山麓王国

2023年10月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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そういえば、むかしのRPGは、だいたいレベル30くらいになると、ほとんど終盤だったんです。

レベルが50まであったドラクエ2から、ファイナルファンタジーもレベル制のものはそうでしたが、レベル100になっても、だいたいレベル30になると終盤。

とりあえずレベル40もあればRPGはまずクリアできる、というのが常識でした。

ところがここ15年くらいで、そういう風潮が打破されたようにおもえます。

いま二ノ国やってますが、レベル40になってもまだ作品の終わりが見えてきません。



ぼくなんか、もうマンネリでもなんでもいいから、パターンの中で生きていたいんです。

平和というのは、ルーティンとパターンで人生が固まることですよ。

人間というのは、ルーティンとパターンで、人生が安心できることが、平和なんです。

でもいまの経済のシステムはパターンとルーティンを打破することで新価値を創造するものだから、若いうちはそれでよかったのだけど、オッサンになるともうついていけない。

で、年を取るにつれて、この新価値が恐怖になりつつある。

いまのじいさんばあさんが、スマホ操作やキャッシュレスに恐怖を感じるように、ぼくがジジイ(もう半分以上ジジイなのだけど)になるころには、まったく別のシステム的な恐怖が待ち構えているはずです。

そのとき、せめて同世代で「ついていけねえや」と言い合える仲間がいればいいのだけど、なんだかいまの時代だと、そういう仲間すらできないかもしれないな、と、それが目下の最大の恐怖です。
#与太話
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いわゆるタイムリープという考え方の元祖は、ニーチェの「永劫回帰」ということになるとおもいます。

ニーチェは、死んだらあたらしくなにかに生まれ変わるのではなくて、おなじ人生を何度も何度も、永遠に繰り返すのだといいました。

そこまでは、タイムリープっぽい感じがありますが、ニーチェは実際にわれわれが永劫回帰していると主張していたのではありません。

生まれ変わりなんてだれも見たことがないのだから、永劫回帰だって可能性としてないわけではない。

とすれば、次に生きるじぶんのために、いまをもう少しよりよく生きようではないか、という思想です。

いまの人生を投げてしまったら、次の人生でもおなじように投げてしまうことになる。

そうならないように、いまを少しでもよいように生きていようではないか、とハッパをかけているにすぎません。



これが、現代では時間を都合よく巻き戻して、何度も何度もトゥルーエンディングにたどりつくまで、やり直すということをする。

ゲームだと、『ゼルダの伝説ムジュラの仮面』あたりは有名です。

小説だと、筒井康隆の『時をかける少女』がそうです。

漫画だと『東京リベンジャーズ』は典型的ですし、海外でも『ハッピー・デス・デイ』という映画はタイムリープを繰り返します。

ニーチェの場合は、一回こっきりの人生を合わせ鏡のようにして、だからこそこの一回を大事に生きよというのですが、タイムリープものの場合は、記憶を持ち越して何度もやり直してしまう。



なにが言いたいのかというと、いまどきのフィクションは、どれもチートなんだなあ、と。

特に現代では、作品の進行にしたがってチートキャラをすこしずつ小出しにするんじゃなくて、最初からどんどん出しちゃって、そういった作品を日常的にみているわれわれの脳みそは、ほとんど麻薬漬けのようになっている。

そうすると、『ワンパンマン』みたいな、最初から最強みたいなのも許されるし、『呪術廻戦』の五条悟のような最強キャラが最初から出てきてしまうわけです。

まあ、この手の最初から最強というようなシナリオは、古くはブルース・リーもそうなんですけどね。

ぼくとしては、そういうフィクションの麻薬から抜け出して、永劫回帰のような、地に足の着いた思想を目指す、というのが……まあ、ただしいとは言わないけど、でも、実際の人間生活は、そうなんだとおもうんですよね。

#与太話
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田舎というのは、稲の刈り取りシーズンに合わせて、行事が増えていきます。

夏場はせいぜい地蔵盆くらいですが、10月になると突然、こんな小さな自治会でも神社の秋祭りやら親睦会やら、〇〇フェスティバルなるものが毎週のように入ってきて、自治会長はそれにすべて参加しなきゃならないので大忙しです。

ぼくはことしは組長と文化体育という役員をしていますが、きょうは自治会長と一緒に親睦会の買い出しをしていました。



コロナが明けて、数年ぶりの開催になるんですが、自治会内で参加者を聞いて回ると、20人でした。

コロナ前は25~30人、あるいはそれ以上出ていたというので、ずいぶん減ったな、という感じです。

べつにコロナは関係ないんですけども、コロナ以降に自治会内で5人も亡くなったものだから、なんだか突然自治会がスッカラカンになってしまった感じがします。



当日のお弁当の予約に、お菓子やビール、ジュースの買い出しはまあ常識の範囲内でしたが、レクリエーションの景品で、100均に1万円もつかったのははじめてです(笑)

できるだけ、もらって困るようなものではない生活必需品で、1万円ぶん、約100点を選ぶというのは、けっこうタイヘンでした。

しかしだいたいやることの段取りがわかったので、来年以降はぼくひとりでもやれそうだな、と。

まあ、ことし一年の役ではあるんですが、この程度の仕事であれば、毎年引き受けてもいいかもとおもったんですよね。
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忌野清志郎の歌う、500マイル。ピアノは山下洋輔。

もともとはアメリカの民謡で、ピーター・ポール & マリーの曲が有名。

清志郎の訳詞において、デイドリームビリーバーと、この500マイルはもうほれぼれするくらい完璧で、もちろんこの歌も完璧。

亡くなったのが58歳で、生きてたら、72歳。

ぼくが31歳のときに亡くなったのか。ぼくはあれからあんまり成長してないし、72歳の清志郎なんて、想像できないな。

清志郎がもし生きててこの年になって、この激動の時代に、政治的な偶像になるようなことにならなくて、よかったともおもう。

まあ、たぶんかれの性格上、こんなバカな時代には、なにかを言うようなことはやめちゃうだろうとおもうけども。
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午前中はオクラなどの収穫と、葉物野菜の種まきをしていました。

大奥は、どうやらこのくらいの時期で花が咲きにくくなるようです。

ピークファイブは生り疲れを繰り返しながら11月ごろまで収穫できる。
大奥は10月までほぼ生り疲れしないけど、10月上旬で突然疲れだす。

さて、来年はどうしようかな。

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サツマイモとサトイモの収穫。
あした雨になるというのでひたすらイモ掘り。

サトイモは土が濡れていると作業がタイヘンなので、乾いているうちにある程度掘り返して、作業小屋に持っていきます。

サツマイモは、よく育ってくれていました。

カゴ1つと半分ほどの収穫。

が、苗を縦に差し込んだからか、イモが地中深くにもぐってしまい、掘るのがタイヘンで、たくさん折ってしまいました。

来年は極力苗を横に差し込むようにしなくちゃなあ。

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ここ数年、ぼくの料理はほとんど余熱調理で、インスタント麺や乾麺も余熱で調理するし、肉もそうですが、もやしもフライパンで余熱調理します。

フライパンにもやしをいれて、フタをして、フタが熱くなるくらいまで火を通したら、火を止めてほったらかすだけ。
中で蒸される格好になって、お気に入りです。

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左側のが2サイクルエンジンの添加剤。
右側のがディーゼルにもつかえる添加剤。
ただ、右側の添加剤の説明書きをみると、4サイクルの車以外には使用するなとあり、そうするとトラクターにつかうのはやっぱりダメなのかとおもってるんですが、レビューには耕運機に使用しているという話もあり、どうするか迷っています。

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シソの実は毎年醤油で煮詰めていましたが、ことしは梅酢に漬けました。
去年あたりから、梅酢の汎用性に気づいて、なにかと活用しています。
はじめてのチャレンジですが、ご飯のお供になるかなあ。

#野菜
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きのううちのあたりは雨が降っていたのですが、きょうはよく晴れてくれて、これならいけるんじゃないかと畑を耕しました。

土を練る場所が出るのではないかとおもいましたが、おもっていたよりよいコンディションで耕せました。

次の雨の予報はあさって日曜日で、これは本降りになるような感じです。

この本降りを食らうと、種まきのチャンスがなくなります。

きょう種まきしてもよかったんですが、前回が25日。

播種の間隔は2週間がベストで、さらに雨が降る前日に播種できればベストなので、種まきはあしたに。

皮肉なことに、前回葉物を失敗した場所を耕さないと、畑に空きスペースがなくなっていました。

意外と、もう余計なことをしている余裕がないくらい、畑はフルにつかっているんだな、とおもった次第。

#野菜
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ぼくは百姓をしてるのに、いまどきのサツマイモなんてのはどの品種もおなじような味で、テキトーにつくってもそれなりにできるものだろうとおもっていたので、去年はじめて鳴門金時をつくって、これがあんまり甘くないのにびっくりしました。

あんまりサツマイモを食べる習慣がなかったから、知らなかったのです。

ことしはベニアズマと安納芋なので、けっこう甘い品種を育てています。

が、どこの畝にどっちのイモを育てたのかすっかり忘れてしまいました。

#野菜
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https://spur.hpplus.jp/celebrity/celebri...

2か月ほど前のこの記事読みながら笑ってたのだけど、カニエ・ウエストの妻のビアンカ・センソリがほとんど裸のような衣服で外を歩いているというんです。

で、たしかにベージュでスケスケの服で、乳首も完全に透けてるんですよね。

しかし、ぼくが笑ったのはそこではありません。

この記事の1枚目の画像の、カニエウエストの股間ですよ。

「砲丸でも入ってるんか?」

この股間はなんならビアンカ・センソリよりヤバい感じがしたんですが、メディアがそこはまったく触れないのがおもしろくて。
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ポテチをつくるコツがつかめました。
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この歌を歌う坂本サトルという人は、むかしジガーズサンというバンドで売れて、そのあと、「あの人は今」みたいな感じになったときに、完全なゼロから街頭でこの歌を歌って、またスマッシュヒットを出したんです。

いい曲だったんですよ。

元歌もYouTubeにあったんだけど、あえて2020年のものを。

この人は、資本主義的な、売れるとか売れないを超越したところで、心に刺さる曲を出す稀有なひとりだとおもっています
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さっきのゴダイゴのモンキーマジックは、ドラマも好きだったけど、この銀河鉄道999は、ぼくは松本零士の作品にはまったく興味がないのだけど、この歌はもう大好きなので、ぼくはそもそもゴダイゴが好きなのですよ。
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アメリカで生まれたブルースのリズムは、馬のひずめの音であったり、ショットバーの喧騒の雰囲気の音をあらわしていたのだといいます。

そういう原始的な音のリズムを、現代に流用したとき、この西遊記のテーマ曲のモンキーマジックのギターが、まるでニホンザルのキッキッという鳴き声を表しているようにおもえたとき、ぼくはすごく感動したんですよ。
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あっという間にあらわれて、あっという間に消えつつある「蛙化現象」という言葉ですが、これってむかしは「女心と秋の空」といってたもので、それがより極端で、男女の別がなくなったという感じでしょう。

「女心と秋の空」の場合は、女性って気まぐれだよね、くらいのニュアンスだったとおもいます。つまりスイッチでいえば、女性の気分を0から10まで、くるくる回して調節できるくらいの余裕のある言葉でした。

蛙化現象になると、もう完全にはしごを外すという意味です。

現代風に、男女どちらでも起こりうるという体にはしているけど、スイッチでいえばオンとオフしかない状態で、その間がない。

めちゃくちゃ好きだったのが、一瞬で大嫌いになるわけですから、すごい極端な言葉なんですよね。

右か左か、オンかオフか。
ほんとうはその間にグラデーションがあるはずなんですけど、みんなじっくりモノを考えることがなくなって、より短絡的に結果を求めるようになると、こういう極端な言葉が「消費」されるようになる。

蛙化現象というのは、そういう「時代の言葉」なんだとおもうのですよ。

#与太話
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きょうはちょっとネットで買い物をしてました。


車のガソリンタンクに、水抜き効果や、管の洗浄効果のある添加剤を入れることがあるんです。

年に2回ほど入れるんですが、呉工業(クレ556で有名なメーカー)の安いやつです。

15万km走った軽トラは、この添加剤を入れるとずいぶん調子がよくなるんですが、ちょうどこれが切れて、おなじような添加剤でも2サイクルのものがあるというので、これもネットで購入。

ホームセンターで買うよりだいぶ安いので助かります。

2サイクルの添加剤は草刈り機につかうとかなりいい効果があるようなので期待しています。

ただ、もう国内の主要メーカーは撤退してしまっていて、呉工業のものもなかったので、海外のメーカーのものを買いました。

つまり、もう2サイクルの草刈り機は斜陽で……あるいはエンジンがすでに斜陽なのかもしれませんが、こういう動きを見ていると、少なくとも2サイクルの草刈り機は今後10年でほとんど生産されなくなり、20年後にはほとんど電動に置き換わっているのだろうという気がします。

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ここしばらくの菜園について、まとめて書いておきます。


7月くらいになるとぼちぼちニンニクの値段が落ちます。
あたらしいニンニクのときの値段では売れなくなるし、市場ではいつだって中国産のニンニクが爆安価格で大盤振る舞いです。

そこでぼくは値段の落ちる7月くらいから、球のにんにくをほぐして、バラで売るんですが、この際に大きなものは来年の種球に回します。

小さくて売り物にならないのは、来春に葉ニンニクとして売る用に回します。

つまり売り物にするのは中くらいの大きさのもの。

で、よけておいた大きな種球は先日植え終えて、きょうは葉物野菜がうまく育たなかった畝を片付けて、再度耕して、葉ニンニク用の小さな種球をばらまきました。



ダイコンとタマネギにかけていた不織布をはずすと、ダイコンはまあまあ。

タマネギはよくわかりません。雑草のほうがよく生えてます(笑)

どちらも自家用なのですが、白菜も大根も、自家用でいい加減につくったものはそれなりにできてます。



サトイモをきのうから収穫しています。まだ10月なのと、やっぱり夏に雨がもらえなかったこともあって、去年よりかなり小ぶりです。

しかしあれだけのひどい天気のわりには、まあまあ盛り返してくれました。

幸か不幸か、大風でバイオマルチが破れて、それによってことしは土寄せをしたんですが、やっぱり土寄せをすると子芋の頭が白くてきれいです。

そのぶん去年より歩留まりがよいので、ひとつひとつのイモは小さめでも、このままいけば最終的には去年と変わらないくらいの成績が狙える……かも。

#野菜
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ぼくはいま、現実逃避をしています。

野菜はうまくできないし、なんだか鬱っぽくなっちゃって、でも自殺するというほどの絶望でもない。

それで、とりあえず生きている、という以上は、生きていることを肯定したい。

ぼくはもうこんなことを何度も繰り返しているから、この苦しみが生まれる原因はわかってるんです。

それは、なにかを比べる、ということです。

なにかと比べて、じぶんが劣っている、というときに、苦しむ。

人と比べて、という場合もそうですが、去年のじぶんはもっとうまく野菜がつくれたのに、ことしのじぶんはどうして、というようなこともそうです。

そのようにして、いまを生きているじぶんを否定するところに、ぶつけようのない劣等感と怒りが生まれて、つまり抑鬱になってしまう。

いいときに調子に乗って自慢するということもしないかわりに、わるいときに他人と比べて落ち込むということもない。
そういうのがいいな、とおもうのは、いまがわるいときだからかもしれないけれど。

で、こういうときは、べつのことを考えていたい。。


日々の農作業はきちんとやってます。

が、やっぱり心のどこかで敗戦処理のような甲斐のなさを感じているときに、まったく目先が変わるラヴクラフトの翻訳をやってみると、これはけっこう腹の立つたのしい作業でした。


それでふと、ぼくがほんとうにネット上でやりたいのは、こういうことかもしれないな、という気がしてきたんですよね。

ぼくは近代文学を専攻していましたが、日本の文学でも明治大正の小説は、まだ文語と口語が混じっていて、きわめて読みづらいものがたくさんあります。

泉鏡花の幻想小説などは、内容はものすごくおもしろいのだけど、原本がほとんど文語文なので、現代文に慣れたわれわれは、ほとんど古文書を解読するようにして読まねばなりません。

著作権の切れた、現代では読解がむずかしい作品を、現代人がわかりやすく読めるように改変して、ネット上で公開するというのは、ニッチな分野ではあるけれど、人の需要を満たすことにもなるし、年をとってもライフワークにできるかもしれません。


なんというか……まあ、ぼくという人間は、ひとり遊びをこじらせちゃってるんでしょうね(笑)

#与太話
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ニャルラトホテプ 3



このとき、緑がかった月からなにかが降りてきた……ようにおもえた。

この光をみたときから、奇妙なことにわれわれはなにか目的でもあったかのように、吸い込まれるようにフラフラと列をなしていたのだ。

いつのまにか道路は崩れて草に埋もれており、錆びた線路の跡すらなくなっていた。

路面電車もあった。しかしこれも朽ちており、窓もなく、ほとんど横転しかかっていた。

地平線を見渡すと、川のそばにあったはずの3つめの塔はなくなっていた。

ふたつめの塔の影が見えたが、頂上が崩れているようだ。

別々の方向に引き寄せられるように、自然と隊列が別れた。

ひとつの列は、左側の路地に消えた……と同時に、ゾッとするようなうめき声だけが残された。

またべつの隊列は、狂ったように笑いながら雑草におおわれた地下鉄の入り口を降りて行った。

わたしの列は、ひらけた荒野に吸い寄せられた。

あれだけ暑かったのに、なぜかここでは寒さを感じる。

まわりを見渡すと、まがまがしい緑色の月光に照らされて、なんと雪が積もっていた。

この不可解な雪には足跡もなく、一方向にのみ吹き分けられており、それが輝く壁を形成して、黒く深い穴が横たわっている。

隊列は夢うつつで黒い穴に向かった。

雪の黒い裂け目が緑に照らされた様子は恐ろしく、怖気だったわたしは、隊列を残して立ちすくんだ。

仲間たちが穴へと消えていくと、弱々しい、泣き声のような不穏な残響が聞こえたようにおもえた。

しかし、わたしにももう、抗う力は残っていなかった。

先に進んだ仲間に手招きされているかのように、わたしは寒さと恐怖に震えながら、想像を絶する渦の中に飛び込んでいた。



わたしがたまらず叫んでいたのか、あるいは愚かしく押し黙っていたのか。それを知るのはもはや神のみである。

もう、終わりだ。

影が手(といってももはや手ではない)の中でのたうち回っている。

低く明滅する青白い星をかすめて亡者の世界から風が吹き、死者の世界にいたはずの腐った創造物は真夜中の街をむやみにうごめいていた。

不浄な寺院から、真空の宇宙に向けて、柱が伸びている。
地上にいる者にはその柱は半分しか見えないだろう。

われわれが緑色の月とおもっていた宇宙の下にたゆたう岩石、柱はそこにつながっている。

怪物のごとき亡霊どもはそこにいた。

そしてこの宇宙の墓場からの反乱を通じ、時を超越した真っ暗な部屋から、くぐもった狂気のドラムビート、そしてうっすらと冒涜的なフルートの音が聞こえる。

これらのいまわしいドラムと笛の音に加えて、巨大にして陰惨たる究極の神々による、ぎこちなく合理性を欠いたのろのろとした舞踏。

この、目も見えず、声も持たず、心の欠けたガーゴイルどもに魂が宿ったもの……これがすなわち、ニャルラトホテプだったのだ。

(終)


#ラヴクラフト #ニャルラトホテプ
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ラヴクラフト、最後の一段落、マジで許さん。

文章として体をなしてない。
ほかの文章も一貫してムチャクチャだけど、クライマックスでいよいよムチャクチャとか、あれはわざとやってて、フリークはそれを暗示的だといって喜んでたのか……。

ホンマに、意訳すら拒むレベルの無茶苦茶な言葉の羅列。
かれ自身、「重要なのはアクションではなく雰囲気」って言ってたけど、ほんとうに雰囲気しか伝わらん。

接続詞が接続してない。
そのくせ接続詞が必要なところには接続詞がない。

わけのわからん文章に、さらに関係代名詞が2つも3つも入るのは当たり前。

あとたった数行なのに、まったく進まないし、理解の取っ掛かりすらない。

青空の翻訳をみても、ほぼ投げてる(笑)
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こんな読みやすいニャルラトホテプがあるだろうか。(自画自賛)
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ニャルラトホテプ 2



ニャルラトホテプがわたしの住む街に来た。

ここは古くからある広い街であり、犯罪が絶えない危険な場所でもある。

友人はかれの秘術に傾倒して、わたしにその魅力を伝えた。

この大いなる謎をなんとか解き明かしたいという熱情に、わたしも心を動かされた。

友人は言う。

かれの身の毛のよだつ秘術は、予想をはるかに超えていた。

暗い部屋で、予言がスクリーンに映し出されるのだ。

いままで目では見たことのある光景が、スクリーンに映っている。

じぶんの目が、ニャルラトホテプに奪われたかのようだった。

ニャルラトホテプはバチバチと火花を散らしながら、予言をおこなう。

これも、いままで聞いたこともないようなものであった。

外国では、ニャルラトホテプに会ったものは、だれも見たことがない光景を見ているのだといううわさが流れているのだぞ、と。



わたしがニャルラトホテプに会いに行ったのは、暑い秋の夜のことである。

わたしと同様、かれに会おうとする落ち着きのない群衆に混じり、長い階段を抜けてある部屋に入った。

そこにはスクリーンがあり、廃墟の中にフードをかぶった人影が映し出された。

倒れた石碑から黄色い邪悪な顔がのぞいている。

わたしにはまるでこの世界が、宇宙の根源からくる暗黒の破滅に抵抗して、戦っているように見えた。

太陽は冷え、発せられる光も弱まり、世界はうねり、混ざり、もがいている。

そこへ観客の頭のまわりに火花が飛び散り、髪の毛が逆立ったものだから、みな驚きの声をあげた。

さらにスクリーンに筆舌に尽くしがたいグロテスクな影が現れたことで、観客たちは頭を抱えた。

しかしわたしは多少科学を知っていたおかげで、冷静でいられた。

「詐欺師め」「ただの静電気ではないか」

と震える声で抗議すると、ニャルラトホテプは部屋にいた全員を追い出したのである。

われわれはめまいのするような湿気と暑さの中で階段を降り、人気のない真夜中の街路へ出た。

わたしは「なにも怖くなかったぞ」と大声で叫んだ。

絶対に怖がるわけにはいかない。その場にいた人たちもまたわたしの声で安心したのか、一緒に声を上げた。

われわれはこの街になんの変化もなかったこと、われわれがいまも生きていることを確認しあった。

そのとき街灯が消え始めたのだが、われわれは口々に電力会社に文句を言い、みょうちくりんな表情をつくって笑い合ったのである。


#ラヴクラフト #ニャルラトホテプ

2023年9月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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ニャルラトホテプ 1



ニャルラトホテプ……這いまわる混沌……わたしは最後のひとり……虚空に向かってこの言葉を残そう……

数か月前。

社会は大混乱に陥っていた。

だれもが身の危険を感じ、陰鬱な不安と緊張感に満ちている。

この危険は広範囲に及び、すべてを覆っている。

人々が青ざめた顔で心配そうに歩き回っているのを覚えている。

なにかの前触れではないかとか、危険が迫っているなどと、予言や警告をささやく者もいたが、みんな聞かないふりをした。

言い知れぬ罪悪感が大地を覆っている。夜空の星々の深淵から流れてくる冷たい風は人々を凍えさせた。

季節の移ろいには、悪魔でも潜んでいるようだった。秋になっても、ひどく暑いのだ。

この世界と宇宙に存在した神々が、未知の神々に支配を明け渡したのだとおもわずにいられなかった。



ニャルラトホテプがエジプトに現れたのはそのときである。

何者かはだれにもわからない。ファラオのような見た目だったから、おそらく古いエジプトの血族なのであろう。

エジプトの農民たちはかれをみるや、ひざまずいたが、これもなぜかはわからない。

かれは地球ではない場所でメッセージを受け取り、27世紀の暗黒の中からやってきたのだと言う。

浅黒く、細身で、邪悪な男だった。

ニャルラトホテプは地球の文明を利用して、ガラスや金属の奇妙な器具を購入し、それらを組み合わせてさらに奇妙な器具を作った。

そして電気や心理学といった科学を利用して、人々の心をつかんだ。
かれはどんどん有名になっていき、たいへんな名声を手に入れた。

人々はこぞってニャルラトホテプに会おうとしたが、みな身震いする羽目になった。

ニャルラトホテプの行くところ、安らぎは消える。

みな悪夢にうなされて叫び声をあげるのだ。

これまで、悪夢による叫び声が社会問題になったことがあるだろうか。

どんな賢者たちでさえ、みなが夜に眠ることを禁じてくれないかと、祈ることしかできなかった。

そうすれば、
橋の下にたゆたう緑の水の上に輝く、崩れ落ちそうな古い尖塔も。
橋の下にたゆたう緑の水の上に輝く、青白くあわれな月も。

この悪夢の叫び声に思い悩まずにすむだろう。


#ラヴクラフト  #ニャルラトホテプ
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日蓮(法華経の開祖)だったとおもうんですけど、ふだんから親交がある家の、つい数か月前に会ったばかりの10代の若い武士が亡くなったと知って、その家に手紙を書き送ったというエピソードがあります。

「人の生き死には自然のことわりであって、ごく当たり前のことなのだから、嘆き悲しむようなことではないとふだん弟子にも言っています。
しかし現実にこのような死を知ると、やはり悲しくて、取り乱してしまうものです」

というような内容で、いくら生き死にを深く理解した日蓮でさえ動揺するのだから、われわれはなおのこと、人の生き死にに対する情動は抑えられるものではないんですよね。


昼過ぎに、親に電話をしていました。

父のガンに関しては、喉の腫瘍は取り切れているとのことで、ホッとひと安心。

肺の検査はまた後日とのこと。

あとは12月に再度PET検査があるそうで、これで光る部分がなければよい、ということでした。

人間はどうしたっていずれは死ぬのだし、こういうことにしても、あんまり一喜一憂しては身がもたないぞ、という気はするんですけどね。

そこはさっきの日蓮のようなもので、腹の中で一喜一憂するもんじゃないといっても、実際にはやっぱり、わるいことにならなかったことはうれしいし、ことし父にがんが発見されてからは、ずっとハラハラしていました。

で、もちろんこのまま何事もなく根治してもらいたいと願うわけです(笑)
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「怪奇小説を書く際の覚え書き」、加筆修正……というか、ややこしい表現をぜんぶ削り取って、意訳しまくりでじぶん好みに書き換えました。

この調子でニャルラトホテプに臨みます。
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ちなみにこのラヴクラフトの翻訳、ぼくが青空文庫の翻訳のわかりづらさに腹を立てて、勝手にやっていることですので、相手にしないでくださいね(笑)
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ラヴクラフトの翻訳は、難解になっているというよりは、もともと難解な原本に対して、ほとんどグーグル翻訳を少々手直ししたという程度だから、よけいに難解になってるようです。

ぼくもほとんど英語の、ネイティブな言い回しなんかわからないんですが、相当いい加減な翻訳だったことはわかりました。

で、ぼくもまた原本をグーグルに翻訳してもらったものと、翻訳とを照らし合わせて、意味の通らないところをどうにか解釈しながら分解しているのですが、それでも、英語がよくわかっている人からはお叱りを受ける内容でしょう。

段落を崩したり、本来のまわりくどいところをかなり簡略化していますが、それでもややこしいとおもいます(笑)


とりあえず、ラヴクラフトの怪奇小説の書き方については、理解しました。

そしてこのパルプフィクション作家の、難解でまわりくどい表現に惹かれた人が、かれの著作をクトゥルフ神話という形でささえて、いまもつながっている、というところまでが、いまのぼくの理解です。
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怪奇小説を書く際の覚え書き (後半)

HP ラヴクラフト著




5つの規則をかきだしましたが、この最初の段階はほとんど頭のなかでの作業です。

話が頭のなかで練り上げられ、具体的にシナリオを肉付けする準備が整うまで、書き出すことはありません。

アイデアをどう発展させるべきか決まらないうちに、実際に書き始めてしまうこともありましたが、これはあとあと問題になりがちです。

おもうに、怪奇小説の表現は4種類にわかれます。

雰囲気や感情の表現。
絵画的な概念の表現。
一般的な状況や状態、伝説あるいは知的概念の表現。
最後に、くっきりとした特定の劇的な状況、またはクライマックスの表現。

もうすこし突っ込んでいえば、さらに2つの大まかなカテゴリーがあるといえるでしょう。

ひとつは、なんらかの状況や現象に対する驚異や恐怖を描いたもの。
もうひとつは、怪奇現象に対する登場人物の行動を描いたものです。


 怪奇小説の中で恐怖を分類すると、5つの要素があります。

(a)根源的な恐怖、異常、状態、実体など。

(b)全体的な効果、挙動としての恐怖

(c)恐怖があらわれるときの様式。恐怖が実際にあらわれたときのカタチや、その現象の観察。

(d)恐怖にどのように反応するかということ、そして

(e)これらの条件にともなって、恐怖が特定の効果を発揮すること。

 
 怪奇小説を書くとき、わたしは常にムードをつくるようにしており、重点を置くべきところにも細心の注意を払っています。

いかに三文小説といえど、怪奇現象を目の当たりにして、当たり前の日常でも語るように表現するような愚かなことは、相当な未熟者でない限りやらないものです。

想像を絶する出来事や状況を描くには、物語のあらゆる段階で注意深くリアリティを維持する必要があります。

中でも、物語の核となる怪異が起きたときは、その存在自体が物語の登場人物や出来事を覆い隠してしまうほどですから、慎重に登場人物の情動を「構築」して、印象的かつ慎重に扱われなければ、単調で説得力のないものにみえてしまいます。

この驚異に触れるときを除けば、かれらは一貫して自然でなければなりません。

物語の核となる怪異に関しては、圧倒的な感情を表現しなければなりません。ここは決して当たり前のことではないのです。

たとえ登場人物たちが驚異に慣れてしまっているだろうという場合でも、読者に合わせて、臨機応変に怖がらせるべきなのです。こういう部分を軽んじると、せっかくのファンタジーが台無しになります。


 怪奇小説というフィクションに求められるのは、人の動きよりも、雰囲気です。
事実、怪奇小説は、人間の気分を鮮明に描写しているだけなのです。

それ以外のことをすると、安っぽくて幼稚な、説得力のないものになってしまう。

非現実的な、奇妙な現実が、ぼんやりした幻想を構築した際に、微妙にほのめかされたもの。
こういった、われわれが知り得ない細かい気分の濃淡や、手がかりや手応えに、もっとも重点が置かれるべきでしょう。

奇妙な出来事に対して、むきだしの情報を羅列するようなことをしたって意味がありません。

これらは、わたしが本格的にファンタジーを書こうとしてからずっと、意識的にせよ無意識的にせよ従ってきたルールです。

このルールが成功しているかどうかは議論の余地があるかもしれませんが、すくなくともわたしに限っていえば、このルールを無視していたら、いまよりはるかにわるい作品になっていたとおもうのです。

#怪奇小説を書く際の覚え書き #ラヴクラフト
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ラヴクラフトの作品は、どうも原本からしてあまりにも表現がまわりくどく、それを直接的に翻訳したものも難解になっているようなので、ぼくがムリヤリわかりやすくなるように作品を砕いていきます。

段落はいちいち改行し、表現はできるだけ意味が通りやすくなるよう意訳も含めています。

この調子ですこしずつラヴクラフト作品を読み解いていこうとおもいます。
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怪奇小説を書く際の覚え書き (前半)

HP ラヴクラフト著


わたしが小説を書く理由は、ある場所に行ったときの驚きや美しさ、冒険の期待のようなぼんやりした感覚を、わたしがこれまで積み上げてきた経験によって、より明確に表現して満足したかったからです。

なかでも怪奇小説を書くことを選んだのは、あくまでわたしの好みの問題です。

わたしは長年、時間や空間、自然法則のような、この世でわれわれを縛るものを停止させて、奇妙な幻想に浸りたいと願っていました。

時間や空間や自然法則に縛られるせいで、わたしたち遠い未知の世界である無限の宇宙空間への好奇心が挫折してしまうのです。

またわたしの物語では恐怖を強調しますが、それは恐怖がわたしたちの根源的で強烈な感情であり、幻想を生むのにもっとも適した感情だからです。

恐怖は未知のものや奇妙なものと密接に関係しています。
だから、自然法則の崩壊や、宇宙の異質さ、あるいは「異界」のようなことを、恐怖抜きに語るのはむずかしいのです。

あとわたしの物語では時間が重要な役割を果たしています。
わたしには時間こそが宇宙でもっとも残酷な恐怖におもえるのです。

人間と時間との対決は、もっとも実りある力強いテーマであるとわたしにはおもえます。



わたしの作風はあきらかに特殊ですし、あまり万人受けするとはおもえません。
それでも、わたしがやっているようなことは、文学が始まったときからずっとだれかがやってきていることです。

割合としては少数でしょうが、未知の宇宙空間に燃えるような情熱を感じ、現実という既知の牢獄から抜け出して、信じられないような冒険と夢の、無限の可能性を秘めた仙境へ向かいたいと願う人は常にいるものです。

深い森、幻想的な都市の塔、燃える夕日といった夢が、わたしたちに一瞬の暗示を与え、そして目の前に仙境が広がるのです。

わたしのようなアマチュアのみならず、ダンセイニー、ポー、アーサー・マッチェン、MR・ジェームズ、アルジャーノン・ブラックウッド、ウォルター・デ・ラ・メアは、この分野の偉大な作家たちです。



わたしの物語の書き方はひとつではありません。わたしはいろんなやり方で物語を書いてきました。
夢をそのまま書き留めたことだってあります。

しかしふだんは、表現したいことを決めて、話の展開を具体的な言葉でみなさんにお見せできるように推敲します。

わたしがよくやるのは、気分、アイデア、イメージに適した条件や状況をリストにして、論理的で自然な動機を推測していくというものです。

もちろん実際の執筆のプロセスは、テーマや着想によってさまざまですが、もしわたしの全作品を分析して平均したとすれば、以下のような一連の規則があるとおもっています。



(1)まずシナリオを用意します。最初は物語的な肉付けは後回しにして、出来事が起こる順に記述します。
要点を網羅して、じゅうぶんな長さで記述します。この枠組みの段階で、予測できる結末を詳細に記述するのもよいでしょう。

(2)ふたつめのシナリオを用意します。こんどは物語を肉付けしていきます。最初につくったシナリオをもとに、視点の変化、強調、クライマックスに変更がないか、メモをしておきます。
これによってストーリーに劇的な力がもたらされたり、全体的な効果が高まる場合は、もとのあらすじを変更します。
重要なイベントは自由に追加、削除をおこないます。最終的にまったくちがう物語になったとしても、最初のシナリオにとらわれてはいけません。推敲していく過程で提案があれば、いつでも変更を加えましょう。

(3)肉付けしたシナリオに従って、あまり深く考えずにパパっと書き出してしまいましょう。
この段階でも書いている間に変更したほうがよいとおもったら、前のシナリオにとらわれることなく変更します。
効果的な演出や、あざやかな物語が挿入できるとおもったら、のがさず追加しましょう。

そして最初のシナリオとあたらしいシナリオとの整合性を調整します。
必要に応じてセクションを大胆に挿入したり削除したり、最初の部分と終わりの部分の変更を納得いくまで試みます。
小説全体の最終的な仕上がりと食い違いがないように確認しましょう。

(4)テキスト全体を改訂します。
文章のリズム、エピソードの比率、微妙なニュアンス、シーンの移行がスムーズに行えて説得力があるかどうか、クライマックスなどの効果、ハラハラ感やおもしろさ、その場の空気のもっともらしさなど、さまざまな構成要素に注意を払いましょう。

(5)きちんとタイプされて出来上がった原稿を用意して、最終改訂を加えます。

#怪奇小説を書く際の覚え書き #ラヴクラフト
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まだすこしカフェインの離脱症状が残っている感じですが、おおむねしゃっきりしてきました。

夕方には、オクラの畝の欠株で育てていたネギをニンニクの圃場に移し替えて、ニンニクの植え付けもほぼ終了。

あとは葉ニンニクの畝をつくって、のこった小さな種球をばらまくだけ。


そういえばことし、ほんのすこしネギを売ったんですが、けっこう売れそうな感じだったので、来年以降、オクラの欠株を利用するか、あるいは専用の畝をつくってネギも営利で増やしてみようかとおもっています。

どうせ売れねえだろう、と半分自家用感覚で植え付けたので、多くの苗を植え付けずじまいで枯らしてしまったのはもったいなかったなあ💦
#野菜
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https://www.aozora.gr.jp/index_pages/per...

青空文庫で、ラヴクラフトの著作を発見。
もう著作権が切れているので、無料で読めるようです。

以前ゲームでその名前を知って、興味があったニャルラトホテプと、狂気の山脈にてを読んでみようとおもいます。

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