儀礼を簡略化させても、つないでいきたいという気持ちが残っていれば、大事なものはちゃんと伝わっていくとおもっています。
ギズモさんのお父さんのお葬儀のお話なんですが、簡略的にやろうと提案したギズモさんの考えにぼくも賛同します。
同時に、体裁的なものからわれわれはなかなか抜け出せないというのも理解できます。
ぼくも儀礼的なものが苦手で、ぼくはじぶんから先に「親になにかあれば、ぼくは菩提寺に連絡して家族葬をあげるけども、ぼくが死んだときは葬儀はいらない。どうしてもやりたいのであれば普段着で、僧侶なしで、極力安上がりにして、家族だけで集まってわいわいやってほしい」と伝えています。
家族からすればかえって迷惑かもしれないんですが、ぼくが望んでもいないのに大金をかけて葬儀をする必要はありません。
ぼくのイメージだと、弟あたりが代表でぼくを荼毘にふして、そのあとで家族に連絡してどこかファミレスなり居酒屋なりにでも行って、わいわい飲みながら思い出話でもしてくれれば、じゅうぶんなんです。
あとは骨を……まあ墓に入れてくれてもいいし、入れなくてもいいです(笑)
ぼくの死によって、家族の縁を再確認する場にして、仲良くにぎやかに、という気持ちだけが大事で、儀礼的なセレモニーは必要ないんです。
もちろんぼくはわざと極端なことを言ってるんですが、むかしのように体裁であれこれしなくていい時代ですから、カジュアルな形で、心だけはつないでほしいとおもうんですよね。
オーディブルは、ずいぶん久しぶりに割引キャンペーンを楽しんだのですが、作品が増えておもしろくなっていました。
まず最初に、百田尚樹の『日本国紀』を聞きました。
お金を出して買う気にはなれませんが、興味はあったのです。
前半だけ聞いて、続きを聞くかどうかは考え中ですが、感想は以下の通りです。
・著者の思想の偏向した部分を理解したうえでなら、わかりやすい歴史本です。
・秀吉の朝鮮出兵は、明の征服もできたはずだ、というような、たらればで他国を侵略して勝てたという妄想がしょっちゅう出てきて呆れます。
・日本すごい、万世一系がすばらしい、と、じつにしつこい。
とりわけ皇室に関する観念の押しつけがひどい。これでは皇室も悪女の深情けにあったような気分でしょう。
司馬遼太郎は、日本を絶対的なものと考えて(盲目的に日本はすごいと信じ込む態度)、他国と相対的に比べる見方ができなくなったことが、太平洋戦争に負けた原因だと言いました。1025
この本を読んでいると、日本への絶対視がすさまじく、日本は世界征服できるとでも言わんばかりで、これは日本を侵略戦争に導き、さらに敗戦に導くために書いているのだろうかとおもうほどです。
歴史を振り返れば、世界の近代とはすなわち、帝国主義の敗北と言っていいでしょう。
が、この本は帝国主義的な史観に満ちています。
このように考えていると日本はダメになるという見本のような本です。
見方を変えれば、現代の皇国史観や、侵略主義を否定するようにみせかけて侵略主義を肯定する詭弁的なレトリックを勉強する材料にはなるとおもいます。
その次にいま聞いているのが、畠中恵の『まんまこと』シリーズです。
いま2巻目の「こいしり」を聞いています。
もともとNHKの時代劇でドラマとしてみて興味を持ちました。
人との縁やつながりが現代よりずっと深い時代ですが、まともな医療がないので、人の死はいまよりずっと身近で、はかない。
現代では感じ取りにくい人間同士のつながりのありようを、謎解きをからめながらうまく描いています。
女性の視点で男性を描いているからか、男の本質的な野蛮さはないんですが、物語なので気になりません。
そういえば、うちの母はむかし、ぼくの弟がこんなことを言っていたと伝えるときに、「ぼくはお母さんのことをこうおもっていた」という形で話すんですが、弟はじぶんのことを「ぼく」とはいいませんでした。
弟はじぶんのことを「おれ」というし、母のことを「おかん」という。それなりにふつうの、突っ張った男です。
けれど母は弟の話し言葉をフィルタにかけて、じぶんが「ぼく」と言い、母のことを「お母さん」と言っていたという形でぼくに伝えるわけです。
そういう女性らしい、客観的なやさしさの世界が、この作品の中にあるようにおもえます。
#与太話
まず最初に、百田尚樹の『日本国紀』を聞きました。
お金を出して買う気にはなれませんが、興味はあったのです。
前半だけ聞いて、続きを聞くかどうかは考え中ですが、感想は以下の通りです。
・著者の思想の偏向した部分を理解したうえでなら、わかりやすい歴史本です。
・秀吉の朝鮮出兵は、明の征服もできたはずだ、というような、たらればで他国を侵略して勝てたという妄想がしょっちゅう出てきて呆れます。
・日本すごい、万世一系がすばらしい、と、じつにしつこい。
とりわけ皇室に関する観念の押しつけがひどい。これでは皇室も悪女の深情けにあったような気分でしょう。
司馬遼太郎は、日本を絶対的なものと考えて(盲目的に日本はすごいと信じ込む態度)、他国と相対的に比べる見方ができなくなったことが、太平洋戦争に負けた原因だと言いました。1025
この本を読んでいると、日本への絶対視がすさまじく、日本は世界征服できるとでも言わんばかりで、これは日本を侵略戦争に導き、さらに敗戦に導くために書いているのだろうかとおもうほどです。
歴史を振り返れば、世界の近代とはすなわち、帝国主義の敗北と言っていいでしょう。
が、この本は帝国主義的な史観に満ちています。
このように考えていると日本はダメになるという見本のような本です。
見方を変えれば、現代の皇国史観や、侵略主義を否定するようにみせかけて侵略主義を肯定する詭弁的なレトリックを勉強する材料にはなるとおもいます。
その次にいま聞いているのが、畠中恵の『まんまこと』シリーズです。
いま2巻目の「こいしり」を聞いています。
もともとNHKの時代劇でドラマとしてみて興味を持ちました。
人との縁やつながりが現代よりずっと深い時代ですが、まともな医療がないので、人の死はいまよりずっと身近で、はかない。
現代では感じ取りにくい人間同士のつながりのありようを、謎解きをからめながらうまく描いています。
女性の視点で男性を描いているからか、男の本質的な野蛮さはないんですが、物語なので気になりません。
そういえば、うちの母はむかし、ぼくの弟がこんなことを言っていたと伝えるときに、「ぼくはお母さんのことをこうおもっていた」という形で話すんですが、弟はじぶんのことを「ぼく」とはいいませんでした。
弟はじぶんのことを「おれ」というし、母のことを「おかん」という。それなりにふつうの、突っ張った男です。
けれど母は弟の話し言葉をフィルタにかけて、じぶんが「ぼく」と言い、母のことを「お母さん」と言っていたという形でぼくに伝えるわけです。
そういう女性らしい、客観的なやさしさの世界が、この作品の中にあるようにおもえます。
#与太話
記事の最初に青いナンバーが書かれていない場合は独立した記事でしたね。
失礼しました。
ご神体の説明をありがとうございます。
最近は、鏡餅に見える形のものでも、中に四角い切り餅が詰め合わせてあるものが増えていますが、あれは意味がないということですよね。
なんでも便利になっていますが、意味を理解した上で買うことが大事ですね。
お住いの地域では参拝行事があるんですね。
ネクタイ着用は、気軽に行ってはならない行事だからとは理解できますが、やはりめんどうですよね。
そういうものだから、という慣習を継続するか、変えていくかは、厄介な問題のように思います。
神聖なものだからというのが根底にあったとしても、簡略化の見直しは必要なのかもしれません。
話がそれて申し訳ありませんが、父の葬儀は家族だけの密葬で行いました。
父は儀礼的なものを嫌う人でしたので、私が「礼服でなくても黒の服ならいいのでは?」という、とんでもない提案をしました。
母も妹の家族も、そうね、そうよね、という賛同をしたのに関わらず、結局全員ちゃんとした礼服で来ました。
葬儀場の人や葬儀会社の人に、常識知らずの人だと思われたくない、ということです。
以前、祖母のお葬式の時に、わざわざレンタルの式服を借りてきた人が何人かいらしたので、お香典の他にそんな無駄なお金をかけさせて申し訳ないと思ったことがありました。
買えばけっこうなお値段のものですし、こういうものも、時代とともに変わっていっていった方がいいのかな、と思います。
失礼しました。
ご神体の説明をありがとうございます。
最近は、鏡餅に見える形のものでも、中に四角い切り餅が詰め合わせてあるものが増えていますが、あれは意味がないということですよね。
なんでも便利になっていますが、意味を理解した上で買うことが大事ですね。
お住いの地域では参拝行事があるんですね。
ネクタイ着用は、気軽に行ってはならない行事だからとは理解できますが、やはりめんどうですよね。
そういうものだから、という慣習を継続するか、変えていくかは、厄介な問題のように思います。
神聖なものだからというのが根底にあったとしても、簡略化の見直しは必要なのかもしれません。
話がそれて申し訳ありませんが、父の葬儀は家族だけの密葬で行いました。
父は儀礼的なものを嫌う人でしたので、私が「礼服でなくても黒の服ならいいのでは?」という、とんでもない提案をしました。
母も妹の家族も、そうね、そうよね、という賛同をしたのに関わらず、結局全員ちゃんとした礼服で来ました。
葬儀場の人や葬儀会社の人に、常識知らずの人だと思われたくない、ということです。
以前、祖母のお葬式の時に、わざわざレンタルの式服を借りてきた人が何人かいらしたので、お香典の他にそんな無駄なお金をかけさせて申し訳ないと思ったことがありました。
買えばけっこうなお値段のものですし、こういうものも、時代とともに変わって
1083
1086
さっきの記事は、返信ではなく独立した記事だったので、ここで返信させていただきます。
人の形をしていないものをご神体とするということなんですが、身近なところだと鏡餅の意味を説明するときにこの知識が必要になってきますね。
よく似たところで、依り代という考えがあります。
紙でできた人形(ひとがた)にじぶんの穢れを移して、川に流すというようなことや、先祖の霊を鎮める精霊流しも、あとお墓もそうですね。
以前書いたような気もするんですが、日本人は桜を好むでしょう。
春にパッとみごとに咲いて、すぐに散ってしまう。
人生もそのようにありたいものだ、と願う心をあらわすという意味で、日本のあちこちに植えられている桜は、ある意味では日本人の精神性をあらわす依り代のようなものだとおもっています。
いまの時代、神社もお寺もよりカジュアルな形で信仰してもらえるようにシフトしてもらいたいものですし、実際そうなりつつありますよね。
キャッシュレスやインターネットに対応する寺社が、これまでの宗教儀礼的な建前をうまく崩しながら、現代の様式に対応してくれれば、信仰の荒廃が防げるような気もします。
しかしうちの田舎なんかで、神社の参拝行事のときには、ネクタイをしてこいというようなことはいまだにいわれますし、お葬式も礼服が当たり前です。
服装はあくまで一例でしかないんですが、このあたりを普段服でよい(寺社の側から積極的に、普段服で問題ないとアピールする)という寛容な形にシフトしていれば、ここまで寺社の祭礼が「めんどうくさい」とおもわれずにすむのではないか、とおもうんですけどね。
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さっきの記事は、返信ではなく独立した記事だったので、ここで返信させていただきます。
人の形をしていないものをご神体とするということなんですが、身近なところだと鏡餅の意味を説明するときにこの知識が必要になってきますね。
よく似たところで、依り代という考えがあります。
紙でできた人形(ひとがた)にじぶんの穢れを移して、川に流すというようなことや、先祖の霊を鎮める精霊流しも、あとお墓もそうですね。
以前書いたような気もするんですが、日本人は桜を好むでしょう。
春にパッとみごとに咲いて、すぐに散ってしまう。
人生もそのようにありたいものだ、と願う心をあらわすという意味で、日本のあちこちに植えられている桜は、ある意味では日本人の精神性をあらわす依り代のようなものだとおもっています。
いまの時代、神社もお寺もよりカジュアルな形で信仰してもらえるようにシフトしてもらいたいものですし、実際そうなりつつありますよね。
キャッシュレスやインターネットに対応する寺社が、これまでの宗教儀礼的な建前をうまく崩しながら、現代の様式に対応してくれれば、信仰の荒廃が防げるような気もします。
しかしうちの田舎なんかで、神社の参拝行事のときには、ネクタイをしてこいというようなことはいまだにいわれますし、お葬式も礼服が当たり前です。
服装はあくまで一例でしかないんですが、このあたりを普段服でよい(寺社の側から積極的に、普段服で問題ないとアピールする)という寛容な形にシフトしていれば、ここまで寺社の祭礼が「めんどうくさい」とおもわれずにすむのではないか、とおもうんですけどね。
ありがとうございます。
わかりやすいように、そして短くまとめてくださったことと思います。
神仏習合に至るまでの政治と宗教の関係が、とてもよく理解できました。
神道は天皇との関係があって存続してきたとは思っていましたが、そんな簡単なことではなく、
「神道を日本の国教として、仏教の教義と教祖で信仰を補強した」ということなんですね。
政治と宗教のつながりに、国民は振り回されてきたということになるのでしょうか。
神様仏様が、人間に振り回されてしまったのかもしれませんが。
現代の日本では、神道も仏教も日本人にとっての宗教という感覚はあまりなくて、神社やお寺は心のよりどころのようなものなのかな、と思います。
ひとつの神だけ、ひとつの仏だけを信仰している人も稀で、多面的に関わっている傾向があるかもしれません。
また、「信仰」と「信じる」の違いもありますね。
日本はもともと神々の国。
様々な歴史がある中で、神道が消えてしまわないでよかったと思います。
創建が古い神社は、修復などのため奉賛を募っているところが多いですが、最近は寄付・奉賛という言葉でなく、クラウドファンディングで資金を集める方式も増えていますね。
リターンに工夫する神社もあって、神社の進化と努力には目をみはるものがあります。
わかりやすいように、そして短くまとめてくださったことと思います。
神仏習合に至るまでの政治と宗教の関係が、とてもよく理解できました。
神道は天皇との関係があって存続してきたとは思っていましたが、そんな簡単なことではなく、
「神道を日本の国教として、仏教の教義と教祖で信仰を補強した」ということなんですね。
政治と宗教のつながりに、国民は振り回されてきたということになるのでしょうか。
神様仏様が、人間に振り回されてしまったのかもしれませんが。
現代の日本では、神道も仏教も日本人にとっての宗教という感覚はあまりなくて、神社やお寺は心のよりどころのようなものなのかな、と思います。
ひとつの神だけ、ひとつの仏だけを信仰している人も稀で、多面的に関わっている傾向があるかもしれません。
また、「信仰」と「信じる」の違いもありますね。
日本はもともと神々の国。
様々な歴史がある中で、神道が消えてしまわないでよかったと思います。
創建が古い神社は、修復などのため奉賛を募っているところが多いですが、最近は寄付・奉賛という言葉でなく、クラウドファンディングで資金を集める方式も増えていますね。
リターンに工夫する神社もあって、神社の進化と努力には目をみはるものがあります。
すこし日本の古代の宗教と政治の話がしたいのです。
仏教を推進したい大和朝廷が、廃仏派の物部氏を討伐したとき、古神道の生殺与奪の権限は朝廷にゆだねられました。
そのときになぜ、神道を残そうということになったのか。
神道に「利用価値がなければ」、廃することでよかったとおもいます。
仏教のみでやっていく選択をしてもよかったはずです。
では当時の朝廷にとって、神道の利用価値とはなんだったのか。
神道には(特に古神道には)教義も教祖もありません。
日本の歴史の中で、神道に教義(教育勅語)と教祖(天皇)があったのは、大日本帝国憲法発布から太平洋戦争までのわずか半世紀ほどです。
古神道は、人々を導くものがない原始宗教でした。
なのに朝廷が神道を残した理由は、古神道は皇統を証明するのに都合がよかったからです。
皇統がどのようにして日本各地を守ったかということが伝わっていたため、これを神道における祭神としてまつったのです。
そして全国各地に社と祭神をまつることでその住民たちが地域、国家という縄張りを意識する。
これを日本の防衛の論拠としたわけです。
また、国家を統べる宗教が仏教しかない場合、日本が日本であるオリジナリティがなくなってしまいます。
朝廷は、大陸の属国ではなく、大陸と対等に渡り合うひとつの国家を建設するつもりでしたから、日本オリジナルの宗教があるのが望ましかった。
そこで神道を日本の国教として、仏教の教義と教祖で信仰を補強したのです。
かくして朝廷は神道を殺さずに利用しました。
仏教で国内を統治していた中国が革命によって政権転覆を繰り返していたことを考えると、もし日本が仏教の一本柱で国家統治をしていたとしたら、日本も王朝がどんどん革命によって入れ替わっていたのではないかという気がします。
しかし当時は仏教が隆盛を極め、国民から神道の信仰が衰退します。
そこで神道がなんとか生き残りを図ったのが神仏習合です。
そんなわけで、神道の神々は仏門にくだったという物語になっていくわけです。
#与太話
仏教を推進したい大和朝廷が、廃仏派の物部氏を討伐したとき、古神道の生殺与奪の権限は朝廷にゆだねられました。
そのときになぜ、神道を残そうということになったのか。
神道に「利用価値がなければ」、廃することでよかったとおもいます。
仏教のみでやっていく選択をしてもよかったはずです。
では当時の朝廷にとって、神道の利用価値とはなんだったのか。
神道には(特に古神道には)教義も教祖もありません。
日本の歴史の中で、神道に教義(教育勅語)と教祖(天皇)があったのは、大日本帝国憲法発布から太平洋戦争までのわずか半世紀ほどです。
古神道は、人々を導くものがない原始宗教でした。
なのに朝廷が神道を残した理由は、古神道は皇統を証明するのに都合がよかったからです。
皇統がどのようにして日本各地を守ったかということが伝わっていたため、これを神道における祭神としてまつったのです。
そして全国各地に社と祭神をまつることでその住民たちが地域、国家という縄張りを意識する。
これを日本の防衛の論拠としたわけです。
また、国家を統べる宗教が仏教しかない場合、日本が日本であるオリジナリティがなくなってしまいます。
朝廷は、大陸の属国ではなく、大陸と対等に渡り合うひとつの国家を建設するつもりでしたから、日本オリジナルの宗教があるのが望ましかった。
そこで神道を日本の国教として、仏教の教義と教祖で信仰を補強したのです。
かくして朝廷は神道を殺さずに利用しました。
仏教で国内を統治していた中国が革命によって政権転覆を繰り返していたことを考えると、もし日本が仏教の一本柱で国家統治をしていたとしたら、日本も王朝がどんどん革命によって入れ替わっていたのではないかという気がします。
しかし当時は仏教が隆盛を極め、国民から神道の信仰が衰退します。
そこで神道がなんとか生き残りを図ったのが神仏習合です。
そんなわけで、神道の神々は仏門にくだったという物語になっていくわけです。
#与太話
「一瞬静まり返ってからの満場の拍手は、すばらしい演技や演奏のあとに起きる現象」
ということが現実の舞台で定義づけられてしまったら、すぐに拍手が起こった場合、自信をなくす人が増えそうですね(笑)
拍手のタイミングも案外難しいもので、真っ先に叩くと恥ずかしいということもあるように思います。
特にクラシックの演奏会だと、楽器の音の余韻が残っているうちに手を叩く人はまずいないけれど、曲をよく知らないと楽章の切れ目で叩いてしまうこともあり得ます。
お互いに遠慮して拍手を見合わせているうちに、ようやく誰かが叩き、それが広がっていく。
こうなるとまさにドラマの演出のようですが、曲に精通していない観客が多いと、拍手の遅れは考えられるかもしれません。
お芝居だと、これで終わったのかどうかの判断はしやすいので、逆に少し早くから拍手をするケースもあるように思いますが、
拍手が役者への評価だとすると、感動してる間に手を叩け、というのがいいかもしれませんね(笑)
新宮の縄張りが国家。
皇室とのつながりもあり、他の神社と違ってあたりまえなんですね。
前に何かで読んだことがあるのですが、日本の神様は仏像のような像を拝むのではなく、鏡を通してその奥にいる神様を拝むという内容でした。
ご神体にしても、山・岩・木、鏡・剣・玉など、人の形をしていませんよね。
鏡や、八百万の物を通して、自分なりに神様をイメージするのは、ちょっと難しいです(笑)
ということが現実の舞台で定義づけられてしまったら、すぐに拍手が起こった場合、自信をなくす人が増えそうですね(笑)
拍手のタイミングも案外難しいもので、真っ先に叩くと恥ずかしいということもあるように思います。
特にクラシックの演奏会だと、楽器の音の余韻が残っているうちに手を叩く人はまずいないけれど、曲をよく知らないと楽章の切れ目で叩いてしまうこともあり得ます。
お互いに遠慮して拍手を見合わせているうちに、ようやく誰かが叩き、それが広がっていく。
こうなるとまさにドラマの演出のようですが、曲に精通していない観客が多いと、拍手の遅れは考えられるかもしれません。
お芝居だと、これで終わったのかどうかの判断はしやすいので、逆に少し早くから拍手をするケースもあるように思いますが、
拍手が役者への評価だとすると、感動してる間に手を叩け、というのがいいかもしれませんね(笑)
新宮の縄張りが国家。
皇室とのつながりもあり、他の神社と違ってあたりまえなんですね。
前に何かで読んだことがあるのですが、日本の神様は仏像のような像を拝むのではなく、鏡を通してその奥にいる神様を拝むという内容でした。
ご神体にしても、山・岩・木、鏡・剣・玉など、人の形をしていませんよね。
鏡や、八百万の物を通して、自分なりに神様をイメージするのは、ちょっと難しいです(笑)
1080
中村仲蔵の話はたしかにおおげさですね。
芝居が終わって客席が静まり返ってどよめくことは、ほんとうに起こることなのかどうか。
現代ではドラマや漫画の手法として、あまりにもすばらしい演目のあと、客席が一瞬静まり返ってから満場の拍手という演出は、常套化していますよね。
それがほんとうにありえる現象なのか、一度役者さんにたずねてみたいものです。
伊勢の神宮の、監視されているような感じというのは、間違っていないとおもいます。
一般的な神社も地域の縄張りをあらわす一面がありますが、神宮は縄張りの単位が「国家」なので、ありようが特殊なんですよね。
日本神話の神々が絵にしづらいのは、神道には宗教的熱情が起こりにくいからではないかとおもいます。
キリスト教の教会壁画であったり、仏教の曼荼羅など、宗教絵師が命を懸けて表現するような、その「もとになるもの」が神道にはありません。
神道にはこう生きるべきであるという教義であったり、救いの道筋がないので、どうしてもこの神話のシーンを描き残しておかねばならない、とか、この思想を形に残さねばならない、という強い情熱が起こりにくいのだとおもいます。
中村仲蔵の話はたしかにおおげさですね。
芝居が終わって客席が静まり返ってどよめくことは、ほんとうに起こることなのかどうか。
現代ではドラマや漫画の手法として、あまりにもすばらしい演目のあと、客席が一瞬静まり返ってから満場の拍手という演出は、常套化していますよね。
それがほんとうにありえる現象なのか、一度役者さんにたずねてみたいものです。
伊勢の神宮の、監視されているような感じというのは、間違っていないとおもいます。
一般的な神社も地域の縄張りをあらわす一面がありますが、神宮は縄張りの単位が「国家」なので、ありようが特殊なんですよね。
日本神話の神々が絵にしづらいのは、神道には宗教的熱情が起こりにくいからではないかとおもいます。
キリスト教の教会壁画であったり、仏教の曼荼羅など、宗教絵師が命を懸けて表現するような、その「もとになるもの」が神道にはありません。
神道にはこう生きるべきであるという教義であったり、救いの道筋がないので、どうしてもこの神話のシーンを描き残しておかねばならない、とか、この思想を形に残さねばならない、という強い情熱が起こりにくいのだとおもいます。
書いてくださったことすべてに、ああ~そうか!! そうなんだ!!と言う気持ちです。
中村仲蔵と神仏とのお話、そのようにつながったんですね
中村仲蔵が「落語」というジャンルで語られることに、なんとなく違和感がありました。
講談にはなっていますが、落語では、
「團十郎から褒美として煙管を貰った仲蔵に、女房が「煙に巻かれないかい」と心配するサゲ」が、おまけのようについてますよね←落語家によってサゲが違うようです。
まるで、無理やり落語に仕立てた感が満載です。
聞いても(読んでも)、物語で終わってしまい、落語の喜怒哀楽がないんです。
ベートーベンが自信を持って指揮を終えた時、拍手の音、歓声がないので、この曲は失敗だったと落胆して客席を振り返ったら、
感動し、立ち上がって拍手をし続ける観客が見えたそうです。
耳が聞こえなくなっていたんですよね←聞こえる時と聞こえない時があったようです。
それを考えると、感動しすぎて拍手できない、声も出せないというほどの芸というのは有り得るのか?という疑問が起きる話です。
例えそうだったとしても、それは数分のことではないのか、と思います。
先日中村仲蔵のことを書いた時、↑ のように思っていることも書こうとしたのですが、そのままになってしまい、気にかかっていました。
偶然ですが、このところ「農園主さんが万が一、中村仲蔵に関連する記事をお書きになった時に書こう」と思っていたんです。
だから、的外れどころか、中村仲蔵と神仏を関連付けて解説してくださって、びっくりしました。
天照系の神社には生活者の目線がない。
これも理由があっての事なんですね。
天照系の神社にお参りして感じたことは、勘違いではなかったんだと思いました。
伊勢神宮にお賽銭箱がなかったとは知りませんでした。
たまにテレビで放映していますが、あの独特の空気は、テレビからも伝わってくるように思います。
例えは変ですが、伊勢神宮は、後ろにギャルソンが控えていて、マナーを笑われないだろうかとビクビクしながら食べないといけない最高級のフレンチレストランで、
他の寺社の殆どは、気軽に入れる町の食堂かもしれません。
町の食堂でも、中にザ・シェフの味沢匠がいれば、思いがけないラッキーにあずかれると思います(笑)
初めてお参りする寺社では、いつもありがとうございますだけで、何度もお参りする寺社では感謝とお願い事を遠慮なく、と分けています。
初対面の人に、お金貸してとか仕事紹介してとは言えないので、神仏も同じかなと(笑)
仏の場合は仏像があるので、仏様ごとのお姿や顔つきなどがわかりますし、神様でも像になっていればイメージとしてわかります。
大黒さまや七福神などがそうですね。
アマテラスやスサノオなどは、一般的な神社でそういう像を見ません。
あったとしても、現代になってから置物感覚で造られたものです。
絵になっているもの、書物でのお姿は見ても、大黒天や七福神のようにイメージがしにくいことが、距離を感じる一因なのかなと思います。
スサノオの場合は、イメージしにくいのに案外親しみやすいのは、矛盾していますね(笑)
中村仲蔵と神仏とのお話、そのようにつながったんですね
中村仲蔵が「落語」というジャンルで語られることに、なんとなく違和感がありました。
講談にはなっていますが、落語では、
「團十郎から褒美として煙管を貰った仲蔵に、女房が「煙に巻かれないかい」と心配するサゲ」が、おまけのようについてますよね←落語家によってサゲが違うようです。
まるで、無理やり落語に仕立てた感が満載です。
聞いても(読んでも)、物語で終わってしまい、落語の喜怒哀楽がないんです。
ベートーベンが自信を持って指揮を終えた時、拍手の音、歓声がないので、この曲は失敗だったと落胆して客席を振り返ったら、
感動し、立ち上がって拍手をし続ける観客が見えたそうです。
耳が聞こえなくなっていたんですよね←聞こえる時と聞こえない時があったようです。
それを考えると、感動しすぎて拍手できない、声も出せないというほどの芸というのは有り得るのか?という疑問が起きる話です。
例えそうだったとしても、それは数分のことではないのか、と思います。
先日中村仲蔵のことを書いた時、↑ のように思っていることも書こうとしたのですが、そのままになってしまい、気にかかっていました。
偶然ですが、このところ「農園主さんが万が一、中村仲蔵に関連する記事をお書きになった時に書こう」と思っていたんです。
だから、的外れどころか、中村仲蔵と神仏を関連付けて解説してくださって、びっくりしました。
天照系の神社には生活者の目線がない。
これも理由があっての事なんですね。
天照系の神社にお参りして感じたことは、勘違いではなかったんだと思いました。
伊勢神宮にお賽銭箱がなかったとは知りませんでした。
たまにテレビで放映していますが、あの独特の空気は、テレビからも伝わってくるように思います。
例えは変ですが、伊勢神宮は、後ろにギャルソンが控えていて、マナーを笑われないだろうかとビクビクしながら食べないといけない最高級のフレンチレストランで、
他の寺社の殆どは、気軽に入れる町の食堂かもしれません。
町の食堂でも、中にザ・シェフの味沢匠がいれば、思いがけないラッキーにあずかれると思います(笑)
初めてお参りする寺社では、いつもありがとうございますだけで、何度もお参りする寺社では感謝とお願い事を遠慮なく、と分けています。
初対面の人に、お金貸してとか仕事紹介してとは言えないので、神仏も同じかなと(笑)
仏の場合は仏像があるので、仏様ごとのお姿や顔つきなどがわかりますし、神様でも像になっていればイメージとしてわかります。
大黒さまや七福神などがそうですね。
アマテラスやスサノオなどは、一般的な神社でそういう像を見ません。
あったとしても、現代になってから置物感覚で造られたものです。
絵になっているもの、書物でのお姿は見ても、大黒天や七福神のようにイメージがしにくいことが、距離を感じる一因なのかなと思います。
スサノオの場合は、イメージしにくいのに案外親しみやすいのは、矛盾していますね(笑)
1077
ふとおもったことなので、的外れなことを書くかもしれません。
先日、中村仲蔵がぼくには敷居が高いという話をしましたが、その原因をさらに考えていて、ふと気づいたのが、「生活者の目線」のない話だから取っ掛かりがつかめなかったのだろうな、と。
落語の多くの話は、そこに生活者がいるからおもしろいんですが、中村仲蔵には、芸道の求道者ばかり出てきて、生活者が出てこないでしょう。
で、アマテラスの話なんですが、ギズモさんがおっしゃるように、天照系の神社は、どこかよそよそしくて、それこそ敷居が高いんですね。
その理由は、生活者の目線がないからなんだとおもいます。
たとえば伊勢の神宮にお参りするときは、お願い事をするのではなくて、感謝の心を捧げなさい、などといいます。
参拝者個人の悩み事を聞く場所ではない、というわけです。
奈良時代の仏教は国家鎮護のためにあって、民衆の悩みを聞くようなものではなかったらしいんですが……天照系の神社には、奈良時代の仏教寺院のような空気を感じます。
仏教は平安時代末期から鎌倉時代にかけて、現在に続く各宗派を形成しながら全国に広がっていって、民衆の悩みを聞くようになります。
つまり全国各地の寺社、とりわけ神仏習合をしているような寺社には、「生活者の目線」があるんですね。
その土地を守ってくれる強い神仏が求められたり、俗人の願いをかなえてくれるような神仏がいたりする。
しかし神宮に参拝するときは、アマテラスという神そのもの(あるいは日本という国家)にフォーカスされていて、参拝者であるわれわれはそこに人間としての個性を出すことが許されず、「感謝の心をささげにきた群衆のひとり」ということになるようです。
神宮にはお賽銭箱もありませんしね(笑)
そこまで考えて、ギズモさんのおっしゃる、厳格な雰囲気、相性の悪さという意味がぼくなりに理解できたようにおもえました。
ぼくは伊勢に住んでいたからアマテラス推しという、それは変わらないんですが……日頃お参りするときには、先祖代々から民衆の集いの場所、縄張りを示す場所となっていて、そこへお賽銭を投げて、お願い事をして「よろしく頼みます」みたいな、人間くさい、泥くさいところを受け入れてくれる寺社のほうが、カラダになじむ感じはあります。
ふとおもったことなので、的外れなことを書くかもしれません。
先日、中村仲蔵がぼくには敷居が高いという話をしましたが、その原因をさらに考えていて、ふと気づいたのが、「生活者の目線」のない話だから取っ掛かりがつかめなかったのだろうな、と。
落語の多くの話は、そこに生活者がいるからおもしろいんですが、中村仲蔵には、芸道の求道者ばかり出てきて、生活者が出てこないでしょう。
で、アマテラスの話なんですが、ギズモさんがおっしゃるように、天照系の神社は、どこかよそよそしくて、それこそ敷居が高いんですね。
その理由は、生活者の目線がないからなんだとおもいます。
たとえば伊勢の神宮にお参りするときは、お願い事をするのではなくて、感謝の心を捧げなさい、などといいます。
参拝者個人の悩み事を聞く場所ではない、というわけです。
奈良時代の仏教は国家鎮護のためにあって、民衆の悩みを聞くようなものではなかったらしいんですが……天照系の神社には、奈良時代の仏教寺院のような空気を感じます。
仏教は平安時代末期から鎌倉時代にかけて、現在に続く各宗派を形成しながら全国に広がっていって、民衆の悩みを聞くようになります。
つまり全国各地の寺社、とりわけ神仏習合をしているような寺社には、「生活者の目線」があるんですね。
その土地を守ってくれる強い神仏が求められたり、俗人の願いをかなえてくれるような神仏がいたりする。
しかし神宮に参拝するときは、アマテラスという神そのもの(あるいは日本という国家)にフォーカスされていて、参拝者であるわれわれはそこに人間としての個性を出すことが許されず、「感謝の心をささげにきた群衆のひとり」ということになるようです。
神宮にはお賽銭箱もありませんしね(笑)
そこまで考えて、ギズモさんのおっしゃる、厳格な雰囲気、相性の悪さという意味がぼくなりに理解できたようにおもえました。
ぼくは伊勢に住んでいたからアマテラス推しという、それは変わらないんですが……日頃お参りするときには、先祖代々から民衆の集いの場所、縄張りを示す場所となっていて、そこへお賽銭を投げて、お願い事をして「よろしく頼みます」みたいな、人間くさい、泥くさいところを受け入れてくれる寺社のほうが、カラダになじむ感じはあります。
今までこちらで書いたことを総合すると、力強い神様が好きということになりますね(笑)
横浜の伊勢山皇大神宮、天祖神社系、東京のお伊勢さまである東京大神宮、どれもシーンとした感じがして、あまりピンとこないことが多くて。
冷たいのではなく、他の神社とは決定的に違う、厳格で凛とした雰囲気を感じます。
でも、天照大神と相性が悪いのかなとも思っていますが。
行者の修行や火を使う護摩など、密教系は好きです。
甚だあやしい話ですが、以前勝手に私をみた人が、「前世チベットでまじめに修行していた僧だった」と言ったのですが、
まじめに、は別として、案外前世のひとつはそうだったかも、と思ったりしています。
伊勢に住んでいらして、アマテラスさまとはご縁があるんでしょうね。
何と言っても日本の神様の総元締めですし、強い面と温和な面を併せ持つ天照大神は、神様として別格だと思います。
お菓子はぜんぜん念頭にありませんでした。
自宅用と、新年のご挨拶用に、ちょっと探してみます。
横浜の伊勢山皇大神宮、天祖神社系、東京のお伊勢さまである東京大神宮、どれもシーンとした感じがして、あまりピンとこないことが多くて。
冷たいのではなく、他の神社とは決定的に違う、厳格で凛とした雰囲気を感じます。
でも、天照大神と相性が悪いのかなとも思っていますが。
行者の修行や火を使う護摩など、密教系は好きです。
甚だあやしい話ですが、以前勝手に私をみた人が、「前世チベットでまじめに修行していた僧だった」と言ったのですが、
まじめに、は別として、案外前世のひとつはそうだったかも、と思ったりしています。
伊勢に住んでいらして、アマテラスさまとはご縁があるんでしょうね。
何と言っても日本の神様の総元締めですし、強い面と温和な面を併せ持つ天照大神は、神様として別格だと思います。
お菓子はぜんぜん念頭にありませんでした。
自宅用と、新年のご挨拶用に、ちょっと探してみます。
1073
もしかして、ギズモさんは力強い神様がお好みでしょうか?
スサノオもそうですが、天狗もいわば荒ぶる神ですよね。
なんだかぼくも最近は、土地を力強く守ってくれる祭神に心が惹かれているような気もしますが、やっぱり伊勢に住んでいたこともあって、アマテラス推しです。
ブラックフライデー、安いようでそう安くないものもありますから、ふだんの買い物の基準価格が頭にないと、危なっかしいところもありますよね。
ぼくは年末に実家に送るお菓子もこの際に買ってしまおうかとおもっているんですが、けっこうな種類があって迷っています。
もしかして、ギズモさんは力強い神様がお好みでしょうか?
スサノオもそうですが、天狗もいわば荒ぶる神ですよね。
なんだかぼくも最近は、土地を力強く守ってくれる祭神に心が惹かれているような気もしますが、やっぱり伊勢に住んでいたこともあって、アマテラス推しです。
ブラックフライデー、安いようでそう安くないものもありますから、ふだんの買い物の基準価格が頭にないと、危なっかしいところもありますよね。
ぼくは年末に実家に送るお菓子もこの際に買ってしまおうかとおもっているんですが、けっこうな種類があって迷っています。
そう言えば、私が火渡りを体験したお寺の境内には、富士塚のように作られた高尾山(東京都八王子市)があり、天狗の像が一対ありました。
歌舞伎には、人間が生きたまま自分のお腹を割いて、臓物を天に投げて天狗になり、かたき討ちをするいう話もあります。
天狗は、なかなかおもしろい存在だと思います。
日本の神々の中でも、山の神様は一番パワーのある存在だということですが、山伏の修行は壮絶なものだとも聞きます。
高野聖。
物語を読むには、いくばくかでも知識がないと、ただ読んだだけ、ということになってしまいますね。
農園主さんの読みやすい現代文と解説があったから、しっかり読めた小説でした。
縁起がいいと言っていただき、ありがとうございます。
山伏のような修行はできるはずもありませんが、人生すべて修行だからダラダラしていたらいけないよ、という意味と受け止め、向上するようにしないといけませんね。
ところで、amazonブラックフライデー、昨日からちゃんとまじめに見て、先ほど注文を完了しました←任務じゃないけど。。。
災害時の食料とか、常用している薬やサプリメント、ボディソープなどで、けっこう値段が下がっているものにしましたが、
買い置きしても置く場所がないので、ほどほどにしておきました。
ベランダに置くボックスを先日amazonで買ったばかりなのですが、これは、ブラックフライデーになったらなぜか高くなっていました。
こういうこともあるんですね。
歌舞伎には、人間が生きたまま自分のお腹を割いて、臓物を天に投げて天狗になり、かたき討ちをするいう話もあります。
天狗は、なかなかおもしろい存在だと思います。
日本の神々の中でも、山の神様は一番パワーのある存在だということですが、山伏の修行は壮絶なものだとも聞きます。
高野聖。
物語を読むには、いくばくかでも知識がないと、ただ読んだだけ、ということになってしまいますね。
農園主さんの読みやすい現代文と解説があったから、しっかり読めた小説でした。
縁起がいいと言っていただき、ありがとうございます。
山伏のような修行はできるはずもありませんが、人生すべて修行だからダラダラしていたらいけないよ、という意味と受け止め、向上するようにしないといけませんね。
ところで、amazonブラックフライデー、昨日からちゃんとまじめに見て、先ほど注文を完了しました←任務じゃないけど。。。
災害時の食料とか、常用している薬やサプリメント、ボディソープなどで、けっこう値段が下がっているものにしましたが、
買い置きしても置く場所がないので、ほどほどにしておきました。
ベランダに置くボックスを先日amazonで買ったばかりなのですが、これは、ブラックフライデーになったらなぜか高くなっていました。
こういうこともあるんですね。
1070
権現信仰、山岳信仰、山伏はそれぞれがつながっています。
権現は人が不思議な霊力をもって神格化されたもので、山岳信仰をする山伏は、山がもつ特殊な霊力を授かるために修行をします。
ようするに、人が霊力を授かって神に近づく、その媒体として山が存在しているようなかっこうです。
なので修験者(山伏)たちは山で修業し、その生活は僧侶のようで僧侶でない、俗人のようで俗人でない、半僧半俗といわれます。
これはいわゆる天狗にもつながっていきます。
ところで、『高野聖』に出てきた、上人をたぶらかそうとした魔性を帯びた女も、山の霊気によって不思議な力を持つようになったというオチでした。
あれは日本における山岳信仰や権現、天狗といった知識がわれわれに備わっていないと、理解が追い付きにくいところだろうとおもいます。
ギズモさんが山伏の夢をみた件について、夢自体は記憶の整理だとおもうんですが、夢を覚えていて、心に引っかかりがあることには意味があるのでしょう。
新年に山の夢をみるというのは、縁起のいいことだとおもいます。
権現信仰、山岳信仰、山伏はそれぞれがつながっています。
権現は人が不思議な霊力をもって神格化されたもので、山岳信仰をする山伏は、山がもつ特殊な霊力を授かるために修行をします。
ようするに、人が霊力を授かって神に近づく、その媒体として山が存在しているようなかっこうです。
なので修験者(山伏)たちは山で修業し、その生活は僧侶のようで僧侶でない、俗人のようで俗人でない、半僧半俗といわれます。
これはいわゆる天狗にもつながっていきます。
ところで、『高野聖』に出てきた、上人をたぶらかそうとした魔性を帯びた女も、山の霊気によって不思議な力を持つようになったというオチでした。
あれは日本における山岳信仰や権現、天狗といった知識がわれわれに備わっていないと、理解が追い付きにくいところだろうとおもいます。
ギズモさんが山伏の夢をみた件について、夢自体は記憶の整理だとおもうんですが、夢を覚えていて、心に引っかかりがあることには意味があるのでしょう。
新年に山の夢をみるというのは、縁起のいいことだとおもいます。
舟屋は、写真で見ると建物は日本的ですが、どこか他の国の風情もありますね。
こういう伝統的なものは、ずっと残してもらいたいものです。
家康も権現様と呼ばれていたなと考えていたら、「金毘羅船船(金比羅船船)」という香川県の民謡(俗謡)の中に、大権現が出てきたっけ、と。
♪金毘羅船船 追い手にに帆かけてシュラシュシュシュ
回れば四国は讃州那珂の郡
象頭山金比羅大権現 一度まわれば
ウィキペディアでは、
「金毘羅権現は、香川県琴平町の象頭山に天竺から飛翔し鎮座した山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神であり、本地仏は不動明王、千手観音、十一面観音など諸説ある。
明治初年の神仏分離・廃仏毀釈が行われた以降は、大物主とされた」とありました。
ホームページを見ても、実にややこしいご由緒のようで、
「明治元年(1868)、神仏混淆が廃止され、金毘羅大権現は元の琴平神社に復り、同年7月に宮号を仰せられて「金刀比羅宮」と改称し、現在に至っています」と書かれています。
これは、農園主さんがお書きになった、権現信仰の排斥ということなのですね。
東京に分社が一社あり、東京ドームのそばなのですが、行ったような行かないような・・・。
香川県の金比羅さまも高校の修学旅行で行ったのに、これも断片的にしか思い出せません。
「次郎長遊侠伝秋葉の火祭り」、ずいぶんと渋そうなものをご覧になったんですね(笑)
山伏は、権現信仰とも結びついていたのですか。
真言宗などで、火渡り神事(神事なんですね)があり、「柴灯護摩」と呼ぶところもありますが、これは山伏が火の燃えているところを踏んで渡ったり、お鍋の熱湯を、何かの葉のついた枝に受けてから身体にかけたりします。
場所によっては、見るだけでなく、火の殆ど消えた地面を渡らせてくれるところもあります。
この映画、ちょっと見てみたいですね。
そう言えば、今年の初夢は、山の中腹みたいなところに、大勢の山伏が立っている夢でした。
別に法螺貝を吹いているわけでも、修行をしていたわけでもないのですが、いったい何だったんでしょう(笑)
農園主さんの記事から、いつもつまらないことを思いついてしまい、ダラダラと申し訳ありません。
(追記)秋葉の火祭りの写真を見てみましたが、私が見たり体験したのは、あんな感じでした。確か成田山新勝寺でもやっていたように思います。
こういう伝統的なものは、ずっと残してもらいたいものです。
家康も権現様と呼ばれていたなと考えていたら、「金毘羅船船(金比羅船船)」という香川県の民謡(俗謡)の中に、大権現が出てきたっけ、と。
♪金毘羅船船 追い手にに帆かけてシュラシュシュシュ
回れば四国は讃州那珂の郡
象頭山金比羅大権現 一度まわれば
ウィキペディアでは、
「金毘羅権現は、香川県琴平町の象頭山に天竺から飛翔し鎮座した山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神であり、本地仏は不動明王、千手観音、十一面観音など諸説ある。
明治初年の神仏分離・廃仏毀釈が行われた以降は、大物主とされた」とありました。
ホームページを見ても、実にややこしいご由緒のようで、
「明治元年(1868)、神仏混淆が廃止され、金毘羅大権現は元の琴平神社に復り、同年7月に宮号を仰せられて「金刀比羅宮」と改称し、現在に至っています」と書かれています。
これは、農園主さんがお書きになった、権現信仰の排斥ということなのですね。
東京に分社が一社あり、東京ドームのそばなのですが、行ったような行かないような・・・。
香川県の金比羅さまも高校の修学旅行で行ったのに、これも断片的にしか思い出せません。
「次郎長遊侠伝秋葉の火祭り」、ずいぶんと渋そうなものをご覧になったんですね(笑)
山伏は、権現信仰とも結びついていたのですか。
真言宗などで、火渡り神事(神事なんですね)があり、「柴灯護摩」と呼ぶところもありますが、これは山伏が火の燃えているところを踏んで渡ったり、お鍋の熱湯を、何かの葉のついた枝に受けてから身体にかけたりします。
場所によっては、見るだけでなく、火の殆ど消えた地面を渡らせてくれるところもあります。
この映画、ちょっと見てみたいですね。
そう言えば、今年の初夢は、山の中腹みたいなところに、大勢の山伏が立っている夢でした。
別に法螺貝を吹いているわけでも、修行をしていたわけでもないのですが、いったい何だったんでしょう(笑)
農園主さんの記事から、いつもつまらないことを思いついてしまい、ダラダラと申し訳ありません。
(追記)秋葉の火祭りの写真を見てみましたが、私が見たり体験したのは、あんな感じでした。確か成田山新勝寺でもやっていたように思います。
1067
うちのあたりは徹底した神仏習合の地域のようで、八坂神社の中に秋葉神社もあります。
これは両方とも元は神仏習合でした。
秋葉さんはもともと秋葉三尺坊という、火伏の術を持つ権現(人間が神格化したもの)が祭神でしたが、神仏分離のときに権現信仰が排斥されました。
それによって明治以降はカグツチという火の神様(イザナミの子)が祭神になります。
明治時代の神仏分離では、牛頭天王と権現が狙い撃ちで排斥されているので、その両方をまつっている神社という点で、うちのあたりの神仏習合ぶりがおわかりになるとおもいます。
先日Amazonプライムビデオで、「次郎長遊侠伝 秋葉の火祭り」という映画をみたのですが、この映画の秋葉のお祭りのシーンでは山伏(山伏は権現信仰・山岳信仰と結びついています)が出てきていました。
次郎長は静岡ですが、秋葉さんも総本山が静岡らしいです。
伊根の舟屋は、家がそのまま出航場所になっているめずらしいところで、あのあたり一帯が、文化的な景観を保つために努力しているようです。
すぐ近くに浦島太郎発祥の地といわれる浦嶋神社(宇良神社)もあります。
いつか観光されるときは、軽トラックしかありませんが、ぼくも遊びにいきます(笑)
スサノオは祭神としてはやはり荒ぶる神で、氏子からすれば先祖代々その土地を守りたいという人々の気持ち(強い神様を求める気持ち)があるわけですから、強力な願いのチカラがあるという意味では間違いないことでしょう。
うちのあたりは徹底した神仏習合の地域のようで、八坂神社の中に秋葉神社もあります。
これは両方とも元は神仏習合でした。
秋葉さんはもともと秋葉三尺坊という、火伏の術を持つ権現(人間が神格化したもの)が祭神でしたが、神仏分離のときに権現信仰が排斥されました。
それによって明治以降はカグツチという火の神様(イザナミの子)が祭神になります。
明治時代の神仏分離では、牛頭天王と権現が狙い撃ちで排斥されているので、その両方をまつっている神社という点で、うちのあたりの神仏習合ぶりがおわかりになるとおもいます。
先日Amazonプライムビデオで、「次郎長遊侠伝 秋葉の火祭り」という映画をみたのですが、この映画の秋葉のお祭りのシーンでは山伏(山伏は権現信仰・山岳信仰と結びついています)が出てきていました。
次郎長は静岡ですが、秋葉さんも総本山が静岡らしいです。
伊根の舟屋は、家がそのまま出航場所になっているめずらしいところで、あのあたり一帯が、文化的な景観を保つために努力しているようです。
すぐ近くに浦島太郎発祥の地といわれる浦嶋神社(宇良神社)もあります。
いつか観光されるときは、軽トラックしかありませんが、ぼくも遊びにいきます(笑)
スサノオは祭神としてはやはり荒ぶる神で、氏子からすれば先祖代々その土地を守りたいという人々の気持ち(強い神様を求める気持ち)があるわけですから、強力な願いのチカラがあるという意味では間違いないことでしょう。
農園主さんのご考察は、いつも、なるほどね~とうなづいてしまうもので、また例えが絶妙ですよね。
例えを使った説明というのは、読み手に取って理解しやすさが増すものなので、あったほうがわかりやすいのですが、農園主さんが例えとして挙げるものは、
いつも他と一線を画していて、絶妙としか言えません。
忌野清志郎と泉谷しげるのお話もそうですね。
「現実をじぶんにとってより生きやすいカタチに変えようとする心の作用」、「科学的事実は関係がなくなってしまう」、
この考え方は、とてもよくわかります。
唯識論のように、自分が見えるもの、考えたもの、つまり自分の心が作り出すものが世界のすべてだ、ということにつながるように思いました。
頭で死を理解してもそこで終わらせない、そこに泉谷しげるの大きな愛のようなものを感じます。
秋葉神社、火除けの神様なんですね。
だから台所の冷蔵庫に貼ったのかなと思いました。
都内にもありますがお参りしたことはなく、仙台に行った時にも通っただけです。
船宿と舟屋の違いがわからなかったので、調べました。
写真も見ましたが、こういうものがあるのも知りませんでした。
もし行くことがあれば、お仕事のじゃまにならない農閑期ですね(笑)
そのアニメ、有名ですが見ていません。
「シラケつつノリ、ノリつつシラケる」、覚えています(*^^*)
昨日、お札のことを伺ったので、改めて八坂神社のHPをざっと見ましたが、八坂神社では素戔嗚尊を牛頭天王と同一として、薬師如来を本地仏としているんですね。
牛頭天王は、お書きになっているように礼儀をもって一生懸命祈ると、疫病除け以外に、たいがいの願いは聞き届けてくれる、らしいです。
となると、スサノウを祭神としている神社は強力なのではないのかと思うのですが、そのあたりも気の持ちようということになりますね。
例えを使った説明というのは、読み手に取って理解しやすさが増すものなので、あったほうがわかりやすいのですが、農園主さんが例えとして挙げるものは、
いつも他と一線を画していて、絶妙としか言えません。
忌野清志郎と泉谷しげるのお話もそうですね。
「現実をじぶんにとってより生きやすいカタチに変えようとする心の作用」、「科学的事実は関係がなくなってしまう」、
この考え方は、とてもよくわかります。
唯識論のように、自分が見えるもの、考えたもの、つまり自分の心が作り出すものが世界のすべてだ、ということにつながるように思いました。
頭で死を理解してもそこで終わらせない、そこに泉谷しげるの大きな愛のようなものを感じます。
秋葉神社、火除けの神様なんですね。
だから台所の冷蔵庫に貼ったのかなと思いました。
都内にもありますがお参りしたことはなく、仙台に行った時にも通っただけです。
船宿と舟屋の違いがわからなかったので、調べました。
写真も見ましたが、こういうものがあるのも知りませんでした。
もし行くことがあれば、お仕事のじゃまにならない農閑期ですね(笑)
そのアニメ、有名ですが見ていません。
「シラケつつノリ、ノリつつシラケる」、覚えています(*^^*)
昨日、お札のことを伺ったので、改めて八坂神社のHPをざっと見ましたが、八坂神社では素戔嗚尊を牛頭天王と同一として、薬師如来を本地仏としているんですね。
牛頭天王は、お書きになっているように礼儀をもって一生懸命祈ると、疫病除け以外に、たいがいの願いは聞き届けてくれる、らしいです。
となると、スサノウを祭神としている神社は強力なのではないのかと思うのですが、そのあたりも気の持ちようということになりますね。
『涼宮ハルヒの憂鬱』というアニメをみました。
みておもったのは、涼宮ハルヒは地荒神みたいな存在だなと。
涼宮ハルヒは高校一年生。
カワリモノの女の子ですが、じつはじぶんが自覚しないまま、おもいどおりに世界を変えてしまえる能力をもっています。
彼女はそう望めば世界を滅ぼすこともできてしまうため、仲間たち(も、なんらかの能力を持っている)は、彼女が能力を発現しないように守っており、彼女の無茶な要求にもできるだけ応えてやり過ごしている、という物語です。
主人公は同級生の男子で、かれだけが能力を持たないふつうの高校生です。
涼宮ハルヒの突拍子もない言動に呆れながらも、はねつけるようなことはせずに付き合っています。
日本には地荒神信仰があります。
かまどの神様として家を守ってくれる三宝荒神は有名ですが、地荒神は土地、つまり外を守ってくれる神様です。
土地を守ってくれるんだけど、突然祟りを起こしたりする荒ぶる神、と信じられています。
この荒ぶる神の代表格は、祇園社(いまの八坂神社)における牛頭天王です。
牛頭天王は疫病をまきちらす神で、現代の感覚でいえばあまり歓迎すべき存在ではないようにもおもえるんですが、礼儀をもってあたれば疫病のたたりがない……つまり、疫病除けの神になるという解釈になるんですね。
京都でおこなわれる祇園祭は、牛頭天王を鎮めて、疫病蔓延の防止を祈念するお祭りということになります。
涼宮ハルヒはさながら荒ぶる神のようなんですが、主人公の男子高校生は彼女の言動に半ば呆れつつも、きちんと付き合っています。
いわば、「シラケつつノリ、ノリつつシラケる」ということをやっているわけで、宗教のお祭り(ハルヒを鎮めるための付き合い)に対する、人間側の適切な態度ともおもえます。
#与太話
みておもったのは、涼宮ハルヒは地荒神みたいな存在だなと。
涼宮ハルヒは高校一年生。
カワリモノの女の子ですが、じつはじぶんが自覚しないまま、おもいどおりに世界を変えてしまえる能力をもっています。
彼女はそう望めば世界を滅ぼすこともできてしまうため、仲間たち(も、なんらかの能力を持っている)は、彼女が能力を発現しないように守っており、彼女の無茶な要求にもできるだけ応えてやり過ごしている、という物語です。
主人公は同級生の男子で、かれだけが能力を持たないふつうの高校生です。
涼宮ハルヒの突拍子もない言動に呆れながらも、はねつけるようなことはせずに付き合っています。
日本には地荒神信仰があります。
かまどの神様として家を守ってくれる三宝荒神は有名ですが、地荒神は土地、つまり外を守ってくれる神様です。
土地を守ってくれるんだけど、突然祟りを起こしたりする荒ぶる神、と信じられています。
この荒ぶる神の代表格は、祇園社(いまの八坂神社)における牛頭天王です。
牛頭天王は疫病をまきちらす神で、現代の感覚でいえばあまり歓迎すべき存在ではないようにもおもえるんですが、礼儀をもってあたれば疫病のたたりがない……つまり、疫病除けの神になるという解釈になるんですね。
京都でおこなわれる祇園祭は、牛頭天王を鎮めて、疫病蔓延の防止を祈念するお祭りということになります。
涼宮ハルヒはさながら荒ぶる神のようなんですが、主人公の男子高校生は彼女の言動に半ば呆れつつも、きちんと付き合っています。
いわば、「シラケつつノリ、ノリつつシラケる」ということをやっているわけで、宗教のお祭り(ハルヒを鎮めるための付き合い)に対する、人間側の適切な態度ともおもえます。
#与太話
1063
われわれは、なにかを信じるというときには、その背景にじぶんにとってしんどい現実があるんですよね。
たとえば、忌野清志郎が亡くなったときに、友人であった泉谷しげるは、かれの死を信じないと言いました。
つまり「忌野清志郎は死んでいないと信じる」というわけです。
もうすでに死んでいる現実を、死んでいないと信じる。
宗教の信仰はもちろん、占いにせよなんにせよ、なにかを信じるというのは、現実をじぶんにとってより生きやすいカタチに変えようとする心の作用ではないかとおもいます。
なので、なにかを信じるときには、科学的事実は関係がなくなってしまうんですね。
ぼくも特定の宗教を信じることはなくても、いろんな形でこの現実を受け流すために信じているものはあります。
自治会からいただいたお札ですが、天照大神のお札はありませんでした。
それぞれ氏神さんである、天満宮と八坂神社と秋葉神社のお札です。
天満宮と八坂神社のお札は北側に貼って、秋葉神社のお札は台所の冷蔵庫にマグネットで貼ってます。
元伊勢さんの近くには天橋立や伊根の船宿(舟屋の間違いでした)もありますから、観光とセットでお楽しみいただけるとおもいます。
そのときに都合があえば、お会いできるといいですね。
今回のAmazonのセールは、いろいろと安くて見ていて飽きないですね。
ぜひショッピングをお楽しみください。
ぼくもまだもうすこし買うつもりでいます。
われわれは、なにかを信じるというときには、その背景にじぶんにとってしんどい現実があるんですよね。
たとえば、忌野清志郎が亡くなったときに、友人であった泉谷しげるは、かれの死を信じないと言いました。
つまり「忌野清志郎は死んでいないと信じる」というわけです。
もうすでに死んでいる現実を、死んでいないと信じる。
宗教の信仰はもちろん、占いにせよなんにせよ、なにかを信じるというのは、現実をじぶんにとってより生きやすいカタチに変えようとする心の作用ではないかとおもいます。
なので、なにかを信じるときには、科学的事実は関係がなくなってしまうんですね。
ぼくも特定の宗教を信じることはなくても、いろんな形でこの現実を受け流すために信じているものはあります。
自治会からいただいたお札ですが、天照大神のお札はありませんでした。
それぞれ氏神さんである、天満宮と八坂神社と秋葉神社のお札です。
天満宮と八坂神社のお札は北側に貼って、秋葉神社のお札は台所の冷蔵庫にマグネットで貼ってます。
元伊勢さんの近くには天橋立や伊根の
そのときに都合があえば、お会いできるといいですね。
今回のAmazonのセールは、いろいろと安くて見ていて飽きないですね。
ぜひショッピングをお楽しみください。
ぼくもまだもうすこし買うつもりでいます。
確かに、始まってしまうと、文句を言ってたことも忘れてしまうんでしょうね。
私も、もしテレビなどで放送されていたら、興味のあるパビリオンは見たいと思います。
神仏は、いるかいないか明らかではないですし、無条件で信じるということは難しいかもしれませんね。
というより、無条件で信じている人をはたから見たら、危険人物と思われることもあると思います。
私も、神棚をお祀りしたのは10年ほど前からです。
信じたから必ずいいことがくるとか、そこまで思ってもいませんが、苦しい時の神頼み&仏頼みから始まったことで、それが続いているだけです。
お札も、きちんとお祀りしないとバチがあたるとか、そういうこともないと思いますし、結局は自分の気持ちですね。
ただ、不思議なことに(偶然かもしれませんが)、神棚をお祀りした頃から、不気味な金縛りにあうことが、まったくなくなりました。
これも気の持ちようと言われたらそれまでですが、本当に怖い目にあっていたので、今は安心して寝られます(笑)
自治会からお札三枚も?
天照さまと氏神様と、荒神さまでしょうか。
以前、ご実家の氏神様にお参りした時のことを、写真付きで記事にしていらっしゃいましたね。
一年に、それだけお参りしたら充分だと思います(*^^*)
去年でしたか、元伊勢籠神社の写真を拝見し、詳しい説明もお聞きしましたね。
真名井の井戸とか、とても奥が深い神社で、行ける時があればと思っています。
幼稚園のことを覚えてるんですか?
小さい時に、花まつりなどの経験ができるのはいいですね。
ずっと電動歯ブラシだったのですが、1年くらい前にクリニカアドバンテージにしてから、研磨剤が多い歯磨き粉に電動歯ブラシはよくないと聞き、普通の歯ブラシに変えました。
さっきAmazonブラックフライデーをチラッと見てきたのですが、ドラッグストアのクーポン値引き後の価格より安いですね。
必要なものがいくつかあるので探したいのですが、見ているうちにどんどん必要でないのに欲しいものの方が増えていき、アマゾンの沼にはまりそうです(笑)
私も、もしテレビなどで放送されていたら、興味のあるパビリオンは見たいと思います。
神仏は、いるかいないか明らかではないですし、無条件で信じるということは難しいかもしれませんね。
というより、無条件で信じている人をはたから見たら、危険人物と思われることもあると思います。
私も、神棚をお祀りしたのは10年ほど前からです。
信じたから必ずいいことがくるとか、そこまで思ってもいませんが、苦しい時の神頼み&仏頼みから始まったことで、それが続いているだけです。
お札も、きちんとお祀りしないとバチがあたるとか、そういうこともないと思いますし、結局は自分の気持ちですね。
ただ、不思議なことに(偶然かもしれませんが)、神棚をお祀りした頃から、不気味な金縛りにあうことが、まったくなくなりました。
これも気の持ちようと言われたらそれまでですが、本当に怖い目にあっていたので、今は安心して寝られます(笑)
自治会からお札三枚も?
天照さまと氏神様と、荒神さまでしょうか。
以前、ご実家の氏神様にお参りした時のことを、写真付きで記事にしていらっしゃいましたね。
一年に、それだけお参りしたら充分だと思います(*^^*)
去年でしたか、元伊勢籠神社の写真を拝見し、詳しい説明もお聞きしましたね。
真名井の井戸とか、とても奥が深い神社で、行ける時があればと思っています。
幼稚園のことを覚えてるんですか?
小さい時に、花まつりなどの経験ができるのはいいですね。
ずっと電動歯ブラシだったのですが、1年くらい前にクリニカアドバンテージにしてから、研磨剤が多い歯磨き粉に電動歯ブラシはよくないと聞き、普通の歯ブラシに変えました。
さっきAmazonブラックフライデーをチラッと見てきたのですが、ドラッグストアのクーポン値引き後の価格より安いですね。
必要なものがいくつかあるので探したいのですが、見ているうちにどんどん必要でないのに欲しいものの方が増えていき、アマゾンの沼にはまりそうです(笑)
1060,1061
これだけケチのついた万博も、なんだかんだいって始まってしまえばそれなりに盛り上がるんだとおもうんですが、ギズモさんのおっしゃるように、来訪者が万国のパビリオンに訪れて、貴重な学びになるかどうかというのがいちばん重要なところですね。
ギズモさんは毎年いろんな行事でお参りをしておられますね。
ぼくは宗教についていろいろ調べたり考えたりはするんですが、性根の部分ではなにかを頭から信じ込むことができないユダのようなタイプなので、家には神棚も仏壇もありません。
毎年当地の氏神さんから自治会経由で三枚お札をいただくんですが、クリアファイルにとじて養生テープで北側に張る、というくらいのことしかしません。
ことしは一度当地の神社二社におまいりをしましたが、あとはたしか、年始に実家の氏神さんにお参りしたきりです。
夏越の祓に茅の輪くぐりをしたいとか、幼稚園(仏教系の幼稚園でした)で花まつりのときに甘茶をかけたのを、もう一度体験してみたいものだ、というような気持ちはあるんですが、その時期には仕事が忙しくて、行く気になれません(笑)
サトイモは泥付きでまったく問題ありません。
サトイモは地質が重粘土のほうがよくできます。
あんまり砂地でないほうがいいんですね。
うちのあたりも重粘土で、雨が降ると耕耘しても土を練るだけになってしまいます。
なので雨のときに収穫したサトイモは泥でべったりになりますし、それをゴム手袋をはめてほぐしています。
クリニカアドバンテージ、おなじものをお使いなんですね。
歯垢と歯石が取れるので、重宝しています。
ぼくは歯を磨くときの圧が強いので、歯ブラシもやわらかめの安いものをAmazonで買っています。
歯磨き関係のものはほとんどAmazonで買っていますね。
これだけケチのついた万博も、なんだかんだいって始まってしまえばそれなりに盛り上がるんだとおもうんですが、ギズモさんのおっしゃるように、来訪者が万国のパビリオンに訪れて、貴重な学びになるかどうかというのがいちばん重要なところですね。
ギズモさんは毎年いろんな行事でお参りをしておられますね。
ぼくは宗教についていろいろ調べたり考えたりはするんですが、性根の部分ではなにかを頭から信じ込むことができないユダのようなタイプなので、家には神棚も仏壇もありません。
毎年当地の氏神さんから自治会経由で三枚お札をいただくんですが、クリアファイルにとじて養生テープで北側に張る、というくらいのことしかしません。
ことしは一度当地の神社二社におまいりをしましたが、あとはたしか、年始に実家の氏神さんにお参りしたきりです。
夏越の祓に茅の輪くぐりをしたいとか、幼稚園(仏教系の幼稚園でした)で花まつりのときに甘茶をかけたのを、もう一度体験してみたいものだ、というような気持ちはあるんですが、その時期には仕事が忙しくて、行く気になれません(笑)
サトイモは泥付きでまったく問題ありません。
サトイモは地質が重粘土のほうがよくできます。
あんまり砂地でないほうがいいんですね。
うちのあたりも重粘土で、雨が降ると耕耘しても土を練るだけになってしまいます。
なので雨のときに収穫したサトイモは泥でべったりになりますし、それをゴム手袋をはめてほぐしています。
クリニカアドバンテージ、おなじものをお使いなんですね。
歯垢と歯石が取れるので、重宝しています。
ぼくは歯を磨くときの圧が強いので、歯ブラシもやわらかめの安いものをAmazonで買っています。
歯磨き関係のものはほとんどAmazonで買っていますね。
え!!
クリニカアドバンテージ、私も使ってます!!!
Amazonブラックフライデー、あとで見ます。
ありがとうございます😊
去年のブラックフライデーでは、アイリスオーヤマの炊飯器を安く買いました。
クリニカアドバンテージ、私も使ってます!!!
Amazonブラックフライデー、あとで見ます。
ありがとうございます😊
去年のブラックフライデーでは、アイリスオーヤマの炊飯器を安く買いました。
わざわざ書き直してくださったのですか?
ありがとうございます。
読ませていただき、農園主さんのような考え方ができる政治家はいないのだろうか、と思いました。
国民の不信感がどれだけ伝わっているのかわかりませんが、国民から信頼されるようにしようとする姿勢が見られない限り、
不信感はつのる一方のように思います。
「大会組織にお金をばらまかねば誘致できないようなものではなく、また大手企業やゼネコンと癒着してことを成すのではなく、若く将来性のある新興企業やクリエイターを全国から集めて、資金を管理する外部組織をつけたうえでやる」というのは、実に望ましい形ですね。
上海万博の時、上海市民には、1世帯に2枚無料券が配られ、交通費も支給され、さらに企業からの補助もありました。
それでも行かなかった人は多かったようです。
今回、大阪市民への無料チケットは高校生までのようですね。
勉学の一環としてとてもいいことだと思いますが、それなら大学生にも、と思ってしまいました。
明日からの出雲大社・神在祭の前夜祭で、今日は午後7時に、稲佐の浜で全国の神々をお迎えする、神迎の神事があります。
昼間、氏神様にお参りに行き、行ってらっしゃいのごあいさつをし、家の神棚に、東京の地酒とお菓子をお供えしました。
全国の神様が出雲に行く時、お土産があるとたいそうお喜びになるそうで、ここ数年、そうしています。
こういうことは、目に見えるものでなし、本当に気の持ちようなのですが。
神社に着いたらすぐ、本殿で七五三のご祈祷が始まりました。
境内には他に誰もいなかったので、神主さんの祝詞などを、5分ほど盗み聞き(笑)してきました。
行きに道に迷わなければもっと早く着いていたので、ご祈祷に遭遇しなかったはず、ちょっとしたラッキーでした。
ここは菅原道真がご祭神で、御鎮座は、 長徳元年(995年)だそうです。
それほど古く感じないので、建て直しをしていると思います。
サトイモのことですが。
農園主さんは、土付き、という書き方をしていらっしゃいました。
一般的に泥付き、と書かれて売っているので、私も泥付きと書いてしまいましたが、実際に売られている物は、泥ではなく土がついていますよね。
泥付きと書いて失礼だったかなと思ったので、書いておきますm(_ _"m)
ありがとうございます。
読ませていただき、農園主さんのような考え方ができる政治家はいないのだろうか、と思いました。
国民の不信感がどれだけ伝わっているのかわかりませんが、国民から信頼されるようにしようとする姿勢が見られない限り、
不信感はつのる一方のように思います。
「大会組織にお金をばらまかねば誘致できないようなものではなく、また大手企業やゼネコンと癒着してことを成すのではなく、若く将来性のある新興企業やクリエイターを全国から集めて、資金を管理する外部組織をつけたうえでやる」というのは、実に望ましい形ですね。
上海万博の時、上海市民には、1世帯に2枚無料券が配られ、交通費も支給され、さらに企業からの補助もありました。
それでも行かなかった人は多かったようです。
今回、大阪市民への無料チケットは高校生までのようですね。
勉学の一環としてとてもいいことだと思いますが、それなら大学生にも、と思ってしまいました。
明日からの出雲大社・神在祭の前夜祭で、今日は午後7時に、稲佐の浜で全国の神々をお迎えする、神迎の神事があります。
昼間、氏神様にお参りに行き、行ってらっしゃいのごあいさつをし、家の神棚に、東京の地酒とお菓子をお供えしました。
全国の神様が出雲に行く時、お土産があるとたいそうお喜びになるそうで、ここ数年、そうしています。
こういうことは、目に見えるものでなし、本当に気の持ちようなのですが。
神社に着いたらすぐ、本殿で七五三のご祈祷が始まりました。
境内には他に誰もいなかったので、神主さんの祝詞などを、5分ほど盗み聞き(笑)してきました。
行きに道に迷わなければもっと早く着いていたので、ご祈祷に遭遇しなかったはず、ちょっとしたラッキーでした。
ここは菅原道真がご祭神で、御鎮座は、 長徳元年(995年)だそうです。
それほど古く感じないので、建て直しをしていると思います。
サトイモのことですが。
農園主さんは、土付き、という書き方をしていらっしゃいました。
一般的に泥付き、と書かれて売っているので、私も泥付きと書いてしまいましたが、実際に売られている物は、泥ではなく土がついていますよね。
泥付きと書いて失礼だったかなと思ったので、書いておきますm(_ _"m)
一週間ほど前に、パソコンの外付け無線LANの受信機と、愛用の歯磨き粉のクリニカアドバンテージの購入をしようとおもったのだけど、Amazonのブラックフライデーにもしかして安くなるんじゃないかとおもっていたら、ほんとうに安くなっててありがたい限りでした。
1055
日本は太平洋戦争の敗戦によって「政府はろくなことをしない」ということを学習しました。
しかし戦後の経済政策に関してはダイナミックで、世界を凌駕する成長をしました。
ところがその経済政策も、バブル時期に金が余った際に、地方政治が主導した事業(主に第三セクター)の多くが破綻したことで、われわれは行政がお金の使い方を知らないことを学習しました。
戦争の不信感、行政のお金の使い方がズレていることに対する不信感。
このふたつの不信によって、国民はもう政治から発信される情報も、政府が調子にのってやるイベントも、どちらも信用ができなくなってしまったようです。
一回目のオリンピックや万博は、豪腕政治に対する信頼がまだ国民に残っていたことと、いままさに日本中のインフラを整備していて、世界中がまだまだ発展の余地を残していたときだったからこそ、その勢いで成功に導くことができました。
しかし現代では、行政主導のハコモノに対する不信はすさまじく、実際に東京五輪は議員とゼネコンの汚職の温床であったことがあきらかになっています。
なのに行政は、「あのときをもう一度、おなじことをやれば日本が復活する」という幻想にとりつかれているわけです。
いま政治に求められていることは、これまで発展してきたインフラを、持続可能な形で維持整備するという、足もとを固める地味な仕事です。
そのうえで、もしハコモノをやるのであれば、大会組織にお金をばらまかねば誘致できないようなものではなく、また大手企業やゼネコンと癒着してことを成すのではなく、若く将来性のある新興企業やクリエイターを全国から集めて、資金を管理する外部組織をつけたうえでやるのがよいでしょう。
入館料を安く、というのはほんとうにそうですね。
たとえばいまの段階で予約してくれた人には半額でチケットを提供するなどのおもいきった超早期割引があれば、いまこの苦境の中で万博を応援してやりたい人が買ってくれるということはあるのではないかとおもうんですけどね。
考えていたんですが、サトイモに関しては、消費者は無意識のうちに、洗ってあるもののほうが衛生的に感じているのではないかとおもいます。
10月中に売れたのは、まだほかにサトイモが出回っていなかったから、セカンドベストで土付きのものを買ってくれたのではないでしょうか。
というのも、去年はサトイモが豊作で、2月の頭まで売ることができたんですが、1月になってサトイモが出回らなくなると、土付きでもよく売れたんですよね。
洗ってあるものと、洗っていないもので並んでいたら、洗っているほうを優先的に選ぶということなのでしょう。
たぶん、ぼくも買う側にまわれば、洗ってあるものを買います(笑)
日本は太平洋戦争の敗戦によって「政府はろくなことをしない」ということを学習しました。
しかし戦後の経済政策に関してはダイナミックで、世界を凌駕する成長をしました。
ところがその経済政策も、バブル時期に金が余った際に、地方政治が主導した事業(主に第三セクター)の多くが破綻したことで、われわれは行政がお金の使い方を知らないことを学習しました。
戦争の不信感、行政のお金の使い方がズレていることに対する不信感。
このふたつの不信によって、国民はもう政治から発信される情報も、政府が調子にのってやるイベントも、どちらも信用ができなくなってしまったようです。
一回目のオリンピックや万博は、豪腕政治に対する信頼がまだ国民に残っていたことと、いままさに日本中のインフラを整備していて、世界中がまだまだ発展の余地を残していたときだったからこそ、その勢いで成功に導くことができました。
しかし現代では、行政主導のハコモノに対する不信はすさまじく、実際に東京五輪は議員とゼネコンの汚職の温床であったことがあきらかになっています。
なのに行政は、「あのときをもう一度、おなじことをやれば日本が復活する」という幻想にとりつかれているわけです。
いま政治に求められていることは、これまで発展してきたインフラを、持続可能な形で維持整備するという、足もとを固める地味な仕事です。
そのうえで、もしハコモノをやるのであれば、大会組織にお金をばらまかねば誘致できないようなものではなく、また大手企業やゼネコンと癒着してことを成すのではなく、若く将来性のある新興企業やクリエイターを全国から集めて、資金を管理する外部組織をつけたうえでやるのがよいでしょう。
入館料を安く、というのはほんとうにそうですね。
たとえばいまの段階で予約してくれた人には半額でチケットを提供するなどのおもいきった超早期割引があれば、いまこの苦境の中で万博を応援してやりたい人が買ってくれるということはあるのではないかとおもうんですけどね。
考えていたんですが、サトイモに関しては、消費者は無意識のうちに、洗ってあるもののほうが衛生的に感じているのではないかとおもいます。
10月中に売れたのは、まだほかにサトイモが出回っていなかったから、セカンドベストで土付きのものを買ってくれたのではないでしょうか。
というのも、去年はサトイモが豊作で、2月の頭まで売ることができたんですが、1月になってサトイモが出回らなくなると、土付きでもよく売れたんですよね。
洗ってあるものと、洗っていないもので並んでいたら、洗っているほうを優先的に選ぶということなのでしょう。
たぶん、ぼくも買う側にまわれば、洗ってあるものを買います(笑)
私も、農園主さんのライフワークの書きものの場は、わけた方がいいと思います。
SNSの情報は、(たぶん)殆どが必要ないのに、その必要がないものに振り回されてしまい、精神的におかしくなることもあります。
おかしくならないとしても、よくない方向に影響され、時間の無駄と言えるかもしれません。
SNSの情報は、(たぶん)殆どが必要ないのに、その必要がないものに振り回されてしまい、精神的におかしくなることもあります。
おかしくならないとしても、よくない方向に影響され、時間の無駄と言えるかもしれません。